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2018年4月13日 (金)

子ども達がいてこそ

教育学部を出ていながらも、アルバイトで家庭教師をしていた頃も、塾講師をしていた頃も、手に入る教材の中から使いやすそうなものを選び、それに沿って指導をするということが「普通」だと思っていました。

私達が手にすることができる問題集やドリルなどの大半が、例題を解説して、それを真似て解ける類題を解かせる。練習問題のページにはヒント(それがしばしば書き過ぎで、その通りにすれば解けてしまうようなものも…。)が書かれている。そういう類のものになっています。
でも、それだと子ども達はよくわかっていなくても答えを出すことができ、答えが合っているから、指導者側も子どももできている気になって、次に進んでいくというようなことも起こりがちです。

それに気づいたことが自分で教室を始めるきっかけになったのですが、その後、子ども達の表情などを見ながら、どういう問題は苦手な子が多いか、どういう表現だと理解しやすいかなど、たくさんのことを子ども達から教えてもらいました。

気に入って長年使ってきた教材も、多くの子が抵抗を示す単元があったり、説明がわかりにくい、もしくは全くないところがあったり、もっとこうすれば子ども達もすんなり理解できるのでは?と思うことが色々見えてきました。

そうして手探りながらも少しずつ、簡単ではないけどわかりやすい。説明し過ぎないけど、省略し過ぎない。そういうものを作ろうとしています。
それは全て、目の前に子ども達がいるからこそできることで、そうでなければきっと、自分ではいいと思っていたところが子ども達にはそうでもなかったり、かえってわかりにくかったりということも起こるのではないかと。

子ども達がいてくれるからこそ、よりよい教材、よりよいレッスンについて、常に考えさせてもらえるのだということを、このところ改めてひしひしと感じています。

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