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2018年3月31日 (土)

年度末

本当はここ2日で新年度の準備や教材などの整理をバリバリ(?)するつもりでいたのですが、想定外の事故により全ての予定が狂いました…。
月曜までレッスンがないので、その間に何とかなるものと思っていましたが、私が世間知らずだったようで、あのサイズのガラスとなるとそう簡単にはいかないようです。
予想通り今日は何の連絡もなく、明日も日曜なので見積もり等の連絡はないだろうと思います。
ことが動くとしても早くて月曜。工事日が決まれば、棚を動かしたり色々な作業が必要になるかもしれず、そう思うと片付けなどもあまりエンジンかからず…。
本当に最低限のことだけをして年度末を終えました。

新年度の年間カレンダー、完成させるのが遅くなり、皆様にお配りするのが4月第1週になってしまいますが、4月のレッスンは今のところ3日火曜からになります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2018年3月30日 (金)

ほぼ進展なし…。

今日は私にとってはかなり早起きして、9時前に教室に来ていました。
10時半頃職人さん達がガラスの状態を見に来られ、見積もりを出すと言って帰っていかれました。
その後、管理会社の担当の方から連絡があり、見積もりができ次第お届けすると言われ、その状態のままにはしておけないでしょうとも言われたため、明日から土日でもあり、大急ぎで見積もりをしてくださるものだと、午後からもずっと教室で待っていました。

事務仕事や片付けなどを多少はしたものの、発生するであろう金額の大きさやガラスを交換することによってしなくてはならなくなる諸々の作業を考えると気が重く、そのことが気になって仕事もろくに進まず日が暮れました。
さすがに今日はもう連絡はないのだろうかと、念のため管理会社の担当の方に電話をしたところ、「そんなにすぐに出ませんよ。それに僕、業者じゃないからわかりません。」と……。
きっと、業界の方の常識では最初から今日出るなんてことはあり得ないということだったのでしょう。でも、あの電話でそう理解するのは、素人の私には無理でした…。

というわけで、何も先に進まぬまま、ガラスは派手にひびが入ったまま、月曜を迎えることになりそうです。
この分だと工事日によってはレッスンに影響が出るかもしれません。その際はご連絡させて頂きますが、何卒お許しください。

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2018年3月29日 (木)

想定外の出来事により…。

今日は中3くんとの最後のレッスンを終え、事務仕事などしなくてはと思ったのですが、以前友人に指摘されて、窓に貼っている文字のうち一部分だけ剥がさなくてはと思っていたのを思い出し、剥がそうとしたのですが、かなりの難敵。
インターネットで調べたところ、ドライヤーで温めると剥がしやすくなると書かれていたのですが、教室にドライヤーはなく、ヒータを近づけてみたところ、いともたやすく剥がすことができました。
いくつか剥がしたい文字があったので、別の文字にも近づけてほんの数分(多分せいぜい3分以内)傍を離れたところ、突然破裂音が聞こえ、え?何??と思って見ると、巨大なガラスに大きな亀裂が…。
詳しいことはわかりませんが、一部だけ熱で温められたことで膨張して破裂したという感じなのだろうと思います…。
後悔先に立たず…。

通ってくださっている方はご存知かと思いますは、うちは外から見えるところに巨大なガラスがはめ込まれていまして、そのうち1枚がダメになりました…。
幸か不幸か、その出来事が19時になる数分前で、即不動産屋さんに電話したところ電話がつながらなかったため、走っていったら、社員さんがシャッターを下ろしかけているところでした。
お蔭で連絡もつかず一晩を明かすことにはならずに済みましたが、どう考えても大出費かつ結構大変な作業になりそうで、ただただ憂鬱です…。

いつ交換してもらえるかわかりませんが、明日の午前中に見に来てくれることになっています。
そのため、近々一旦教室の窓から文字が全て剥がされることになるかと思いますが、教室がなくなるわけではありませんので、どうぞよろしくお願いいたします。

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2018年3月28日 (水)

他人事では済まないんだろう

国会中継を見ていたり、色々なニュースを耳にするたび、自分自身もですが、自分には関わりのないことだから、自分には関係ない人たちだからという考えでは済まないことが、どんどん増えているのではないかなと感じます。

ひと昔前、まだこんなに情報が簡単に全世界に発信できるような環境がなかった頃には考えなくてもよかったような問題がたくさん見えてきているように感じます。
例えば、何かちょっと問題が起きると、匿名での吊るし上げが始まり、ネットリンチなどという言葉も生まれました。
事件が起きるとインターネットを通じてあっという間に情報が広がっていきます。
テレビや新聞などの報道と違い、インターネット上で発信される情報は玉石混交で、間違った情報でも広がってしまえば訂正しきれないようなことも少なくありません。

ここ1年ほど、国会中継を見ると何ともどんよりした気分になるのですが、そして、私自身は積極的に支持している政党があるわけではありませんので、現在の与党をやみくもに批判したいというわけではありませんが、普通に考えて、多数決で議決できるシステムである以上、与党が圧倒的多数になれば、私たち国民はリスクを背負うということぐらい、少し考えればわかりそうなものです。
にも関わらず、更にいえば、一度「信を問う」といって選挙をしたにも関わらず、圧倒的多数を与えてしまったのは私たち国民なのです。

個人的には圧倒的多数を与えるのは危険だなんてことは「誰でもわかる」と思っているわけですが、もしかするとそういうことを考えたこともない、気づいていない、知らない、そういう人達が一定以上いるのかもしれないと思わざるを得ません。

何を持って常識というかは、結局は多数派の考えが常識と言われるのでしょうし、それぞれが属する社会、人間関係によっても「常識」は違うのだろうと思います。
ただ、自分が属する社会の外での常識によって、自分や自分の大切な人が害を被る可能性は少なからずあるのだということを、最近強く感じます。

うまく言えませんが、ただただ今祈るのは、これ以上一部の権力者の作る「社会」に属さない人たちが切り捨てられていく世の中にならないこと。
子ども達がのびのびと幸せに生きていける世の中になること。

随分前に「ドラゴン桜」が流行ったとき、バカは損をするというような表現があったかと思います。テストの点がいいかどうかではなく、色々なことを学ぶのは、よりよく生きていく上でとても大事なことに違いありません。
今の若者や子ども達には是非ひとりでも多く、よりよく生きられるための学びを重ねていってもらいたいなと思います。

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2018年3月27日 (火)

今日も感動

今日の中2さんとのレッスンでのこと。
小学生の頃からずっと市外から通ってくれている子で、中3になるので徒歩圏の塾に変わることが決まっており、来てくれる間に少しでもその子自身に考えて理解してもらうという形で先に進んでおきたいとの思いから、中3の内容も進めるだけどんどん先に進んでいます。

それができるのは、その子自身かなり数学の力があるからなわけですが、現在平方根の学習に入って数回。今日のレッスンでは平方根の応用問題まで進みました。
そんな中で、分母が√2+√3(表記がうまくできないのですが、ルート2+ルート3のような、項が2つある形のもの)の有理化の問題が出てきました。
普通の有理化も、前回やったばかりの段階で、さすがにノーヒントでは思いつかないだろうなと思いつつも、ルート2を掛けたらルート3は有理化されないし、ルート3を掛けたらルート2が有理化されないし、何度か試行錯誤をしてもらうのもいいかなと思い、まず考えてみてもらうことにしました。

すると、最初に言ったのは片方は有理化できるもののもう片方にルートが残ってしまうパターンで、これまでにそうやって考えてもらった子達もすんなり思いついた子は多分いなかった気がするので、わからないと言ったら説明しようかなと思っていたところ、次にいきなりバッチリ正解を答えました。
その子の場合、適当に言ったわけではなく、最初に言ったのでは片方にルートが残るということは…と考え、正解を思いつき、更にはそれを頭の中で確かめた後に答えているはずで、こんなにあっという間に自力で正解した子は記憶にないこともあって、大いに驚き、感心しました。

こういうタイプの子は少なくとも数学に関しては一般的な塾での授業は受けないほうがいいような気もするのですが、私が英語や他の教科の指導ができないので仕方ありません…。少しでも長い期間、やり方を説明されても、ちゃんと意味がわかっている状態でいてもらえたらと願うばかりです。

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2018年3月26日 (月)

わかってもらうまで。

小さい頃から通ってくれている子達にとっては、自分が何をしているのか理解して先に進むのが当たり前という場合が多いのですが、学年が上がってから来てくれることになった子達の中には、習ったことを再現するという勉強が当たり前になっていて、自分が何をしているのか、なぜそうすれば解けるのかなどを考えないまま問題に向き合っているような子もいます。

それは子ども達が悪いわけではなく、学校でも塾でも、まず新しい学習内容の説明から始まり、例題を解説したりした後で類題に進むという流れが一般的ですから、自分達で考えるより先に教えられてしまい、勉強というのはそういうものなのだと思ってしまうのでしょう。

先月から通ってくれている高学年の子は、うちに来る前に塾にも通い始めており、やり方を覚えて解くというのが当たり前になっているところがあります。
この子に限らず、そういう子達に文章題などを考えてもらうと、とりあえず見切り発車的に解き始め、違っていそうだとまた違う計算をしてみたり、こちらの反応を伺ってみたりと、本人が自信を持って解いているのとは違う状態になることが少なくありません。

決められた時間内にここまでやらねばならないというようなきっちりとしたカリキュラムがある場合、子どもが気づくまで待つというのもなかなか難しいのでしょうから、学校や塾などではやむを得ない面はあると思いますが、せっかくうちに来てくれたのであれば、とりあえず何か計算してみたというような様子の子には、それは何の計算をしているのか、その計算をしたら何が求められるのかを尋ねたりして、とにかく考えてみてもらうよう働きかけます。

そうやって、きちんと意味を理解して解いた1問と、意味はよく分かっていないままやり方を真似て解いた10問とでは、前者の方が身になる可能性は十分にあります。であれば、よく考えずに10問解く間にじっくり時間をかけて1問解ければ、それでも大丈夫と言えるかもしれません。(問題の内容などにもよりますので、あくまでもたとえですが。)

考えて意味を理解するということが習慣づいていない子達には、初めのうちはどれだけ時間がかかっても自分自身が何をしているのか「わかった」と感じてもらえるまで、じっくり向き合ってもらうよう努めています。

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2018年3月25日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年3月24日 (土)

意味は分かれど。

子ども達がどう考えたらいいのか悩む内容の一つに小数や分数の割り算を使う文章題があります。
例えば、針金6.4mの重さがわかっていて、1mあたりの重さを求めるとかだと、全体の重さを6.4で割るわけですが、6.4で割れば「1あたり」が出てくるということは、高学年以上になれば習って知っている子も少なくはないだろうと思います。
でも、たとえ説明されて知っていても、わり算は「分ける」計算という感覚があるので、「6.4個に分ける」とか「6.4等分する」とかいうのは、文字にしてもよくわからないように、イメージしづらいわけです。
実際のところ、私自身も知識としては知っているものの、未だに実感という意味ではできていないままだったりします。

こういうとき、仮に子どもが疑問を持ったとして、それに対して「とにかく割れば1あたりが出てくるの」と押し切ったとしたら、私のように、知識としては知っているけどなんだかモヤモヤするなぁという感じでやり過ごすことになるのではないかと思います。

このような問題を子ども自身に考えてもらうと、上述のような問題であれば、64で割ってからそれを10倍して解くような子がいますが、それは0.1m分の重さを求めてから、それを10倍すれば1m分になると考えているわけで、数量の感覚がある子はその解き方をすれば納得ができるのだろうと思います。

64で割ってから10倍するというのは、「ひと桁分細かく割り過ぎたのでその分を戻した」と理解すれば、結局6.4で割るのと同じだと理解できるかもしれませんし、仮に理解できなくても自分で理解できる方法で解くことはできるわけですから、さほど問題はないでしょう。

小数や分数の割り算では、計算の仕方だけ説明してお茶を濁すようなことも少なからずあるのではないかと思いますが、自分でしっかり考えて理解するということが習慣づいている子達にはそれでは気持ち悪さが残り、時には苦手意識を持ってしまうこともあるかもしれません。
ですから、できるだけ実感し、納得してもらえるよう努めていきたいと思っています。

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2018年3月23日 (金)

置き換える力

子ども達とレッスンをしていると、抽象的な数になると途端に問題の難易度が上がるのを感じます。
例えば、割合などで全体を1とすると…というような、単位も何もない「1」というもので表された時点で、え?何それ?という感じになってしまうのだろうと思います。

また、全体の数値が与えられずに往復の平均の速さを求めるとか、公倍数の重なる点の個数を求めるとか、そういうものも、全体が決められているものに比べて難しく感じる子が多い気がします。

今日のレッスンでも、始発と終発の時刻が同じ電車とバスがあり、それぞれ1日に61本と49本出るとすると、何度同時に出発するかを求める問題で、線分図を描いて60等分と48等分までイメージできたものの、そこから動かなくなってしまった子がいたので、始発が何時で終発が何時か決めてみたらどうかと提案しました。

すると、もちろん何時でもいいとは言いましたが、始発が0時、終発も0時の24時間の線分図にして考え始めました。
これまたすごい数字を置いたなと思いましたが、少なくとも、そう置いたことで手が動き出し、時間はかかったものの問題を解くことは何とかできました。

ですが、その子は60と48の最小公倍数が240だというのはそれまでに求めていて、始発も終発も自由に決めるのであれば、全体を240分にすれば圧倒的に簡単になるわけです。
ただ、これを全体を1としたまま解くと、分母が60のものと48のものとで約分すると同じになるものが何個あるのかというような感じで考えねばならず、大人でもすぐにはぴんと来ないかもしれません。

算数が得意かどうか、数量感覚が身についているかどうかというのは、きっとこういうところで大きな差になって出てくるのではないかなと思いますが、問題を解く際に、簡単な数に置き換えてみることができるかどうかというのは問題の内容が難しくなればなるほど大事になってくるように思います。

そして、そういう感覚が乏しい子は、小さいうちから積極的に具体物を使って確かめたり、絵や図を描いたりして、経験を蓄積していくことで、個人差はあれ、ある程度まで力を伸ばしていけるように思います。

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2018年3月22日 (木)

新発見?

高校の数学Ⅰの因数分解で「たすきがけ」を習います。
自分が高校生だった頃、どうもあの「たすき」システムがしっくりこず、とても難しく感じていたのですが、その後自分で教室を始め、何人かの子と数Ⅰや数Aを一緒にする機会があって、改めて解説などを見たものの、今見てもやはり小難しい。もちろん、今は自分なりの方法で解けるので不自由はないのですが、たすきがけの説明を聞いて、ああ、こう考えるとわかりやすい!と感じる人は一体どれだけいるのだろうというのは気になります。

そんな「たすきがけ」の問題なのですが、3月いっぱいレッスンをさせてもらえることになっている中3くんに「とりあえずちょっと考えてみて」と言ったところ、中学で習った範囲ではないことには気づいたようで、どうするのかと見ていると、おもむろに与えられた式を解の公式で解き始めました。

それを見ていて、あ、そうか。たすきがけの組合せを思いつかずに迷ったときは、もしかすると解の公式を使って解く方が簡単な場合もあるかもしれないなと思いました。
ただ、その子は解が「-1と-2/3」となったところで、そこからどうしたらいいかわからなかったようなので、少し助けた後、あと2問その方法で解いてもらってから、たすきがけの解説を読んでもらいました。
すると、それを真似て解こうとするも、やはりかえって難しい様子で、「解の公式法」の方がむしろ簡単に解けている感じでした。

その後、私にとってはこの考え方が一番簡単なんだけどという方法も説明し、彼もたすきがけの解説通りにするよりその方が簡単だということだったので、どの方法でも構わないし、なかなか組合せを思いつかないときは貝の公式を使う方が早いかもしれないねと話しました。

これも、まず子どもに考えてみてもらうからこそできる発見で、その子なりの方法を見つけ、それが簡単そうであればそのままでいいでしょうし、苦労しているようであれば別の方法を提示すればいいのではないかと思ったりします。

説明から始めないことで、子どもも私自身も新たな発見や気づきが得られるのは、素敵なことだなと思います。

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2018年3月21日 (水)

春分の日

今日は祝日でしたが、年間予定でレッスンがある日でした。
ほかの日に振替をご希望の方もいたので、来た子は3人と少な目。75分レッスンや90分レッスンの子達だったので、レッスン自体は2時間半ほどで終わりました。

レッスンとは関係ないのですが、今日は春分の日だということが子ども達との話に出て、長年生きてきてなぜか今朝突然、「あ、もしかして今日って日の出と日の入りの時刻が12時間違うの?」と思ったところからの一連の話をしました。

春分の日や秋分の日は昼と夜の長さが同じになる日だという理解をしており、日本の標準時は明石で決まるのであれば、兵庫県の日の出、日の入りが基準なのでは?と思ったわけですが、兵庫県の日の出・日の入り時刻を見ると、10分余りズレがありました。
あれ?同じじゃないのか?と思った後、全く同じになる日はないのかな?と思い、一覧を眺めてみたところ、数日前に日の出・日の入りがちょうど12時間違う日がありました。

あれ?なんでこの日が春分の日じゃないの?と思い、今度は春分の日の説明を探して見たところ、春分日自体は世界標準時(グリニッジ)が基準になっているとわかりました。
でも、春分の日が祝日になっているのは日本や中国あたりに限られているそうで、アジアの祝日なのに、なんで世界標準時で決まっているんだろう?というもやっと感が残りました。(苦笑)

でも、長年疑問を持つことがなかったため、今日まで調べたことがなかった(もしかすると学生時代とかに習ったことがある可能性は否定できませんが。)わけで、日頃から色々なことに興味を持つ、疑問を持つというのは、何かを知る、何かを学ぶ上で、とても大事なことなのだなと改めて感じました。

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2018年3月20日 (火)

詰める力

確か高濱先生が使われる言葉に「詰める力」というものがあります。
わかりやすく言えば、論理立ててひとつひとつ条件を押さえ、きっちり答えに辿り着くというような力を指しているのだと思いますが、応用問題などになればなるほど、この力は大事になってくるように思います。

いくつか条件が提示されているとき、どれか条件を読み飛ばしてしまえば、どれだけ考えても答えが出ないとか、間違った答えが出るということが考えられます。
また、条件を読む際にも、どの条件を優先して扱うかなど、その読み方なども大事になってきます。

今日のレッスンである子が取り組んでいた問題で、23から123までの整数で、奇数の和と偶数の和ではどちらがどれだけ大きいかを考えるような問題がありました。
こういう問題の場合、反射的に全部で100個で、奇数偶数はそれぞれ50個ずつと思ってしまうことは少なくありません。今日の子も尋ねると「100個」と答えました。
次に、どちらも50個ずつであれば、和は同じになるかどうか尋ねたところ、深く考えず同じになると思うと答えました。その後も、出題者がひっかかるかもと思っているであろうポイントにきっちりと引っかかり、なかなか正解に辿り着きません。

こういう問題では、どれだけ考えても、最初に全部で100個と思ってしまった時点で絶対に正解できなくなります。そこでほんの少し注意深く問題を見れば、23も123も奇数なわけですから、奇数で始まり奇数で終わるのであれば同じ数ではないはずと気づくことはできるはずです。
それにさえ気づければ、同じでなければどちらかが1個多いということはさすがに気づけるはずですから、全部で00個じゃないんだな?と自分の勘違いに気づくこともできるでしょう。

ほかにも、条件が4つ、5つ与えられていて、その条件を満たすものがどれかを読み解くような問題であれば、図を描いたり、表を描いたり、整理しながら解いていかなければ、条件がごちゃごちゃになって間違う確率は上がります。

問題が難しくなればなるほど、詰める力は不可欠になることを思えば、そういう「詰める力」を身に着けるためにも計算パズルや論理パズルなどは役に立つのではないかと思います。
特に、小さいお子さんに計算ドリルなどをたくさんさせるのであれば、そういうパズル問題に取り組ませる方が効果的な場合が多いのではないかと思います。

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2018年3月19日 (月)

突然の変化

先日の幼児さんとのレッスンでのこと。

幼児さんには色塗りをしてもらったり、紙切りをしてもらったりすることもあるのですが、色塗りの際、幼児教室などでは線からはみ出さないように、また塗りムラなく、白いところが残らないようにという指導を徹底されるところもあるのだと思うのですが、そのお子さんは小学校受験をされるわけではなく、また元気な男の子さんということもあり、はみ出さないようにということは言っても、塗りムラについてはあまりに白いところが残っているようなとき以外はやんわり言うぐらいにしていました。

今回のレッスンでは課題がパンジーとタンポポの絵に色を塗って切るというものだったので、テーマ的にもあまりやる気にならないかもしれないなと、残り時間の加減もあり、ひとつは私が色を塗ることにして、どちらか一つを選んでもらいました。
パンジーを選んだその子は勢いよく葉の方から緑を塗り始め、割とざっくりした感じで全体を塗った後、花を塗り始めました。
すると、なぜか華の部分は全く白いところがない上にはみ出すこともなく、まんべんなく濃く塗りこめられていくのです。これまでそんな風に塗ったのを見たことがなかったこともあり、「すごいね!お花とってもきれいに塗れてるね!」と素直に驚いて言葉にしました。
すると、私が塗っているタンポポの花を見て、「それ、きれい」と褒めてくれた上に、お花を塗り終わった後は、「あ、ここ白いとこあった!」と言って、先ほどざっと塗った葉の方を更に塗り始めました。

お花がまんべんなく美しく塗りこめられた結果、葉との違いに自分自身が気づいたのかもしれません。
美しく塗られたお花を、嬉しそうにお母さまに見せている姿を見て、注意をしなくても自分がその気になればこんなにあっという間に変わるんだなと、改めて感じました。

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2018年3月18日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年3月17日 (土)

素晴らしい!

早い段階で算数アレルギーを発症して、うちに来てくれることになった低学年の子がいます。
最初の数ヶ月は問題を前に息苦しそうにしていたり、考えながらも全身に力が入って、小さく唸っているようなこともありました。まだこんな小さいのに可哀想にと思っていたのですが、どうやらそのお子さん、算数のセンスは結構いいものを持っているようだと、程なく気づきました。

レッスンを重ねるうち、段々と苦しそうにすることはなくなり、徐々に笑顔も出始め、クラスでひとりしかできなかった問題をその子ができたとか、ほかの子からはでなかった発想がその子から出たとかいう学校でのお話を聞かせて頂くようにもなりました。

それでも相変わらず算数はあまり好きではないようですが、今日のレッスンでも驚かされました。
短い時間の学習の流れで、日、時、分、秒が混ざった単位換算の問題が出てきました。1分=60秒、120秒=2分のあたりは全く問題なく解いていたのですが、15分が何秒かを考える問題で、見ていると計算用紙に60をいくつも書いて筆算をしようとしていました。学年を考えても、それで解ければ全く問題はないので黙って見ていると、10個ほど書いたところでおもむろに、15を6段重ねに書き直しました。15を6回足すと90だと答えを出して、答えの欄に900秒と書いたのです。

60を15回足してももちろん答えは出るのですが、おまけにそれをしようとしていたときに私は一切止めたりせず、黙って様子を見ていただけなのにも関わらず、恐らくそれでは面倒だと思い、15を6回集めて10倍すればいいのだと(本人は言葉では説明できないかもしれませんが)解き方を変えたわけです。

すごいなぁと思いましたが、その場ではまだほかに問題が続いていたので黙っていました。すると、158秒が何分何秒かを求める問題で2分と書いた後、今度はおもむろに58-20の式を書いて、2分38秒と答えました。
2分が120秒なので、普通なら158-120という式を書くのだと思いますが、その子の頭の中で百の位を書く必要がなかったのでしょう。

頭の中だけで考えてしまう子はどう考えているのか想像するしかありませんが、紙に書いてくれる子達は、時々こんな風に、大人にはない発想を見せて驚かせてくれます。
これも全てやり方を教えないからこその驚き、感激なんだろうなと思います。

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2018年3月16日 (金)

積み重ね

自分自身が学校に通っていた頃、勉強は学校でする以外は家で通信教材などをするぐらいだったため、算数や数学に関して、教わらずに自分で考えて解くという学びをほぼしたことがありませんでした。
というのも、仮に自分で予習をするとしても、教科書や参考書などを読むところから始まりますし、何の説明もなく問題だけが書いてあるようなものは、計算練習などを除けば今でもほとんど目にしませんから、算数や数学というのは他教科と同じように知らないことを覚えて、それを使って解くものだと思っていました。

ですから、高校2年の終わり頃になると、意味も分からぬまま覚える限界が訪れ、理系の道を諦めたのですが、あの頃は都度習うことを覚え、それを使うということを繰り返していたため、気づけなかったことがあります。

算数は基礎から積み上げていく教科で、例えば理科や社会などはどこか興味を持った単元から学んでいくということもある程度可能だと思いますが、たし算を知らないのにかけ算の問題を解いたり、かけ算を知らないのに割り算の問題を解いたり、四則計算を知らないのに小数や分数の計算をしたりということがほぼ無理だというのはどなたもお分かりのことだろうと思います。

ですが、こういう仕事をするようになるまでは、算数は算数、数学は数学。数学でも中学の数学と高校の数学とには大きなレベルの差のようなものが存在しているというような印象を持っていました。
しかし、ひとつひとつきちんと意味を理解して積み上げている子達を見ていると、小学校できちんと意味を理解した子達は中学の数学でもその基礎が大いに役に立ち、自ら考えて解ける範囲がかなりあるのです。そして、中学の数学もしっかりと理解し、積み上げてきた子達であれば、高校数学もかなりのところまで意味を考えながら解くことができるのではないかなと感じます。

もちろん、好き嫌いや個々の能力さなどはありますので、どの子も必ずできるとは思いませんが、例えば、一次方程式は直線で表すことができ、二次方程式は二次関数で表すことができる。連立方程式は2直線の交点が方程式の解で、二次方程式と一次方程式の連立する解は放物線と直線の交点である…というように、意味がわかっていれば、1つの問題を違う方法で解くことができたり、迷ったときに検算以外の確かめる手立てがあったり、解く前におおよその答えがイメージできたりと、そういうことがたくさんあるように思います。

現在、中学で習う二次関数は放物線の頂点が原点のものしかしませんが、頂点や軸がずれたグラフも、仮に解き方を知らなくても、放物線になるのだとわかっていれば、いくつかの数を代入し、グラフが通るはずの点を見つけていけば頂点の位置や軸の位置を見つけることは恐らく中学生でも十分できるだろうと思います。
ですが、1つ1つの単元を細切れに教え、その都度覚えては忘れを繰り返していると、本来ならさほど難しくないことでもまた1から勉強するような状態になってしまうことも少なからずあるのではないでしょうか。

そう考えれば考えるほど、長い目で見ても小学校の算数をしっかり考えて理解するということはとても大事なのではないかなと思えます。子ども自身にとっても、学ぶのが楽しいという気持ちを少しでも長く持ち続けられるのではないかと思います。

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2018年3月15日 (木)

成長と共に忘れてしまうけど

今日は幼児さんの体験レッスンをさせてもらいました。
少し前に一度来てくださったお子さんなのですが、そのときはまだ少し早いかなと思われたそうで、少し間が空いてご連絡を頂いたので、もう一度今の様子を見せて頂こうと思い、お運び頂きました。

まだ年中さんのそのお子さんは前回も3までの数はものを見てすぐ自信を持っていくつなのか答えられたのですが、4や5になると途端に「4?5?」と尋ねてくるような感じで、ぱっと見ての判断はまだできない段階のようでした。

少し間が空き、4はまあまあ躊躇わずに正解できていましたが、やはりまだ5は自信がないようで、答えるときに迷います。一度に5がわからなかったら、どんな風に並んでいたか見てもらうと「2こと3こ」と答えられても、それが5なのだとはすぐにはつながらず、指を2本と3本出して、「1、2、3、4、5」と確かめる感じです。

このお子さんは今の時点では3までははっきりわかるけれど、5まではまだはっきり認知できない段階だということはわかりましたので、どこからレッスンをさせてもらうかも決められたのですが、ある程度成長してしまうと、そんな段階があったことはみんな忘れてしまうんだろうなと思います。

このお子さんもきっと、何度か一緒にレッスンをさせてもらううちに5まではぱっと分かるようになるでしょうし、それがわかるようになっても6や7になると迷う段階が来るのだと思います。
3ははっきりわかるのに、4になると迷うという感覚は大人には理解しづらいのではないかと思いますが、成長段階としてそういう段階を経るのが自然なようです。
もちろん、個人差があって、その段階をあっという間に超えていく子もいれば、たっぷり時間が必要な子もいるということなのでしょう。ただ、その積み上げをせず、いきなり10までの数などから始めると、大人が思う以上に難しく感じて、なかなか理解できないというようなことも起こらないとは言えません。

小さい子達に算数をさせようと思われるときには、そういう段階を大人の側が意識しておいてあげることが大事なのではないかなと思います。

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2018年3月14日 (水)

複雑な気持ち

最近度々書いていますが、受験塾と並行して通ってくれることになった現5年生の男の子さんとのレッスンがありました。来てくれたときに伺ったお話だと、塾では全般的にあまり結果が出ていないというような状態とのことだったのですが、初回のレッスンのときから、少なくとも算数に関しては全く嫌いではなさそうで、むしろ、そんな問題を何も書かずに考えられるの?と思うようなこともあったりして、伺ったお話と印象が違うなと感じました。

初めのうちは、習ったことを覚えて解くというのが習慣づいてしまっているようなら、まずは自分で考えて解ける感覚を思い出してほしいと思い、見た目は算数の問題集という感じではないものから始め、特に初めのうちは問題の内容もさほど難しくなかったこともあり、難しくなり出したら嫌がり始めるのかもと思ったりもしていました。

ですが、少なくとも教室にいる間は、問題が難しくて多少ぶつぶつ言うことはあっても、やり方を教えてほしいということは一切なく、むしろこちらが何か助けようとしてもほとんどの場合はそれを拒んでまで自力で解こうとするのです。
まずはこの1冊と思ってやり始めたワークブックの最後の章はチャレンジ問題となっていて、大人でも簡単には解けないようなものまで混じっているにも関わらず、結局全くというほど嫌がることはないままです。
おまけに、苦手な分野はあるようですが、どう見ても算数のセンスは結構ありそうなのです。

この子が塾の算数で結果がなかなか伴わないというのは、一体どういうことなんだろうと、今はよくわからずにいます。まだ2か月目ですので、これから変化が出始めるのかもしれませんし、そうであってほしいと思いますが、考えることが嫌いではない子が嫌がる算数というのは一体何なんだろうなと、少し複雑な気持ちになります。

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2018年3月13日 (火)

算数とパズル

中学入試の算数の問題などを見ていると、改めて算数とパズルとのつながりを感じます。

数学の著名な先生方などが、パズルを解くときの頭の使い方と算数や数学の問題を解くときの頭の使い方に共通するところがあるというようなことを言っておられ、確かにそういう面はありそうだなとはこれまでにも感じていましたし、理詰めで解いていくようなペンシルパズルが好きな子は算数や数学が好きな場合が多いようにも思います。

算数が好きな子は大人が働きかけなくても、自ら進んでそういうパズル問題をやりたがることも多いので、そういう子達は本人の意思に任せてさせればいいのかなと思いますが、今回改めて思ったのは、そうではない子達のことです。

ある著名な先生は3年生の1年間はパズル問題しかさせないという方針で、数年前にはドキュメンタリー番組でも取り上げられていました。その教室の場合は恐らく他塾と掛け持ちという感じなのではないかということもあり、言葉通りに受け止めて、中学受験をする予定のお子さんに4年になるまでは算数はパズル問題以外はさせないとどうなるかしらとは思いましたが、もし低学年の間に中学受験に向けて算数の力を伸ばしたいから何かさせようというのであれば、大量に計算問題などを反復練習させるより、パズル問題にじっくり取り組ませる方が効果があるのではないかと思います。

特に、算数があまり好きではないお子さんに中学受験をさせる場合、少しでも受験算数の問題に向き合える頭を育てておく方がよりよいのではないかと。算数が好きではないようだから、せめて計算だけでも…と計算練習をたくさんさせ、それが速くなったとしても、受験の応用問題を解くときにはあまり役に立たないだろうと思います。(もちろん、計算が速いに越したことはないとは思いますが、計算だけが速くできても応用問題に向かっていけなければ意味がありませんので。)

今年度の初めから、一部の子達は教材が切り替わり始めていますが、もっとパズル問題を積極的に取り入れていくことを改めて考えてみようと思います。

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2018年3月12日 (月)

本を読もう

スマホを持つようになってから、圧倒的に読書量が減りました。
ダメだなと思いつつも、時間があるとついついスマホに手が伸びて、色々なニュース記事や娯楽記事などを手あたり次第読んでいるような状態で、文字を読んでいる量としてはスマホを持つ前より多いかもしれないものの、何も自分の中に蓄積されて行っていないような感覚を常に感じてもいました。

古い人間だからなのかもしれませんが、どれだけスマホやパソコンで色々な文章を読んでも、きちんと製本された文章とは感じ方、向き合い方が違うような気がしています。
買ったまま長らく積読になっている本を手に取って、ほんの少し読み進めただけでも、何というか、心が落ち着くようなそんな気持ちになりますが、液晶画面で文字を追っていてもそんな気持ちにはなりません。

読書ブログもすっかりやめてしまいましたが、まもなく新年度にもなりますし、少しずつでも「丁寧に文を読む」という時間を持つよう心掛けていきたいなと思いました。

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2018年3月11日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年3月10日 (土)

今日もまた

昨日に引き続き、今日も不調に陥る子が次々に現れました。

レッスン序盤、このところ結構嫌がっていた問題を順調に解いていた子が、ある問題で突然完全におかしなことをし始めました。
どうしてそんな答えが出てきたのか見当がつかず、計算しているところを見たり、本人に尋ねたりしたところ、それまで何の問題もなくできていたはずなのに、なぜかセンチメートルの数とミリメートルの数を足して、かと思えばもうひとつの方はそのままの単位で計算していたりという、とにかく、何かおかしなことになっているということだけはよくわかる状態でした。
何度やり取りしても「戻って」きてくれる気配がなかったので、一旦全く違う問題をやってみてもらったところ、徐々に調子が戻り、最終的にはなぜかできなかった問題もクリアしてくれました。


かと思えば、レッスン終盤まで順調に来ていた子が、完全におさらいの内容であるリットル、デシリットル、ミリリットルの関係をど忘れしたことで突然おかしくなりました。
1リットルが何ミリリットルかを忘れたようで、レッスンで使った一番小さいカップは何だったか尋ねると「ミリリットル」と。そこで、1ミリリットルか10ミリリットルか、何ミリリットルのカップだったかを尋ねると「10ミリリットル」と答えられました。そこで、デシリットルのカップはそれ何個分だったか尋ねると10個だと答えられたので、「じゃあ1デシリットルは何ミリリットル?」と尋ねると、「10ミリリットル?」と。小さいカップを10ミリリットルって言ったよね?それ10個分なんでしょ?というと「1ミリリットル」と…。
この子もまた完全におかしくなっていたので、一旦違う問題を先に済ませてもらい、その後調子が戻ったところで再度考えてもらったところ、ようやく戻ってきてくれました。

他にも短い時間ながらも突然不調に陥った子達がいて、土曜なのになんでかなぁと思いました。
季節の変わり目とかが関係しているんでしょうかね。

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2018年3月 9日 (金)

魔法のような

今日のレッスンでなんとも不思議な気持ちになる出来事がありました。
普段はよくできる子なのですが、時々不調に陥ることがある低学年の男の子とのレッスンで、今日は過去最高タイぐらいにレッスンの早い段階から不調に陥り、問題にかかれている三角形の名前を「二等辺三角形」と答えられるまでに20分近くかかったり、とにかくいくら声をかけても、ヒントを出しても、全く耳に入らないような状態で、一体何をどうしたら抜け出してくれるのか、あれこれ試してもどうにもならず、お手上げに近い状態になっていました。

小さい子達はレッスン中に突然、それまでできていたことができなくなったりすることがあり、その原因は眠かったり、学校などで疲れていたり、ずっと集中して考えていたので限界がきた感じだったり、色々ではあるのですが、時々何をしても抜け出せないという状態に陥る子がいます。
今日は正にその状態だったのですが、もうレッスンも終盤に近付いた頃、階下から足音が聞こえたような気がしました。声がしたわけではなく、足音もそう大きかったわけでもないのですが、時間的におうちの方がお迎えに来られたのかなと思った瞬間、目の前でその子の表情が変わるのを見ました。

それは正に「スイッチが切り替わった瞬間」というのがぴったりくるぐらい、それまでは目の焦点が合っていないような、どこを見ているの?というぼーっとした表情だったのが、突然目に力が蘇り、生き生きした表情に戻ったのです。

子どもによっては、ちょっと羽目を外していたのが、おうちの方が上がってこられたのを感じて急に真面目に取り組み始めるというようなことはありますが、今日の子に関してはおうちの方が怖くてということはないはずで、何より、緊張してスイッチが入ったという感じとは全く違い、本当に何があったんだ?というぐらい突然表情が変わったのです。(皆さんにお見せしたいぐらいはっきりした変化でした。)

そういえば、今日の子は以前も不調だったとき、おうちの方がドアを開けた瞬間、突然調子が戻ってきたことがあったのを思い出したのですが、なんというか、親子の神秘なのでしょうか。
一卵性双生児の子などは離れていても相手のことが感じられることがあるというような話を聞いたことがありますが、親子でも何かそういう目に見えないものがあるのかもしれませんね。

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2018年3月 8日 (木)

受験生に

今日は中3くんの公立受験前最後のレッスンでした。
受験生の子には時々話すのですが、真面目に努力してきたのであれば、あなたにとってよい道が開けるはずだと、そういう話を今日の子にも伝えました。

例えば、第1志望の学校に通えないという結果が出た子が併願校に進むような場合、同じ子が同じ時期を違う学校で過ごすということを試すことはできないので、確かめることはできませんが、実は第1志望の学校より実際に進学した学校のほうがその子にとって合っていたり、そこで一生の友となる出会いがあったり、一生の師と思える先生との出会いがあったりというようなことがあるかもしれません。

慰めとかではなく、私は結構本当にそう思っていて、つながるべき縁はつながっていくものなのではないかなという気がするのです。
もちろん、勉強をサボりまくった結果、不本意な学校に進むことになったというような場合はどうなのかわかりませんが、行きたい学校があって、そこに向かって一所懸命努力した後に出た結果は、きっとそれぞれの子にとって「よい結果」なのではないかと。

普段からそういうことを思っているところに、その思いを更に強くするような出来事が、ドンピシャのタイミングで起きました。
帰ろうと思えば日本で受け入れると言ってくれている球団もある中、メジャーでプレーを続けたいと希望し、既にキャンプが始まっても黙々と調整を続けていたイチロー選手。すると、キャンプに入ってから古巣のマリナーズの外野手に故障者が続出し、その結果、とんとん拍子に契約交渉がまとまって、古巣復帰が発表されました。
常に野球のことを最優先で考え、体を作り続けている彼のことを、神様はちゃんと見ておられたということなのではないかなと、そんな気がします。(神様といっても、私は特に何の宗教も信仰していませんので、目に見えない力のようなものという感じですが。)

というわけで、今日の中3くんも、彼にとって最も良い結果が訪れることを楽しみにしつつ、本番でしっかり力を発揮できることを祈りたいと思います。

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2018年3月 7日 (水)

早く気づけば

子ども達と算数をしていると、一番大きな差が出るのは図形、それも空間図形の関する問題のように感じます。
これまで何度も書いているように、私自身も空間図形は子どもの頃から決して得意ではなく、わからないものは実際に身近なものを使って作ってみたりして確かめるようなこともよくしました。
そのお蔭でできるようになったものもありますが、能力的にはその点はあまり備わっていないので、見たことがない空間図形などが出てくると、イメージできずお手上げになることも未だにあります。

得意な子は説明されなくても当たり前のようにそれが頭に思い浮んでいるんだなと感じることがよくありますし、羨ましく思いますが、そうでない場合、早くからたくさん経験をすることで、ある程度まで力を伸ばすことはできるように思います。それは早ければ早いほどよいのではないかとも思います。(もちろん、まだ赤ちゃんの時期からとかいう意味ではありませんが、もしかするとそんな段階からでも働きかけることはできるのかもしれません。)

小さい頃に遊びの一環でサイコロの展開図などを見せ、組み立てられるものと組み立てられないものを、実際に組み立てる前にどの程度判断できるかなどで試してみることで、そういうものが得意か苦手かはおおよそ判断がつくのではないかなという気もします。
で、得意な子は問題ありませんが、苦手そうであれば、積極的にその展開図を実際に組み立ててみて、どういうものは組み立てられてどういうものは組み立てられないのかを経験として自分の目で見て蓄積する。立方体の一部を切りとった断面がどんな形に見えるかなども、苦手な子には実際にものを使って切りとって見せてみるという経験を蓄積する。そういうことの積み重ねで、元々苦手な子でもある程度挽回できるように思います。

計算問題などは短期間の訓練である程度なんとかなるものもありますが、図形に関しては感覚が伴なっていない子に短期間で結果を出させるのはかなり難しいのではないかと思います。
また、空間認知の能力は算数や数学に限ったことでなく、実生活においてもあるに越したことはないのではないかと思います。
何かを箱や袋に詰める際、それが入るかどうか見ただけである程度判断できるかどうか、クローゼットなどに荷物を納めるときにどんな順に納めていくと綺麗に入るかなど、恐らくそういうような日常の色々な場面での判断にも関係しているのではないかと思いますので。

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2018年3月 6日 (火)

イレギュラーでわたわた

普段、子ども達はそれぞれみんな違うことをしていて、学年などもバラバラなことがほとんどなので、一度に最大でも3人見せてもらうのが精一杯という感じなのですが、小学校低学年の子達が3人なのと高学年や中学生が3人なのとではやはり問題のレベルも違いますので、バタバタ度合いもかなり違ってきます。

今日は学校が終わる時間が遅かったとのことで、ひとりの子が予定より1時間近く遅れてきたため、小3、小5、中3の3人が重なる時間が発生した後、しばし小3に変わって中2の子がいて3人という時間も発生し、久しぶりにちょっとわたわたしてしまいました。

常にその状態の負荷をかけ続けていると多分ある程度対応できるのだと思うのですが、突然のイレギュラーはさすがに十分に対応できたとは言い切れず、ちょっと申し訳ないことになった時間ができてしまって反省しました。
使わないと衰えるのは何でもそうだと思いますし、歳と共に使っていても衰える部分は少なからずありますので、もっと意識して脳に負荷をかけていかないとなぁと思う今日この頃です。

来週は今日足りなかった分までしっかり一人ひとりを見られるようがんばります。

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2018年3月 5日 (月)

アカデミー賞

今日は日本人の特殊メイクのスペシャリストの辻さんという方がアカデミー賞を受賞されましたね。
そのニュースを見ながら思ったのですが、辻さんは高校生のときに独学で特殊メイクを学び始め、学校に特殊メイクをしてきたというエピソードを恩師の方が話しておられましたが、辻さんの素晴らしい才能と情熱はもちろんのこと、この方は周りの大人にも恵まれたんだろうなと感じました。

高校生の男子が特殊メイクを学び始めたら、親御さんによっては、そんなことより勉強しなさいと言うのではないかと思います。高校卒業後にアメリカに渡ったそうですから、恐らく親御さんの理解や応援があったのでしょうし、学校でもきっと理解してくれる先生方、応援してくれる先生方がいたのではないかなと、そんなことを思いました。

実際のところはわかりませんが、もし私が親だったら、そんなことに一所懸命になっても将来やっていけないのではと心配し、まずは勉強して大学に行きなさいというようなことを言ってしまうかもしれません。
でも、そうしていたら、この素晴らしい才能が開花するのが遅れていたか、最悪の場合は開花のチャンスを失って花開くことなく終わったかもしれません。

夢中になれることがあれば、それをとことんやるのは、やはり素晴らしいことなんだなと感じましたし、もし身近に何かにとことん没頭できるぐらい好きなものがある子がいたら、素直に応援できる大人になれたらなと、そんなことを感じました。

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2018年3月 4日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年3月 3日 (土)

個人差

子ども達とレッスンをしながら気を付けていることのひとつは、それぞれのペース、理解度をよく見るということです。
学校や一斉指導の塾などでは、それぞれの子に合わせた説明を1人1人にするというのはほぼ不可能でしょうから、退屈に感じる子がいる一方で、理解できないという子も出てきてしまうのだろうと思いますし、それは子どものことを思う指導者にとってジレンマだろうなと思います。

同じことを学ぶとしても、何も言わずに気づく子もいれば、1言えば10わかる子もいますし、10言ってもまだよく理解できないというような子もいるでしょう。10で足りない子には15、20と必要なだけ言ってあげればわかる場合もあるかと思います。

今日のレッスンで、言語分野に弱さがあるものの算数はキラッと光るものを持っている子とレッスンをしていたときのことですが、話を聞いたり、問題文を読んで理解するということがやや困難なその子は、やり方を教える必要はほとんどありません。
今日のやり取りでは、小数のわり算をするとき、「1.5mで4.8kgなら1mの重さは何kgか」というような、小数で割る問題が出てくると、戸惑う子は多くいます。
量の感覚がある子は、やり方を教えず考えてもらうと、上述のような問題だと、例えば4.8kgを15で割ってから10倍するような解き方で答えを出す子もいますし、それはきちんと理解できていることでもあるので、自分で解いたことを大いに評価した上で一度の計算で出す方法はないか考えてもらったりする場合もあります。

今日の子はどうしたらいいか迷っていたので、「15mなら何kgになるかわかる?」と尋ねただけで「あ~、そういうことか!」とパッと顔が明るくなったかと思えば、迷うことなく小数のままわり算をし、そのほかの問題については一切迷うことなく自信をもってどんどん解いていきました。
本当は15mなら48kgになると答えてくれたら、「じゃあわかるんじゃない?」というような流れになることが多いのですが、この子はそれすら必要ありませんでした。

わかっていることを長々と言われるのは退屈ですし、かといってすっきり理解できていないまま進んでいくのもしっかりした力にはなり辛いように思います。
その加減はなかなか難しいのですが、加減が上手くいって子どもの顔がパッと明るくなる瞬間を見られると本当に嬉しい気持ちになります。

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2018年3月 2日 (金)

好きなこと、嫌いなこと

自分自身を振り返っても、興味のあること、好きなことであれば、ちょっと説明されただけで理解できたり、説明すら必要とせずに自ら考えたり調べたりして理解したり、どれだけ長い時間取り組んでいても疲れることがなかったり、繰り返さなくてもすぐ覚えられたりということは多々ある一方で、興味のないこと、嫌いなことは、丁寧に説明してもらっても脳が拒否反応を示して理解できなかったり、自ら進んで調べてみようなんてことは思えなかったり、がんばってちょっと手を付けてみたものの続かずすぐにやめてしまったりということもやはり多々あります。
恐らく大人でも子どもでも少なくない割合の方が同じようなご経験がおありなのではないかと思います。

子ども達とレッスンをしていても、算数が好きな子は多少難しい問題でも嬉々として取り組んだり、そうでなくても嫌がらず立ち向かっていったりする一方で、興味がない子はちょっとでも難しそうだと思うと表情が曇り、なかなかぐっと考えるところまで行かないということもよくあることです。
それは算数に限らず国語でも、ほかの科目でも言えることなのだと思いますので、そういう姿を見るにつけ、嫌なものを我慢してやる必要はどの程度あるんだろうなと思います。

もちろん、文字の読み書きができないと色々生活に不自由なこともあるでしょうし、簡単な計算や日常生活で触れることの多い単位なども分かっていないとやはり色々不便でしょう。
そういう意味で、最低限(というのもどこを基準にするかは難しいところかと思いますが。)のことはみんな同じように学ぶとしても、例えば小学校の高学年ぐらいからは自分が好きなことはどんどん掘り下げて、嫌いなことは基本的なことだけ学べばよいというような風になれば、子ども達自身が学びが楽しくなるだけでなく、長い目で見れば恐らく、社会にとってもより良い結果が出るのではないかと思うのです。

教育改革が進められていくようですが、人はみんなそれぞれに得意なことや好きなことが違っているからこそ、社会の色々な仕事が成り立つのでしょうし、自分が苦手なことを得意とする人がいれば、代わりに自分は自分が得意なことで誰かを助けられるかもしれません。
得意や好きを活かしてみんなが暮らしていける社会は、きっともっと暮らしやすく、平和で穏やかになるのではないかなと、ちょっと壮大なことまで思ってしまいます。

大きく社会を変えるのは難しいかもしれませんが、自分の得意を伸ばして自分に自信を持てる子達が増えることで、世の中はより過ごしやすくなっていくのではないかなと、そんな気がします。

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2018年3月 1日 (木)

時が経つのは早いもの

あっという間に今年も2カ月が過ぎてしまいました。
夏から返り咲いた中3くんも公立入試までカウントダウンに入り、入試までのレッスンもあと2回となりました。
戻ってきたとき、いつの間にこんなにも覚えて解く人になってしまったのだろうとちょっと衝撃を受けたのですが、恐らくその後彼なりにとても努力をしたのでしょう。最近では、すごいな、そんな問題も自力で解けるようになったのか、そんな問題もどう解けばいいかちゃんとわかるようになったのかと思うことが増え、入試に向けて随分と、少なくとも数学に関しては安心できるようになってきました。

ただ、そんな中、困ったことにケアレスミスの度合いが上がってきているという問題が…。言い過ぎると余計増えるのだろうかと不安になりつつも、せっかく難しい問題が解けても、うっかり符号をつけ間違ったりして誰もが得点できるところを落とせば、結果的には得点は伸びないわけですから、本人にもどうすればいいかよく考えるようには何度も言っているものの、なかなか解決できず…。

考える力はあるのにうっかりミスをするような子は、もしかすると途中の式なども全部書いて、考え方を見てもらえる試験の方が向いているのかもしれないなと思いつつ、そうは言っても今回はどうにもならないので、何とか当日ミスが極力出ないことを祈るばかりです。

そう思えば、一発勝負の試験というのは、本当に色々思うところがありますね。
試験のときに病気になったり、場合によっては交通トラブルなどで会場に辿り着けなかったりで、試験を受けられなければ、救済措置はない場合もあるでしょうし、また、何でもかんでも救済すれば、それはそれで不公平になるのかもしれませんから、なかなか難しいところなのはわかります。

今、そういうことも議論されているようですが、入試の機会を時期をずらして何度か設け、時期が早ければ問題内容もその分易しく、遅くなるほど難しくするなどで対応できれば、もっと色々な面でプラスになるのかもしれないなと思ったりします。

いずれにせよ、まずは中3くんが今持っている力を精一杯発揮できることを願うばかりです。

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