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2018年2月28日 (水)

センスを感じる

受験塾と並行してうちに来てくれるようになった現5年生さんのふたりを見ていると、どちらの子も「教えられたことを覚えてその通りに解くことしかできない」という状態とは全く違っていて、むしろ、え?どうやって考えたの?と驚くぐらいひょっこり答えを出してきたり、色々な値を当てはめてみるような問題でも、やみくもにやるのではなく、きちんともう片方の数字も意識しながら、あり得ない組合せは最初から外して考えていたりというような、この子、算数得意なんじゃないの?と思わせてくれる場面にしばしば出合います。

でも、それぞれの子達がうちに来てくれることになったきっかけは、塾の算数ができない、成績が思わしくないという理由だったんですよね…。
このギャップは何なんだろうなと、不思議な気持ちになります。
もちろん、一斉指導の塾では、毎回カリキュラムが決まっているでしょうし、その通りの進度で進まないと色々不都合が出てくるでしょう。その上子どもの人数も多いので、一人ひとりの表情を見ながら、理解の度合いを見ながら…というのは無理だということはよくわかります。
でも、でもなぁ…と思ってしまうんですよね…。

人は得意なことや好きなことがそれぞれ違いますから、勉強に限らず何事でも同じように努力しても同じようにできるとは限りません。ですから、算数が苦手な子にはとにかく教えて覚えさせて反復させるというのもひとつの方法だろうと思うのですが、算数が好きな子、センスがある子達にまで、その方法しかないのだろうかと思うのです。

塾の授業の進度は驚くほど速いので、ゆっくりじっくりでいいよと言ってあげられないのが辛いのですが、それでもここではできるだけ1つ1つの問題を納得いくまで考えてもらうよう心がけて、自分でわかる喜びを積み重ねてもらいたいなと思っています。

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2018年2月27日 (火)

ジレンマ

子ども達とレッスンをしていると、子どもが泣き出してしまうことがあります。
幼い子などでは眠さに耐えかねてとか、寝起きでご機嫌ななめでとか、そういういかにも子どもらしい原因の場合もありますが、小さい子達の中には問題を見て難しいと感じた途端泣き出すという状態を一定期間繰り返すような子もいます。
過去には年中さんで半年近く、レッスンに来て問題を見ると毎回のように泣き出し、レッスン時間の半分近く何もできないという状態が続いたという子もいましたが、そういう子達はみな、成長に伴って、自分が泣いていたこと自体を忘れてしまったかのようにぱったり泣かなくなるというのも不思議だなぁと思っていました。

そういう経験を重ねているので、問題を見て、本来その子ならできるはずのものなのに泣き出してしまうような場合は治まるまでは無理に泣き止ませようとせず、様子を見るようにすることが多いのですが、ごく稀に学年が上がっても問題がすんなり解けないと泣き出してしまう子がいて、そういう子とレッスンをするときにはいつもジレンマに陥ります。

怒って泣かせたとかではありませんし、本来なら解けるはずもののを提示していますので、何で泣くんだろうと思いますが、やはり泣かれるのはこちらとしても辛いわけです。で、慣れてくると、あ、これ泣きそうかも…というのがわかることがあるのですが、そのときにジレンマを感じます。泣かれたくなければそこでやり方を教えてしまえばよいわけです。でも、本来その子ならできるはずのものを、泣かれたくないからとやり方を教えてしまうのは、その子の考える機会を奪うことになると思うので思いとどまるのですが、その結果泣かせてしまったら、その後しばらくはレッスンにならない場合もあったりするので、どうするのがその子にとってよいのか自分でも迷いが残ります。

恐らく何年やってもずっとこうして何らかのジレンマを感じ、試行錯誤を続けていくのだろうなと思います。

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2018年2月26日 (月)

問題を解きながら

このところ、高校入試問題や中学入試問題を解く機会が続いているのですが、中学入試問題を見ていると、例えば、丁寧に書き出してきまりなどを見つけ、それを元にして解けば、何も解法なんて覚えなくても解けるものも少なからずあるように思います。
もちろん、きまりを見つけることすらしなくても、ひたすらに書き出していって答えを見つけることができるような問題もありますが、さすがにそれは問題作成者やその問題を出す中学校が求める方法ではないのでしょうから、少なくとも中学受験という意味では望ましい方法ではないと思いますので、ここでは横に置いておくとして、問題を出す側として、いくつか書き出してきまりなどを見つけて解くことができる能力と、塾などでがんばってがんばって問題演習をし、覚えた解法を当てはめてすぐに答えを出せる能力とでは、どちらを求めているんだろうなという気もします。

もちろん、たくさんのことが覚えられるとか、計算スピードが速いとかいうことも評価に値することではあると思うのですが、誰かに習った方法を使って答えを出すということがどれだけうまくできても、答えのない問題に立ち向かっていく力はつかないかもしれません。
子ども達が勉強をする大きな理由のひとつは、よりよく生きていくためなのだと思いますから、そういう意味でも、教わったことを覚えて再現する能力だけを磨いても、あまり意味はないでしょうし、これからの世の中はますますそういう力は評価されづらくなっていくのだろうと思います。

とすれば、中学受験でも、その子がどう考えて答えを導き出したのか、その部分を見てくれる問題が増えていってほしいなと思います。

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2018年2月25日 (日)

オフ

今日でオリンピックも閉会しましたね。
世界のトップのアスリート達の姿に連日心を震わされました。
真剣に道を究める姿は本当に美しいですね。

2月もあと僅かとなりましたが、今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2018年2月24日 (土)

気づく

教室では子どもが新しいことを学習する際、できるだけ説明をせず、子ども自身が気づいてくれるように持っていくよう努めます。
長年使ってきた教材を一部の子には自作のものなどに切り替え始めていますので、自作の教材での子どもの反応というのは、これまで以上に気になります。自分ではよくよく考えて作っているつもりでも、わかりにくい表現はないか、文章が長すぎないかなど、子どもの反応を見ながら、どこか自分が試験を受けているような気持ちになったりもします。

そんな中、自作の教材を最初から使わせてもらっている年長さんが先日から100までのたし算の学習を始めました。算数は好きなようで、教えていないことも結構すぐにできるというようなこともあり、何十たす何十の問題はあっという間にできました。

そして、何十+何(例えば30+5)と何+何十(例えば7+50)の学習をする際、導入には積み木などの教具を子ども自身に使ってもらいながらやりとりをしたのですが、簡単そうだったので、手短に切り上げてプリントに進みました。
教具を使った後、教具と同じような絵が描かれたプリントを見て、「あ、これおんなじや」と言いながら、スイスイ解き、次に計算式だけのプリントを見たその子が、左半分は何十+何の式、右半分は何+何十の式になっていることにすぐ気づき、「あ、これ反対になってる!」と言って、やはり全く引っかかることなくスイスイと正解していきました。

こちらが何も言わなくても、子ども自身が色々なことに気付き、楽しそうに問題を解いていく姿を見るのは本当に嬉しいことです。

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2018年2月23日 (金)

面倒から工夫が生まれる

子ども達とレッスンをしているとき、特に中学年ぐらいまでの子達とのレッスンでは解答などを持たず、その場で自分も問題を見てマル付けをするということを教室を始めたときからずっと続けています。
複数人の子達がそれぞれ違うことをするので、どうしても追いつかないようなときには、事前に自分で解いた解答を持ちながらということもありますが、できる限りその場で私も解くということは、子ども達にも「先生も解いている」と感じてもらえる分、「先生は答えを見ていてズルい。自分だけ考えるのめんどくさい。」などの気持ちを持たれずに済むというメリットがあるので、極力それを続けています。

そんな中、どうにも面倒なものなどは計算用紙に計算することもありますが、ある程度のものは暗算でその場でするので、面倒な掛け算などは自然と工夫をするようになりました。
勉強に限ったことではなく、恐らく人の歴史というのは、何か不便を感じたり、面倒だと感じたりしたことを、便利に簡単にする方法を見つけ出してきたとも言えるのではないかと思います。

そういう意味でも、子ども達に面倒さを味わってもらうこともきっと大事な意味があるのではないかと思います。
面倒さを感じるより先に、簡単にできる方法を教えてしまえば、「脳に汗をかく」機会のないまま便利な方法を手にすることができますが、果たしてそれは本当にその子のためになるのかといえばあやしいところではないかと思います。

先日書きましたが、面積の問題で、長方形の土地に十字路をつけ、道以外の部分の面積を求める問題のようなものでも、まず子ども自身に考えさせると、面積を4つそれぞれ出したり、大きな長方形から2本の道をそれぞれ引いたりというような方法で答えを出す場合が多いわけです。そうやって答えを出せた後、何かもっと簡単にできそうにない?と尋ねたり、紙を使って道の部分をくっつけるとどうなるか見せてみたりすれば、「ああ、こんなやり方もあるのか!」「こうすれば簡単だな!」などと、自分で考えた方法と更に別の方法を知ることができ、教わった方法が便利であれば、そちらを優先するようになるでしょう。

世の中がどんどん便利になって、子ども達が何か不便を感じて苦労する機会は勉強に限らず減ってきているのではないかと思います。でも、それはもしかすると、子ども達自身が考え、工夫する機会を奪われているということなのかもしれません。

教育に絶対の正解はないのだと思いますが、面倒な経験をさせることも、時にはとても大事なことなのではないかと思います。

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2018年2月22日 (木)

意味を理解しないと…。

実のところ、私自身は子どもの頃や学生の頃に、今のようにきちんと意味を理解して算数や数学を学んでいたかといえば決してそんなことはありませんでした。
そのため、難しい問題などになると公式を忘れると解けなくなりましたし(特に高校数学などは顕著に…。)、公式も意味を理解していないものも少なからずあったように思います。

関数で「変化の割合」という言葉が出てきますが、比例や一次関数では変化の割合は傾き、比例定数と同じと習います。もちろん、「xの増加量/yの増加量」で表されるというのも習いましたし覚えています。
それが二次関数になると、変化の割合は変化するので与えられた、その都度計算しなくてはならないということなどは覚えていて、もちろん中学時代にはそれで問題を解いてもいたのですが、詰まるところ、自分が何をしているのかはきちんと理解はしていなかったように思います。

二次関数の変化の割合というのは、単に与えられた2点を結ぶ直線の傾きを求めているのだということを知ったのはこういう仕事を始めてからだったような気がします。(中学時代に先生は説明してくださったのかもしれませんが、全く記憶に残っておらず…。)

さて、私自身もそんな中学、高校生だったので、目の前の中3の子を責めることは本来できないのですが、これまで何度か2点を結ぶ直線の傾きを求めるのだということは伝えてきたものの、きっと昔の私のように、本人の中で納得できていないということなのだろうと感じることがありました。

入試に向けてこれまでの総復習のようなことをする中で、二次関数の変化の割合に関する問題に対して全く頓珍漢な答えを出し、なぜそうなのか尋ねると、その説明も「???」という感じで、グラフがどんな風になっていて、その問題に合うように直線を引くとどんな感じになるのか考えて図を描いてもらって、それを見てさえもまだなんだかおかしなことを何度か繰り返しました。

最初に覚えることから入ってしまい、意味を理解せぬまま学校で問題演習をし、忘れたらやり方を見直すということを繰り返すような場合、結局きちんとした理解をしていませんから、何度も何度も同じことを繰り返す可能性があります。
本当の意味で理解していなければ、自分が出している答えが全くの的外れな答えであったとしても、それに自ら気づくことはなかなかないだろうと思います。

1問1問にじっくり時間をかけて理解するのは、一見効率が悪いようにも見えるかもしれません。そんなことをするより、どんどんやり方を覚えて反復する方が効率がいいと思われる方が多いから、多くの授業のスタイルがそうなっているのかもしれません。
でも、結局は初めにじっくり時間をかけることで何度も何度も反復する時間を減らせますし、忘れる確率も減らせます。それより何より、自分で理解できたということで楽しさを感じられたり、安心感が得られたりもします。

算数、数学は暗記科目ではないので、できる限り意味を理解しながらじっくり進めていってもらえたらなと思います。

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2018年2月21日 (水)

今年もようやく…。

家では宿題をする気が出ない子どもの気持ちが痛いほどよくわかる今日この頃ですが(そうは言っても、自分が子どもの頃は学校で先生に怒られるのは宿題をするより遥かに嫌だったので、そういう消極的原動力?で宿題はしていましたが…。)、今年も予定より遥かに遅くなりながら、年に一度の確定申告の準備が自分のできる範囲で完了しました。

そもそも、一般のご家庭より遥かにお金の動きがないので、本気出してやれば(苦笑)1日で終わるという頭があり、「やればすぐ終わる」ということを逃げの理由にしつつ、先延ばしに次ぐ先延ばし…。
個人事業主の上、大人になるとなかなか、そのことで誰かに怒られるということもなく、自分で「さあやるぞ!」と思わない限り進まない一方で、毎日、ああ、今日もやらなかったな…、今日もできなかったな…と自己嫌悪は募っていくわけです。

とにかく少しでも手を付けるということがキーだとわかっていても、それすらなかなかできない自分が情けなくなるという状態をひと月近く繰り返してしまったので、改めて反省しました。

やればすぐ終わるものを先延ばしにすると、その結果、延ばしている間ずっとそのことが気になっている。すぐに取り掛かれない自分に日々マイナスイメージを刷り込んでいる。そのことが目に入るたび、ほかのことへの集中が途切れるなど、全く何一ついいことがないのに、どうして先延ばししてしまうのだろうと…。

どう考えても嫌なことはさっさと手を付けるほうが圧倒的にメリットがあるんですよね…。
自分の意志だけではなかなか難しいところはありますが、何とか少しでも「メリットを享受」できるよう、今後「気がすすまないな」と思うことはできるだけ先に片付けるよう、少なくともちょっとでも手を付けてみるよう、なんとか心がけていきたいと思います。

お子さんが、やらなくてはいけない宿題をなかなかやらないようなときには、そういう(どういうメリットとデメリットがあるかという)お話をしてみるのも、もしかしたら少しは効果があるかもしれませんね。

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2018年2月20日 (火)

イメージできるかどうか

中学受験塾に通っている子とのレッスンで、受験算数の問題を一緒に解いたりしていますが、問題を読んでイメージがわかない問題を、やり方だけを教わって解くというのは、本当につまらないだろうし、苦痛だろうなと思います。

私自身、苦手な種類の問題がいくつかありますが、例えばカレンダーの曜日を問われる問題はキライだということも手伝って、なかなかすっきり「ああ、そう考えたらいいのか!」と思えません。
もちろん、受験算数では解法の説明などがありますので、余りがどうだと何日ずれる的な解き方があるのは何となく知っていますし、何月は何日まで、4で割れる年は閏年など、基本的な知識もありますが、興味がないからか、解説などを読んでも頭に残らないということを繰り返しています。

もちろん、どうしても解かねばならないとすれば解くのですが、全く面白さを見つけられないので、解けても嬉しくありませんし、単に「ああ、合ってた」とか「1日ずれてた」とかそんな感想しか抱けません。
カレンダーの問題を心から楽しいと感じている指導者がいて、その方に教えてもらえば多少変わるのかもしれませんが、今のところあの問題の楽しさは全くわかりません。

子ども達を見ていても、問題の内容をイメージできるかどうか、楽しいと感じられるかどうか、興味を抱けるかどうか、そういうところが解けるかどうかにかなり大きく影響しているように思います。
解説などを聞いたり読んだりして、それを真似て解けても、そこで更につっこんで、どうしてそうすれば解けるのかを考えることは本当に大事です。

ただ、恐らく受験塾ではそんな「のんびりした」ことはさせてもらえないのだろうとも思うので、悩ましい思いは続きます。

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2018年2月19日 (月)

オリンピックと事務仕事の日

今日はレッスンがなかったので、やらなくてはと思いながらも先延ばしし続けていた事務仕事に手を付けたものの、オリンピックの誘惑に何度も手が止まり、休憩し、結局思ったところまで進まず…。

がんばれない自分に対して、オリンピックアスリートの皆さんの素晴らしさ、頂点を争っている人にしかわからない感覚、言葉などにたびたび驚き、感動し、時には涙しつつ、毎日、あの方々とは全く比べ物にならないものの、自分ももうちょっとがんばらないとなと思うのでした。

明日からまた1週間よろしくお願いいたします。

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2018年2月18日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年2月17日 (土)

子どもって面白い

先日のレッスンでのこと。
算数が結構よくできる2年生さんがある問題に驚くような答えを書きました。

1日に5グラムずつお茶を使うと、30日でどれだけのお茶を使うことになるかという問題に「15kg」という答えを書いたのです。
15kg!?(笑)

まだ小さいので、重さの感覚もあまりないのだと思いますから、多少やむを得ないところはあるとして、なんでそんな答えになってしまったのかがちょっとわかりませんでした。
とりあえず、15kgというのは大きなお米の袋ぐらいあるということなどは伝えたものの、どうも納得してくれず、説明が始まりました。

「だって、10日で150グラムやろ?」  (うん、そう、合ってる。)
「20日で1500グラム。」 (!!!ああ、そういう間違い方!!!)

口に出してくれたことでどう勘違いしたのかわかり、私もとてもスッキリしましたが、10日、20日、30日と考える際、なぜか10倍、更に10倍となったようです。確かにそう考えると15kgという答えになります。

勘違いに気づいて正しい答えに直してくれたものの、お迎えに来られていたお母様にも、そんなに重いはずがないと言われたら、負けず嫌いなところがあるその子が、おうちの方に「うるさい!こんなんお母さん絶対できへんわ!」と反撃。(笑)
さすがにそのぐらいはお母さんできると思うよと言っても何だか不満そうでした。

教室をしていると、子ども達が時々おうちの方に、自分がやっている、自分が難しいと感じる問題をおうちの方は解けないでしょというようなことを言うことがあります。もちろん、高学年の子がしている問題などの中にはおうちの方が苦戦するかもしれないようなものも稀にありますが、さすがに小学校の算数ですし、そういうことをいう子はほとんど低学年ですから、ほぼ皆さん解けるような問題なわけです。
それでも算数が得意な子が自分が難しいと感じるようなものは、お母さんやお父さんは解けないと思うことがあるのが、子どもって面白いなぁと感じます。

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2018年2月16日 (金)

教えないからこその感動

今日のレッスンで面積の学習をしていた子がいました。
色々問題を解いてきた後で、応用問題を考えてもらっていたときのことでした。
大人にとっては、ああ、あれねとすぐわかると思いますが、長方形の土地に十字に道が通っているときの、道を除いた面積を求めるというものでした。

縦25m、横30mの長方形の土地に縦横に2m幅の道が通っている問題だったのですが、子ども達にまず考えてみてもらうと、多くの子は25×30の土地から道の面積を引くという方法で解きます。
それできちんと解ける子と、道の重なった部分の面積を二重に引いてしまって間違う子がいますが、初見で考えてもらった場合、9割ぐらいの子はそういう風に解いた気がします。

そうやって解いた後や、どう解いていいかわからず困っている子などに、後から紙などを使って、道の幅を詰めてしまったらどうなるかを考えてもらって、この問題の場合は縦23m、横28mの長方形の面積として求める方法に気づいてもらうというのが多くの場合の流れです。

しかし、今日のレッスンの子は、その問題を少し見た後すぐに手を動かし始めたなと思い、計算用紙に書かれた式を見てみると、23×28の筆算になっていました。
驚いたのですが、算数がとても好きというタイプの子ではないこともあって、どこかで同じような問題をしたことがあるのかな?と思いつつ、黙って見ていました。
すると、きちんと計算をして、正しい答えを出し、解答欄に書いたので、そこで初めて「こういう問題したことある?」と尋ねたところ、「え?ない。」との返事。
「え?初めてするん?」と再度尋ねても、先生は何を言ってるんだろう?というような表情で「うん、初めて。」と。

「え?初めてなのにそうやって解いたらいいってすぐ気付いたの!?」と驚きながら尋ねると、「うん、なんか正方形に見えたから。(長方形の言い間違いと思われますが。)」との答えが。

長方形に見えたという説明ももちろん言葉足らずなのですが、道の部分をくっつけてしまえばただの長方形になるように見えたということなのだろうと思います。(まだ3年生なので、その辺りの説明の方が難しいのだろうと。)

この驚きや感動は、もし私がその問題を提示するときに、先に考え方を説明していたら決して得られないものです。私の側の感動はもちろんのこと、子どもにとっては自分で気づいてすごいね!と褒めてもらえる機会も失うのです。

何にも教えずほったらかしにするということではなく、その子の力なら考えられるかもと思うようなものを、まず考えてみてもらうというのは、お互いにとってよいことが色々あるものです。

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2018年2月15日 (木)

受験算数

これまでにも何度か、受験塾と並行して通ってくれた子がいて、そのうちの何人かの子とは塾のテキストを見せてもらって、問題をピックアップしてこちらで先に考えてみてもらうというようなこともしたことがあります。
そのため、大手の受験塾のテキストを見る機会が時々あるのですが、見ていると、これを全部小学生が解くのかと思って、くらくらしてしまうことがあります。

算数が好きな子にとっては、学校の教科書などより遥かに面白いだろうと思いますが、そうでなければ苦行だろうなと。特に、好きではない上に考える習慣も身についておらず、習ったことをひたすら覚えて解くということを繰り返している子達にとっては、本当に辛い勉強だろうなと。

例えば、何らかの規則性がある数列があって、その数列の50番目の数は何かとか、100番目までの和はいくつかとか、そういうような問題があった場合、規則にさえ気づけば、地道に書き出していけばほとんどの子が解くことはできるはずです。
ただ、そうやって解くのは時間もかかりますから、そうではなく何かもっと簡単に求める方法はないだろうかと考え、その結果、子ども自身が計算方法に気づくとすれば、それはとても素晴らしい学びになりますし、気づいた後に公式のようなものを説明すれば、覚えようと思う子は覚えるでしょう。
しかし、恐らく塾に通う子には少なくない割合で、自分で気づくチャンスのないまま、なぜそうすれば解けるのかの理解すらあやしい状態で、習った公式を覚えて当てはめるということをしているのではないかと思います。
そんな勉強が楽しいはずありませんし、なかなか定着もしないのも全く不思議ではありません。

そういう問題を出す学校はきっと、公式を覚えて処理できる子を求めているわけではなく、他方では、ただひたすらに書き出していくという方法でしか解かない子を求めているわけでもないのだろうと思います。
規則性に気づき、何か簡単に求める方法はないかと考え、自分で気づいた方法で答えを導き出せるような子を求めているのだろうと。

それにしても、中学受験の算数の問題を見るたび、こんなのを小学生が解くんだよなぁと、公立小、公立中育ちの私はいつもしみじみ感心します。受験という期限がなく、じっくり考えて取り組むには、面白い問題もたくさんあるんですけどね。

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2018年2月14日 (水)

すごいやる気。

受験塾に通っているけど全然やる気が…ということでうちにも通ってくれることになった子との3回目のレッスン。
塾の宿題もあるので、こちらでの宿題は多くなり過ぎないようにと思い、初回は自分でどこまでやるか決めてもらったところ、1ページに大問1問という形式の問題集で1日1ページで7ページというのでそれでOKしました。
2回目には自己申告のページ数自体も増えたのですが、もしここまで出来たらキリがいいんだけどと言っておいたところまでやってきたと、今回のレッスンに持ってきました。
そして今回は、ページを数えながら、「もうちょっとできそうやな」と自分でページを増やしていました。
塾のいっぱい問題が並んでいるようなものではないものの、一応全て算数系の問題で、試行錯誤が必要なものも色々入っているというのに、一体この子のどこが「やる気がない」のかと思うほどです。

ここ数回見ているだけでも、決して考えることを嫌がりませんし、キラッと光るセンスを感じることもあります。
既に5年生ですので、受験までにあと1年足らずの時間しかありませんが、この子は結構大きく変わる可能性を秘めていそうだなと、ちょっと楽しみになってきました。

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2018年2月13日 (火)

複雑な気持ちになる

最近偶然に受験塾に通っているものの、算数の成績が思わしくないというお悩みの現5年生さんお二人とご縁を頂きました。(お二人には何のつながりもなく、別々にお問い合わせを頂きました。)

おうちの方にお話を伺ったり、お一方は塾のこれまでの成績表なども見せて頂いたりしたのですが、どちらのお子さんも「習ってないからわからない」「どうやって解くの?」というようなことをよく口にするということでした。

小さい頃から真面目にコツコツ学校で先生の言うことを聞いて、その通りにやってきた子や、塾などで早くからやり方を教わってそれを再現する練習をしてきた子などにはしばしば見られる反応ではあるのですが、問題を見た途端、初めて見るような問題だとその時点で思考停止し、やり方の説明が始まるまで待つという状態に、そのお子さん達もなっているのかなと。

そこで、受験塾と併用するのであっても、うちではやり方は教えませんということをお断りして、それぞれのお子さんに対してどういうことをさせてもらうかご了解頂いた上で、それぞれの子とこれまでに2回レッスンをさせてもらいました。

しかし、どちらの子も、私が説明をせず、「まず考えてみてくれる?」と問題を見せると、すんなりと問題に向き合い、真剣に考え、できるのではないかなと思って提示した問題をかなりの割合で自力で解いてくれています。
見る限り、この2人はどちらも算数のセンスは少なくとも平均以上にありそうだという印象もたった2回のレッスンで感じています。

今日2回目のレッスンがあった子に、レッスンが終わった後で算数の問題を考えること自体は別に嫌いじゃないでしょ?と尋ねると、思った通り頷きました。
塾での授業形式だと、算数のセンスがある子達が、その能力を発揮できずにいる場合が少なからずあるということなのではないかということは、これまでにも感じていましたが、その子達を見ているとますますその思いが強くなります。

その子達にとっては塾の授業と並行してのレッスンですので、どれだけ成果が出るかは正直なところまだわかりませんが、せっかく力がある子達なので、何とか算数が楽しいと思えるようになってもらえるよう頑張りたいと思います。

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2018年2月12日 (月)

観戦三昧

お休みだったので、家で事務仕事もするつもりだったのですが、日本選手が出る競技が目白押しで結局オリンピック観戦三昧で1日が過ぎてしまいました。
しかし、女子ジャンプでご本人にとっては不本意な結果に終わったのであろう17位の勢藤さんが、試合後のインタビューで「また明日から練習をがんばっていきたい」というようなことをおっしゃったのを聞いて、思わず震えました。
たった今オリンピックの競技を終えたばかりなのに、もう「明日の練習」を口にされる姿を見て、国を代表してオリンピックに出るような方はみんな、こういう世界で日々暮らしておられるんだなぁと。
私には全く想像もつかない世界なのは間違いありませんが、私ももうちょっとがんばらないとなと思いました。

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2018年2月11日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年2月10日 (土)

なんとなく嬉しい

1年生の段階で算数に強い拒否反応が出てしまったということで、1年生の終わり頃からご縁を頂いた2年生さんとのレッスンでのこと。

随分とできることは増えてきて、落ち着いて考えられる時間も随分長くなってきたものの、難しいと感じるとかなり強く身構えてしまったり、不機嫌になってしまったりという傾向は残っているので、難易度に関しては学校の算数の内容プラスα程度にとどめ、あまり難しいものまではせずに進めてきた結果、気づけば2年生で習うことはひと通り終わり、3年生以上の学習内容にも進んでいるところも出てきていました。

今週のレッスンでは、様子を見ながら抵抗感が強ければ保留にすればいいかなと、2桁×1桁の掛け算の学習を始めました。
すると、ほんの短い時間かなり不機嫌な状態になったものの、その後すぐ持ち直し、気づけば「え?その問題、そんなにスラスラできるの?」というようなものまで出てきました。
本心で驚いたので、「なんでそんなにスラスラできるの?」「速いね!」と何度か口にしたのですが、時間が来てレッスンを終えた後、90分レッスンのお兄ちゃんを待つ間、席に座って紙に何かを書いているようでした。
その子はお絵かきをするのも好きで、終わった後よく絵を描いていることがあるので、お絵かきをしているのかなと思っていたところ、「できた!」というので見てみると、さっき「なんでそんなにスラスラできるの?」と言ったプリントの問題の体裁を真似て、自分で問題プリントを作っていたようです。
そして、嬉しそうにそれを解いている姿を見て、その子にとってはただの遊びなのかもしれませんが、なんだか嬉しくなりました。
算数が大嫌いで見ていて気の毒になるぐらい強い拒否反応を示していた子が、1年ほど経って、こんな風に遊びで算数の問題を作るようになったことは結構大きな変化なのではないかと思うのです。
得意にまではなってもらえないかもしれませんが、学校の算数がキライでしょうがないという状態からは抜け出してもらえたかなと。この調子で少しずつ力をつけていってくれるといいなと思います。

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2018年2月 9日 (金)

印象に残る言葉

あるテレビ番組を録画していたので見ていました。
番組の内容は、ご自身では歩くことができず車椅子を利用されている方が興した会社についてのドキュメンタリー番組のようなもので、その中でその方ご自身や、ほかの障害を持つ社員の方が障がい者の立場で企業などの社員研修やバリアフリーに関してのアドバイスなどをする様子が紹介されていました。

ある結婚式場の新入社員研修の際、その車椅子社長がおっしゃった言葉が印象に残りました。
例えば車椅子の方に対して、自分で椅子に移れるか移れないかなど尋ねる場合、「できますか、できませんか」で尋ねると、人はどうしても「できる」と答えたくなる。でも、「何かお手伝いすることはありますか」と聞かれれば、できるかできないかを尋ねてはいないから、頼みたいことがあれば頼みやすくなると。

「できるかどうか聞かれたら人はできると答えたくなる。」

確かにそういう心理が働く人は障害の有無にかかわらず多いのではないかと思います。
その言葉を聞いたときに思ったのは、先生と生徒のような関係で「わかった?」と尋ねられたとき、「わからない」とはっきり答えられる子はそう多くないというのは確かだということです。
それも結局同じような心理が働いているのだろうなと。

私も塾講師をしていた頃は、一度にそれなりの人数に対して授業をしていましたので、何度となく「わかった?」と尋ねていたような気がします。そのときに今ひとつよくわかっていないような場合に「わからない」と答えられる子は限られていたのだろうと、今となっては思います。
あまりわかっていないような場合でも「まあ分かった」とか「大体分かった」とかそんな風に答える子も珍しくないのです。

自分で教室を始めて、一度に見る子どもの数をうんと減らし、子ども達一人ひとりの表情を見ながらレッスンするようになってから、「わかった?」と尋ねることはほとんどなくなりました。
仮に尋ねたとしても、それに対して答えるときのその子の表情を見ていれば、本当に分かったのか、まだ曖昧なのかが恐らくほぼ100%に近くわかるようになった気もします。
口では分かったと言っていても、これはわかっていないなと思うようなときには、更に違うアプローチをしたり、問題をあと何問かしてもらったりして、子どもの表情がスッキリ晴れやかになるのを見届けるようにします。

そういう意味では子どもの反応を見ていない「わかったかどうか」の質問はあまり意味がないのだろうと思います。

「わかったかわからないか」「できるかできないか」そういう問いかけをするときには、人はYESと答えたくなりがちなのだということをしっかり心に留めておかなくてはと思います。

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2018年2月 8日 (木)

寒い日が続きますね

今週に入っても毎日代わる代わるお休みの連絡が入り続けています。
ご兄弟などだと、お一人が快復されたころにもうお一人が発病というようなこともあったりで、長い子ではもう3週間会っていない子も。
今週末もまだ冷え込みが厳しいようですし、インフルエンザも猛威を振るっていますし、早く春が来てほしいですね。

それでも今週末はもうこの辺りの私立高校の入試が行われます。受験生のみんなが万全の体調で試験に臨めますように。
そうは言っても、現状入試は一発勝負、学校によっては1.5次とか2次募集があったりもするようですが、募集定員的には少ない場合がほとんどだと思いますので、試験当日インフルエンザにかかっていたりしたらと思うと、気の毒では済まされないですよね…。

大学入試改革の一環で試験を複数回行うという案も出ているようですし、それがどうなるかわかりませんが、また、公平性という意味でも体調を崩した子に後日機会を与えればいいというような簡単な話ではないだろうということもわかりますが、何か策はないものかなと思いますね。
そもそも、毎年この時期は少なからずインフルエンザが流行している時期でもありますし。

うちの教室の数少ない受験生も風邪をひいていたりするので、何とか週末までにすっきり回復することを祈っています。

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2018年2月 7日 (水)

解き方を教えること

子ども達とレッスンをしていると、時々感じるジレンマがあります。
つい先日も、ある子が宿題の中の少し面倒な問題をお兄ちゃんにやり方を教えてもらったと言いました。
見ると、確かに色々書いて教えてくれている跡が残っていて、その問題に関してはお兄ちゃんが教えてくれた内容をきちんと理解できているのであればそれでもいいけどと思えるものだったので、その子に「そこに書いてあるそれはどういう意味?」と尋ねてみました。
すると途端に表情が曇り、何も説明できないようでした。

0から4までの5つの数を使って4桁の数を作る場合、何通りの数ができるかというようなもので、まだ小学生なので樹形図を描いて考えていくような問題を、多分もう高校生のお兄ちゃんは簡単に説明をして計算の仕方を教えたとかなのかもしれません。
樹形図は描かれていたのですが、その子はその意味も理解していないようでした。

そこで、例によって「意味がわからないのに答えだけマルになっても何の役にも立たないよ?そんなんでマルがほしいんだったら、全部答え教えてあげるけど、そんなことしても何も意味ないことない?」と、怒るのではなく普通の口調で話し、どういう意味なのか考えて、自分で描いてみてと伝えました。

すると、真剣な顔つきで描かれている樹形図を見つめ、しばらくして「ああ、そういうこと!」とぱっと表情が明るくなって第1段階をクリアしました。
次に自分で描いてみる段になって、初めて描くため、枝分かれがどの程度広がっていくか想像できていないようで、いきなり左端の数をほぼ間を開けずに縦並びに書いたので、「そんなに詰めたら描けなくなると思うよ。」と声をかけ、様子を見ていました。すると、最初の数の間隔は少し広げたものの、その程度だと絶対途中でぎゅうぎゅうになるなと思いましたが、それも黙って見ていました。
その後、何度も消しては書き直して、最後は米粒より小さいぐらいの字で数を書いたりもしていましたが、その子自身の手で答えが求められるところまで全て書き上げてもらいました。

それが書き終わった段階で、お兄ちゃんに教えてもらったと言った問題をもう一度順に見てもらったところ、「あ~あ、そういうことね~!」と今度は本当に納得をした表情をしていました。
この状態になってもらわなければ、本当の力にはなりづらいだろうと思います。
ですが、指導する側がそういう経験をあまりしたことがないような場合、よかれと思って、自分がかつて誰かに教えてもらったように人に教えるということがしばしば起こります。誰も悪くないだけに、なんとも切ない気持ちになるのですが、算数の指導をされるときには、どうしてそうすれば解けるのかまで理解できているかどうか、それを確かめて頂けたら、教えることも無駄にならずに済むのではないかなと思っています。

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2018年2月 6日 (火)

もどかしさ

中学受験をする予定の現5年生さんと新たにご縁を頂くことになりました。
受験塾と並行してうちにも来て頂くということと、現状のお話を伺い色々ご相談させて頂いたことから、しばらくは塾のテキストの次回の授業内容を、まず何の説明もなしに考えてみてもらうということをしてみることになりました。

受験塾のオリジナルテキストはもちろん私のところにはありませんので、ひとまず初回のレッスンでさせて頂くことになる範囲のページをレッスンより前に見せてもらいました。
しかし、初回の内容を見たところ、これ、全部解説とかなしでできるんじゃないの?という疑問が。

これまでに何をどこまで習っているかは確認していなかったので、私がそう思うだけで、小学生には簡単ではないのかな?とも思いましたが、どう見ても解説不要なものがいっぱいある気がして、念のためと「これ、何も説明とかされなくても解けることない?小学生にはそうでもないのかな?」と、なるべくプレッシャーにならないような言い方で尋ね、「ちょっと考えてみてくれる?わからなかったら助けるから。」と、例題の解説部分を全部隠した状態で問題を見てもらったところ、やはり次々に解いていきます。

来てくれることになったきっかけは、「習ってないから解けない」というようなことを頻繁に言い、塾での算数の成績も伸び悩んでいるからということだったので、そういう状態のその子が何の解説もされずに解ける問題を、塾ではきっとみんなが先生の説明を聞かされ、教えられた通りに再現しようと努力することになるのでしょう。

それっていったい誰のためになるのでしょう…。子ども達は教えられたことを再現するだけだから、楽しさを感じることはほぼないでしょうし、解けた喜びも感じづらいでしょう。更には教えられたことですから、定着度も低く、更には忘れたら解けないと思い込んでしまう子も少なからずいるはずです。

もちろん、子ども自身が考えた方法では回りくどかったり、ミスしやすかったりという場合もあるでしょうし、教えないとさすがに自力で解くのは厳しいかもという問題もあるでしょう。
でも、そうであれば、そういうものだけを教えればいいのではないのでしょうか。
なんとももどかしい気持ちになります。

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2018年2月 5日 (月)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年2月 4日 (日)

日曜でしたが。

今日は体験レッスンのご希望を頂き、夕方少し出勤していました。
中学受験をする予定の現5年生さんということで、お役に立てるかどうかわかりませんでしたが、おうちの方とお話をしたり、お子さんに問題に取り組んでもらったりしたところ、ご縁を頂けることになりそうです。

それにしても今日はまた一段と寒かったですね。
皆さまどうぞご自愛のほど。

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2018年2月 3日 (土)

インフルエンザ猛威を振るっています…。

結局今日も可哀想に新たな罹患のお知らせがあり、レッスンをお休みした子が複数出ました。
来てくれた子達の中にも、調子が悪いのかな?とちょっと心配になる子も。

全国的に警報レベルでの大流行とのことですので、気をつけようにもなかなか難しいところもありそうですが、皆さまどうぞお気をつけて。

インフルエンザといえば、昨日目にした記事で、現場のお医者さま達はこんな状況になっているのかと驚いたものがありましたので、一応ご紹介を。

インフルエンザで「早めの受診」は間違いです!

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2018年2月 2日 (金)

最近思うこと。

最近、新聞折込にもすごい数の塾などのチラシが入りますし、テレビでも色々な塾や通信教材などのCMが流されることが増えているように感じます。
新年度の生徒を募集する時期ではあるので、例年のことではありますが、ここ数年気になっているのが、大手の塾や通信教材の会社などがこぞって低学年や幼児向けのコースや教材を作っていることです。

元々、中学受験自体、私たちが子どもの頃は5年生からとか6年生から受験のための塾に通うという感じだったように思います。(私は通ったことはありませんが…。)
それがいつの間にか4年生からが普通になり、そのうち4年からじゃ遅いとか言って3年からになり、そういう塾の多くがいつの間にか更に対象年齢を下げています。

最近目にするCMでは、以前は高校生向けの通信教材がメインだった記憶がある企業の幼児向けの教材のCMがあります。小学生ぐらいまで教材ができていることは知っていましたが、とにかくほとんどの教育関連企業が対象年齢をどんどん下にも広げてきているということだと思います。
そして、その一番の理由は少子化なのだろうなと。

もちろん、早く始めた方がいいこともあると思います。
また、お子さんの性格や好き嫌い、向き不向きなどによっては、早くから教材で勉強をさせることが効果的ということももしかしたらあるのかもしれません。

こんな仕事をしている私がこんなことを書くのは、自らの首を絞めているように思えるものの、多くの子ども達にとってはそんな小さいうちから塾に通って人から勉強を教えられたり、おうちでプリントをしたりするより、もっともっと能力を伸ばせる大事なことがあるように思うのです。

元々私がこの教室を始めたのは、私自身がこんな学習の仕方があるのなら、子どものときにこれで学びたかったと思ったからで、教えるというより、あくまでも子ども自身が考え、気づき、学び取っていくためのサポートをしているというつもりです。
そして、恐らくこのまま少子化が進み、多くの大手企業が対象年齢をどんどん下げていけばいくほど、教室を続けていくことができるかどうか不安は増すばかりだなとも感じています。
それでも、子ども達にとって本当にいいと思えるもの、自信を持って提案できるものしかやれないので、仕方ないかなとも思っています。

ペーパーでのお勉強や、やり方を真似てするようなお勉強は、多くの子はあまり早くからしない方がいいのではないかと思っています。
折ったり切ったり貼ったりしながら、自分で自由に何かを作る。手を使った色々な遊びをする。体を動かす。自然に触れる。ほかにもまだまだ色々挙げられますが、体感しながら色々な経験をすることは本当に大きな、学びになるように思います。遊びを通じて経験したことが、後に算数などでも活かされるというものが少なくありません。また、感覚的に理解できているものは、本当の力になります。

あまり詳しくありませんが、スポーツなどのトレーニングでも、まだ筋力などが足りない子どもにはさせることを制限したりするのではないかと思います。まだ十分な筋力もないのに大きな負荷をかけた練習をさせたら、壊れてしまうかもしれませんし、スポーツが嫌いになってしまうかもしれません。
それと同じように、プリントやドリルなどに向かうような勉強も、取り組ませ方によってはマイナスになってしまうこともあるように思います。

小さいお子さんをお持ちの親御さんたちがCMなどを見て、早くお勉強を始めないとほかの子達に後れを取ってしまうかも…と不安になられなければいいなと思います。

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2018年2月 1日 (木)

2月スタート

もう1年の12分の1が過ぎてしまいました。
特に1月後半は風邪やインフルエンザなどでのお休みもかなり多く、まだしばらくは厳しい冷え込みになるようですし、インフルエンザの流行は広がっているようでもありますので、2月もしばらくは代わる代わる誰かがお休みする感じになってしまうのかもしれませんね。
なるべくみんなインフルエンザに罹患することなく、風邪なども引かずに、元気に来てくれますように。


最近子ども達とレッスンをしながら、改めて感じるようになったことなのですが、以前から何度も書いていますように、算数の能力の中でも特に空間認知の能力は持って生まれた能力の差が顕著に表れるところのように感じています。
生まれつき足が速い子や生まれつき歌がうまい子などがいるように、恐らく生まれつき空間認知の能力が優れている子とそうではない子というのがいるように思いますし、残念ながら私はその能力に関してはあまり備わっていない方の人間だとも思っています。

で、最近よく思うのが、例えば設計などのお仕事をする方や外科手術などをするお医者さまなどは生まれつき空間認知の能力が優れている人達であってほしいというようなことです。

その一方で学校の数学の先生には、両方の先生にいてほしいとも思ったりします。というのも、例えば数学の問題集の解答・解説を読んでいても、「見えない」私にはすんなり意味が理解できないということがあるのです。
でも、恐らく「見える」方達にとっては、書かれている解答・解説で十分理解できるのだろうなと。
そして、恐らく数学の先生になる方の多くは「見える」方なので、「見えない」という感覚が分かってもらい辛いだろうと思うのです。しかし、学校には恐らく半数前後「見えない」子がいるはずで、そういう子達は昔の私がそうだったように、全然納得はできないけど、そういうものなのだと覚えこむしかなくなりがちです。
ですから、「見える」先生と「見えない」先生の両方が必要なのではないかなと。

考えても仕方のないことかもしれませんが、ついそんなことを思ってしまいます。

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