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2017年12月 5日 (火)

好きこそものの上手なれ

日曜にM‐1の決勝をしていたようですね。
若い頃は実家で見る機会があったのですが、普段ひとりでお笑いなどの番組を見ることがないため、M-1ももう長らく見ていませんでした。

特に興味もなかったのですが、今日ネット上のある記事が目に留まりました。
2年連続で準優勝だったという和牛というコンビについて、特別王者の称号を与えてあげたいというような記事でした。
何の気なしに読み始めたところ、記事を書かれた方の漫才に対する熱い思いや、ネタの細かい分析など、書かれた方がどれだけM—1やお笑いを愛しておられるのかがひしひしと伝わってくるものでした。
また、こういう見方もできるのかとしみじみ感心すると共に、記事を読み終えた後には、M—1見ればよかったな、和牛というコンビのネタ、見てみたかったな…という気持ちになっていました。

全く興味がなかった人間に対して、ネタを見せるでも、一部を文章で紹介するでもなく、ただ状況を端的にまとめ、それに関しての意見を述べるだけで、見てみたかった、もったいないことをしたと思わせる文章力に感心すると共に、これは単に文章力というだけでなく、愛情によるところも大きいのだろうなとも思いました。

(因みに、この記事です。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53697)

そんなことを思っていて、ふと思い出したことがありました。
大学時代、漢文学の授業があったのですが、帰り点も送り仮名に何もない白文の状態のものを日本語訳し、内容を味わうというような授業で、英語なら単語の区切りもわかりますが、お経のように漢字が等間隔で並んでいるような文を読み下すのは、なかなか大変だった記憶がうっすらと残っています。
漢文が好きだったわけでもなく、その授業の予習をするのは大変で、同じ授業を受講していた人たちも多くは受け身で授業を受けていた感じでした。

授業を受け持っておられたのは、恐らくまだお若いのだろうなという風貌の講師の方だったのですが、今でも思い出すことがあります。
その先生の授業を見ていると、その先生が心から漢文学を愛し、楽しんでおられるんだろうなということは毎回ひしひしと伝わってきて、その姿を見ることが楽しみでさえありました。
その先生の授業だったからこそ、何とか最後までがんばることができたと言っても過言ではないように思います。

その時に感じたのは、同じことを習うのなら、それを心から愛し、楽しんでおられる方から習うのがいいなということでした。楽しいよ、面白いよと教えてくれるのと、ただ仕事だからという感じで教えてくれるのとでは、もしその内容に興味がなかった場合、後者の指導は苦痛さえ伴うかもしれません。
また、たとえ興味がなかったことでも、それを心から楽しそうに教えてくだされば、もしかしたら面白いのかな?と興味を抱くこともあるかもしれません。

「好きを仕事にする」というのは難しいという意見もある一方で、好きだからがんばれるのだから、好きなことを仕事にすべきだという意見もあります。
どちらの考え方ももっともだと思えるところがありますし、人によってや仕事によって、どちらがより当てはまるかなども変わってくるのかもしれません。
ただ、人に何かを教える仕事の場合、それを心から好きだ、面白いと思っている人の方が、教えられる側にはよい影響を与えやすいのではないかなという気もします。

私はそこには至れていない気がしますが、子ども達にできる限り「楽しさ」を感じてもらえるよう、がんばっていきたいと思います。

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