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2017年12月31日 (日)

大晦日

結局、大晦日まで、というか、晩に実家に年越しそばを食べに行って帰ってきた後も、すっかり日付が変わって明け方まで大掃除が終わらず、既にこれを書いているのは新年ではあるのですが、寝て起きてからが新年と勝手な解釈をしていますので、年末のご挨拶を。

皆さま今年も1年ありがとうございました。
年々がんばりが利かなくなっている感がありますが、来年は1年を終えるときにちょっとはがんばったと思えることが増えるようにしたいものだと思います。
新年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年12月30日 (土)

「小」掃除のち忘年会

今日は自宅の大掃除をがんばらねばならなかったのですが、昨日の6時間と風邪の影響でがんばりが利かず、思うように進まぬまま、毎年恒例の幼馴染たちとの忘年会へ。
土佐料理のお店でお魚が美味しかったのですが、思いがけないものにもにんにくががっつり潜んでいたりして、明日もにんにく臭いのではとちょっとドキドキしています。
これで風邪が治るといいのですが。

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2017年12月29日 (金)

どうにかこうにか。

風邪は心持ちましになったので、最低限の掃除をしようと出勤し、なんとか3時間がんばろうと思ったところ、例年より手抜きしたにも関わらずなぜか6時間…。
当然のごとく風邪は再び悪化傾向となりましたが、ひとまず教室だけは大掃除が完了したのでひと安心です。

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2017年12月28日 (木)

風邪悪化…。

今日は教室の大掃除をするつもりが、風邪が悪化してしまい、今日無理をすると年末どうにもならなくなるかもと、結局1日家でゆっくりしてしまいました。
明日こそは行けるぐらいに回復することを願いつつ…。

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2017年12月27日 (水)

レッスン納め

今日が年内最後のレッスンとなりました。
子ども達は好不調入り混じった感じでしたが、みんな元気に来てくれました。

レッスンが済んだらできる範囲で大掃除に手を付けて帰ろうと思っていたのですが、中学生とレッスンをしているあたりから喉の奥が痛み始め、風邪の気配…。
ここで無理をしたら教室も家も大掃除できずに終わってしまうかもと、今日は30分ほどだけで切り上げて帰宅しました。
寝てすぐ回復すればいいのですが、ここ数年は滅多に風邪を引くことがないものの、引くとそう悪化するわけではないもののぐずぐず治らないということが多いので、かなり不安です…。
これを言い訳に大掃除が手抜きになりそうな気もしますが、できる範囲でがんばります。

年末のご挨拶はまた改めて。

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2017年12月26日 (火)

なんだか悲しくなる言葉

今年度の初めから来てくれている3年生さんとのレッスンでのこと。
小さい頃から習ったことを覚えてきちんと処理するということをがんばってきたタイプの子だったので、当初はやり方がわからないと固まってしまったり、ろくに考えていないうちからわからないと言ったりということが少なくなかったのですが、徐々に変わり始め、随分考えられるようになってきたなと嬉しく思うことも増えてきました。

そんな中、前回宿題に出したプリントの中の1枚を「やり方がわからなかった」と言って持ってきました。
それは計算のきまりを練習するための虫食い算のようなもので、数字の部分は全て□になっており、( )や+、—、×、÷などを使った式とその計算の答えだけが書かれていて、□に1から5までの数を1回ずつ当てはめて式を作るというものでした。(例えば  □×□+(□+□÷□)=8 のようになっているようなもので、5つの□に1から5をどう当てはめればよいか考えるというものです。)

この問題の意図は、計算のきまりを覚えてもらうことと、試行錯誤をすることで色々な計算をすること、片っ端から当てはめていたのではいつ答えに辿り着くかわからないものなので、その面倒さを通して、答えがこんなに大きいのであればかけ算には大きい数を入れるのではないかとか、1から5を使って余りが出ない割り算ができるのは1で割るほかは4÷2しかないなとか、そういう色々なことをそれぞれの子なりに考えてほしいというものでした。

しかし、やり方がわからないという、意味不明なことをいうので(1問目はやってありましたので、何をすればいいかわからないというわけではありません。)、ぎりぎりまでやらずに時間切れになったか、やりたくなくてわからなかったと言っているかのどちらかなのではないかなと思いました。
ですが、もう少しつっこんで尋ねてみたところ、「どうやったら簡単に考えられるか、何かやり方みたいなのあるんだったら教えてください。」と言われてしまいました。

もちろんその子が悪いわけではなく、小さい頃から学校や幼児教室などで先生がやり方や考え方を説明し、その通りにするという練習を積み重ねてきたことで、自分で試行錯誤するという発想より、何か簡単な方法、便利な方法があるはずという発想になってしまっていることを悲しく思いました。

大切な子ども達のために、指導する大人はもっと気づいてほしいと思います。世の中の流れを見ても、今後ますます知識偏重から脱却し、考え方そのものが重視されるような方向へ進んでいこうとしているのは今のところ間違いありません。
公式やパターンを先に教え、覚えて答えを出させる学習は、今の子ども達が高校生、大学生になる頃にはほとんど役に立たなくなっているかもしれません。

小さい頃にこそしっかり試行錯誤をし、面倒なことも正面からぶつかってみることで、何か工夫できないか考えたり、何度も色々な数を足したり引いたりする中で、例えば1から9までのうち3つの数の和が24と言われたら7,8,9しかない、23なら6,8,9…というような、あれこれやって気づくことことが本物の力につながっていくのではないかと思います。

今年のレッスンは明日を残すのみになりましたが、来年も子ども達が自分の頭でしっかり考えてくれるよう、精一杯サポートしていきたいと思います。

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2017年12月25日 (月)

ようやく完了

やらねばやらねばと思いながらもついつい先延ばしになっていることがいくつもあるのですが、今日は一応今日までに投函すれば元旦に配達は確約しますということらしい期限の25日。
本当は昨日までに全部終わらせるつもりが、なかなかエンジンがかかり切らず持ち越してしまい、結局今日日付が変わる直前にようやく公私とも多分全て完成し、投函できました。

ずっと心に引っかかっていることがとりあえずひとつスッキリしたので、なんだか大仕事を終えた気分になっていますが、まだまだ残っていることの方が圧倒的に多いんですよね…。
まずは明日明後日のレッスン、しっかりがんばりたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年12月24日 (日)

クリスマスイブ

今日は日曜でクリスマスイヴ。
といっても何の予定もない身ですが、日曜にイヴが重なったことはあったかしらというぐらい久しぶりではないかなと。
日曜の晩は基本的に毎週実家に顔を出すのですが、海外ではクリスマスは家族で過ごすのが一般的だとも言いますし、サプライズで両親にささやかなクリスマスプレゼントを買って、実家に行ってきました。
思った以上に喜んでくれたので、よいクリスマスになりました。

皆さまのご家庭では昨日の晩か今晩かにサンタさんが来られるのでしょうか?
よいクリスマスをお過ごしになられましたか?
今年もあと1週間ほどになりましたが、今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年12月23日 (土)

年内のレッスンもカウントダウン開始

年内は27日水曜が最終レッスンになる予定のため、今年最後のレッスンになる子達とは年末のご挨拶をしています。
それと同時に、ここ最近体調を崩す子や保護者の方も増えていて、年内最終の振替レッスンに来てくれる予定の子達もいますので、年内にみんなの元気な顔を見て、ご挨拶ができるといいなと思っています。

今年最後のレッスンはどの子とも心穏やかに楽しく終えたいなと思っているのですが、予想外のところで突然泣きそうになられたり、不機嫌になられたりというようなこともあったりして、なかなか難しいところです。
今週のレッスンが終わり、後は火曜、水曜の2日を残すのみとなりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年12月22日 (金)

難しさの加減

子ども達とレッスンをしていると、簡単だと思う問題はたくさん解きたがる子が少なからずいます。
私自身は子どもの頃、解き方がわかる問題をたくさんするのはキライだったので、考え方がきちんと理解できたようであれば、多くの問題をさせようとは思っていません。
また、結構難しい計算問題なども大量にあると、見ただけでやる気を失い、適当に答えを書く子もいるので、そういう問題に関しても問題数を減らして、その代わり一度で正解できるようしっかり考えてもらうように促したりします。

それに関しての加減は難しく、また、子どもの性格などにもよるのですが、難しい問題を難しいと感じたまま終わらせると後々同じような問題を見るたび、「あ、これ難しいやつ…」というようなネガティブな反応をすることになり、結果的にマイナスに働くことが多いので、難しいと感じたものはそこを越えて、きちんと理解できたと感じられるようにしておくことも大事なように思います。

ですが、これもまた難しいところで、難しいと感じている程度があまりにも強い場合は、そこで無理をすると本当に苦手意識、拒否反応が出てしまう場合もあるので、その子にとってまだその時期でなさそうであれば、一旦先延ばしにするということも必要になるのではないかとも思っています。

今日のレッスンで、ある子の課題に学年を考えると簡単ではない問題ではあったのですが、その子にとっては簡単だろうと思う文章題があって、式を作れたら解かなくてもいいよと伝えていたのですが、式を作った後、答えが簡単に思いつくものは答えを書きたいと言い、そうでないものは式を書くだけでそれ以上解こうとはしませんでした。
式ができれば解く力はある状態だったので、答えを書きたいと言うものは書いてもらいましたが、限られた時間の中でなるべく有効に時間を使いたいので、その加減も難しいところです。

いつも感じるのは、それぞれの子にとって「ほんの少し」難しいと感じるぐらいのレベルの問題を常に提示し続けられたら、きっととても効果的に楽しく進んでいけるんだろうなということなのですが、それもまたなかなか難しく(個人の興味や能力の差というだけでなく、その日のコンディションの差なども関わってくるので。)、ずっと試行錯誤を続けているところです。

今年のレッスンは残り僅かとなりましたが、来年もまたよりよいレッスンができるよう、努力していきたいと思います。

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2017年12月21日 (木)

考えることの大切さ

私は教室で子ども達にしょっちゅう「なんで?」と尋ねます。
例えば、問題を解いて答えを書いて、その書いた答えが合っていたとしても、その子の様子に迷いがあったり、自信のなさがあったりするときには、すぐにマルはつけず、「なんでそれが答えだと思う?」とか、「こっち(そのほかの答え)はどこが違ってるの?」とか、なぜそう答えたのかの理由を尋ねます。

そうすることで、理解が曖昧な場合やよく考えず適当に答えを書いたような場合にはその説明ができませんので、きちんと理解しているかどうか確かめることもできますし、子ども自身ももやっとした理解のまま次に進むということをせずに済むのではないかと思います。

また、考え方は合っていそうなのに最終的な答えが間違っていそうな場合や、どこかでミスをしていることにこちらが気づいていて、それを本人に気づかせたい場合などにもどうやって考えたのかを尋ねたり、どんな式で計算したのか尋ねたりします。

このように、しつこいぐらい「なんで?」「どうして?」と聞かれることを面倒に感じる子もいるのかもしれませんが、小さいうちからそれを繰り返していると、曖昧な理解で適当に答えを書くことが気持ち悪く感じるようになっていく場合が多い気がします。
そうなれば、後は自発的に考えるようになりますから、ある程度子どもに任せてしまっても大丈夫だと思います。

教室では主に算数を通して子ども達に考えることの大事さを感じてもらおうと心がけていますし、もちろんできないよりできるほうがいいとは思いますが、本当のところは算数ができてもできなくても、それ自体はそんなに大きなことではないのではないかとも思っています。

考える力は生きる力に直結しているように思いますし、考えることで事件や事故に巻き込まれる確率を減らすこともできるのではないかと思います。
例えば、次々と手口を変えて人を騙し続けている詐欺なども、手口によっては少し考えるだけで何か怪しい、これは一度警察に相談してみたほうがいいのでは?誰かに話してみたほうがいいのでは?と気づけるものもあるように思います。
小さい頃から言われたことを覚えてその通りに処理する訓練をし続けて大きくなった子と、ひとつひとつしっかり考えながら大きくなった子では、成長してから、生きていく上で大きな違いができるように思えるのです。

大事なお子さんがより幸せに安全に生きていけるよう、小さいうちからしっかりと頭と体を使わせるのはとても大切なことなのではないかなと思っています。

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2017年12月20日 (水)

ちょっとした心配事

小さい頃から通ってくれていて、今は6年生になった子。
真面目で大人しいタイプなのですが、案外忘れ物が多かったり、宿題のし忘れがあったりということがある子でもありました。
ただ、高学年になってからは持ってくるのを忘れることはあっても、宿題として出したものは概ねきちんとしてきてくれるようになっていたのですが、ここのところやり忘れなのか疑問を感じるぐらいに、1冊はまるまるやっていないとか、1冊のうち付箋がついているページの1ページしかやっていないとか、きちんと宿題をし終えていないことが続くようになりました。
元々学校よりは先のことをしていますし、宿題を怒ってさせるというのも本意ではないので様子を見ていたのですが、いっこうにその状態が元に戻らず、「何か忙しいの?」と尋ねたものの言葉を濁していました。
その子の帰り際、コートのポケットから何かが落ち、見ると最近買ってもらったというスマートフォン。
そこでちょっと気になったことが…。

大人でさえも、ひどければ運転中にスマホをいじってしまったりするぐらい、人を惹きつける様々なアプリが簡単に手に入るスマートフォン。スマートフォンに限らず、ゲーム機などもそうですが、自分のものになってしまった後で時間を守りなさいとか言われても、なかなか難しいだろうなと個人的には思っています。(私は自分のはまると徹底的にやってしまう性格をわかっているので、子どもの頃から今に至るまで、いわゆるゲーム機というものは小さいものも大きいものも何も買ったことがありませんが、スマホを持つようになってからは恐れていた事態に陥り、読書の時間や事務仕事、家事などの時間がかなり蝕まれていますので…。)

その時すぐに尋ねればよかったのですが、後で思いついたため、本人に確認はできませんでしたが、宿題などをしなくてはと思ってもついついスマホを…ということは起こり得るだろうと思います。
特に、おうちの方がお仕事をされていたり、帰宅されてからも色々お忙しくて、子どもの自主性に任せてしまわれたりというような場合は、本人に相当強い意志がなければ(もしくは、時々いる、ゲームやメールなどの類に興味がないタイプでなければ)スマホの誘惑は結構強力なのではないかと思います。

ゲーム機やスマホとの付き合い方はなかなか悩ましいところなのだろうと思いますが、家にいるときは親御さんが預かるとか何らかのルールを設けた方がいいのかもしれないなと思います。(そうしておられるご家庭も多いと思いますが。)
宿題が終わったらゲーム機などを使ってもいいというようなルールにすると、宿題を適当に終わらせるというような子も過去にいましたので、それはあまりお勧めできないようにも思います。もし「終わったら」というルールにする場合は、終わった宿題をざっとでも目を通して、きちんとやっているかどうかをチェックするなどされる必要があるかもしれません。

個人的には小中学生の間は外出時など連絡のために必要なときに持たせる以外は携帯やスマホを持たせないようにする方が、長い目で見て子どもにとってもプラスなのではないかとも思います。
もちろん、それぞれのご家庭の方針がおありだと思いますので、一概には言えませんが。

その子には次回が今年最後のレッスンになるので、宿題をきちんとやってきてねとお願いしたので、もしそれでもきちんとやってきていなければ、一度スマホのことを尋ねてみようと思います。

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2017年12月19日 (火)

心細さ

今日のレッスンでのこと。
礼儀正しく、話はきちんと聞くことができ、最近は随分しっかり考えられるようにもなってきた低学年さんとのレッスンがありました。
小さい子達は問題が難しそうだったりするだけで泣いてしまうような時期を経るという子がいるのですが、この子もその傾向があり、ちょっとわからないと途端に不安そうになり、しばしば大泣きしてしまうこともあるというのが現状です。
しかし、今日はレッスンが始まってまださほど時間も経っておらず、更には書かれていることを読んだ後、決して難しいとは思えない問題を前になかなか手が動かず、何か勘違いしているのかもなと思って声掛けをしても、やはり反応が鈍く、次の瞬間突然大泣きし始めました。

普段は、ああ難しいと感じていそうだな、泣いてしまうかも…という段階が見て取れるのですが、今日は問題自体はその子にとっては全くというほど難しくなかったはずですし、段階を経ることなく突然という印象で泣き始めたので、正直驚いてしまいました。

少し泣いたら収まって、そこからまた問題に取り組み初め、その後はほぼ問題なく解いていってくれたので、一体何だったのだろうなと思っていたところ、レッスンの終わりに、ああ、もしかしたらそれが原因だったのかなと思うことを話してくれました。

今日はおうちにお母さんがおらず、兄弟やお父さんは後から帰っては来るものの、レッスンが済んだら自分一人で家に帰って、鍵を開けて家に入るのだということを話してくれました。
外は暗くなっていて、自転車で帰ると聞いていたので、少しでも早く帰った方がいいのではと思って声をかけたのですが、本を選んだりしてすぐに帰ろうとせずにいるのを見て、もしかしたらゆっくり帰れば上の兄弟が帰ってくるからなのかもという気がしました。
普段はお母さんが迎えに来てくれるか、そうでなくてもおうちで待っていてくれるのが当たり前の子にとって、お母さんがいない上、誰もいないおうちで、短い時間であってもお留守番をしなくてはならないということは、もしかしたらとても不安だったのかもしれないなと。

小さい子達は疲れや眠さなどによっても頭の働きに大きく影響することがありますが、不安や悩みがあっても、大きな影響を及ぼすことがあるのかもしれないなと、そんなことを考えさせられました。

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2017年12月18日 (月)

ひとごとでは済まないこと

日々、耳を疑うようなニュースに驚かされたり、呆れたりすることがありますが、ここ最近で驚き呆れると同時に、ちょっと考えてしまったニュースが2件ありました。

1件は、女子大生が片手にドリンク、もう片手にはスマホを持ってSNSをチェックしつつ、片耳はイヤホンをした状態で電動自転車を漕ぎ出し、高齢の女性に衝突して命を奪ってしまったというニュース。
その状況を聞いた瞬間、言葉は悪いですが、心からアホちゃうかと憤りを感じたのですが、その一方で、電動自転車は軽くひと漕ぎするだけでも一気に数十メートル進んでしまうということも紹介されていて、この事故は非常識極まりない女子大生によるものでありつつ、電動自転車の性質をきちんと理解していなかったことによるものも多少はあるのかもしれないとも思いました。

余談ですが、うちの両親は電動自転車に乗っているのですが、あるとき母が、父に気をつけて道に出るようにいくら言ってもびゅーんと出て行ってしまうと言い、それを聞いた父は、そんなことはないと否定したことがあったのですが、電動自転車に乗らない私はそのときには思い及ばなかったものの、どちらが言っていることも正しかったのかもしれないなと。父は加減して漕いでいるつもりでもひと漕ぎでびゅーんと進んでしまうのであれば、見ている母からすれば危なっかしいに違いありません。

免許が必要なわけでもなく、歩道を走ることもできるわけですから、そのように、電動自転車の性質をきちんと把握していない方が多くても不思議はないのかもしれません。

その女子大生は過失で人生を棒に振るようなことになったわけで、もちろん、そんな状態で自転車に乗ること自体あり得ないことですから、自業自得と言われてもやむを得ないでしょうけど、それがどれだけ危険な行為なのかに全く思いが及ばなかったのだとしたら、これまでの人生で何を学んできたんだろうとも思ってしまいます。

また、もう1件のニュースは悪ふざけで同僚のお尻に高圧の空気を送り込んだ結果、同僚が亡くなられたという事件。加害者の2人は「ふざけてやった」と言っているそうですが、恐らく実際にそうなのでしょう。
だとすれば、悪ふざけで人の命を奪ってしまったわけです。
ただ、無知であれば高圧の空気を人体に送り込むことの危険に気づかないこともあり得るのかもしれません。

もちろん私もはっきりとはわかりませんが、少なくともお尻からものすごい勢いで大量の空気を送り込めば、内臓に何らかの支障をきたしそうだと(場合によっては体が破裂するようなことになるのかもしれないなと)そんな想像ぐらいはできます。
とすれば、実際にそういう機械を扱う現場の担当者たちが危険性を知らないというのは極めてお粗末な話ですし、知らなかったでは済まないようにも思います。

信じられないような、そんなのちょっと考えたらわかるでしょ?と思うようなニュースを耳にするたび、一体どんな風に育ってきたら、そういうことにも気付かないまま大きくなるんだろう?と言う疑問もわくのです。

以前にも書きましたが、最近とても多いのが、両耳にイヤホンやヘッドホンをして、スマホの画面に集中しながら歩いている若い子達。時にはその状態で自転車に乗っているような子もいます。
人や物にぶつかって自分が痛い思いをするのは完全な自業自得ですが、命を落とすようなことになったり、人の命を奪うようなことになる可能性だって十分にあり得ます。

特に、相手が小さい子どもやご高齢の方、体が不自由な方などであれば、咄嗟によけたり、身を守ったりすることが難しい場合もあるでしょうから、自分の軽率な行動のせいで人に大きな被害を与えてしまい、そのことで自分の人生も大きく変わってしまうことがあり得るのだということに、もっと自覚を持たなければならないように思います。

ただ、その自覚は自然と身につくものではないのではないかとも思うのです。
今の子ども達は生まれたときからパソコンやスマホが当たり前のようにあり、それなしには生きられないというぐらいの感覚の子も増えているように思います。楽しければ、歩きながらでも見てしまう気持ちはわかりますが、目はスマホの上、耳までイヤホンなどでふさいでしまっては、一体どこで周囲の状況に注意を払えるのだろうと思います。
そういう子を目にしても、今の時代、知らない子を注意すると、注意した側が親から責められるようなことも耳にしますし、高校生や大学生であれば、その本人から文句を言われたりする可能性もありますから、やはり他人が注意をするのはハードルが高いだろうと思います。

また、自分の子どもはそんなことしないから大丈夫、自分はそんなことしないから大丈夫という方も、このままでは被害者になる可能性は増える一方のようにも思えます。

自分には何ができるのかわかりませんが、自分には関係ないでは済まないような気がしています。
特に、お子さんをお持ちの方は、大きな怪我につながるようなことでなければ、怖い思いや痛い思いなども自ら経験することで学べることがあるのかもしれませんし、街を歩いているときに、歩きスマホの若者を見かけたら、それにどんな危険があるかを言って聞かせたり、ちょっと考えたらわかるでしょ?と感じるような事件や事故のニュースに接したら、それについてお子さんとお話をしたりというようなことを積み重ねることも、お子さん自身を守るために大事なことなのかもしれないなと思います。

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2017年12月17日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年12月16日 (土)

音読

うちの教室はメインは算数ですが、何人かの子達とは国語も一緒にレッスンさせてもらっています。
算数がすきな子達はどちらかというと国語はあまり好きではないという子が少なくなく、宿題なども算数はきちんと取り組んでいても、国語はどうも適当にやったのではと感じる子もちらほら。

確かに、特に小学校の間は算数にはきちんと答えがあり、きちんと考えれば正解に辿り着ける一方で、国語は漢字などは別として、なんとなく漠然と、これが答えなのかなぁとすっきりしないものや、書かれていないことを推測しなくてはならないものなどがあるので、算数好きな子が国語が好きではないというのもなんとなく頷ける気がします。

で、国語はあまり好きではなく、宿題も適当にやったのではと思われるような子に、「ちゃんと問題を読んで」と言っても、「読んだ。」と言うだけで解決しないことがあります。
そんなときは、声に出して読んでもらうと、きちんと読んでいなかったことに子ども自身が気づくこともありますが、それ以外に、読み方を聞いていて、もしかするとこの言葉を知らないのでは?とこちらが気づくこともあります。

知らない言葉が出てくると、イントネーションがおかしかったり、単語の区切りがおかしかったりということがあり、そういうところを「その言葉知ってる?」と聞くと、かなりの割合でわかっていないことがあるのです。

大人の感覚では知っているだろうと思っているようなものでも、たまたま出合う機会がなかったりで知らないようなこともありますし、国語が好きではない子は、それをわざわざ調べようとはなかなか思えないのではないかと思います。

ひらがなで書かれていれば、文字としては読むことができるので、読み方を尋ねてくることもありませんし、言葉に興味がある子であれば、知らない言葉が出てくれば大人に尋ねたり、何かで調べたりするかもしれませんが、そうでなければわからないままやり過ごして、そのまま問題を解き、時にはそのわからない言葉のせいで間違っているというようなこともあったりするように思います。

音読は上手に読めなくても構わないので、声に出して読ませることで読み落としに気づかせると同時に、聞いている側が、子どもが理解していないのではないかと思う言葉を見つけるためにも有効ではないかと思います。

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2017年12月15日 (金)

実感できないこと

子ども達とレッスンする上で心がけていることのひとつに、実際にものを使って確かめられるものは確かめてもらうということがあります。
例えば、長さの学習でも10mぐらいまでは巻き尺で実際に見てもらったりしますし、面積でも1㎡までは模造紙などで実際に見てもらったりします。

しかし、子ども達にも定着しにくいのが、1㎞が1000mであるとか、1㎢が1000000㎡であるとかいう、実際に見せることが困難で、地図などを使ってここからここぐらいの長さだと伝えたとしても、やはり体感できるわけではなく、大きな面積や体積になると、地図などで説明することすらできず、どうしても「覚えるもの」になってしまいがちなものです。

今週のレッスンでも1kmが1000mだということを忘れてしまっている子が2人いて、どちらの子も1kmは10mとか100mとか短い距離を答えました。
「キロ」は1000倍を表していることは必ずどの子にも伝えるものの、やはりそれも「覚えること」になってしまうため、意識的に覚えようとするか、定着するまで繰り返し覚えるかしかないのかもしれません。

可能であればレッスンのときに一緒に1km歩いてみることができればと思ったりもするのですが、現状それもなかなか難しく、何かいい方法はないものかと長年悩んでいます。

もちろん、大人でも1kmが実際のところどのぐらい離れているか直線距離で意識できないという方は私も含め、少なからずおられるのではないかと思いますので、そこは割り切って暗記してもらうということでもいいのかもしれませんが、何かいい方法はないものでしょうか…。

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2017年12月14日 (木)

イメージするのを助ける

子ども達とレッスンをする中で心がけていることのひとつに、子どもが問題の内容を読み取れていなさそうなときに、その子がイメージしやすい置き換えをしてあげるということがあります。

例えば、小さい子であれば少し複雑な文章問題などは、問題文を読むことができ、言葉の意味も理解できていても、書かれていることがぴんと来ないようなことがあります。
そのようなときには、登場人物をその子自身の名前にし、家族やお友達など、身近な人などに置き換えて問題を読み直してみたりすると「ああ、そういうこと!」というような反応がかえってくることがあります。

また、数が大きくなってぴんと来ていないようなときには、100や1000を100円や1000円というようにお金の単位にすると、突然簡単に感じる子もいます。

そのほかにも、小数の割り算などは特に、計算式だとぴんと来なくても、例えば「20.8÷1.2」などであれば、「20.8mのロープを1.2mずつ切り分けていったら、何本取れてどれだけ余る?」というような聞き方をすれば、イメージしやすくなります。

図形の問題などでも、例えば展開図を組み立てるような問題が苦手な子には、自分がどこかの面に立っているとして、どの面が自分の目の前にきそう?とか、何か自分に関係させることで、ある程度まで考えられるようになることもあったりします。

何も言わなくてもスイスイ解いてしまうような、イメージするのが得意な子はいいのですが、イメージすることが苦手な子に対しては、特に図形の問題などが苦手な子は、イメージできなければやり方を教えるとか、答えを教えるとかするしかない場合もあるのではないかと思いますが、それだとその子は解いたことのあるような問題以外いつまで経ってもできるようにはならないのではないかと思います。
ですから、そういう子には具体物で見せられるときは積極的に見せますが、それと同時に自分に身近な何かに置き換えて、少しでもイメージできる範囲を広げてもらえるように働きかけもします。

お子さんが問題が解けずに悩んでいるようなときには、ご家庭でも参考にして頂けることではないかなと思います。

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2017年12月13日 (水)

持って生まれたもの

子ども達を見ていても、自分自身の子どものころを振り返っても、勉強に限らず、スポーツ面や芸術面、その他、色々な能力について、「持って生まれたもの」というのがあるのだろうなと思います。
例えば、一流のスポーツ選手の多くは小さい頃から運動能力が優れていたという人が多いようですし、同様のことが芸術面や学業面などでもある程度言えるのではないかなと。

ですから、色々な子ども達とレッスンをしていると、時々「ああ、羨ましいなぁ」と感じる子どもに出会うことがあります。
自分が子どもの頃苦労していたことをいともたやすくやってのけてしまうような子。私はなんとか努力で補ったことを当たり前のようにスラスラ解いてしまうような子。そういう子達を見ると、一度でいいからその脳を借りて、どんな感覚なのか体感してみたいものだなと思います。

今日のレッスンでも、ある子が学年を考えれば結構難しいはずの問題を、やり方を覚えているというわけではなさそうなのに(そもそも私はやり方だけを教えるようなことはしませんし、内容的にまだおうちでどなたかが教えたということもないはずのところでしたので。)、次々と苦も無く正解していく姿に、しみじみ感心しました。

例えば、私たちはもう大人ですから、100目盛りで2000グラムなら1目盛り20グラムということはすぐわかりますし、ぱっと閃かなかったにしても、2000÷100の計算は簡単にできるわけですが、まだ学校ではかけ算を習ったばかりぐらいの段階であれば、2000÷100はわからなくて普通でしょう。
このような問題の場合、やり方を教えなければ、多くの子は1目盛りの見当をつけ、1、2、3、…で合わなければ2、4、6…、5、10、15、…、10、20、30…というように、数えてみて合うものを見つけ出すのですが、「100目盛りで2000グラムなんだけど」とだけ言えば、少し考えてすぐに「20グラム」と答えるような子が一定割合いるのです。

今日のその子もそのタイプで、500グラムの秤の文字盤も、1キログラムのものも、2キログラム、4キログラムのものも、紙に何かを書いて計算するでもなく、あっという間に答えを出してしまい、そのスピードに驚きました。

このように、能力差、興味の差は必ずどの子にもあるものだと思いますので、算数が好きな子、得意な子はよりできるようになってもらいたいと思いますし、苦手な子はまずは苦手意識をなくしてもらえたらと思って、日々レッスンをさせてもらっています。

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2017年12月12日 (火)

嬉しいお話

先日のあるレッスンの終わりに保護者の方が学校の懇談でのお話を聞かせてくださいました。
懇談会でのお話はよかったお話や、こういうところが気になると言われたというお話など、色々聞かせて頂くことがありますが、今回はとても嬉しいお話でした。

うちの教室に通ってくれることになったときのその子は算数が大嫌いで、本当に辛そうな姿で問題に向き合っていて、見ているこちらが辛くなるほどでした。
しかし、一緒にレッスンをするようになって、徐々に初めの強烈なアレルギーが和らぐにつれ、実は結構算数のセンスがあるということに気づきました。

やる気を出させるために思ってもないことを言うとか、実際より大袈裟に褒めるとか、そういうことをする指導者の方もいるのだろうと思いますが、個人的に、子どもの感覚は大人が思うより遥かに鋭いのではと思っているため、心からの言葉でなければ見透かされてしまう気がして、仮に一度でもそういうことに気づかれてしまったら、信頼関係は崩れてしまうようにも思い、相手が小さい子であっても思ってもいないことで褒めるようなことはしません。
ですから、その子に対しても、本当にすごいと思うときは褒め、何がすごいのかをその子がいるところで保護者の方にお伝えしたりもし、そんなことが重なるにつれ、どんどんと本来の力を発揮してくれるようになっていきました。

そして、今回の懇談で、算数のある課題で、ほかの誰もそんな風に形を使った絵を描かなかったのに、クラスでただひとりオリジナルの発想で絵を描いたことや、国語でもやはり他に誰も使っていなかった擬音語を取り入れて文を作ることができていたことなどを伝えられたそうです。
みんなが思いつかない発想が出来、もちろんそれが課題の答えとしてきちんと成立しているということが算数でも国語でもあり、そのことに先生がきちんと気づき、保護者の方に伝えてくださったというのは、何もかも素敵なことだなと思います。

習ったことを真似るだけではみんな同じような発想になりがちです。そこで創意工夫ができるというのは素晴らしいことですし、習っていないことまで自由に発想ができるとなれば更に素晴らしいことです。
もちろん、そういう能力は持って生まれたものに左右されるところもあるだろうと思いますが、少なくともうちに来てくれたときのとにかく算数が大嫌いで問題を前に苦しそうにしていたあの状態では、恐らくあり得ないことだったのではないかと思います。

それを思うと、小さい時にその子に合わない勉強の仕方でその科目を嫌いになってしまうということがあれば、長い目で見てものすごく大きなマイナスになるのではないかとも思います。
今回のその子の場合は、方法が合ってなさそうだと保護者の方が気づかれ、早目に違う選択をしてくださったことで、その子はアレルギーから脱して、本来持っていた力を発揮し始めることができたのだと思います。

そういう意味でも嬉しいお話を聞かせて頂けました。

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2017年12月11日 (月)

非生産的1日

この時期、色々なスポーツの大会が目白押しで、特に好きなサッカーは通常のリーグ戦のほかにカップ戦などが重なり、土曜の晩から日曜の朝、日曜の夜遅くから月曜に掛けてと、テレビでさんざんスポーツ観戦をしてしまったため、今日はやろうと思っていたことがほぼ全く何も進まないという1日になってしまいました。

そんなことをしているとあっという間に年末になってしまうのだということもわかっていながら、このエンジンのかからなさ具合に呆れる今日この頃です。
なかなか宿題をやる気になれない子どもの気持ちにとても共感するわけですが、自分が子どもの頃は人前で怒られるとかいうことがとにかく嫌だったので、怒られるぐらいならやっていこうという、かなり消極的理由で取り組んでいましたので、今も期限があって、やらないと誰かに怒られるとか、迷惑がかかるとか、そうでなくても、やれば誰かが認めてくれるとか、何か他者の目があればもうちょっとはどうにかなりそうなんだけどなぁと思うわけですが、家でも教室でもそういう「目」がないのが悩みどころです…。

というわけで、全く内容もなく心苦しい限りですが、本日はこれにて。

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2017年12月10日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年12月 9日 (土)

その時は来た

今日の年長さんとのレッスンでのこと。
算数に興味はあるようですが、まだ幼いので、気分が乗らないと全くペースが上がらず、眠くなったり、時には悲しくなったりすることもあります。
通ってくれ始めた頃から、毎回点つなぎの課題には取り組んでもらっているのですが、初めはごく簡単なものだったため、ニコニコしながら取り組んでくれていました。
その後、少し複雑になっても、何かの絵に見えるものなどであれば、やはり「こんなの簡単!」とか言いながら取り組んでくれていました。
段階を経て、やや抽象度の高いものに移り、それも結構できていたのですが、取り組む姿は全く楽しくなさそうで、おうちでの宿題は1問やるにも大ごとだというお話を伺った時期があり、順を追って難しくしてきた上、やればできているんだけどなと思いつつ、もうしばらくは抽象度を落としたものにしようかなと、その後2か月近くは様子を見ていました。

そろそろ大丈夫かなと思い、また抽象度が上がったものに取り組んでもらい始めたところ、プリントには3問の問題があるのですが、毎回「1こ?」と1問だけでいいか尋ねてくることが続いていました。
どうにか2つやってもらって、どうにも気分が乗らないようなときは1つで済ませるなどしてきていたのですが、今日のレッスンで、いつものように点つなぎのプリントを出したところ、必ず「1つ?2つ?」と聞いてきていたのに、今日は何も言いません。
どうしたのかな?と思いつつも、せっかくすんなり取り組み始めてくれたのだから、いらないことは言うまいと黙って様子を見ていたところ、長い斜めの線などちょっと難しいものなども穏やかな表情のままどんどん描いていきます。
1問あっさり完成させて、何も言わずに2問目へ。

前回まではちょっとぐずぐず言っていた上、今週持ってきてくれた宿題も、どうやらあまり気乗りしないまま取り組んだのではないかなと感じられる状態だったのですが、描き終えた後、「かんた~ん♪」と笑顔を見せました。

突然の変化に驚きましたが、その子にとっての「その時」が訪れたということなのでしょう。
強い抵抗を示したときに、少し簡単なものに戻してしばらく様子を見ていた間に、その子の中で何かの変化、成長があったのでしょう。そして、準備が整ったことで、前回まであんなにイヤそうだったものを笑顔でスイスイすることができるようになったということなのでしょう。

その子にとってちょうどよい難しさを提示し続けるのは難しいところもありますが、少なくとも強い抵抗がある場合は、できるはずと思ってもまだ準備が整っていないということもあるんだなと感じました。
またいい勉強をさせてもらいました。

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2017年12月 8日 (金)

久しぶりに

算数のセンスは結構ありそうに感じるものの、ここ1、2カ月ずっと不調続きだった低学年さんがいます。
まだ小さいので疲れや眠さ、気分がいいかどうかなどにもかなり影響されるため、体力が伴なって、精神面でも成長するまでは不安定なのは仕方ないのかなと思いつつも、普通に問いかけても何も反応がかえってこず、待っていても考えているわけではなく、時間ばかりが過ぎていくという状態が続き、この状態で来てもらっていても意味がないのではないかと申し訳なく思って、おうちの方にご相談させてもらったりもしました。

そして、今週のレッスン。
このところおうちでもちょっと様子が気になっているというお話を伺っていたので、また今週もダメかも…と思いかけていたのですが、レッスン前に結構しっかりお昼寝?をしてきたとのことで、久しぶりに問いかけにはすぐ反応が返ってきて、問題もしっかり考えられ、目にもずっと力があるまま1時間を終えることができました。
レッスン後、本人も最近とは違ってしっかり考えられた実感があったのでしょう、「寝たのがよかったんかな。これからいっつも寝ようかな。」と笑いながら話していたので、「是非そうして!」と言って見送りました。

教室を始めた年、最初に来てくれた子の中に、当時2年生で元気な男の子がいました。算数のセンスはかなりよかったのですが、元気さゆえに学校で休み時間も全力で遊ぶらしく、レッスンに来ると毎時間睡魔との戦いに。
立ち上がってもらったり、歩いてもらったり、顔を洗ってもらったり、できそうなありとあらゆることをしてもらっても、目覚めるのはものの数分で、すぐにまた睡魔が。1時間のうち45分ぐらいは睡魔と戦っているような状態で、持っている力に対してレッスンはちっとも進まない状態が長く続いたのですが、成長に伴って体力がついたらしく、4年生頃からはほぼ全く眠くなることなく、ぐんぐん力を発揮しだした子がいたのを思い出します。

子どもの成長にも体力にも個人差があるのだと思いますので、やはりその子のペースを見ながら進めていくしかないのかもしれませんね。

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2017年12月 7日 (木)

今日のレッスンでのこと。
コンディションがいいとよくできるものの、疲れていたり、気分が乗らないとてきめんそれが現れるタイプの低学年さんと長い長さの学習をしました。
長い長さだけでなく、既に習っているcmやmmも含めての、割と面倒な計算問題に取り組んでもらったときのことです。
1問目のmとkmの混じったたし算は暗算できちんと正解をし、2問目が下の問題でした。

 35m8cm-19m18cm

初めに書かれた答えは「6m10cm」。 間違っているものの、うっかりそのミスをする子はそこそこいるので、予想の範囲内です。
そこで、「8cmから18cmって引けるの?」と尋ねると「引けない」と答えたため、じゃあ直してくれるかなと待っていました。

しかし、書き直された答えは「6m2cm」。 まあこれもどうにか…10cm引けないのに、何か勘違いしてそこから8cm引いてしまったのかなという答えなのではないかと推測。

「ねえ、なんで10cm引けないのに6mより長くなるの?」と再度尋ねたものの、更に書かれた答えが「6m4㎝」……。
とうとう推測不能になりました。(汗)

どこかにはまり込んでしまったようだなと、その問題を後回しにしてもらい、ほかの足し算の問題を先に済ませてもらった後戻ってみたもののまだダメ。更に保留にして次のプリントに進んだところ、今度は前回までは普通にできていた4桁の繰り下がりの引き算が暗算でも筆算でもおかしくなり始めました…。

ひとまずプリントを変え、ほかの問題をしてもらい、おかしくなった筆算も再度確認をした後、ふと、理由はわからないものの「10cm」を取るから何か混乱しているのかもと思い、試しにと「6mから1cm取ったらどうなるかわかる?」と尋ねると、少し考えてから「5m99㎝」との答えが!(ビンゴ!)

「そうよね。1cm取ったら5m99cmなのに、10cm取って6m10cmにも6m2cmにもならないよね?」というと、顔つきがきりっとして5m90cmの答えを書いてくれました。

何がどうなっていたのかはわかりませんが、今日のその子には10cmを取るというところが迷宮への入り口になったようではありました。
子どもがはまり込むポイントは予想外のところにあったりもするので、いつまで経っても新たな発見があります。

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2017年12月 6日 (水)

問題を読む

私自身も予習などをしているときに問題の一部を読み飛ばして、わからないなぁともう一度読み直して条件に気づくとか、勘違いして解いてしまってから、答え合わせをして気づくということがあるので、子ども達に「問題をちゃんと読みなさい」と言っても、常に気をつけて読むのはなかなか難しいのだろうとは思います。

また、過去の経験から見て、算数・数学が得意な子は国語の問題をきちんと読まない子が少なからずいるようにも思います。
小学校の算数ぐらいであれば、得意な子にとっては感覚的に問題を理解して解いてしまえることが多いせいもあるのかもしれませんが、例えば国語で「正しくないものを選びなさい」という出題を読み飛ばしたら、正解できる可能性が限りなく低くなりますし、「文中の言葉を使って」となっているのに、本文中からそのまま抜き出した答えを書いていたら、それも恐らく不正解だろうと思います。
このように、設問のポイントについては、きちんと読まない限り正解できない問題も少なくありません。

以前算数が大好きな一方で国語には興味がないというタイプの子がいて、算数の問題であれば少々長文の面倒なものでもなんとしても読むぞ!という感じである一方で、国語だとほんの1行の設問でさえ読み飛ばすことも少なくなく、ちゃんと読んでと言っても「読んだ」と言うだけで埒が明かず、まだ低学年だった時期に国語の設問を全て声に出して読ませるようにしたところ、ミスはかなり減ったものの、学年が上がっても当たり前のように声に出して設問を読み続けていたので、試験などではこれは使えない方法なんだけど大丈夫かな?と心配したりもしました。(結果的にはその後難関中学に進学したので大丈夫だったようですが。)

教室では集中して読んでいる子でも、宿題になると問題を適当に読んでミスが多発しているような子もいて、それは恐らく家では集中せず適当に取り組んでしまったということなのだろうと思うので、さほど心配はないように思いますが、教室で私が見ていても問題をきちんと読まないでミスをするタイプの子には、声に出して読ませる以外(さすがに高学年や中学生には普段使えないのであまりいい方法だとは思えず…)何かいいアイディアはないものかと思います。(線を引きながら読ませるような方法もあるとは思いますが、全部に線を引いてしまうと後から見づらくなることもありますし、ポイントがわかりづらいので、個人的にはあまりお勧めはしようと思えないので…。)

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2017年12月 5日 (火)

好きこそものの上手なれ

日曜にM‐1の決勝をしていたようですね。
若い頃は実家で見る機会があったのですが、普段ひとりでお笑いなどの番組を見ることがないため、M-1ももう長らく見ていませんでした。

特に興味もなかったのですが、今日ネット上のある記事が目に留まりました。
2年連続で準優勝だったという和牛というコンビについて、特別王者の称号を与えてあげたいというような記事でした。
何の気なしに読み始めたところ、記事を書かれた方の漫才に対する熱い思いや、ネタの細かい分析など、書かれた方がどれだけM—1やお笑いを愛しておられるのかがひしひしと伝わってくるものでした。
また、こういう見方もできるのかとしみじみ感心すると共に、記事を読み終えた後には、M—1見ればよかったな、和牛というコンビのネタ、見てみたかったな…という気持ちになっていました。

全く興味がなかった人間に対して、ネタを見せるでも、一部を文章で紹介するでもなく、ただ状況を端的にまとめ、それに関しての意見を述べるだけで、見てみたかった、もったいないことをしたと思わせる文章力に感心すると共に、これは単に文章力というだけでなく、愛情によるところも大きいのだろうなとも思いました。

(因みに、この記事です。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53697)

そんなことを思っていて、ふと思い出したことがありました。
大学時代、漢文学の授業があったのですが、帰り点も送り仮名に何もない白文の状態のものを日本語訳し、内容を味わうというような授業で、英語なら単語の区切りもわかりますが、お経のように漢字が等間隔で並んでいるような文を読み下すのは、なかなか大変だった記憶がうっすらと残っています。
漢文が好きだったわけでもなく、その授業の予習をするのは大変で、同じ授業を受講していた人たちも多くは受け身で授業を受けていた感じでした。

授業を受け持っておられたのは、恐らくまだお若いのだろうなという風貌の講師の方だったのですが、今でも思い出すことがあります。
その先生の授業を見ていると、その先生が心から漢文学を愛し、楽しんでおられるんだろうなということは毎回ひしひしと伝わってきて、その姿を見ることが楽しみでさえありました。
その先生の授業だったからこそ、何とか最後までがんばることができたと言っても過言ではないように思います。

その時に感じたのは、同じことを習うのなら、それを心から愛し、楽しんでおられる方から習うのがいいなということでした。楽しいよ、面白いよと教えてくれるのと、ただ仕事だからという感じで教えてくれるのとでは、もしその内容に興味がなかった場合、後者の指導は苦痛さえ伴うかもしれません。
また、たとえ興味がなかったことでも、それを心から楽しそうに教えてくだされば、もしかしたら面白いのかな?と興味を抱くこともあるかもしれません。

「好きを仕事にする」というのは難しいという意見もある一方で、好きだからがんばれるのだから、好きなことを仕事にすべきだという意見もあります。
どちらの考え方ももっともだと思えるところがありますし、人によってや仕事によって、どちらがより当てはまるかなども変わってくるのかもしれません。
ただ、人に何かを教える仕事の場合、それを心から好きだ、面白いと思っている人の方が、教えられる側にはよい影響を与えやすいのではないかなという気もします。

私はそこには至れていない気がしますが、子ども達にできる限り「楽しさ」を感じてもらえるよう、がんばっていきたいと思います。

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2017年12月 4日 (月)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年12月 3日 (日)

満12年

今気づきましたが、このブログを書き始めたのが2005年12月1日でした。
最近はかなり内容のない形だけの更新も増えてしまっていますが、まる12年、毎日何か書くということを続けられたこと、少し感慨深いです。
いつまで続けられるかわかりませんし、ブログの時代はもうとっくに過ぎ去っている気もしていますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年12月 2日 (土)

知らなかったことを知る喜び

今日のレッスンでの出来事です。

算数は割と好きな印象を受ける年長さんのレッスンがありました。
元気なときはかなりできる子なのですが、まだ年長さんなので、やりたくない課題だとてきめんそれが表情や態度に現れたり、眠くなったら全く考えられなくなって悲しくなったりということも珍しくありません。

その子は点つなぎの課題が好きではなく、毎回ちょっと嫌そうにしているのですが、今回のレッスンでも点つなぎをし始めた時点でやる気が完全に失われた感じになり、その後の普段なら割とスイスイ取り組んでくれる問題にも手こずり、これは困ったな、この状態で新しいことをしたら、難しいという印象が残ってしまうかも…と、次にやる予定だったことを次回に回そうかちょっと迷いました。

ただ、ひとつを次回にすると、その続きでする予定のこともできなくなるので、まずは一度さらっと提示してみて、無理そうだったら次回にしようかと、とりあえず当初の予定の課題をその子の前に出しました。
初めは前回と宿題とでやったプリントから、いくつかの式を別のプリントに書き写すという作業だったので、表情はまだ先ほどの嫌そうな雰囲気を残していたものの、ひとまずすんなり作業を終えてくれました。

その子は今はまだ20までのたす・ひくをしているのですが、その終盤に差し掛かっているので、15□7=8のように符号の部分を□にした問題で、たすかひくかどちらを入れたらいいか考えてもらう問題をしてもらいました。
ただ、この問題を作る際、答えが大きくなっていたらたす、小さくなっていたらひくを書けばいいんだと気づいてしまえば、ほぼ考えなくても正解できてしまうため、どちらの計算でも答えが合わない問題も入れておきました。

例えば「3□6=18」のようなもので、問題には、□には+か-、どちらでもないときは×(バツ)を書きましょうという風にしておきました。

そして、□の中に「×」を書いた式をプリントに書き出してもらったのですが、足しても引いても合わないものの、かけ算をしたらその答えになる、答えが20までの範囲の式を入れておいたのです。
式を拾い出して別のプリントに移し終えた後、算数では「×」と書いて「かける」と読み、3×6は「3+3+3+3+3+3」と同じことだというような説明をしました。(小さい子でもわかるような言い方は心がけましたが。)

それまでげんなりしてやる気が失われていたので、こんな難しい話を突然されたら拒否反応を示すのではないかと少し心配で、説明を始める前に「2年生のお勉強だから、今はまだわからなくってもいいんだけどね」と断って話始めたところ、「え?かけ算するの!?」と突然顔がぱ~っと明るくなったかと思えば、そこからは完全復調。

拾い出した式が本当にその答えになるか、足し算で確かめをしてもらって、次のプリントに進もうとしたところ、普段も教室でしたプリントは全部持って帰ってもらうのに、「これ持って帰ってもいい?」と聞いてきて、「いいよ」と言うと、何とも嬉しそうな顔をしました。
その後は絶好調でスイスイ課題をこなし、ニコニコ笑顔でレッスンを終えることができて、私だけでなく、様子を見ておられたお母さまもびっくり。

2年生の勉強、お姉ちゃんがしている勉強を自分もできたということが、どうやらとても嬉しかったようです。
その姿を見て、そういえば小さい子達は新しいことを学ぶと、こんな風に嬉しそうにすること、結構あるんだったなと思い出しました。
本来、知らなかったことを知ること、できなかったことができるようになることは嬉しいことなんですよね。そんなことを小さい子達は思い出させてくれます。

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2017年12月 1日 (金)

疲れと頭の働き

12月がスタートしましたね。
今月もどうぞよろしくお願いいたします。

もう算数に対して強いアレルギーが出ているということでうちに来てくれるようになった子がいます。
初めの何か月かは確かにこれは学校で辛いだろうなという感じで、仮に学校で先生が教えようとしても拒絶されたりもしておられるかもと、そんな様子が見られました。

それでも拒否反応がだんだん和らいできて、いい感じに安定してきたなと感じられるようになり、今回の懇談でもかなり落ち着いて取り組めるようになったと言われたとのお話を伺って、よかったなと思っていました。

その子は普段は学校がお休みの土曜がレッスンなのですが、今週は振替をご希望で平日にレッスンに来ました。
すると、レッスンを初めて間もなく、何カ月ぶりかに以前のような拒否反応が出て、説明しようとしても拒絶、自分から絵を描いたりして考えられるようになっていたのに絵を描くことも拒否、タイルの図を見ながら考えてみてと伝えてもそれも拒否と、お手上げ状態になりかけました。

来たときに「疲れた」と言っていたのですが、まだ低学年なので、学校で5時間なり勉強をしてから、終わってすぐこちらに来てくれて、引き続きレッスンとなったことが、きっと影響したのだろうと思います。

先日、別のご姉弟でも、普段土曜に来られているお子さん達が平日に振替になったとき、まだ年長の弟さんが絶不調で、普段なら軽々と解いてしまうようなものまで間違いが多発。そのうち気分もますます沈んでいき、もうどうにも考えられなくなってしまいました。

幼児、低学年のうちは特に、体力的なものの影響は大きく、疲れていたり眠かったりすると、普段とは別人のようにできなくなったりということは珍しくありません。
眠そうにしているときは眠気覚ましに立ち上がってもらったり、伸びをしてもらったりなどすることはできますが、疲れはどうにもならないのが辛いところです。

ただ、そういう意味ではまだ小さいお子さん達はコンディションによって頭の働きが左右される度合いがかなり大きいのだろうとも思います。
おうちで宿題などをする際、できるはずの問題で間違いが多発したり、とても嫌がったりするようなときには、学校などで疲れたとか、何か嫌なことがあったとかいうことが原因の場合もあるのではないかと思いますので、少し気にかけて頂けたらなと思います。

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