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2017年11月30日 (木)

図形の力

空間認知の能力に関しては持って生まれたものによる部分がかなり大きいように身をもって感じていますが、仮に持って生まれた力としてはあまり長けていなくても、幼児期や小学校低学年頃までの間に経験させることで、ある程度その力を伸ばすことができるようには思います。

また、高学年や中学生になってから、苦手な図形分野の力を伸ばそうとしても、小さい頃に意識的に取り組んだ場合とくらべると、かけた時間に対して成果は出づらいだろうという気もします。

しかし、中学校の数学になると、計算中心の範囲ではあまり差がつきにくく、また、関数も図形がらみの問題がかなりあることを考えれば、数学で習う内容の半分以上が図形がらみの単元とも言えるかもしれません。
そうなると、中学校の数学で図形分野全般に苦手だと、かなり厳しい状態になることも考えられます。
もちろん、中学の数学の範囲ぐらいであれば、大量に問題演習をするなどして、こういう場合はこんな風に解けば解けるという風に覚えこんでしまう方法である程度まで乗り切ることはできますが、そのままの状態で高校に進むと、高校で数学を諦めてしまうケースも少なくないのではないかと思います。

それを思えば、やはり小さいうちから図形に親しむ機会を意識的に設けてあげるのが、長い目で見ても子どもにとってプラスになるのではないかと思います。
私が言いたいのは、決して小さいうちからプリントやドリルで練習をさせてほしいということではなく(むしろ、小さいうちにそういうことをし過ぎるのはマイナスに働くことも少なくありませんので)、積み木遊び、折り紙遊び、切り絵遊び、ブロック遊び、プラモデル遊び、紙工作、粘土遊びなど、ほかにも色々考えられるかと思いますが、実際にものを使って色々な形に触れ、紙を折ったり切ったり開いたりし、積み木を詰んだり動かしたり回したりし…と触れて、目で見て、ああ、こんな風になるんだ!という経験をたくさんするのがいいと思うのです。

例えば、幼稚園受験、小学校受験などのためのドリルやペーパーなどが色々あるかと思います。
その中で、折り紙を2つに折って一部を切りとり、広げたらどんな風になるかを選択するようなものがあります。それを教室などでは、考え方、解き方を教えるところもあるようですが、そんなことをしなくても、実際に折り紙を折って切りとり、それを広げさせてみる、そういうことを何度かさせるだけで、解き方の説明などしなくてもほとんどの子が答えを選べるようになるはずです。

逆に言えば、例えばドリルなどの図形問題を見た子が、初見の問題で何も解き方の説明を受けていなくてもあっさりと正解を選ぶことができる場合、その子は頭の中でイメージできているということだろうと思います。逆に、そこでイメージできていないようだと思われる場合は、解き方を教えるのではなく、実際に具体物を使って確かめさせる方が大事だろうと思うのです。

図形に関する力は算数や数学に限らず、日常生活においてもあるに越したことはない場面が多々あるのではないかと思います。(例えば、収納スペースに入れたいものが収まるかどうかや、買い物をしたときにどのぐらいのサイズの袋が必要かなどを判断したりするのも空間認知の能力に関わっているのだと思います。)
ですので、この子はちょっと苦手そうだなと感じられることがあれば、積極的に具体物での経験をさせてあげてもらえたらなと思います。

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2017年11月29日 (水)

プロ

今日は年間予定でレッスンがお休みだったので、ちょっと美容院に。
私は生まれたときから超直毛で全く癖のない、ボリュームのない髪なのですが、なぜかここ最近これまではそんなことがなかった気がするのに、普通に髪を乾かすと、前髪が真ん中でぱかっと分かれるようになり、また、ただ乾かしただけなのに、左の方の髪が寝癖のように外はねするようになりました。

なんでだろうなと気にはなったいたものの、たまたまかな、乾かし方が悪かったのかなと思って、やりすごしていました。
美容院に行ったついでに何の気なしに、最近前髪が真ん中でぱかっと分かれるんですと話すと、少しその辺りを見てから、「ほんとですね、上の髪は大丈夫ですけど、下の髪の毛流れが分かれてますね。そんなことなかったのにな。」とさらっと答えられました。
更には左の方がはねるというのも、「ここも毛流れが外側に向いてますね。なんでかなぁ。」と。

ひと言言っただけで、頭皮や毛穴?を見て、すぐに毛の流れがどっちを向いているかが判断できたことにも感心しつつ、私が前にも相談していたのならともかく、前は違ったのにと普通に答えられたことに驚き、「見ておられたんですか?」と尋ねると、「毛の流れとか見ながらカットしますからね。」とまたあっさり。
原因はわからないものの、どう対処すればいいか、髪の乾かし方などを教えて頂くことができました。

以前皮膚科に行ったときにも、事前に何も言っていないことまで診察の際にチェックしておられ、思い出してお尋ねしたところ、気になっている箇所も既に見ておられ、瞬時に的確な回答が返ってきたことに、さすがプロは違うなと思ったのですが、今回もそれに似た感情を抱きました。

自分の「常識」では気づかないことも、その道のプロの目から見ればいともたやすく気づくということは、きっと色々あるんだろうなと思います。
その一方で、私はそんな風に思ってもらえるようなことが何かあるんだろうかと、もっとがんばらなくてはいけないなと感じる出来事になりました。

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2017年11月28日 (火)

細かいことだけど

今日のレッスンでのこと。
自分で作っている教材にはどう思うか自分の考えを書いてもらったり、説明をするより先に答えを予想してもらったりというものを多く入れているのですが、今日、ある子に表やグラフの関する学習をしてもらうことになり、項目と人数を箇条書きにしたものと表にしたもの、棒グラフにしたものを見くらべて、どんな違いがあるを感じるかを書いてもらうというものが出てきました。

自分の考えを書くわけなので、絶対の正解があるわけではありませんし、とりあえず書いてもらったものを見てOKするかどうか判断することになるわけですが、その子は箇条書きのものや表より棒グラフのほうが「人数が見やすい」という表現をしました。
大人ですから、その子が言いたい「見やすい」はおおよそ推測できるわけですが、仮にここでマルにしてしまった場合、この先どこかでこのような問題に出合ったとき、マルがもらえないかもしれません。
そこで、わざと意地悪をして「人数が見やすいって、表だったらこれは5人なんやんな、こっちは8人かって見てすぐわかるけど、棒グラフだとこの高さは…8人かって見なくちゃわからないから、表の方が見てすぐわかるよ?」というと、表現を変えたものの、その子が書きたかったであろう意味での「見やすい」はどこかに行ってしまいました。
どう感じるかなので、その子が書き直した答えは一応正解にできるものではあったのですが、それをマルにした後で、どれが一番多くてどれが一番少ないかや、その違い、多い順などを見るのにグラフが一番わかりやすいという意味だったのではということを確認しました。

これはひとつの例ですが、子ども達がいうこと、書くことは、大人からすると、こういうことが言いたいんだろうなと推測できるものが少なくないだろうと思います。
また、文法的に間違っていたりしても、会話の中であれば特に訂正などもされないことが多いのではないかとも思います。
でも、小さいうちから推測して理解してあげたり、文法的な間違いを改めてあげないことを繰り返していると、子どもの力を伸ばすチャンスをみすみす逃しているのかもしれないなとも思うのです。

楽しく会話をしているときにいちいち訂正するのはちょっと…というようなことももちろんおありだと思いますが、ちゃんと聞いた上で、さらっと「ほんとはこういうのよ、知ってる?」(「知ってる」も国語的には間違っていますが…。)と正してあげることで、正しい使い方を意識することができるのではないかと思います。

また、子どもの作文や日記などでも「楽しかったです」とか「面白かったです」とかでまとめてしまっているようなものを、何が楽しかったのか、どんなことをして面白かったのかなど、もっと掘り下げさせることも、毎回ではなくても意識的に働きかけることで、より深く考えるようになったり、より詳しい文が書けるようになったりするのではないかなと思います。

文を書く力や正しく伝える力は一朝一夕にはつくものではないだろうと思います。それだけに、子どもの頃からのちょっとした積み重ねも大事になってくるのではないかなと思います。

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2017年11月27日 (月)

振替レッスン

先週ほかの曜日の方の振替の加減で今日に振替をして頂いた方のレッスンがあり、月曜ですが出勤していました。
色々予定外のことが重なられ、少し遅れて到着された上、かなり早めに切り上げざるを得なくなり、時間の不足分は後日調整させてもらうことになりましたが、レッスンしたようなしなかったようなという感じで終わりました。

その後は教材の手直しなどをしていたのですが、1年目や2年目に作ったものを見直すと、自己流ではあるものの、そして微々たるものではあるものの、教材作りの作業に関する技術はこれでも一応進歩しているんだなと感じます。
こんな歳でもまだ成長できることもあるんだなという気もしますが、臆病で新しいことにチャレンジをしようとなかなか思えない性格なので、脳のためにももっとやったことのないことをしたり、知らなかったことを学んだりしなくてはなぁと、そんなことも感じます。

今週は水曜が5週目でお休みになりますが、もう11月が終わるのですね。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年11月26日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年11月25日 (土)

頼もしくなったね

これまで何度も書いている子のことですが、今日のレッスンでも改めて本当に成長したなぁと感じることがありました。
学校では掛け算の学習が始まっているようですが、まだ全ての段は習っていないとのことで、暗唱もできる段とできない段がある状態でした。
とは言っても、教室では九九の暗唱はさせず、考えて答えを出すということに重きを置いていて、覚えるのは学校で覚えるよう言われてからでいいと思っていますので、その子も覚えていない段も答えは出せるはずです。

ただ、これまでの子達の中には学校で公式を習ったり、九九を暗唱するようになったりすると、それまでは考えていたのに、覚えたことを思い出すことに一所懸命になり、思い出せなければ解けないと言い出すような子もいました。
また、この子自身、教室で一緒にやったことを、少し違う方法でおうちや学校で教えられると、こちらでは意味が分かるように、何をしているかわかるようにと努めているのですが、どちらのやり方も曖昧になって、できていたことができなくなってしまうようなことも過去には何度かありました。

そういうことが繰り返されると、この子は算数に関してはちょっと辛そうだなと思うこともなかったとは言えません。
この子にはほかにたくさん素晴らしいところがあるので、たとえ算数が苦手でも、それもひとつの個性なんだろうと思っていましたし、できることなら学校の授業で困らないぐらいになってくれたらいいのになと、以前は思っていたのです。

それが、学校で九九を一部暗唱し始めても、まだ習っていないところはしっかり考えて答えを出している上に、実は算数のセンスが結構よさそうに感じる子達でも、暗唱をしていない段階では、×8や×9であっても、2回足して、それを2回足して…のように繰り返し足し算をして出すような子もいますし、6×7などを考える際、大抵の子は5の段の答えを出すことは結構簡単にできるので、「7×5はなんだった?」と尋ねると「35」と答えられた場合、「6×7」は「7×6」と同じだから、35に「7」を足せばいいのですが、式が逆に書かれていると、「6」を足してしまうというようなミスをする子も珍しくはありません。

しかし、その子を見ていると、私は全く何も言わずに見て頂けなのですが、「×8」の式は当たり前のように×10から2回分を引くという方法で考えており、またその2回分の足し算の計算もいつの間にか随分と速くなっているのです。
また、×5の答えにあと1回分足せばいいような考え方をしたときなども、ちょっと考えてから動き出し、全くミスをしないのです。

計算のスピード的にはややスローではあるものの、本当に力をつけたなぁと、しみじみ感心しました。
1年生の頃のあの子はもう今はどこにも見当たらなくなったようです。

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2017年11月24日 (金)

何の差なんだろう

子ども達はみんな、それぞれ違っていることはよくわかっているのですが、算数が得意な子、算数の能力が高いと思われる子にも、それぞれ得意不得意があったりもします。
多くの子が苦労する問題というものもありますし、得意な子でも問題を勘違いするようなものもあり、普段のこの子だとこの問題は助けが必要かもしれないなと予想していたら、いい意味で見事に裏切られるようなこともあります。

今日のレッスンで、その子達はそれぞれ算数のセンスは結構ある子達ではあるのですが、得意な子でも結構勘違いすることが多い問題をひとりの子はあっさり正解。もうひとりの子は、得意な子でも苦戦することが多い問題をこれまたあっさりクリア。
その一方でそれぞれの子が、え?なんでこの問題で苦労するの?というようなこともあったりして、色々な子をずっと見ているものの、いつまで経っても「このタイプの子はこういうものは得意でこういうものは苦手」というようなひとくくりにできるようなものが見つかりません。

正に一人ひとりみんな違うということなのでしょうね。
だとすれば、そんなにみんなが違うのにそれを30人、40人と一緒の教室に入れて一斉指導で理解させるというのは、本当に本当に難しいことなんだろうなとも思います。学校の先生方のご苦労は計り知れないものがあるのでしょうね。

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2017年11月23日 (木)

勤労感謝の日

今日はレッスンはお休みで、代わりといっては何ですが、自宅マンションの排水管清掃の予定になっていたため、終わるまでは出かけることもできず、終わってからも用事を済ませに少し出かけたらすごい人で、元々人が多いところが苦手なもので、疲れてしまってその後はまた家で引きこもっていました。

今日、晩遅めの時間にNHKで元東芝の研究者の方々のドキュメンタリーをやっていたのですが、フラッシュメモリの開発者の方やその部下の方達が出られていて、とてもいい番組でした。
ただ、それを見ながら、昔は日本の技術は素晴らしいと言われていたのに、最近見聞きするのは、偉大な発明を日本では評価されなかったというような話だったり、優れた研究者を評価せず、その方が海外に出てしまわれるとか、その一方で中国や韓国などでは研究者に対してこんな厚遇をしているよというような話だったり、このままでは日本は本当にダメになってしまうのではと思うようなものばかりです。

国立大学の研究費までどんどん削られているというような話も聞きますが、そうなるとますます研究をつづけるために優秀な方々は海外に拠点を移し、海外でその研究を認められるということが増えていくのではないかと。
今の日本は借金だらけなのは知っていますが、お金の使い道を間違っているような気がしてなりません…。

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2017年11月22日 (水)

教えることで失うもの

子ども達とレッスンをしていると、時々、自分にとってはこの問題はこう考えるのが「普通」と思っているようなものに対して、子どもが思いがけない発想で答えを出すことがあり、そんな場面に出合うたび、驚きと喜びを感じるのです。

これは初めに解き方を説明するスタイルの場合、恐らく出合うことのない場面なのではないかなと思います。
説明してしまえば、話を聞いていない子やなんとしても自分でオリジナルの方法を考えたいと思うような子以外は、習った方法を再現するからです。

算数や数学のセンスがある子、まだ頭が柔らかい子達は、私にはない視点で、時にはその方法の方がずっと簡単だねというような方法を見せてくれたりすることがあるのです。
そんな場面に出合えた時には、「すごいね!思いつかなかったわ!」などと手放しで称賛できますし、心からの言葉なので、子どもも嬉しかったり、自信をつけたりしてくれるのではないかと思います。

今回の中2の子とのレッスンでも、数学は好きではないらしいもののセンスがかなりある子が、解答解説に書かれている方法とも私が考えていた別の方法とも違う、しかし、それに気づけば圧倒的にそれが速くて簡単に解ける方法だなというものを使って、ある応用問題を解いてくれました。
図を見て、私はひとこと、ふたこと何か言ったところ、おもむろにある部分の長さを1だと言って解き始め、なぜか尋ねても説明はうまくできない様子でした。そこで、その子が気づいたのであれば恐らくあっているのではないかと思い、そのまま解いてみてと伝え、どう考えているのか私なりに考えを巡らせていたところ、あ!もしかして!と思い至ったので、その子が正解を出した後、こう考えたってこと?と推測した方法を言ってみたところ、「うん、そう。」と。

一応私の立場は教える側で、先生と言ってもらったりもしているわけですから、本来であれば何でも子どもより良くできて、何でも説明できるのが望ましいのかもしれません。
また、先生という立場だと、生徒よりよくできないといけないという思いから、学校などでは教えた方法で解かなければならないというような制約をかけられたりすることがあるのかもしれないなとも思います。

自分の能力が十分に高くはないことの自覚はあるので、なんだこんなこともわからないのかと子どもに思われることもあるかもしれないなと思っていますが、自分が思いついていなかった考え方を子どもが教えてくれるというのも、この教室ではあっていいのではないかなと、そんなことも思ったりします。(もちろん、子どもに取り組んでもらう問題を私が解けないというのは論外ですが、自分になかった発想を子どもが教えてくれるというのはあってもいいのかなと、そんな風に思います。)

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2017年11月21日 (火)

嬉しい瞬間

今日のレッスンでのこと。
自分で作っている教材では、これまでより更に、実際にものを使って感じてもらうことをできる限り取り入れようと試みているのですが、今日来た子のひとりに、「のりしろ」の問題を実際に15cmの長さの紙テープを糊で貼りながら考えてもらいました。

初めに2本を糊でつないで1本にし、そのときの全体の長さを考えてもらい、更にもう1本をつないでもらい…と5本まで繋いで、それぞれの長さを考えてもらいました。

すると、初めは「15+15=30 30-2=28」という風に解いたこともあり、3本をつないだ長さを求めるときには「28+15=43 43-2=41」、4本なら「41+15=56 56-2=54」…というように、前の長さにもう1本をつないで、そこからのりしろ1つ分を引くということを繰り返して解いていました。

もちろんそれで正解なのですが、順番にそれを繰り返したら、計算がちょっと面倒だよな、どうしようかな、何か言うべきかな?と迷いつつ、ひとまず次のプリントを渡してみました。
次のプリントは1本20cmの紙テープをのりしろ3cmでつないでいくものだったのですが、2本、3本までは先ほどのような解き方をしていたその子が、私は全く何も言っていないのに、「あ、この方が簡単やわ」とかつぶやいたかと思えば、「20×4=80 3×3=9 80-9=71」のように解き始めました。

この子は今年になって来てくれた子なのですが、当初は言われたことはきちんと覚えてその通りにできるというタイプの子だったのが、やり方を覚えるのではなく考えて解くということを繰り返すうち、だんだんと初見の問題でも自分で絵を描いたりしながら考えられるようになってきていました。
そして今日はまた、私の目の前で、何も言わなくても紙テープとのりしろの数の関係に気づき、更には順に足したり引いたりしていくより、先にテープの本数分かけ算をしてしまって、そこからのりしろ分を引くのが簡単だということまで発見してくれたのを見て、とてもとても感動してしまいました。

まだ3年生ですから、これからますます進化していきそうでとても楽しみです。

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2017年11月20日 (月)

振替レッスン

普段は月曜は固定のレッスンがないのでお休みか事務仕事をするかということが多いのですが、今日は試験前で振替の中学生とのレッスンがあり、出勤していました。
明日が数学の試験ということで、ひと通りは前回までのレッスンで確認しており、今日はもう少し応用の問題をして、最後に前回までに間違えていたものを確認して終わろうと考えていました。

しかし、一体何がどうなったのか、前回までは普通にできていたことができなくなっていたり、最後には今回の試験範囲では基本中の基本、それを覚えておかないとどうにもならないようなことまで記憶があやふやになったりと、今日来てもらったことがかえってマイナスになったのではないかと、申し訳ないような、一体何があったのか戸惑うような、何とも複雑な気持ちになりました。

子ども達は日々コンディションが異なり、前回できていたことが今回はできなくなったり、レッスン中でも今できていたことが突然できなくなったりということはありますし、試験に関しては前日に調子が良すぎると当日にコケる子もいますので、今日の子が今日たまたま絶不調で、明日は調子を取り戻してくれるといいのですが…。

あっという間に11月も20日。明日からは下旬に突入です。
月曜にレッスンをしたのでどうも曜日の感覚が1日前倒しになってしまっていますが、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年11月19日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年11月18日 (土)

今週も無事終了

今日は振替が入ったこともあり、来てくれた子どもが普段の土曜より少し多く、時間も長く、終わったら「あぁ、終わったぁ~」という感じでした。
ですが、その後パソコン仕事をし始めてしまい、よく仕事したなぁという1日になりました。
くたびれて帰宅し、食事をし、ブログを更新せぬままのんびりしていたら寝入ってしまい、何を書こうと思っていたのか思い出せず…。(汗)

あっという間に11月も半ば過ぎ。師走も目の前ですね。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年11月17日 (金)

成長

1年生の頃から来てくれている、今は3年生の子とレッスンをしながら、しみじみと成長を感じました。
その子は1年生の頃、かなりの頻度でどこかにはまり込んで、どう声掛けをしてもそこから抜け出すことができず、時には泣き出したり、時には怒り出したり、自分の力不足を何度も何度も感じることがありました。
それがある時を境に急激に安定感を見せ始め、それに伴ってできることも増えていったのですが、それでも問題文を読むのを面倒がったり、じっくり考える前になんとなく思いついた答えを「これ○○ですか?」と尋ねてきたりということもありました。

3年生になって更に力をつけてきたように感じていたのですが、今日のレッスンでは小数の文章問題を私が何も言わなくても自分でしっかり問題を読み、中にはうっかり間違える子が多い問題や、文が長くて難しく感じるような問題などもあったにも関わらず、全て次々と式を書き、完璧に解き切ってくれました。
見ていて惚れ惚れするような安定感で、1年生の頃とは別人のような頼もしささえ感じました。

子どもは確かに成長しているんですね。

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2017年11月16日 (木)

間違いを減らすには

このところ、週2回ある中3の子とレッスンをさせてもらっているのですが、その子は小学生の頃から図形が苦手で、頭の中でイメージできる範囲がかなり限られている印象があったため、中学になってもやはり図形がらみのところでは苦労してきたようです。

イメージできるかどうかは持って生まれた能力による部分がかなりあるように思うので、努力だけでは補い切れないわけで、入試までというリミットを考えると、何をどこまでやるか、何はひとまず捨てるかの判断も必要になってくるのかなと思っているところです。

その子と期末試験に向けて、相似比を使って解く問題のあたりをしていたところ、宿題としてしてきた問題の中に何問も、図を見て明らかに間違いとわかる答えがいくつも目につきました。
例えば、平行線を使って、指定されたところの長さを求めるような問題で、図の関係からして絶対求めるところの方が長いのに比の置き方を間違えて短い答えを書いているというような状態のものがいくつもあったのです。

なぜ間違えたかは問題を見れば推測できるものばかりでしたし、間違い直しをしてもらうと直せるようなものがほとんどだったので、結局はその子にとってその間違いはケアレスミスの類になるのだろうと思います。
そこで、問題を解き始める前に求めるべきところの長さがどのぐらいになりそうか、図を見て答えの予想を先に全て書かせ、その後問題を解いてもらったところ、予想がそのまま正解だったものも少なくなく、予想から大きくかけ離れた答えが出たものは間違っていました。

それを見る限り、その子に関してはその類の問題は解き始める前に予想の答えをどこかに書いてから解き、出てきた答えが予想とかけ離れている場合は解き直しをするというルールを決めることでケアレスミスを減らせるのではないかと思います。

「ミスしないように」というのは簡単ですが、どうすればミスを減らせるかはそれぞれ考えなくてはいけません。
特にミスをしていないか見直しをするようにというのは子どもの頃から私も言われてきたことですが、自分で出した答えを見直す場合、どこかで合っていると思って見直すため、結局ミスに気づかない場合も少なくないように思います。
計算などでは確かめ算をするとか、計算をし直すとかしかチェックのしようはないかもしれませんが、図形の問題などでは「見た目」による予想というものが使える場合があるのではないかなと思います。

その昔、まだ私が教室を始める前に見ていた子の中に、数学がとても苦手だけどどうにか解ける方法を考えたということで、一次関数の傾きや切片などを図の長さを測って長さの関係から割り出すというような方法を見出した子がいましたが、グラフや相似な図形などは図のバランスを変えると問題に合わなくなるような場合があるので、正確なバランスで描かれていることが多いように思います。(難関校などでは敢えて変なバランスの図にしてくる場合もありますが。)
そういう意味では見た目で予想するというのもひとつの方法になり得るのではないかなと思います。

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2017年11月15日 (水)

絶好調続く

これまでにもたびたび、その日のレッスンの初めの子が不調だとなぜかその日は不調な子が多かったり、好調なスタートだと好調な子が多かったりということがありましたが、今日はその後者の日だったようです。
最初のレッスンにきた子は前回寝起きでダメダメな感じで登場し、今回は前回かなり抵抗を示した内容をまたやらなくてはいけなかったので、内心ドキドキしていたのですが、やり始めたところどんどんぐんぐん進んでいきます。
え?そんなにできるの?じゃあこの前あんなにできなかったのは何??というぐらいのギャップに驚きつつも、結局レッスン中唯一もじもじしたのが、こちらでも学校でも既習の引き算の筆算の仕方を忘れていたということぐらいでした。

それもまたびっくりなのですが、その子は筆算を書かなくても「12m25cm-5m47cm」のような問題を普通に解いていて、突然1問だけ答えが合わなくなったので、おさらいの意味で筆算でやってみてと言ったところ、なんだか気まずい雰囲気に。(苦笑)
もじもじしているので、「え?ここでも前にやったし、もう学校でも習ったよね?学校だと10借りてきてとか習わなかった?」と尋ねるも、まだもじもじ。
「もしかして、学校で習ったときも暗算でできるからと思ってちゃんと聞いてなかったの?」と尋ねると「うん…。」と。(苦笑)
まあ、学校ではまだ2ケタ同士かせいぜい3ケタ同士ですから、その子は筆算をしなくても解けていて、困らなかったということでしょう。本来なら「省エネ」の方法の方が覚えられないのも面白いものだなと思いましたが、その子は数の感覚は随分身についている感じなので、今のところは心配ないかなと思っています。

更にはその後に来た子達も概ねみんな好調だったのですが、中でもまだ2年生で少し前から割り算の学習が始まり、今日は何十や何百、何千何百などの数を2桁の数で割る暗算や、2桁や3桁の数を2桁で割る筆算をすることになっていました。
学校では今ようやく掛け算を習っていて、その子は九九はほぼ覚えたようではありましたが、数が大きくなるしどうかなと思いつつ、まずはちょっと考えてみてと言ったところ、驚くほどスイスイと解いていき、初めの560÷70ぐらいなら、その子はまあ困らないかもと思っていたものの、620÷80や4800÷80などになっても全く間違わず、もうびっくり!(例えば560÷70を56÷7で考えているような場合、620÷80などの問題でうっかり余りを間違える子は結構いるのです。)

「なんでそんなにできるの?!」と驚いて尋ねると、「さぁ、知らん。」との答え。(笑)余りまで間違えずに出しているということは、きちんと意味を理解しているのは間違いないと思いますので、本当にびっくりしました。

そのほかにも小数の学習をしていた子で2.5の10分の1の数だとか3の100分の1の数だとかいうような問題を、一、二度は「1の10分の1は何だった?」とか「1の100分の1は?」と尋ねたものの、その後は全く何も声かけしなくてもバッチリ次々正解していき、これまた驚かされました。(10分の1にしたら小数点が1つ動くというような説明は一切していません。)

なんだか今日は感動に次ぐ感動の1日でした。

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2017年11月14日 (火)

自然に考えさせる

教材を作っていく中で意識して取り入れていることの一つに、何か新しいことを学習する際に、まず考えてみてもらうよう促すということがあります。

これまで使ってきた教材は必要な語句などの説明は書かれており、それ以外は全く何も書かれていないというような感じのつくりなのですが、例えば角度の学習で180度より大きな角度を分度器で測る方法については、プリントに説明が書かれていました。
提示されている方法は180度より小さい側の角度を測ってから360度から引くというものなのですが、学校ではそれとは別に角を作っているどちらか一方の線を伸ばし、180度とそれより大きい部分とに分けてから、180度を超えている部分の角度を測って足すという方法も習うようです。(むしろそちらを主に教えられることもあるようです。)
多くの子は引き算より足し算の方が好きですから、線で区切って足し算をする方が簡単に感じる子の方が多いのかもしれません。

ただ、その両方の方法を与えられた角度によって使い分けられるのがより望ましいのだろうと思いますし、片方の方法を教えられたら、恐らく少なくない子がその方法だけを覚えて使うのではないかと思います。

そこで、分度器を使う学習内容のプリントでは180度より大きな角はどうやって測ればいいと思うか考えて書いてみましょうという問いを180度を超える角の図を添えて作りました。
今回、ある子とそれを使ってレッスンをしたのですが、その子は少し考えて180度とそれより大きな部分とを分ける線を引き、180度を超えている部分を測って足す方法を答えてくれました。

そこで、よく思いついたねと言って、その方法でいいんだけど、こんな方法もあるよともう一つの方法を説明し、どちらでもやりやすい方でやったらいいからねと伝えました。

いちいち線を引くのが面倒だと思う子なら線を引かずにできる方を選ぶかもしれませんし、例えば、360度に対して欠けている部分が小さいものなどは欠けている部分を測り、270度ぐらいまでなら分割するというように使い分ける子もいるかもしれません。

これはひとつの例ですが、このように「どう思いますか?」という問いをなるべく取り入れています。仮に考えても何も思いつかなかったとしても、まず自分で考えてみた後説明されるのと、何も考えることなくいきなり説明されるのとでは、聞こうという姿勢や頭に残る度合いなどが変わってくるのではないかと思いますし、何より、説明されず自分で考えたものが合っていたら、それは嬉しいことだろうと思うからです。
更に言えば、考えたらわかる子は説明されるのは退屈なことですから、その時間を省いてあげることもできますから、いくつも利点があるのではないかと思っています。

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2017年11月13日 (月)

色々なニュースを聞くたびに

もともと、ニュースというのは事件や事故が中心になるものでしょうから、楽しい話題や嬉しい話題より、悲しい出来事や腹立たしい出来事を見聞きすることになる方が多いのは仕方ないことなのだろうと思います。

それでも、それはさすがにちょっと冷静になれば対処できたのでは?と感じる事件や、もう少しものを知っていればそうはならなかったのでは?と思うような出来事などがあるのも事実です。

今日NHKの番組でネットリンチについて取り上げられていましたが、匿名であるのをいいことに間違った正義感を振りかざし、それによって誰かを追い込み、時には死に追いやってしまうことさえあるという話で、インターネットが広く普及し、誰でも手軽にアクセスできるようになったために、間違った情報でも瞬く間に広がり、広がってしまうと訂正しても追いつかないというようなことが起こりやすくなってしまったようです。

最近目にした注意喚起では、SNSなどで人探しやペット探しなどの内容のシェアを目にする機会がありますが、ああいうものの中に、ストーカー行為やDVなどをした側が相手を探し出すためにしている場合があるので、出所が警察署のもの以外は安易にシェアしてはいけないというものがありました。
そんなことは注意喚起されていなければ、純粋なる善意でシェアしてしまう人は少なからずいるのではないかと思います。

また、今日目にした新たな詐欺の手口で、ある鉄道会社を名乗って、「息子さんが列車に飛び込んだので賠償金が発生します」というような電話がかかってきたというものが紹介されていたのですが、それは読んだ時点で、仮に本当に息子さんが飛び込んだのであれば、賠償金の話の連絡があるより先に警察なり救急なり、そうじゃなくても鉄道会社なりから、事故が起こったことに関する連絡が入るでしょ?と思ったわけですが、咄嗟のことで動転して騙されてしまう人がいるのだろうかと、それはそれで気になりました。

もちろん、どれだけ注意をしていても、事件や事故に巻き込まれてしまうことはあるだろうと思いますが、日頃から自分の頭でよく考え、疑問を持つということを意識的にしているかどうかで、避けられる事件、事故が増えるようにも思います。
何より、詐欺に引っかかるかどうかは、冷静に考えられるかどうかで避けられる可能性が高まるのではないかと思います。

例えばですが、同じような商品でも片方は高いのにもう片方は随分安いというようなことがあった場合、単に安いからお得!と思うか、なぜこんなに値段の差があるんだろう?と疑問を抱くかの違いがあるのではないかと思います。
なぜだろう?と思う人は安い理由をお店の人に尋ねたり、使われている材料を確かめたり、インターネットなどを使って調べたりすることもできるでしょうし、その中で使われるべきではない材料が使われていることがわかったり、不当に安い賃金で人を働かせて作っていることがわかったりするかもしれません。

小さい頃から、教わって覚える、書いてあることをただ覚える、そういうことばかり繰り返していたら、疑問を持って調べるという機会はごく限られたものになってしまうかもしれませんし、考えないことが習慣づいてしまえば、勉強では考えないけど普段の生活ではしっかり考えるというようになる可能性はあまり高くないのではないかと思います。

そう考えると、おのずと学び方がどうあるべきかということも見えてくるような気がします。

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2017年11月12日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年11月11日 (土)

嬉しい変化

今日は振替が何件か入ったりしたため、ほぼ6時間休憩なしのレッスンになり、終わった後はしばし放心状態という感じになりましたが、みんながんばってくれて、心地よい疲労感という感じでした。

今日のレッスンの子の中に、算数に対して強烈な拒否反応が出た状態で来てくれた子がいました。初めの頃はほぼ常に表情が硬く、少しでも難しく感じると泣きそうな表情になったり、苦労しているようだから助けるために声をかけても、顔をこわばらせながら「これじゃダメなの?」と自分のやり方を変えたがらなかったり、こちらも声をかけるのに恐る恐るというような時期がしばらく続き、その子とのレッスンの前には私も少し緊張してしまうような感じでした。

それでもその子もがんばって通ってきてくれて、レッスンを重ねるうち少しずつ和らいではいたものの、最近は初めの頃のように硬い表情を見せることはなくなり、泣きそうになることもなく、既に学校より難しい問題などを色々やってもらっているにも関わらず、比較的すんなりと問題に向き合い、わからないときは穏やかな表情のまま「わかんない」と言えるようにもなり、私が声をかければ、すっと聞いてくれるようになりと、あの頃とは別人のようになったなぁと改めて感じました。

まだ算数が好き、算数が得意というところには至っていないようですし、元々その子は国語の方が得意な印象の子なので、今後も好きとまで思ってもらえるかどうかはわからないものの、あの苦しそうな表情は見ているこちらまで辛くなるような表情だったので、その状態から抜け出してもらえたことは本当に嬉しいことです。
まだ2年生ですから、もしかするとこの先、結構算数が好き、得意と思ってくれる日も来るかもしれないなと思い、これからのレッスンを楽しみにしています。

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2017年11月10日 (金)

数学の先生

今日のレッスンに来ていた中学生と話したのですが、今回学校であった実力テストの問題は、私が見ても公立中学で試験時間が50分でこの内容は相当難しいのではと思うもので、平均点も50点割れしたそうです。
もう少し時間が与えられるのであれば、もう少しは平均点も上がるかもと思いはしたものの、これで50点近い平均点で収まったのなら、その子の学校の子達の数学の力はそこそこのものということかもなとも思いました。
でも、数学の先生はテストの平均点が低かったことに対して怒っていたそうです。

ですが、ざっと目を通しただけでも、本来なら比較的点を取りやすく作られている大問の1の中に「2次関数y=ax2乗+x-4が点(2、5)を通るとき…」というような問題があり(2乗の指数がブログで書けないので変な式ですが…。)この形の式が2次関数だということは高校でしか習わないため、本来公立中学でそれを2次関数と言ってしまっていいのだろうかと思いますし、その他にもいわゆる「100点を取らさないため、差をつけるため」に最後に出てくるような扱いの問題がいくつもあり、これを50分で解けと言われたら、公立中学の子の多くはきびしいのではと感じました。

ただ、個人的に以前から思っていることですが、中学や高校の数学の先生になられる方は高校で理系の数学を学び、大学でも更に進んだ数学を学んだような方がほとんどのはずで、そういう方達は、例えば空間図形などの問題に対して苦も無くそれを頭の中にイメージして、回したり広げたり切断したりの操作ができるような頭を持っている場合が多いのではないかと思うのです。

空間図形の得意不得意は、多くの子どもたちを見ていると、努力でどうにかなる部分は限られていて、持って生まれた能力による部分がかなりあるように感じます。(自分自身のことを含めてそう感じます。)
例えば、運動神経が優れているとか、絶対音感があるとか、生まれながらにその能力が秀でている人がいるのと同じような感じのことなのではないかと。

小さい子でも、展開図を見せたらどこがどことくっつくとかどこと向かい合うとか、いとも簡単に解いてしまう子達がいて、年齢などから考えても、これまでの経験や努力によるものではないだろうと思うのです。
でも、私はそれが見えない子どもでしたから、こういう仕事をするようになって、必要に迫られて色々な展開図を作って組み立てたり、サイコロ型にした豆腐やダイコン、消しゴムなどを実際に切ってみて断面の形を見たりという経験を積み重ね、それによって子どもの頃よりは随分イメージできるようになったという感じで、今も決して得意ではありません。(あくまでも経験によって積み重ねたものなので、見たことがないものに出合うとまた実際に確かめてみるなどする必要がある場合があります。)

子どもの頃から頭の中で「見えて」いた子がそのまま成長して数学の先生になった場合、見えることが当たり前ですから、見えない子というのが想像できない方もいるのではないかと思います。そうなると、見えない子達に対してどういうアプローチが有効かなどを考えることが難しい可能性もあり得るのではないかなと。

そのほかにも数学が得意で高校の数学、大学の数学をクリアしてこられた方の基準での「簡単」とまだ中学生の子達の「簡単」は相当ズレがある場合もあるのかもしれないなと、そんなことを感じることがあります。

今日の中学生に「見える」人と「見えない」人がいて、私もその子もどちらかに分けると「見えない」人だから、それに関しては実際に見て経験を重ねなければ、ただ解き方を丸暗記するしかないと思うという話をしたところ、へぇ~、そうなんですねと感心していましたが、できるものなら小学生の段階でそういうことを先生方が把握していて、「見えない」子には具体物で経験することを促すことである程度は力を伸ばすことができるようにも思います。

まだ小さいお子さんをお持ちの方はお子さんが図形があまり得意ではなさそうだなと感じられることがあれば、プリントなどをたくさんさせるのではなく、実際に具体物を触って、目で見て、その経験をたくさんさせてあげてもらえたらと思います。小さいうちにすれば、苦手であっても比較的力を伸ばしやすいように感じます。

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2017年11月 9日 (木)

知らないと大変なことになるなと思ったこと

先日来、かなりスローペースではありますが、2020年の大学入試問題という本を読んでいます。
著者の方は中高一貫の私立校の校長をされていて、アクティブラーニングなど21世紀型といわれる学びについての研究会も立ち上げておられる方だそうですが、2020年の大学入試が変わろうとしている中、それを見越して一部の難関中学の入試が変わり始めていたり、既に一部の大学では新しい入試が導入され始めていたりということが色々書かれています。

その中で、実際にある中学の入試で出た問題や大学の入試で出た問題として紹介されているものを見て、本当にこういう方向に大きく変わるのであれば、これまでのいわゆる大手受験塾などがこぞって取ってきた指導法、カリキュラムなどがほぼ全く役に立たなくなるのではないかなと感じました。

個人的にはそうなってくれた方が子ども達にとってもいいと思いますが、今の中学受験指導のスタイルを確立させてしまった大手や中堅の受験塾などが全て短期間で切り替えられるとは到底思えませんし、果たしてどんな風に変わるのだろうとも思います。

本の中で、変わろうとしている大学入試などに通じるものということで、マイクロソフトの入社試験の問題が1問紹介されていました。
それは極めてシンプルな問いで「世界中にピアノの調律師は何人いるでしょう?」というものでした。

当然あてずっぽうで答えるようなものなはずはなく、また、それについての知識(実際に何かを調べて知っているかどうか)を問うものでもないでしょう。
この問いに対して、およその人口から考えられるおよその世帯数を計算し、その世帯数のうち、ピアノを買える経済的余裕がある世帯はおよそ何割程度かを想定し、それによって世界中にあるピアノの台数を考え、更に1人の調律師が1年に何台ぐらいの調律をするかを考え…と、あらゆることを考え、予想し、概算し…という手順を踏んで自分なりの答えを出すということのようです。

この場合、例えば仮に設定した人口や世帯数が間違っていたり、1人の調律師がどの程度の調律をするかの見積もりを間違っていたとしても、恐らくそこは大きな問題ではないのだろうと思います。(調律にかかる時間や費用などを全く知らない場合、予想が大きく外れる可能性も少なくないでしょうし。)
どういう理論で答えを導き出したかという、その過程が評価されるのだろうと。(実際はどうかわかりませんが。)

大学入試でもこのようなシンプルな問いが投げかけられ、それに対して試験の場で答えを考え、書き上げていくということが求められるようになるのであれば、従来の知識偏重の勉強では全く歯が立たないのではないかと思います。

こういう情報を大手の塾などがどこまで保護者に対して伝えるのかはわかりません。
ですが、今お子さんが小学生や中学生だという親御さんは、知っておかれるべきことなのではないかなと感じました。

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2017年11月 8日 (水)

興味がないと残らない

私自身は明らかにそうですが、子ども達を見ているとやはり、どれだけ自分の頭で考えて解いた問題であっても、興味がないことはなかなか頭に残らないものなのだなということを感じることがあります。

教室ではやり方を教えて覚えさせるというようなことはしませんので、具体物を使えるときは目に見える形で示しながら、時には子ども自身に使ってもらいながら意味を理解してもらい、問題を解いてもらうことが中心になります。
そのため、公式を忘れたから解けないというようなことは起こらないのですが、単位について、レッスンで少し具体物に触れたからといって、それ自体に対する興味が薄いと、その後しばらくその内容から離れたら、忘れてしまっている子が時々います。

例えば、キロメートルなど、目で見えるものではなかったりすると、「キロ」は1000倍の意味だからと説明しても、地図などでどのぐらいの距離かを示したとしても、忘れてしまうようなことがあります。
小学校で習う単位で最も忘れるベスト3は、デシリットルと面積のアール、ヘクタールあたりではないかなと思いますが、それはその後ほぼ出合うことがないからで、それを思えば、まだ経験も知識も少ない小さい子達が、レッスンで何度か使ったぐらいですぐ覚えてしまえるというのは、興味がなければ無理なのも不思議ではないのでしょう。

そんなことを感じる出来事が今日のレッスンでもありました。
学校ではまだ習っていないようですが、教室では随分前に学習し、その子はスポーツもがんばっているので見聞きする機会もありそうな「メートル」の単位をきれいさっぱり忘れたようで、6m6cmを66cmと書きました。
そこで「1mって10cmなの?」と尋ねつつ、目の前に定規も出してみたのですが、「あ!」という反応にはならず、巻き尺を出して、何度か長さを確かめてもらって、また問題に戻ってもらいました。

実際に見た後は問題自体は解けたのですが、以前に学習したときも、その子はメートルになると嫌々だったのを思い出しました。次にキロメートルの学習が控えているので、果たして無事にクリアしてくれるかどうか、何か印象付けできるようなことがないか考えなくてはと思います。

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2017年11月 7日 (火)

新たな喜び

教材作りは不精な性格と機械オンチのせいでなかなか思うようには進んでいませんが、自分で教材を作るようになってから、また新たな喜びを感じられるようになりました。

これまでずっと自分が一目惚れした教材をメインにレッスンをしてきました。(今も大半の子は区切りのいいところまでその教材の継続ですが。)ですが、前年度をもってその教材の一般の塾などへの販売が終了となり、3年半ほど前から少しずつ作っていた教材を使ってもらう子が何人か出てきました。

長年使ってきたお気に入りの教材ではありましたが、単元によっては使いづらかったり、そこまでのボリュームはいらないのではと思うところや難しすぎるのではと思うところ、また、これはさすがにボリュームがなさ過ぎて子ども自身が気づいて学び取るのは無理だろうと思うところなど、こまごまともっとこうだったらなと感じるところもありました。

その思いも含め、また学年配当などもある程度気にしつつ、一方では中学校の数学のことも意識しつつの教材作りで、これなら子ども自身が気づいてくれるかな?説明し過ぎず、しなさ過ぎずはこのぐらいでいけるかな?と色々考えながら作り進んでいます。

そして、これまでの教材の気になっていたところを自分なりに改良して作ったものを、初めて学ぶ子がすんなりとクリアしてくれる姿を見られると、これまでにはなかった、自分が作ったものが評価された気分とでもいうのでしょうか、子どもはそれを私が作ったとは知らないだろうと思うのですが、工夫がうまくいったかなという喜びを感じられるようになりました。

まだ小学校全範囲は完成していませんが、これまで使ってきた教材がカバーしていた範囲はほぼ出来、今は新たな単元を作りつつ、完成したものは使ってもらいながら手直しをしています。
小学校6年分が完成するまで、遅々とした歩みながらがんばって行こうと思います。

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2017年11月 6日 (月)

オフ

今日もレッスンはお休みで、随分気温も下がってきたので、今日は家の片付けや衣替えなどをしましたが、仕事は手つかず…。
明日からまたがんばります。

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2017年11月 5日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年11月 4日 (土)

すごい成長

まだ1年生の早い段階で算数に苦戦をし始め、おうちの方が根気強く教えてもなかなか目に見える成果が出なかったという子が来てくれるようになり、今は2年生になりました。
レッスンを重ねるうち、少しずつ変化が見え始め、感動することも多くなってきていたのですが、少し前から始めた掛け算の学習で、更なる成長を感じられることがありました。

できることが少しずつ増えているということや、その子なりに考えられる範囲が広がってきているということは感じてはいたものの、できるようになったこともやり方を教えて覚えさせたわけではないのに、定着しづらい印象もあったので、掛け算の学習も最終的には九九を暗記して、それでできるようになれば学校で困ることはないだろうからというぐらいに思っていました。

ただ、教室では九九の暗記ではなく、足したり、倍にしたり、10倍からのけたりなど、色々な考え方で答えを出してもらうところから始まるので、足し算をするにも少し時間がかかったり、指を折って数えたりすることもあったその子は1回ずつ順に足していくような感じになるのかもしれないなと思ってもいました。

結果的にそうなったらそれでもよしとしようと思いつつ、×6などは×5の答えを尋ねてから、それにもう1回足して答えを考えてもらったり、×9や×8は×10の答えを尋ねてから、そこから1回分か2回分を引いて答えを考えてもらったりということもしました。

ひと通り掛け算の学習を終えて、学校でも掛け算の学習が始まったようで、じゃあ九九を覚えることになるなと思っていたところ、まだ習っていない段の掛け算を解くときに、その子の計算用紙を見ていると、私が全く何も言わなくても、×10の答えから2回分を引いて×8の答えを出していたり、2回分の答えを2回足して×4の答えを出していたりと、自然に工夫をしていたのです。

1年生のときあんなに苦労していた子が、掛け算の意味をきちんと理解して、自ら工夫までできるようになっている姿には驚くものがあります。
子どもの能力はしばしばこちらの予想を遥かに上回ることも少なくないので、先入観を持って、能力を低いところで決めつけてしまわないよう、くれぐれも気を付けなくてはと思います。

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2017年11月 3日 (金)

今日は更新お休みします。

今日はレッスンがなかったもので、つい家で特に何もせぬまま過ごしてしまいました…。
明日は多くの子達が来てくれる土曜ですので、がんばります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年11月 2日 (木)

季節の変わり目

このところ、体調を崩してお休みする子や保護者の方が少し増えています。
急に気温が下がったことも影響しているのだろうと思いますが、インフルエンザも早くから流行りつつあるようなことも聞きますし、心配ですね。
教室は土曜はレッスンがありますので3連休にはなりませんが、ちょうど行楽によい時期ですし、お出かけするご家族も多いのではないかなと思います。元気に楽しい休日を過ごされますように。

明日は本当はレッスンの予定だったのですが、皆さん別の日に振替かお休みかのご希望ですので、明日はレッスンお休みさせて頂きます。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年11月 1日 (水)

11月スタート

早11月。今日は風邪気味の子もいたり、レッスン途中で不調に陥る子がいたりでしたが、今月もみんなしっかりがんばってくれるといいなと思います。

今日は中3の子とのレッスンもあったのですが、その子の現状を見ていると、昔の自分もそうやっていたなと思う場面に時々出合います。
方程式でなければ勝手に分母を払ったり、小数を整数になるように直したりしてはいけないことなど、今は当然のことだとわかるのですが、中学高校の頃、どういう場合は通分しかできなくて、どういう場合は分母を払ってもいいのか、はっきりとわかっていなかった記憶があります。
また、因数分解などでも、式の途中に+や-が入ってしまっているような答えを書いてバツをつけられ、なぜそれが間違いなのか、意味は理解できないものの、こういうのは間違いなんだなと、経験で覚えたような、そんな記憶もあります。

当時、先生方はもしかしたらきちんと説明をしてくださっていたのかもしれません。(というか、当然してくださっていたのだろうと思います。)でも、一応授業は真面目に聞いていたはずの自分の記憶にも残らなかったということは、私程度の理解の子は少なからずいたのではないかなという気もします。

ですから、今目の前にいる中3の子があの頃の私と似たようなことをしていたとしても無理はないのだと思うのですが、私はあの頃からもっと考えて算数・数学をしていたら、今頃はもっともっと難しい数学もきちんと理解して、無事に中学校の数学の先生になれていたかもしれませんし(もちろん、そんな仮定は全くの無駄なのはわかっていますが。)、そういう思いがあるからこそ、子ども達にはとにかくやり方を覚えるのではなく、意味を理解してほしいと伝え続けています。

その中3の子も小学校高学年から中1の途中まで数年間は、もう耳にタコができるぐらい言い続けられたはずなのですが、まだまだ伝え方が足りなかったんだなと反省もしつつ、その一方で、一斉指導の学校教育というものはどうしても受け身になりがちで、記憶に残りづらいものだよねということも改めて痛感します。

大学入試改革に伴って、アクティブラーニングなるものが教育現場に導入されつつあるようですが、それが本当にきちんと実践されるようになれば、勉強を楽しいと感じられる子どもも今より増えるかもしれません。是非そうなってほしいものだなと思いますが、まずは差し迫った中3の子を、入試までに「意味を考える癖」をどこまで身に着けてもらえるか、がんばらねばと思っています。

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