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2017年10月21日 (土)

賢いってなんだろう。

私自身は子どもの頃、どの教科も「そこそこ」できるタイプの子どもで、コツコツ努力するのが苦手だったにしては、勉強ではそんなには苦労しなかったように思うのですが(あくまでも公立高校に進むにはというレベルでの話ですが。)、子ども達とレッスンをしていて、学校では評価されにくいだろうけど、この子賢いよなと思う子に出会うことがあります。

通ってくれている子の中にこれまで何人か発達障害の診断がついている子がいました。
今も、言葉に対する理解の部分が弱いという子が来てくれていますが、その子と算数をしていると、問題の意味さえ理解できれば、同年齢の子と比べてもかなりよくできるなと感じることがよくあります。

その子は私とのレッスンにも随分慣れたので、その子が問題の意味が理解できていなさそうであれば、解き方ではなく、あくまでも問題の意味を理解してもらえるよう、言葉を変えたりして説明するのですが、極少人数のレッスンで、それぞれの子のペースでレッスンをしているから可能なのであって、学校で一斉指導の授業の中では、なかなかそこまで救い上げてもらいづらいのではないかとも思います。

解き方を習わなくても、問題の意味が分かれば解けるその子は、少なくとも算数に関しての能力は高いと言えるのではないかと思うのですが、文章理解の力が弱いということで、もしかすると学校やペーパーテストなどでは評価してもらいづらい可能性はあります。
だとすると、その子は学校やテストでは本来持っているはずの能力を評価してもらえないままに自信を失っていくこともあり得るでしょう。

その子に限らず、どこかが弱い代わりにどこかが平均より秀でているというタイプの子は珍しくありません。その弱いところを少しフォローしてあげるだけで秀でている部分がより花開く子もいるだろうと思います。

最近は発達上の困難を抱える子どもが1クラスに2、3人はいるような割合だとも言われていますが、だとすれば尚更、そういう子達に合った手助けをしてあげられたら、自信をもって過ごしていける子がもっと増えるのではないかなと。もちろん、集団指導の授業ではなかなか難しい面もあるだろうということはわかっていますが…。

それにしても、「賢い」というのはなんなんだろうなと、そんなことを改めて考えます。
言葉に対する弱さがあるその子は、算数に関しては十分賢いのですが、文章理解が弱いことで自力では算数もわからないことがあるかもしれません。それは賢いとはいえないのかといえば、そうではないように思うのです。(現に、しばしば見ていて感心するぐらい賢いですし。)
学校などで評価される成績というのは、自分で読んで理解できる、先生のいうことを理解できるという前提のもとに判断されてしまいがちなんだろうなということに、その子を見ていると改めて気づかされます。

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