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2017年10月17日 (火)

考え抜くことの大切さ

今日は10月から戻ってきた中3の子とのレッスンがありました。
中間試験が終わり、答案が返ってきて、恐らく実力テストよりはしっかり考えられたのだろうとも思いましたし、点数自体も上がってはいたのですが、私はひとりでモヤモヤ…。

その子とは小学校の高学年になってからご縁をもらい、その後中学での部活動がハードになったということで中1の冬頃お別れになりました。

これまで色々なお子さん達とレッスンをさせて頂きましたが、色々な本などで子どもの脳は9歳頃までにある程度決まるということが言われており(もちろん、絶対的なものではなく、その後も脳は変わり続け、成長もするようですし、事故などでどこかが欠損しても、その部分の働きをほかの部分で補うようになったりもするようですが。)、高学年になってから来てくれた子達が見せる変化は、幼い頃にレッスンを始めさせてもらった子達と比べるとやはり緩やかだったり、現れ辛かったりするようには感じています。

小さいうちに習慣づいたことは、その後変えようと思ってもなかなか変えられなかったり、大きな苦労を伴なったりすることは少なくないと思います。例えば、お箸や鉛筆の持ち方などでも、間違った持ち方で身につけてしまい、その持ち方で子どもが何も不自由を感じなければ、その後で正しく持ち直させるのは、初めから正しく持つように促す場合に比べ、苦労なり面倒さなりを感じることが多いでしょう。
ですから、恐らく、頭の使い方、勉強の仕方なども、初めにして、その後繰り返した方法を、その後変えるのは、やはり苦労を伴うものなのだろうと思うのです。

で、返り咲いた中3の子も、高学年になってからのご縁だったこともあり、自分でじっくり考えるということにかなり苦労していた印象があります。そして、2年近くのブランクの間にもまた、日々の生活の忙しさなどもあって、習ったことを覚えて再現するという勉強の仕方に傾いていったのだろうなとも感じました。

返り咲いて半月足らずで中間試験を迎え、問題を解いているときに常に「なんで(そうやれば解けるの)?」「今それは何をしてるの?」「それはどういう意味?」と問い続け、頭をフル回転させてもらいながら、何とか少しでも確かな力をつけてもらいたいと、とにかく詰めました。

目の前で見ていて、何度も何度も質問され、理由を聞かれているにも関わらず、時々、これはこうやったら解けるんだったはず…と見切り発車的に解き始めることがあります。目的地が定まっていないのに出発する感じといえばいいでしょうか。

もちろん、何でもかんでも突き詰めて考えなくてはならないわけではありませんし、やり方を覚えて処理するようなことが必要な場合もあるだろうと思います。日々の生活でも、何もかもとことん考えていたら、とてもではありませんが生活は成り立たないだろうとも思います。
ただ、少なくとも、小中学校の算数・数学は考えたらきちんと意味がわかるものがほとんどですし、基礎の部分でしっかり意味を理解していなければ、しっかりした力はなかなか身に付くものではないだろうと思います。

子どもの頃に時間が許す限り、自分が本当に理解できるまで考え抜く経験を重ねることは、後々大きな力になっていくだろうと思います。そして、今後ますます、そういう力が必要になってくるのだろうとも思います。

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