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2017年10月31日 (火)

10月最終日

今日はオフを頂いていましたので、更新もお休みさせて頂きます。
明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年10月30日 (月)

取っかかるまで…。

今日はレッスンがお休みで、少し教材作成をしていました。
家だと全くというほど仕事が捗らないので、夕方になって出勤して、少しだけと思ってパソコン作業を始めたところ、気づけば3時間近く経っていました。
いつもひしひしと感じるのですが、本当に私は取っかかるまでがとてもとてもハードルが高いというか、パワーが必要というかだなぁと。一度手を付けてしまえば、ある程度の時間集中し続けられるのですが、どうすれば取っかかりをもう少しスムーズにできるのだろうと、悩ましく思います。

5週目なので今週は明日もお休みを頂きます。
もう10月が終わるんですね。しばらくは寒い日が続きそうですので、皆さまどうぞご自愛ください。

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2017年10月29日 (日)

オフ

今回の台風は短時間で足早に通り過ぎてくれました。
先週は実家に行けなかったので、今週も台風はご勘弁と思っていましたが、晩には雨も上がり、無事実家にも行けました。
ありがたいことです。

オフでしたので今日はこれにて。

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2017年10月28日 (土)

確かな変化

まだ1年生なのに、算数にかなり強いアレルギーが出てしまっているということで、1年生の終わり近くから来てくれている子がいます。
一緒にレッスンをするようになってからもなかなか拒否反応が消えず、助けようと思って声をかけても、その子なりのこだわりがあって「これじゃダメなの?」と何度も尋ね返されたり(もちろん、その方法でその子が苦労していない、もしくはミスする可能性があまりないなど、許容できる方法ならOKするのですが。)、明らかに顔をこわばらせて、こちらの言葉が耳に入っていないなと感じることが多いまま、数か月が過ぎました。

その後、少しずつ拒否反応が和らいできたかな、強いこだわりが少し緩んできたかなと思えることが増えてきていましたが、今週のレッスンでは掛け算を学習していて、また嬉しい変化が見えました。
その子が学校で困らないようにだと思うのですが、おうちの方が夏休みのうちに九九の暗記を始めさせておられたようで、本当は暗記の前にこちらで一緒にしたかったんだけどな、覚えちゃったら考えてくれないかもなと、少し不安に思ってレッスンを始め、今週が3回目でした。
九九はしっかり覚えているものと、まだ記憶が怪しいものがあるようで、唱えてもわからない、自信がないようなものが出てきたら、その子はどんな反応をするかなと、少し緊張しながら様子を見ていました。
以前のその子であれば、難しそうで不安になると、途端に顔がこわばり、「わかんない。わかんない。」と言い出すことも珍しくありませんでしたので、その表情を見るのは辛いなと思っていたのですが、全くこちらに尋ねてくることなく、渡しておいた計算用紙に〇を描いたり、□を描いたりしながら、その数を合わせたらいくつになるかを穏やかな表情で考えていたり、初めて見るような問題が出てきても、穏やかな表情のまま、すんなり問題に向き合っていたりして、こんなに変わったんだなぁと、本当に嬉しく思いました。

自分で考えられる、何を考えているのか意味が分かる、それはこんなにも心を落ち着けるんだなと、その子を見ていて改めて感じました。

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2017年10月27日 (金)

本末転倒

今日何度も目にしたニュースなのでご存知の方も多いかと思いますが、大阪のある府立高校で、生まれつき茶髪の女子生徒が校則によって黒染めを強要され、それにより体調を崩し、不登校になっているというニュース。

いくつか記事を読んだので、少しずつ書かれている内容も違ったのですが、それらが全て事実だとすれば、その高校の「生徒心得」には染色・脱色は禁止となっているそうです。染色禁止なのに、学校が黒染めを強要する。挙句、学校関係者がたとえ金髪の外国人生徒でも黒染めしてもらうことになると言ったとか。

更には、初めは月に1回程度だった指導が、最後には4日に1回の指導になったとか、染めすぎて地肌も髪もボロボロになったとか、「母子家庭だから茶髪にしているのか」というような教師の発言があったとか、茶髪のせいで授業を受けさせてもらえなかったり、学校行事にも参加させてもらえなかったりしたとか…。
何もかもが異常に思えるのですが、これが事実なら、明らかに教員によるいじめ、パワハラだと思います。

府立高校という割に名前が私立高校のようだったので、少し検索してみたところ、受験の偏差値が45となっていましたので、いわゆるやんちゃな子もいるのかもしれません。(偏差値で判断するのはあまり好きではありませんが、今のところ、ひとつの物差しになっているのも事実ですので…。)
その分、生徒指導が厳しいというようなことがあるのかもしれませんが(あくまで推測なので違っているかもしれませんが。)、染色が禁止なのに黒く染めろというのはそもそも大いなる矛盾ですし、例えば入学時に疑いをかけられ黒染めさせられたとしても、伸びてくる髪が茶色であれば、それが何よりも染めていない証明になるのではないでしょうか。更に言えば、茶髪と母子家庭かどうかがどう関係あるのかは全くわかりません。
(ニュースによると、この生徒の母親は高校入学前に茶髪が地毛だと学校側に伝え、認めてもらえるよう頼んだようです。)

このニュースを目にして、例えば、最近はどちらかの親が外国人という子どももどんどん増えているようですから、その高校に肌が真っ白の子や肌が真っ黒の子が入学してくることだってあるかもしれません。髪の毛ではないから肌の色まで変えろとは言わないと思いますが、それを言ったら確実に異常でしょうし、生まれ持った肌の色をどうこう言ったとしたら、それは差別にあたるだろうと思います。子ども達を教育する立場の大人が、地毛が茶髪の子を黒染めさせて、それによって何の指導がしたいのでしょう。
理不尽なことが大嫌いなので、全く知らない親子さんの話ですが、機会をもらえるならその学校関係者にとことん聞きたいと思ってしまいます。

そもそも、ひと昔前であれば、確かに髪を染めるのは不良のすることだというような見方がありましたが、今ではそんな発想はもう化石のようになっているものだと思っていました。それがまさか今の時代にもこんなにも強く残している学校があったことにも驚きましたが、親が染めていないことを前もって伝えていても、髪の毛や地肌がボロボロになっても、それでも尚強要した上、不登校になった後、他の保護者に退学したと虚偽を伝えていたというのですから、もう気が狂っているとしか…。

先生も好き嫌いがあって普通だとは思いますので、合う生徒、合わない生徒というのはいるだろうと思います。ただ、仮に波長が合わない生徒がいたとしても、だからといっていじめていいはずはありません。大人が、それも学校で教員たちがそんなことをしていて、子ども達にいじめはよくないなんて言ったところで全く何の説得力もありません。

私立高校の場合は、仮にちょっとそれはあり得ない校則なのでは?と思うようなものであっても、その学校がそれを守れる生徒しか求めていないということであれば、その学校に行かないという選択をすればいいのかもしれませんが、今回の高校は府立高校ですから、それとは少し違うようにも思います。

なんだかもう本当に今日は1日そのことで気分が悪いです…。

ただ、その一方で、こういう事実があることも中学生には早くから教えておくのも大事なのかもしれないなと。
一般に、偏差値が高いと言われる学校のほうが自由度が高い傾向があるように思います。いわゆる進学校と言われるような高校では、制服がなく、服装は生徒の自由だったり、髪を染めようがピアスを開けようが、それも生徒に任されているような学校もあるようです。

また、これも理不尽な話だなと思いますが、例えば、成績優秀な子が制服に手を入れて着ていても、あの子は賢いからと許されてしまう反面、成績が芳しくない子が同じように制服に手を入れて着ていたら、あんな格好してるからあの子は勉強ができないんだというような評価をされることもあるように思います。

要するに、特に中学・高校時代は、勉強を頑張ることで、色々な不毛な制約から自由になれる度合いも高まるということなのだろうと思うのです。

学校の進路指導などでは、差別にあたる可能性があるようなことは大っぴらには言えないでしょうし、勉強に関して、努力すれば誰でも成績が上がるというものではない面もあるので、尚更言いづらいことも色々あるのだろうと思いますが、だからこそ、保護者の方がそういう現実も、必要に応じて教えてあげることも大事なのではないかなと思います。

全くの余談ですが、私は生まれつき髪が赤茶色がかっていて、中学時代は校則がめちゃくちゃ厳しかったため、素行に問題があったら確実に染めを疑われていただろうなと、子ども心に思ったことがあります。(実際、染めてるの?と聞かれたことはありましたが、生まれつきだと言ったらそれ以上何もありませんでした。)
もし黒染めをするよう言われていたら、多分相手が教師でも徹底的に食い下がっただろうなと思いますが。(苦笑)

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2017年10月26日 (木)

小数のかけ算・わり算

小学校で小数のかけ算やわり算を習いますが、小数と整数のかけ算やわり算はある程度きちんと理解しておくのがいいのかもしれませんが、小数同士のかけ算やわり算については、どこまでやらせる必要があるのか、個人的には少し迷うところがあります。

もちろん、できないよりはできた方がいいのはわかりますが、小数同士のかけ算・わり算は中学以降ほとんどお目にかかることがありません。むしろ、分数同士のかけ算やわり算を小学生のうちに完璧に使いこなせるようにしておく方が圧倒的にその後に役に立つように思います。

小数を分数に直す、また、その逆ができるようになっておく必要はあると思いますが、それさえきちんとできるのであれば、小数同士で計算するより分数同士の計算に直す方が、計算の手間も減り、ミスも減るように思います。

0.27÷0.36は仮に分数に直せば27/100÷36/100で、27/36。これを約分して3/4。小数に直すのであれば0.75です。
もちろん、ここまでスッキリの数にならないものもありますが、その場合は小数同士で計算すると更に面倒になることも多いのではないかと思います。

小数同士のかけ算やわり算の問題を作りながらも、中学以降のことを考えると、さほど必要性を感じられないため、教室ではさらっと理解してもらい、その分を分数の通分・約分、かけ算・わり算にしっかり取り組んでもらうような教材にしようと思っています。

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2017年10月25日 (水)

感じること、考えることの大切さ

先日、ネットのニュースで、最近の若者は外出するより家にいることを好む割合が高くなっているというような記事を目にしました。
私は子どもの頃から知らないところに行くのが怖くて、お出かけするより家にいたいという感じだったので、単に最近の若者とひとくくりにするのはどうかと思いますが、昔と比べてその割合が高くなっているということなのだろうと思います。
車を持ちたいと思う割合、留学したいと思う割合、旅行に行きたいと思う割合なども、若い世代では下がってきているような記事も目にしたことがありますので、若い世代が内にこもりがちな傾向が高まっているというのは事実なのでしょう。

もちろん、昔と比べ、今では家にいながらでも楽しめることが増えたのは確かでしょうし、パソコンやスマホ、テレビ、ゲーム機などがあれば、外出してわざわざ楽しみを見つける必要もないという人の割合も増えているのでしょう。
ただ、若い世代や子ども達がそうなっているひとつの要因として、生まれたときからデジタル機器がすぐそばにあり、日常的にそれに触れて育つことで、それが当たり前、それが楽しいからそれで充分と感じるようになるということもあるのかもしれません。

色々なニュースやSNSなどでのやりとりを目にしていると、本当に自分の頭でちゃんと考えているのかな?と感じるようなことが以前より増えてきたような気がします。
私自身も、このブログを書くことひとつとってみても、以前は書き終えた後きちんと読み返し、誤字や脱字がないか、文のねじれなどはないかチェックしていたのですが、最近は忙しいわけではないのに、丁寧にチェックすることが少なくなりました。

そして、ネットのニュース記事などを見ていても、驚くほど誤字や脱字、完全に間違った表現などを目にすることが多くなりました。ニュースとして発信しているにも関わらず、記事の見出し、タイトル自体にどーんと誤字、誤変換などがあることも珍しくありません。
それは恐らくチェックせず、原稿を打ったらそのままアップしてしまっているのだろうと思いますが、世の中が便利になると同時に「忙しく」なり、新しい情報は先を争って記事にするような状態になっているのだろうなと。

そんな時代だからこそ、ゆっくり感じること、考えることが本当に大切になってくるように思います。
画面からの情報だけでなく、実際に能動的に五感で感じるような経験も意識的にしていかないと、気づけば社会全体が間違った方向に進んでしまっていたというようなことになりはしないかと、そんなことも思ったりします。

好奇心が旺盛なのはいいことだというようなことはよく言われていることですが、好奇心に限らず、何かに疑問を持ったり、ひっかかったりするような、何かを感じる心は、間違った選択をしないためにも大切なものだと思います。

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2017年10月24日 (火)

自分で気づく

教室を始めてから長年使ってきた教材が手に入らなくなり、一部の子達には自作の教材を使ってのレッスンを始めています。
自分で作って自分でチェックすると、やはりちょこちょこ見落としがあって、誤字や脱字などが見つかり、子どもに謝ることもあるのですが、目の前で自分の教材を前にじっくり考えている姿を見るのは、とても嬉しいものだなとも思います。

春に来てくれた頃は、習ったことを覚えて素早く処理するということがかなり体に染みついてしまっていた子が、夏頃から変わり始めたように感じましたが、その子に分数の教材に取り組んでもらったところ、これまでの教材より更に文字による説明を減らしても、自分で気づいて理解して進んでいってくれる姿を喜ばしく思いました。

テクニックではなく、どう考えたらいいのかに気づいてもらえるような教材を作りたいと思って数年取り組んできましたが、少し実現できたかなと思ったりします。
世の中の流れがますます、学習者自身が考え、学び取ることを重視するようになっていくようですから、この教材が子ども達の役に立ったらいいなと思いながら、更に先に進んでいきたいと思います。

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2017年10月23日 (月)

台風一過

今回の台風は人生で最大級だったのではないかと思いますが、室内にいても不安を感じる怖さでしたね。
夜遅くまで雨風が続き、なかなか眠れなかった方も多いのではないでしょうか。
明け方、雨風が収まったようだったので、ゴミを出しに表に出たところ、マンションの通路の雨よけの簡易屋根が何枚も割れていたり、掲示板の掲示物が剥がれて飛んでぐしゃぐしゃになっていたり。外に出るとご近所の一戸建ての庭に置かれた結構な大きさの物置がその家の壁に倒れ掛かっていたり、駅前の駐輪場の自転車がバイクがなぎ倒されていたり。

あちこちで何かが壊れたり、電線が切れたり、道路が通行止めになったりと、この辺りではほぼ記憶にないほどの影響が出たようですね…。皆さま大丈夫でしたでしょうか。

今日は振替レッスンがあったので夕方出勤しましたが、気温も低いままですね。
今週も、風邪などひかず、みんなが元気にレッスンに来てくれますように。

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2017年10月22日 (日)

台風

オフでしたが、今回の台風は記憶にある限り過去最高レベルではないかというぐらいですね。
ニュースなどで超特大とか最大級とか言われても、これまではそれほどでもなかったように思いますが、これはちょっと室内にいても怖さを感じるレベルです。
この辺りでもこれだけすごいということは、全国的に見るとまた大きな被害が出ているところもあるのではないかと思うと気持ちが沈みます。

どうぞ皆さまお気をつけて。

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2017年10月21日 (土)

賢いってなんだろう。

私自身は子どもの頃、どの教科も「そこそこ」できるタイプの子どもで、コツコツ努力するのが苦手だったにしては、勉強ではそんなには苦労しなかったように思うのですが(あくまでも公立高校に進むにはというレベルでの話ですが。)、子ども達とレッスンをしていて、学校では評価されにくいだろうけど、この子賢いよなと思う子に出会うことがあります。

通ってくれている子の中にこれまで何人か発達障害の診断がついている子がいました。
今も、言葉に対する理解の部分が弱いという子が来てくれていますが、その子と算数をしていると、問題の意味さえ理解できれば、同年齢の子と比べてもかなりよくできるなと感じることがよくあります。

その子は私とのレッスンにも随分慣れたので、その子が問題の意味が理解できていなさそうであれば、解き方ではなく、あくまでも問題の意味を理解してもらえるよう、言葉を変えたりして説明するのですが、極少人数のレッスンで、それぞれの子のペースでレッスンをしているから可能なのであって、学校で一斉指導の授業の中では、なかなかそこまで救い上げてもらいづらいのではないかとも思います。

解き方を習わなくても、問題の意味が分かれば解けるその子は、少なくとも算数に関しての能力は高いと言えるのではないかと思うのですが、文章理解の力が弱いということで、もしかすると学校やペーパーテストなどでは評価してもらいづらい可能性はあります。
だとすると、その子は学校やテストでは本来持っているはずの能力を評価してもらえないままに自信を失っていくこともあり得るでしょう。

その子に限らず、どこかが弱い代わりにどこかが平均より秀でているというタイプの子は珍しくありません。その弱いところを少しフォローしてあげるだけで秀でている部分がより花開く子もいるだろうと思います。

最近は発達上の困難を抱える子どもが1クラスに2、3人はいるような割合だとも言われていますが、だとすれば尚更、そういう子達に合った手助けをしてあげられたら、自信をもって過ごしていける子がもっと増えるのではないかなと。もちろん、集団指導の授業ではなかなか難しい面もあるだろうということはわかっていますが…。

それにしても、「賢い」というのはなんなんだろうなと、そんなことを改めて考えます。
言葉に対する弱さがあるその子は、算数に関しては十分賢いのですが、文章理解が弱いことで自力では算数もわからないことがあるかもしれません。それは賢いとはいえないのかといえば、そうではないように思うのです。(現に、しばしば見ていて感心するぐらい賢いですし。)
学校などで評価される成績というのは、自分で読んで理解できる、先生のいうことを理解できるという前提のもとに判断されてしまいがちなんだろうなということに、その子を見ていると改めて気づかされます。

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2017年10月20日 (金)

違いを認める

今日はレッスンには直接関係ないお話です。
いよいよこの日曜が投票日となり、街にも選挙カーや街頭に立つ人たちが多く、テレビやインターネット上でも選挙の話題が続いています。
そんな中、SNSなどを見ていると、恐らく自分が支持していないんだろうという政党の公式IDや候補者などに対して攻撃するようなコメントや、真実なのかどうか定かではない中傷するような情報があがっているのもかなり目にします。
また、候補者やその応援演説をする政治家自身までもが、他党の批判、他党への皮肉などを口にして、あそこはダメだからこっちに投票してくださいというような発言をしているのを耳にするのも少なくありません。

政治の裏側は私にはわかりませんが、多くの政党には支持してくれる団体や企業などがあるようですので、それぞれの利害があり、支持してくれる人たちを利するためにとなれば、当然それ以外にとっては不満や不安が出てくるのだろうとも思います。

アメリカでも、結局今回は、広がり過ぎた格差に耐えかねた市民が大きな力となって、当初の予想を覆す大統領が誕生したわけですが、それも、富裕層にとっては恐らく望まない結果だったのでしょうし、また、移民たちにとっても望まない結果だったのだろうと思います。

つまり、政治において全ての人が満足する政策というのは恐らく不可能で、誰かは不満を持つのだろうと思います。そして、満足する人が多い、もしくは満足する人たちの影響力が強い政党が選ばれるのだろうなと。

それは多数決なので仕方ないのだろうと思いますし、政治に限らず、全ての人が満足する、納得するというのは何事においても難しいと思いますので、だからこそ、違いがあるのは当然なのだということをもっとおおらかに受け止め、違いを認める意識が大事になるのではないかなと、そんなことを思います。

子どものいじめの問題も、結局は自分と違う子に対して、その違いが不快だと感じることで始まることが少なくないのでしょうし、その際、多数派が1人、もしくは少数の子達を攻撃するわけで、結局は大人が社会でやっていることを子ども達もしているだけなのではないかなと思うのです。

自分と違う主張も、そういう主張もあるんだねと受け止め、何か歩み寄れるところはないかなとお互いが考えることで、社会はよりよく、より優しくなっていくのではないのかなと、そんなことを考えてしまいます。

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2017年10月19日 (木)

算数と数学

小学校で学ぶのは算数。以前、算数は実学で、実際に具体物で確かめたりできるような範囲の学習で、抽象思考が必要になってくるのが数学というような説明を受けたことがあります。
確かに、算数のルールと数学でのルールが違うものはありますし、まだ幼い子達に対して難しいであろうことは、数学では正しいとは言えないような、でも間違いではないようなという表現でにごしたりというようなこともあるように感じます。

ただ、子ども達とレッスンをしていると、小学校の算数指導で、中学校の数学を意識した指導ということがもっとなされてもいいのではないかなと感じることがあります。
しかし、小学校の教員は基本的に全教科を指導しますので、どうしても広く浅くになってしまいがちでしょうし(それぞれの先生方が何か特定の教科を深く掘り下げて学ばれることはあると思いますが。)、中には理数系が苦手な先生もおられるはずです。
でも、小学校の算数は間違いなく中学以降の数学の基礎になりますから、やはり先を見た指導が受けられたらいいのになと思います。

例えば、先日、プリントにその後の学習内容の導入のため、「18=9+9」のように、式と答えの順が逆のような式を書いておいたものを見た2年生さんが、「先生は答えを先に書くの?」と尋ねてきました。
小学校では一般に「=」は「は」と読み、答えを書くための記号ぐらいの意識なのだろうと思います。また、等号についての説明を小学校の頃にされた記憶もない気がします。(もしかしたら忘れているのかもしれませんが。)
その子には「=」は右側と左側が同じになるということを表しているのだということを伝えたところ、「へぇ~、そうなんだ。」と言って、一応納得してくれたようでした。

この些細なことでも、等号は左右が等しいという意味だと知っていれば、中学校の上がって、文字式を整理するときに勝手に10で割ったり、分母をなくしたりというようなことをする子が少しは減るのではないかと思ったりします。
等号の意味を意識することがないまま中学生になり、数学で文字式を習うと、両辺がなければ勝手に分母を払っ
たり、例えば「0.07a+0.08b+0.12a」のような両辺がない式を勝手に「7a+8b+12a」に直したりできないということが理解できるのではと思いますが、方程式を習った後に、浅い理解のままそういう計算をしてしまう子は少なからずいるように思います。

これはひとつの例ですが、小学生のうちにしっかり意味を理解させることはとても大事なことではないかと思います。仮に難しくてそのときはぼんやりとしかわからないとしても、頭のどこかに残っていたら、中学生になって、あのとき先生が言っていたのはこのことか!とつながることもあるかもしれません。

小学生のうちにしっかりした基礎を築くことはその後の学びに本当に大きな影響をもたらすと思います。
小学校と中学校との間でもっと色々な連携があればいいのになと、そんなことも思ってしまいます。

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2017年10月18日 (水)

素晴らしい。

うちは基本が算数の教室で、希望があれば国語も見せて頂くという2教科しか見ることができない教室なので、中学生以降でうちに通い続けてくれる子はかなり限られています。
全体の指導ができないので、受験指導ということにもほぼ縁がないまま過ごしてきていますが、それもあって、試験の出来は数学や国語に関しては聞くことはあっても、全教科の成績などは教えてくれなければ、こちらから敢えて聞くことはありません。

そんな中、小学校低学年から来てくれていて、今も数学だけを一緒にさせてもらっている中2の子が中間考査を終え、返却された答案を全部持って来てくれました。
その子は少なくとも数学に関してはかなり力があり(他の教科は指導していないので…。)、コンディションさえ整っていたら相当賢いと思うのですが、眠かったり、お腹が空いていたりすると、持っている力の3割ぐらいしか発揮できなくなるような印象もある子なので、試験のときにそうならないことを祈っていました。

すると、来るなり「もう最悪。めっちゃ悲惨。」と、顔をしかめながら言うのです。
試験前に範囲をおさらいしたときにはかなりできていたので、まさかコンディションが…と思いながら、受け取った答案を見ると、そこには平均点より十数点上の80点台の点数が書かれていました。

え?どういうこと??

平均点以上、それもギリギリどころか余裕の平均点以上。ほかの教科のことかな?と国語を見ても、社会を見ても、理科を見ても、英語を見ても、全て80点台。え?

すると、数学の答案を指さしながら、小問の1問目で書き写し間違いをしたので大問ほぼ全部を間違ったこと、式のxとyを問題で与えられた逆に使ってしまったため、答えも逆になり、大問がほぼ0点になったことなど、間違いがほぼ全てケアレスミスによるものなのだと、嘆きつつ、自分を責めつつ、説明してくれました。
見てみると、確かにこれなら満点も取れていたかもなという感じで、そういう意味で本人的に「悲惨」だったんだなと。

そして、全教科80点オーバー、ほぼ90点というものもあるというのに、「全部80点台で90点台1個もなかった。」とまた嘆きました。
試験問題を見ても、問題量も結構あり、内容も公立中としてはそこそこ難しいのではと思うものであり、更にはうち以外塾などにも行っていない上に、テストの点が悪くても気にならないと言っていたのに、その子の中では80点台の出来は全く満足できないものなのだなということにしみじみ感心しました。

普段、気分が乗らないとあからさまに態度に出るタイプの子なので、全教科そこまですごいと思っておらず、本人にも目いっぱい「すごいね!尊敬するわ!!」と言いましたが、「できて当然」が基準の子にとっては80点台でも悲惨なんだなと、それは本当に素晴らしいなと思いました。

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2017年10月17日 (火)

考え抜くことの大切さ

今日は10月から戻ってきた中3の子とのレッスンがありました。
中間試験が終わり、答案が返ってきて、恐らく実力テストよりはしっかり考えられたのだろうとも思いましたし、点数自体も上がってはいたのですが、私はひとりでモヤモヤ…。

その子とは小学校の高学年になってからご縁をもらい、その後中学での部活動がハードになったということで中1の冬頃お別れになりました。

これまで色々なお子さん達とレッスンをさせて頂きましたが、色々な本などで子どもの脳は9歳頃までにある程度決まるということが言われており(もちろん、絶対的なものではなく、その後も脳は変わり続け、成長もするようですし、事故などでどこかが欠損しても、その部分の働きをほかの部分で補うようになったりもするようですが。)、高学年になってから来てくれた子達が見せる変化は、幼い頃にレッスンを始めさせてもらった子達と比べるとやはり緩やかだったり、現れ辛かったりするようには感じています。

小さいうちに習慣づいたことは、その後変えようと思ってもなかなか変えられなかったり、大きな苦労を伴なったりすることは少なくないと思います。例えば、お箸や鉛筆の持ち方などでも、間違った持ち方で身につけてしまい、その持ち方で子どもが何も不自由を感じなければ、その後で正しく持ち直させるのは、初めから正しく持つように促す場合に比べ、苦労なり面倒さなりを感じることが多いでしょう。
ですから、恐らく、頭の使い方、勉強の仕方なども、初めにして、その後繰り返した方法を、その後変えるのは、やはり苦労を伴うものなのだろうと思うのです。

で、返り咲いた中3の子も、高学年になってからのご縁だったこともあり、自分でじっくり考えるということにかなり苦労していた印象があります。そして、2年近くのブランクの間にもまた、日々の生活の忙しさなどもあって、習ったことを覚えて再現するという勉強の仕方に傾いていったのだろうなとも感じました。

返り咲いて半月足らずで中間試験を迎え、問題を解いているときに常に「なんで(そうやれば解けるの)?」「今それは何をしてるの?」「それはどういう意味?」と問い続け、頭をフル回転させてもらいながら、何とか少しでも確かな力をつけてもらいたいと、とにかく詰めました。

目の前で見ていて、何度も何度も質問され、理由を聞かれているにも関わらず、時々、これはこうやったら解けるんだったはず…と見切り発車的に解き始めることがあります。目的地が定まっていないのに出発する感じといえばいいでしょうか。

もちろん、何でもかんでも突き詰めて考えなくてはならないわけではありませんし、やり方を覚えて処理するようなことが必要な場合もあるだろうと思います。日々の生活でも、何もかもとことん考えていたら、とてもではありませんが生活は成り立たないだろうとも思います。
ただ、少なくとも、小中学校の算数・数学は考えたらきちんと意味がわかるものがほとんどですし、基礎の部分でしっかり意味を理解していなければ、しっかりした力はなかなか身に付くものではないだろうと思います。

子どもの頃に時間が許す限り、自分が本当に理解できるまで考え抜く経験を重ねることは、後々大きな力になっていくだろうと思います。そして、今後ますます、そういう力が必要になってくるのだろうとも思います。

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2017年10月16日 (月)

大学入試改革

スマホを持つようになってから、インターネットのニュース記事、情報記事はそんなのまで読まなくてもというようなものまで読んでしまいがちなのに、読書量はめっきり落ち、反省の日々です。
そんな中、少し前に買ったまま積読になっていた本を少し前から読み始めています。大学入試改革についての本で、私の教室では大学受験の子に関わることがないため、直接関係ないしと積極的に情報を得ていなかったのですが、まだ4分の1ほど読んだだけではあるものの、本当にそういう方向に大学入試が変わるのであれば、当然高校入試、中学受験なども内容が変わっていく必要があるはずだし、むしろ、変わってほしいと思う方向への変化なので、是非とも絵に描いた餅にならないよう、本当に内容のある改革になってほしいなと感じました。

まだ読み進めていくうちに何か違うことを感じるかもしれませんし、今もまだどんな試験にするか話し合われているところなのだと思いますので、最終的にどのように落ち着くのかはわからないものの、グローバル化を意識しないわけにはいかない時代が来ているというのはそうだと思いますし、少子化で海外からの留学生にも選んでもらえるような大学にしていかなくてはという視点も頷けます。(優秀な留学生に選んでもらえるような大学になれば、それは世界基準の大学ということですから、そこに通う日本の学生にとってもプラスになるのだろうと思いますので。)

知識偏重の試験が思考力、更には創造力を問われるような問題まで広がっていく(そういう方向を目指している)ということは、尚更、幼い頃から色々な経験をし、自分自身でしっかり考え、疑問を持ち、問題を解決していくということがますます大事になっていくのだろうと思います。
個人的には、そういう方向に変わってくれるのは願ってもないことです。

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2017年10月15日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年10月14日 (土)

早10月も半ば

10月から土曜への曜日変更のご希望が2組あり、これまでよりレッスンが増えました。
週末にがっつりという感じになってしまいましたが、子ども達は基本的に学校がお休みの分、コンディションがいいような気もしますので、いい感じでレッスンできることが増えるかなと思ったりもします。

そんな今日はあるレッスンでとても嬉しいお知らせがありました。
元々、発達上の困難があるということで、言葉に対して弱いと伺っていた子がいるのですが、確かに通ってくれるようになって数か月は、こちらが言っていることをなかなか聞いてくれず、どんどん一人で煮詰まってしまったりして、自分の力のなさに凹んだりもしていたのですが、あるときを境にかなり私の言葉に耳を貸してくれるようになり、その辺りからレッスンが随分スムーズに進むようにもなり、元々算数は結構センスがいいと感じていたので、そちらで自信をつけてきたこともよかったのか、いつしか言葉に対して弱いということもほとんど気にならなくなりました。
男の子なので、今のその子ぐらいの文章力、読解力の子は結構いるよね?と思うほどになり、時々は煮詰まったり落ち込んだりはするものの、大きく変わった気がしていました。

すると今日、おうちの方がわざわざ知らせてくれたのが、クラスで物語を作るような作文を書くことがあったそうで、三十数人のクラスでよく書けた4人に選ばれ、学級通信に載ったということでした。照れていたものの、その子自身も嬉しそうでした。

クラスの中の4人とはいえ、来てくれた頃は国語に明らかに劣等感を持っていた子が、作文で評価されたのはすごいことだと思います。(まあ、私の力ではありませんが。(汗))
これで国語に対しても、少しずつでも自信を持ってくれたらいいなと思います。
本当に嬉しいお知らせでした。

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2017年10月13日 (金)

頼もしくなってきた

1年生から2年生の途中ぐらいまでは、かなりコンディションにブレがあり、どちらかといえば思うように進まないことの方が多かった子がいます。2年生の途中から、急に伸びた感じがしたのですが、その後もかなり安定して問題に取り組めるようになってきていました。
それでも、問題を読むのを面倒がったりして、時々不穏な(?)空気を漂わせ、内心ハラハラすることも時々あります。その子はもう3年なのですが、このところ随分力をつけてきたというか、これまでの蓄積が形になり始めたというか、そんな印象を受けることがあります。

今日は小数の学習と、過去にやった分数のおさらいという内容だったのですが、分数のおさらいの中に、6分の1時分は何秒か、77cmは何mかなどのような問題があり、その中に8分の3Lは何mLかというようなものもありました。
ですが、1000÷8の割り算を筆算でさっさと解き、それを3倍して375mLとあっさり正解。他にも、以前なら「え~、いやだ~」とか「わからん~」とか言いそうだったものも、しっかり考えて落ち着いて正解していきました。

見ていても何だか頼もしさを感じるようになってきたので、いよいよ本当に力をつけてきたのかなと嬉しく思っています。

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2017年10月12日 (木)

子どもの性格

当然のことですが、子ども達の性格は本当にバラエティーに富んでいて、その上、日によって、時には1時間のレッスン内でも、調子がよくなったり悪くなったり、あるときはとても苦手そうにしていたことが別の日にはいとも簡単そうだったりと、本当に色々です。

ですから、どの子にも合う方法などというものはないのだろうと思いますが、大きくタイプ分けをすることはある程度できるかなとも思いますし、その大まかなタイプ分けで、こういう子にはこの方法が概ねよさそうだというような判断はできるところもあると感じています。

大まかに分けたときに一定割合いるのが、問題を見たときに難しそうに感じると、それだけで泣いてしまう、もしくは泣きそうになるタイプの子です。特に幼いうちは、わからないことが不安なのか、泣いてしまう子も多いのですが、成長と共に実際に泣くことは少なくなっていくことが多いです。
ただ、泣かないにしても、今にも泣きそうな表情になったり、「え?え?わからへん…」と動揺をしたりするタイプの子がいて、そういう子を見ると、泣かれるのは嫌だから教えてしまおうかという気持ちになることがあります。

とは言っても、私が子どもに問題を渡すときには、その子なら考えたらできるはずと思うものを渡しますし、もしかしたらちょっと難しいかもと思うときには、前もって「まずちょっと考えてみてくれる?もしわからなかったら助けるから。」などと声をかけてから渡し、表情なども見ていますので、その子にとって全く手が出ないような問題を渡すということはなく、受け取ってすぐ、どう見てもまだ問題を読んだかどうかぐらいのタイミングで泣きそうになられても、そこですぐ手助けをすることはその子のためにならないと思い、踏みとどまります。(その結果、泣かれることもあります…。)

難しいと感じて泣いてしまうというのは、やはりその子の性格や感じ方によるものなのだと思いますので、直せと言って直せるものではないだろうと思いますが、例えばおうちの方や学校の先生などであれば、そういうタイプの子が泣きそうな表情を見せると、可哀想に感じて助けるということも少なくないのかもなと思います。
でも、その結果、その子は自分の頭でしっかり考えることなく、問題の解き方を教えてもらったりする機会が増えてしまう可能性があるなと、それはその子にとって大事な機会を失っていることになるのではないかなと、少し心配になります。
まあ、こればっかりは性格ですから、本人の心がけでどうにかなるようなものではないのだろうと思いますので、もし子どもが考えていないうちにわからないというようであれば、やり方を教えるのではなく、同じような問題で数などを変えて気づきやすくできないか考えたり、一旦気持ちを変えるようほかのことをしたり、調子がよさそうなときまでその問題を保留にしたりというような対応をしてあげてもらえたらいいなと、そんなことを思ったりします。

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2017年10月11日 (水)

すみません…。

10日、帰宅してから書くつもりが、食事の後、何が悪かったのか強烈な腹痛に見舞われまして、しばらく「個室」にこもり切りになり、その後なんとか治まったものの、更新するのをすっかり忘れてしまっていました。
(既に11日も終わろうとしております…。)
というわけで、今日の更新はお休みします。

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謎の現象再び

先日、なぜか2の段のかけ算になると突然答えが4の段のかけ算の答えになる謎の現象に見舞われた子が、今週のレッスンでも再び謎の現象に陥りました。(笑)

かけ算の順序の件ではかけ算に順序はないという主張の方がおられ、それについて書くと批判を受けることがありますが、少なくとも小学校の算数では「2の5倍」は「2×5」であって、「5×2」とは区別して教えられますし、20円のものを3つ買った場合の代金は20円の3倍であって、3つの20倍ではないので、「20×3」の式でなくてはいけないというのが、算数の世界でのルールなのだと思っています。また、その他にも、単位を意識することでその後の単元でも役立つことが多いので、教室でも算数ではかけ算の式の順序は意識してもらうようにしています。

そんな中、3桁×1桁のかけ算の筆算をした後、文章問題をすることになったその子が、まず1問目、7匹のクモがいて、クモの脚は8本。クモの脚は全部で何本かという問題に「7×8」と書きました。たし算ならどう書くか尋ね、「8+8+…」と8を足していくのだから、「8×7」が正しいのだということで直してもらいました。
次の問題も逆に書いたので、また同じように考えてもらって、直してもらいました。
すると3問目。50円の鉛筆を2本買った代金を問われる問題で、2問連続式が逆だったからなのだと思いますが、今度は逆にしなくていいのに「2×50」と書きました。

そこで、2本だけだしなと、「ねえ、それ、かけ算じゃなくたし算で解いてみてくれる?」と言って、見ていました。
すると、「50+2」という驚きの式が書かれたので、「ごめん、ちょっと式は後でいいから、答えを考えて書いてくれる?」というと解答欄にはすんなり「100円」と書きました。

「そうよね?じゃあもう1回足し算の式書いてみてくれる?」と言ったのに、書くのはまた「50+2」。(苦笑)
「えっと、じゃあ、その答え書いてくれる?」というと、おもむろに「50+2=100」(!!!)と書きました。
「50+2は52じゃない?」と言っても表情がぼ~っとしたままだったので、「ちょっと後にするわ。」と言って、ほかの問題を先に進め、ある程度ほかのことが済んだ後で、もう大丈夫かなと戻ってもらったものに、なぜかその問題はダメなまま。

考えた末、紙に鉛筆2本の絵を描いてもらい、その下にそれぞれいくらかわかるように値段を描いてもらってから、もう一度式を書いてみてもらったところ、ようやく「50+50」「50×2」に戻ることができました。

50+2に100と書かれたときには、想定外で思わず笑ってしまいましたが、今回もまた思いがけない反応に出合い、なかなか新鮮な気持ちになりました。

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2017年10月 9日 (月)

ちょっと興味深い記事。

子育てや教育にはひとつだけ、これが正解だというものがないだけに、多くの親御さんや大人たちが悩んだり迷ったりするのだろうと思いますが、タイトルだけ見たときには、バッサリ断言できるものかしら?と思ったものの、内容はなかなか興味深く、共感できるところも多かったので、少し長い記事ですがご紹介します。

この先生がおっしゃっているのは、早期教育をすれば、どの子もしなかった子に比べて効果があがるというものではないという意味のことなのだと思いますので、それはその通りだと思います。
また、子ども自身が全く興味を持たないことを早くから始めても、全く無意味になるということもあるだろうと思います。
その一方で、興味があることを早く始めるか遅く始めるかであれば、早く始めた方が効果が大きいのではないかしらという気はします。(もちろんそれも必ずとは言えないと思いますし、させる内容やさせ方などにもよると思いますが。)

身長がほぼ遺伝的要因で決まるというのは何となく頷けるように、ほかにも、へぇ~そうかと思うことや、その通りだと思うことが色々書かれています。
よろしければご一読ください。

「早期教育は意味がない」慶応医学部教授が指摘、その理由とは

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2017年10月 8日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年10月 7日 (土)

イレギュラーの土曜

今日は珍しく、学校行事による時間変更、欠席振替、中間試験前の振替、追加レッスンなどが重なり、超イレギュラーかつ普段より多くの子達が切れ目なく訪れ、久しぶりになかなかハードな1日でした。
レッスン時間自体は合わせても5時間ちょっとなので、大したことない気がするのですが、途中、トイレに立つことも、お茶を飲むこともなく、常に目の前の子ども達を見ながらその場で問題を見て、マル付けをし続けるというのは、やはりなかなかハードです。(脳みそ的にも。(苦笑))

子ども達とのレッスンが楽しいからできるのであって、これが嫌な仕事だったら絶対終わったらぐったり、もう二度といや!と思ってしまうだろうなと。

今日のレッスンでのちょっとした出来事です。幼児さんとのレッスンでは積み木やパズルなどをしてから点つなぎをして、思考力系の問題をして、算数の問題をして…というように、ある程度することの順を決めています。ですが、今日のレッスンの子はこの頃ちょっと点つなぎを嫌がることがあるので、たまには気分を変えてみようかと、点つなぎとその次の課題の順を入れかえようとしたところ、すぐに「あれ?なんで(点つなぎじゃないの)?」と尋ねられ、「点つなぎが先がいい?」と尋ねると、頷きました。
決まった順が安心する時期というのがあるのは知っていますし、また、性格的に決まった順でないと落ち着かないという子もいるように思いますが、その子がレッスンの順をしっかり覚えていたんだなと気づくと共に、少なくとも今のその子はその順のままがいいんだなということが確認できた出来事でした。

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2017年10月 6日 (金)

8分の1円

今日のレッスンでのこと。
一般的には3年生がする問題ではないのだろうと思いますが、分数の学習が済んで、大きな数の学習をしていた子が、復習で分数を使って考える文章題をすることになりました。

問題は3問あったのですが、そのうち1問がこのようなものでした。
2000円を持って買い物に行き、持っているお金の8分の3で鉛筆3本を買い、残りのお金の5分の4でノートを5冊買った。鉛筆1本の値段、ノート1冊の値段、残ったお金をそれぞれ求めなさい。

その1問目の答えを書いたようだったので、ふと見ると、そこには「1/8円」と分数で書かれていました。
問題に「3/8」で鉛筆3本を買ったと書かれていたので、1本あたり1/8だと考えたのだろうということはわかりますが、1/8円って…(汗)

「ねえ、1/8円ってそんなお金あるの?1円玉を8個に分けるの??」とつっこむと、笑いながら「え~」というものの、勘違いしているため、すぐにはわからない様子でした。
そこで線分図を描くように言って、全体が2000円、そのうち鉛筆3本がどこまで、ノート5冊がどこまでになるかを描いてもらいました。
図が描けたのを確認してから、「じゃあ、それ見て考えてね。」というと、その後は正しい答えを出すことができました。

ぱっと見、とても3年生が解くような問題ではないのでは?とお感じになる方もおられるかもしれませんが、分数の意味を理解しており、線分図で8等分の図が描ければ、そう難しいことではありません。
2000÷8の計算もその子は既にできるようになっているのですが、仮にそれが難しかったとしても、線分図のまん中を指して、そこまででいくらかを尋ねれば、恐らくみんな1000円だと答えることはできるはずです。
更にその1000円にあたる長さのまん中を指して、そこまでいくらか尋ねると、それも500円と答えられる子がほとんどだろうと思います。(教室の子で、このような問題をする段階になってもそれが答えられなかった子は記憶にありません。)あとはその半分を考えればよいので、2000÷8の割り算ができなかったとしても、図を見ながら答えを求めることは3年生でもできるはずです。

やり方を覚えるのではなく、意味を理解する。図を描く。それは本当に大事なことだと思います。

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2017年10月 5日 (木)

雑感

今日は先日から返り咲いた(?)中3の子とのレッスンがありました。
中間試験前ということで、学校の問題集を持ってきてもらったのですが、その問題を見ながらふと感じたことがありました。

問題集や、時には試験の問題などでも、まず方程式を作らせ、次に答えを書かせるというようなパターンで、立式にも点数をあげるものがあります。
例えば数学があまり得意ではないような子にとっては、そうやって式ができるだけでも点がもらえるというのはありがたいのかもしれませんが、今日見ていた問題では(二次方程式の利用のあたりですが。)、指示通りに方程式を作るより、図を描いて考えるほうが簡単なのでは?と思うものや、わざわざ別の式を考えなくても、先の問題で作った方程式を使ったら解けるのでは?と思うものなどがあって、こういう問題の出され方は、数学が得意な子、好きな子にとっては面倒だな、面白くないなと感じる原因になるのではないかなと思いました。

また、例えば、立式の際、どう見るかで式が何通りにも作れるようなものであっても、解答解説には1通りの式しか書かれていないようなものもあり、これを子ども自身が見てマル付けをするとなると、数学があまり得意ではない子であればあるほど、自分で考えた式でも答えが出るにも関わらず、バツをつけて、間違えたと思うということも起こりそうだなとも思いました。

特に、xを使って面積を表すような問題は、与えられた図をどう見るかによって、簡単に解けるか、手間がかかるかの違いがかなり大きくなることがありますが、そういう問題は、小さい頃から積み木や色板、折り紙などで形に親しみ、図形の感覚を磨くことが後々大きな力になるのではないかなということも感じます。具体物に触れ、実体験を重ねることの方が、小さいうちから算数の問題をたくさん練習させるより、恐らく確実な力になるだろうと改めて感じました。

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2017年10月 4日 (水)

本物の自信

教室を始めた頃にお世話になった先生がおっしゃっていたことがあります。
本当に自信のある子は、自分ができること特別だと思わないので、わざわざ自慢しないということです。
初めにそのお話を伺ったときは、どういうことだろう?と思ったのですが、考えてみると確かにそうかもしれないなと思いました。

例えばですが、歩けるようになった子がまだ歩けない子に対して、「ボクもう歩けるのに、キミはまだ歩けないの?」なんてことは言わないでしょうし、それは極端だとしても、例えば学校で掛け算の九九を暗唱し終えた2年生が1年生などに向かって「私、九九が言えるのよ、すごいでしょ。」などというような自慢もしないだろうと思います。(仮にしたとしても、そんなの当然でしょ?と言われるでしょうし。)

つまり、人から見たら結構すごいことができたとしても、自分にとってそれが特別すごいことでなければ、わざわざ自慢などしないというのは確かにそうなんだろうと思います。
また、心が安定していたら、自分ができることをひけらかして、誰かを低く見る必要もないのだろうと思います。

もう10年ぐらい前のことですが、教室に来てくれていた子が学校で友達から、まだ自分は習っていない算数の勉強ができることを自慢され、お前はできないのかと馬鹿にされたことがあったそうです。でも、そのときにその子は馬鹿にしてきた子に対して、「それはまだやってないからできへんけど、俺もっとすごいことできるもん。」と意に介さなかったそうです。
実際、教室では色々なことをしますし、時には学年の枠を超えたようなことも先にしたり、学校では習わないようなこともしたりしますので、その子は算数に結構自信を持っていたのです。その子に対して、単にまだ習っていないだけの計算ができるということを自慢したところで、その子は全く傷つくことはなかったのだろうと思います。

もちろん、性格にもよりますので、からかわれたり馬鹿にされたりすると傷つく子もいるとは思いますが、そもそも、単に先に習っただけのことができるということを自慢するのは、何とも残念な気持ちになります。
自分がしたくて先に進んだのであれば、それは楽しいことだから、できることを嬉しく思うことはあっても、誰かを馬鹿にしようとは思わないはずです。

ですから、滅多にはいませんが、教室に来てくれる子が薄っぺらな自慢をしようとすると、なんだか悲しい気持ちになります。私の力不足もあるんだろうと反省もします。
人を見下すための学びはしてほしくありませんので、子ども達が本当の自信を持てるよう、そのお手伝いができるといいなと思います。

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2017年10月 3日 (火)

複雑な気持ち

これまで何度も書いていますが、私自身は教員志望で教育学部に進学し、教員免許も取得して、教員採用試験を受ける前に数年社会経験をしてみようと一般企業に就職した結果、学校の教員になるという夢が少し違った方向に向き、色々あって、自分で教室をするに至りました。

教員志望でしたので、大学ではそれなりに真面目に授業も受け、単位もしっかり取ったのですが、そんな私でさえ自分で教室を始めるまでは全く知らなかったこと、気づいていなかったことですので、世の多くの大人は知らないままでも不思議はないのだろうと思う、でも、子ども達にとってとてもとても重要なことがあります。

塾講師だった頃、私はいかにわかりやすく教えるかに力を尽くしていました。でも、どれだけわかりやすく教えても、子ども達にはなかなか定着せず、火曜の授業で説明したことを金曜の授業ではきれいさっぱり忘れているなんて言うことも珍しくありませんでした。
これ以上わかりやすく説明するのは無理だと感じる一方で、ずっと何か違うのではないかというモヤモヤも感じていました。
そして、出合ったのが「教えないという指導」でした。

説明をするのでも、やり方を教えるのでもなく、子ども自身に気づかせる、わからせるという指導。
それに出合ったときは本当に目から鱗の気分でしたし、と同時に、それを知らなかったせいで何年もの間私は子ども達の考える力を奪っていたのかもしれないということに愕然としました。

つまり、学校の先生方でも、過去の私がそうであったように、わかりやすい指導を心がけておられる方、熱心に説明をされる方は大勢おられるだろうと思います。
でも、その結果、多くの子ども達が受け身になり、自分で考えるチャンスを失い、教えられたことを覚えて再現しようとする。その結果、忘れやすくなり、記憶も曖昧になり、ミスも増える。定着させるためには何度も何度も反復する。しかし、その作業は楽しくないので、尚更定着しづらく、結果、その教科が嫌いになる可能性も…。

もちろん、学校では一度に数十人の子どもを指導するわけですから、なかなか難しい面もあると思いますが(おまけに塾などで先に習っている子もいれば、全く知らない子もいるわけですし…。)、新しい内容を学習する際、説明から入るというのをほんの少し変えるだけでも、子ども達の理解度が変わりそうな気もします。

小学校高学年のときにうちに来てくれていた、現在中3になる子が急遽戻ってくることになりました。
何がどの程度できるのかを確認させてもらうため、中3でこれまで習ったことをピックアップして問題を解いてもらったのですが、小学生の頃、あれだけ私が「なんで?」「どうしてそうなるの?」と嫌というほど聞かれ、そのたび一所懸命考えて説明しようとしていた子が、習った公式などを思い出して解こうとしているのがありありと伝わってきました。

真面目な子なので、きっと一所懸命授業を聞いて、それを覚えて問題演習をして…ということを数年やってきたのだろうと思います。そして、それは褒められることはあっても責められることはありません。ですが、その方法では本当の力にはなっていないのもまた事実です。

例えば学校で新しい単元に入るとき、先生が説明をされる前に「これはどうなると思いますか?」などと尋ね、少し時間を取り(習って既に知っている子が発言しないよう、各自考えさせてノートに書かせるなどするのがいいかもしれませんが。)、それぞれの子が何かしら考えた後で説明に入るだけでも、きっと違うのではと思います。
もちろん、そう尋ねられても何も思いつかない子、考えられない子も中にはいるかもしれませんが、それでも、どうしたらいいかわからないからちゃんと聞こうと思えれば、何もなしにいきなり説明が始まるのとは違うのではないかと思います。

大学入試改革が進められている中、考える力がますます重視されるようになってくるのは間違いないだろうと思いますし、そもそも、大学に進学するかどうかとは関係なく、これからの時代、単純労働はどんどん機械などに取って代わられるでしょうから、考えられない人間は暮らしていくこと自体がとても大変になるかもしれません。
小中学生を指導する立場の大人も変わっていかなくてはいけないのではないかなと思います。

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2017年10月 2日 (月)

小さい子達

以前は年少さんや年中さんともレッスンをさせて頂いていたのですが、教材の関係などもあり、ここ何年かは年中さんの秋以降ぐらいからならということでお受けしていたため、就学前の小さい子達とレッスンをさせてもらう機会はめっきり減りました。

そんな中、今日は2人の子達とレッスンをさせてもらう機会を頂き、久しぶりの年少さんということもあって私もちょっと緊張しましたが、ほぼ真っ白の状態の子達とレッスンをさせてもらいました。
ひとりの子は数字もまだ1と2ぐらいしか知らないようで、何がどこまでできるのか、ちょこちょこ色々なことをさせてもらったのですが、どちらの子も積み木やサイコロの目を見て、1~3個は自信を持って大きな声で答える一方で、4個や5個になった途端、「4?…5?」とこちらの顔を見てきたり、当てずっぽうで言っているのがわかったり、明らかに1~3個の時とは反応が違いました。

数を認識する段階で、初めは3まで、それをきちんと認識できるようになってから次は5まで、更に10までという段階を経るのだということを知ったのは教室を始めることになったときでしたが、久しぶりに、正にそのタイミングの子達とのレッスンをさせてもらって、なんだか少し新鮮でした。

何度もやり取りをしていると、片方の子は4や5も自信を持って大きな声で言えるようになり、表情も明るくなって、ああ、この子は5までわかるようになったなぁと、それを目の前で見られるのは幸せなことだなぁと思いながら見ていました。

ひとりひとりの子がその子のペースに合わせて、その子自身が本当にわかったと感じられるようにしてあげることで、学びの楽しさを感じ、本当の意味での自信を積み重ねられるのではないかなと思います。
それだけに小さい子達に向き合わせて頂くことは、本当に責任重大だなとも思っています。

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2017年10月 1日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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