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2017年9月30日 (土)

9月もおしまい。

9月最終日は振替や時間変更などイレギュラーが重なりましたが、今日が運動会だった子は暑くなく寒くなくのちょうどいい運動会日和だったことでしょう。

早いもので9月ももうおしまい。
今日欠席振替で来ていた6年生の子のレッスンのとき、これまでもずっと使っているというのに、ワークブックに書かれていることが目に留まり、え?どういうこと??と思った一方で、子ども達にはちゃんと読むように言っているくせに、問題に関係ないところは自分も全く読んでいなかったことを反省しました。

で、え?と思ったのが、メートルがどうやって決められているかという説明に書かれた数字…。
子午線を分けたというような話は目にしたことがあったのですが、そこに書かれていたのは「1/ 299792458秒に光が真空中を伝わる距離」というようなことで、この何かの暗号ですか?というような「299792458」の数字が一体なぜ基準になったんだか、気になって気になって…。(苦笑)

なぜこんなややっこしい数字が基準になったんでしょう…。真剣に調べていないので、がんばれば見つけられるのかもしれませんが、ウィキペディアなどによると「そう定義される」となっているので、やはり誰かが決めたということなのではないかと…。
昔何かで読んだ「メートル原器」ってのは?と思って少し調べましたが、1960年の時点でメートル原器を基準にするのをやめたと書かれていて、そんな昔にもう使うのやめていたのなら、私が習った気がするのは一体何だったんだ?という気もしています。

そういえば、私たちが習った頃と歴史も色々変わっているようですし、昔習ったことで結構変わっていることもあるんでしょうね。自分が習ったことが絶対と思わないよう気を付けなくては。

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2017年9月29日 (金)

安定感が増してきた

小さい頃はかなりコンディションの波が大きく、できるときはかなりできるものの、ダメになるともう何もかもダメという感じになるタイプの子がいました。
小学校に上がり、学年が上がるにつれ、随分安定してきたなと感じてはいましたが、ここに来て、これまでコツコツ積み上げてきたものがしっかり固まってきたのかもしれないなと感じることが増えてきました。

面倒だと問題をきちんと読もうとせずに聞いてきたりというところはあるのですが、過去のその子を見ていると、この単元は苦戦するかもなと思うものや、単元自体は大丈夫でも、この問題は抵抗を示すかもなと思うものなども、かなりのものをすんなり解くようになってきたのです。

最近は大きな数の学習をしているのですが、学年を考えると学校ではしないぐらいのものまで一度に学習するようになっているので、10倍、100倍、時には1万倍したり、10分の1、100分の1…としてみたりというものも出てきます。(それも、0をつけたり取ったりしたらいいというような教え方は一切しません。)
今回のレッスンでは490億÷70とか、500万×30とか、そんな問題でさえも、ほぼ助けなくても考えられました。

子どもの明らかな成長を感じる瞬間は本当に嬉しいものですね。

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2017年9月28日 (木)

受験生

小学校高学年のときに一緒にレッスンさせてもらって、その後練習がかなり熱心な運動部に入ることになったことや、徒歩圏ではなかったことなどで中学に上がるときに「卒業」した子がいます。
部活はしっかり頑張ったようで、また、ほかに塾などにも行かず自分で勉強に取り組んでいたようで、3年になって部活を引退した後も、そのまま塾に行かず、自分で頑張ってみるとおうちの方達に決意表明をしたとのお話を伺って、なんだか素敵だな、そういう考え方の子、好きだな、嬉しいなと思っていました。

ただ、その一方で、いくら頑張るといってもまだ中学生ですから、自分が中学生の頃を思い返しても、やろうと思っていても気づいたら寝てしまっていたり、ついついテレビや漫画を見てしまったり、家ではなかなか計画通りには進められなかったことや、高校のことなんてろくにわかっておらず、制服や通いやすさ、単なるイメージで志望校を決めていたことなど、あのとき担任が無理矢理にでも志望校を決めてくれてよかったなと思うぐらい何もわかっていませんでしたので、その子が自力でどこまでやれるのか、また、やったとしてもその頑張りに対してどれだけ成果が上がるのかは少し気にはなっていました。

2学期が始まり、学校の実力テストのほかに、自ら希望して模試を受けたそうで、その結果を見て、本人が数学をもう一度ここでやりたいと言ってくれたそうで、10月からまたご縁を頂くことになりました。

私が見られる科目が数学と国語だけなので、受験生はこちらから積極的にお誘いすることはないのですが、今回は本人が数学をということで了解してくれているのと、おうちの方から言われてではなく、自分自身で考えて決めたということとで、まずは今その子がどんな状態なのか見せて頂き、私が何か手助けする必要があれば一緒にレッスンをさせてもらうということにしました。

その子を見ていると、本当にえらいなぁと思うのは、私は中学時代、受験のことを自分でそんなに真剣に考えたことがありませんでしたし、9月頃はまだ呑気に過ごしていた気がします。(というか、かなりギリギリまでのんびりし、最後は時間が足りず、よく無事に合格できたなぁとそんな感じでしたが…(大汗))
それを思えば、その子は色々なことを自分なりに考え、目標を決め、思うような結果が出なかった時点で再度考え直し、うちにも塾にも行かないと言ったことを取り消し(きっとそれも勇気が要っただろうと思います。)、自分から連絡をしてきたというのは、本当にえらいなと。
ある意味、どこの高校に進学することになっても、その先どんな進路を選んでも、きっとその子は大丈夫だろうなという気もしています。

そうは言っても、志望校に近づけるよう、私もできるだけがんばりたいと思います。

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2017年9月27日 (水)

謎の現象(笑)

今日のレッスンでのこと。
かけ算は結構楽しいようで、このところずっと順調だった2年生さん。前回は2桁×1桁や3桁×1桁の問題などもしっかり考えられていたので安心していたのですが、今日はどこか違うスイッチが入ったようで、前回はこちらが言わなくても、例えば57×4であれば、50が4回と7が4回というような考え方をしていたのですが、今回は57を4回書いて、2回ずつ足していくというように、ただひたすらに足し算方式で解いていました。

それはまあ、まだ九九の暗記をしていない段階ですので、考え方がわかっているからいいかと、それ以上言わずにいたのですが、今日の謎の現象はもっともっと簡単な問題で起こりました。

絵が描かれていて、それを見て考える問題だったのですが、子どもが9人並んでいて「目の数は全部でいくつ」と書かれた問題に対し、まずはなぜか「8×2」と書き、しばらくして「2×8」と書き直し、そのうち気づくかなと待っていたところ、そのまま突き進んだ末、書かれた答えが「17」

17・・・・・・(汗)

「ねえ、17だったら、誰か1つ目か3つ目の子がいるの?」と尋ねたものの、なぜか反応が鈍いまま。表情を見ても、眠いのか何かおかしなスイッチが入ったのかという表情です。
そこで、「2、4、6、8…って数え方知ってる?(頷く。)だったら、それでちょっと確かめてみてよ。」と言ったのですが、次に書かれた答えはなぜか「32」。

子どもが8人だと見間違ったままなのだということはわかったものの、なぜ答えが倍になったのかわからず、眠いのか尋ねても肯定してくれないので、一旦その問題を保留にして下の問題を考えてもらいました。
すると、下の問題の方が数的にもややこしかったのですが、あっさり正解。更にもう1問やっても大丈夫。プリントの目の数以外の問題はスイスイ解いた後、表情が少し戻ったので、「2、4、6って言いながら考えてみてよ。」というと、やっと正解の「18」に辿り着き、式も書き直してくれました。

しかし、その後もなぜか「2×○」の問題になると、答えが正解の2倍になるという現象が発生。2以外の掛け算はきちんと答えが出る、もしくは1回分多かったり、少なかったりぐらいの間違いしかしないのに、なぜか2の段だけは何度もおかしくなっていました。

原因が何なのかわからず、何とも不思議な気分で、レッスンの終わりにおうちの方にも、なぜか2の掛け算だけおかしくなっていたことをお伝えすると、2年生さん本人も笑っていましたが、なぜだったのかはわからずじまいでした。

2と思いながらも頭には4が浮かんでいたんでしょうかね。なんだったんだろう。

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2017年9月26日 (火)

嬉しい出来事

2年生の終わりから来てくれ始めた現3年生の子がいます。
小学校受験をした後、学校での授業の進度もやや速いようで、教えられたことを覚えて再現するということがよくも悪くもかなり身についているような状態だったため、初めの頃は算数でも、習ったことのないことに対しては「え?どうすればいいかわからない。」と動揺し、時には涙を見せたりすることもありました。これまで習ったことや、普段の経験から、考えられそうなことを考えてもらおうとしても、なかなかそうはいかなかったり、とにかく速く答えなければとミスをしたりということが少なくなく、ゆっくりでいいから、ちゃんと考えてこれだ!と思ってから答えを書くようにしてねと、何度も何度も声掛けをし、教室ではもちろん一斉急かさず、むしろ急ごうとしたらゆっくり考えるよう促し、そんなことを繰り返して、少しずつ変化が見えてきていました。

その後、夏休みに学校が長い間お休みになったこともよかったのか、随分様子が変わってきた気がするなと思っていたのですが、今回のレッスンの最後に思考力系の問題をしてもらうことになったとき、またちょっと嬉しい出来事がありました。

その子とはあまりのある割り算まで学習は済んでいるものの、九九の範囲を超える割り算についてはまだ学校ではやっておらず、教室でもそれについては一緒に問題を解くところまではまだやっていませんでした。
ただ、割り算の導入の際、どんなときは余りがあって、どんなときは余りがないかなどを、絵をマルで囲んだり、割る数を何度取れるか考えたりと、色々な方向から考えてもらうとうことはしていました。

その子に今回考えてもらおうとした問題が、兄弟3人でお母さんが焼いたクッキーを分けたら、余りなくぴったり分けられた場合、クッキーの数は次のうちどれかというもので、選択肢は32個、42個、52個、62個の4つ。
どの選択肢も九九の範囲では考えられないので、学校ではしていないはずですし、私としたのも少し前のことで、さて、どんな反応を示すかな、わからないというかな…と思いつつも、まずは黙って見ていました。

すると、「30…これあかんわ。」とつぶやいて、32の選択肢に×。次はどうするのかなと思っていると、戸惑うことなく当たり前のように、「33、36、39、42、あ、これいける。」と、すんなり答えを見つけました。
でも、念のためと思い、「あとの2つは答えじゃないの?」と尋ねると、そのまま「42、45、48、51、だからこれもダメ。54、57…」と自然に3ずつ増やしていって、分けられるか余るかを全く困ることなく判断したのです。

春には習ってないことはわからないと言い、少し考えて答えを思いつかないと焦り、とりあえず適当に答えを書いては、違うと言われたら消して、よく考えないうちに次の答えを書くというようなことを繰り返していた子が、こんな風に自然に考えられるようになったんだなと、本当に嬉しく思いました。
何より、割り算をどうやって考えたらよいのかというところまで理解していることが本当に嬉しく、お迎えに来られたお母さまにも思わず報告してしまいました。

この調子でどんどん算数が好きになってくれるといいなと思います。

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2017年9月25日 (月)

パズル

もう20年近く前なのかもしれませんが、たまたま手に取った論理パズル系の本に京都大学の先生が、京大生の多くは(もしかすると、その先生のゼミ生だったかもしれませんが。)パズル問題を考えるのが好きで、パズルを考える力は数学の力に大きく関わっているというようなことが書かれているのを見て、へぇ~、そうなのか!と思いました。

その後、自分で教室を始め、じっくり考える学びを子ども達と一緒にするようになり、元々ペンシルパズルは好きだったのですが、改めて、ああ、確かにこういう頭の使い方はパズルでもするなと感じたり、逆にパズルをしながら、この考え方は数学でも使えるなと感じたりすることがしばしばありました。

特に、難易度の高いペンシルパズルの問題などでは、とにかくくまなく見ていって、どこかひとつ手がかりが見つかると、それによっていくつか続けて解決するというようなことがよくありますし、逆に、いくら考えてもわからないなぁと思っていると、何か見落としをしていて、それに気づいた途端にあっさり解けるというようなこともあります。
どこかから解き始め、その辺りがもうどうにもならなくなって違う部分に手を付け、気づけば初めに解いた部分と後から解いた部分とが繋がったりというようなことも。
これらは全て、しっかり考えなければ解けないような数学の問題と向き合うときに経験すること、必要になってくることのように思います。

だとすれば、その頭の使い方を鍛えるには、数学を解かなくても鍛えることはできるとも言えるでしょうし、特に小中学生の間にそういう部分を鍛えておくと、後々役に立つことが多いのではないかなとも感じます。

ひとりひとりの子に適度な難度の問題を与えるというのはなかなか難しいかもしれませんが、簡単なものから始めて難しいものに進んでいくというのであれば、ちょうどいい難しさのものには辿り着けるのではないかなとも思いますし、ペンシルパズルにも色々な種類がありますので、お子さんが興味を持つもの、楽しめるものから始められるというのでもいいんだろうなと思います。

算数・数学の力をペンシルパズルや論理パズルで伸ばすことはある程度可能なのではないかと思いますので、ご家庭でも積極的に取り入れて見られてはいかがでしょう。

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2017年9月24日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年9月23日 (土)

喜んでいいのか悲しむべきか

私自身を振り返ると、小中学生の頃は4教科(中学では5教科)といわれる教科の中では国語が一番好きでした。その理由というのが、漢字は別として、改めて勉強しなくても点が取れるからという、極めて怠け者的なものでした。
そういう意味では中学でちらりと出てくる古文や漢文はあまり好きではありませんでした。
とにかく、コツコツ覚えることが全般に嫌いだったので、あまり何もしなくても点が取れる教科が「楽だから」好きでした。

しかし、教室を始め、算数や数学を意味を考えて解くようになってから、国語があまり好きではなくなりました。特に行間を読まねばならないような問題になると、たとえ解けても、これが答えなのかなぁ?というもやっと感が残るというか、算数や数学のように、解けた後のスッキリ感がないことで、達成感や満足感も感じづらく、昔は好きだったのになぁと思うぐらいになりました。

で、教室に来てくれている子ども達の大半が算数は好きだけど国語はあまり…という気持ちがよくわかるようになったのですが、しっかり考えて解けた快感を積み重ねるほど、国語より算数が好き、楽しいと感じる子が増えるように思います。

実際、おうちの方が、算数がとてもつらそうなので…とか、算数がキライなようなので…とか心配されてご縁を頂いた、その時点では国語の方が好きとか、国語が好きとか言っていた子達が何人も、算数の方が好き、国語はあんまり…というようになりました。

今日は振替のレッスンがあったのですが、今日来ていた3年生さんも「前は国語好きやったけど、今はあんまり好きじゃない。ここ来る前は算数嫌いやったけど、算数の方が好き。」と言いました。まあ、その子の場合、国語ができていないわけではないのでいいのかもしれませんが、算数の楽しさを見つけてしまった子は国語を楽しいと思えなくなってしまうものなのか、どちらも好きではいられないものなのか、それがちょっと悩ましいところです。

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2017年9月22日 (金)

掃除とやる気

今日は直接子ども達には関係ないお話です。
健康だけが取り柄というような私も、このところそういう「お年頃」で、小さな不調がちらほら。歳を感じて落ち込んだりもして、元々掃除があまり好きではないのに、夏の暑さも手伝って、しばらくますます家の掃除がいい加減になっていました。
家にいると何もやる気が出ず、ダラダラとテレビでスポーツ観戦をしているか、スマホやパソコンを見続けているか、今日も家でするつもりの仕事ができなかったなぁ…というような自己嫌悪の繰り返し。

しかし、ようやく涼しくもなってきましたし、さすがにちょっとこれは片付けて掃除をしないといけない気がすると、今日は机の上、テーブルの上、雑誌や本を入れてあるワゴンの中、そこに収まらず床に積んであった本や教材、ダイレクトメールなどをいらないものは処分、いるものは棚にしまったりなどして、その後あまり手を付けていなかった、目に付きづらいところなども拭き掃除をし、随分とスッキリしました。

部屋がスッキリすると、それだけで気分が軽くなり、積読になっている本を読もうかなとか、教材作りもしなくちゃなとか、やる気も出てきました。

鬱症状が出かかっている方などは部屋の掃除や片付けができなくなり、そのうち着替えなども億劫になって…というようなことも読んだことがあり、そういうときにはがんばって部屋の掃除をするだけで症状が改善することが少なくないと書かれていたことに、確かにそういうことはありそうだなと納得がいきました。

そういえば、以前読んだ本に朝起きたらすぐ、10秒掃除をするという本を読んだことがあったのを思い出しました。起きてすぐ10秒だけなら続けられるし、手を付けてしまえば、多くの場合10秒では終わらず、もう少し時間をかけられるものだと。それを読んでから半年ぐらいは実践していた気がするのですが、いつの間にか忘れていました・・・。
これを機にまた、起きたら10秒掃除を心がけてみようかな。

そんなことを考えていたところ、そういえば中高生の頃、試験前になると机を片付けたくなって、結局なかなか本題の勉強に辿り着かなかったことがあったなと思い出しました。その傾向は多くの中高生にあるのではないかなという気がするのですが、試験前に時間をかけすぎるのはよくないとしても、綺麗に片付いた机だとやる気が出る可能性は無きにしも非ずなんだなと。

さて、関係ないことをつらつらと書きました。明日は祝日で通常レッスンはお休みですが、振替レッスンで出勤することになりました。秋分の日、いよいよ秋本番ですね。

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2017年9月21日 (木)

先入観は恐ろしい。

今日のレッスンで、かなり驚き、激しく反省した出来事がありました。
教室を始めてから十数年、ずっと使っており、これまで何人もの子ども達とそれを使ってレッスンをしてきた教材があります。
当初、答えがおかしいところや問題の表現が間違っているところなど、見つけるといくつかまとまったら販売元にお知らせもして、少しずつ修正もしてくださったので、さすがにもう明らかに間違っているところはないものだと思っていました。

しかし、今日のレッスンで形の学習をした子が初めて気づかせてくれたことがあります。
まずは下の画像を見てください。形を12種類学習し、それぞれの名前などを答えていくプリントなのですが、三角形であれば、正三角形、二等辺三角形、直角三角形、直角二等辺三角形の4種類が出てきます。画像の中に直角三角形と直角二等辺三角形があるのがお分かりいただけるでしょうか。


自分が初めてそのプリントを見たとき、まず自分で全部解いてみなさいと言われたので、答えを見ずに全ての教材を解き、その後子ども達とのレッスンを始めたのですが、図形は12種類。三角形は4種類。プリントの中の三角形の図は4つ。必然的に下の段の三角形が直角二等辺三角形だと、全く疑問を持つことなく長年過ごしてきました。

更に言えば、これまでほかの教材などでこれは長さがおかしいとか大きさがおかしいとか子どもが指摘してくれたことで、あ、ほんとやね!と気づかせてもらったこともあるのですが、画像のプリントについては何も指摘されたことがありませんでした。
どの子も上の方のが直角三角形で下の方のが直角二等辺三角形だと答え、私もそれにマルをつけてきたのですが、今日のレッスンの子はなぜか上のものが直角二等辺三角形で下のものが直角三角形だというのです。
意味がわかっていないんだろうなと、再度別のカードを見せ、直角三角形と直角二等辺三角形の違いを説明し、プリントの三角形で上の方のものはどこか同じ長さの辺があるかを尋ね、わからなければ定規で測ってもいいと伝えたところ、長さはどれも同じではない、そのため直角三角形だということにはなったのです。

しかし、直角二等辺三角形の方で長さが同じ辺がどこか尋ねると、どこも同じではないというのです。
そこまでのレッスンを見ていると、図形の感覚は結構よさそうに感じたので、なぜかな?と不思議に思いつつ、「じゃあ定規で測って確めてみてくれる?」と言って定規を渡しました。
等辺(のはずの)うちの1本の長さを測り、もう1本の長さを測ろうと定規を合わせているのを見ていると、図自体が小さなものなのに(先に測った辺は2㎝2mmほどでした。)2~3mmも長さが違うのです!!

え?どういうこと??
そう思ってプリントを手に取り、その図だけを改めてみたところ、確かにこれは見るからに長さが違う!!(大汗)


印刷によるズレなどの可能性が0ではないなと思い、十数年前に自分で解いたプリントを見てみると、そこには同じ、等辺であるはずの長さが違っている図がありました…。(大汗)

小さな図なので、辺の長さの比が11:12ぐらいになっており、例えば、等辺であるはずの辺を11㎝と12㎝で描いた直角三角形を見たらほぼみんなが長さが違うと感じるはずですから、ちゃんと見れば多くの人が気づく程度にずれているのです。それなのに、先入観を持って見ていたことにより、結局は図を見ていなかったということなのだなと、深く反省しました。
まさか教材を使い続けて十数年経って初めて気づかされることがあるだなんて、そのことにも驚きましたが、何事も先入観を持って見てはいけないなと改めて感じました。

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2017年9月20日 (水)

提示の仕方

自分が子どもの頃には、あまり疑問を持つことなく、習ったことをその通りにしていたような気もしますが、子ども自身が考えて理解するという学習の仕方を意識するようになってから、色々気づいたことがあります。
その中で、もちろん、教える側の便宜上であったり、子どもの年齢に応じて簡単なものから提示するようにしているのだったり、色々事情はあるのだろうと思いつつ、もうちょっと違った提示の仕方はできないんだろうか?と思うことがあります。

例えば、教材を作りながら感じたことのひとつに、割り算の学習の提示の仕方があります。
小学校で割り算を習う際、普通はまず九九で考えられる割り算から学習をし、続いて100までの数で余りがある割り算、それが済んだら、次の学年でもっと大きな数の割り算…というような段階を経ると思いますが、そもそも、算数での割り算が物を分けるというところから入るのであれば、初めから、余りがあるものもないものもあるのが自然なのではないかと思うのです。

例えば、友達と2人で何かを分けるとき、必ずぴったり分けられるわけではないということは、経験的に子ども達も知っているだろうと思います。家族だったり、複数の友達だったりで何かを分けるときにも、やはりぴったり分けられるときと分けられないときがあるという経験をしたことがある子は少なくはないだろうと思います。

それなのに、割り算では初めに余りが出ないものばかりを学習するのです。そして、その考え方はほとんどの場合、九九を使えば考えられるよというようなものなのだろうと思います。
そうやって割り算を学習した子は、例えば「33÷3」のような、九九の範囲を超えたものができないと言ったりすることがあります。また、その流れのまま余りのある割り算を学習した場合、「23÷2」のような問題に対して九九の場合暗唱させるのが「×9」までのことが多いため、子どもによっては「23÷2=9あまり5」などというようなことを書いたりすることもあります。

でも、例えばですが、最初にカードを20枚用意して、2人で分けたら1人分は何枚になるか、3人で分けたら、4人で分けたら…と、それぞれの場合の1人分の枚数と、ぴったり分けられないものは何枚余るかを、実際にカードを配ったりしながら確かめてもらう。おはじきや飴玉などで、数を変えて同じように考えてもらったり、何人かで分けるのではなく、いくつかずつ袋に入れていったら、袋がいくつできてどれだけ余るかを考えてもらったりということをすれば、その段階で既に、割り算にはぴったり分けられるものと余るものがあるんだなと理解できるように思いますし、うまく提示すれば、色々な数で分けられる数と、7や11などのように余りなく分けられる数が少ない数があるなと気づいたり、2で分けるとぴったりになるか1余るかのどちらかしかないなと気づいたり、その先の学習の基礎になるものにまでなんとなく気づけるチャンスもあるのではないかと思うのです。

そんな風に学習した子は、余りは割る数より少なくないとダメだなんてことを言葉で教えなくても、多くの子が自分自身で気づけるのではないかなとも思います。

これは割り算の例で書かせてもらいましたが、そのようなことはほかにも色々あるように思います。
私自身も、自分が受けた教育という先入観、既成概念にとらわれず、よりよい提示方法を考えていきたいと思っています。

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2017年9月19日 (火)

予想外の結果(笑)

ひと月ほど前になるかと思いますが、教室の子供用のスリッパが1足行方不明になりました。
誰かが履いて、しまい忘れてどこかに潜り込んでしまったのだろうかと、教室のあちこちを探し回ったものの見つからず、誰かがイタズラでおうちの方や兄弟のバッグに入れて気づかず持って帰ってしまったのかなと思ったりしていました。
そもそも、そのサイズのスリッパを履くことがある子は限られているので、その子やおうちの方が来られたら、それぞれにお尋ねしてみたものの、これまで見つからず。
狐につままれたような気分でスッキリしないままだったのですが、今日のレッスンでお姉ちゃんのお迎えについてきた子が(前回、来るなり「スリッパ履こ~!」と言って、「あれ?ない。」というところから始まったので、その子が知っているのではないかと色々尋ねたのですが、結局解決せずだったのですが。)、普段のレッスンでは子ども達が座ることのない机に近づき、しゃがみ込んだなと思ったら、「なんか黄色いのある。」と!!

まさかまさかの、机の中にスリッパが!!(笑)
その机は、以前その子がお姉ちゃんを待っている間、積み木遊びをするのに使っていた机で、イタズラだったのか、片付けるつもりでうっかりだったのかはわからないものの、机の中に入れてしまったということのようです。

子ども達が普段使っている机なら、中を見ることもありますし、子ども自身が机の中に何か入れることもありますので、もっと早く気づけたかもしれませんが、さすがに机の中にスリッパが入るということは想定外だったもので、全く見落としていました。
これがもし、子育て経験でもあれば思い当たったのかもしれませんが…。(苦笑)

見つかってスッキリしましたが、小さい子のすることは予想もつかないことだったりするものですね。
なかなか新鮮で、大いに笑わせてもらいました。

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2017年9月18日 (月)

台風一過

今日はすっかりいいお天気でしたね。
それなのに、結局家でデビスカップを見たり、優勝が決まる試合だとかで普段は見ない野球を見たり、ダラダラしているうちに1日が終わりました。

明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年9月17日 (日)

台風

3連休という方も多いのではと思います。せっかくの連休に台風直撃で、九州や四国ではかなりの被害が出ているようですね。
この辺りは幸い今回も豪雨と強風だったねというぐらいで済み、本当にありがたいことだなと思います。
明日はお天気回復するといいですね。

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2017年9月16日 (土)

新たな発見

1年生の早い段階でかなりの算数アレルギーになってしまったということで、今年になってから一緒にレッスンしている2年生さんがいます。

慎重な性格も影響しているのかもしれませんが、初めの頃は自分が思ったやり方を変えることに強い抵抗があるようで、苦労しているようだからと思って声をかけても「これじゃダメなの?」と泣きそうな顔で言われると、こちらもダメとまではいえず、でも苦労した末、答えを間違えるということも少なくなく、どうしてあげたらいいんだろうと思うこともありました。

それが少しずつではあるものの、抵抗が和らいできて、時々は笑顔が出たりするようになってきていました。
ただ、やはり数に対する感覚は少し身につきづらいようで、1つ1つ数えたりすることもあり、一足飛びにはいかないよね…とも感じていました。

今回からその子と形の学習をし始めました。文を読んだりする力はかなりある子なので、形の名前や辺、頂点などの言葉を読むことには全く抵抗がないようで、また、計算要素がないこともあるのか、問題を考えるときも身構える感じが全くなく、初めからかなりよくできていました。

教室を始めた頃、1年生の最初の引き算でつまずいた子が来てくれたのですが、その子は計算はあまり得意ではない代わりに、図形問題になるとかなりよく出来ていて、女の子だったこともあり、結構驚いたのを思い出します。(最終的に高校は総合理学に進学し、大学も理系に進んだそうです。)

今のこの子がそのタイプかどうかはまだわかりませんが、これがきっかけで算数に自信を持てるようになるかもしれないので、ちょっと楽しみです。

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2017年9月15日 (金)

自由すぎる(苦笑)

今日のレッスンでのこと。
うちの教室では、子どもが眠そうにしていたり、頭が働いていなさそうだったりすると、立ち上がって伸びをしてもらったり、小さい子ならその場でちょっとジャンプしてもらったり、教室内を少し歩いてもらったりなど、体を動かしてもらうことはよくあります。
ずっと座りっぱなしは健康にもあまりよくないというような話も聞きますし、集中力を持続させるには15分に1回ぐらい立ち上がるのがいいというような話も聞いたことがあります。
色々な説がありますし、人もそれぞれですから、誰にでも当てはまるということもないのだろうと思いますが、集中が途切れているようであれば、体を動かすことでリフレッシュできるということはあるように思います。

また、子どもにも色々なタイプの子がいますので、例えば、過去にいた子は、集中すればするほど貧乏ゆすりがひどくなったり、椅子から無意識のうちに立ち上がったりというようなことがあったのですが、そういう子の場合も、ほかの子が気になっていなければ無理に座らせたり、貧乏ゆすりをやめさせたりはしないようにしていました。(そういう子はわざとやっているわけではなく、また集中しているときほどそうなるので、それを妨げると集中が切れるということもありましたので。)

そんなわけで、レッスン中に立ち上がるとかいうことも状況によってOKなのですが、今日のレッスンで3人がみんな不調に陥り、顔を見たらみんなぼ~っとしていたため、「とりあえず立ち上がろうか。」と立ってもらったところ、調子は戻ったのですが、ひとりは「このまま立ってやる!」と。更にもうひとりは「椅子いらんわ!」と椅子を横にのけてしまいました。

自由すぎる!!(苦笑)

子ども達にも言いましたが、突然知らない方が入ってこられたら、一体ここは何の教室なんだ?と驚かれただろうと思います。まあ、椅子がいらないと言った子もほんの数分で「やっぱり座ろ。」と言って、ちゃんと席につきましたが。

リフレッシュはできたようで、その後調子も戻り、順調に取り組んでくれましたので、結果的にはよかったのではないかと思います。


因みに、学校では授業中立ち歩けないのに、教室ではレッスン中に立ち上がらせたり歩かせたりするのはどうなの?というご意見もあるかもしれませんが、これまで教室をしてきて感じるのは、ここではレッスン中、ほぼずっと集中して考えなくてはならず、学校では先生の説明を聞いている(もしくは聞かずにぼ~っとしている)時間があったり、友達の発表を聞く時間や、板書を写す時間など、ぐっと集中し続けるという時間は限られているように思うのです。
その分、教室ではレッスン後半になると電池切れになったように、簡単なこともできなくなってしまったり、表情が明らかにぼ~っとしていたりなどということが起こります。学年が上がり、体力がついてくるとだんだん減っていくので、人に迷惑にならない範囲でなら、立ち上がったりしてもよしとしようと思っています。

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2017年9月14日 (木)

今日の出来事

天候のせいなのか、今日は疲れていたのか、来たときからなんだか反応が鈍い子がいました。
前回は予想以上によくできていたので、今回もその流れで行けるかな?と思っていたものがあったのですが、内容的には簡単なものではなかったので、今日のそのコンディションではどうにも線がつながらない様子です。
元々やや難しいものをコンディションが整っていない日に無理にやらせると、難しいからできないという印象が強く残るかもしれず、それは今後にマイナスになりそうだったため、違う課題をしてもらうことにしました。

一部おさらいの内容でもあったため、課題を変えるとゆっくりながらも進みはじめ、これなら大丈夫かなと様子を見ていました。
文章問題になると、こちらが促さなくてもしっかりした声で問題を読み始め、きちんと解くことができていたので、やはりさっきの問題はまだちょっと難しかったのかな?と思い始めていました。
しかし、突然おかしなスイッチが押されたようです。(苦笑)

おねえさんは300円のノートを1冊、弟は60円の消しゴムを2個買ったら、2人合わせていくらの買い物をしたかという問題だったのですが、それまで出た中にはもっと引っかかりそうなものや難しいものもあったにも関わらず、足すか引くかを間違うことはほぼなかったというのに、しっかり問題を読み終えた後、おもむろに「300—60-60」と書き始めたのです。

「問題になんて書いてあった?」と尋ねると、もう一度読んでくれたのですが、「あ!」という反応はありません。
「何を買ったの?」と尋ねると、「ノート1冊と消しゴム2個。」と答えてくれるのですが、やはりまだ気づきません。
式を指さして「300って何?」と尋ねると、「ノートのお金。」と答え、「60は?」と尋ねると「消しゴムのお金。」と言うのですが、やはりダメ。
「じゃあ、ちょっと式は後にして、合わせていくらのお買い物をしたか考えてみてくれる?」と言ってもダメ。
もしかしたら、買い物の経験自体が少なくて、根本的に何かを勘違いしているのだろうかと思い、目の前に鉛筆1本とペンを1本置いて、「もしこの鉛筆が10円で、このペンが20円だったら、合わせていくら?」と尋ねると「30円。」と即答。
しかし、なぜかまだ300から60を引こうとするのはやめないという…。(苦笑)

そこで、「ちょっと何を買ったのか、買ったものを絵に描いてくれる?」と紙にノート1冊と消しゴム2個の絵を描いてもらい、「それがいくらなのか、絵のところに書いてくれる?」と言って、「300円、60円、60円」とそれぞれに書いてもらった後で、「それを買ったのよね?式はいいから、合わせていくらのお買い物をしたのか考えてくれる?」というと、しばらく考えて「420円。」とやっと答えが出ました。

「そうやね。じゃあ式も分かる?」というと、やっと「300+60+60=」という式が書かれ、無事420という答えも出ました。
何をどう勘違いしていたのかわかりませんが、子どもがどこかに迷い込んでいるときには、絵を描く、見える状態にするということは、やはりとても有効だなと感じました。

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2017年9月13日 (水)

掛け算の学習

(アップしたはずの記事が見当たらず…。17日に記憶を呼び起こしつつ書いています。)

子ども達と掛け算の学習をするとき、教具を使いながら、数を足したり、倍にしたり、10回分から1回分をのけたりなど、色々な考え方で考えてもらうところから始まります。

その流れで、九九を覚えるより先に2桁×1桁や3桁×1桁なども学習するのですが、このとき、例えば28×4であれば、20×4と8×4とに分けて考える方が考えやすいし、間違う可能性も減るので、教具を使いながら全部で10は何本になるかと一の位の数を集めるといくつになるかを意識的に尋ねるようにしています。

それでも、子どもによっては、先の例でいえば、28+28をして56、56と56を足して(もしくは28を4回足して)112というような感じで考える子も少なくありません。
4回ぐらいならまだいいとして×7などになると、計算も面倒になりますし、足していくうちに間違える可能性も高まります。ですので、ひたすらに足していこうとする子などには途中でまた声かけをするのですが、なかなか十の位と一の位を分けて考えようとしない子もいます。

そういう子の中には、数の感覚が身につきづらい子や、がんばっているけど算数はちょっと苦手というような子もいるので、その時点では無理にやり方を変えさせることはしませんが、こういうところにも能力の違いが現れるんだなと思うことがあります。

今日のレッスンで2桁×1桁の掛け算をした子は、何度か教具でやりとりした後は、2、3回なら足し算したりもしていましたが、何度も足さなくてはならないようなものは自然と何十と何を分けて考えたりもしていて、随分成長したなぁと、見ていて嬉しくなりました。

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2017年9月12日 (火)

嬉しい姿

速くしなくちゃと焦ることが癖づいてしまっているように感じる3年生さんと、今年度から一緒にレッスンをさせてもらっています。能力的にはいいものを持っているように感じるのですが、ちょっと考えてパッと答えを書いてしまい、間違っていたらまた書き直すという状態がなかなか抜けず、1学期の間はもどかしさを感じ続けていました。

夏休みで長い期間学校がお休みになったのがよかったのか、夏休み中、少しずつ変化が感じられるようになってきていたのですが、終盤は宿題の追い込みをしていたとかで、またちょっと焦って答えを書く癖が顔をのぞかせかけていました。これだと学校が始まると心配だな…と思っていたのですが、今回のレッスンでは解き方がわかっている問題や、単位換算が関係しているような問題だと、また焦る癖が時々顔をのぞかせ、間違っては消すということが何度かあり、その流れの中で、これまで習ったことでは式で解くことはできない問題を考えてみてもらうことにしました。
やり方がわからないと、「え~、わからない」などと言って、そこから先に進まないこともこれまではあったので、内心心配しながら見ていると、すっと問題に向き合って、書かれている条件を書き出し、それに合うように仮の数値を当てはめてみて、条件に合わなければ数値を変えてみるということを自然にしていました。

数字がさほどややこしいものではなかったこともあり、1回目では合わなかったものの2回目に当てはめた数だと条件を満たしており、自分ひとりの力で正しい答えを出すことができました。
嬉しかったのは、どんな式を書けばいいのかは恐らくわからない問題でありながら、「わからない」ということなく、自ら図を描き、そこに与えられている条件を書き込んで、更に試行をして答えに辿り着いたということです。そういうことが自然とできるようになれば、きっとこれからもっともっと算数が得意になっていくのではないかなと思います。

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2017年9月11日 (月)

記憶力か思考力か

これまで、学校や多くの塾での勉強といえば、教えられたことを繰り返し反復して覚え、それを再現できるようにするということに重きが置かれてきたのではないかと思います。
教科によってやその子の年齢、状況によっては、その方法がいい場合もあるだろうと思いますが、これだけ「調べること」が容易くなった時代に、今後ますます重視されていくのは、知識量ではなく、調べて簡単にわかるようなことではないものを考えて解決していく力なのではないかと思います。

例えば、一昔前なら、知らないことを調べようと思えば、知っている人に聞く、本や新聞などで調べるというのが一般的だっただろうと思います。しかし、身近な人に聞いても知っている人がいなければ、知っている人を探さなければなりませんでしたし、本や新聞といっても、自分の知りたいことが書かれているものがどれなのかすぐに見つけられるとは限りませんでした。
そんな時代にはたくさんの知識を蓄えていて、それをすぐに引き出せる能力は高く評価されていたのだろうと思います。例えば日本の都道府県を全部暗記し、どこにどの都道府県があるかが言える。それぞれの県庁所在地なども全部言える。そういう子がいれば、尊敬されていただろうと思いますが、今なら、例えばスマホでさえ「日本地図」や「日本の都道府県」などと入れて検索すれば、すぐに地図を見ることも、県庁所在地を調べることもできるわけです。

算数や数学の公式や定理なども、公式名などがわかれば覚えていなくてもすぐ探せるでしょうし、公式名を忘れていたとしても、何を解くための公式なのかわかっていれば、それをキーワードにして検索すれば恐らく簡単に見つけられるだろうと思います。
これからますます、どれだけのことを覚えているかということの評価は下がっていくのではないでしょうか。

しかし、以前何かの記事で読みましたが、簡単に検索できる環境になったとはいえ、例えば「数学 公式」などと入れただけでは、それはもう膨大な数の情報が見つかるでしょう。自分が知りたいものに対して、的確な検索キーワードをあげることができる力がなければ、いつまで経っても知りたい答えには辿り着かないかもしれません。更に、公式などであれば間違った情報が出ている可能性は比較的低いだろうと思いますが、膨大な情報の中で、何が正しいのかを判断する力も必要になってきます。
調べる内容が簡単であれば、検索するのも簡単な一方、調べる内容が難しくなればなるほど、「検索するための力」が必要になってくるだろうと思います。
それはやはり考える力に他ならないだろうと思います。

絶対に覚えるべきこと、覚えた方が日々の暮らしの中で明らかに便利だったり楽だったりすることはもちろん覚えたらいいと思いますし、何も覚えなくていいなんてことはもちろん思っていませんが、算数や数学に関しては、覚えるべきことより考えるべきことの方が圧倒的に多いのではないかなと感じています。

今日は高校生の子の振替レッスンがあったのですが、記憶力の衰えが激しい私は、高校数学を一緒にする機会が限られていることもあって、公式などはすぐに忘れてしまいます。
最近も、予習をしていて、三角比で、「90°-θ」や「180°-θ」などで置き換えて考えるんだろうなという問題があったのですが、どのときがマイナスがつくとか、どのときはサインがコサインに変わるとか、ぱっとは思い出せませんでした。予習ですから、そういうときに参考書などを見て再確認することはもちろん簡単なわけですし、見れば当てはめるだけですから、当然解けるわけです。でも、それだと忘れたら解けないということになります。
ですから、まずは必ず自分が知っていることだけで解くことができないかを考えるようにしていて、今回も自分が理解している単位円を描き、そこに直角三角形を描いて、どの場合と度の場合が同じになるのか考えた後、確認の意味で参考書を見たら合っていましたので、これなら覚えていなくても解けると判断し、子どもにも覚えられたら覚えた方が速いけど、忘れても考えたら解けるということを伝えるようにします。

今後ますます、ただ覚えただけの知識の蓄積はあまり役に立たなくなっていくのではないかと思います。
自分で考えて理解したことの蓄積が本当の力になっていくのではないでしょうか。

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2017年9月10日 (日)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

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2017年9月 9日 (土)

そんなにもイヤなの?(苦笑)

年長さんと2年生さんの姉弟さんのレッスンでのこと。
まだ小さい子達なので、お互いがしていることが気になるのは仕方ないのですが、今日はレッスンの初めのほうで、お姉ちゃんと10面サイコロを2つ使って、たし算をしながら、虫取りゲームのようなことを5分ほどすることになりました。
そのとき、弟くんは点つなぎをしていたのですが、やればできるものの、点つなぎ自体は好きではない様子で、このところ結構1つするにも時間がかかっていました。
気乗りがしない点つなぎをしているときに、お姉ちゃんは楽しそうに虫取りゲームをしているとなれば、ついついそちらに気を取られてしまうのも仕方がないことではあります。

そうは言っても、彼から目を離した途端に手が止まり、じっとゲームを見つめ、私が見ると慌ててやり始めるを何度尾何度も繰り返していたので、点つなぎを始める前には3問のうち2問でいいと言ってあったのを、「もし見たときにあと3回止まってたら、3つともやってもらうね。」と言ってみました。
すると、それまでの姿が嘘のように、集中してあっという間に2問目をやり終えてしまいました。恐らく、1問目にかかった時間の5分の1ぐらいだったのではと。(笑)
あまりの速さにびっくりしつつ、「すごいね。めちゃくちゃ速かったね!そんなに速くできるんやん!」というと、少し前までちょっと嫌々やっていたはずなのに、「こんなんすぐできたわ!」とニコニコ顔に。

そこでご機嫌になったのがよかったのか、今日はその後も極めて順調にスイスイとレッスンが進み、ニコニコのまま終えられました。
小さい子であればあるほど、取っ掛かりに調子が出せるかどうか、楽しいと思えるかどうかに左右されるところが大きいのかもしれませんね。常にうまくご機嫌になってもらうのは難しいことではありますが、できる限り気をつけていきたいと思いました。

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2017年9月 8日 (金)

マル付け

教室で出す宿題に関して、算数のプリントは基本的におうちで答え合わせをしてもらい、間違い直しもできるところはして頂くようお願いしています。

理由はいくつかあります。例えば、間違った方法でしている場合、そのままし続けると、全部できたと思ったのに全部直さなくてはいけなくなることや間違えた方法を覚えてしまうことがあり得るからということや、まだ小さい子達は、やってすぐにマル付けをしてもらえる方がやる気が持続するということ、おうちの方が一緒についていてくれる、何か見てくれているということでやる気が出るということなどが大きな理由ですが、もうひとつは物理的な理由で、教室では目の前の子ども達の反応を見ながら、適宜声掛けをしたり、解けたものを順にマル付けをしたりしているので、子ども達とのレッスンが始まると、できるだけ多くの時間を子ども達を見ることに注ぎたいというもので、これは実はかなり切実な理由でもあります。

私が超人的能力があればよいのですが、宿題のマル付けをしている間はどうしても目も手も宿題のプリントに取られますし、宿題を見ながら子ども達の解いている様子も見、その場でマル付けもしとなると、結局宿題のマル付けが全ては終わらなかったり、子どもに少し待ってもらったりしなくてはならなくなることがあるのです。

ほかにも色々細かい事情はありますが、そういう諸々の理由で、算数のプリントに関してはご家庭でのマル付けをお願いしているのですが、おうちの方がお忙しかったり、子どもがギリギリまで宿題をやっていなくてマル付けをするタイミングがなかったりというようなことで、マル付けをしてもらうことなくプリントを持ってくる子が時々います。

もちろんおうちの方がお忙しいこともわかっているつもりですので、できる範囲でこちらでもマル付けはするのですが、そんな中、ちょっと困ったことが起きました。

長くなるので詳しい事情は端折りますが、このところ宿題のマル付けをほとんどしてもらわず持ってきていた子が、今回の宿題はマルがついていたので、ああ、今回は見てもらったんだなと思ったところ、たまたま目に留まった問題が間違っているのにマルになっていて、気になったのでそのプリントの答えを全部確かめたところ、半分近くが間違っているのに全てマルがついていました。

マル付けをしてもらってきてほしいということを、理由も合わせて何度か話していたので、それがプレッシャーになって、自分で、とにかく全部マルをつけてしまったのかなと思ったのですが、繊細な子なので、どのタイミングでどう聞こうか迷い、レッスンの終わり近くに「これ、誰がマル付けしたの?」と聞いてみました。すると、自分だと。「これ、違ってるよ?これもこれも、こんなに違ってるんだけど、なんでマルになってるの?」と、なるべく責めるような口調にならないように気をつけながら尋ねたところ、その子の口から出た言葉が、おうちの方から「マル付けしてと言われたから。」だったのです。

まさかとは思いますが、「マル付け」は全部にマルをつけることだと解釈したということなのかもしれません。(それ以上何か言うのはちょっと控えたほうがよさそうな雰囲気だったので、そこの確認はしませんでしたが。)

私たちは当然のように「マル付け」と言えば、正誤を確かめて、合っているものにはマル、間違いにはバツをつけることだと思っていますが、子ども自身がマル付けをする場合、自分では合っていると思っていることもあるでしょうし、場合によっては、「(全部合ってるから)マル付けをして」と解釈することもあるかもしれません。

色々長くなりましたが、お忙しいとは思いますが、今後もできるだけ宿題のプリントのマル付けはご家庭でご協力頂けましたらありがたく思います。

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2017年9月 7日 (木)

目に見えれば気づくこと

今日のレッスンでのこと。
時間に関する問題は計算自体が面倒なので、嫌がる子も多いところです。

来てくれた当初に比べると格段にできることが増えたものの、算数に関してはまだパパッと反応して答えが出るという感じではない子と、前回からまた時間の問題をすることになりました。

時計の絵が描かれていて、その時刻の30分後とか40分前とかの時刻を考える問題だったのですが、最初にやってみてもらったところ、小さな目盛りを1つずつ数えていこうとしました。5分や10分ならともかく、数える目盛りの数が多くなると、時間もかかりますし、数え間違えも起きやすくなります。初めは様子を見ていたものの、数え間違いが起きたところで、「ねえ、これ、何時何分かここに書いてくれる?」と絵で示された時計の時刻をプリントに書いてもらいました。
「30分後ってことは、分は増えていくの?減っていくの?」と尋ねると、「増えていく。」と答えたので、「じゃあ、30分増えたらどうなるかわかる?」とだけ言うと、自分がさっき書いた時刻を見て少し考え、きちんと答えが出せました。40分前なら減っていくのだということも理解でき、目盛りを1つずつ数えなくても、考えられるようになりました。

しかし、おうちの宿題の際に、そうしたことを忘れてしまっていたようで、宿題のプリントではがんばって目盛りを数えたんだろうなという様子が伝わってきました。
今回も2枚ほどそういう問題があったので、まずプリントを渡して考えてもらおうとしたところ、目盛りを数え始めたので、「ねえ、これ、何時だっけ?」と声をかけると、描かれている時計の時刻を答えてくれたので、それを私がプリントに書いたところ、前回のことを思い出したようで、その後は助けなくても考えることができました。
また、時刻を書かずに考えようとして止まっているときには、「何時か書いてみて~。」と言うだけで、後の助けはほとんど必要ありませんでした。

頭をいっぱい使うという意味では書かずに頭の中でイメージし、それを操作するというのは意味があるのだろうと思いますが、よほど算数が得意、大好きという子でなければ、目に見える状態にする方が相当楽に考えられるようになるのではないかと思います。
そして、この子の場合、自分で答えられる時刻を目に見えるように書いただけで問題が解けるようになるのですから、書かない手はありません。

じっくり考えることもとても重要ですが、目に見える形に(それもできれば子ども自身が絵や図を描いたり、数字を書いたりして)することもとてもとても大事なことだと思います。

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2017年9月 6日 (水)

説明できるかどうか

これまで一緒にレッスンをしてきた中で、間違いなく賢いし、能力も十分あると思うのに、このところ以前に比べてじっくり考える様子があまり見られなくなってきたように感じる子がいます。
それは少し前から気になっていて、本人にも何度となく声掛けをしたりもしているのですが、どうしてなのか、何をしているのかを考えるのではなく、どうやれば解けるんだったかのやり方を思い出そうとしている印象を受けることがしばしばあります。

その子とは前回からわり算の学習をしているのですが、今日の問題の中に「0÷6」という問題が出てきました。
それを見てその子は「え?0÷6って?」と言ったので、「0÷6ってどういう意味?」と尋ねると、なぜだか「6÷0?」と言うのです。そこで、プリントの1問目、既にその子が解いた問題を指して、「じゃあ、16÷4ってどういうこと?」と尋ねると、「16を4で割るってこと。」と答えました。「割るってどういうこと?16ってものを4っていう何かでガンガン叩いて割るの?」とわざと意地悪に尋ねると、「え…。」と黙り込みます。

ですが、わり算の学習の導入の際、ニンジンや飴などの絵がたくさん描かれているものを、3人で分けたり、5個ずつ分けたりということをして、掛け算と割り算の関係や割り算というのはどうやって考えればよいのかの学習をしているので、「分ける」という言葉はそれまでにも出てきていますし、そういう流れで来ると、割り算と言えば分けることという意識は自然とできていることが多いのです。

どう説明したらいいのかわからないのかもしれないなと思い、「じゃあ、1+2ってどういうこと?」と尋ねると、これまた「1と2を足すこと」と答えたので、「足すってどういうこと?」と更に尋ね、それはなんとか1と2を合わせることというような説明をすることができたので、「じゃあ5×3ってどういうこと?5に3をかけるって言わないでね。」と言うと、少し考え込んでいましたが、「5が3回ってこと。」と、掛け算を知らない子でも意味がわかるような説明ができました。

そこでもう一度割り算のことを尋ねたのですが、説明が難しそうだったので、「じゃあ、この16はクッキーが16個だとして説明してみて。」と言うと「16個のクッキーを4人で分ける。」とやっと「分ける」と言ってくれたので、「そうやね。4人で分けるか4個ずつ分けるか、分け方は2通りあるけど、割り算は分ける計算よね?」と確認をしてから、「じゃあ0÷6ってどういうこと?」と尋ねると、「0個のクッキーを6人で分ける。」と言ってくれました。

「じゃあわかるよね?」と言うと、少し不安そうではありましたが、「答え0?」と言ったので、「そう。クッキー1つもないんだから、6人でわけても1つもないよね。」と言って、その問題を終えました。

たった1問、それも0を割る計算なので、「0を割っても答えは0よ」と言えば、数秒で終わる話だろうと思います。
その方が子どもも楽かもしれませんし、0を割ったら0なんだなと覚えておしまいになるでしょう。
でも、例えば、覚えただけの子は0で割る計算でも、0が出てきたら答えは0だということで答えてしまうかもしれません。その一方で、割り算の意味を考える子は、例えばクッキーの説明で言えば、0人で分けるとか0個ずつ分けるとかいうことになりますから、「0人で分ける?」と疑問を持つことができる、もしくは、更に進んで、「そんなことできない」と気づくかもしれません。

たとえ回りくどいように見えても、それが大事な場合もあるのではないかと思っていますので、特に低学年のお子さんに対しては「なんで?」「どうして?」と尋ねるのが半ば口癖になっています。

家庭学習などの際、お子さんが不安そうに解いていたり、答えが合ったり間違ったりと不安定だったりするようなときには、自分がどういう問題を考えているのか、何をしているのかが説明できるかどうかも大事なポイントなのではないかなと思います。

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2017年9月 5日 (火)

指導者

昨日たまたま目にした精神科医の方の記事のお話なのですが、最初に、子どもを音楽家として成功させたければどの指導者に指導を受けるのがいいかという質問と3つの選択肢がありました。

1つ目はほんわか優しく教える教師
2つ目はビシバシ厳しく教える教師
3つ目は有名な音楽家

あくまでもまだ子どもで、これから音楽を始めるというような段階でということなのだと思いますが、これを見たとき、私は即答できませんでした。
この記事に書かれていた答えは1つ目の「ほんわか優しく教える教師」でした。

もちろん例外はあるのかもしれませんが、その続きに書かれていたことを読んでかなり納得がいったのですが、音楽家に限らず、その道のプロフェッショナルの方達はほぼ例外なく練習時間が1万時間を超えているそうです。
それだけの練習に耐えられたのは、子どもの頃に優しい先生が楽しく教えてくれたことで、楽しい!好きだ!と思えるようになったことによるところが大きいのだというようなことが書かれていました。

当然、どれだけ優しい先生でも、子どもが興味を持てないことを好きにさせることは難しいだろうと思いますし、本当に大好きであれば、たとえ厳しい指導者についても根性で頑張って、その結果素晴らしい成功を収められる方もいるだろうと思いますので、どんなことにも例外があるとは思いますが、確かに、何事も最初に「楽しい」「嬉しい」というような快の感情を抱けば、もっとやりたい、もっとがんばってよくできるようになりたいという気持ちになるのは自然ですよね。特にまだ小さい子ども達であれば、その傾向は尚更顕著なのかもしれないなと思います。

これを読んだときにふと思ったのが、フィギュアスケートのメダリスト達の多くは、子どもの頃は地元のスケートリンクで指導を受けて、力をつけるに従って、より著名なコーチのところで指導を受けるというように変わっていく場合がほとんどではないかと思いますし、少し前に引退された水泳の松田選手は子どもの頃からのコーチを変えず、地元の手作りの温水プールで長く練習をされていたことが話題にもなりましたが、それはかなり珍しいことだからこそ話題になったともいえるのだろうなと。

これまでは、そうやってずっとコーチを変えないのは、義理堅くて素晴らしいなと思ったりしていたのですが、もしかするとそういうコーチはたまたま最初から優しさも指導力も十分兼ね備えておられたということなのかもしれませんし、もしかすると、著名なコーチに指導を受けていれば更にすごい結果が出たのかもしれません。(こればかりは確かめようもありませんし。)

最初に指導を受けるときに何より大事なことは、もしかすると、音楽なら音楽、スポーツならスポーツ、それ自体の指導力が高いかどうかよりも、指導者が子どものやる気を引き出してくれるか、子どもが楽しいと感じられるかというような点なのかもしれませんね。
私も厳しいだけ、怖いだけにならないよう、くれぐれも気をつけなくてはと思いました。

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2017年9月 4日 (月)

アイディアは浮かべど・・・。

ここ数年少しずつ作り続けている教材も、学年でいえば4年生までのものはほぼ作り終え、一部5年生内容もできているような状態になりました。(長年教室で使っている教材がカバーしている範囲分がほぼできた状態です。)

長い間、いいと思って使ってきたものの、手に入らなくなることが決まり、これまで使いづらいと感じていたところや、急に難易度が上がって多くの子ども達が苦労するところなどを自分なりに考えて、新たな提示の仕方で作ったり、カバーされていない部分を作り足したりしていますが、次は小数同士のかけ算・わり算のあたりを作ろうと思っています。

アイディアは随分前から頭に浮かんでいるものの、また色々図を作らなくてはいけないのはわかっているので、なかなか重い腰が上がらず、今日も時間があったのに、手つかずに終わりました…。
手を付けたら、気づいたらあっという間に数時間経ったりするぐらい集中できることも多いのですが、本当にとっかかりに一番パワーがいるというのは間違いないなぁと、よく思います。(汗)

そういう自らの経験を考えてみても、もしお子さんが宿題などを嫌がっていたり、なかなかやろうとしないような場合は、「とりあえずこの1問だけやってみようよ。」などと、最初の取っ掛かりだけはどうにか助けてあげれば、案外そのままやり続けられるということもあるのではないかなと思います。
もし1問やってそれでも絶対続けたくないという場合は、その問題がその子にとってとても難しいか、心底それがキライか、きちんと理解できていないか、何らかの理由があるのだろうとも思いますので、それが何かを見つけることも大事かもしれません。

というわけで、私もがんばります…。

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2017年9月 3日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年9月 2日 (土)

その子にとってのハードルの高さ

子ども達とレッスンをしていて、時々悩むことがあります。
子ども達の持っている力をより伸ばす、発揮させるためには、恐らくその子にとって、簡単にできる問題をいくらやってもダメなのはもちろんですし、難し過ぎる問題をさせても手が出ない。難しすぎる問題のやり方を教え込んでも、もちろんその子の力にはなり辛い。

もちろん、子どもの性格などにもよるところはあると思いますが、多くの場合はその子がちょっとがんばったらできるぐらいの問題を次々とクリアしてもらうというのが、一番効果があるのではないかなと思っています。
ただ、その「ちょっと」の加減の判断が何とも難しく、普段のその子の様子ならできるであろう問題も、その日のコンディションが悪かったりすると全然できないというようなこともありますし、これはちょっと難しいかもしれないなと思うものでも、あっさり解いてしまうような場合もあります。

もしかしたら難しいかもと思うものであれば、「できると思うんやけど、もしわからなかったら助けるわ。」などと声をかけてから渡すなどするか、問題を渡してからその子の表情などを見ているかすれば対応できますし、想定よりあっさり解いてしまった場合も「すごいね!簡単やった?」などと声をかければ、子どもも悪い気はしないだろうと思うのでいいのですが、悩むのは、例えば、やったら結構できているのに、取り組む際に抵抗を示すというパターンだったりします。それが特にまだ小さい子だったり、大事な問題なのでなんとかがんばってやってほしいと思う問題だったりすると、どこまで譲歩するかの判断が難しいのです。

最初に難しい、嫌だという気持ちを強く持ってしまうと、それがその先、足を引っ張り続ける可能性もありますし、その子にとって簡単にできることをずっとやっていても、その子のためにはならないとも思いますので、その子にとってちょうどよい高さのハードルを見つけて、提示し続けるというのは、何年経っても、よしこれでばっちりだ!と思えるようにはなりません。
歳と共に脳の衰えを感じる今日この頃ですが、もっとがんばらないといけませんね。

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2017年9月 1日 (金)

9月スタート。

今日から9月がスタートしました。
今日は振替レッスンが2つあり、通常のレッスンもあったのですが、夏の疲れなのか、始業式とはいえ学校が始まった疲れなのか、不調の子がちらほら。
でも、ようやく朝晩は随分涼しくなりましたので、体力的にもありがたいなぁと思います。

今日のレッスンのひとこまですが、コンパスや円の学習が始まった子がいました。初めはコンパスを使って、線の長さを測り取ったり、円を描いたりし、その後、円についての直径・半径・中心という言葉の学習があり、続けて問題をしていくような流れなのですが、その中で、同じ点を中心として、半径2cmの円と直径3cmの円を描くという問題が出てきます。

その問題をやってもらうと、かなりの割合で半径2cmの円と半径3cmの円を描いてしまう子がいるのですが、間違えた子に「直径が3cmよ?」などと声をかけると、すぐにはどうしていいかわからない子もいます。また、子どもによっては3という数が半分にできないというような反応をすることもあります。
半分にできないという子やわからないという子などには、目の前に定規を置いて、直径が3cmであれば、どのあたりに針を立てたら描けそうかを尋ねてみると、3cmのまん中辺りに目が行って、そこで気づくという子もいます。

これまでの印象では9割以上の子がその問題をノーヒント、ノーミスでは解くことができなかったように思うのですが、今日の子は何か質問してくるでもなく、静かに取り組んでいたので、ほかの子を見ていると、ほどなく「できた。」と言ったので、見てみると、きちんと半径2cmと直径3cmの二重の円が描かれていました。
体感的に、一切迷うことなく1cm5mmの幅に開いたと思われる速さでした。

「すごいね。すぐわかったんやね。」と少し驚き気味に言うと、「え?だって、直径だから半分にしないといけないでしょ?」とこれまたあっさり。
この子は問題が難しそうだったり、面倒だと感じると、考えずに適当に答えを書こうとして、そのたび「ちゃんと考えて」と言われる反面、算数のセンス、特に図形関係のセンスはかなりいい印象を受けている子なのですが、今回もまた感心させられました。

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