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2017年8月31日 (木)

8月もおしまい。

今日もレッスンはお休みで、全米テニスとサッカーのW杯予選を心行くまで堪能しただけの1日になってしまいました。
それでも、普段平日にサッカーのホーム戦があると、時間的に大抵キックオフに間に合わないのが、大一番をKO前からバッチリ見られたのはありがたかったです。
おまけに、これまで一度も予選で勝てていなかったらしいオーストラリアに完勝し、それも若い力が躍動して、感動の一戦でした。
試合後の会見でのハリルホジッチさんの言葉が気になりますが、素晴らしい結果を出したのですから、是非とも続投してくれることを願っています。

明日からは9月。新学期のスタートですね。
9月からもどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年8月30日 (水)

レッスンはお休み。

ここ数年、お盆の時期のお休みは日曜を含めて5日ぐらいにする代わり、8月末の5回目になるレッスンの曜日はお休みを頂いています。
というわけで、今日明日はレッスンはお休み。それをいいことに全米オープンテニスを朝まで見て、今日は夕方から少し出勤して、教材作りをしていました。

テニスといえば、伊達公子さんが9月の大会を最後に再引退を表明されました。
若くして一度引退されて、その後、日本の女子選手が育っていないことを気にかけられての復帰だったような記憶があります。それが、今回の全米オープン本戦には女子選手が本戦に6人も出場しているのを見て、伊達さんの思いはしっかり若い子達に受け継がれたんだなと思いました。

ニュースで見ただけですが、先日はバドミントンで奥原さんが金メダル。卓球のツアー大会では張本くんと伊藤美誠さんが優勝。レスリングでも男子2人が世界選手権で金メダル。柔道でも次々金メダルを獲得しているようですね。
若い子達の素晴らしい活躍のニュースを目にすると、本当にワクワクします。


仕事に関係ない話になってしまいましたが、本日はこれにて。


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2017年8月29日 (火)

本当に嬉しい。

今日はある保護者の方からメールを頂きました。
小学生の頃に通ってくれていて、中学生になって部活も忙しくなり、少し家から遠いことなどもあって、お別れした子が中3になったのですが、メールをくださったのはその子のお母様でした。

中学では家から近い塾に通うのかなと思っていたのですが、自分で勉強するという選択をしたというお話を中1の頃に聞いて、今は部活も忙しいようだし、そうされたのか~と思っていたのですが、部活を引退したら、受験に向けて塾に通うのかなと思っていました。

しかし、本人が考えた末、このまま塾に行かずに自分でがんばると決めたとのこと。
それをお母様に伝えたときに、その子はこう言ったそうです。

「お母さん、僕は自分の力でやりたい。自分の力で合格したら自信がつくと思うから。」

これを読んで、思わず涙が出ました。
ふと思い出したのですが、教室を始めるきっかけになった先生と出会ったとき、その先生はたしか、自分で学ぶ子どもを育てれば、塾に行かなくてもよくなるというようなことを言っておられた気がします。
実際は、その先生のところはその後どんどん対象を広げていっておられるようですので、目指すものが変わられたのかもしれませんが、私はそれを聞いたときに、そうなれば子どもも楽だし、親御さんの負担も減るし、素敵だなと思ったことを思い出しました。

小さいときにしっかり自分で考えることが習慣になれば、塾に通って受け身の勉強をしなくても、自ら計画をして学んでいけるようになるのではないか。中学で部活もしながら、週に2回、3回と塾に通うのは、結構大変だろうと思うので、自分でやれたらそんないいことはないだろうと思ったのです。

もちろん、中学受験をするような場合はひとりではさすがに難しいかもしれませんが、公立中学に進んだ後、高校受験、大学受験に関しては、自分で計画して進めていくことも可能だろうと思います。

小学生の頃に来てくれていた子が、塾はいらない。自分でやる。そう思えることは私にとって本当に本当に嬉しいことです。というのも、教わって覚えて、それを再現するような勉強を長く続けていると、教わらないとできないと思ってしまい、塾なしではとてもやれないと思う、もしくは実際自分ではできないという状況になってしまうことは珍しくありません。
でも、その子はそうなっていない。ということは、私はその子にやり方を教えて覚えこませ、再現させるというようなことをしなかったということの証明をしてもらったという意味でも嬉しいですし、何より、勉強に限らず、物事をしっかり考えられる人に育ってほしいと思って教室をしているので、そういう意味でも嬉しいのです。

教室をしていながら、教室や塾がいらない子に育つことが理想というのは、我ながら何とも言えないなぁとちょっと苦笑してしまいますが、嬉しいものは嬉しいので、よしとしようと思います。

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2017年8月28日 (月)

この頃思うこと

以前、何かの本で、人間は便利さを追求して、その結果かえって忙しくなっているというようなことを読みました。
例えば、自動車がなかった頃、多くの人は歩くとか馬などに乗るとかして行ける範囲にしか行くことは考えなかったし、それで普通に生活していたのに、歩いて何時間もかかるところにもっと速く行けるようにと自動車が作られた結果、自動車で何時間もかかるところまで行くようになって、結局は余裕の時間が生み出されることはなかったというような(あくまでもひとつの例ですが)ことのようです。

それを読んだとき、なんとなくわかるなと思ったのですが、最近よく考えることがあります。
私たちの生活はどんどん便利になり、例えば調味料が切れたら真夜中でもコンビニに行けば手に入るとか、自分で買い物に出なくても、注文すれば配達してくれるとか、何かの試合を見たいけど外出しなくちゃとなったらタブレットやスマホでも見られるとか、わからないことがあれば辞典や事典などを調べたりしなくても、インターネットでちょちょいと調べられるとか、挙げればきりがないぐらい、以前はもっと時間がかかっていたことを短時間で、労力を省いてできるようになったというようなことがあります。

その一方で、インターネットのニュース記事などを見ていると、記事を書いて収入を得ているのであろう方達の記事に誤字や誤変換、おかしな言い回しなど、それもかなり初歩的なミスのようなものがやたらと目につくようになり、食べ物でも身に着けるものでも、流行はすごい勢いで移り変わっていきます。

火を起こしてご飯を炊いていたような頃に比べたら、食事の支度をするためにかかる時間は、恐らく比べ物にならないぐらい短くなっただろうと思います。それ以上に洗濯に掛かる時間は短くなったことでしょう。
それなのに、今の時代に生きる人たちは、どうしてこんなにも忙しそうなんだろうと。

空いた時間を趣味やレジャーに費やしているのだとしたら、それは忙しい忙しいと嘆くことにはならないでしょうし、本来、空いた時間をもっと有意義に楽しく使うために時短を目指したのではなかったのでしょうか。でも、多くの方がそうはなっていないようです。

私自身、以前より時間があるのに、ブログを丁寧に推敲することがなくなってしまっていて、そのくせ、絶対読まなくてはいけないわけでもないようなネットの情報記事を読むことに結構な時間を費やしてしまったりもしています。

便利なものがたくさんあること。溢れかえるほどの情報にいともたやすくアクセスできること。そのことによって、なんだか時間の使い方が雑になっているような気がしてなりません。

例えば、主に紙媒体から情報を得ていた頃、記者さん達は次の日の新聞などに載せる記事を締め切りまでに書けばよかったのでしょう。しかし、何か事件があればすぐにインターネットなどで情報が出回るようになり、朝刊の締め切りまで何時間というような感覚ではいられなくなっているのかもしれません。
よそよりも速く記事を出そうとすれば、推敲の時間も削られますし、紙面の制限もなくなれば、取るに足らないようなことでも記事にするようになるのかもしれません。
その結果、時間に追われて、丁寧に文章を書くということから離れていくのかもしれないなと、誤字や誤変換、明らかな表現の間違いなどを見るたび感じます。

また、私は生まれたときからずっと神戸の東の方で暮らしていますので、交通の便もよく、電車は1本逃しても10分前後で次が来るのが当たり前という感覚でいますが、それだけ便利でありながら、電車が3分、5分遅延するだけで「5分も余分に待たなくちゃいけないのか…。」と感じたりします。
でも、例えば電車は1時間に1本というような地域で生まれ育った方達は数分の遅れでそこまでイライラしないんじゃないだろうかと。

何が言いたいの?というような記事になりつつありますが、とにかくこの頃、なんというか、もっとゆっくり丁寧に時間を使って暮らしていくことが、みんなにとって幸せなんじゃないのかなぁと、そんなことを思ってしまうのです。
便利さの代償が不自由さになっていそうな気がして、もう少し不便だったころの生活を思い出すのもいいのかもしれないなと思う今日この頃です。

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2017年8月27日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年8月26日 (土)

競争意識

私は公立の小中学校から普通に受験を知って公立高校に進学し、あっぷあっぷではありながらも、学校のカリキュラムに沿って勉強をして運よく志望大学に進学できたのですが、昔から、試験が競争だとか、自分が合格するためには誰かを蹴落とさなければならないとかいう感覚がわかりません。
ですので、一時しばしば耳にした受験戦争と言葉にもとても違和感がありました。

もちろん、受験は基本的には合格する人と不合格になる人がいるわけですから、不合格だった誰かよりよい結果を出したから合格したというのは事実だろうと思います。
でも、誰かを蹴落とすとか、誰かに勝つとかいう感覚と学びとはどうも結びつかないような気がするのです。

目標とする人がいてその人を目指して頑張るとか、ライバル同士がお互いに切磋琢磨するとかいうのはわかりますが、学びはあくまでも自分自身のためにするものですし、何か学びたいことやしたいことがあって行きたいと思う学校があれば、その学校の試験にパスできるよう努力すればいいだけで、他の受験生に勝たなければいけないというのがどうもピンとこないのです。

そんな性格ですから、自分が中学生や高校生の頃にも、興味がある何かがわからない場合は気持ち悪いと思って知ろうとしましたが、そうでない教科のテストの点が悪くても気になりませんでしたし、たとえ好きな教科のテストの点が悪くても、内容を理解できていたら、まあそれでいいやと、そんなふうに思っていました。(さすがに高校になると赤点を複数取ると留年の危機がありますから、好きではない教科も赤点を取らないようには努力しましたが。)

そんな私がしている教室なので、きちんと理解ができていれば、子ども達のテストの点がどうだったかは普段ほとんど聞くこともありません。
しかし、数少ないながら来てくれている中学生や高校生は、成績によって受験できる学校に影響が出るのも事実ですので、定期試験の数学の点数はなるべく聞くようにしています。
で、今ちょっと気にかかっているのが、ちょっと昔の私のような、もしくは更にパワーアップしているような、テストの点数が悪くても気にならないという子のことです。その子は物事の好き嫌いが結構はっきりしており、やる気がないときは恐らく誰が見てもすぐわかるぐらい態度にも出ます。数学は好きではないようですが、力はかなり持っていて、「やりたくない。もういやだ。」とぶーたれながら、結構面倒な問題を解いたりする、なかなか珍しいタイプです。

私は数学の力をつける手助けはできるかもしれませんが、テストでいい点を取りたいという気持ちを持たせる方法がわかりません。ご家庭によってはテストの結果が良ければご褒美を与えるようなことをされることもあるのだと思いますし、塾などでは順位を発表したりして競争心をあおったりということもあるのかもしれません。
でも、前述の子にはそういう方法はあまり効果がなさそうな気もしますし、テストの結果はテストを受けるときのその子のモチベーションやコンディションに大きく左右されるというのがほぼ間違いなさそうなので、受験学年になったら何か変化するのかどうか、そうなってくれたらいいんだけど…と思っています。

いずれにせよ、私個人は学びに関しては昨日の自分との競争でいいんじゃないのかなと、今も思っています。

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2017年8月25日 (金)

夏休みのレッスンもいよいよカウントダウン。

毎年、長い夏休みが始まるなぁと思ってスタートするのですが、気づけばもう終わるんだなと感じるのも例年のこと。
今月30、31日はレッスンがお休みになるため、夏休み期間のレッスンもいよいよカウントダウンに入った感じです。
今日明日と29日火曜にレッスンをすれば、8月のレッスンはおしまい。
9月1日は8月の4回目のレッスンにカウントしているので、そこまでは夏休み時間でのレッスンになりますが、気づけばあっという間でした。

一旦気温が少し落ち着いたなと、このまま秋に向かうのかと期待したものの、結局また暑さが戻りましたが、今のところ子ども達は体調不良などでのお休みはなく、がんばってレッスンに来てくれています。

つい先日、主に高校生の指導をされている他県の塾の先生と小学生の算数について少しお話をしたのですが、今日のレッスンである2年生の子とした問題に、次のようなものがありました。

7×5+7=7×□

8×6-8=8×□

教室では、かけ算について学習する際、九九を唱えさせるより先に全て足したり引いたり、倍にしたりしながら答えを出していく学習をするのですが、1から10までの段のかけ算を一通り学習し終えたら、上記のような問題にも取り組んでもらいます。

九九を覚えていない段階の子達は、教具を見せて確認をした後にこのような式を見せると、7が5回に7をたすから7×6になるというように、全体の答えを出すのではなく、式の意味から普通に答えを出していきます。
しかし、九九をひたすら丸暗記したような子にこういう問題を見せると、ほぼみんなが「7×5=35、35+7=42、7×6=42だから□は6」というような方法で答えを出します。

もう少し先の問題で、306×52=306×□+306×2というような、いわゆる分配法則のようなものが出てきますが、この問題も意味を考えない子であれば、306×52を計算し、その答えから306×2の答えを引き、それを306で割って50という答えを出したりもします。

しかし、掛け算の意味を理解していれば、306×52は306が52回分であり、後ろに306が2回分あるのだから、あと50回分ないといけないなと気づけるわけです。この場合、計算するとすれば「52-2」だけですが、意味がわかっている子であれば、それもわざわざ引き算をするという感じではないはずですので、問題を見て、意味を考えたらわかるという感じだと思います。

私は色々な子ども達を見てきたので、7×5+7を見て、すぐに7×6と答えられる子は、しっかり意味が理解できている子だけれど、世の中にはそれに気づかない、それを理解していない子どもも少なくないことを知っています。
ですが、お話した先生は普段高校生を見ておられるので、私の話に驚いておられました。先生の感覚だと、わざわざ計算しなくてもすぐ答えが出せるのが普通だと思っておられたようです。

本来はそれが普通であってほしいですよね。算数は実際に考えてわかる学習なのですから。

教室の2年生の子達は学校で習う前に掛け算をするようにしているので(入会時期が早かった子は無理なくとっくにかけ算を終えていますが)、このところ掛け算のレッスンをしている子が何人かいます。
その子達にも、しっかり意味を理解してもらうよう心がけています。

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2017年8月24日 (木)

大人の思い込み

私が教室を始めるきっかけになった、ある先生とその教室のお子さんとの出会いがありました。
その教室を初めて見学させて頂いたときのこと。まだ2年生の子が分数を学んでいると聞いて、まずびっくり。更にはそのお子さんはまだ分数の学習をして2回目だとのことだったのですが、レッスンの最後にし始めた問題は「2分の1時間は何分ですか。」というような問題で、その中でも私が心底驚いたのが「10分の7時間は何分ですか。」という問題を「ちょっと待ってね。」と言って時計を見つめ、ほどなく「42分。」と答えたことでした。

なんだこの子は天才か?ととにかくびっくりしたのですが、その後、その教材やその教室のことを知っていくうちに、あの時あの子があの問題を解いたことは別にそこまでびっくりすることではなかったんだなとわかりました。
そして、自分で教室を始めてから何年か経った頃、珍しく参加した勉強会がきっかけで、他塾の先生がうちの教室を見に来られることが何度かありました。
その際、教室で使っている教材と子どもの学年を聞いて、「こんなのできないでしょ?」とか「こんなのどうやってやらせるんですか?」というような反応をされたことがありました。そういう反応を見ると、ああ、以前は私もこう感じていたなぁと思ったものです。

ですが、実際のところ、私たち大人が知らず知らずのうちに自分たちの常識で判断して、こんなのはこの年齢の子にはできるはずがないとか、まだ○○を習っていないのに解けないだろう?とか思っていることが少なからずあるように思います。

勉強ではなく、例えば子ども達が成長していく中で、子どもができるようになったことは全て何もかも誰かから教わったことなのかといえば、そうではないことも色々あるのではないかと思います。
見よう見まねであったり、本能であったり、これまでできるようになったことの発展という感じで自然とできるようになったり、そういうことはきっとたくさんあると思うのです。

それなのに、なぜか私たちは勉強に関しては教えられてないことはできないと思い込んでしまっているところがあるような気がします。
もちろん、教えられていないとできないものもあります。言葉の意味や計算のルールなど、知らなければできないことはありますが、たし算を知っていれば、かけ算を知らなくても解ける問題は色々ありますし、また、割り算を知らない子でも割り算の考え方を使うような問題を解くことができることも珍しくありません。

例えば、こんな問題があります。

たまごが90こあります。このたまごを10こずつ箱に入れていくと、箱はいくつになりますか。

3年生ぐらいからはこれを読むと「90÷10=9」と解くのが自然なのだろうと思います。
ですが、教室でこの問題が出てくるのは、まだ掛け算も割り算も習っていないときです。
それでもこれまでその問題を一緒にやった子は全員(多少の助けが必要な場合はありましたが。)、式は書けなくても9箱という答えは出せるのです。

どうしても式を書くのであれば、90-10-10-10-10-10-10-10-10-10=0とでもすれば、9回で0になるので、箱が9ことわかる感じでしょうか。

これを解く子ども達の頭に浮かぶのはかけ算なのか割り算なのかというようなことではなく、卵と箱なのだろうと思います。

また、例えば、1kg250gのお米を1週間使ったらどれだけになるかというような問題であれば(この問題自体はかけ算を習った後に出てくるので、かけ算で解いて構わないのですが。)まだかけ算を知らない子には解けないのかといえば、もちろんそんなことはありません。
1kg250gを7回たし算をすればいいわけです。

最初に書いた、10分の7時間が42分と答えた子は、その時、時計の文字盤をじっと見つめていました。
10分の7というのが全体を10に分けたうちの7つ分ということを理解していれば、文字盤を10に分けると1つ分が何分になるのかを考え、それを7回集めたら答えが出るわけです。

そして、例えばこのときにも大人は、60分を10に分けるということはわり算が必要になると思いますが、例えば子どもはこんな風に解いたりすることもあります。
「5、10、15、20、25、30、35、40、45、50…ちがうなぁ。6、12、18、24、30、36、42、48、54、60。」
同じ数を10回足していって、60になるものを見つけるというようなことをするわけです。
この考え方だとたし算しか使っていませんし、1つ分が6とわかった後もたし算で解くこともできます。使うとしてもかけ算です。このように、割り算は知らなくても解くことはできるのです。

大人が見ると、何度も何度も同じ数を足していくのは非効率だろうと感じられるのではないかと思います。(私自身もそう感じていました。)
ですが、同じ数を何度も足す手間を経験した後、「同じ数を集めるときには掛け算というものがあるんだよ。たし算だと7+7+7+7+7+7と書く式も、かけ算なら7×6と書くだけでいいんだよ。」というようなことを教わったら、「かけ算て便利だな!」「かけ算て楽ちんだな!」というようなことを感じてくれるかもしれません。
また、その手間のかかる計算をしたことがある子は、かけ算の九九を度忘れしても、足し算でも解けるという安心感を持てることもあります。

ですので、大人の思い込みで「これはまだできないだろう」と決めてしまう前に、「絵を描いてもどうやって考えてもいいから、ちょっと考えてみて」というような促しをして頂くことで、子ども自身の学びになることがもっともっと増えるのではないかなと思っています。

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2017年8月23日 (水)

嬉しい言葉

過去に教室に通ってくれていて、中学生、高校生になった子のおうちの方から、時々「お蔭様で数学は得意みたいです」とか「数学には困っていないみたいです」というようなことを言って頂くことがあります。
中学や高校に進学して、塾などに行っていないというような子のおうちの方からそんな言葉を頂くたび、嬉しく思うのですが、実際は私が特別に何かしたというわけではないのも事実なのです。

もちろん、おうちの方の中には社交辞令のような感じでそう言ってくださる方もおられるのだろうとは思いますが、数少ないながらも小学生の頃から通ってくれていて、中学生、高校生になっても通い続けてくれたような子達を見ていても、恐らくそれは本当なんだろうなとも感じます。

これまで何度も書いているように、私自身が、もし小中学生の頃からもっとしっかり意味を考えて、算数や数学を学んでいたら、高校の理系の数学で挫折しなかったかもしれないな、少なくとも意味も分からず公式に当てはめて答えだけが出ているというようなことにはならなかっただろうなと感じることがありました。
ですから、小さい頃からそんな風に学んだ子達が中学の数学で困らない、高校の数学も結構大丈夫というのは十分あり得ることだろうなとも思うのです。

私が主にしていることといえば、子ども自身がどうすれば気づいてくれるか、どうすれば考えられるかを意識し、あとはただただ待つということのように思います。
この「待つ」ということが、小さい子達にとっては、もしかすると最も大事なことなのかもしれません。

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2017年8月22日 (火)

少~し変わってきたかな。

小学校受験をして、お勉強もしっかりする小学校に通っている子が2年生の終わりから来てくれています。
礼儀もきちんとしており、言ったこともしっかり聞ける、大人が見たらみんな「いい子」だというだろうという感じの子です。
ただ、その真面目さが、先生に言われたことをきちんと守る、言われたことはしっかり聞いて覚えるということにつながっているようで(もちろん、それはいいことでもあるのですが。)、算数でも自分で考えるというよりは、「習ったことを再現する」ような状態になっていました。

そういう子は珍しくはありませんが、よく考えないうちに答えを書いて指導者などの顔を見て、違っていそうだなと判断すれば答えを書き直すというような症状が出ていて、まずはそこを何とか切り替えてもらわなくてはと思いました。
ただ、うちには週1回しか来ないわけですし、学校は週に5回あるとなると、なかなか「ゆっくり、じっくり」に切り替えていくのは難しそうで、この数ヶ月、何度も何度も「慌てなくていいから考えて」だとか、「何をしているのか自分でちゃんとわかってる?」だとか、焦らずじっくり考えてから一度だけ答えを書くというつもりで取り組んでほしいと伝え続けてきました。

そして夏休みのレッスン。学校がお休みになったことがいい影響を与えているのかもしれませんが、前回、今回と、少し落ち着いて考えてくれているように感じました。
少なくとも、自信なげに私の顔を見ながら答えを書き替えたり、何度も答えを書き直したりということがほとんどなく、プリントを渡すときに「ゆっくり考えていいからね」と声掛けしただけで、焦りというのが伝わってきませんでした。
これで学校が始まるとまた戻ってしまうかもしれませんが、夏の間にもう一度レッスンがあるので、少しでも多く「考えた結果わかる気持ちよさ」を感じてもらえたらなと思っています。

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2017年8月21日 (月)

パズル

最大の原因は運動不足なんだろうなと思いつつ、最近、明らかに脳の働きが鈍っているなと感じることが増えました。
だったら運動すればいいのでしょうけど、元々無精な上にこの暑さで、なかなか…。
で、脳トレ代わりにペンシルパズルの類をちょこちょこしたりするのですが、ペンシルパズルの多くは、確かに頭の使い方のトレーニングになるよなと改めて感じます。

最近はサムクロスとかカックロとか呼ばれる、足し算パズルをしているのですが、簡単なものは昔かなり大量にしたので、かなりレベルの高いものばかりがまとめられたものを買いました。
それを解いていると、初めからぱっと数が決まるところはごく僅かで、少し考えたら決まるところを埋めてしまった後は、上下左右に目をやりつつ、条件を絞り込み、色々な方向から詰めることでようやくどこか1マスの数字が決まる。そこが決まるとぱたぱたと数マスが決まる。そのいくつかぱたぱたと決まったマスのうちどこかがヒントになって、更に別のマスが決まる…という感じに進んでいきます。

狭い範囲だけを見ていたら、恐らく永遠にできないだろうと思いますし、とりあえず当てずっぽうで順番に当てはめてみるという方法だと、仮にできたとしても途方もない時間が必要になるだろうと思います。
地道にわかるところからコツコツと詰める。決められないにしても条件を絞り込めるところは絞り込む。考えられる組合せを書き出す。そういう理詰めの作業を繰り返すことで、どこか糸口が見えて、ひとつ先に進むと、また次が考えられるようになる。

これは正に算数・数学の骨のある問題などを考える際に必要になってくる頭の使い方、作業の仕方なのではないかと思います。
ですので、小さい頃から遊びの延長でペンシルパズルに取り組むというのは、算数や数学の力をつけるためにも役に立つということは確かなのだろうと思います。

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2017年8月20日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年8月19日 (土)

なんだか嬉しい。

発達上の困難があるということをおうちの方から伺っている子とレッスンをさせてもらうようになって1年数ヶ月経ちました。
その間、本当に変わったなと感じることがたくさんあり、今では、もし初めにそういうお話を伺っていなければ、気づかないかもしれないなというぐらい、その子が持つ困難をあまり感じなくなりました。

それでも、言葉に関してはまだ苦手意識があるようで(実際、多少のハンデはあるのかもしれませんので)、時々煮詰まって癇癪を起こしかけることがあります。
今回のレッスンでも、問題の意味を勘違いしていて、助けようと思って声をかけているのに、それに耳を貸さずにどんどんはまり込んでいくという状況に陥りました。
それでもどうにかこうにか問題をクリアした後に改めて、「言っていることを初めに聞いてくれてたら、あなたならちゃんとできていたと思うよ。」と声をかけると、さっきまでイライラしていた表情がすっと落ち着いて、「うん、わかった。」と言ってくれました。
なんというか、私が言うことは信用してくれているような感じが伝わってきて、なんだかとても嬉しく思いました。

算数が得意な一方で、言葉に対しての苦手意識がかなりあり、実際学校などでも困ったことがあるのかもしれませんが、少しずつできることが増え、わかることが増えて、苦手意識が少しずつ薄らいできているのではと思います。それでも時々小爆発をしそうになるのですが、「あなたならできる」と私が言えば、自分はきっとできると思ってくれるようになったことは本当に嬉しいことです。
得意にまではならないかもしれませんが、嫌だな、苦手だなという意識がなくなれば、学校生活が楽になるところもあると思いますので、この調子で、焦らず少しずつ進んでいってもらえたらなと思います。

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2017年8月18日 (金)

すごいなぁ、嬉しいなぁ。

2年生になるまでは、もしかしたら算数はちょっと苦手なのかもと思うことがあったり、まだ体調や気分にかなり大きく左右されることがあったりしていた子が、2年生になってから随分安定してきたなと感じることが増えていました。
にも関わらず、ひと月ほど前には色々おかしな方に行ってしまって「もう全部やめる」発言が飛び出したりもしたのですが、それはすぐに撤回してもらえてひと安心。

そんな2年生さんと少し前から掛け算をやり始めました。本人が楽しみにしていたからということもあるのだと思いますが、掛け算に入ってから絶好調。かなりスイスイ解いていくので、いつの間にか足し算、引き算が随分しっかり身に着いたんだなぁと感心していました。

そして今日のレッスン。解いている様子を見ていると、本当に当たり前にあっさりと「これにあと7を2回足せばいいんや」とか「16と16だから32」とか「80から8とるから」とか、どう考えたらいいか、私が全く何も声をかけなくても、次々に自分で気づいてどんどん解いていくのです。
それも、問題に応じて、確かにその考え方が簡単だなと思う方法を選んでいることがほとんどで、ただ順々に1つずつ足していくようなことは全くしていませんでした。

いつの間にかこんなにも成長していたんだなと、見ていて本当に感心もし、嬉しくもなりました。
やはり、みんなそれぞれの成長のペースというのがあるのでしょうね。この子は比較的スローペースで来ていたので、不安になったこともありましたが、その間にしっかりと力を蓄えていたんだなと、改めて感じました。

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2017年8月17日 (木)

きちんと積み上げていたら

今日は高1の子のレッスンがありました。
授業の進度が速いので、数Ⅰも数Aも既に3分の2ぐらい終わっているのではないかと思いますが、最近は何でもすぐ忘れてしまう私は、高校数学は一度解いてもどうやって解いたか覚えていないこともあり(まあ、一度解いただけで解き方をマスターできるなら世の子ども達、学生たちも苦労しませんね。)、その場で再度考え直すこともあります。

ただ、教室を始めるにあたり、算数の初歩の初歩から全ておさらいしたような状態である私は、自分が子どもの頃、学生の頃には考えなかったこと、気づかなかったことを色々改めて理解し、納得することがたくさんありました。
その結果、高校数学を見ていると、あの頃の私にとってはただただ難しく、ただただ公式を暗記して当てはめて処理するようなことしかできなかったものが、実はその基礎はきちんと中学の数学にあり、中学の数学もやはり、その基礎は小学校の算数にあるというものが、決して少なくないのだなと感じることがあります。

例えば、小学校で比例や反比例を習うときには、具体的な例を挙げ、マイナスの世界はないものとして学習しますが、比例や反比例がどういうものかきちんと理解した子どもは、中学校で比例・反比例をするときには小学校からの発展でしかないだろうと思います。
そして、それもきちんと理解できた子にとっては一次関数もやはり比例が発展しただけのもので、また、関数というのがどういうものかがわかっていれば、二次関数もいくつか数値を当てはめ、点を取ってグラフを描いていくなどすることで、どういう関係を表しているのか理解することができるようにも思います。

更に、そうやってきちんと中学校の数学を学んだ子にとっては、高校で新たに習う二次関数も、中学の二次関数の発展でしかないでしょうし、かなりの部分、「ただ覚えて解く」なんてことはしなくていいのだろうと思います。

また、一般に高校で進学校や中堅校と言われるような学校は、中学までに比べると授業の進度が速く、内容も難しい場合がほとんどですから、小中学校時代にしっかり考えてこなかった子は、高校になってからじっくり考えようとしても、物理的にかなり厳しいだろうとも思います。

そういう意味でも、せめて小学生の間ぐらいは、じっくり考えて意味を理解することに重きを置いて学習するのが、子どもの将来にとっても大きなプラスになるのではないかと思います。
困っているようだからとやり方を教えてあげる前に、何が理解できていないのかを見つけ、その意味をわからせるということを意識してあげれば、算数や数学を楽しいと感じられる子がもっと増えるかもしれないなと思っています。

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2017年8月16日 (水)

「やり方教えてもらった」

子ども達とレッスンをしていると、時々耳にする言葉が「やり方教えてもらった」というものです。
教室でのレッスンでは、基本的に「やり方」を教えることはないので、子どもがそれをいう場合はほとんどが学校の先生やおうちの方からで、時にはおじいちゃんやおばあちゃん、年長の兄弟などからということもあります。

私がとても気になるのは、子どもがこの言葉を口にするとき、ほぼ100%に近いのではと思うぐらいの確率で、意味を理解していない、意味を考えるところまで至っていないということです。

勉強に限らず、やり方を教えてその通りに真似させるというようなことは、子どもが成長していく中で恐らく数えきれないぐらいあるのだろうと思います。
例えばお箸の持ち方や鉛筆の持ち方などは、親の持ち方を見て真似させるというようなご家庭もあるかもしれませんが、やはり誰かが子どもに教える場合が多いのだろうと思いますし、数字や平仮名などはとにかく丸覚えするしかないようなものですから(約束事なので、意味を考えようにも無理だったり、年齢的にまだその数字や文字ができた背景などを教えることが難しかったりしますので。)それはそれでいいのだろうと思います。

ですが、意味を考えたらわかるものまでも、考えずに覚えさせることは、長い目で見るとマイナスになってしまう場合があるように思います。

教室を始めた頃、まだ2年生になったばかりなのに、そろばんで段を持っている子がいました。私はそろばんを習ったことがないので詳しくはわからないのですが、その子はその時点ですでに桁数の多い掛け算や割り算もいとも容易く解いていましたし、消費税計算などまで計算の仕方を教えてもらってできるようになっていたようです。
2年生にしてそこまでできるということは、恐らくかなりの才能を持っていたのだろうと思うのですが、小さい頃からそろばんの珠ばかりを見てきたからか、小学校1、2年でするような基本的なレベルの文章問題さえ間違うことが多々ありました。
絵を描いてもらおうとしても描けず、問題を読んでも何の計算をしたらいいのかわからないのです。

その子は、それが何算かを教えてもらえば、相当面倒な計算でもかなりの速さで解いてしまえる能力はありましたが、少しでも考える必要がある問題になると全く別人のようになってしまう。やり方を教え続けたひとつの結果なのだろうと感じました。

別の子は年中の頃から小4になるまでずっとプリント反復の教室で計算をがんばっていたのに、小4の個別懇談で算数ができないと言われたそうです。驚いた保護者の方がその子と一緒に来られ、問題をやってみてもらったところ、やはりただの計算問題はすごい勢いで解くものの、文章問題になると完全にストップ。点つなぎや図形の模写なども惨憺たる状態でした。

そういう、単純計算だけはとても自信を持っているようなお子さんには過去何人も出会いましたが、その状態になってしまってから、問題をじっくり考えられるようになるにはとてもとても苦労することが多かった記憶があります。

お子さんが苦労していたり、困っていたりするのを見ると、放っておけなくて、助ける意味でやり方を教えられることもあるだろうと思います。ただ、もしそうであれば、その際になぜそれで解けるのか、意味がわかっているかどうかを尋ねて頂くとか、教える前にまず子どもに考えさせてみて、その後で教えるとか、子どもが自分自身の頭で考える機会を作ってあげるようにすると、子どもにとってよりよい学びになるのではないかと思います。

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2017年8月15日 (火)

夏休み最終日

今日で夏休みもおしまい。
しかし、本当に何にもしなかったなぁというほど、ただただ無為に過ごしてしまった5日間でした。
晩は家族で毎年恒例のお盆の精霊流し(といってもかなり形式的なものですが)に行ってきました。こうして家族揃っていつまでできるかなぁと、最近は何かの節目ごとに思ってしまいますが、今年もこうしてみんな揃って無事にご先祖様をお送りできて、ありがたいなと思います。
さて、かなりボケボケになっていそうな不安もありますが、明日からまたよろしくお願いいたします。

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2017年8月14日 (月)

夏休み4日目

今日は幼馴染とご飯に。
彼女とは4歳からの友達なのですが、そして、もちろんその頃にはどういう性格だから仲良くなったとか、そんな意識はなく、むしろここ数年、色々な話をしながら、なんか色々似てるよねと思っていて(頻繁に会うから似てきたとかそういうことではもちろんありませんし。)、人の縁ってなんか面白いなぁと思ったりします。

ろくに何もせぬまま、夏休みも明日を残すのみとなりました。
水曜から頭がちゃんと働くかどうかちょっと不安です…。(汗)

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2017年8月13日 (日)

夏休み3日目

今日も世界陸上で、ボルトに涙し、競歩で感動し、晩には実家に行き、1日が終了しました…。
お休みもあと2日。結局このまま何も生産的活動をせぬまま過ぎていきそうです…。

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2017年8月12日 (土)

夏休み2日目

今日も引き続き世界陸上を見て生活サイクルは完全な昼夜逆転。
その流れでダラダラしているうちにとっぷり日が暮れて…という休日になってしまいました…。
本日はこれにて。

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2017年8月11日 (金)

夏休み初日

世界陸上を見て夜更かしし、結局ほとんど何も生産的なことをせぬまま初日が終わりました…。
皆さま、よい休日をお過ごしでしたでしょうか。

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2017年8月10日 (木)

意外な発見

うちに来てくれることになったきっかけが、まだ1年生なのに算数が全く楽しそうではなくて、このままだと辛いだろうと思われたお母さまがうちを見つけてくださったという2年生さん。
実際、来てくれた当初は問題を前に、呼吸も止まっているぐらい苦しそうにしたり、小さな声でうなったりと、とにかく算数が嫌なんだなぁということがひしひしと伝わってくる様子でした。

肩の力を抜いて、深呼吸して…とおよそ算数を考えるのとは関係なさそうな声掛けを何度もしたほど、1年生にしてここまで嫌になるって、なかなかのものだし、可哀想だなと感じていたのですが、しばらくすると苦しそうにすることがなくなり、時々笑顔も見られるようになり、それにつれて、あれ??この子算数のセンスある気がする…と感じることが増えました。

もちろん、大人が見ても、そんなにも嫌いなのね…とわかるぐらいのアレルギー状態だった子なので、問題が難しく感じられるようなときなどはまだ辛そうにすることもありますが、どうやら頭の作り的には算数の能力は結構ありそうで、感心して褒めると嬉しそうにしてくれます。
何より、まだ低学年のうちからあそこまで嫌いになるとこの先の学校生活で算数や数学の時間が憂鬱になるだろうと思ったので、そういう意味でも笑顔が出るようになって本当によかったなと思います。

そんな中、夏休みの間だけ国語も少し一緒にさせてもらうことになりました。
すると、想像より読み取りが苦手そうで、お母さまにお話を伺うと、物語の本より図鑑や科学などの本が好きだったりするとのこと。なんだ、そうだったんですね!と改めてびっくり。

もちろんこれも個人差や例外があるので、どの子にも当てはまるわけではないと思いますが、算数・数学が好きな子の多くは説明文など具体的な文章の読み取りは比較的できるものの、物語文などで心情や行間を読むような必要があるものだと苦手だという子は少なからずいます。
今度その子に説明文の読解をしてみてもらって、出来に差があるかどうか見せてもらおうかなと思います。

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2017年8月 9日 (水)

やはり暑さか?

私自身、仕事疲れがあるとか、特に寝不足だとかいうこともないのに、このところどうも頭の回転がいつもより鈍いなぁと感じているのですが、今日のレッスンでは、考えていることは全部合っていて、それを言葉で説明もできるのに、簡単なたし算やひき算で間違いを連発する子がいて、これも暑さのせいなんだろうか?と思いました。

その一方で、このところなんだかずっとイライラして、それまではじっくり考えることができていたのに、その美しい姿がほとんど見られなくなっていた子がいて、なんでかなぁ、ストレスでも溜まっているのかなぁと思っていたところ、今日は久しぶりにバッチリ考えられて、次々問題をクリアして、美しい表情を見ることができました。

かと思えば、普段からやる気の波が激しく、気分が乗らないときはよくそこまで「嫌だ!」という気持ちを全身で表せるよね…と感心してしまうぐらい(見ていてこちらが腹が立ってくるぐらい…)態度にも言葉にも出る中学生は今日も超ぶーたれて、あまりにぶーぶー言って机に突っ伏したので、やりたくなければやらなくていいけどその態度はひどすぎると言ったところ、姿勢はともかくぶーたれるのは我慢したようで、様子を見ていると、なんでそんな難しい問題をそんなにぶーぶー言いながらも解けるんだ?と(この子はよくそういうことがあるのですが…(苦笑))思うほど、よく考えていて不思議な気分にもなりました。

夏休み前半のレッスンは明日で終了です。
明日もみんな元気にがんばってくれるといいなと思います。

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2017年8月 8日 (火)

何をどこまで作るか

教材を作りながら、色々なことに気づいたり、どう表せばいいか悩んだりとあれこれ頭を使いますが、最近は小数の掛け算・割り算の問題を作っていて、これを小学生にも自分で考えられるようにわかりやすく作るにはどうしたらいいんだろうと、あれこれ試行錯誤していました。

ただ、よく考えると、中学以降では小数で掛け算や割り算をすることはほとんどなくなりますし、むしろ小数を使わないのがスタンダードになっていくともいえるので、小数の掛け算や割り算については、基本的な考え方がわかれば、例えば小数第3位までの小数同士の掛け算だとか、桁の多い小数の割り算だとかは、別にしなくてもいいのかもしれないなと気づきました。

極端な話、小数を分数に直す方法をわかっていれば、分数計算をして、もし答えを小数で答える必要があるのなら、出た分数を小数に直せば、小数の掛け算や割り算ができなくても、答えは出せるわけです。
これはあくまでも一例ですが、例えば0.375×0.625をしようと思ったら、よっぽど計算が得意な子でなければ暗算は不可能でしょうし、筆算を書いても掛け算が3段になり、更にそのたし算をすることになるので、結構面倒なのは間違いありません。

しかし、0.375が8分の3だとすぐ気づく、もしくは気づかないにしても1000分の375を約分すれば8分の3になるので(仮にそこまで約分することに気づかず、5で約分しただけでも200分の75になりますし。)、同じように0.625も8分の5だと気づけば、0.375×0.625=3/8×5/8=15/64になります。
与えられた式が0.375×0.625という小数の形なので、答えを小数にすべきであれば、15÷64をして0.234375になります。(元から小数で計算してももちろんこの答えになります。)

割り算の答えは小数で表せないものはありますが、分数で表せないものは算数の範囲ではありませんから、そういう意味でも小数を分数に直す力をしっかりつけることと、分数の掛け算・割り算をしっかりマスターすることに重きを置く方が、面倒な小数の計算をたくさん練習させるよりずっと有意義なのではないかなと思います。

問題を作っていると、ついついなんでも応用問題、骨のある問題まで入れたくなるのですが、算数の中にさらっと流してもいい内容もあるのは事実なので、そういうところももっと意識しながら作っていこうと思いました。

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2017年8月 7日 (月)

台風

今日はレッスンが入っていなかったのですが、本当は出勤して事務仕事をするつもりにしていました。
しかし、見事なまでに日本縦断状態でかなりのスロースピードで台風が北上しており、結局家を出ず、家でパソコン仕事をしたりしていました。

この辺りは特に被害はなかったようですが、西から次々に警報や避難準備情報やが出て、この辺りを過ぎてもまだずっと大雨を降らせ続けたようですね。明日は関東方面が影響を受けるようですし…。
大きな被害が出なければいいなと思います。

今週は10日木曜までレッスンで11日金曜から15日火曜までは夏休みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年8月 6日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年8月 5日 (土)

初めての涙

レッスンをしていて、小さい子達に泣かれる経験はかなりしているのですが、通ってくれるようになって数か月になる年長さんが今日のレッスンで初めて泣いてしまいました。

小さい子達が泣くのにはいくつかパターンがあるように感じていますが、子どもたち自身が気持ちを説明してくれることはまずないので、想像するしかありません。
経験上一番多いのは、その子にとって問題が難しそうに感じられると泣いてしまう。あとは、眠くて頭が働かなくて悲しくなって泣いてしまう。小さい子達に対して怒ることはまずないので、私に怒られて泣くということはないのですが、泣かれる経験は相当数しているように思います。

今日のその子はこれまで結構順調にレッスンが進んでいた子なのですが、どうしたのか「7+9」の問題だけえらくてこずって、顔を見るとなんだか眠そうにも見えたので、眠くて調子が出ないのかなと、「眠い?」と声をかけたものの否定も肯定もしない感じで、他の問題はできていたので、ヒントになることを言ったり、教具を見せたりしたものの、なかなか抜け出せない様子。
そこで、一旦それは後にして違うことをしてもらったところ、それはできていたのですが、その後とうとう涙が。

きっとこれまでなんでもばっちりできていたのに、その1問がその子にとって「できなかった」ことがショックだったのかなと思いましたが、他の問題ができていたので私もその問題だけひっかかる理由が推測できず、結果的に悲しい気持ちにさせてしまって、申し訳なかったなと思いました。

暑い日が続いていて、レッスン中眠そうにする子や、頭の回転が鈍くなっているような子もちらほら。その子もたまたま眠気や疲れがあったのかもしれませんが、最初に「難しかった」という印象が残ってしまうのは子どもにとって決してよいことではないので、次回その問題がすんなり解けるかどうか確かめて、もしまだ何かでひっかかるようなら、きちんとフォローしたいと思います。

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2017年8月 4日 (金)

打って変わって

元々絵を描くのが好きらしく、また、空間認知の能力も結構あるように思われる子が、前回のレッスンではなぜかあまり絵を描こうとせず、何とか描いても、描いた絵をちゃんと見ようとせず、どこかにはまり込んでしまっていました。見たら絶対考えられるはずなのになぁ…なんで今日は見ようとしないんだろうなぁ…と思いつつ、まあそんな日もあるんだろうなと思っていました。

今週のレッスンも引き続き、図を描いたりして考えなければちょっと難しいような問題で、さてどうなるかしらと思っていましたが、何があったのか、たまたま先週がおかしかったのか、何も言わなくてもどんどん絵を描いて、その絵を見て次々に問題を解いていきます。
やり方を覚えて計算でバッサリ答えを出すという感じではなく、図を描いて、色々当てはめてみたりしながら考えているのが見ていてもよくわかり、ひと安心。
本人もしっかり考えて理解しているので、安定感があり、穏やかに取り組んでくれていました。

子どものスイッチは本当にどこにあるんだろう?と思うぐらい、レッスン中に突然おかしくなったり、前回はもうどうにもこうにもダメで今回はおさらいからやらなくちゃいけないかな?と思っていた子が別人のようによくできたりということが結構あります。
本当に興味深いです。

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2017年8月 3日 (木)

わかる範囲

子ども達を見ていると、ああ、そういう風に考えるんだなぁと発見することが色々あります。
成長していくうちに、きっとそんな考え方をしていた子とは忘れていき、大人になってしまえば、「常識」だったり、考えるまでもなく反射的にわかるというようなレベルになっていくことが多いのだろうと思いますが、ひとりひとりの子がその子の成長段階によって、わかる範囲というのが変わっていくんだろうなと。

子ども達を見ていると、習得までの早い遅いの差はあっても、ほとんどみんな、まず3までの数を認識し、次に5まで、その次に10まで、20まで、100まで…と段階的に数を理解していきます。
もう大人になってしまうと、それを目のあたりにする機会は限られているかもしれませんが、例えば、まだ3までしかぱっと認識できない子に5個のものを見せると、3の続きで4、5という把握の仕方ではなく、1から順に数えて1、2、3、4、5というような確かめ方をする段階を経ることが多いのです。

ですが、ぱっと見て5までが認識できるようになると、1つずつ数えることはなくなっていきます。しかし、次に6こや7こなど、5より多い数を見せるとまた、1つずつ数えようとすることがあります。

また、大人でも100を超えるような数を量としてイメージすることはあまりしないのではないかと思いますが、大人の場合、1000や10000などの数はお金をイメージすることで考えやすくなったり、10進法の理屈を理解しているので、悩むことがなかったりするのに対して、子どもはまだ大きな数をイメージする手立てが限られているため、1000や10000などになると、タイルや玉などでイメージしようとすると、うわぁ、いっぱい!!となって、手こずるのだろうと思います。

繰り上がりが当たり前に理解できるようになるまでは、時々こんなことが起こります。
今日のレッスンでもそういう場面に出くわしたのですが、例えば長さや嵩などの単位換算をするときに、234cmは2m34cmと換算できても、1234cmになると迷う。そして、1を隠した234cmなら2m34cmと答えられたとして、その流れで1を見せても、1と2で3m34cmというような答えを出す子は珍しくないのです。

大きな数になると、位の区切りの意識がまだしっかりない子は、それより大きいところの位の数を足してしまって答えにすることがあって、しかし、それに気づかない大人が見ると、え?なんでそんな答えになるの??とただただ疑問を感じることになるのではないかと思います。

子どもが一所懸命考えているようなのに、思いがけない答えを書いたときには、どう考えてその答えを出したのか大人の側も色々考えて、あ、もしかしてこう考えたのかな?と推測できると、子どもも大人もすっきりします。
そこで「ちがうでしょ?なんで?」というようなことを言われたとして、子どもが説明できればいいのですが、その子にとって「大きい数」の問題を一所懸命考えているので、うまく説明ができない場合もあると思います。
そして、せっかく一所懸命考えたのにただ「ちがうでしょ!」とか「そんな答えになるはずないでしょ?」などと言われてしまうと、子どもも混乱し、どう考えたらいいのかわからなくなってしまうかもしれません。

いい加減にやっているようなときは注意してもいいと思いますが、子どもが真剣に取り組んでいるときには、大人の側も子どもの頭の中を一所懸命推測してみるのもいいのではと思います。

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2017年8月 2日 (水)

ご紹介

今日は直接子ども達のレッスンなどに関する内容ではありませんが、ある意味で子ども達の将来に大きくかかわるのかもしれないような内容のようにも思いますので、ご存知ない方もおられるかもしれませんし、こちらでご紹介させて頂くことにしました。

私自身は特に何か信仰している宗教があるでもなく、支持政党があるでもなくという、日本人に多くいるのではないかと思われる類の人間ですが、そんな私もさすがにこのところの与党のやり方には、色々感じざるを得なくなっています。
そんな中、SNSで偶然目にした灘校の校長先生が出された声明文というものがありました。
採択教科書の中から選んだにも関わらず、このような圧力がかかっているだなんて、これはもう異常としか言えないのではないでしょうか?
教科書採択は国がしているのではないのでしょうか?

この国はどこに向かっていこうとしているのでしょうか…。

(この声明文は内田樹先生や、ジャーナリストの津田大介氏などが紹介しておられますので、実際に灘校の校長先生が出されたものと考えていいのではないかと思っています。)

謂れのない圧力の中で

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