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2017年7月31日 (月)

7月最終日

今日はレッスンはお休みでしたので、なかなかはかどっていない教材作りなどをしていました。
それにしても、自分で作るとなると、色々なところでこれまで感じたことがなかった疑問を抱いたりするものですね。

例えば、ひし形の面積の公式は「対角線×対角線÷2」と習いますが、この公式の「対角線」というのは、当然正方形でいう「1辺×1辺」のように同じものを指すのではなく、暗黙の了解として2本の対角線の長さを掛けて2で割るわけです。
でも、公式では「一方の対角線×他方の対角線÷2」だとか「2本の対角線のうちの1本×もう1本の対角線÷2」のような表現をすることはなく、ただ「対角線×対角線」と表現しているんですね。

また、複数の三角形について、「底辺と高さが等しい三角形は」という表現をすると、底辺5cm、高さも5cmというような意味に読んでしまう可能性があるなと思い、これを中学生以降で出てくる「それぞれ」という表現を付け加えて「底辺と高さがそれぞれ等しい三角形は」と書けば、勘違いは減らせるとは思いますが、小学生の頃にそんな表現に出合ったことはないような気もしますし、また表現が難しく感じられそうにも思い、たったそれだけのことを誤解される可能性を減らしながらも簡単な表現で伝えるというのは、なかなか難しいものだなと感じたりします。

こんな小さなことでも引っかかるたび知恵を絞り、表現してみるものの、それで本当にわかりやすいのかどうかは子ども達の反応を見なければわからないところもあります。

まあ、言い訳せず、がんばって形にしていかなくてはいけませんね。今年ももう7か月も過ぎてしまいましたし…。
明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年7月30日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年7月29日 (土)

楽しそうなのはすごい変化なのかも。

まだかなり波はあるものの、発達上の困難があって、国語の苦手意識が強い子がかなり変わってきたなと感じるようになって随分経ちました。

今週のレッスンでは、夏休みになって数日キャンプに行っていたとかで、宿題が半分ほどしか仕上がっておらず、来るなりそれをやり始めたのですが、国語の問題を解きながら、問題に関係ない鼻歌を歌ったりしては注意され、どうでもいいことをしゃべって手が止まっては注意され、それでも表情がこわばることもなく、なんだか楽しそうに問題を考えていたり、それとは別のきちんと読まなくてはできそうにない問題でも、読んでいないようだったので「声に出して読んでみてよ」と言うと、すぐに声に出してしっかり読み始めてくれたりしました。

まだ苦手意識が完全に消えたわけではありませんし、問題によっては自信を失ってどんよりしたり、ふにゃふにゃ弱気な発言をしたりもしますが、できることは確実に増えているのを感じますし、初めに伺っていなければ、困難があることも気づかないかもなと思うほどです。

この子に限らず、子ども達は表情がどんよりしているときには絶対といってよいほど頭が働いていません。そして、多少ふざけたりしていても、顔が笑顔だと、頭もよく働くことが多いように思います。
そういう意味では、国語に対してかなりの苦手意識を持っていた子が、問題を前に笑えることが増えたのは結構すごい変化なのかもと、改めて思います。
この調子で自分は国語もできると思ってもらえたら、とてもとても嬉しいだろうと思います。そう思ってもらえるよう、がんばらなくては。

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2017年7月28日 (金)

今日初めて。

先週、教室の入り口付近にある本棚の中で一番小さい本棚が壊れました。
色々考えた末、壊れたものと比べるとかなり大きなものに買い替えて、火曜には新しい本棚に本を並べ直していました。
本棚のサイズを変えたので、これまで置いてあったものなども位置を変えたり、フリーボックスに入れていた絵本も新しい本棚に並べたりと、結構変わったのですが、火曜も水曜もレッスンに来た子ども達やお迎えに来られた保護者の方達どなたも何もおっしゃらず。
私が結構変わったなと思っても、違和感ないのかな?と、まあそれならそれでいいけどと思っていましたが、今日は最初にレッスンに来てくれた子達のお母さまが最初に気づかれ、続いて子どもも気づき、その後のレッスンに来た子も「わぁ、なんか変わってる!」と反応。

火曜、水曜の子達は気づいたけど何も言わなかったのかもしれませんが、もし気づいていなかったのだとしたら、その子達は本にあまり興味がないか、普段教室の様子にあまり興味がないかなのかもしれませんね。

私自身、言われてもすんなりとは納得できないものの、人間の目は自分が見たいもの、気になるものだけを見ている。脳がそれを瞬時に判別しているというようなことなのだそうですね。
そういわれてみれば、確かにその場にあっても全く目に入っていなかったなんてこともあるなとは思いますし、視野に入るもの全てに意識が行ったら、結局何かをきちんと見ることはできなくなってしまうのかもしれませんから、大事な仕組みなのかもしれません。

そういう意味では、子ども達にも「見て」と声をかけても見えていないということがあるのは当然なのかもしれませんね。興味があれば自然と目に入ることでも、興味が持てないものは目の前にあってもきちんと見えていないということがありそうです。
問題が難しいときや、その子がちょっと抵抗を感じているようなときに具体物や図などを見るように促すことがありますが、そういうときは子どもが本当に「見て」いるか、私のほうもきちんと見ていなければと思います。

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2017年7月27日 (木)

ちょっとすっきり。

今日はレッスンをほかの日に振替というご希望などでレッスンを入れなくても大丈夫でしたので、行こう行こうと思いながらも延ばし延ばしにしていた健診を受けに行く予定で昨夜は日付変わって以降はお水以外口にせず、なんとか午前中のうちに健診に行き、午後からはこれまたそろそろ行こうと思いつつ行きそびれていた美容院に行き、それが終わった後、2週間ぐらい様子見していたのに改善の兆しがないので皮膚科にも行って、気になっていたことがかなり片付きました。

皮膚科はこれまで行ったことがあるところは木曜午後はお休みだったりで、インターネットで検索して初めてのところに行ったのですが、やはり皮膚科は混んでいますね。

そんな中次々に患者さんを診ていかねばならないからでしょうけど、まだお若い感じの先生はかなり早口で、冷たくはないもののスパスパさっぱりという感じの対応でしたので、ちょっと戸惑いましたが、さすがプロでらっしゃるなと思ったことが。
自分が伝えたこと以外にもうひとつ、以前から気になっていた症状について「ひとつお尋ねしてもいいですか?」と切り出したところ、事前に伝えていたわけではないのに、「ああ、右のこのあたりの○○ですよね。それの小さいのが左にもありますよ。それは○○で~~」と既に気づいておられ、スラスラと説明してくださいました。

問診票に書いたところを診るときに、そこには全く書いていないことまで既に見ておられ、私が尋ねなければ何もおっしゃらなかったのだと思いますが、尋ねたらすぐに的確な答えが返ってきたので(私としては、「もう一度診せてください」とかおっしゃるかと思っていたもので…。)さすがだなと思いました。

専門家は目の付け所が違うということなのかもしれませんね。

さて、色々スッキリして、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年7月26日 (水)

いよいよみんな夏休み

神戸市立の小学校の子達は今日が終業式だったようで、これで高校生の1人を除いてみんな夏休みに入ったようです。
今日はあゆみを見せてくださった方もおられたのですが、今はもう厚手の紙の二つ折りではなく、薄いファイルに恐らくプリントアウトされたのであろう用紙が入っているんですね!
全ての神戸市の小学校がそうなっているのでしょうか?
確かに1枚ずつ手書き、スタンプ押しという時代ではないのだとは思いますが、厚手の紙にプリントアウトというわけにはいかないのかなぁと、古い人間としては思いました。

暑さのせいかなんなのかはわかりませんが、今日は不調の子もちらほら。最近やたらとイライラしている子は今日もイライラ。
これで学校の授業はお休みになるので、来週はみんな落ち着いてるといいなぁ。

私も暑さにやられないよう気をつけて、長い夏休みを乗り切りたいと思います。

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2017年7月25日 (火)

子どもの言い訳

子ども達とレッスンをしていると、たまに、大人が見たらバレバレな言い訳をしたりする子に遭遇することがあります。

いくつか印象に強く残っているものもありますが、例えば、もう今は大学生になった子がまだ小学校高学年だった頃、国語の結構骨のある読解問題の宿題で、私が解いてもここまで解答例通りの答えには絶対ならないというような50字以内だとか80字以内だとかのそこそこのボリュームの記述式の問題の解答が見事に解答そのままだったことがありました。
国語があまり得意ではないという男の子だったので、申し訳ないけどこれはまず100%答えを写したなと。ですが、現場を押さえた(?)わけではありませんので、万に一つでも自力でやった可能性があれば、決めつけることはできません。

そこで、「ねえ、この問題難しくなかった?」と尋ねると、既にその時点でちょっと顔が引きつったのですが、「うん、難しかった。」と。更に「そうよね?お母さんに助けてもらったとか何かした?」と尋ねると、「ううん、自分でやった。」と。そこで、「すごいねぇ。私自分でやってみたけど、ここまで完璧には書けなかったんやけど。」というと、今度はやや目が泳ぎながら、「いや、かなり時間かけて考えたから。」と。

まあもう100%確定したなと思いましたが、「そう、すごいね。じゃあこれはそれよりずっと簡単だから、絶対できるよね。ちょっとやってみて。」と別のそれより短い記述問題をその場で考えるよういうと、考え始めたもののいっこうに「見事な解答」は出てきません。

その後の展開はここでは控えますが、まあ、それ以降はそういうことはありませんでした。

別の子は、私に対してしたのではないのですが、難しい計算問題がびっしり書かれた宿題のプリントをするのが嫌で、プリントの下の方を切ってこっそり捨て、おうちの方に最初からそれだったと言ったそうですが、切って捨てた部分が部屋のゴミ箱から発見されるというようなことがありました。

宿題をやらなかった言い訳で多いのは、忙しかった、難しくてわからなかったなどが一般的ですが、もちろん、本当に忙しかった場合は「そう、大変だったね」というような感じで済みますし、その子にとって本当に難しい問題であればもちろんそれも何も問題になりません。

ただ、「色々忙しかったから」みたいな言い方をして、その「いろいろ」部分を尋ねても口ごもるとか、同じようなプリントが何枚かあってそのうち1枚は普通に解いているのに、後のものを「難しくてできなかった」と言うとか、宿題のプリントのうち簡単なもの、好きなものだけやって後はわからなかったと言ったりと、まあ、怒られたくない言い訳だということがほぼ確実な場合があります。

そういうとき、私は子ども達に必ず言うことがあります。

宿題はやりたくなければやらなければいいし、やらなくても自分が困らなければなんでやらないの?とも言わないよと。その代わり私は嘘をつかれるのが大嫌い。怒られるのが嫌だから、どういえば怒られないかなって考える気持ちはわかるけど、やりたくなければやらなくても怒らないのに、やらなかった理由で嘘をつかれる方が嫌。
嘘ついたり、言い訳したりするとき、自分でもいい気持ちはしないと思うし、私も嫌な気持ちになるし、何にもいいことない。嘘つかれるぐらいなら「嫌だからやりませんでした」って言われたほうが、「そう、嫌でやらなかったのね」って言えるもん。

表現は子どもによって多少変えたり、長くなったり短くなったりはしますが、そんな話を必ずします。
最近も、絶対やらなかっただけだよなと思うのに半分ほどやったプリントにやっていない部分を囲んで「やり方がわかりません」と書いて持ってきた子がいて、それを追求する前にひとしきり上述のようなことを伝え、「で、この問題はどうやって解いたの?」とやっている方の問題について尋ねると、自分から「それは・・・」とやらなかったことをごまかそうとした旨を告白してくれて、そうやってきちんと認められるのは素敵だなと思いました。

嘘が全ていけないなんてことは思いませんし、人を傷つけないための嘘や、誰にも迷惑がかからない嘘などは合っていいと思うのですが、子どもの心がチクッと痛んだり、悪いことをしてるんだとわかりながらつく嘘はやはりいいとは思えないのです。

嘘をついているかどうか確信を持てないときに絶対決めつけないようには気をつけていますが、教室では極力言い訳での「成功体験」はさせないようにしたいと思っています。

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2017年7月24日 (月)

遅くなって申し訳ありません。

まだ一部の方の予定が確定しておりませんが、ひとまず今日の時点で夏休み中のレッスンについて、振替や追加、時間変更等のある方には皆さんにご連絡を差し上げられたと思います。(もしも通常通りのご希望ではないのに、ご連絡が行っていない方がおられましたら、ご遠慮なくお知らせください。)

今日はレッスンはお休みだったのですが、土曜に永らく使っていた2段だけの小さな本棚が壊れ、新しいものを注文してそれが届くはずだったので出勤していました。
しかし…結局今日は届かず…。
まあ、家にいるよりは事務仕事が捗ったのでよしとします。

神戸市立の小学校の子達はまだ26日まで学校があるようですが、明日からは夏休み期間のレッスンということになりますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年7月23日 (日)

オフでした。

あちこちで異常気象。九州に続き、秋田でも大きな被害が出ているようで、心が痛みます。
酷暑の反動でゲリラ豪雨や記録的大雨など、日本の夏は完全に熱帯化してきている気がしますね…。
自然の力にはかないませんが、皆さまどうぞお気をつけて。

オフでしたので今日はこれにて。

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2017年7月22日 (土)

苦手だけど。

高1の数学の中で、やり直してもやはり苦手な、好きになれない単元というものはあります。
その中でも何度やり直してもやっぱり好きになれないのは命題に関するところで、好きになれない理由は、この単元に関しては命題、裏、逆、対偶、背理法など、絶対に覚えなければいけない言葉があり、裏と逆はどっちがどっちだっけ?というような感じで、記憶力の衰え著しい脳には、毎回その単元を予習するたび覚え直す必要があるからです。

ただ、どの言葉が何を指すのだったかを記憶しておかなくてもよいのであれば、この単元は奥深いというか、私はその域には到達できそうにありませんが、数学が本当に好きな人たちにとっては面白くてたまらないところかもしれないなとも思います。

例えば、背理法というのは、与えられた命題が正しいことを証明するために、その命題が成り立たないと仮定して、でも、その仮定に無理がある。つまり、仮定がおかしいんだから、もとの命題は絶対正しいんだよみたいな手を使う。(かなり文系っぽい表現になっている気がしますが…。(汗))

中学の数学でも証明問題は出てきますが、あれもあまり楽しく感じられません。ですが、例えば、奇数と奇数の和は必ず偶数になるということを証明しなさいと言われて、1+1=2、3+5=8…といくつか例を挙げたとしても、どんな奇数とどんな奇数を足しても必ず偶数になるの?と言われてしまえば、全ての例を挙げることはできません。
それを文字を使って、2m+1、2n+1で、mとnはどんな整数でもいいよということにすれば、全ての奇数について説明できるんですよね。

そんな風に考えると、本当に数学が好きな人、偉大な数学者と言われるような方々は、正に何かを証明することこそ数学だと感じておられるのかもと思ったりします。

私も含め、多くの中高生が証明問題などをあまり面白く感じられないのは、既に誰かが証明したわかりきったことを再現できるかどうかを試されているだけだからなのかもしれないなと、苦手な命題の単元を見ながら思いました。

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2017年7月21日 (金)

一体何が??

1年生の頃はコンディションの波が大きく、ダメになるともうにっちもさっちもいかない感じになってしまう子だったのですが、2年生になって随分成長が感じられるようになり、3年では安定感も出てきたように感じていました。
その子が先日珍しく、久しぶりににっちもさっちもいかない状態に陥りました。

分数の学習をして何回目かになっており、それまでのレッスンではさほど苦労することもなく問題をクリアしていたのですが、なぜかその日は全く分数というものがわかっていないような状態に陥っていました。救い出そうと声をかけても聞いてもらえず、どんどんはまり込んでいき、とうとう全く抜け出せなくなってしまって、それを見ておられたお母さまがもう一度分数の最初からおさらいしてもらってもいいかもしれないとおっしゃったので、さすがにここまでの状態だと念のためそうした方がいいかも…と、その次のレッスンでは通常の教材ではないものでおさらいがてらもう一度分数について、特に大きさや量として意識してもらえるように取り組んでもらいました。

そして今週。前々回もうどうにもこうにも考えられなかったプリントをやらなくてはいけないものの、いきなり出してそれでダメになってしまってはまずいし…と思いつつも、それではないものも決して簡単とは言えないものばかり。どうしたものか…と思いつつも、6分の1時間は何分、4分の1時間は何分…というような問題のプリントを出したところ、初めは「うわぁ、何これ!」と言ったものの、問題の意味が分かると、落ち着いて次々と解き始めました。

あれ?これがこんなに抵抗なくできるんならいけるかな?と思い、前々回大苦戦したものに進んでも、ほとんど間違えることなく解いていきます。
大小比較の問題は間違えると不等号の向きを変えるだけになるので、間違った場合は説明できるかどうかも確認したりするのですが、「あ、違ったわ!」と不等号の向きを変えた後、当たり前のように「だって、こっちは3回とあと1個でしょ?」(仮分数を帯分数にする考え方ですが、まだ帯分数とか仮分数とかいう言葉は学習していません。)というように説明できるのです。

結局、どんどん問題をクリアしていって、その日予定していた分は時間までに全部終了。それでもすっきりした顔をしていました。今回の問題がこれだけ解けるということは、明らかに分数というものを理解できているということだと思うのですが、だとすると前々回は一体何だったのか、もしくは前回おさらいを兼ねてしたことで一気に頭が整理されたのか、果たしてどちらかわかりませんが、あまりの変化に本当に驚いてしまいました。

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2017年7月20日 (木)

「うん、わかった。」

1年生の早い段階でかなりの算数アレルギーになってしまった子と2月頃から一緒にレッスンさせてもらうようになりました。

几帳面でこだわりが強いタイプ(私もこだわりはかなり強い方だと思っているので、その面では似たタイプ)という印象で、また、未知のものに対しての抵抗感が平均的な感覚より相当強いようにも感じる子で、初めの頃は何か指示を出しても、自分が納得しなければ全く聞き入れてくれなかったり、明らかに不機嫌な表情になったり、これはちょっと時間がかかるかもしれないなと思っていました。

私とのレッスンにも少しずつ慣れてきて、以前よりは抵抗感も多少和らいだような印象を受けるようになりましたが、まだ新しいこと、その子がぱっと見難しそうに感じることなどにはちょっと体が固くなる漢字があったり、表情がこわばったりということはあります。
そんな中、今日のレッスンで、ある問題でやってみてと言ったことに対して、その子がほんの少し間があってから「うん、わかった。」と言ってくれました。
これまでだと、自分のやりたいやり方ではなければ「なんでそうしないとダメなの?」とか「これじゃダメなの?」とかいうように、自分のやり方、考え方を変えたくないという意思を出すことが多かったのです。

もちろん、子ども自身が気づいて、考えたことは否定はしないのですが、その方法でとても苦労しているようだったり、1つ1つとにかく数えるなどあまりお勧めできない方法でやった上に答えを間違ったりするようなときには、違う方法もあるよという感じの提案をすることがあるのですが、その子は自分の方法で何度も間違いを繰り返していても、違う方法をなかなか受け入れてくれない傾向がちょっと強いように感じていました。

それだけに、一度言っただけで「うん、わかった。」と受け入れてくれたことはちょっとびっくりしましたし、とても嬉しく感じました。
何もかも先生や大人が言う通りにする必要は全くないと思っていますし、一人ひとりの考え方をできるだけ尊重しようとは思っていますが、時間もかかって苦労した挙句、何度も間違うというような場合は、その方法はいい方法ではないわけですから、違う方法に切り替えてもらう方が望ましいだろうと思うのです。
返事をする前に一瞬ためらったのは、これまでの習慣で抵抗を感じたとかなんだろうなと思いますが、それでも「うん」と言ってくれたのは、積み重ねてきた時間で、私が言っていることはある程度信用できると思ってくれるようになったのかもしれないなと思います。

人のいうことに耳を傾けられるようになれば、きっとこの子はこれまでよりずっと算数ができるようになるのではないかなと思っているので、夏休みのレッスンもちょっと楽しみが増えました。

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2017年7月19日 (水)

みんなおつかれ。

いよいよ夏休み目前となりましたが、子ども達の疲れもかなりたまってきているようで、今日のレッスンでも明らかに眠そうな子、眠気をこらえて頑張ろうとしている子が何人もいました。
普段よくできる子でも、眠気に打ち勝つのはなかなか難しく、できるはずの問題がなかなか進まなかったり、思いがけない答えが書かれたりと、この状態は学校がお休みになると少しはマシになることを願わずにはいられません。

そんな中、ちょっと不思議だったことが。以前はしっかり考えることもできていて、何より算数が楽しそうで、あれこれ言わなくても3桁や4桁のたし算、ひき算も筆算せずにしっかり解けていた子が、このところずっと何かイライラしている感じで、暗算でできていたはずの計算も筆算を書き、その筆算の計算すら間違いが多発。そのほかにも、なんだかこの子らしくないなぁと感じることが続いていて、ちょっと気になっていました。

今日は前回よりは考えられてはいたものの、かつてのキレというか、センスというか、そういうものが発揮されている感じがせず、どうにも不思議だったので、「なんでかなぁ?前はちゃ~んと考えてたし、計算だって、そのぐらいなら暗算でばっちりできてたのにね。なんかこの頃は、何をしてるか考えないで、とりあえずこんなやり方やったかなぁみたいな感じになってる気がするんやけど。」そんな感じのことを言ったところ、ちょこっとだけ反論したものの、それに対して「でも、前はちゃ~んと考えてたよね?そんなことない?」と言うと、なぜかその後、それまでに比べて明らかにきちんと考え始めました。

何かスイッチが入ったのか、以前の状態を思い出したのかはわかりませんが、声をかけただけで突然変化が現れたのはなんとも不思議でした。

学校によっては今日が終業式、明日が終業式という子もいるようですが、週末にはほぼみんな夏休みがスタートしますね。
夏休みもどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年7月18日 (火)

面倒なことは考えないのも無理はない

子ども達とレッスンをしていて、算数が好きな子の場合はいいのですが、算数があまり好きではなかったり、単元によっては嫌いなものがあったりというような子に対して、嫌いなものを考えなさいと言っても、なかなかその気になれないのは無理もないなぁと思います。

私自身も気になること、興味があることであればいくらでも考えられますが、嫌いなこと、興味が持てないことはやらずに済むのであればやらない。その場だけどうにかなればいいのであれば、深く考えず、お茶を濁すというようなこともいくらでもしているような気がします。

普段結構考えるようになってきた子どもであっても、問題がややこしくなると、私の表情や反応を探って、答えが合っているかどうか判断しようとすることがあるのですが、常にそういう風にすることが癖になっているような場合は、問題を考えることができない状態という可能性がありますので、何としても考える方向へ働き掛けていくようにする一方で、普段はちゃんと考えるのに、今日は何だか考えていないなというときには、それに応じて対応する必要があるのだろうと思いました。

嫌なことをいっぱいしなくてはならないとすれば、なんとか適当にやり過ごしたいと思うのも無理はありませんから、普段しっかり考える子がやたらと考えずにやり過ごそうとしているように感じたら、その可能性を意識すべきだなと。
もちろん、だからと言ってやり方を教えるとかはしたくないので、問題数を思い切って減らすであるとか、子どもががんばって考えている間は、その子のことをじっと見守って、しっかり考え切ったときに褒めるとか、声をかけるとかしてがんばりを認めてあげるなどの対応をしてあげる必要があるんだろうなと。

個人的には、褒められるために勉強をするというのはちょっと違う気がしているので、何でもかんでも褒めたりしませんし、褒めることでやる気を出させようとは普段は思いませんが(実際にすごいと思った場合にはもちろん大いに褒めますが。)、その子が興味が持てないような問題、苦手としているような問題のときには、やはり励ましや応援、称賛などによって、拒否反応が少しでも和らぐのではないかなと思うからです。

子どもが考えようとしないと、つい「ちゃんと考えて」などと言ってしまいがちなので、考えていない場合にも色々な場合があるということを、心にとめておかなくてはと思います。

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2017年7月17日 (月)

アンケートのご回答よろしくお願いいたします。

今日はレッスンはお休み。
事務仕事をするつもりだったのが、結局ダラダラと過ごしてしまいました…。

アンケートをお渡しするのが遅くなってしまった方もおられますので大変恐縮ですが、夏休み中のレッスンについてのアンケート、ご回答期限をひとまず明日とさせて頂いていますので、まだご回答頂いていない方はお手数ですがよろしくご回答のほどお願いいたします。

夏休みまでもうあと数日。子ども達は待ち遠しい夏休み。保護者の皆さまは一層忙しい夏休みかと思いますが、皆さまどうぞご自愛のほど。

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2017年7月16日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年7月15日 (土)

人の命

今日は仕事には全く関係のないお話で申し訳ありません。
昨日の夜に突然、友人が9日に亡くなっていたことを知らされました。

彼女は9日の晩、私がFacebookでシェアした記事にいいねをしてくれたのに、その数時間後に亡くなったということはどうにも信じられず、しかし色々な事情が重なって、詳しいことを確かめるすべがなく、彼女と親しかった友人達みんな、悲しみに暮れています。

元々私は、子ども達がいる間は体調が悪くても治まる、悩みや悲しいことがあっても忘れるという体質(?)なので、今日もレッスン中は考えずにいられましたが、大好きな友人が突然いなくなってしまったことは、まだどこか信じられずにいます。

数年前、お知り合いの方にお目にかかってお話した日の晩に、その方が亡くなられたことがあり、そのときにも思ったのですが、人はどんなに元気な人であっても、明日も必ず元気かどうかは誰にもわからないんですよね…。

無精者の私は、今日が人生最後の日だと思って生きなさいと言われても、結局ダラダラと時間を過ごしてしまうのですが、自分が「今日会う人」との時間をもっと大事にしたいなと、そんなことを思っています。

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2017年7月14日 (金)

一体何が…。

前回、突然「もうやめる」宣言をした2年生さん。

2年生になって随分成長したなと感じることが多くなっていたのですが、1年生の頃はかなり頻繁にぐずったり、来るのを嫌がったり、レッスンしていても眠くなってどうにもならなくなったりということがある子でしたので、なんだか久しぶりにダメダメスイッチが入ったみたいだなと思っていたのですが、何をどう言えばいいのか煮詰まってしまったか、長い長い時間かけてようやく口にした言葉が「もう全部やめる」だったので、さすがにびっくりしました。

でも、元々嫌々やっても身につかないとわかっていますし、本当に嫌なら無理をしなくていいと子ども達にもよく言うので、最近めきめき力を伸ばし始めた感じがしていただけにショックは大きかったものの、嫌なもんは嫌なんだもんなと「残念だけど、わかりました。」とだけ言って見送りました。

ですが、結局は本人もそこまでのつもりはなかったようで、「やめるのはやめる」ことにしてくれたようで、今週も来てくれることに。
しかし、レッスン直前に突然行きたくないと言い出したとの連絡が入り、その後の連絡を待っていると、ほどなく寝起き顔で登場。移動中に寝てしまったのでぐずったようですが、顔を見ると、これは今日もダメかも…という雰囲気が。

送ってきてくださったお母さまも不安そうにしておられましたが、とにかくがんばってと励ましてひとまず出て行かれました。当然私は内心ドキドキ…。前回、もうやりたくないと言った単元をまたやらなくてはいけないだけに、それを拒否されたら違う教材に切り替えることも考えて準備をしていました。

しかし!!!!!

算数が得意な子でもそこそこ苦労する問題を1問目、いとも容易くクリア。

え???どういうこと??

見ていると、全く苦も無く2問目も正解。

?!?!?!

結局3問連続ノーミス一発正解。それが3問連続正解できるということは、その単元の内容をかなりバッチリ理解できているということなので、それは3問で終わりにして、それでもまだどこでイヤイヤスイッチが入るとも限らないから…と様子を見ながら、1枚、また1枚とプリントを進めていったのですが、どこまでも順調。ニコニコしながらばんばん解いていきます。

う~ん…前回は一体何だったんだろう…。
こんなにもわかってるんなら、そもそも何にもイヤじゃないんじゃないの??

結局1時間ずっと高い集中力を維持し、やろうと思っていた以上のことが全て終わりました。
お迎えに来られたお母さまにそのことを報告すると、お母さまも言葉が出なくなっておられましたが、本当に子どもって不思議だなぁと思いました。

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2017年7月13日 (木)

ちょっとびっくり。

普段、うちの教室では教科書に沿った教材を使うことがほとんどないので、学校の授業については時々、今何をしているかを確認したり、学校で習っていることで困っていることがないかを確認したりする程度で、特に困っているようなことがなければその確認だけで終わって、予定通りレッスンを進めることになります。

通ってくれるようになった時期などによって、たまに教材の順を前後させる必要があったりするので、それは気をつけないといけないことなのですが、今日のレッスンに来た子が、学校でL、dLの勉強が始まったと知らせてくれました。
そこで、どんなことまでしたか尋ねたところ、今ひとつ説明がはっきりしなかったので、ランドセルごと教室に来ていたその子に教科書を見せてもらったところ、びっくりしてしまいました。

もちろん、教科書はかなり薄く、教科書だけで授業をしていないことはわかっているつもりですが、2年生の嵩の学習では、教科書に計算問題すらほぼ見当たりません。
更に1dL=100mLということも特には書かれておらず、ほんの数ページでおしまい。学校の授業でどれだけの時間が割り振られているのかはわかりませんが、この扱いならやらなくてもいいぐらいなのでは?と思ってしまいました。

個人的にはdLは教えなくてもいいような気もしますので、それはまあいいとして、LとmLはある程度きちんと理解できているのが望ましいのではないかと思います。
というのも、いずれ体積を学習すると、そこでの容積の学習の際、mL、Lと㎤の関係などがわからなければ解けない問題が出てくるからです。
もちろん、その段階でおさらいをすればいいのかもしれませんが、それにしても、最近の2年生では教科書でこれだけしか扱われていないんだなということにちょっとびっくりしました。
それと比べたら、子ども達にとって教室でする教材は全く次元が違うぐらいの問題までやっているってことなんだろうなぁ。

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2017年7月12日 (水)

眠い季節?

最近、自分自身も特に睡眠不足というわけでもなく、いつもと違うことをして疲れたとかでもないのに、やたらと眠気を感じる気がするのですが、それは子ども達もどうやらそのようで、今日のレッスンでも普段しっかり集中してがんばってくれる姉弟さんがそれぞれ途中明らかに眠そうで、ふとした瞬間に目がとじかけていたり、いつもは算数が得意で結構よく考えられる子が、次々とおかしな答えを出し、確かめ算をするよう促しても、何度も何度も正解より多い答えや少ない答えに行ったり来たり…。

暑さのせいなのかなとは思いますが、恐らくまだ更に暑くなるような気もしますので、早く夏休みになって子ども達の体力が回復することを願うばかりです。

早いものであと1週間ほどで1学期も終わりますね。
保護者の皆さま、アンケートのご回答もどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年7月11日 (火)

嘘だと思われそうですが。

決して能力的にきびしい子ではない、むしろ、言われたことをきちんと聞いて、その通りにすることができるというのはある程度以上の能力があるとも言えるように思いますので、そういう、一般的には「真面目で先生のいうことをよく聞く」というタイプの子でも、教えられたことをきちんと聞いて、「速く」言われた通りに「処理」しようとすることを繰り返していると、こんな風になってしまうことがあるというお話。

3年余り前から少しずつ教材を作っていますが、これまで一緒にレッスンをさせてもらった子ども達がどういうところで苦労するか、ずっと気に入って使っていた教材のどこが足りないか、どこがわかりにくいか、そんな数々の経験をもとに、もやり方を提示するのではなく、子どもに気づいてもらえるように持って行けるような教材が作れないかと頭をひねっています。

その教材を一部の子達には使い始めているのですが、学校ではまだ掛け算の筆算は習っておらず、教室では2桁×1桁、3桁×1桁の暗算は学習済みという子に、掛け算の筆算をしてみてもらうことにしました。
導入として、同じ数を3段や5段などに重ねた足し算の筆算をまず考えてもらうところから始めるようにしたのですが、初めは49+49の2段だけの普通の筆算。次に34を3段重ねた筆算、次に21の4段重ねの筆算、次は65の4段重ね…というように、段の数を増やし、繰り上がりのないものから繰り上がりのあるものへという感じで問題をならべておきました。

すると、足し算の筆算ですから、やり方を聞いてくることはなく、計算をし始め、「5×4は20で…」というように、65の4段だと自然と掛け算も使い、繰り上がりも十の位のところに2と書いて、正にイメージ通りの「掛け算の筆算」の計算の仕方を教えなくてもしているようでした。

自然とそんな風に計算ができていたので、それを掛け算の筆算で書くと49×2、34×4…という風になるけど、意味も考え方も同じだということを確認して、掛け算の筆算をしてもらうことにしました。

すると、たった今、何も教えなくても掛け算を使いながら足し算の筆算をしていた子が、その同じプリントに書かれた掛け算の筆算の式を見た途端、全く違う答えを書き始めたのです。
もう一度先ほどした足し算の筆算の式を指し、今している掛け算の筆算と意味は同じよね?と確認しても、なぜなのか全く違うことを考えているようで、なかなか正しい答えが出てこなくなりました。

見ていた私も何とも不思議な気持ちになりましたが、きっとその子の中で掛け算は九九として暗唱したものであって(実際4×6など途中の答えが知りたくても四一から順に唱え、またよくある「し」と「しち」の記憶が曖昧だったりということがあるのは何度も目にしていますが、九九を覚えてしまった後で来てくれた子なのでなかなかすんなり修正が効かないようです。)、意味を考えたことがないのではないかなと。

それでも教室に来てくれるようになってからはとにかくなんでなのか聞かれるし、意味を考えるように言われるしで、少しずつ考えてくれるようになってはきているのですが、筆算で掛け算の符号を見ると、何か変なスイッチが入るんだろうなと感じました。

まだ小さいうちから、覚えたものを使って速く「処理」しなくてはならないような勉強の仕方をさせられると、弊害の方がどんどんと膨らんでいくような気がします。
元々センスがあって、言われなくても意味を理解してしまえるような子は別として、普通は考えることは時間がかかることですので、特にお子さんが小さいうちは、きちんと考えているかな、きちんと意味がわかっているかなということを気にかけてあげて頂けたらなと思います。

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2017年7月10日 (月)

ちょっと気になる記事

少し前に、AIで東大合格を目指すプロジェクトが中止になったというニュースを目にしましたが、それに関連した記事のようです。
読めなくても解ける。そのテクニックだけでは将来AIに取って代わられる。
今のままだと日本はどんどん高齢化が進み、人口が減少していくのだと思いますので、ロボットなどが変われるところは変わっていくのはよいことでもあるのだろうと思いますが、今の子ども達が大人になる頃には、もう当たり前のようにロボットや人工知能が日常生活の中に取り入れられているのかもしれません。
その時代にどうやって生きていくか。それはやはり自ら考えられる人間になっておく、何か自分にはこれがあるという強みを持っておく、そんな必要があるのかもしれません。(もちろん将来のことは誰にもわかりませんが。)

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

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2017年7月 9日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年7月 8日 (土)

多分今もキライなんだろうけど。

1年生の早い時期にかなりの算数アレルギーになってしまったらしい子と1年の終わり頃からレッスンをさせてもらっています。
話すことなどはとても小さい子とは思えないほどしっかりしていて、することもとても丁寧なのですが、算数に関しては嫌な記憶があるのか、何をするにもとても身構える感じがします。
算数をしているとき以外は、何かお話してくれるときにニコニコ笑顔になることもあるのですが、レッスン中に笑顔を見られることはほとんどなく、どこかにあるスイッチを押してしまうと泣いてしまったり、全く何も聞いてもらえなくなったりということも過去にはあったので、私もちょっとこわごわ、これは大丈夫かなと手探りしている感じで言葉を掛けることもあります。

それでも、以前と比べると、何か言ったらこちらを向いてくれる、言うことを耳に入れてくれる、そう感じることが多くなってきました。
まだ全く楽しそうではありませんし、何度も不安そうな表情になったり、合っているかどうか確かめてきたり、「穏やかに自分ひとりで考える」というところまではまだもう少し時間はかかりそうですが、ゆるいながらもキャッチボールができるようになってきたかなという気がしています。

個人的にはみんなが算数を好きになってくれるとは思っていませんし、好き嫌いは人がどうにかできるものでもないと思いますので、この子にも算数を好きになってもらおうとまでは思っていませんが、「できないしキライ」はまだまだ長い学校生活において、結構ツライものではないかと思います。それなら「できるけど好きじゃない」になってもらえるものならその方が学校生活が少し楽になるんじゃないかなと。
そんな気持ちでこれからも、算数嫌い、算数アレルギーの子達と向き合っていこうと思います。(もちろん、算数が好きな子達にはもっと楽しいと思ってもらえるように頑張りたいと思います。)

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2017年7月 7日 (金)

短い文を書かせる。

教室でのレッスンは算数がメインなのですが、何人かの子とは国語も一緒にさせてもらっています。
自分で教室を始めるまでは、塾での国語の授業といえば、いわゆる国語のワークブックなどに沿って進められることが多く、必要があれば作文指導、読書感想文の指導などもすることはありましたが、その場合は原稿用紙にある程度長い文章を書くことになるため、短い文を書かせることについての意識はあまりしたことがありませんでした。

ですが、作文が苦にならない子にはわざわざ指導しなくてもいいのかもしれませんし、だとすれば、国語が苦手な子、作文が苦手な子でも書けるようにと考えると、短めの文章を書かせることがかなり効果的なのではないかなと感じるようになりました。
主語述語がきちんとある文章を書かせる。
慣れてきたら、それにいくつかの修飾語を使わせる。目的語を使わせる。
2文を接続詞でつながせる。接続詞を決め、順接・逆接・添加など、その接続詞でつなげられるような2文を書かせる。
決まった係り受けをする副詞を使って文を書かせる。
このように、色々な課題を作ることができますし、短くてよければ、書く方の心的ハードルも下がるのではないかと思います。また、短くても本人が書いた文を見て、例えば主語と述語がねじれていたり、接続詞の使い方が合っていなかったり、係り受けが間違っていたりということを、1つずつ直してもらっていけば、長い作文のあちこちを訂正していくより、印象にも残りやすくなるような気がします。

1文、2文が正しく書けない状態の子に作文を書けといっても、国語としていい評価がもらえる作文を書くことは難しいでしょう。それでもまともに指導してもらえず、書きたいことを書けなどと言われれば、作文嫌いの子が増えるだけなのではないかと思います。

読むより書く方がほとんどの場合難しいだろうと思います。ですから、まずは短い文から正しく書かせる。1文をきちんと書けるようになったら2文、3文に伸ばす。慣れてきたら4文で起承転結がある文を考えさせるなど、色々なことができそうです。

もしお子さんが国語が苦手、作文がキライというような場合、ご家庭でも手軽にできることがありそうですね。

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2017年7月 6日 (木)

目に見える成長

今日のレッスンでのこと。
子ども達が持って来て見せてくれる宿題の中で、ものによってはひとまず預かって後でしようとか、しばらく時間を置いてしようと思うものが時々あります。
すぐにしようと思っていても、レッスンのキリが悪かったり、その日は思うようにレッスンが進まなかったり、私がうっかり出すのを忘れていたりというようなことで、しばらく先に延びてしまうようなこともあるのですが、今日はそのお蔭で、ああこんなにも変わったんだなと、改めて感動することがありました。

いわゆる算数の内容の問題については、結構その都度すぐに直してもらうことが多いのですが、思考力系の問題などはしばらく置いておくようなこともあり、今回は詰まれた積み木の図を見て、3方向から見るとどのように見えるかを図に表す問題で驚きの変化を感じることができたのです。

去年の11月の宿題で、恐らくかなり苦戦したのだろうなという感じで描かれた図。間違いではなかったことと、その時点のその子が精一杯やったのがこれなんだろうと思えたこととで、いつか「ここはこんな風に描いた方がいいよ」というようなことを言うために預かっていたプリントが1枚手元にありました。

今日はレッスンがとても順調に進んだので、宿題に出す予定だったものの中から、同じ課題である積み木を3方向から見た図を描く問題を目の前でしてみてもらうことにしたのです。
過去のその子を見ていた限りでは、実際に積み木を使って形を作り、それを見ながらしてもいいことにしようと思い、「積み木使ってもいいよ」と言ったところ、「多分できると思う」と積み木を使わずやってみようとします。
それならまあやってみてもらいましょうかと思って「もし難しかったら使っていいからね」とだけ言って見ていると、図の描き方自体が11月とは全く違っていたのです。

11月の時点では例えば上から見て田の字のように4つ並んで見えるようなものでも、積み木を1個1個、4回に分けて描くような感じで、とにかく1個ずつ、ものによっては積み木と積み木の間が離れていたり、角度がおかしかったりというものも少なくありませんでした。
それが、私は何も言っていないのに、田の字のような積み木はまず外枠になる正方形をかいて、それを4つに分ける。L字のように見えるものも、まず外枠のL字を描いてからそれを区切る。そんな描き方を当たり前にしているのです。
出来上がった答えの美しさや安定感(きちんと理解している感じ)は、全く別の人が描いたとしか思えない違いがありました。

驚きながら、本人にも11月のプリントを見せると、「わ~、何これ、ぐちゃぐちゃや!」と笑っていましたが、そういう問題を繰り返し練習させたわけでもなく、月に1回出てくるかどうかの課題であるにも関わらず、この数ヶ月でその子が明らかに成長したんだなとしみじみ感じられる出来事になりました。

子どもの力ってすごいですね。

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2017年7月 5日 (水)

何を難しく感じるか

その日のコンディションなどにもよるのだとは思いますが、子ども達が何を難しく感じるか、長年こうしてレッスンをさせてもらっていても、まだ自分の予想とは違う反応がかえってくることがあります。

今日のレッスンでは、普段かなりしっかり考えられる子なので、学校ではもちろんまだやったことがなく、教室でもほぼ初めてになる、小数×整数の問題を考えてみてもらうことにしました。
0.3×3という最初の問題は、躊躇うことなく0.9と書いたので、ああこれはいけそうだなと思って見ていたところ、少し問題が難しくなると、小数点の位置が狂い始めました。
どう考えているか尋ねても、元々かなり口数が少ない子なので黙ったまま、それでも何かじっと考えています。

そこで、小数のかけ算だとしばしば教えられる、小数点がないものとしてかけ算をし、小数点を何個分動かすというような指導をすれば、もちろん答えは出るようになるのですが、少なくとも今目の前のその子は、小数を集めたらどうなっていくかがきちんと理解できていない段階なのでしょうから、位の部屋を使ったり、10倍、100倍するとどうなるか確認した後に、10分の1、100分の1にしたらどうなりそうかを考えてもらったりして、ゆっくり取り組んでみてもらったのですが、まだいつものような自信を持って答えを書く感じにはなりませんでした。

学年を考えても、スラスラできない子とは不思議ではないものの、普段のその子の理解の度合いから考えると、こんなに手こずるのかと少し意外に思いました。
でも、こうして何かに引っかかる、悩むという場面に出くわすたび、それが自分の教材作りの参考になるので、そういう意味でも子ども達が私の先生になっているのだと思います。

最初に難しい!と思ってしまったものは、その後も苦手意識が残ってしまう場合があるだけに、最初の提示の仕方は結構重要だと思っていて、予想に反して難しいと感じさせてしまった場合は、ひとまず先に伸ばすか、本当に納得して「ああ、そういうことなのか!」と感じてもらえるまできちんと向き合っていくか、どちらかにするようにしています。

その子はたまたま今日が不調だっただけで、次回また考えてみてもらったら、もしかしたらすんなりいくのかもしれませんが、きちんと様子を見ておこうと思います。

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2017年7月 4日 (火)

少しずつ少しずつ

考えるより先に答えを出そうとしてしまう(という風に書くと、何を言っているの?とお感じになる方もいるかもしれませんが…)癖がついている子とレッスンをするようになって数ヶ月。学校の授業ペースも速く、恐らくスピードを要求されているのだと思うので、すぐすぐには変わらないだろうと覚悟はしていましたが、このところ少しずつ変わり始めてかもと思うときがあります。

大人からは信じられないかもしれませんが、やり方を覚え、意味を深く考えず、数を「感じる」ことなく計算などをしているような子は、かけ算の答えがかけられる数より小さくなっていても気づかないというような、ぱっと見ただけで絶対あり得ないような答えを書いてけろっとしているということがあります。
症状が悪化すると、それがあり得ない答えだということも全くわからず、ただ計算をし直し、ちがうと言われたらまたやり直し、マルになるまで何度も何度も計算をし直すことしかできないような状態になっていることもあります。

幸いその子はそこまでの状態ではなかったのと、ここ数ヶ月、何度も何度も「ここ(教室)では急がなくていいから。」「何か書いてもいいから。」「急がずゆっくり考えて。」というようなことを言い続けているのとで、よく考えず適当に計算してとんでもない答えを書いてしまっても、マルにならなければそこで何かを書いたり、もう一度落ち着いて考えたりして、自分の頭で理解して答えが出せるものが増えてきたように感じます。

2桁×1桁や3桁×1桁で、宿題になっていたプリントに桁が完全に違うような答えを書いているようなものが何問かあったのですが、また「急がなくていいから。絵を描いてもいいからちゃんと考えて。」と言って直しをしてもらったところ、スピードは落ちてもきちんと直せるものがほとんどでした。
特に宿題の場合、ギリギリまでやっていなくて限られた時間でやっつけ的にやったとか、ほかのことが気になって集中せずにやったとかいうことは、どの子にもありがちですので、家でできなくても教室ならできるということは珍しくないのですが、とにかくその子が目の前で手を動かして図を描いたり、数をゆっくり「頭の中を通して」いるなと感じられたりすることはとても嬉しいことです。

この1年でどこまでの変化を見せてくれるか、楽しみにしながら、私もしっかり向き合っていきたいと思います。

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2017年7月 3日 (月)

考えるって本当に大事だな

小さい頃に時間をかけてじっくり考えることが大事だということはこれまで何度も繰り返し書いてきましたが、そうすることで後に大きな力になるということも同じように書いてきました。

これもまた何度も書いていることですが、自分自身を振り返ると、算数の間はある程度「考えて」いたような気もしますが、いつ頃からか、算数・数学は公式を覚えて当てはめれば解けるものという意識に変わっていったような気がします。
そして、高校数学に至ってはほとんど意味など理解しておらず、やり方を覚えてクリアするという、英語や社会などに比べると覚えるものが少なくて楽だから好きというような科目になっていたのは確かです。

その後、会社員を数年した後、子ども達と一緒に学ぶということが始まったのですが、長年高校数学を解く必要はなかったため、数Ⅰや数Aでさえ、完全に忘れきった状態で、それもかなり年齢を重ねた後に学び直すことになりました。

その間、自分で高校数学を学び直したことはありませんでしたし、ほぼ真っ白な状態で問題を見始めたところ、算数や中学の数学を、どういう意味なのか考えることが習慣になったからか、ああ、こういう意味だったのか!と思うことが少なくありませんでした。
そして、その結果、数Ⅰや数Aの範囲であれば、覚えなければ解けないことはかなり限られているということにも気付きました。

今日は試験前の振替で高校生が来たのですが、今回の数Ⅰの試験範囲が二次関数が中心ということで、主にその辺りを問題をピックアップしながら解いてもらっていました。
高校数学はここ何年かで何度か解いていますが、短期間に繰り返し同じ内容をするということはなかなかないので、覚える必要がある言葉や記号などの意味はすぐに忘れてしまいます。
それでも、二次関数だと、問題で何を問われているのか、何を考えればいいのか、どういうグラフになって、そのどこを答えればいいのかなど、思い浮かべることができるのは、解き方を覚えたのではなく、何をしているか理解したからなのだなと感じるのです。

連立方程式の解が一次関数の2直線の交点であるということは、中学生の頃には深く考えることなく、こう解きなさいと言われたからそうやって解いているという感じでした。
x、yが変数と言われても、へんすう??という感じで、何をイメージしたらいいのかぴんと来ていませんでした。
でも、変数だから、そこに色々な数を当てはめていくとグラフに表され、その結果、交点が方程式の解になるんだなというようなことが結びつくと、二次方程式や二次不等式と二次関数の関係も当たり前のように理解でき、グラフがx軸と接するようにと言われれば、二次方程式が重解になればいいってことだな…というように読み変えることができるようになりました。(中学・高校時代から数学をきちんと理解していた方にとっては至極当たり前のことなのだと思いますが。)

つまり、きちんと考える、自分がやっていることがどういうことなのかを理解するということは、本物の力となって、後々まで生きてくることがたくさんあるのだと思います。
それは問題が難しくなればなるほど生きてくるのかもしれないと感じています。(といっても、空間認知能力などに限界がある私は更に進んだ数学ができるかどうかはあまり自信がありませんが…。)

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2017年7月 2日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年7月 1日 (土)

1年の折り返し

早7月となりました。
1年も折り返し。この半年の間に何をどれだけ頑張れたかといえば…反省しきりになりますが、どんどん成長していく子ども達に置いていかれないよう、後半も子ども達としっかり向き合っていきたいと思います。

今日のレッスンでは、来てくれた頃は見るからに算数がキライなんだなとわかる、そんなにキライだったら無理にしなくてもいいのでは…と気の毒になった子ともレッスンがあったのですが、最近は笑顔も増え、今日はかなり桁が多く、途中に何か所か0が入っているような、結構面倒な引き算の筆算も連続で一発正解。
別の問題では少し考えにくそうだったので1問だけ私が100や10を紙に書いて、それを見て考えてみてもらったところ、その後はわかりにくいときには自分で絵を描いて、それを見てきちんと答えを出していって、いつの間にか自然と手が動くようになってきたことも嬉しく感じました。

初めの頃あんなに嫌がっていたことを思うと別人のようで、おまけに思ったよりずっと算数ができるのでは?と感じる場面も多く、そう感じたときには言葉に出して感心するのですが、本人も嬉しそうにしてくれます。
こうして、自分で考えてわかる喜び、それを認めてもらう喜びが積み重なって、算数アレルギーが治ってきたのかもしれません。

算数がすきな子、得意な子とレッスンをするのももちろん楽しいですが、算数がキライ、算数がわからないという子達の役に立てることはこれまた大きな喜びでもあります。

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