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2017年6月13日 (火)

「なんかわかってきた。」

小学校受験もし、小学校でも2年間、おそらくみっちりと「速く処理すること」を鍛えられてきたんだろうなと感じる子と、春から一緒にレッスンをさせてもらっています。
教室には週1回1時間しか来ないので、すぐすぐ変わるものではないと思っていますし、じっくりやっていくしかないかなと思っていますが、それでもやはり提示の仕方ひとつでこんなに違うんだなと感じたことがありました。

これまでは学校で既に習ったことのおさらいなどが多かったこともあり、問題を解く際、どうやって解くんだったかを思い出し、うろ覚えだったり、詰めが甘かったりでミスをするようなことが少なくありませんでした。
でも、習ってしまったことを違う方法でさせるのは難しいことだというのはわかっているので、それに関しては意味を確認するなど、本当に不確かな部分を押さえ直す程度にとどめ、なんとか学校でやる前にこちらで少しでもやってもらえるようにと進めてきました。

その子もがんばってくれたことや、単純計算などの処理は放っておいても速くしようとすることなどで、やっと学校で習うより前にあまりのある割り算を一緒に学習することができました。
あまりのない割り算は既に習った後ですが、あまりのある割り算について、一切説明はせず、絵の描かれたプリントを渡し、問題を読んで考えてもらいました。

37本のえんぴつを2本ずつ、3本ずつ…と袋に入れていくと何袋できて、あまりがあるかどうか、あるならあまりは何本かを絵を見ながら考えてもらうというものだったのですが、どうやって考えるか見ていると、2本ずつは何か計算をしていたようですが、3本ずつは絵を3ずつ区切るようにして数え、答えと余りを書き、4本ずつも同じように数え、答えと余りを書きとしたところ、5本ずつのときにその子の口から「あ、なんかわかってきた。」という言葉が出て、「ごいちがご、ごにじゅう、ごさんじゅうご…ごしちさんじゅうご、ごはしじゅうだから…」と言って、袋は7袋、余りは2本と計算で答えを出しました。

これは私がどう考えたらいいかを言ったわけでも、説明を書いていたわけでもなく、自分で2本ずつ、3本ずつと絵を見て分けているうちに、計算で出せそうだぞと気づいたということです。
そして、その気付きは正に余りのある割り算を考えるときに説明されることだったというわけですから、少なくともこの学習については、教わって覚えたのではなく、その子自身が気づいて理解したのです。

きっとこういうことを積み重ねていくことで、自分で考えて理解するということがどういうことなのかを実感していってくれるのではないかなと思います。
もちろん、一足飛びにとはいかないと思いますが、これからが楽しみになってきました。

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