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2017年6月10日 (土)

わかってもらえたかな。

もしかすると、子ども達と指導する立場の方の中にも、その違いを意識しておられない方がいるのかもしれないと思うのですが、とてもとても大事な、子ども達にはちゃんとわかっておいてほしいと思っていることがあります。
今日のレッスンでも、ちょうどそのことをわかってほしいと思う場面があり、どうすればこの子に伝わるだろうと考えて話をしたところ、「ああ、わかった。」と言ってもらえてホッとしたのですが、ちょっとそのお話をさせて頂こうと思います。

国語の面ではやや弱さを持っているものの、算数は結構よくできる子が、先日から少し骨のある問題を考えていました。
学校の授業などとは直接関係ないもので、その子の学年を考えるとかなり難しい問題ではあったので、やり方を教えて解いてもらうのではなく、自分で気づくまで、何度も時間を取って考えてもらおうと思っていたのですが、このところほかの宿題の取り組みが十分ではない状態が続いていたため、おうちの方にそれをお伝えしたところ、その難しい問題もおうちの方が一緒に取り組んでくださったようで、2問のうち1問は正解に辿り着いていました。(間違えていた1問も、どこかで計算を間違ったか、違う数字を使ったかなのではないかというような答えでした。)

おうちの方と一緒にしたのはまだ聞いていない段階だったので、「こっちはできてるけど、こっちがちょっと違うんよね。計算間違いとかかもしれないけど、こっち(正解した方)はどうやって考えたの?」と尋ねたところ、「お父さんと一緒にやったんやけど…」と言って、どうやって解いたかを説明してくれました。

ひとまず「じゃあ、おんなじようにやったらできるんじゃない?」と言って、どんなふうに解くのか見ていたところ、お父さんが言ったことやどんな計算をしたかを思い出そうとしているようでした。そして、途中、使う数字を間違えたりはしたものの、その数字は問題にないよ?などと伝えると、「同じ解き方を再現する」ことはできたようです。

ただ、この様子だと、この子は算数が得意でよくわかる子なのに、この問題は自分で何をしているのか、どうしてその答えが出たのかわかっていない気がするなと思って、少し尋ねました。
話を聞くのもあまり得意ではないその子に、どうすればわかってもらえるだろうと思いながらも話を始めると、これまでにも色々な話をしてきているので、話し初めの時点でこれまでに話していたことなどを思い出したのか、「それじゃボクの役に立たないの?」と尋ねてきました。

でも、きっとこの違いは大人でもわかっていない人もいるだろうし、それを言葉に対する弱さのあるこの子にどういえばわかってもらえるかなぁと思いながら、こんなたとえ話をしました。

「まだ幼稚園ぐらいの子がどこかで見た英語を覚えて書けるようになったとするやん。見て覚えてその通りにかけるねんけど、その英語がどういう意味か、それが英語なのかどうかもわからないねん。何かのマークかと思ってるかもしれへん。でも、お母さんが『前にあそこで見たあれ書いてみて』って言ったら、ちゃんと覚えてて、その通りに書けるねん。覚えてるってことはすごいけど、それってその子は賢くなったかな?その子の役に立ってるかな?」

そんな話をしたところ、「なってない。そうか、なんかわかった。」そう言ってくれました。

教わったことを覚えてその通りに再現できることも一つの能力なのは間違いありません。
また、中にはとにかく覚えるしかないことももちろんあります。ただ、少なくとも算数では意味も分からず覚えて再現するという能力は、長い目で見てあまり自分の力にはなりません。
特にその子の場合、算数は結構よく考えられるのですから尚更です。

やり方を教わったものの、なんでそうするのか、そうしたらなぜ解けるのかはわかっていないという話だったのと、本人がちゃんとわかった方がいいと思ってくれたのとで、その後もう一度、それぞれの計算は何をしているのかを考えてもらい、「ああ、そういうことか!」と言ってもらって、その問題を終えました。

できることとわかることの違いの例として、上述の英語の例だと小さい子でも何を言おうとしているかが少しは伝わりやすくなるかもしれません。
その子にも少し何かわかってもらえたのなら嬉しく思います。

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