この頃思うこと
恥ずかしながら、携帯電話をスマートホンに変えて以来、電車などの移動中も家にいても、すぐ手に取っては大して内容のない記事を次々と読んだり、ゲームをしたりするようになってしまい、読書量もやらなくてはいけないことをやる量もすっかり減ってしまいました。
パソコンやスマホ、ゲーム機などには中毒性があるというのは広く知られているところで、似たような悩みを持っている方や子ども達は少なくないのではと思いますが、自分自身、どうにかしなくてはという危機感を感じつつ、同時に気になり始めたことがあります。
ネット上に公開される様々な記事を見ていると、文法がおかしな文章なども少なくありませんが、例えば、タイトルや見出しなど、最も目にされる重要な部分に明らかな誤植、誤字があるようなものが結構あるのです。
個人のブログなどであればともかく、一応は企業として記事を公開しているようなところであってもです。
書き終わって読み直せば気づきそうなレベルの誤植なども(不要な文字が入りこんでいたり、変換がおかしくなっていたりというようなもの)少なくなく、本人が見落としたとしても、別の人が目を通したらさすがにチェックできるのでは?というようなお粗末な間違いが結構あるのです。
詳しくはわかりませんが、記事を書いた人の名前やプロフィールが公開されているようなものは、その記事を書くことで収入を得ているのではないかと思いますし、仮にそうなのだとしたら、あまりにお粗末だよなぁと、そういう間違いやミスを見るたび思います。
しかし、思って見れば、私自身も以前はこんな拙いブログでも、書いたら必ず全部を読み直して、誤字や文法的におかしなところはないかなど確認してから公開していたのが、いつの間にかとりあえず打ち終えたら、かなりアバウトに目を通し、まあ大丈夫だろうと公開してしまうことが多くなっていることに気づきました。
なんというか、インターネットでの情報伝達スピードがあまりに早く、例えば本を書くとなれば下書きをし、推敲をし、清書をし、編集者や校正者が再度確認をし、多くの手間と時間、人の目と手を使って、ようやく1冊の本が出来上がるというのが一般的なのではないかと思いますが、それに比べると、たった今何か事件が起こったら、その数分後にはニュースとして全世界に発信できる。ニュース記事、ブログ記事その他が、いつの間にか消耗品というか、使い捨てというか、「鮮度」の落ちるスピードが異常なまでに速くなっているように感じました。
どんどん消費されていくものに対して丁寧に時間をかけて書き上げるのは理屈に合わないとか、どんどん出さないと情報として古くなってしまうから、内容を吟味するよりスピードが命とか、なんだかそういう方向へ世の中が移っていっているような気がします。
気づけば私自身も相当その状態に毒されているような気がして、あまりインターネットなどを見ない、本や新聞をよく読まれる、そんな方のゆったりとした時間の流れというか、時間を大切に使っているというか、日々を丁寧に暮らしているというか…そんな方達の暮らしは素敵だなと感じています。
かなりいい歳をした大人の私でさえスマホによってここまで影響を受けているのですから、子ども達にスマホやゲーム機を与えるときは本当に覚悟のようなものが必要なのではないかと思います。
今日も電車に乗っていたところ、小学生と思われる子がスマホらしきものでレーシングゲームをしながら、両手でスマホを握り、目は画面にくぎ付け状態で全く前や足元を見るでもなく、電車に乗り込んできました。親や大人が一緒にいるのであれば注意を促すこともできるかもしれませんが、その子はひとりでしたので、例えば電車の乗るとき足元を見ておらずに電車とホームの間に落ちるなんてこともあり得るなと、ちょっとぞっとしました。
まずは少しずつでもスマホを触る時間をへらし、もっと日々を大切に暮らしていきたいなと、そんなことを思っています。(教育にあまり関係のないお話で申し訳ありません。)
| 固定リンク
« オフでした。 | トップページ | 「簡単なやり方」 »
コメント