子ども達が先生
これまでずっと使ってきた教材の販売が終了になり、それがまだわかっていなかった頃から少しずつオリジナル教材を作り始めていたので、使っていた教材が扱っている範囲のものはおおよそできたのですが、一部の子達にその教材を使い始めたことで、新たに気づかされることがあります。
これまでずっと使ってきた教材やほかの塾用教材、市販の教材など、色々なものを見て、わかりにくいと感じるところを変えたり、いかにやり方を説明せず子ども自身に気づいて理解してもらえるかを考えたりして作り進んでいるものの、自分ではわかりやすいと思って作ったものを子どもが読み取ってくれなかったり、表現がわかりにくいと感じたりすることがあると、ああそうか、そんな風にも読めるんだなと気づかせてもらえます。
もちろん、一般的に用いられる表現であれば、その表現を理解できるようになる方がいいので、個別に言葉の説明をしてプリント自体の表現はそのままにすることもありますが、引っかかる子が何人もいたらやはりそれは変えるべきでしょうし、大人では当たり前の表現が子どもには当たり前でなかったりもしますので、やはり作ったものを使ってもらうことで初めて気づくことというのはあるのだろうと思います。
また、こうして自分で作ったものを使い始めたことで、これまで教材に対して「ここは使いづらいのよね…」とか「ここは難しすぎるのよね…」とか感じていた不満は、ある意味逃げだったのかもしれないなと感じるようにもなりました。
自分で作ったものだと難しすぎるとかわかりにくいとか、教材のせいにすることはできませんから、教材自体にも責任を持つことになるというと変ですが(これまでもいい教材だと思って使ってきたものなので。)、より自分自身の責任が大きくなるようにも感じます。
自分が思っている範囲までの完成はまだもうしばらくかかりそうですが、子ども達に先生になってもらいながら、新たな学びの機会をもらっているなと、ありがたく思います。
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