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2017年5月11日 (木)

「教えない」ということ

普段、うちの教室ではやり方を教えないという表現をよく使っていますが、もちろん何も教えないわけではなく、恐らくその何を教えて何を教えないかというところが、もしうまく伝えることができれば、もっともっと多くの方に私が言い続けていることを正しく理解してもらえるのではないかなと、ずっともどかしさを感じています。

例えば、筆算をするとき、筆算の書き方などのルールはもちろん教えなければ子どもはどうしていいかわかりません。ですが、ワークブックなどを見ていると、「ここに繰り上がった1を書きます」というような書き方がされているようなことがあります。
繰り下がりの引き算などでも、先生が「上の位から10借りてきて、上の位を1減らします」というような説明をされることがあるのではないかと思います。

もちろん、それは間違いではありませんし、その通りやればマルがもらえます。そして、その説明でも意味を理解する子もいると思いますが、中には「ふむふむ、引けないときは上の位から10借りてきて、数を1減らすんだな」とテクニックの部分だけを覚える子がいるわけです。

これは筆算の例ですが、先生などの説明を聞いて、このようにテクニックの部分だけ覚えて再現することが勉強だと思ってしまう子は少なくないのが現実です。

でも、例えば、足し算で繰り上がった場合、仮に「28+47」を筆算でするのであれば、一の位同士をたすといくつになるかをまず尋ね、「15」と答えたら、「15をこんな風に書いてね」と、「15」の「1」は十の位の数の上に、「5」は一の位の数の下(答えを書く部分)に書いて見せれば、筆算の書き方を教えていると共に、足したら15になるのだから、15と書くけど、書く位置がこことここになるんだなということで、意味を理解する子はかなり増えるはずです。

問題によっては本当に教えずに考えてもらうものもありますが、教える必要がある内容については、できる限り何をしているかの意味も含めて教えるということをいつも意識しています。
先ほどの「15」を書く位置についても、こちらからやってみせる場合もありますが、子どものタイプによっては書いて見せる前に「どう書くと思う?」などと声をかけることで、より一層記憶に残りやすくなるだろうとも思います。

学年が上がってくれば、必要に応じてテクニック的なものを教える方がいい場合もあるだろうと思いますが、少なくとも低学年の間は、子ども自身が自分が何を学んでいるのか、何をしているのかが理解できるような提示の仕方を心がけてあげるのが、とてもとても大事なことではないかと思います。

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