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2017年5月12日 (金)

知ることは本来楽しいことのはず

知らなかったことを知るとか、できなかったことができるようになるとか、そういう経験は恐らく楽しかったり嬉しかったり、何らかのプラスの感情を抱くのが一般的なのではないかなと思います。
少なくとも自分はそうなので、どのぐらいそうではない人がいるのかわかりませんが、生まれてきたときは自分ではほとんど何もできない赤ちゃんが、色々なことを学んでできるようになっていくその過程が、正に成長なのだろうと思いますし、成長することは喜ばしいことなのだろうとも思います。

子ども達はほとんどみんな、たし算とひき算を比べるとたし算が好き、たし算が簡単と言います。
それはたとえまだ数が少なくて、簡単な計算であっても、たし算の方が好きという子が圧倒的に多いです。
小さい子達を見ていて思ったのですが、なんとなく、本能的に「増える」のはいいけど、「減る」のは抵抗を感じるということが影響しているのではないかと。

そういう意味では、知識が増える、できるようになることが増えるというのは、やはり好感情につながる人が多いのではないかなと感じます。

ということは、もちろん好き嫌いや能力差などはあるとしても、教科学習について、その結果によって評価されるなどがなければ、多くの子が楽しいと感じることができるのではないかなとも思うのです。
知らなかった言葉を知ったら、「へぇ~、こういうときはそんな風に言うのか~」と感じるかもしれません。そのときに嫌な感情を抱くことは、まずないだろうと思います。
たし算を知らない子がたすというのは数を合わせること、数が増えることというような理解をしたら、やはりたし算ができるようになって嬉しい、たし算が分かって楽しい、そんな感情を抱く子がほとんどではないかと思います。
知ったことを忘れてしまっても何も咎められたりしないのであれば、嫌だなと思うことすらないはずです。

そう考えれば、勉強が嫌、勉強が嫌いと、まだ小さい段階でいう子は、「やらされている」、「できないと怒られる」、「テストで悪い点を取るのが嫌」など、本来「学ぶ」こととは直接関係のないところに、嫌いだと感じる原因があるのではないかと思います。

もちろん、学校の勉強では評価がつくのが普通ですし、入試などでは合格点に届かなければ自分の行きたい学校に行けないなどというのは現実ですから、どこかの段階で人からの評価に対してもある程度適応できるようになる必要はあると思いますが、やはり「つ」がつく年齢の間ぐらいは、学ぶことの楽しさの方が優先されていいのではないかなと感じます。

全ての子どもが全ての教科に関して楽しいと感じるのはさすがに難しいかもしれませんが、それでも、知らなかったことを知る、できなかったことができるようになる、そういうことに対してお子さんがマイナスの感情を抱くことがあれば、何かストレスがかかっているのではないかと、気をつけてもらえたらなと思います。

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