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2017年5月31日 (水)

イメージできれば簡単になる。

子ども達とレッスンをしている中で、結構苦労する子が多いところに、四則混合計算の虫食い算があります。
もちろん、その課題に取り組む時期がまだ3年生とかで、学校では九九の範囲でできる割り算すらも習っていないぐらいの時期というようなことも関係しているのだと思います。

きっと、学年が上がって掛け算や割り算の計算もスラスラできるようになってからなら、そこまで苦労しないのではと思いますが、教室でそれぞれの子の様子を見ながら、なんとかできるのではないかと思えばやってみてもらうことになるので、四則混合計算にもまだ慣れていない段階での虫食いは、やはり結構大変そうな子もいます。

どこから逆算するか、更にはどこからするかはわかっても、暗算するには大変な計算をしなくてはいけなかったり、逆算なので、引くべきところを足してしまったり、割るべきところを掛けてしまったりというようなことが起きたりすることがあるのです。

ですが、そんなときも、図を描いて見せると何をすればよいかすぐわかることも少なくありません。
例えば、□÷4-12=24のような問題で困っている子がいれば、÷と-はどちらを先に計算するかを尋ねます。
すると、それはほぼみんな間違えずに÷が先だと答えますので、□÷4の部分を隠して、「-12=24」を見せながら、12引いたら24になったってことは、隠しているところがいくつになるのか尋ねます。そこで36という答えが出せたら、□÷4=36になるようにすればいいということになるわけです。

しかし、この問題の□を9と答えてしまう子が結構いるのです。9×4=36が思い浮んでしまうことや、36×4はちょっと計算が大変などの理由があるのだろうと思いますが、そんなときには紙に大きめの□を1つ描いて、その□を四等分してから、そのうちの1つに36と描いて見せます。
すると、その後はみんな何も言わなくても何をすればいいのか気づいてくれます。

□×3=75のようなものなら、□を3つ描いて、それを指しながら、これで75になるってことよね?などと言えば、また何をすればいいか説明する必要はなくなります。

もちろん、こういうときは掛ければいい、こういうときは割ればいいなどとテクニック的に教えることも可能ですが、その場合、わり算だと□が前にあるか後ろにあるかで掛けるか割るかが変わってきますし、テクニックとして覚えたことは忘れることも少なくありません。
ですから、まだ学校で習うよりずっと早い段階で学習する際には、どうすれば考えられるかということをわかってもらう方が大事だと思うのです。

そして、図を描けば何をすればいいか考えられるというのも大事なことです。
算数の多くは図に表すことができれば半分以上解けたようなものと言えなくはないと思っています。
ですので、やり方を教えるのではなく、やり方を忘れてしまっても(もしくは、もともと覚えていなくても)どうすれば考えられるかをわかってもらうことが、小さな子ども達にとってはとてもとても大事なことなのだろうと思います。

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2017年5月30日 (火)

今日はレッスンお休みでした。

年間予定で今日は今月5回目のレッスンだったので、お休みでした。

本当は昨日今日でどこかにちょっと遠出しようかと思ったりしていたのですが、歯が痛くなり、歯医者に行ったらしばらく通わねばならなくなり、一番行きたいと思ったところは飛行機で行くのがよさそうだったのですが、予約しようか迷っているときに自衛隊機の事故のニュースがあったり、元々極めて出不精で、知らないところに行くとなるとそれだけでかなりのストレスを感じるたちのため、もうこうなったら前日に予約が取れそうだったら縁があったということで…開き直った結果、結局何十年も行きたいと思っているところには行けぬまま終わりました…。(汗)

それでも比較的近場の、これもまた長年行ってみたいと思っているところに行こうかと、一応下調べはしていたのですが、気づけばその目的を達するには超綱渡り、それでも間に合わないかもという時間になってしまい、結局それも断念…。
少し家のことをして、必要なものを買いにちょっと街に出て、今日も過ぎていきました…。

フットワーク軽い友人たちを見ていると、どうして自分はこんなにも何かをすることが億劫だったり、無駄に緊張したりしてしまうのかと情けなくなるので、いっそどこかに行こうなんて思わないほうがいいんだろうかと思ってしまうほどですが、いつか念願の地を訪れることができるといいなと、まだ諦められず思っています。

さて、明日で5月もおしまい。明日は通常通りのレッスンですので、どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年5月29日 (月)

いろいろ気になる…。

普段、テレビを見ていると、言葉遣いで色々気になって、ついついイライラしてしまうことが少なくありません。
もちろん、私自身も友達や子ども達などと話しているときは、くだけた表現も使いますし、ら抜き言葉も使っています。
ですが、テレビのアナウンサーや色々な番組で出る字幕スーパーなどでさえ、それは間違ってるやろ?という表現をされると、私が知らない間にそれも誤用じゃなくなったの?と調べてみたりすることさえもあります。

最近気になっているのが、自分がへりくだっている表現として使っているようである「見させていただきます」とか「着させていただきます」とかのような、なんでそこに「さ」を入れるんだろう?というものや、「ほぼほぼ」という表現。
NHKのアナウンサーまでもが「ほぼほぼ」と使うのを聞いて、それはもう一般的に正しい表現なの?という気持ちになりますが、どうして、アナウンサーが使う表現までもが「ほぼ」ではいけないのかがわかりません。

そんな中、普段あまり見ないチャンネルでTVを見ていたときのこと。某ネット通販のCMで、有名女優さんがしゃべっているのですが、ネット通販を初めて利用したときのことを「初めて買ったのは~」と話し始めたのに、話し終わりが「買いました」なのです。そのチャンネルで見ていた番組が終わるまで、4、5回見たので恐らく間違いないと思いますが、しゃべっている文の主語は「買ったのは」で述語が「買いました」になっているので、明らかな間違いです。
でも、大手企業のCMでこれが当たり前に流されるということは、そのCMを作った人たちは誰も違和感を持たなかったということなのでしょうか…。これは、くだけた表現ということではなく、明らかに主語と述語が合っていませんから、間違った文です。それを何度も何度も耳にしていたら、まだ文法などをきちんと学んでいないような子ども達はそれが間違いだと気づかなくなるかもしれません。

たかがCMで大袈裟な…と自分でもちょっと思ったりはしますが、それでもやはり多くの人が目にする、耳にするものは、もう少し言葉を大事にしてもらいたいなぁと思います。

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2017年5月28日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年5月27日 (土)

これって普通なのかな?

今日の年長さんとのレッスンで、ちょっと驚くことがありました。
教室では、できるだけこちらから説明をするのではなく、子ども自身に気付いてもらえるように心掛けているのですが、3つの数の計算で、まず、たし算はどんな順番でしても答えが変わらないということをわかってもらうために用意したプリントがありました。
プリントをする前に、3つのサイコロを転がし、サイコロの目を「2と4と1」のように、何が出たか答えてもらい、何度かそのやり取りをした後、3つの数のたし算(答えが10までのもの)をしてもらうことにしました。

自分でも、サイコロを転がしながら、ああ、小さいうちにこうやって見せれば、どんな順番で足しても答えが同じということは理屈抜きに理解できるよな~と、改めて思ったのですが、まずは3つのサイコロの目のような図が描かれたプリントを見て、それに合う式と答えを書いてもらった後、2と3と4の目を「2、3、4」や「3、4、2」「2、4、3」のように、順を入れかえて並べた図がずらりと並んだプリントを出し、まず同じようにしてもらってから、出てくる3つの数が同じだということを確認し、順番が変わっても答えが変わらないことを確認するつもりだったのですが、プリントに描かれた図を全部見てすぐに「これ、全部おんなじ!」と言うのです。「おんなじってどういうこと?」と尋ねると、うまく説明はできないものの、言っていることは3つの数が全部同じだから答えも同じというところまで言っているようです。

私が何にも言わなくても、プリントの図を見ただけで同じ3つの数が並んでいると気づき、その上、全部同じ数だから1つ答えがわかったら全部同じ答えだから簡単だというようなことまでニコニコしながら言うのを見て、本当に感心してしまいました。

実はこのプリントは自分で作ったもので、これまで使っていた教材では幼児さんに順を入れかえても答えが変わらないということに気付かせるところまでのものはなかったので、私としては十数年目にして初めての経験だったかもしれません。
なので、他の幼児さんでも結構気づくのが普通なのか、この子の感覚が素晴らしいのかはまだわからないのですが、とにかくあっという間だったので本当にびっくりしました。

子どもの力はしばしば、大人が想像しているより遥かに素晴らしいと感じる出来事があるのですが、これもそんな出来事のひとつでした。


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2017年5月26日 (金)

迷うところ

私自身、決して勉強が好きな子どもではありませんでしたし、できるならやらずに済ませたいと思ってもいた気がしますので、子ども達の中に宿題を嫌がる子がいたり、教室に来ていても、嫌いな問題が出てくると途端に全身からイヤイヤオーラが発せられる子がいたりしても、それはまあ理解はできます。
嫌なものは嫌なわけですから、励ましたりすることはできても、どうしても嫌だという場合はさせない選択をする場合もあります。
また、がんばっているのに算数が苦手という子もいますので、そういう子には、算数が得意な子に対してよりは多くの手助けをすることもあります。

ただ、なかなか判断が難しいタイプの子に、やればできるはずなのに、面倒がって問題をきちんと読もうとしない子がいます。自分で読ませると、明らかに嫌々やっているのが感じられたり、いい加減にしか読んでいないのがわかったりするものの、問題文を読んであげれば、難しい問題であっても考える力があるというような子の場合、純粋に読む力が弱いのであれば、学校生活などでも学年が上がるにつれ支障が出ることも考えられますので、おうちの方と相談するなりする必要もあるでしょうけれど、そうではなく、自分で読んで考えることができるはずなのにそこを面倒がって、読めないとか、よくわからないとか言えば読んでもらえると思っているのでは?と感じる子の場合、どうしたものかと悩むことになります。

元々、塾講師だった頃の私は、いかにわかりやすく教えるかということに重きを置いていたわけですが、その結果、子ども達の考える機会を奪い、かえって足を引っ張っていたわけです。教室を始めて、それぞれの子に対して最低限の手助けしかしないようにしたところ、子ども達が驚くような力を見せてくれることがたびたびありました。
それ以来ずっと、極力教えない、極力助けないということを続けています。(その代わり子どもの表情などはしっかり見ていて、頑張って考えているようなのに本当に困っていそうな場合は必要な手助けはするようにしていますが)もう二度と自分が子どもの力を奪うようなことはしたくないからです。

しかし、読むのを面倒がる子の場合、読んであげれば先に進める。読んであげなければ適当な答えを書いて間違い、子どもによってはきちんと読むように促すと不機嫌になったりして、レッスンにならなくなるようなことも…。
そういう場合、できるはずのことを助けるのは子どもが力を出す場を奪っている気もして、本当に迷います。

おうちで宿題などをする際、自分で読もうとしない子は、時間がないし、親が読んだらすぐ終わるし…というような感じでおうちの方が読んであげているようなことがあれば、(もちろん幼児さんなどは是非読んであげてほしいと思いますが。)お子さんに「声に出して読んで聞かせて。」などと読ませることを試してみて頂けたらと思います。

学校では基本的に自分で読んで解かなくてはなりませんし、テストなどではもちろんほかの人が読んでくれるということはありませんので、読むのを嫌がる子に対して、少しずつでも自分できちんと読めるように働きかけて頂くのが、お子さんにとってもいいことではないかと思います。

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2017年5月25日 (木)

結構すごいことなのかも。

1年生の早い段階から算数で苦戦をして、おうちの方が色々手を尽くして教えられてもうまくいかずで、ご縁を頂いた子が2年生になりました。
初めの頃、確かに、これまでの自分の経験からしてもこういう反応はあまり経験がないなと思うような場面に出合ったり、本を読んだりすることは結構よくできるのに、この問題文の意味がわかりづらいのかと少し不思議に思ったりということがありました。
それでも、その子もおうちの方も根気強くがんばってこられたこともあって、できることがたくさん増えました。
今でも数に関してはパパッとすばやくとはいかないものの、自分が何を考えているかがわかっているというか、どんな問題をしているから、どうやって考えればいいかを理解していると感じられることが多くなりました。
そして、その子が本当にちゃんと考えているときには、ほとんど必ず、少し斜め上を向いて「頭の中を見ている」姿が見られるのです。
例えば100から3取ったらいくつになるか尋ねると、10を超える数に関しては、ぱっと反射的に答えが出るということはまだ少ないので考えることになるのですが、少し上を向いて「頭の中を見ながら」3を取ったらどうなるか「見て」いるのが伝わってくるのです。
更に、10や100の数について、1つ1つ○などを書いていかなくても、10は棒1本、100は四角1個に置き換えた簡略化した図(例えば345なら四角3個、棒4本、○を5個描くという感じの図)で話をすることもできるようになりました。
四角を見て100をイメージできるようになったので、その100を頭の中に思い浮かべて、そこから数を取っていくこともかなりできるようになったのです。
10までの計算でも苦労していた子が、2年生の子の段階でこんなにしっかり考えられるようになったことは、本当にすごいことだなと思っています。
恐らくこの子は算数に関しては「大好き」になることはないかもしれませんが、この子の持っている色々な素敵な才能を伸ばしつつ、算数もキライにならないでくれたら、それでいいのかもなと思います。もちろん、まだ小さいので、今後ぐっと算数の力も伸ばしてくることもあるかもしれませんし、そうなれば尚更素敵なことですが。
これからも、この子の成長をこの子のペースを大事にしながら見て行けたらなと思います。

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2017年5月24日 (水)

これはホントに力をつけているのかも。

年長の途中から来てくれるようになった、現在2年生になる子がいます。
色々な意味で「小さい男の子」らしい男の子で、眠かったり、やる気がないと、どうにもこうにもレッスンにならなかったり、おしゃべりし始めるとなかなか止まらなかったり、でも、好きなこと、興味のあることにはとっても詳しかったりと、年長さんの間も、1年生でも、好不調の波がかなり激しい感じで進んできました。

特に男の子は、精神面での成長がゆっくりなことも多いので、急いで成長してもらわなくても、ゆっくりであってもきちんと力をつけていけば、あるとき突然ぐっと伸びるなんてことも珍しくありませんので、何をどうしてもレッスンにならないような日は私も泣きそうになることはあるものの、できる限りその子のペースを尊重しながらやってきましたが、ここ最近、あれ??この子こんなにすごかったっけ?と思うようなことが何度も起き始めました。

この子を見ていて、いいな~と思うことのひとつは、おうちの方がその子のペースを大事にしてあげているなと感じることなのですが、ぐずっても励ますことはあれど、叱るようなことはされませんでしたし、宿題なども嫌がるものを無理矢理怒ってでもやらせるようなことは恐らくされていないのだろうなと。
きっとそれもよい方に働き、ほかにも体力がついてきたのに伴って、眠くなったり、疲れてぐずることがなくなってきたこともあって、レッスンに集中できる時間が増えてきたと同時に、いつの間にか計算が随分早くしっかりできるようになっていたり、今週のレッスンでは、以前ちらっとやったときに相当抵抗を示したので、学校ではまだそこまではしないからとひとまず保留にした時間計算の問題などを、嫌がることなく考えようとしてくれました。

そもそも時間計算などは結構面倒で難しいので、嫌がる子が多いので、今回しようと思っていたところは、抵抗が強ければまた後日にしようと思いながら始めたものの、3時16分から45分後や11時57分から32分後などのちょっと面倒な問題までも、考え方を説明することなく、その子自身が何も書かず頭の中だけで、それもあっという間に答えを出してしまってびっくりというようなことがあったり、その後も何時何分から何時何分までは何時間何分かというような問題などにも嫌がらずしっかり取り組んでくれる姿を見て、この成長はいよいよ本物なのかもなぁと思いました。

無理せずゆっくり目のペースで進んできていたのですが、いよいよペースが上がり始めるかもと思うと、ちょっと楽しみです。

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2017年5月23日 (火)

ホントに気の毒…。

小さいうちから考えることを急がされている子達の多くは、どんどん考えられなくなり、自信もないけどとりあえず…のような感じで答えを書いては、マルがもらえなければ他の答えに書き直すというようなことを繰り返すようになります。

少し前から来てくれるようになった3年生さんも、小学校受験をして、しっかり勉強させる学校に通っているので、かなりその傾向が見える状態です。
来てくれたときから繰り返し、ここでは急いで考えなくていいし、その代わり何度も答えを書き直すのではなく、チャンスは1回だと思って、よく考えてからこれで合ってると思ったら答えを書くようにしてねという話をしていて、僅かながら変化は見えつつある気はするものの、ここには週1回1時間しか来ませんし、これまで何年か積み重なってきた経験もありますので、すぐすぐ変わるものでもないのだろうと思います。

今回のレッスンでも、面倒な計算を何度も何度も繰り返して、それでも答えを出そうと努力している様子が見られて、それはいい傾向だなと思って見ていたのですが、最後の最後でぐっと考えることができない。
時間関係の問題を解いていて、60秒は1分、180秒は3分などは割とスラスラ解いていたものの、707秒を何分何秒かに直すときに、先に解いた問題の中に720秒が12分というものがあったので、それを見て720-707=13という計算をしているのが見えました。

まだ割り算を習い始めたところなので、707を60で割るということはできませんし、かけ算も60×12のようなものはまだ習っていませんから、答えを出すのは面倒で結構難しいことはわかっています。
それでも、720秒から引いて考えることに気づいたのはいい感じだなと思っていたのですが、初めに書かれた答えは11分13秒。次もまたおかしな答えを書き、そこで「ねえ、720から707を引いて13秒って自分で言ってたよね?なんとか7秒なのに、答えがなんとか3秒っておかしくない?」と声をかけて、ようやくもうひと段階ぐっと考えたようで、やっと正しい答えに辿り着きました。
しかし、3456秒も3600秒を利用して解こうとしたところ、やはり最後がなんとか6秒ではない答えを書き、二度ほど考え直して正解になりました。

せっかく工夫したり、面倒でも自分でわかる方法で考えて、かなりいいところまで辿り着いているにも関わらず、やはり「速く答えなくては」という経験が癖づいていて、最後にあとひと段階ぐっと詰める感じが足りないのが現状です。
こんな風になっているのは、これまでその子を指導してきた大人の責任が大きいはずですから、本当に気の毒で申し訳ない気持ちになりますが、変化し始めてるので、なんとか頑張ってもらおうと思っています。

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2017年5月22日 (月)

歯痛…。

今日はレッスンがない月曜でよかったのですが、先週後半あたりから右下の奥歯というか歯茎というかが鈍く痛んでいたものが、日曜にはとうとう痛み止めを飲まないと我慢できないほどになり、月曜を待ってかかりつけの歯医者に電話したものの、診察は明日。
というわけで、今日は結局出勤もせず、ただただダラダラと過ごしてしまいました。

歯に何かが染みるという感じではないので虫歯ではなさそうですし、そこは親知らずも数年前に抜いた場所なので親知らずの痛みでもなさそうなのですが、なぜこんなに痛いのか…。
歯医者に行くのが好きな方はそうそうおられないと思いますが、もちろん私もキライですからちょっと憂鬱ですが、原因がわかって、この痛みが治まってほしいので、とりあえずまずは明日行ってきます。

というわけで、今日は何も仕事せずでした。
形だけの更新で失礼します。

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2017年5月21日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年5月20日 (土)

「ダメなの?」

私自身も、人から見ればなんでそんなことが苦手なの?というようなことでも苦手なことがいくつもあるのですが、子ども達の中にも何かに対するこだわりが強かったり、意外なことが苦手だったりという子がいます。

自分がやりやすいと感じる方法があると、それを崩すことに強く抵抗を感じる場合がある子とレッスンをしていたときのことです。
教室でも学校でも筆算を習い始めたのですが、前回のレッスンのとき、筆算の式が書かれたプリントを渡すと、おもむろに定規を取り出して、位ごとに数字を区切る縦の線を、全ての問題に、それも1本1本丁寧に引き始めました。

雑に済ませても平気な子ならさほど時間もかからないかもしれませんが、1本1本が丁寧なので、それだけでも全問に引いているとそれなりに時間がかかります。
そこで、「その線引かないとできない?」ととりあえず尋ねてみたところ、「引かないとわかんない。」とのことだったので、初回だし慣れるまではいいかと、代わりに私が線を引いてからプリントを渡して問題を解いてもらうようにしました。

その後学校でも授業でやったようですし、宿題にも出していましたので、今回は線を引かずにやってみてもらおうと思い、そのままプリントを渡したのですが、やはり同じように丁寧に線を引き始めたので、「試しに線引かずにやってみられない?」と聞くと、「引いちゃダメなの?」と。

この子は「ダメなの?」と聞くときには、それをしないと不安だったり、難しいと感じたりするらしいということがわかってきたので、ダメとは言わずに、学校では先生は何も言わないか尋ねてみたところ、先生は何も言わないと。
先生は最初のうちだから何も言わないのか、ずっと引き続けてもOKなのか、その辺りがわからないので、さてどう言えばいいかなと、少し考えました。

「慣れてきたら引かずにできるようになった方がいいと思うけど、もし線を引かなかったらできないんだったら、できないよりは線を引いてできる方がずっといいから、引いてもいいよ。」

そういうと、やはり線を引いて解いていました。少なくとも今の段階ではその子は線を引かなければできないと感じているようで、それを無理に止めると本当に解けなくなる気がしたので、その日はそれ以上言わず、引きたいなら引いていいことにしてレッスンを進めました。

丁寧に線を引いて問題を解いていたら、テストなどで時間が足りなくなってしまうかもとか、クラスの子達のペースについていけなくて苦手意識を持ってしまうかもとか、あれこれ考えてしまって、引かずにできるなら…と言ったのですが、本人がもう引かなくてもできると感じるまでは無理に止めさせない方がいいのだろうと思うので、もう少し様子を見てみようと思います。

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2017年5月19日 (金)

当たり前だと思っていること

この仕事をし始めてから、それまで当たり前だと思っていたり、特に疑問を抱くこともなかったようなことが、実は人によっては理解しづらかったり、そう言われてみればなんでそういう風に言うんだろう?と思うようなことがあったりするんだなと感じるようになりました。

そのひとつが、繰り下がりのひき算をするときに、小学校などで当たり前に使う「10借りてくる」という表現です。
教室で子ども達と繰り下がりのひき算をするときには、わざわざ10と残りを分けるのではない考え方をするので、私自身が「10借りてくる」という表現を使うことはないのですが、以前何かで読んで、ああ、そう言えばそうだなと思ったことがあります。

投書か何かだったかと思いますが、繰り下がりの引き算がどうしても理解できない様子の女の子がいて、色々手を尽くして教えても、なぜか繰り下げたはずの数が戻ってしまって正しい答えが出せず、本人も困っていたと。そして、どうして繰り下げたものをまた戻すのかを尋ねたところ、「借りたものは返さなくてはいけないでしょ?」というような答えが返ってきたのだそうです。

これ、目から鱗じゃないですか?そうだ、確かに借りたものは返さなくちゃいけないのに、なぜ繰り下がりの指導のときには当たり前のように上の位から10を「借りて」くると言うのだろうと、それを読んで初めて疑問を抱きました。
自分が子どもの頃にも同じように指導されたのではないかと思いますし、子どもの頃には特にそこにひっかかることもなかったので、なんとなくそのまま、そういうものだと思っていましたが、10は借りてくるのではなく、もらってくるのですよね、実際は。

子どもは「借りたものは返す」ということはしっかり身に着けるべきでしょうし、それなのに算数では借りたら借りっぱなしになるのは、なんだかおかしい気がしますから、その女の子がそこに引っかかってひき算で苦戦をしたという、その感性がなんだか素敵だなと思いました。その一方で、なぜ「借りる」という表現にしているのかが新たなる疑問になりました。

このことに限らず、大人は何となくそんなものだと思っていることでも、子どもによっては引っかかるということも珍しくはないので、大人が見たら簡単だと思えるもので子どもが困っているような場合、予想外のポイントで詰まっている可能性があるということを少し気に留めておいて頂くと、何かの役に立つことがあるかもしれません。

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2017年5月18日 (木)

ほんの少し

小学生の頃通ってくれていて、中学時代は徒歩圏の塾に通いつつ、一時期数学だけこちらに戻ってきてくれていた子が高校生になりました。
入学前に高校入学準備ということで、少し数学を一緒にさせてもらい、その後もスポット的に何度かレッスンをさせてもらっています。

元々数学は結構よくできる子で、めんどくさがりなので、覚える必要のないことは覚えなくていいというのはその子にも合っていて(私自身がそういうタイプなわけですが…(汗))、 入学前に一緒にレッスンをしたときも、最低限のことしか説明しないで、その子自身に考えてもらう形で進めていきました。
しかし、進学校で予想通り授業の進度も速く、定期試験前ということで範囲を聞くと、ひと月足らずの間に、やはり一緒にしたところより先まで進んでしまっていました。

一緒にしていないところを重点的にしようと思い、復習内容であるはずのところを考えてもらったところ、学校で習ったことを思い出そうとする様子が見られました。また、ある問題では、その子なら公式などを覚える必要もなくできそうなものであるにも関わらず、見るなり「うわぁ、これムズイやつや!」と嫌そうな声を出したので、「え?できるやろ?難しくないはずやけど。」と声をかけて様子を見ていると、私にそう言われたからとりあえず見てみるかという感じで問題を考え始め、結局は「な~んや、簡単やん!」と。

因数分解や展開の公式も、どこがマイナスになるんだったかを思い出そうとしているようなことがあったので、「それ、考えたらわかるやん。こっちがマイナスなんやから、それが2乗になればプラスやけど、そうじゃないところはマイナスでしょ?」みたいなことを言っただけで、「ああ、じゃあこことここがマイナスか。」という反応。

結局、数学の力がある子であっても、自分の頭を通す前に説明されてしまったことは、考える機会がないまま「覚えること」となってしまい、その結果、忘れやすくもなり、更には考えようというのではなく、思い出そうという風に頭が働いてしまうということが起きてしまうということなのだと思います。

どうにも数学が苦手な子や、機械的に暗記することが得意な子などは、習ったことを覚えて使うというのもひとつの方法だと思いますが、本来数学が好きで、力もあるような子は、学校で習う前にほんの少しでも、自分の頭で考えてみる、「これなんだろうな?」でもいいので、与えられる前に自分の頭を動かしてみる、そういうことがとても大事なのではないかと、改めて感じました。

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2017年5月17日 (水)

予想外の言葉

今日のレッスンで2年生さんと立方体の展開図に関する問題をしました。
その子は、以前に展開図の位置関係を問う問題をしてもらったとき、割とスイスイ、どの面が前に来てどの面が後ろに来て…というのを答えることができたので、頭の中で組み立てられる子のようだなと思っていました。
しかし、先週はほかのことを学習した後、くたびれてきた頃にしたからか、どうも答えがチンプンカンプン。無理にしてもダメだなと、次回に回すことにしました。
そして今週のレッスンだったのですが、初めは少しあやしかったものの、意味がわかった後は結構スイスイ解き始め、1つ目の課題をクリア、別の展開図の問題もクリア、3種類目の問題をニコニコ楽しそうに考えていたときに、突然その子が言いました。

「今日まだ全然勉強してない!」

あまりに予想外で思わず笑ってしまいましたが、その子は展開図の問題を勉強だと思っていなかったようです。
「これもお勉強よ?」というと、少し驚いたような顔をして、「え、そうなの!?」と。

そして、頭の中で思い浮かべられていいね、私は問題を解くことはできるけど、思い浮かべるのは苦手だからというような話をしたところ、「え?こんなの大学で習わないの?」と、また意表をつく質問が!(笑)

話しているときに、私は思い浮かべるのが苦手で、女の人はそういう人が多いから、お母さんとかお姉ちゃんとかも苦手かもしれないよというような話はしたのですが、その子は、難しい問題は中学や高校、更には大学で習って、習ったらみんなできるようになるというようなことを思っているようでした。

「こういうのは大学では習わないかな。」
「え?じゃあいつ習うの?高校?」
「う~ん、小学校では習うけど、得意な人は得意で、苦手な人は大学に行ったらできるようになるとかいうことはないかなぁ。」
「へぇ~。そうなんや。」

そんな会話をしながら、子どもの発想ってやっぱり新鮮だなぁと感じました。

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2017年5月16日 (火)

ひと呼吸置く

子ども達の中には、まだ小さいのに、早く答えを出さなくてはと思い込まされていて(もしくは、実際にそういう環境に身を置いていて)、問題を前にするととにかく何か書こうとする子がいます。

最近通ってくれるようになった子も、今はまだそういう傾向が見られるのですが、そういうタイプの子の多くは、とりあえず何か答えを書いて大人の反応を見、どうやら間違っていそうだなと思えば「あ~、違う違う」などと、さも勘違いしたかのようにふるまいながら、違う答えを書いてまた反応を伺うというようなことをします。

そういうことは決して珍しいことはないので、(ああ、気の毒に…。この子も急がされて、じっくり考えさせてもらえなかったんだな…。)と、そのたび感じます。
ただ、うちに来てくれるようになったからにはそのままでいいというわけにはいきません。そこで、色々なアプローチをするのですが、例えば、こちらの顔を伺ってくる子には、表情には出さないようにして、たとえ答えが合っていてもしばらく待ってみたりします。
すると、合っているのに違う答えに変えて、またこちらを見てくるということも、これまた決して珍しくない反応です。
それでもまだ様子を見ていると、そのうちどうしていいかわからなくなる。そこで、私が「なんでさっきの答え消したの?」などと尋ねると、きちんと考えていない子は「え?だって間違ってるんやろ?」などと言ってきたりするのです。
「え?なんで?何にも言ってないよね?」などと返すと、「だってマルしてくれへんかったやん。」などと言ってきたりするのですが、そこで例えば、「じゃあ、もし1+1=2って答え書いて、私がマルしなかったら、消して書き直す?」と聞くと、「直さへん。」というような答えが返ってくるわけです。
「1+1=2って書いて、マルしてもらえなかったら、『なんでマルしてくれへんの?』とか『これで合ってるよ』とか言うでしょ?」と確認すると、みんな同意しますから、それが本当にわかっているということだと話すのです。

自分がきちんと考えて出した答えなら、大人の顔を伺う必要はありませんし、そもそも、大人の顔を伺いながらマルをもらうのは勉強ではありません。例えば、その能力が身についても、試験の場では全く役に立たないわけです。(大人になって社会に出たら、人の顔を見て空気を読むことができるなどの能力として生かせるかもしれませんが…。)

小さい子なら、上述のようなやりとりで私が伝えたいことをなんとなくわかってもらうようにしますが、ある程度学年が上がってから来てくれるようになった子の場合、その「習慣」がかなりしっかり身についてしまっている場合が少なくありませんので、落ち着いて考えられるようになるまで、個人差はあれ、結構時間がかかったりもします。

で、最近のその子は、焦って答えを書いては、何度も何度も「あ!」と言いながら答えを書き直そうとするので、本当の勘違いの場合はともかく、早いうちに何とかせねばと、色々な声掛けをします。
今週のレッスンでは、また焦っているようだったので、「慌てなくていいし、時間かけていいから、その代わり、答えは1回だけ、これだと思うのを書いてね。何回も書き直すのなしね!」と声をかけてから問題を考えてもらいました。
子どものタイプによっては「チャンスは1回だけね!」というような言い方をすることもありますが、とにかく、違ったからまた書き直すというのは、しっかり考えていないのだということをわかってもらえるよう努めています。

それにしても、じっくり考えさせてあげるだけで、子ども達はどんどん力を伸ばしていくということは、何度も何度も実感しているので、それだけに、もっと多くの大人がそのことに気づいてくれたらなぁとしみじみ思います。

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2017年5月15日 (月)

コンプレックスや苦手なことも役に立つこともあるのかも。

私は子どもの頃から知らないところに出かけることが苦手だったり、電話をかけるのが苦手だったり、大勢が集まる場が苦手だったり、ほかにも色々、未だにその苦手を引きずっているものも少なくありません。

その一方で、怒られるのが嫌だったり、人に失敗したところを見られることがとにかく恥ずかしくて、失敗しそうなことには手を出さなかったりしたこともあり、子どもの頃の周囲の評価は、何でもよくできる子というようなポジティブなものが多かったような気がします。

歳を重ねるごとに、更にフットワークは重くなり、やろうと思っていることをどんどん先延ばしにしてしまって自己嫌悪に陥ることも増え、あ~あ、なんで自分はこんな何だろう…と思うことも多いのですが、今の仕事をしていて、ある意味、そういうコンプレックスだったり、何かが苦手(それも一般的には「なんでそんなことが苦手なの?」というようなこと)だったりすることは、ちょっと役に立つこともあるのかもしれないなと感じるようになりました。

子どもが家ではなかなか宿題に取り掛かれない気持ちも理解できますし、自分に、人からは「え?なんで?」と思われるようなことで苦手なことがあると、子どもが何かを苦手だと感じていたら、それが全く同じことでなくても、何かを苦手と感じる気持ちは理解できる気がするからです。

子どもの頃、特にコンプレックスもなく、何でもバリバリやってきたような人は、子どもが何かに抵抗を感じていても、なんでかな?どうしたんだろう?と気づくことはできるかもしれませんが、共感することは難しいかもしれません。
もちろん、私もなんでも共感できるなんてことは全くないものの、子ども達は、得意なこと、よくできることは認めてもらえる場合が多いでしょうから、苦手なこと、うまく説明がつかないけど嫌なことなどに気づいて、理解を示してもらえることを求めているような子もいるのではないかと思うのです。
そういう意味では、私の、自分でも嫌になるようなコンプレックスや苦手意識も、ちょっとは役に立っているのかなと、そう思うと、ほんの少し気持ちが軽くなるような気もします。

きっと、親御さんたちもお子さんにとって、何でもできる親でなくても、むしろ苦手なことがあったり、失敗してしまったりを見せられる方がいい場合もあるのではないかなと、そんな気がします。

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2017年5月14日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年5月13日 (土)

ちょっとびっくり。

算数が全く楽しくなさそうで…ということで1年生の終わりごろから来てくれるようになった2年生さん。
当初は見ていても、ああ、本当に算数が嫌いなんだなというのがひしひしと伝わってくるぐらい、苦しそうに呼吸をしたり、体にかなり力が入ったりしていたこともありました。
それが少しずつ変わっていき、最近は苦しそうに呼吸することも体にぐっと力が入ることも滅多になくなりました。

初めのうち、好き嫌いは理屈ではないので、好きになれなくても、少しでも楽に取り組めるようになったらいいなと思っていましたので、そういう意味では既にある程度目標は達成したのですが、レッスンを重ねるうち、あれ?もしかしてこの子、実は結構算数のセンスがいいんじゃないかな?と思うようになりました。

少し前、100を超えた数の学習をし始めたとき、さほど算数が嫌いではない子でもそこそこ苦労するような問題も、思った以上にすんなりできて、驚いたことがありましたが、今週のレッスンでも、時計の問題で35分後は何時何分になるかや、15分前は何時何分になるかなど、中に少し面倒な(時間をまたぐような)ものが混じっている問題をしていたときに、またちょっとびっくりしました。

前回少しだけ一緒にしたものの、時間計算は苦手な子が多いところでもあり、元々算数がとても嫌だったということや、まだ2年生になったばかりということなどを考えても、時間をまたぐ場合は難しいかもしれないなと思っていました。
宿題に出していたプリントで、そういうような問題で詰まったようで、わからなかったというので、一緒にすることにしたところ、まずは敢えて「4時72分」という考え方をしてもらった後、「72分ってないよね?」など少し言葉をかけたところ、時計の絵を見ながら、ほどなく「5時12分?」と正解しました。

その次に少し面倒だったのが、7時9分の40分前を考えるというもので、「9分戻ったら何時?」と聞くと「7時」と答えたかと思えば「31分!」と言ったので、「え?」と聞き返そうとしたところ、「7時から31分戻ったらいい!」と、そんなの簡単というような表情をしています。そして、「6時29分」の答えを想像より遥かにすんなり出してくれました。

私の頭の中では9分戻ったら7時になるので、あと何分戻らなくてはいけないかを尋ねるつもりだったのですが、その質問をする必要なしに、その子自身が気づいて、きちんと考えることができたのです。
どうやらこの子に関しては、そろそろ「手助けレベル」をもっと上げていいのかもしれないなと思っています。

子どもの力って本当に伸びるときは想像以上にぐっと伸びたりもしますし、指導する側が抱くイメージによって、子どもの能力に影響が出ることがあるそうですから(ピグマリオン効果と言われるものだそうですが。)この子は算数が苦手なんだとか嫌いなんだとかいう決めつけをしないように気をつけなくてはと思います。

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2017年5月12日 (金)

知ることは本来楽しいことのはず

知らなかったことを知るとか、できなかったことができるようになるとか、そういう経験は恐らく楽しかったり嬉しかったり、何らかのプラスの感情を抱くのが一般的なのではないかなと思います。
少なくとも自分はそうなので、どのぐらいそうではない人がいるのかわかりませんが、生まれてきたときは自分ではほとんど何もできない赤ちゃんが、色々なことを学んでできるようになっていくその過程が、正に成長なのだろうと思いますし、成長することは喜ばしいことなのだろうとも思います。

子ども達はほとんどみんな、たし算とひき算を比べるとたし算が好き、たし算が簡単と言います。
それはたとえまだ数が少なくて、簡単な計算であっても、たし算の方が好きという子が圧倒的に多いです。
小さい子達を見ていて思ったのですが、なんとなく、本能的に「増える」のはいいけど、「減る」のは抵抗を感じるということが影響しているのではないかと。

そういう意味では、知識が増える、できるようになることが増えるというのは、やはり好感情につながる人が多いのではないかなと感じます。

ということは、もちろん好き嫌いや能力差などはあるとしても、教科学習について、その結果によって評価されるなどがなければ、多くの子が楽しいと感じることができるのではないかなとも思うのです。
知らなかった言葉を知ったら、「へぇ~、こういうときはそんな風に言うのか~」と感じるかもしれません。そのときに嫌な感情を抱くことは、まずないだろうと思います。
たし算を知らない子がたすというのは数を合わせること、数が増えることというような理解をしたら、やはりたし算ができるようになって嬉しい、たし算が分かって楽しい、そんな感情を抱く子がほとんどではないかと思います。
知ったことを忘れてしまっても何も咎められたりしないのであれば、嫌だなと思うことすらないはずです。

そう考えれば、勉強が嫌、勉強が嫌いと、まだ小さい段階でいう子は、「やらされている」、「できないと怒られる」、「テストで悪い点を取るのが嫌」など、本来「学ぶ」こととは直接関係のないところに、嫌いだと感じる原因があるのではないかと思います。

もちろん、学校の勉強では評価がつくのが普通ですし、入試などでは合格点に届かなければ自分の行きたい学校に行けないなどというのは現実ですから、どこかの段階で人からの評価に対してもある程度適応できるようになる必要はあると思いますが、やはり「つ」がつく年齢の間ぐらいは、学ぶことの楽しさの方が優先されていいのではないかなと感じます。

全ての子どもが全ての教科に関して楽しいと感じるのはさすがに難しいかもしれませんが、それでも、知らなかったことを知る、できなかったことができるようになる、そういうことに対してお子さんがマイナスの感情を抱くことがあれば、何かストレスがかかっているのではないかと、気をつけてもらえたらなと思います。

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2017年5月11日 (木)

「教えない」ということ

普段、うちの教室ではやり方を教えないという表現をよく使っていますが、もちろん何も教えないわけではなく、恐らくその何を教えて何を教えないかというところが、もしうまく伝えることができれば、もっともっと多くの方に私が言い続けていることを正しく理解してもらえるのではないかなと、ずっともどかしさを感じています。

例えば、筆算をするとき、筆算の書き方などのルールはもちろん教えなければ子どもはどうしていいかわかりません。ですが、ワークブックなどを見ていると、「ここに繰り上がった1を書きます」というような書き方がされているようなことがあります。
繰り下がりの引き算などでも、先生が「上の位から10借りてきて、上の位を1減らします」というような説明をされることがあるのではないかと思います。

もちろん、それは間違いではありませんし、その通りやればマルがもらえます。そして、その説明でも意味を理解する子もいると思いますが、中には「ふむふむ、引けないときは上の位から10借りてきて、数を1減らすんだな」とテクニックの部分だけを覚える子がいるわけです。

これは筆算の例ですが、先生などの説明を聞いて、このようにテクニックの部分だけ覚えて再現することが勉強だと思ってしまう子は少なくないのが現実です。

でも、例えば、足し算で繰り上がった場合、仮に「28+47」を筆算でするのであれば、一の位同士をたすといくつになるかをまず尋ね、「15」と答えたら、「15をこんな風に書いてね」と、「15」の「1」は十の位の数の上に、「5」は一の位の数の下(答えを書く部分)に書いて見せれば、筆算の書き方を教えていると共に、足したら15になるのだから、15と書くけど、書く位置がこことここになるんだなということで、意味を理解する子はかなり増えるはずです。

問題によっては本当に教えずに考えてもらうものもありますが、教える必要がある内容については、できる限り何をしているかの意味も含めて教えるということをいつも意識しています。
先ほどの「15」を書く位置についても、こちらからやってみせる場合もありますが、子どものタイプによっては書いて見せる前に「どう書くと思う?」などと声をかけることで、より一層記憶に残りやすくなるだろうとも思います。

学年が上がってくれば、必要に応じてテクニック的なものを教える方がいい場合もあるだろうと思いますが、少なくとも低学年の間は、子ども自身が自分が何を学んでいるのか、何をしているのかが理解できるような提示の仕方を心がけてあげるのが、とてもとても大事なことではないかと思います。

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2017年5月10日 (水)

これって案外すごいことなのかも。

教室で子ども達とレッスンをしていると、今ではもうすっかり当たり前のような感覚になっているのですが、もしかするとこれって案外すごいことなのかもと思うことがあります。
今日のレッスンでも、6年生の女の子と比の利用の学習をしていて、それを感じることがありました。

その子は、比に関して「:」を使うことと、それを「対」と読むことなどの基本的なこと以外はほとんど説明いらずでどんどん進んでいたのですが、元々図を描いたりして考えることが当たり前になっている子達には比の単元はほとんど説明がいらないというのはよくあることです。

そんな中、応用問題の中で何か問題の意味を勘違いしているらしいことがあり、決して難しくないはずなのに、何か違う捉え方をしていそうだなと感じました。
牛乳とコーヒーを混ぜてカフェオレを作るような問題で、牛乳とコーヒーを混ぜ合わせる比について考えるものだったのですが、最初に作ったものに牛乳だけを更に足して、比を変えたら、足した牛乳はどれだけかという感じでしたので、本来のその子なら、それまでの問題もスラスラ解いていたことからして、詰まるようなところではなさそうです。それでも手が止まっているので、問題がわかっていないんだなと、意味が理解できているか確認したところ、書かれていることの意味はわかっているようなのに、どこかで詰まっている様子です。

そこで、「たとえば、カ○ピスを作って飲もうと思って、コップの4分の1カルピスを入れて、4分の3水を入れたら、カ○ピスと水の比は1:3よね?」と宙に手でカルピスを注ぐ幅と水をそそぐ幅をおおよそで見せると、ちょっと考えて「ああ、うん。」と納得。
「で、それだとちょっと甘すぎだなと、最初のカ○ピスと同じだけ水を足したら、カ○ピスと水は1:4になるよね?それはわかる?」と尋ねると、また少しだけ考えて「うん。」と答えたので、「そんなような意味なんやけど…」と言ったところで、何か線がつながったようで(どう勘違いしていたのかは不明ですし、実際の問題はもう少し難しいものでしたが。)「あ!」と顔がパッと閃いた顔になったかと思えば、あっという間に解き切りました。

この子に限らず、慣れている子達とは、実際に図を描いて見せなくても空中に身振りで表現したり、時にはそれすらせず言葉だけで伝えても、子ども達の頭にイメージが描かれているのがこちらに伝わってくることがよくあります。
それは今の私には珍しいことではないので、あまり意識したことがありませんでしたが、こうしてそれぞれの子達が自分の頭でイメージを描ける状態になっているというのは、案外すごいことなのかもしれないなと思います。
でも、それは何も特別な能力ではなく、小さい頃からしっかり自分で考え、自分で絵や図を描いたり、具体物を使って確認しながら進んでいけば、自然と身についていくものなのだと思います。(中には生まれつき長けているのだなと感じる子もいますが。)

そういう子達は学年が上がっても算数で苦労することはまずないと言っていいのではとも思いますので、これからもその能力をしっかり育んでもらえるようにしていきたいと思います。

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2017年5月 9日 (火)

「習ってないからわかりません」

今日は久しぶりに「習ってないからわかりません」という言葉を聞きました。
教室に来てくれていて、自分で考えるのが当たり前になっている子達は、少なくともこの言葉を発することはありませんので、私にとっては滅多に耳にする言葉ではなくなって久しい言葉の一つです。

もちろん、自分で考えることが当たり前になっている子達に対しても、全く考えられそうにないものを「考えてみて」ということはありません。その子の今の力からすると、このぐらいは考えられるはずというものを提示し、更にもしかしたら少し難しいかもしれないけど・・・と思うときには「まず考えてみて。もしわからんかったら後で言うわ。」などと声をかけてから渡すようにしますので、私とのレッスンに慣れている子達は、私がそういうものはきっと考えられるんだろうという感じで、大抵の場合すんなり取り組んでくれますし、様子を見ていて、考えられていないなと感じれば、必要な手助けはしますので、結局「習ってないからわからない」という言葉を口にする機会がないわけです。

それに、ほとんどの子は習っていないことをここで一緒にするわけですから、習っていなければわからないとなれば、何もできないということにもなりかねません。
習っていないことも、それまで学んできたことを応用して考えられないかなと、そう考えられるかどうかが大事なことなのだと思います。(実際、算数は多くの場合、それまでに学んできたことをきちんと理解していれば、一気に内容が飛躍しない限り、初見でも考えられることは結構あります。)

そもそも、社会に出てから出合う「問題」のほとんどは初見の問題ですし、誰かが答えを用意しておいてくれるなんてこともまずありません。答えがわかっているものは「問題」ではありませんから、直面する「問題」は恐らく全てが「答えがわからない」もののはずです。
でも、小さいうちからしっかり自分の頭で考え、それまでに学んだことを応用して新しい問題を解くという経験を積み重ねている子達は、大人になって「初見の問題」に出合っても、とりあえず考えてみようと思えるかもしれませんし、「指示待ち」、「マニュアルが必要」というような大人にはならないのではないかと思います。

そんなことを考えていたら、ふと思い及んだことがあります。
最近、若い子や時には小中学生でさえ、いじめなどが原因ではなく、簡単に命を終わらせてしまう子がいるようですが、ゲームなどで死んでもまた生き返るとかそういうものをたくさん見ているのが原因だなんて話を目にしたこともありますし、そういうものに影響されている子もいるかもしれませんが、高校生や大学生、社会に出て数年の若い子などが命を終わらせる原因の中に、もしかしたら、誰もやり方や答えを教えてくれないことに絶望してというような理由があるのかもしれないと思ったりしました。

もちろん、命を終わらせるかどうかに関しては、全くそんなことはないかもしれませんが、就職して1年経たないうちに会社を辞めて引きこもってしまうとか、3年未満で会社を辞める新卒がいっぱいいるとか、そういうことの原因のひとつは、恐らくそれなのではないかなという気もします。(なんでも周りが御膳立てしてくれて、自分で考えなくても、言われたことを言われた通りやっていれば、名の通った学校に入れて、大きな会社に就職できましたというような人は、珍しくはないのではという気がします。)

大切な我が子の将来を思うのであれば尚更、小さいうちからしっかり自分で考えることを習慣づけることが、何よりの財産になるのではないかなと、そんなことを思います。

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2017年5月 8日 (月)

スイッチオフ

今日は目覚めてから、どうにもこうにもスイッチが入らず、昨日仕事に出たこともあり、完全オフにしてしまいました。
明日からまたがんばります。

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2017年5月 7日 (日)

日曜でしたが。

普段は土曜に少し遠方から通ってくださっている姉弟さんが、昨日弟さんの体調不良でお休みということになり、土曜は先週が祝日でお休みだったもので、久しぶりに日曜に振替レッスンとなりました。
1週空いたので、まだ通ってくれるようになって比較的日が浅いこともあり、最初のうち弟くんが少し緊張しているようにも感じましたが、2人ともがんばってくれました。

今日は好天だったわりに、なんだか外が霞んで見えるなと思ったら、黄砂が飛んでいたようですね。
切り上げて日があるうちに帰宅したのですが、結局大物のお洗濯は先延ばしとなりました。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2017年5月 6日 (土)

連休明け

土曜は先週が祝日でお休みでしたので、子ども達に会うのは2週間ぶり。ですが、ひと組の姉弟さんが弟さんの体調不良でお休みされることになり、今日のレッスンは午後からに。
来てくれる子達は、連休明けだと頭回ってないかもとちょっと心配していましたが、いつもより調子がいい感じでホッとしました。
私も昨日出勤して仕事したのがよかったのか、とりあえず無事連休明けのレッスンを終えられました。

レッスン後は引き続き教材の作成や手直しなどをしていましたが、一度作ってしまうとなかなか見直ししないこともあり、改めて見直すと、表現がわかりにくいかもとか、もっとこうしたほうがわかりやすいかもとか思うところが、必ずというほど出てきます。
結局、いつまで経っても「完成」はしないものなのかもしれませんね。
そうだとしても、まずは6年生までの分をなんとか形にできるようがんばらなくては。

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2017年5月 5日 (金)

連休3日目

3連休のうち2日はあまりにもぐーたらしてしまい、このままでは土曜のレッスンで頭が回らない恐れが…。
そう思い、夕方ちょっと出勤して仕事をすることにしたのですが、所用の買い物を済ませてから教室に来て、教材作りや明日のレッスンの準備などをしていたところ、気づけば22時前!!
というわけで、とりあえずウォーミングアップはできたかなという感じです。

教材もWordとExcelとの格闘を続けて3年余り。元々きちんと習ったとか学んだとかしたことがないので、未だに新しい機能などの発見があるのですが、なかなか「使いこなす」とまでは至らず…。

さて、明日レッスンをしたらまたお休みになりますが、どうぞよろしくお願い致します。

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2017年5月 4日 (木)

連休2日目

今日は更新お休みします。

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2017年5月 3日 (水)

連休初日

といっても、私はカレンダー通りの3連休で、おまけに特に何の予定もなく、今日は仕事頑張ろうと思っていたものの、結局完全にオフになってしまいました。(汗)
というわけで、今日は更新お休みします。

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2017年5月 2日 (火)

ただ覚えたのと理解しているのの違い

できることと理解していることとは違うことなのだということを、うまく伝えきれないときがありますが、とても簡単なわかりやすい例を思いつきました。

今日のレッスンである子がかけ算の学習をしていた時のこと。教室では九九の暗記はさせず、かけ算というのがどういう計算なのかを理解してもらった上で、足したり、倍にしたり、10回分から1回分をのけたりと、色々考えて答えを出すという形で学習を進めます。
ひと通り考えて解けるようになった後で、九九の唱え方もサラッとやりますが、学校で暗唱させられるまでは覚えなくてもいいことにしています。(本人が困らなければ、学校での暗唱もしなくていいかもしれませんし。)

で、考えることが好きな2年生さんが、あれこれ考えながら順調に問題を解いていっていたのですが、比較的新人さんで、既に学校で習ったこともかなりミスがあり、習ったやり方を覚えてその通りにしようとしているため、実際に自分が何をしているのかよくわかっていない子が、その子はそのときまだかけ算の学習を一緒にしていないにも関わらず、九九を唱えられることを自慢したかったのか、突然「ごいちがご、ごにじゅう…」と九九を唱え始めました。

レッスン中で、九九を唱え始めた子は別のその子の課題をやっている途中だったこともあり、遮って問題に取り組むよう言っただけでしたが、あのとき、両方の子に言ってみたらよかったなと、後で少し後悔しました。

考えながら解いている子に、まだ全く一緒にやったことがない2けた×1けたや3けた×1けたの問題を出したとしたら、その子はかけ算はどういうことかを理解していますから、めんどくさいとかぶつぶつ言うことはあるかもしれませんが、答えを出すこと自体は問題なくできたはずです。(実際、これまでの子達も、ほとんどみんなが何も説明しなくても、順番に足したりしながら答えを出すことはできました。)

でも、九九を暗唱できるというその子は恐らく、「まだ習ってないからできない」というような反応をしていたのではないかと思います。(そして、そういうことをいう子は、世間ではそう珍しくないようでもあります。)

意味を理解することなく、表面的なテクニックを覚えた子はなかなか応用が利きませんから、新しいことを習うたび覚えなくてはいけないことが出てきます。習うことが増えれば増えるほど覚えることも増えますし、そのうち覚えきれなくなったり、記憶が曖昧になってミスが多発するようになったりもします。

でも、例えば、かけ算がどういう計算なのかを理解している子は、1桁同士であろうと、桁が増えようと、考えることはできます。その状態で、桁が増えた場合はひとつひとつ足していったりすると時間もかかるし、ミスする可能性も増えるしということで、筆算などの方法を教えるわけですが、数をきちんと理解している子達にとっては、かける数が1桁であれば、掛けられる数が2桁でも3桁でもそれより多くても、筆算を書くより暗算の方が楽に感じる子もいます。
実際、かけ算の意味が分かっている子達は、分数の学習をして、3分の1kgのりんごが3つあったら何kgになるかという問題を、式を書かなくてもいいよと言っても、当たり前のように「 1/3×3=1 」のような式を書くのです。

算数では、意味をきちんと理解していれば、覚えることはかなり減らせます。覚える必要がないので、忘れたからできないということもかなり減ることになります。

最初にじっくり時間をかけて考えさせる、理解させる、それが大事だと言っているのは、結局そうした方が学年が上がれば上がるほど、やり方を覚えた子に比べて楽になっていくからということも大きいです。

小さいうちはとにかく、意味がわからないのに「処理」はできるという状態で算数を進めることは、恐らくお子さんのためになりませんので、ひとりでも多くの親御さんに知っていて頂けたらなと思います。

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2017年5月 1日 (月)

考えれば考えるほど難しい

小学生の算数は、教科書で習うような内容の問題を解くこと自体はほとんど難しいと感じることはありませんが、時々疑問を感じることがあり、それについて疑問を解決しようとすると、しばしばどんどんはまり込んでいって、答えが見つからないなんてことになったりもします。

小学生にはちょっと難しいだろうなと思う単元の一つに、概算による見積もりがあるのですが、例えば、買い物に行って、買いたいものの合計が所持金内に収まるかや、決められた金額以上なら商品券がもらえるので、必ずその金額以上にしたいなど、状況によって、切り上げか切り捨てか四捨五入か、何を使って、どの位までの概数にして計算するかを判断することを求められるようなものは、まだ社会経験が少ない小学生にはかなり難しいだろうと思います。

で、実際、そういう問題を見ると、都合よく数字を考えてあって、全部切り上げや切り捨てをしても誤差が極端にならないようになっていたりするのですが、実生活では必ずしもそうはいかないはずです。
また、ものが2つか3つぐらいで、それを500円で買えるかとか、1000円以内に収まるかとか聞かれた場合、そのぐらいならわざわざ概算しなくても、実際に計算すればいいよね?と思ってしまう子もいるのではという気もしますし、子どもによっては概数に直してから計算する方が難しく感じるかもしれません。

概算ができることは、答えにおおよその見当がつけられたり、社会に出てからも役に立つことがしばしばあるので、大事な内容だと思うのですが、小学生にはその便利さもまだあまり実感できないでしょうし、どういう問題が本来望ましいのかなと考え始めると、問題を作る手が止まります。

簡単なものほど難しいということはある意味真実なんだろうなと感じる毎日です。

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