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2017年3月 9日 (木)

高校生の子を見ていて。

小6まで通ってくれて、中学の間は家の近所の塾に通い、高校入学が決まってから思いがけず戻ってきてくれた高1の子。
元々小さい頃から英語が好きで、高校も人気の高い国際科に通っているので、高2からはもう数学は取らないと決めています。つまり、学年末試験が終わったら、センター試験で数学が必要にならない限りは、その子はもう数学は勉強しないのかもしれません。

1学期、2学期は何をしているのか、どう考えたらいいのかをできるだけ考えてもらうようにしていたものの、中学の間に習ったことを覚えて使うという勉強に随分と慣らされてしまったことや、高校では教科も増え、英語などもかなり難しくなっていることや、部活その他で忙しいことなど、色々な理由で、あまり数学に時間情熱(?)を注いではくれなくなっており、週1回だけで数Ⅰと数A両方を学校の進度に後れを取らず、かつしっかり考えてもらいながら進めるというのがなかなか難しくもなっていました。
それもあって、最後の最後学年末試験は、限られた時間の中、考えてわかることは考えてもらうとしても、覚えるしかないこと、覚えて試験だけ乗り切ることにしてもまあいいだろうと思うことは、解説などをしっかり読んで、覚えるべきことは覚えてもらい、試験に臨んでもらいました。

その後、春休みの課題の発表があったとのことで、3月は課題のチャート式を一緒にやっていくことになったのですが、その姿を見ていて改めて気づきました。
高校時代の私は目の前のこの子みたいな勉強をしていたなぁと。

チャート式はかなり解答解説が詳しく、例題があって、その解法がしっかり書かれており、その類題が続きにありますので、類題を解く際にも上に書かれた例題の解法を見ながら、同じようにすれば多くの問題を解くことができます。(純粋な類題ではなく、同じ方法では解けないものもありますが、割合としては少ないです。)

高校入学と同時に数学で大きく躓き、落ちこぼれた私は、必死でチャート式の解答解説を読み、答えを書きうつし、それを繰り返していくうちに数学が「できる」ようになり、理系の数学では再び挫折はしたものの、文系の数学は得意科目と言えるほどになりました。実際、いわゆるセンター試験では数学は満点も取りました。
でも、今にして思えば、私は数学はろくに理解していませんでした。

目の前のその子が宿題をどう解けばいいか思いつかず、例題に書かれた説明を読んで、それを真似て解いているのを見て、そうすれば確かに答えは出せるけど、何をしているのか、それをすれば何が求められるのか、意味は何も理解していないよなと。そして、私もきっとこんな状態だったんだよなと。

中には私が何を言っているのかよくわからないという人もいるかもしれません。
例えば、その子が解いていた問題で、ある公式が書かれており、その公式に与えられた数値を代入して問題を解いていっていたので、「ねえ、今それ何してるかわかってる?」と尋ねてみたところ、「平均値求めてます」というので、「平均値って何?」と更に尋ねると、一瞬きょとんとしてから、「これとこれと・・・の平均?」と。更に、困っているようだったのでそれは何をしているのかわかっているか尋ねると、今度は「分散?求めてます」との答えが。
しかし、「分散って何のこと?」と尋ねても、それはわかっていません。偏差や相関係数や、なんだか難し気な言葉が色々一度に出てくる単元だったこともあり、意味も考えずただ言葉と公式を丸暗記するのは、恐らくかなり難しいことだろうと思います。

実際のところ、今思えば私は意味はよくわからないけど、やり方を覚えたら解けるというものの限界が微分積分や数列をし始めた辺りで訪れたのだろうと思います。機械的に覚えるにはあまりにも複雑で、体が拒否反応を示すようになってしまったのだろうなと。

やり方を覚えて答えを出すことはできるという状態は、とりあえず目先の試験を乗り切るだけというような場合にはそれでも何とかなるかもしれません。(実際私はなんとかなりましたし…。)
ですが、自分の力になっているか、それが何かに応用できるか、本当の意味で理解しているかとなると、決してそうは言えないでしょう。

どの子も必ずそうなるとは言えませんが、幼い頃からしっかり考えて、本当の意味で理解するということを積み重ねている子は、覚えるべきことが何で覚える必要のないことは何かの判断ができたり、そもそも数学などは覚えようとする前に自分なりに解いてみて解けたらそれでよしとしたりすることもできたりします。
何を学んでいるのか、何を求めているのか、そういうことを意識しながら学んでいけば、新しい内容も、ほとんど説明されなくてもある程度できるものがあったりもします。
そうやって進んでいけば、結果的に機械的に覚えることは最小限で済むようになりますし、しっかり理解しているので定着度も全く変わります。過去の学びと関連付けさせたり、応用したりということも、自分でできるようになっていけば、内容が難しくなればなるほど大きな力になっていくはずです。

恥ずかしながら、私は数Ⅰや数Aについては、現役高校生の頃より今の方が明らかに理解が深まっています。
中学までの内容をきちんと考えて理解した後に考えたら、ああ、こういうことだったのか、こういう意味だったのかと気づいたことがたくさんありました。
残念ながら最近はただ覚えたことはすぐ忘れてしまうので、一度やったやり方を覚えておくことはほぼ不可能ですが、覚えなくてもある程度は解けるという自信もあります。(あくまでも数Ⅰ・数Aぐらいまでですが。)

それを自ら実感するからこそ尚更、小さいうちにじっくりしっかり考えることのメリットや、反対にやり方を教え込むことのデメリットやをしみじみ感じています。

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