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2017年3月 7日 (火)

何ができるだろう

教室に来てくれている子達には、自分がいいと思う、自分ができる精一杯のことをして向き合いたいと思っていますが、それと同時に、私は直接ご縁を頂くことができない子ども達のことが気になっています。

これまでに何度もこの話は書いている気がしますが、元々私は教員志望で教育学部を卒業し、教員免許も取りました。色々思うところあって、最終的には教員採用試験は受けることなく、学校というところで子ども達と向き合うことは選びませんでしたが、子ども達にとっていいと思うことは、たとえ教室に来てくれていない親子さんであっても、少しでも何か届けばいいなと思い、ブログも書いてきました。

教室に来てくれる子の中には、算数が好きでとか、小学校に上がるのでとか、そういう理由で来てくれる子がいる一方で、何かお困りごとがあってご縁を頂く子も少なくありません。
単に算数が苦手だとか、わからなくて困っているとかなら、少しずつ一緒にがんばっていけばいいわけですが、時々すごくすごく申し訳ないような、気の毒なような、何とも言えない気持ちになることがあるのです。

それは、子ども自身は恐らく一所懸命、指導者のいうことを守ってがんばった結果、考えられなくなっている子どもと出会うときです。
例えば、小学校に上がる前から、お勉強をさせる幼稚園やプリント反復をさせるような教室などで、先生の言うことを守り、よく意味も分からぬまま、一所懸命やり方を覚えて、その通りにする「訓練」を重ねてきたような子は、たとえ算数であっても、やり方を教えてもらってその通りにやるものだと思ってしまっている場合があるのです。

そうなっている子どもは、自分自身の頭で考えているわけではなく、こうしなさい、こうしたら答えが出せますよと言われたことをその通り真似ているので、自分が出した答えが合っているのかどうかわかっていないことも少なくありません。そういう子は、答えを書いてから、ちらちらと先生や親御さんの方を見て、表情で合っているかどうかを読み取ろうとしたりします。その表情は何かに怯えるように見えるときさえあります。
もちろん、その状態でマルをもらっても、せいぜいホッとするぐらいで、本当の意味での喜びは感じられないわけです。当然、そんな勉強は面白くないので、内容が難しくなればなるほどキライになっていくことも少なくないでしょう。

なぜこんなことになってしまうのか。それは、多くの大人、多くの指導者が、よかれと思って教えていることが、子どもの力を奪っている場合があるという事実に気づいていないからなのだろうと思うのです。

これも過去に何度も書いていますが、その昔、私がまだ塾講師だった頃、私は子ども達にいかにわかりやすく説明するか、いかに覚えやすく提示するかなどを常に意識し、一所懸命努力していました。その結果、数学が苦手だという中学生達が、学校の先生よりわかりすい、よくわかると言ってもくれました。
でも、どれだけわかりやすく教えても、苦手な子に限らず、数学が得意な子達でさえ、前回の授業の内容をきれいに忘れているようなことさえありました。
どうしてなのか、その頃の私には何が間違っているのかわからず、何かないか、もっと何か子どもにとっていい方法は…と探し続けていました。

そして、塾講師という仕事を辞める決心をしたきっかけとなる出会いがあったわけですが、「わかりやすく教えていたこと」が間違いだったと気づいたときのあの感覚は、絶望感にも似たものがあり、これまでよかれと思ってがんばっていたことが、子ども達の力を奪っていたと知ったときの罪悪感は、知らなかったこととはいえ、本当に取り返しのつかないことをしてしまったのではと、やり直せるものなら時間を巻き戻してもう一度あの子達と…と、叶わぬことを考えたりもしました。

わかりやすく教えることが子ども達の邪魔になる場合があるということは、教育学部で教員になる為の勉強をした私でさえ誰からも教えられることなかったわけですから、世の多くの大人が知らなくても何の不思議もありません。
ですが、その後、半信半疑ながらも、教えない、説明しない、子ども自身に考えさせる、気づかせる、そういうことを意識してレッスンをするようになったところ、目の前の子ども達はこれまで見てきた子ども達と全く違う反応を示すようになりました。楽しそうだったり、安心していそうだったり、自信にあふれていたり、そんな美しい、素晴らしい表情を何度も何度も目にするようになりました。
教えられたものを覚えたわけではないので、その後の定着度も、教材を進めていくスピードも塾にいた頃では想像もつかなかったほどです。

私自身は、過去の子ども達へのせめてもの償いに、教室を始めてから関わった子ども達の考える力を奪うこと、邪魔することは絶対にしないと決め、これまでそれを守ってきたつもりですが、今も日本のあちこちで多くの子ども達が、先生から教わったことを一所懸命覚えて、それを「再現」するという努力をしていることを思うと、何かできないものかと思ってしまいます。

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