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2017年3月11日 (土)

雑感

この頃は映像授業や衛星授業などと言われるような、目の前には生身の先生がいないような授業形態がどんどん広がっていますね。
もちろん、あの方法が合う子どももいるのだろうとは思いますが、個人的にずっとうまく言葉にできないものの、何か引っかかるものを感じていました。

それが、ふと、ああ違和感はこれだったのかもと思ったことがありました。
このところ、教材を作っていて悩むことのひとつが、どこまで説明するかということなのですが、参考書や問題集などで読んで理解させようとすると、丁寧な説明が必要になってきます。
その場合、つい、どうしてそうするのか、それは何をしているのかということより、どうすれば解けるのかの方法を説明してしまいそうになることがあるのです。

私が作っている教材は子どもが独学することは想定しておらず、目の前で私が子どもを見ながら使っていくつもりで作ってはいるのですが、私でなくても、親御さんがご家庭でお子さんと一緒に取り組めるなら、それはそれでいいなとも思っているので、ところどころ説明などが入っています。
しかし、子どもが考えたり試行錯誤したりする前に説明してしまうと、言わなくてもわかる子に対しては、考えるきっかけを奪ってしまうことになりかねません。

それもあって、何かを説明する際にも、「どう思いますか?」「なぜだと思いますか?」と、わかってもわからなくても、子ども自身にまず考えてみてもらうようにし、その後説明するような形に、なるべくしています。
一度自分の頭を通してから説明を聞くのと、頭を通す前にいきなり説明されるのとでは、説明に対しての理解の深まり方、定着度が変わってくると思うからです。

もちろん、実際に目の前に子どもがいれば、それが必要なさそうな子には説明のプリントは見せないで考えておらうとか、最低限の説明だけするとか、その子その子に合わせて調整することができるわけですが、映像授業、通信授業、小学生向けにも広がっているタブレットなどでの問題演習などでは、その子がどこまで考えられるかなど加減することは、ほぼ不可能だろうと思います。(もちろん、コンピュータや映像の業界の進歩のスピードはものすごいものがありますから、今後変わっていくこともあるかもしれませんが。)

高校生や予備校生などが映像授業を活用するというのは、自分に必要なものを取捨選択して、苦手なところは繰り返し見たりすることもできるようですから、メリットもあるだろうと思いますが、少なくとも小さい子ども達に対して、目の前に生身の指導者がいるかどうかはかなり大きな差になるように思います。
例えば、それなりに力のある子であれば、説明を自分で読んで理解してどんどん進めていくことができるというのはひとつのメリットかもしれませんが、説明を読んで、それを真似てできるようになっただけであれば、この前も書いたように、生きた力にはなり辛いだろうと思います。

小さい子に教材などを与える際には、そういった面も意識して、子どもがただ受け身に内容を覚えて真似て解くという勉強になってしまわないよう気を付けて頂けたらなと思います。
自ら考えるということは、本当に本当に大切で、それを小さいうちにしっかり身に着けさせる(というより、本来どの子も持っている力なので、周囲が邪魔をしなければいいだけなのかもしれませんが)ことは、もしかすると何にも代えがたいギフトなのかもしれないと思います。

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