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2017年2月28日 (火)

なんでかなと思うことの大事さ

1月から来てくれている子とのレッスンがありました。
その子は学校でも宿題が結構あるらしく、こちらに来てくれるようになるまでも学校の宿題をするのにもなかなかエンジンがかからず苦労しておられるように伺っていました。
体験などで様子を見せて頂いたところ、かなり、教わった通りに早くしなくては!というのが染み付いている印象で、そこから抜け出してもらうには宿題の量は求めないほうがいいなと、自分が困らないのであれば、やりたくなければやらなくてもいいと伝えておきました。

その後、宿題を持ってこなかったり、一部だけやってきたりということがありましたが、怒ってやらせるのは今の時点でその子には効果がないように思えたので、特に何も言わずにいました。
しかし、今日のレッスンでひもを使う教具での課題に取り組んでもらったところ、体験レッスンでしたときや、その後一度一緒にしたときに苦労していたのとほぼ同じ状態で、同じ穴から入れて出して抜けるということを何度も繰り返し、また、たまたまひもが絡んで抜けなかったところも何か所もありました。

黙って様子を見ていたところ、入れて出して抜けた後、また全く同じことをして抜けるということも何度もあり、少なくともその子はその課題に対して何も興味がなく、ただやれと言われたからやっている状態なんだろうなと思いました。

やりたくなければやらなくていいと言ってあったので、もちろん怒りはしませんでしたが、おうちでその課題が宿題に出てもやっていないのではないかということの確認と、きちんとしていたら、あなたならもっと早くできるようになっているはずだということ、算数に関係ないように思えるかもしれないけれど、算数のためにも大事な課題であること、おうちで取り組んでいなかったためにものすごく時間がかかったということを、ひとつひとつ穏やかに話してから、その子が30分近くかかった課題を、私は大人だからもちろん早くできるけど、もし私が5分でできたら、あなたも10分ぐらいあれば十分できるはずだと言った後、時間を測って私が作ってみせました。

その子に別の課題の教具を見せたり、マル付けをしたりしながらでも、5分かからず作り上げて見せたところ、何度も時計を見て、少し驚いたような表情をしていました。

もちろん、本人がやりたくなければ本当に無理にやらなくていいとは思っています。ただ、それを終えるためにレッスン時間の半分近くを使ってしまうということはやはりもったいないことですし、少しでも「何で抜けるんだろう?」「どうしたら早くできるかな?」と意識するだけでも、きっと違ってくるはずです。

与えられたものを何も考えずに機械的に処理することに慣れることは本当にもったいないことですし、また、とても怖いことでもあると思います。
与えられたこと、教えられたことでなければ、「こうかな?」「こうしたらいいかな?」と自分であれこれ試行錯誤するほかないわけですから、やるやらないの自由はあるにしても、与えられて処理するより遥かに創造的活動なのは間違いないでしょう。

勉強に限らず、「なんでかな?」「どうしたらいいかな?」と子ども自身が感じることは本当に本当に大事なことだと思います。

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2017年2月27日 (月)

やっとひとつすっきり。

自分の作業としては先日終えていましたが、確定申告の申請書が完成したとのことで税理士さんのところに確認と捺印のために行ってきました。
これで28年度の申告も私のすることは完了してひと安心。まあ、申告内容的に、税理士さんに心配されましたが…。(汗)

お世話になっている税理士さんは、開業当時、税務署に開業届を出しに行った際、希望すれば初年度は無料で5回までだったか記帳指導を受けられるということでお願いしたところ、たまたまご指導頂いた先生なのですが、その後も確定申告の際だけ内容を確認して頂き、わからないことはご指導頂いています。

開業当時に小学1年生だった子が今年成人式を迎えたことを思えば、改めてありがたいことだなぁと思います。
今年度いっぱいでこれまで使っていた教材の販売が終了になるため、新年度はある意味で新しいスタートになります。
しっかり気持ちを引き締めて、がんばっていかないとなと思っています。

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2017年2月26日 (日)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

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2017年2月25日 (土)

考え続けていると

教材作成は相変わらずかなりのろのろとしか進んでいないものの、ずっと頭の隅にあると、突然ふとアイディアが浮かぶことがあります。
勉強法や思考法などの本でも、何か問題などを考えていて行き詰ったら、一旦棚上げして気分を変えるとか、一晩眠っておきてから改めて考えるとかすると、突然答えが浮かんだり、面白いアイディアが浮かんだりするというようなことが書かれているのを読んだことがありますが、確かにそういう面はあるのかもしれないなと思います。
そういう意味では、ぐずぐずのろのろしているのも、悪いことばかりではないのかなと思ったりもしますが…。

今回は割り算の筆算などの教材を作ろうと思っているのですが、普通、筆算はたし算でも引き算でもかけ算でも、小さい方の位から計算するのに、わり算だけは大きい方の位から計算しますよね。
自分が子どもの頃は、習ったことをその通りにしていただけなので、あまり「なんでだろう?」と思うこともなく、そういうもんなんだと思って通り過ぎてきましたし、大人になってこういう仕事をするようになってからは、わり算の筆算をする場合は、計算の途中で引き算の筆算をする必要があり、それもあって筆算の形自体がわり算だけ特殊だからなぁぐらいに思っていたのですが、筆算に限らず、わり算は上の位からする方が簡単、楽というのが理由なんだなと、今頃改めて気づいたりもしています。

例えば、1箱10個入りのキャラメルが4箱あって、それを3人で分けなさいと言われたら、いきなり箱を全部開けてキャラメルを50個出してしまおうとする子はまずいないだろうと思います。
5箱あれば、とりあえず1箱ずつ配って、あと1箱はそのままでは分けられないので、まあ、暮らしの中であれば、そのひと箱はじゃんけんするとかくじ引きするとか、方法はほかにもありますが、なるべくきちんと分けてと言われたら、1箱ずつ配った後に残った1箱を開けて10個のキャラメルを取り出し、そこから3個ずつ配って1個残るというのが自然ですよね。
単に、わり算は上の位からする方が便利で簡単という理由なんだなと、自分でとても納得がいきました。

とすれば、慣れるまで戸惑う子が結構いるわり算の筆算も、最初の提示の仕方によって、もっと子ども達がイメージしやすくなって、間違いにくくなるかもしれないと。
それを教材という形にするにはまだそこから考えなくてはいけないことが色々と出てくるわけですが。

最近の私は、パッとアイディアが浮かんだときに、すぐ何かに控えないと忘れてしまうという危険があるのが難点ですが、がんばって形にしたいと思います。

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2017年2月24日 (金)

気づいてない子も多いんだろうな。

小さい子達とレッスンをしている分には、ちゃんとわかっていなければ、答えが合っているだけではよしとしないので、ここに来ている小さい子ども達にとっては、考えること、意味が分かること、何をしているのか理解していることはほぼ当たり前なのですが、これが高学年や中学生、高校生になって来ると、ここで一緒にレッスンをさせてもらうまでの積み重ねや、ブランクがあった時期に通った受験塾などでの経験で、考えること、わかることがどういうことなのか、よくわからなくなっているように感じる子達がいます。

例えば、簡単な例でいえば、10人のテストの平均点を求めなさいと言われたとしましょう。
「平均の求め方は、全部を足して、足したものの数で割るんだな。」と「わかって」いるとして、これで本当に平均についてわかっているのかはわかりません。

平均の求め方を知っている、覚えているということはできますが、全部を足して、それを足したものの数で割ったら、それはひとりひとりのテストの点がどういう状態になっていて、平均点というのは何なのか、例えばですが、10人のテストの点の棒グラフをイメージし、平均点はその棒グラフの凸凹を「平らに均(なら)す」ことなのだとわかっていれば、これはある程度しっかり理解できていると言えるでしょう。

むしろ、棒グラフの凸凹を均すというイメージができる子なら、平均の出し方を公式などで覚えなくとも、自力で解くこともできるかもしれません。

公式を使えば解ける。公式はきちんと覚えている。
そういう段階なのに、「理解できている」と思っている子が、世の中には少なからずいるのではないかなと、高校生の子とレッスンをしながら感じました。

私はめんどくさがりの上に、最近は丸暗記が昔以上に苦手になり、機械的に覚えていることは全く自信がありませんので、とにかく意味を理解しよう、公式などを見る前に解けないか考えてみようとするようになりました。

数Ⅰだったのに数Ⅰではなくなったり、中学校に降りたのに、また高校に戻ってきたり、その逆になったりというような単元がいくつかありますが、「相関係数」というのは以前数Ⅰをしたときには数Ⅰの範囲にはなく、今は数Ⅰの範囲に入っているため、過去の記憶はなく、1から学び直しとなりました。
しかし、やたらと難し気な用語やめんどくさそうな公式が並んでいて、体が拒否反応を示します。しかし、何をしているのか、具体的な問題と解答解説を見ながら読んでいくと、なんだ、これはただの平均のことか、そうか、こういうことを相関係数と呼ぶのか…と意味がわかりました。

もし、それをせず、書かれている公式に数を当てはめれば、もちろん答えは出てきます。テスト前などに公式を覚え、とりあえず答えを出して乗り切るということもある程度可能でしょう。でも、それでは自分にとって何の力にもならないわけです。
そこの違いをきちんと意識している、気づいている子はどのぐらいいるんだろうなと思います。もしかすると、指導者側にも気づいていない方が少なからずいるのかもしれませんが…。

それに気づいて、意味を理解しようと努めることで、勉強が面白くなることってきっとあると思うので(もちろん、教科や内容によっては興味が持てない、好きになれないというのは人それぞれあると思いますが)、ひとりでも多くの子が気づいてくれたらいいのになと思います。

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2017年2月23日 (木)

理解のスピードが上がっている

前回のレッスンで、以前にやったときにはえらく苦労して、あまりに大変そうだったので途中で切り上げて寝かせていた問題を、「こんなの簡単!」と言って、実際スイスイ解いてしまった1年生さん。
今回のレッスンでは、また新しい学習が出てきたので、これまでのその子の感じからすると、2つやりたいことの1つできたらまあいいかな、2つともちゃんと理解できたらすごいなと思っていました。

しかし、始まってみると前回同様、1つ目のことは、初めにほんの少し思い違いをしたか何かで間違ったものの、その後は順調にクリア。
そして、2つ目のことというのが、何十何-何の繰り下がりのあるひき算でした。
元々この子は計算で超苦戦して、ここに来てくれるようになった子で、学校では1年生では繰り下がりのないものしか学習しないはずなので(28-3や46-5のように一の位の数だけで引けるものしかしないはずなので)、恐らくここでするのが初めてのことです。

さて、今日はどのぐらいでわかってくれるかなと思いつつ、最初は教具を使いながらやり取りをし、その後絵の描かれたプリントに進み、比較的すんなりできていたので、計算式だけのプリントに進んで最初の3問だけ、質問しながら進めた後、「あとはちょっとやってみてね」と言ったところ、全く戸惑うことなく、ノーミスですんなり解き切ってしまいました。

私の真似をしたとか、やり方を覚えたとかいう感じではなく、きちんと自分が何をしているか、どう考えたらいいかを理解しているのが伝わってきましたし、表情も穏やかで、ああほんとにわかってるんだなと感じられました。

元々、理解には時間がかかっても、意味を理解した後は結構しっかり解くことができる子という印象があったので、これで理解にかかる時間が短縮されれば、今後ますます楽しみになってきました。
算数以外に得意なこと、好きなことが色々あるようなので、算数が好きにならなくてもそれはそれでいいかなと思いますが、苦手意識を持たずに問題に取り組めるに越したことはありませんから、この調子で新年度を迎えてほしいなと思います。

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2017年2月22日 (水)

我が子はいないけど。

最近は子ども達に聞かれることもなくなっていたので、つい先日、1年生の子に「え?結婚してないの?」と驚かれたのがちょっと新鮮だったのですが、そういえば、塾に勤めていた頃は高学年の子や中学生にやたらと歳を聞かれ、既婚か未婚かを聞かれたものでした。

歳を聞かれるというエピソードでは、塾講師時代にほかの先生のヘルプで普段は受け持っていない1年生たちのクラスに少しの時間行ったとき、見たことのない先生が来たということで質問攻めにあい、「何歳?」と聞かれたので「みんなよりはだいぶ年上よ。」と答えたところ、「12歳?」と聞かれたというものが印象的でしたが。(笑)
そうか、1年生にとったら12歳って自分の倍の歳だもんなぁと、ちょっと感心したのを覚えています。

で、この歳でも結婚していないことを不思議そうにされたのは久しぶりだったものの、今日はレッスン前に突然の訪問者があり、誰かと思えば、塾講師時代最後に送り出した中3生の女の子が1歳になったという赤ちゃんを抱っこして会いに来てくれました。

そういえば、去年は塾講師になってから、中1から3年間受け持って送り出した最初の受験生だった男の子もパパになり、我が子もいないというのに、気分はなんだかおばあちゃんという感じです。(苦笑)

長くひとりで仕事をしていると、色々不安にもなりますし、弱気にもなりますが、あの頃のあの子達がもうお父さんやお母さんになっているんだなと思うと、なんだか感慨深いものがあります。
そのうち、本当に年齢だけは「おばあちゃん」の年齢になる日が来るわけですが、その頃も子ども達と関わっていられたらいいなと思います。

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2017年2月21日 (火)

覚えるべきことかどうか。

教室で子ども達に「人はやらないと忘れちゃうものなんだよ」という話をすることがありますが、最近はそれを身を持ってひしひしと感じます。
さすがに頻繁にやっていることは忘れませんが、例えば、そんなに難しくはないことでも、過去にやってしばらくやらずにいると、あれ?どうやるんだったっけな?というのはしばしば経験します。

これが高校数学などになると、元々自分が高校生のときにじっくり考えて理解していたわけではありませんし、それから長い長い歳月が過ぎ去り、歳もとった上で改めて学び直ししている状態ですから、その時解けても、少し間が空くとふりだしに戻っていることが少なくありません。

もちろん、やり方を覚えて解いているわけではないので、一度解いたものであれば、そこでまたあれこれ考えれば解けるものも結構ありますが、覚えているかどうかでいえば、こんなにも忘れるものか…と愕然とするレベルです。

反復しないと覚えていられないというのは多くの場合事実なのだろうと思います。
ただ、例えば学習に関して言えば、算数や数学では、公式を丸暗記して当てはめれば解ける問題も少なからずあります。そして、これまでの学校教育、試験の多くは、習ったことをどれだけ覚えているかで成績が決まる、合否が決まるというものが多かったのは確かです。

ですが、例えば、公式を覚えていても意味を理解していない状態と、公式は覚えていないから解くのに時間はかかるけど、理解して自力で解くことができる状態とでは、これからの時代ますます、後者の方が評価されるようになっていくのではないかと思いますし、そうなっていかなければ日本は他の進んだ国からどんどん後れを取っていくのではないかとも思います。

というのも、公式を忘れたのであれば、今の時代、それを調べるのなんてあっという間です。社会の歴史の人物名や年号なども、忘れてしまっても調べたら大抵のことはすぐにわかります。
「調べたら簡単にわかること」で成績をつけるということは、もう時代遅れなのではないかと。

もちろん、たくさんのことを覚えられるというのはひとつの才能だと思いますし、そういう子で「本物の学力」というようなものも高い子はいるかもしれません。
ですが、意味も理解せず、ただひたすらに覚えて、機械のように処理をすることを繰り返す学びは、子ども達の将来を考えると、今後ますます、それでは太刀打ちできなくなっていくのではないでしょうか。

覚えるしかないことももちろんありますが、覚えずに済むこと、考えればわかることまで何もかも覚えさせるというのは、子どもの考える力を奪うことになりかねません。
お子さんを指導する際に、これは覚えるしかないことなのか、覚える必要があることなのか、指導する側が少し意識して頂くことも大事なことかもしれません。

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2017年2月20日 (月)

やっとのことで…。

毎年のことでもあり、小さな教室なので手を付ければそんなに大変でもないこともわかっているというのに、今年も確定申告のための帳簿入力や書類の準備などをズルズル先延ばしにして、先日ようやく少し手を付けたものの、また途中でストップ。
この土日で絶対完成させると決めたものの、土曜はレッスンの後、教室で別の仕事をして帰宅し、帰宅後は全く捗らず、日曜はある程度がんばったものの、完成せぬまま寝入ってしまい…。
というわけで、今日ようやく、後は税理士さんに確認して頂くだけというところまで仕上がりました。

終わるとスッキリするのに、どうしてさっさと手を付けられないのかと自己嫌悪に陥るたび、宿題をやりたがらない子どもの気持ちがわかる気がします…。(汗)
私も誰かが見て、サボっていたらはっぱをかけてくれるとか、頑張っていたら褒めてくれるとかがあれば、もう少し違うのかもしれませんが…。(苦笑)

まだ税理士さんのところに持って行かなくてはならないので手を離れたわけではありませんが、これでやっとひとつスッキリ。明日からまたレッスンがんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

話は変わりますが、2月になってから、連日のように色々な塾のチラシが新聞に折り込まれているのを目にします。
自作の教材がまだ完成していないことなどもあり、ここ数年、対外的に広告を出せずにいるのですが、もしお知り合いやお友達のお子さんで算数でお困りの方、算数が大好きで普通の教室の進度では物足りない方、春から新1年生なられる方などおられましたら、もしよろしければ、こんな教室もあるよとご紹介頂けましたら大変ありがたく存じます。(ご存知の通り、もしご紹介頂いても、無理な勧誘など一切致しませんので、その点はご安心ください。)

早い時期から教室に来てくれている子達の考える力の素晴らしさを実感する一方で、ほかの塾などで速くすることを求められたり、教わって覚えて解くことに慣らされた状態で来てくれる子が、じっくり考えるという本来当たり前にできるはずのことを自然にできるようになるまでに苦労する姿を目にすることもあり、今後ますます「考える力」が重視されていきそうなことから見ても、ひとりでも多くの子に早くからご縁を頂けたら、とてもとても嬉しいことだなと思うのです。

ブログにこんなことを書くのは初めてではないかと思いますし、少しためらいましたが、今年度もあとひと月ちょっとになりましたので、今の思いを書かせて頂きました。お許しください。

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2017年2月19日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年2月18日 (土)

どれだけ伝わるかわからないけど。

教室で子ども達とレッスンをしているとき、まあ、普通の大人、一般的な指導者は、こんな小さい子どもに向かってこんなこと言わないんだろうなと思ったりしながらも、それでも何か伝わってほしくて、色々な大事なことを話します。

放っておいてもじっくり考える子、楽しそうに取り組む子はよしとして、うちに来てくれるまでに別の教室や学校などで速くすることを求められ、ゆっくり落ち着いて考えることがしづらくなっているような子や、自分が書いた答えに自信がなくて、合っているかどうかこちらの顔をチラチラ見てくるような子などには、レッスンを通して、本人が何かを感じてくれるよ働きかける一方で、必要であれば、少しでも何か伝わればと思いながら、真剣に話をしたりします。

つい先日、小学校受験もして私立小に通っている2年生さんが通ってくれることになり、初回のレッスンがありました。恐らくこれまで速くすることを求められてきたんだろうなという感じで、計算問題は反射的に答えを書くものの、問題によっては答えが合っているのかどうか不安そうにして、私がすぐにマルをしなければ答えを消そうとしたりもしました。

そこで、きっとこれまでは速くしなさいと言われることが多かったと思うけど、ここでは速くしなさいとは言わないから、慌てなくていいよと伝え、「速くしなくていいって言われたことないよね、きっと。」と言うと、こくりと頷きました。
「なんで速くしなくていいって言うと思う?」と言うと、不思議そうな顔をして、なぜかわからない様子です。

そこで、速くしようと思うと大人でも考えられなくなるということを例を挙げながら話し、また、そうやって急いで計算しても、自分が出した答えが合っているかどうか全然わからなかったら、マルをもらっても別に嬉しくないよね?というような話もしました。

そして、その子のことではなく、これまでにそういう子がいたという話として、答えを書いても自信なさそうにしている子に、答えが合っているのにマルをつけないでいると、答えを消して書き直す子がいるのよという話をしました。
「合ってるのに、マルがもらえないから消すってことは、それが合っているかどうかわかってないってことよね?もし、1+1=2って答えを『それ、間違ってるよ』って言われたら、答え書き直す?『2で合ってます』とか、「先生が違ってます』とか言うよね?それはその答えが合ってるって自信があるからよね?」というような話をしました。

よくわからないけどとりあえず答えを書いて、マルかどうかは人に委ねるというのは、全く自分の身になる学びにはなりません。もちろん、まだ学習して日が浅いことなどは絶対の自信は持てないとしても、少なくとも、大体このぐらいになるはずだとか、何度考えてもその答えになるから合っているはずだとか、何らかの「これでいいはず」と思えるものがあれば、マルをもらったとき、少しは嬉しく感じられるのではないかと思います。

たとえ相手が1年生だろうとも、適当に答えを書いてこちらの様子を見てくる子に私がよく言うのは、自分でちゃんとわかってないのにマルになればいいんだったら、答えを教えるよ。それでマルをもらってもおんなじでしょ?というようなことで、もしそれを言って「じゃあ答え教えて」という子がいたら、その子は少なくともその時点ではその学習に全く興味がないとか、その学習が嫌いだとかいうことかもしれませんから、その場合はまた何か違うアプローチなり、今はそれをしないなりを考えなくてはならないだろうと思います。
ですが、それを言って答えを教えてと言われたことは今のところはなくて、小さい子達なりに何か感じてくれている、何かわかってくれたということなのかもしれないなと思っています。

もちろん、小さい子達だと伝えたいことのどれだけが伝わるかもわかりませんが、それでも、大事なことはきちんと言葉にして伝えたいと思います。

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2017年2月17日 (金)

こ、これは!!(笑)

普段教室では、算数にしろ国語にしろ、テスト形式のものをして点数をつけるということはないのですが、今週のあるレッスンで、国語を取っている子のあるテキストが一通り終わり、まとめ問題としてついている漢字の書き取りをしてもらうことにしました。

その子は漢字に興味があるようで、学年外の漢字なども嫌がらず書こうとするような子で、漢字の本なども学年より先のものを自ら借りてかえるようなこともある子です。
その子に最初にしてもらったのが1年生のおさらいのようなものだったので、問題自体は恐らく難しくなかっただろうと思います。
宿題などのマル付けを待ってもらう間にしてもらっていたので、片面が終わったところで預かり、後で丸を付けておくねと伝えました。

その日のレッスンが終わり、その子達が帰った後、あのマル付けをしておかなくちゃと思い、預かった書き取りを見始めました。
その結果、こういう仕事をし始めて、独立前から合わせると20年以上になるのですが、かつてない書き取りの答えを目にしました!!!
それがこれです。さすが天才系!この子の将来がかなり楽しみです。(笑)



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2017年2月16日 (木)

またひとつステップを上がったようです。

とてもがんばっているのですが、算数はまだ苦戦することが少なくない1年生さんとのレッスン。
学校で時計の学習をすることになりそうだったので、前々回あたりから先に少しだけ一緒に時計の学習をし始めました。

数の感覚が伴なうまでに少し時間がかかるタイプなのかなという感じがあり、時計も理解してくれるまでにちょっと苦労しているようでした。ですが、その後おうちでも取り組んでくださったり、学校でも学習が始まったりしたようで、今日のレッスンでは随分スラスラ何時何分が読めるようになっていました。
この様子なら大丈夫かなと、「3時から長い針が1周したら何時になると思う?」と尋ねた時点で、何そんな簡単なこと聞くの?というような表情で「4時!」と自信のある声で答えてくれて、何度かそんなやり取りをした後に、長い針が1周したら1時間、2周したら2時間ということを説明し、プリントを何枚かしてみてもらったところ、あっという間にクリア。

時計に関しては今日は何時何分と何時間後ができたらいいなと思っていたのですが、それが済んでもまだ少し時間が残りました。
そこで、元々は100までの数のひき算の学習中だったのを一旦保留にして時計に進んだので、前にやりかけで残っていた、「何十-何」(50-3など、ぴったりの数から1桁を引く引き算)をしてもらうことにしました。ただ、前にそれをしたときには、絵が描かれているプリントにも関わらず、なぜか大苦戦。どうしたんだろう?と思ったものだったので、「ゆっくりでいいから、絵を見て考えてね」とだけ声をかけて様子を見ていたところ、なぜかニコニコしたまま「こんなん簡単~♪」と前の時とは全く異なる反応を見せ、実際、前に残っていた1問をあっさり解き終えました。
そこで、絵がない計算式だけのプリントをやってみてもらうことにしたところ、式を見て、何か頭で思い浮かべるふうをして、1問、また1問と、結局10問近くを全くノーミスであっさりクリア。
なんだかわかりませんが、その子の中でまた何か一つステップを上がったようでした。

子どもって本当にすごいですね。

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2017年2月15日 (水)

小さな感動

ある1年生さんと、今日は長さの学習をしました。
mmとcmの読み方はもちろん、定規を使って長さを測ったこともない子と、本当のさいしょから長さを学習します。
定規を見ながら、1cmがどんな長さなのか、1mmがどんな長さなのかは教えますが、その後は、まずは何も言わず、定規で長さを測ってもらいます。

初めは定規の合わせ方を一度やってみせて、次に少し手伝って一緒に長さを測り、2、3問一緒にやった後は自分でやってみてもらいました。
直線は一度で測れますが、折れ線は何度かにわけて測らなくてはなりません。
初めてにしてはmmの目盛りもかなりきちんと読めていて、それにも感心したのですが、2回や3回に分けて測り、それぞれのcmとmmを合わせて答えを書くようなものも、自分で気づいて正解していきました。

そして、長さを測るプリントの最後の問題は4回長さを測って、それを合わせるものだったのですが、cmの長さを集めると12cm、mmの長さを集めると14mmになるというもので、さて、この子はどう答えるかなと、黙って待っていました。
すると、「え~っと、センチのとこ合わせたら12…」そう言った後少し黙り込んでしまいました。何か言いたそうにしているのはわかりましたが、困っているのかどうかはわからないような表情です。
「全部合わせていいの?」というような質問をされたので、その子がそれぞれ測ってメモをした長さを4つ紙に書き出して、「これとこれとこれとこれで何センチ何ミリかってことよね?」とだけ言うと、聞きたかったことは解決したようで、またしばらく考えた後、「センチは12だけど、ミリが5と5で10だから、13センチ4ミリ?」とその考え方で合っているのか少し不安そうに尋ねてきました。

ここまでの間に1cmは10mmだと私は教えていませんし、彼がそれを知っていたわけでもありません。定規で長さを測りながら、目盛りを見ていただけなのに、彼自身がそのことに気づいたのです。
もしこれが、私が先に「10mmになったら1cmと交換してね」などと先に言ってしまっていたら、彼自身が気づくチャンスも、私が感動するチャンスも失われていたでしょう。

もちろん、誰もが気づくわけではありませんから、気づかず「12cm14mm」などのように書いてしまう子がいれば、そこで初めて定規でその長さがどこか指してもらうなどして、子ども自身に気づいてもらえるように持って行くことになるのですが、今日の彼にもその助けが必要かなと思ったりしていたので、嬉しい驚きでした。

少しずつ確実に力をつけているんだなぁ、成長しているんだなぁと思う瞬間は、本当に大好きです。

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2017年2月14日 (火)

おめでとう。ありがとう。

多分2年生の春から通ってくれて、6年生の終わりまで一緒にレッスンをさせてもらった子が、中3の受験生になりました。
家から徒歩圏ではなかったことや、うちでは数学と国語以外は見られないことやで、中学からは歩いて通える塾に行っていたのですが、思いがけず最後の追い込みで3か月足らずの間また一緒にレッスンをさせてもらう機会を頂きました。

元々その子は中学は公立に進んで、高校受験で行きたい関東の私立校に挑戦するという目標でがんばっていたようで、久しぶりに戻ってきたその子はすっかり背も高くなり、雰囲気は今時のかっこいい男の子になっていましたが、相変わらず考えることは好きなようで、見ていても数学はかなりできるなという感じでした。

ただ、ちょっとうっかりのミスが少なくないようだったので、それは心配でしたし、また、試験は当日何が起こるか分かりませんから、どれだけ準備をしていても結果は神のみぞ知る。
ドキドキしながら報告を待っていたところ、こちらで受けた私立は特進のトップのコースに特待生合格をしたという素晴らしいお知らせと、本命の学校には補欠、それも補欠の1番だとのお知らせが…。

補欠の1番であればほぼ合格間違いなしだとは思いましたが、やはり合格のお知らせを聞くまでは安心できません。早く連絡が来るといいなと思っていたところ、今日のレッスン中に電話が。
本人が少し高揚した感じで「今、合格しました!」と報告してくれました。

希望する高校への進学が決まり、念のため受けた私立校では抜群の結果を出し、本当によく勉強したんだろうなと思います。
でも、こんなすごくなった彼も、小学校4年か5年の頃の今でも忘れられないエピソードがあります。
算数に比べると国語は好きじゃないという、算数が好きな子にありがちなパターンだったのですが、読解問題の中の3択や4択の問題などをやってもらうと、時々、絶対それは間違いってわかるやろ??と思う選択肢を選ぶことがありました。
ひっかけてやろうというのではなく、明らかに最初に間違っていると気づくような答えを選んでいるようなこともあり、そのほかの記述問題などとのバランスからしても、どうもおかしいな、全く読んでいないのかな?と不思議に思っていました。

あるとき、あまりにひどい答えを選んでいたことがあり、「ねえ、ちゃんと問題読んでる??こんなん絶対間違ってるってわかるやん?」と、至って真面目な顔で「うん、そやで。」と答えたのです。

え?どういうこと???

一瞬彼が何を言っているのかわからず、ぽかんとしたのですが、次に彼の口から出た言葉は

「だって、適当に選ぶんやろ?」

!!!!!!!

もう本当に本当に意表をつかれ、大爆笑しました。

「え?もしかして、わざと間違ったのを選んでたってこと?」
「うん、だって、適当に選ぶんやろ?」

ああ、日本語って難しい…。(苦笑)

「そうか。適当っていうのは2通りの意味があってね、いい加減にするっていうような意味と、ぴったり合うっていう意味があるんよ。」
「え~!!そうなん!?知らんかった!!」

彼は「適当なものを選びなさい」と書かれている問題は、これまでずっと彼なりに、これは絶対答えじゃないわというものを選んでいたようです。
私の疑問も彼の勘違いも一気に解決した出来事でした。(本人はそのエピソードはもう忘れていましたけどね。)

思いがけず最後の数ヶ月だけ一緒にレッスンをさせてもらえたことで、合格の喜びも共有させてもらえて本当に幸せだなぁと思います。
また来ようと思ってくれて、ありがとう。
志望校合格、本当におめでとう。

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2017年2月13日 (月)

試行錯誤する力

今日は1件体験レッスンがありました。
2年生で、小学校受験をして私立小に通っているという女の子。受験のために、有名な小学校受験塾にも通っていたそうです。
学校も、しっかりお勉強をする学校という印象なので、進度も速いんだろうなと思いつつ、まずはどんな感じで問題に取り組むのかを見せてもらうため、既に習ったはずのことをピックアップしてやってみてもらうことにしました。

すると、ほとんどのことはきちんとわかっているようで、文章題なども式は正しく作れているのですが、どうやら繰り下がりの引き算がやや苦手なのかなという印象を受けました。
そして、きちんとできているものも、やり方を習って、それを覚えて、どうすればできるんだったかを思い出しながら解いている感じがしました。

もちろん、そういう子は珍しくはないのですが(うちの教室では滅多にいませんが。)、その状態がひどくなると、例えば、筆算で答えは出せるけど、桁が違うようなとんでもない答えになっても、それがおかしいかどうか全く見当がつかないというような状態になることがあります。

かつて、まだ小さいのにそろばんでかなりの計算までできるようになっているというお子さんが体験に来てくれたことがありました。その子はそろばんでは結構大きな数のかけ算などもできるということだったので、かけ算の筆算をやってみてもらったところ、位をずらして書かなくてはならないことを忘れて、筆算の一の位が揃うように計算の答えを書き、そのまま足して、全く違う答えを出しました。
それ何かおかしくない?といっても、ただ消して計算をし直すだけで、自分が「あり得ない答え」を書いているということには全く気付かないようでした。

塾や教室によっては、ただ先取りするということを重視し、「学びの中身」を軽んじているところも少なくないように思います。小さいうちに、意味もわからずただ答えを出す方法だけ知っているというような勉強をさせることに、果たしてどれだけの意味があるのだろうと思ってしまいます。

さて、少し話が逸れましたが、今日の体験のお子さんは、3ケタ同士のたし算・引き算の筆算の虫食い算を考えてもらったところ、たし算は何とかできたものの、引き算は延々と考えているようではあるものの、いつまで経っても答えに辿り着きません。
少し声をかけてから見ていると、□に小さく9と書いて考え、違っていたので消して、今度は5と書きました。(答えは6。)だったら次で気づくなと思っていたところ、なぜか今度は8に直しました。そして、いつまでも答えには辿り着くことがありませんでした。

最初のうち、ただ白い□を見つめ、手を動かす風もなかったので、「□に入る数は0から9のどれかしかないよね?順番に入れていってもそこまで時間かからずにわかるんじゃない?それに、0、1、2、3は入らないっていうのはわかるよね?」というと、少し考えてから頷いたので、それからまた待っていたのです。
つまり、その時点で□に入るのは4から9のどれかということになっていて、最初に9、次に5、次に8…というのは、どんなふうに考えたらいいのか、教えられていない、気づいていないということなんだろうなと。

もちろん、答えが6なので、最初に9を入れて結構違っていたから5を入れてみた可能性はあると思いますが、それが違ったから次に8に戻るというのは、とりあえず当てずっぽうに入れている可能性が考えられます。
そうしていると、何を入れたか入れてないかもごちゃごちゃになる可能性も高まりますから、決してお勧めできる方法ではありません。

ただ、考えることが好きな子、自分でわかるまで色々試したい子などは、時間が許す限りあれこれ試行錯誤させて、その中で、もっといい方法がないか考えさせる、気づかせるというのは、もちろん素晴らしい学びだとも思いますから、それをさせずに「こういう風に確かめていくと便利よ」と教えてしまうのはなるべく避けたいとも思っています。

その辺りの加減、判断が難しいわけですが、考えることが当たり前ではない子、習ったことを覚えて問題を解くのが勉強だと思っている子などには、最初のうちはこんな風に考えるといいよというような、考える手順のようなものは多少教えてあげる必要があるようにも思います。

勉強に限らず、問題解決のために試行錯誤するというのは、色々な場面で大事な力になりますから、小さいうちにたっぷりとそういう時間を持てるのは、子どもにとってとても有意義なのではないかなと思います。

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2017年2月12日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2017年2月11日 (土)

祝日でしたが。

今日は年間予定でレッスンがある日でした。
祝日だったのでお休みされた方もおられ、今日はレッスンは1時間半だけ。
前回、泣きそうな顔で引き算を考えていた子が、今日は随分表情が和らいで、ちょっと安心しました。

私自身、誰かにきつく怒られた記憶もないのに、子どもの頃から怒られることがとても怖く、また、失敗を見られることもとても苦手だったので、泣きそうな顔になる子、間違った答えを書くことを怖がる子の気持ちはわからないでもないのですが、それって結構不便な性格だよなぁと経験上感じているので、変われるものなら変わったほうが楽だろうと思いますし、色々なことにチャレンジできる方が人生は楽しいだろうとも思います。

私自身は変われぬまま大人になり、未だにそんな傾向が残ったままで、新しいことに挑戦するのは苦手、失敗するかもしれないことには手を出さないと、なかなかに面白みのない人生だなぁと思っています。
ですので、性格と言ってしまえばそれまでですが、間違えることは恥ずかしいことだと思っているような小さい子達には、そんなことはないのだと思ってもらえたらいいなと思います。

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2017年2月10日 (金)

原点回帰

自分では若いつもりでいても、確実に歳は取っていて、体や脳の衰えを感じることも少なくありません。
ひとりものでもあり、将来のことを考えると不安になることもしばしばなのですが、考えてもわからないことは考えないように(逃げているのか、それでいいのかわかりませんが…。)しています。

それでも、教室で子ども達とレッスンをさせてもらいながら、私は何がしたいんだろう、私は何をするために生まれてきたんだろうと、なんとなく壮大なことを考えたりすることがあります。

年齢によって、不惑とか、還暦とかいう呼び名がありますが、先日「知命」という言葉を知り、「50歳で生まれてきた使命を知る」という言葉を目にしました。へぇ~、そんな言葉があるのか~と思うと同時に、決して遠くない将来訪れる「知命」に私は何か自分の使命を自覚できるのかなぁと思いました。

で、やっぱり、できなくて困っている子に笑顔になってもらうお手伝いがしたいというのが一番なのかもしれないなと思いました。
それはある意味、私にとっての原点回帰とも言えるのですが、元々は中学校の教員を目指して教育学部に進み、小学校と中学校の教員免許も取り、一般企業で社会人を3年やったら、教員採用試験を受けようと大学4回生のときに思っていました。

しかし、会社員をしていたとき、自分が一番したいことは学校ではできないのではないかと思うようになり、更に突き詰めていった結果、できるようになりたいのにできなくて困っている子達を助けられたらいいなと思うに至りました。
その後会社を辞め、個人経営の塾に勤めた時期があったのですが、その塾の最初の面接で、できない子達と一緒に勉強したいと言ったことを覚えています。
その結果、初めは2クラス、3クラスある中の成績が振るわない子達のクラスを受け持つことになり、そのお蔭で色々なことを学びました。

その後独立することになったのですが、学校や一斉指導の形式の塾などでは、結局のところ、すごくよくできる子も、できなくて困っている子も、どちらにとってもあまり望ましい指導は受けられないことが多いのだろうということに気づき、完全個別対応で、できる子はどんどん進む、苦手な子はその子のペースに合わせて進むという形での教室になりました。
それからもう13年近くになりますが、何かお困りごとがあるという親子さんの助けになれたらいいなという思いがより大きくなってきている気がします。もちろん、ここでは主に算数を通しての関わりしかできませんが、それでも、何か自信が持てるような、何か楽しいと感じてもらえるような、そんなお手伝いを、これからもしていけたら幸せだなと思っています。

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2017年2月 9日 (木)

教わらずに気づく子ってどれぐらいいるんだろう。

算数の問題で、高学年になると、グラフを見て気づいたことを答えなさいというような問題があります。
今後ますますそういう問題が増えていくのかなと思いますが、今日のレッスンでも、2つの柱状グラフを見て、気づいたことを答えなさいという問題が出てきました。

そのグラフと言うのが、ある県の男女の年齢別人口の柱状グラフの平成7年のものと平成17年のものを見比べるというものでした。そして、その問題に対して、その子は、グラフの中のある年齢層だけを取り上げ、平成7年より平成17年の方が増えているというようなことを書きました。
7年と17年の同じ年齢層を比べたら、それは確かに正しいのですが、2つのグラフを見くらべてある一つの年齢層だけ比較するというのでは、仮に10点満点だったら1点か2点もらえたらいいかなというところだろうと思います。
かといって、このグラフの場合、すべての年齢層について比較して書いたとしても、それは問題を作った人の意図には合っておらず、10点をもらえることはないわけです。

男女の年齢別の人口のグラフの比較、それも7年と17年での比較ですから、7年に20歳だった人は17年には30歳になっているわけです。また、人間ですから、20歳代の人口が10年後30歳代になったときに増えるということも普通はないと考えるのが自然です。
もちろん、転入や転出などで増えたり減ったりということは考えられますが、例えば平成7年に対して平成17年に20歳代の女性が30%増えていたら、「なんでこんなに増えたんだろう?」と気づけるなら、その子はグラフをかなりきちんと見ることができているとも言えるでしょう。

この問題では、グラフの形はあまり変わらず、10年上にずらすとほぼ重なるということに気づけるかどうかがポイントだったのですが、こういうことを誰かに教えてもらうことなく気づける子どもは一体どのぐらいいるんだろうなと思いました。

こういう力をこれから小学校や中学校で伸ばしていくことを目指してるのかもしれませんが、きっと一朝一夕にどうにかなるものではないだろうと思います。また、学校など大人数でこういうことに取り組むには、今の学校制度ではまだまだ難しいところが多いのではないかとも思います。

つまり、普段から問題意識を持つこと、ご家庭でニュースなどについて話してみたり、写真や表などを見てどんなことがわかるかお互いに言い合ってみたりすること、そんなことも大事になってくるのではないかなと感じます。

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2017年2月 8日 (水)

覚えようとする前に考える

自分が子どもだった頃、算数や数学は習ったことを覚えて、それを真似てやれば解けるというような位置づけだったのですが、あの頃にそれは間違っているということに気づけていたら、今頃もっと違っていたのかもしれないなと思うことが、教室の子どもたちを見ていると、しばしばあります。

今は、何かわからない問題にぶつかっても、とりあえずやり方を覚えて答えだけを出すのでは役に立ちませんので、難しい中学入試問題や自分が高校時代にやったかどうかというような高校の数学も、何とかしてきちんと理解しようと努めています。

そして、今になって改めて感じるのは、ほんの少し意識を変えるだけで、学び方は簡単に変えられるのかもしれないということです。
つい先日、高校数学の予習をしていて、相加平均・相乗平均というものが出てきました。簡単に言えば、正の数であれば、相加平均は相乗平均以上になるというものですが、そもそも「相加平均・相乗平均ってなんだ?」というところで疑問を持ちました。

それは恐らく高校時代にもしたことだと思うのですが、その頃はただ覚えて使っていただけで、何も考えていなかったのだと思います。
相加平均の式を見ると、2数を足して2で割っているので、これは普通の「平均」の計算だなと。じゃあ相乗平均ってのはかけ算での平均ってことだろうけど、どういうことだ?と思って式を見ると、2数を掛けたものにルートがついていたので、ああ、なるほど、そういう意味か!と。
ここで一度確認し、納得したので、恐らく相乗平均と相加平均が何かは当分は思い出せると思います。
もしここで、よく考えず、とりあえず式の形だけを見て、こっちは足して2で割ってるな、こっちは掛けてルートをかぶせてるなとしか捉えなければ、思い出せる可能性はきっとかなり下がるだろうと思います。

また、中学生の頃「定義」と「定理」の違いの説明が、読んでもよくわからずにモヤモヤしていたのですが、そのまま大きくなり、大人になってこんな仕事をするようになってから、改めてよく考えてみたところ、証明できるものが定理で、証明するとかではなく誰かがこうだと決めたようなものが定義なんだなと理解でき、な~んだ、そんなことだったのかと。

私は大人になるまで、少なくとも算数・数学に関しては、あまりよい勉強の仕方をしてきませんでした。でも、小さい頃に気づいて、考えられるものは考える、覚える場合も意味を理解するよう努めるということを意識していけば、成長するにつれ、それはどんどんと大きな力になっていくように思います。

先日、某難関女子中の過去のある入試問題を見て、きちんと考えることができる子にはいい問題だなぁと感じたものがありました。それは、普段から、なんでだろう?どういうことかな?と意識している子で、問題の意味をしっかり読める子なら、ほとんど難しい計算は必要なく、スッキリ解くことができる問題でした。
でも、いくらテクニックを大量に身に着けても、気づかない子にとっては難問なのかもしれないなという。

今後、本当に大学入試改革が行われるのであれば、学びはどんどん変わっていくだろうと思います。
ますます、本当に考える力が問われるようになっていくだろうと思いますし、そうなっていくことで、知識偏重で詰め込みの中学入試の勉強法などが変わっていくとしたら、それは子ども達にとっても喜ばしいことだと思います。

私は仕事柄算数や数学のことでしか見ていない面もありますが、ただ覚えるのではなく、意味を考えるということは、どんな教科の勉強にも大事なことだと思いますし、そもそも、教科の勉強に限らず、日々暮らしていく中でも大事なことなのではないかなと思います。

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2017年2月 7日 (火)

考えてるんだなぁ

普段レッスンをしていても、本当によく考えているな、よくわかっているなと感じる1年生さん。その子と今日は筆算の学習です。前回簡単な筆算をしたので2回目だったのですが、まだたし算で、桁が3桁からだんだんと増え、最後は8桁同士までの筆算をすることになりました。

この子は10000までの数のたし算、引き算は暗算でしっかりできるようになっているので、たし算の筆算も好きなようにやってみてもらうと、上の位から順に足して答えを書いていきます。たし算についてはそのやり方でもほとんど困ることがないので、無理に直させることはせず、筆算は普通は下の位からするということを伝え、繰り上がりは小さく書いておくのだということを1、2問一緒にやってみて、後は本人のやりやすいように任せました。

暗算で問題なくできる子はたし算の筆算も上の位からするほうが繰り上がりなどを書く必要がないので楽ということもあり、この子はずっと上の位から計算していたのですが、桁が増えるたび、「うわ、これ万いってるやん。」「え?これもっと増えた、読まれへん。10万?」というような感じで必ずその数がいくつなのかを聞いてきました。

そして、やっていることは桁が増えても全く同じはずなのに、なぜか6桁や7桁になると途端に「うわ、難しい。」「え?なんかわからんようなってきた、めっちゃ難しい。」というように、ブツブツつぶやき始めました。
よく聞いていると、どうやらこの子は単に位の数を足すという考え方をするのではなく、それぞれきちんと60万と80万だから140万になって…というように、なんというのでしょう、量として思い描いて考えようとしているようです。
だから、桁が増えると「難しい」ということのようでした。

ああ、この子は本当にきちんと考えているんだなぁと、しみじみ感心してしまいました。せっかくきちんと考えているのですから、今の段階でテクニックだけを教える必要もなく、1問1問、「うわ、めっちゃ大きい!」「あとちょっとで1億行くんちゃうん?」などと言いながら考えている姿を感心しながら見ていました。

教室では、暗算である程度以上考えられるようになってからしか筆算はしないようにしていますが、こんなにもしっかり意味を考えて筆算をした子は過去にもあまり記憶になく、心からすごいなぁと思いました。

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2017年2月 6日 (月)

気をつけよう。

先日のあるレッスンでのこと。
まだお互いのことをあまり知らないという新人さんとレッスンをしていたのですが、まだ小さいのに算数に苦手意識があるようだということで、どのあたりから難しくなるのか見つけるため、おさらいのようなことから一緒にし始めました。

初めのうちはその子にとってかなり簡単だったようで、ニコニコしながら取り組んでくれていたのですが、途中、突然表情がこわばり、ああ、この辺りには苦手意識があるんだなと思うところが見つかりました。
それでも、やってもらったらある程度できていたので、どんなふうに考えていそうか見ていたところ、さっき教具を使いながらやりとりをしたときにはかなりすんなりできていたものが、紙にかかれた絵になった途端、ひとつひとつ数えていそうだということがわかりました。

もちろんそれでもできていましたし、更に、苦手意識があるとも伺い、実際に表情を見ていてもそれははっきり感じ取れましたので、そのやり方がダメというようなことはもちろん言わず、「できてるからそれでもいいんだけどね」と前置きをした後、もちろん極力穏やかな口調で、こんなやり方もあるし、その方が間違いにくいんじゃないかなというような提案をしました。

すると、表情をこわばらせ、泣きそうな顔になって「ごめんなさい」と言ったのです。
怒るとコワイというのは否定しませんが、少なくともその子に対してまだ一度も怒ったことはありませんし、怖い私を見たこともまだないはずです。それなのに、どうして謝るのか、なんだかとても切なくなりました。

そこで、何も悪いことはしていないんだから謝る必要はないこと。今それができないとか、わからないとかいうことは何も悪いことではないこと。できないことやわからないことを勉強するのだから、今できなくても何も問題がないことなど、ゆっくりひとつひとつ話しました。
まだ小さいその子にどれだけ伝わったかはわかりませんが、これまでに何かができなくて怒られたことがあるか、もしくは誰かが何かできなくてひどく怒られている場面を目にしたことがあって、その印象が強く残ってしまったかなんだろうなと。

これまで、小さい子がたかが算数ができない(実際にはできていなかったわけではありませんし。)というだけで、あんなに悲しい表情をしてか細い声で謝られたことは記憶になかったので、ちょっと衝撃的でさえありました。

自分では気をつけているつもりですが、できていないことに対して子どもの側が怒られていると感じてしまうことがまだまだあるかもしれません。また、感受性の豊かな子、頭のいい子などは、自分が怒られていなくても、側で誰かがきつく怒られているのを見たら、それによって「自分は怒られないようにしなくちゃ…」と思ってしまうこともあるかもしれません。
問題ができなくて怒るということはしていないつもりですが、一層言葉に気をつけていかなくてはと思いました。

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2017年2月 5日 (日)

オフ

普段は日曜の晩は実家に顔を出すのですが、私が罹患している可能性があり、潜伏期間を考えると、両親も高齢ですし、更には母は毎日祖母のところに日参してもいるので、念のため明日いっぱいぐらいまでは様子を見た方がよさそうだなと。
というわけで、今日はただただひたすらに引きこもっていました。
昨晩ゴホゴホ咳が出始め、ちょっとドキドキしましたが、今のところ熱も出ておらず、とりあえず大丈夫です。
もちろん、ちょっとでも怪しければ必ずお医者に行って検査しますので、その点は皆さまご安心ください。(万一罹患した場合はレッスンをお休みさせて頂くことになるかと思いますが、その際はまたご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。)

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2017年2月 4日 (土)

富士山は3776km!

長さの学習の中に、色々な物の長さに合う単位を書くという問題があります。
ハガキのたての長さや鉛筆の芯の太さ、教科書の厚さなどのほかに、1時間歩いた距離や東京から大阪までの距離などというような問題も出てきます。

その中に富士山の高さ「3776〔   〕」という問題があるのですが、東京から大阪まで400〔km〕と答えている子が少なくない割合で富士山にもkmを書くのです。
もちろん、まだkmの単位に慣れ親しんでいないので、ぴんと来ないこともあるだろうと思い、その他にも間違っているものなどは、その子がわかりそうな長さや距離を例に挙げたりしながら考え直してもらうのですが、富士山に関しては、東京大阪間を400kmと答えているような子にはこんな風に尋ねてみます。

「ねえ、東京から大阪までの間と、富士山の下から上までってどっちの方が遠そう?」

これを聞くとき、当然私は「東京から大阪まで」と答えてくれることを想定し、だから富士山の問題の単位がkmではおかしいと気づいてくれるはずと思っているわけですが、実は…

「富士山!」

と自信たっぷりに、もしくは少し迷いながら、そう答える子が少なからずいるのです。
実は今日のレッスンでも1年生の子が「富士山」と答えたのですが、きっと、子ども達は富士山は日本一高い山ということを何かで知っていて、日本一なんだから、東京大阪間よりそっちの方が高いに違いない!というような発想をしているのかもしれないなと思いました。

因みに、「いすの高さ40〔m〕」と書く子も割といるんですよ。(苦笑)

子ども達の発想はしばしば大人では思いもよらないようなものが出てくるので、本当にこの仕事は飽きることがありません。

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2017年2月 3日 (金)

植松努さんの講演会

今週のレッスンもどうにか終了。
といっても、今週はお子さん本人やご兄弟、おうちの方などの体調不良でのお休みが何件かあり、学校でも学級閉鎖などが出ているところも少なくないようですね。
来てくれている子達も風邪気味の子もいましたし、おたふく風邪から復活した子、インフルエンザだった子と、私も結構戦々恐々です。

さて、今日は直接仕事とは関係ないのですが、随分前にインターネットにあがっていた動画を見て以来、いつか講演を聞く機会があったらいいのになと思っていた方の講演会があることを友人が教えてくれました。

3月31日に神戸で、入場無料3000人というかなり大規模なものですが、もしご興味があれば、春休みですし、是非お子さんと一緒に(といってもあまりに小さいとお話がわからないかもしれませんが…。)いかがでしょう?

TEDの講演の動画のURLと、今回の講演会の案内のURLをお知らせしますので、もしよろしければご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY (TEDでの講演)

http://www.kokuchpro.com/event/kmp0331/ (植松努さんの講演会の案内)

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2017年2月 2日 (木)

どこがわからないのか

子ども達とレッスンをしていると、未だに想定外のことはよく起きますし、そのたび私も新たな発見をします。
以前通ってくれていた子は数の大小の学習で、どちらが「多いか」聞かれたらすんなり答えられるのに、どちらが「大きい」かを聞かれると意味が分からずできなくなってしまうというようなことがあり、さて、どう理解してもらうかなと頭をフル回転させました。

今日のレッスンでは、「~時前」「~時すぎ」の学習で、時計の長針がどうなっている場合が「前」でどうなっている場合が「すぎ」なのかを理解してもらおうとしたところ、なぜかなかなか噛み合わないということがありました。
普段も、問題を理解するまでに少し時間がかかるタイプの子なので、何度か繰り返したらわかるかなと、時計の教具を見せながら、針の位置を見てもらい、初めは私が言い、何度か繰り返してから子どもに尋ね、としていったものの、なぜかその時刻になる前か、なった後かを答えられるようになっても、例えば5時前という答えの場合「5時になる前」と答えられるのに、それが5時前か5時過ぎかで迷うというような感じのことが何度か繰り返されました。

これはもしかして「前」と「過ぎ」自体を何か勘違いしているのではないかと思えてきたので、紙に数直線のようなものを描いて、この位置にいたら前なのか後なのか(例えば6と7の間で7の少しだけ手前のあたりを指し、それは7の前なのか後なのかを尋ねるような感じで)尋ねると、それは迷わず「前」と答えられます。
そこで、今度は線を曲線に変えて、文字盤のように数字をいくつか書き、同じことを尋ねたところ、前か後か迷わなくなりました。
この子の場合、はっきりわかっていない間は「前?過ぎ?」というように、こちらに尋ねてくるような感じになることが多いのですが、絵を見て答えられるようになったところで再度時計の教具に戻り、短い針を見てもらって答えてもらうと、今度は連続で正解するようになりました。

この状態になれば大抵この子は大丈夫なので、プリントをしてみてもらったところ、ほぼ迷うことなく正解が続きました。

いつでも必ず突き止められるとは限りませんが、とにかく子ども達の表情がスッキリしていないときには、どこで詰まっているのか、できる限り突き止めるよう心掛けています。
大人にとっては当たり前で想像もしないようなことで引っかかっていることもありますから、そういう場面に出合うたび新鮮な気持ちになり、またひとつ勉強させてもらったなと思います。

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2017年2月 1日 (水)

不思議だけど。

前回のレッスンで割り算の筆算を学習した2年生さん。最初は意味がわかりにくそうで戸惑っていたものの、何をしているのかの意味がわかってからは、穏やかな表情で問題に取り組んでいました。

しかし、おうちで宿題をしようとしたところ難航したらしく、おうちの方から丁寧なメモが添えられていました。
とても真面目な子なので、一所懸命取り組んだのだと思うのですが、わからなくて涙してしまったと。

まあ、1回やっただけだから、忘れてしまったんだろうなと、いずれにしろ今日もまたすることになっていたので、様子を見ながら進めようと思い、おうちで泣いたということなどには触れず、いつものようにレッスンに入りました。

最初の課題を終えた後、割り算の筆算のプリントを出し、「この前1回しかやってないから、わからなかったら助けるんで、ちょっとこれ、やってみてくれる?」と1問だけ考えてみてくれるよう伝え、様子を見ていました。

すると、少し恐る恐るという感じでし始め、途中手が止まりました。ああ、ここで困ったんだなと思うところがあったので、「一つずつ見ていくんだったよね?」と1問だけ、1作業ごとに何をするのだったか尋ねながらやり進めてもらいました。
それができたのを見届けてから、「うん、そうそう。できたから、もう1問やってみてくれる?」というと、ゆっくりながら今度は自分でできました。そこで、もう1問、もう1問と進んでもらったところ、結局、前回より更に桁が増えたような問題でも、助けなしに解くことができました。

おうちではおうちの方が助け舟を出してもどうにもならず涙してしまったというのが信じられないぐらい、2年生としては十二分によくできていました。

でも、この子に限らず、おうちではできなかったといって持ってきたプリントを、教室でやってみてもらうと、何も助けなくてもできるということは珍しくないんですよね。
おうちではスイッチオフ、教室は勉強するところみたいな意識が、子ども達も気づかないうちに働いているのかもしれませんね。

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