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2017年1月31日 (火)

早くも変わり始めたかな。

先日から来てくれている1年生さんとのレッスン。
幼稚園がお勉強をさせるところで、その後も私立の小学校に進み、お話を聞く限りでは進度も結構速いようで、算数は既に2年生の内容に入っているようです。
ですが、体験レッスンをさせてもらったところ、一所懸命取り組んでくれているのはよくわかるものの、まだ1年生だというのに、習ったやり方を思い出そうとがんばっている感じが伝わってきて、楽しそうな雰囲気もありません。
先生が何か言ったら「はい」と返事をするように学校で言われているらしく、私が何か言うたび「はい」と丁寧な返事も返ってきます。ただ、返事をすることに意識が行って、どうも言っていることをきちんと聞けていないのではという気配も感じました。

そこで、学校では人数が多いからお返事しないと先生も困るかもしれないけれど、ここでは私は目の前にいるから、お返事しなくても顔を見たらわかっているかどうか大体わかるので、いちいち「返事しなくちゃ!」と思わなくていいよと伝え、それよりも話を聞くことに集中してほしいということも伝えました。
そして、とにかく答えを出さなくちゃ!と焦る風なのも、ここでは急がなくていいから、しっかり考えてと。

すると、恐らく素直で真面目な子なのでしょう。言われてすぐから、返事をするよりがんばって聞こうとしてくれているのは感じられるようになりましたが、これまで積み重ねてきたのであろう、じっくり考えるより焦って答えを出そうとする感じはなかなか変えられないようでした。

しかし、今週はレッスンの途中、また習った通りにやっているんだろうなと思うことがあり、それについて、できているからそれでもいいのだけど、問題によっては違う考え方もできるよという話を、その子と姉妹さん達との間でものをやり取りするようなたとえを使って話しました。
すると、それまではその子にとっては、ただの計算処理の作業でしかなかったものが、解く前に「えっと、これはぼくが○匹持ってて、Rちゃんに△匹あげて、Yちゃんに□匹あげるんだから…」と、なんだかニコニコ楽しそうに考えるようになりました。

この素直さがあれば、きっとこれからどんどん変わっていくのだろうなと、ちょっとワクワクしてきました。

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2017年1月30日 (月)

入試問題を見ながら

先日も少し書きましたが、このところ、難関中学や難関高校の算数・数学の問題をちょこちょこ見ています。
そして、そういう問題を見ていると、改めて感じることがあります。

いわゆる難関校、名門校といわれるような学校の、こんなの初見で解ける子なんているの?と思うような図形問題などを見ていると、要するに、そういう問題をどうにかして解くことができる子がほしいという意思表示なんだな、きっとと思うようになりました。

学校によって、男子校でも国語で長文で記述させる問題が多いような学校もあれば、女子校で面倒な計算問題などを多く出すような学校があったり、一見難しくても、閃くセンスがあるような子にはあっさり解けるんだろうなと思うような図形問題を出すような学校があったり・・・と、傾向が分かれたりしますよね。
それは結局、うちの学校にはこういうことができる子どもに来てほしいということなんだろうと。

で、何が言いたいかというと、もちろん一概には言えませんが、灘中など最難関の学校には、その学校の数学の入試問題を見て、初見でも何か糸口を見つけられるようなセンスがある子が進むのが幸せなんだろうなと。
そこまでのセンスがない、真面目な努力家タイプの子が、血のにじむような努力をして入試問題が解けるようになって、どうにか合格できたという子は、入ってからもずっと苦しい思いをするかもしれないなと。

もちろん、偏差値が高いとか、進学実績がいいとかそういうような理由ではなく、もっと何か熱い思いで絶対にその学校に行きたいのだと子ども自身が思っていて、その実現のために寝る間も惜しんで努力し続けて合格したというような場合は、努力も苦行にはならないでしょうし、入ってから努力を続けることも、楽しみを感じるかもしれませんので、あくまでも一般論ですが。

実際問題、長年子ども達と一緒に勉強をしている私は、灘中の算数で制限時間内に解いて合格点を取れるかどうか正直自信がありません。(灘高だと無理なんじゃないかと思います…。)
そんな問題を小6や中3で、限られた時間内で自力で解くことができるというのは、やはり努力だけでは補いきれないものがあるように思えるのです。
一番の悲劇はその子にとっては合わない学校、楽しく過ごせない学校に、必死で努力して入学してしまうことなのではないかと。

子どもの能力や成長スピードは本当に人それぞれですから、そのときその子にとってベストと思える選択をして、それぞれの子が充実した学校生活が送れる学校に進めるといいなと、入試のこの時期にしみじみ感じます。

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2017年1月29日 (日)

オフでした。

今日の一大イベント(?)は全豪オープンの決勝戦。
怪我明けのフェデラーとこのところずっと故障に悩まされ、調子が上がらず苦しんでいたナダルの、誰も予想しなかったカードでの決勝戦ということで、久しぶりにテレビの前で集中して観戦しました。

本当に見応えのあるいい試合でした。35歳でグランドスラム優勝というのも本当に感動的でしたし、強いナダルが戻ってきたのもとても喜ばしいことでした。

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2017年1月28日 (土)

ホントにイヤなんだな…。

先日からレッスンに来てくれている1年生さん。まだ1年生なのに、算数をしていて、まったく楽しくなさそうな様子が気になられたそうで、ご縁を頂いたのですが、体験レッスンをさせてもらったときにも、少なくとも平均的な子以上にできているのでは?と思ったものの、確かにずっとむすっとした表情をしていました。

それでも通ってくれることになり、レッスンでも問題には真面目にきちんと取り組んではくれるのですが、とにかくレッスン中は全く笑顔が出ません。初回のレッスンは、本当に算数が楽しくないんだなということはわかったという印象で終えたのですが、今週のレッスンでは、前回よりはほんの少しだけふっと一瞬表情が和らぐことがあったり、表情はむすっとしていても、前回より明らかに速く、よくできるようになったことがあったりと、既に小さな変化がいくつか感じられました。

しかし、そういえば前回もそうだった気が…と気づいたことがありました。
計算式だけが書かれたプリントに取り組んでいるとき、おさらいの内容なので問題数も半分以下に減らしているにも関わらず、ろくに呼吸をしていないのでは?と心配になるぐらい、なんだか体に力が入っている印象で、苦しそうに息をしているのです。
まだ1年生なのに、少なくとも現時点では、そんなにもイヤなんだなということがひしひしと伝わってきて、なんだか申し訳ないような、気の毒なような気持ちになりました。

それでも真面目に取り組もうとしてくれるし、レッスンが終わればニコニコ本当に可愛い顔をする子なので、できるものなら少しでも楽しいとか嬉しいとか感じてもらえるよう、考えていかないとなと思います。

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2017年1月27日 (金)

今週も謎。

先週、レッスン時間の大半をかなりの不調な状態で費やしてしまった1年生さん。今週はどうだろうとちょっと心配していたのですが、来るなり表情がなんだか危険な雰囲気を漂わせていました。
挨拶しても普段と違ってほとんど声が出ておらず、席についても目に力なし。これは先週の再現か?!(汗)

そう思っていたものの、実際に問題をやり始めると、先週とは打って変わって、かなりよくできています。
しかし、それでも表情はぼんやりしたまま、眠いのか、機嫌が悪いのか、一体何?という感じでした。

それでもできているからまあいいかと思っていたところ、長さの単位換算の問題の中で数問間違っているものがありました。
単位換算は間違っていると言われたら、直すのは0の数を変えるとか、やれることが限られていますから、普段からなるべく「これが違う」と問題を教えてしまうのではなく、何問かを指して、このうち1つ違っているとか、全部の中で2つだけ違うのがあるとか、そういう感じで全体を見直すなどしてもらうようにしているのですが、下の方の3問のうち2問間違っているところがあったので、それを伝えると、1問はすぐ直ったものの、2問目が迷宮入り。
そのうち、さっき直した問題までまた元に戻ったりと、完全に迷走し始めました。

一旦リセットしようと、そのプリントは横に置いておいてもらい、ほかのプリントをやってもらったところ、単位換算が分かっていなければできないようなものをスイスイとクリア。そこで再び戻ってもらったところ、1問はすっと直ったものの、もう1問はやはり迷走。

再び違うプリントを2枚ほどやってもらい、十分できていたので「試しに戻ってみよか」と戻ってもらったのですが、やはりダメ。
と言っても、それは「505mm」を「50cm5mm」に直すというだけのもので、それに似たような問題は全部できており、更には28cmは280mmなども解いており、どちらが長いか尋ねると、それも答えられ…という状態なのに、どうしても正解に辿り着きません。

途中一度「50cm5mm」と書いたのにすぐ消して、「5cm5mm」に戻してしまったので、とにかくこの「おかしいスイッチ」をオフにしてもらうために、定規を渡して5cm5mmがどこか尋ね、それが505mmでないことを確認したのですが、それでもダメ。
仕方がないので、ほかはできているし、おかしくなっているのはその1問だけということもあり、最終手段として、mmの目盛りがついた巻き尺を渡し、505mm分出して確かめてもらうことに。

最初にその子が指したのは、なぜか20cmあたり。どうしてこの問題だけそこまでおかしくなっているのかわからないまま、とりあえず100mmがどこか考えてもらい、それができたところで再度考えてもらったところ、ようやく50cm5mmのところを指でさしたので、さすがに気づいただろうと、答えを書き替えるのを待っていたのですが、そのときは永遠に訪れず、そこには、ぼんやりした表情のままのその子と、「5㎝5mm」と書かれた答えが……。

ほかは全部きちんとできていたので、今日はその問題は諦めることにして終了しましたが、本当に謎…。なんだったんでしょう。

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2017年1月26日 (木)

中にいると気づかないのかも

去年の秋頃だったか、もう少し前かに教室の近所に食パン専門店ができました。
お近くの方はご存知ではないかと思いますが、元は不動産仲介の店舗が入っていたところに、記憶にある限りでは恐らく内装はほぼ何も触らず、看板だけを付け替えてのオープンでした。
ですが、そこで作っているわけではないだろうなという感じのお店で、その上、食パン1種類のみの扱い。それをシルバーのメタルラックに並べて売っているような感じで、なんというのか、無機質な印象の店舗に並んだ食パンにはあまりそそられませんでした。

最初は1本売りしかなかったので、ひとりの私は美味しく食べきれる量ではないしなと思って買えずにいましたが、そのうち0.5斤でも売るようになったので、一度だけ買ったことがありました。
いいものを使って作ってあるそうなので、もちろん美味しかったのですが、そのお値段なら美味しくて当然よねという程度のお値段でしたし、お気に入りの食パンはそれよりはお手頃なのに同等かそれ以上に美味しいので、二度目を買うことはありませんでした。

その後、陳列を少し変えたり、お店の前に立て看板を出したり、お店の方が店頭に立って声をかけたり、試食を用意したりと、あれこれ工夫しておられるようでしたが、通るたび、なんだか親しみも感じないし、食べ物を扱っているお店って感じじゃないし、なんだろなぁ…とモヤモヤしていました。

すると、つい数日前、シャッターに閉店のお知らせが貼られていました。
どうやらずっと苦戦していたようですね。

で、今日のレッスンでお子さんをお迎えに来られた保護者の方と少しお話をしていた時のそのお店の話になり、その方もお店の見た目に同じようなことを感じておられたことがわかりました。

私は知りませんでしたが、関西では高級食パンンがちょっとブームだそうで、だとすれば、売り方次第では何とかなったのではないかという気もしなくはありません。
食パンだけであれば、そこで焼いていますという飾らない店構えでも、「作っている感」が伝われば、それもありだと思いますし、そうでなければ、天然酵母やらなんやらを使ったこだわりの…というからには、木を使ったり、草花を飾ったり、色合いをもっとナチュラルにしたり(壁紙は白、ラックはシルバー、お店のカラーは山吹がかった黄色でした。)、何かもう少しできることはなかったのかなと。

ただ、お店の方たちは1本売りだったものを小分けでも売るようにしたり、最初は扱っていなかったジャムなども扱うようになったり、立て看板や試食用のパンを置いたりと、あれこれ考えておられたようですから、何も考えていなかったわけではないだろうとも思います。
でも、私もその保護者の方も同じような印象を持っていたわけですから、中にいるから気づけなかったことなのかもしれません。

そういう意味では、私もずっと自分で教室をしていて、最近はちょっとずつ教材も作ったりしていて、中にいるから見えていないことがあるのかもしれないと、少し不安になりました。
ご助言頂いても、その通りに変えられるかどうかはわかりませんが、保護者の皆さまで、もし何か気になっておられたり、ここをもう少しこうしたらどうかしらと思っておられたりすることがあれば、教えて頂けるとありがたいです。

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2017年1月25日 (水)

安心した顔

子ども達とレッスンをしていて、塾講師の頃と大きく変わったことの一つに「わかった?」と聞かなくなったことがあります。
もちろん、ある程度の人数を一度に指導するスタイルの塾だと、全員の顔をじっくり見ることは難しいかもしれませんから、そういう塾や学校の先生方が、子どもに対してそういう問いかけをするのも仕方ないところはあるだろうと思います。
ただ、うちのように一度にごく限られた人数の子としかレッスンをしないスタイルだと、わかったかどうかを子どもに尋ねるまでもなく、子どもの表情や手の動きなどを見ていると、どの程度理解したかほぼわかります。
仮に口では分かったと言っても、表情や問題を考えているときの手の動きを見ると、これは本当にはわかっていないなと感じるようなこともありますから、仮に「わかった?」と尋ねても、注目すべきはその答えではなく、それを答えているときの表情なのではないかとも思っています。

今日のレッスンで、普段から真面目に一所懸命取り組んでくれる2年生さんと、割り算の筆算をすることになりました。学年からしても、過去の経験からも、割り算の筆算は、わり算の暗算がきちんとできる子であっても、最初からすんなり理解してくれる子は少ないので、「何問かやってみるから、見ておいてね。」と声をかけて、本人の表情の変化を見ながら進めることにしました。

すると、静かに私の話を聞きながら、解いている様子を見ていたその子が、私が3問目を解き始めたとき、問題をしようとしたので、表情の変化は見えなかったものの、手を動かそうとしたということはわかったのかな?と、とりあえずやってみてもらうことにしました。

しかし、いきなり悩んでいるようで、すぐに手が止まりました。「これ、どんなふうにしてたっけ?」と先ほど私が解いて見せた問題3問を指したところ、じっと見て、何か考えているようで、しばらくして少しだけ手が動いたものの、表情はやはりなんだか不安そうな、すっきりしていないままでした。

これは私が言ったことが通じていないなと思ったので、紙に10円玉と1円玉を問題に合うように書いて見せて、十の位の数を10円玉の数、一の位の数を1円玉と確認してから、「まず10円玉を分けたら、ひとり何個ずつになる?」というと、きちんと答えられたので、「うん、そう。その数をここに書いて、3人に2個ずつ配ったら6個使うから、その数をここに書いてるの。」というように、具体物でイメージできる説明に変えたところ、先ほどとは表情が変わり、ちょっと安心したような穏やかな表情になりました。

その後は止まるたび、何度か「10円玉何個になる?」とか「全部で何円残ってることになる?」というように尋ねるだけで、先に進むことができ、そのうちなにも助けなくても、落ち着いて問題を解いていくようになりました。
意味が分かってしまえば、割られる数が3桁になっても、余りが出ても、説明は必要なく、解いていってくれました。

その姿を見ながら、学校や一斉指導の塾などでは、先生が説明をして「わかりましたか?」と尋ね、返事が返ってきたらわかったものだと思って進んでいく、その中で、こういうもやっと感を抱いたまま、やり方だけ真似てなんとなく答えを出している子達が少なからずいるんだろうなと思いました。
それを繰り返すうち、とりあえず答えを書いて、大人の顔を見て、合っていそうかどうかを探る癖がついてしまう子も少なくないのだろうなと。本当に考えて解いているときには、その答えが合っているかどうかについて他人の表情をうかがう必要などないはずですから。

子ども達の安心した顔、納得した顔をきちんと見届けることを、これからも心にとめていきたいと思っています。

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2017年1月24日 (火)

持って生まれたもの

先日、インターネットで目にした記事で、運動能力に限らず、知能なども環境的要因によるものより遺伝的要因によるものの影響が大きいというようなものがありました。
ただ、この「遺伝的要因」というのは、親から子に、親の能力が遺伝するという意味ではなく、持って生まれた遺伝子の影響を強く受けるというような意味だとか。
ざっと読んだだけだったので、その研究結果の信頼性がどの程度なのかはわかりませんが、教室の子ども達を見ていると、確かに「持って生まれたもの」で少なくない部分が決まっているのではないかとは感じます。

昨日も書きましたが、私自身は空間認知には長けていなくて、そこは努力してもある程度までしかできるようになりませんでした。ただ、思い返してみると、勉強に関しては小中学校の間はあまり苦労をした記憶はありませんし、スポーツも、特に努力しなくてもほとんどが人並み以上にできました。もちろん、その分人が簡単にできることで苦手なことも色々ありますが、それらはどんな環境で育ったかというよりは、持って生まれたものの影響が強いような気がします。

教室の子ども達と算数をしていても、ああ、この子はこんなに小さいのに頭の中で展開図を組み立てられるんだなぁと感じる子や、ほとんど何も説明していないのに、いともたやすく繰り上がりや繰り下がりを理解し、大きな数でもスイスイ解いていく子がいる一方で、一所懸命取り組んでいるのが伝わってくるのに、なかなか思うように成果が出ない子もいます。

それでも私は、ここに来てくれる子達とは、その子が今よりできるようになった、成長したと感じられる機会を少しでも多く作れたらいいなと思いながら、レッスンをさせてもらっています。

今日は、数量感覚に優れているなぁとしみじみ感じる1年生さんとのレッスンがありました。
つい先日から長さの学習を始めたばかりなのに、mm、cm、mの3つの単位の単位換算をほぼノーミスでスイスイと解いていくのです。mをmmに直すようなものでも、きちんと考え、迷いなく答えを書く様子は、見ていてしみじみ感心するものがありますが、この子は展開図はこれほどには得意ではないようです。
小さいうちにしっかり考えて問題と向き合っていくことで、その子が得意なことが何か、苦手なことが何か、早いうちからある程度見極められるのかもしれません。(それによって、得意なことに力を入れるか、苦手を早目に克服するよう努めるかなど、方針も立てやすくなるかと思います。)

これは、小さいうちから単に先取りで訓練のように問題をこなしていくことでは、なかなか気づけないことなのではないかとも思います。
そういう意味でも、小さいうちは量をこなさせるより、スピードを求めるより、少ない量の問題をじっくりじっくり考えるという取り組みが大事なのではないかなと思っています。

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2017年1月23日 (月)

諦めるか苦行に耐えるか。

私は算数や数学は好きですが、空間図形などの問題に関しては、残念ながら持って生まれた能力があまりないので、展開図を組み立てたり、図形を回転させたり、切り開いたりなどの作業を脳内でイメージすることはとても苦手です。
苦手であっても、これまでに実際に見たことがあるものや、経験から想像できるものなどは、ある程度考えることができますが、子ども達を見ていても、そういう能力に長けた子達は、理屈抜きに頭の中でイメージし、操作できるようですから、それに関しての能力差はとても越えられない高い高い壁があるように感じます。

そんな私は、中学受験のある程度以上のレベルの問題や、高校受験の中堅や難関校、特に男子校などの図形問題になると、これまで出合ったことがあるようなものでなければ、紙の上だけで解くのはお手上げになってしまうことも少なからずあります。
事前に予習をするので、その段階では経験したことがないものは実際に紙を切ったり、物を使って動かしてみたりして確かめられるものは確かめ、それをしたことによってようやく、「どう考えればいいのか」を考えることができるようになります。

つまり、私のようなタイプの子(主には女の子に多いようですが。)が図形の問題、特に移動などを伴う問題を入試など時間も使えるものも限られた場で解かなくてはならない場合、その分野は諦めて他の分野でより確実に得点できるように努力するか、1問でも多く、あるとあらゆる図形の問題を試験までに大量にこなし、経験を蓄積させるかのどちらかの判断が、ある程度の段階で必要になってくるのだろうなと。

まあ、詰まるところ、大手の十学受験塾などが膨大な量の問題をこなすことを求めるのは、見たことがない問題を極力排除する目的と、本当にあれだけの量を全てこなす力があれば、勉強が苦手な子でもそれなりに試験では得点できるようになるよという目安のようなものなのかもしれないなと思います。

とすれば、例えば空間認知の能力が高い子は初見でも脳内でイメージできる可能性が高いということであれば、そういう子達はその分野はピックアップして問題に取り組むだけでいいでしょうし、私のようにその分野は苦手だとわかっていれば、その分野の出題の配点が少ない学校を選ぶか、その分野を諦める代わりにほかの何でその分の得点をカバーするかを考えるなどの事前の計画もできるのではないかと思います。

算数に関しては恐らくその分野が一番能力差が出るところなのではないかなという気もしますので、苦手なのにそこに時間を注ぎ込むのがいいのか、苦手なら最低限できそうなものは手を付ける代わりにほかの何に時間を注ぎ込むかを考えるのがいいのか、それは塾ではなく、ご家庭で考える必要があるところなのかもしれないなと、難関校の数学の入試問題集を見ながら感じました。

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2017年1月22日 (日)

オフ

今日は全豪オープンでマレーもすごい試合をし、錦織くんとフェデラーもまた見ごたえのある試合で、外出するつもりがタイミングを逸し、教材を作りながら晩までずっと家にこもっていました。
しかし、毎度毎度、今回の内容はそんなにてこずらないはずと思っても、その思いは見事に裏切られ(単に私の読みが甘いという話もありますが…。)ずっとパソコンをにらみ、マウスをクリックし続け、嫌になったら休憩でスマホを見てと目を酷使し続けている休日でした…。

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2017年1月21日 (土)

なんでやねん!(笑)

ご用があって先週はお休みだった2年生さんとのレッスンでのこと。
この子は算数のセンスは結構ありそうなのですが、面倒なことはとにかく避けて通りたいタイプ。問題が難しそうに思えると、考えるスイッチは完全オフになり、もうそれはそれはあてずっぽうの答えを繰り出してきます。
それでもまあ、最終的には理解して、理解するとちゃんと考えるようになるの繰り返しという感じで進んできています。
そんな彼女も2年生ながら前々回から割り算の学習に入っていて、割り算は簡単らしく、いい感じに進んでいました。
1週空いたものの、「うん、わり算はできると思う。」と明るく問題に取り組み始めました。

実際、考え方はわかっているようで、できているのですが、どうしたことか学校で九九の暗唱をさせられた結果、掛け算が怪しくなっていました!!!(汗)
声に出して唱えるもので、間違っていても気づくからよいのですが、「しいちがし、しにがはち、しさんじゅうに…」と唱え始めると、4の段は必ず「しろくにじゅうし、ししちにじゅうし」と唱えます。
そのたび「なんでにじゅうしが2回出てくるのよ!」とツッコミ。それでも毎回「ししちにじゅうし」になります。
更には、「しちいちがしち、しちにじゅうろく」と、なかなか珍しい間違いです。(苦笑)

忘れても考えたらわかるでしょ?4の段は4ずつ増えていくし、7の段は7ずつ増えていくんでしょ?と言っても、一度暗唱モードに切り替わってしまったら、戻ってくる気がない様子…。
天才系の子はやっぱりなかなかユニークです。

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2017年1月20日 (金)

謎のスイッチ

今日のレッスンにやってきた1年生くん。
入ってくるなり目に力がなく、寝起きなのか、泣いた後なのか、なんだろう?という表情をしていました。
目を見て挨拶をしても返事が返ってこず、レッスンを始めて、何か勘違いしているようだったので声をかけても耳に届かず、打っても全く響かない状態が延々と続きました。

調子がいいときにはかなり算数のセンスを感じる子なのですが、今日はそんな調子なのでいつもの半分も進みません。眠いのか尋ねても首を振り、泣いたのかと尋ねても首を振り、前回絶不調で私やおうちの方にあれこれやいやい言われたのが嫌でそれを引きずっているのかしらと思ったりしつつも、なかなか状況を打開できず、ノロノロペースで進んでいました。

しかし、何があったわけではないのですが、レッスン終盤近くなって突然ふっと表情が緩み、なんというか生気が戻ったとでもいうのでしょうか、やっと目に力が宿ったような気がしました。と同時に、突然いつものペースで問題を解き始め、さっきまでは何を答えるにも蚊の鳴くような声だったのが、はっきり大きな声が出るようになりました。
そこからの15分はそれまでの45分を上回るぐらい調子よく進みんだのですが、あまりの急激なスイッチの切り代わりにびっくりしました。
それも、何がきっかけだったのか全くわからず(実際、普通にプリントに向かっていたその子の表情がある瞬間にふっと変わっただけだったので、声をかけたわけでもなく何か働きかけたわけでもなかったので)、驚いて思わず笑ってしまうほどでした。

この子のスイッチは一体どこにあるのか、なんとか発見できないものかと結構切実に思います。

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2017年1月19日 (木)

できることが増えていく

大人は歳を重ねるたびだんだんとできることが減っていくというようなこともありますが、子ども達を見ていると、さっきまでできなかったことができるようになったり、この前までちんぷんかんぷんだったことがすっかり落ち着いて解けるようになったり、どんどんできることが増えていく姿を目にします。

今日のレッスンでも、夏に来たときには学校で習っていることさえも理解できていなくて困っていた1年生さんが、目の前で100までの繰り上がりのあるたし算を考え、教具を見ながら100までの引き算にも進んでいく様子を見て、やっぱり子どもってすごいなぁと思いました。

その子は数に関しての能力はやや弱いのかもしれません。(でも、子どもはあるとき突然変わったりもしますから、まだ何とも言えませんが。)20までのたすひくも、まだスラスラとは行きませんが、初めの頃を思えば、正解率は見違えるほど上がりましたし、答えが出てくるまでの時間も、え?もうわかったの?と思うほど速いときもあります。
そして、何より大きな変化だなと思うのは、20を超えて100までの学習になっても、頭の中で数を思い浮かべようとする姿が見られるようになったことです。指を折って数えたり、自信がないのに適当に書いてこちらの様子を見てくるような、以前の姿を見ることはなくなりました。
この子の中で少しずつ、自信がついてきている、わかるというのはどういうことなのか、かんがえるというこはどういうことなのか実感し始めている、そういうことなのかもしれないなと。

一度そうなれば、後はまず安心です。ペースは子どもによって違いますから、これからもペースはゆっくりかもしれませんが、きっと着実に進んでいってくれるだろうと思います。
半年後、1年後、更にどんな成長を遂げているか、ちょっとワクワクします。

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2017年1月18日 (水)

できると好きは違うんだなぁ

小学生の頃から通ってくれていて、今は中1になる女の子がいます。
彼女とは小学生の頃は算数を、そして今は数学を一緒にしていますが、小学生の頃も結構よくできていました。
それでも本人は算数や数学はあまり好きではないそうで、問題を考えているときにしばしば、なんでそこまで?というほど仏頂面になったりします。

今日のレッスンでも、なんだかふてくされているような表情で連立方程式の利用の問題を考えていました。
キライだとかめんどくさいとか言いながらも、ほとんど説明なしに式を作っていきます。
そして、連立方程式の利用の中でひとつのパターンでもある、生徒数の増減に関する問題を考えることになりました。
その問題も式はほぼ手助けすることなしに作ってしまったので、では解いてみてと言って、答えを書き終わるのを待っていました。
その問題というのが、昨年の男子生徒、女子生徒をそれぞれx、yと置かなければ式が作りづらいものの、問われているのは今年の生徒数であるため、x、yを解いた後、更に計算をせねばならないというものです。
この類の問題を初めてする子は、たとえ数学が得意な子であっても、しばしばx、yで出てきた数をそのまま答えてしまうということが起こります。
この子は数学が好きではないとはっきり言っている上、ちっとも楽しくなさそうに取り組んでいるので、ひっかかるんじゃないかなと思って見ていたのですが、何事もなく、当然のように、出た答えを更に計算し、きちんと今年の生徒数を答えました。

この問題、昨年の生徒数をそのまま答えてしまうというパターンはかなりありますが、そうでない場合、問われているのが今年の生徒数なので、今年の男子生徒、女子生徒をx、yにして式を作ろうとして悩む子もいるわけです。
しかし、彼女は私が何も言わなかったのに、昨年の男子生徒、女子生徒をx人、y人とするということを書いており、式もきちんと作った上で、問われている今年の生徒数を答えたのです。

それを見届けてから、「すごいなぁ。ひっかからんかったね。それ、そのまま答える子多いのに。」と言ったのですが、嬉しそうにすることもなく、相変わらず楽しそうにも見えず…。(苦笑)

こんなにしっかり考えることができても好きではないんだなぁというか、好きでもないのにこんなにしっかり考えられるんだなぁと、そのことに感心しつつ、改めて、できると好きは別物なんだなぁと、彼女を見ているとしみじみ感じるのでした。

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2017年1月17日 (火)

1.17

あの日から22年になるそうで、生まれたばかりの子も大学を卒業するほどの歳月が過ぎたわけですね。
当然、教室に通ってくれる子達で震災を経験している子はひとりもいませんし、保護者の方もまだ小学生や中学生だったという方が増えてきました。

私はありがたいことに、自宅が修復不能になった以外は家族も近しい友人知人もみんな無事だったので、22年も経つとあんなことがあったんだなぁと思い出す程度になってしまっていますが、大事な人を亡くされた方達にとっては何年経っても悲しさ、寂しさを一層思い起こされる日なんだろうなとも思います。

ただ、報道の中などで「あの日を忘れない、忘れてはいけない」というような表現を使っているものを何度か目にし、なんとなく心に引っかかりました。
被災者自身が言った言葉だったり、被災経験のない方達が「忘れない」と言ってくださる分にはいいのですが、被災された方の中には忘れたいと思っている方もおられるのではないかなと思ったりもするのです。忘れたいほど悲しい思いをした方はできることなら忘れて頂きたい、そんな風にも思います。

私にとっては、あの震災があったから今があるとも言える、人生の転機のひとつですから、貴重な経験だったのだと思っています。
その割には毎日ダラダラと無駄に時間を費やしてしまうことが多く、自己嫌悪の毎日ですが、また明日から少しでも成長できるよう頑張っていきたいと思います。

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2017年1月16日 (月)

教材を作りながら

私はこれまで生きてきて、直接知人や友人でLGBTの悩みを相談されたり、告白されたりした経験がありません。

ですので、算数の問題を読んでいて、男子女子という表記があっても特に意識することもありませんでしたし、教室で取り組んでもらう問題の中に、表を作るような問題が出てきて、子どもによっては男子と女子が重なるような表(本来は大人・こどもと男女の区別がある表で大人の男、男の子というような区別をするものなのですが、表の作り方に迷って、大人の子ども、男子で女子というような表を作ってしまう子がいるのです。)を作っているのを見ると、軽い気持ちで「男子と女子が重なるって、男女?女男?何それ?」みたいなツッコミをしていたこともありました。

ですが、今日教材を作っていてふと、もしかするとこんな何でもない男子、女子の表記さえ、自分はどっちなんだろうと悩んでいるような子にとっては心を痛めるものなのかもしれないなと、ふと思いました。

また、家族調べというような問題で家族の人数などについてグラフを作るような問題も、親を亡くした子や何らかの事情で親と離れて暮らしているような子は、問題を見ながらちくっと心が痛んだりすることもあるのかもしれないなと思ったりもしました。

もちろん、誰も傷つけないように言葉や表現に気をつけるというのには限界があるでしょうし、少なくとも今の日本では小学校・中学校などは男女の区別はつけられているのが当たり前でしょうから、そこまで気にする必要もないのかもしれません。
ただ、そういうことに気づく、意識するのと、全く気付かず、意識もしないのとでは、何か違うかもしれないとも思いました。

自分の中にある常識は時に少数派の誰かを知らず知らずのうちに差別していることもあるのかもしれない。
そんな何かに気づいたら少しずつでも変わっていけたらいいなと思います。

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2017年1月15日 (日)

オフでしたが。

今日はなかなか思うように進まない教材作成をちまちまと。
それにしても、プリントやワークブックとして何も思わず使っているものも、作る側になって初めて気づく色々な苦労があるものだなぁと、毎度毎度思います。
まあ、パソコンや図画作成ソフトなどを使いこなせる方ならかなり違うんでしょうけど。

あっという間に1月も半ばですね。そして、今日は極寒でしたね。
明日は少しは寒さが緩むことを祈ります。

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2017年1月14日 (土)

嬉しいと感じてもらいたい。

教室に来てくれる子は、算数が好きな子もいれば、そうでもない子、興味がない子と、色々な子がいます。
算数が好きな子に問題に取り組んでもらうのは容易いことですし、仮に算数が苦手であってもできるようになりたい、わかるようになりたいという気持ちがある子に取り組んでもらうこともさほど難しいことではありません。(苦手な子に算数ができるようになってもらうのはもちろん簡単ではありませんが。)

ですが、興味がない子、嫌いな子に楽しいと思ってもらうのはとても難しいことです。
嫌いでもできる子もいますし、興味がないけどとりあえず…という感じで取り組む子もいます。

ここ数年はそういう子に出会うことがありませんでしたが、以前にはどれだけ働きかけても考えることを面倒がり、やり方を教えてと言い続けた子や、考えずに適当に答えを書いてはこちらの顔をちらちら見てくる癖が抜けなかった子もいます。
そういう子には何度も話はしますが、どうしてもやり方を教わって、それを覚えて解くのがよければそういう塾や教室はたくさんあるから、おうちの方にお話ししてあげるよというような話をしたこともあります。

好き嫌いは理屈ではない面が多いように思うので、外的な働きかけで変えられるのは僅かなのではないかと思うのです。
ですから、好きになってもらえないとしても、うちに通ってもらうからには考えてわかったら気持ちいいとか嬉しいとか、そういう経験をしてもらえたらと思っています。そういう経験を積み重ねれば、少しでも好きになってもらえるかもしれませんし、楽しいと感じてもらえることもあるかもしれないからです。

年末に体験に来てくれて今日からレッスンが始まった低学年さんは、体験レッスンをさせてもらった限りでは結構よくできている印象でした。しかし、おうちの方のお話では取り組んでいても楽しくなさそうだということで、実際に体験レッスンをしている間も、確かに楽しくはなさそうだなという印象でした。
そして、今日のレッスンが始まっても、やはりできているのにほとんど表情が変わることもなく、笑顔がほとんど見られません。今日のレッスンはおさらいの内容だったこともあるのかもしれませんが、なんだか申し訳ない気持ちになるぐらいでした。

ですが、レッスン終盤にやってもらったある問題が、序盤にやったときには結構苦労して、間違いも多かったのに、あっという間にできた上、きちんと正解だったので、ちょっとびっくりして
「え?もうできたの?すごい、全部合ってるよ。めちゃくちゃ速かったよね?」
と、思ったままの言葉をかけました。
すると、今日のレッスンで初めてではないかと思うのですが、ほんの少し表情が緩んで嬉しそうに見えました。

個人的に、やる気にさせるために、思ってもないのに口先だけで褒めるということはできないので(そういうのは子どもはちゃんと見透かしていそうな気がするので。)、テクニック的に使うことはできませんが、すごいな、よくできるなと思うことを見つけたら、心からの言葉で褒めることで、算数がすきではない子でも少しは楽しいと感じてくれるようになるかもしれないなと。もっと意識していかなくてはと思いました。

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2017年1月13日 (金)

ホント面白い。

「7歳になった」からお兄ちゃんになったと本人は言っていましたが、まだまだ幼さの残る1年生くん。
コンディションによって出来がかなり左右されるのも、幼い子にはよくあることです。
そんな彼が今日はレッスンが始まるや否や、これまで最高ではないかというぐらいハイテンションでおしゃべりを始めました。最初は教具を使って模様を作ってもらう課題だったので、とりあえず手は動いていましたし、あまりにも楽しそうだったので、教具を使う課題が終わるまではまあいいかと、手が止まらない限りはあまりおしゃべりを遮らないようにしていました。

しかし、ここまでテンション高くおしゃべりし続けると、これはレッスンの途中で突然がくんと来るのではないかと心配になるほどだったので、「そんなに張り切っていっぱいおしゃべりしたら、途中で疲れて眠くなるかもしれないよ。」というと、本人も少しは感じていたのか「あ、途中でできなくなって泣いちゃうかも。」と。(笑)

本人もそう言ったので、「じゃあ、そろそろおしゃべりおしまいにしようか。」と切り上げさせて、その後宿題の直しをしてもらうことにしました。
すると、1枚は直し終わったものの、2枚目の直しになった途端、明らかに表情が変わりました。もうスイッチオフになったようです。(汗)
頭が働かなくなり、ほどなく泣きそうな表情に。

ああ…もっともっとおしゃべりを早く止めるべきだった…。

その後プリントを変えたり、問題の順を変えたり、教具を使ったり、様子を見つつ進めていましたが、前回までのその子であればさほど苦労することなくできるはずのものでさえも苦戦し続け、いっこうに表情は戻りません。
今日はこのまま最後まで行ってしまうんだろうか…と不安になりかけた頃、表情が和らいだのを感じました。

お?

そう思いつつ、1問できたので、つぎのもんだいを尋ねると、明らかにそれまでと反応も表情も変わり、ようやくはまり込んでいた穴から抜け出せたようです。
明らかに顔が明るくなっていき、そのうち笑顔になり、声もしっかり出るようになりました。

小さい子って本当に面白いですね。
まだまだ体力も十分ではなく、学校に行った後こちらに来てとなると、学校での疲れ方によってはもうパワーが残っていないなんて日もあったりしますし、絶好調だったのに全くできなくなったり、絶不調だったのに、あれ?どうしたの?というぐらい突然調子を戻したり。

大人になるとそこまでの急激な落差はなかなか経験しませんから、いつも新鮮な気持ちになります。
この子も体力がついて、精神的にも成長していくと、きっと更に安定してできるようになっていくんだろうと思いますので、今はこのギャップをなるべく楽しみつつ、見守っていけたらなと思います。

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2017年1月12日 (木)

先入観は禁物

私は教室を始めてから、何度も何度も、それまでの「常識」を子ども達に書き換えられるということを経験しました。

教育学部で学び、家庭教師のアルバイトをしたり、その後塾講師をしたり、色々な形で子ども達と学んできていたというのに、この年齢でこの問題は難しすぎるのではとか、これは説明しないと解けないんじゃないかとか、それまで当たり前に思っていたことがかなり思い込みだったことに気づきました。

教室を始める前、ある教室を見学させてもらったとき、まだ2年生だという子が3分の1時間は何分だとか、10分の7時間は何分だとかを、式を書くでもなく時計の文字盤を見つめて答えを出してしまう姿を見て、え?どういうこと??と本当に驚きましたが、今の私にとってはそれは全く不思議ではないことになりました。

算数で苦戦しているという子でもほとんどの子が、大量に反復させるなどしなくても、きちんと理解しながら進んでいくことで平均かそれ以上にできるようになっていく姿も何度も目にしてもきました。

そんな経験を色々したことで、私の中での算数に関しての「常識」は一般的な大人とはかなりかけ離れてしまったかもしれませんが、できるはずと思っていると、実際にできるということは多々あるのです。
ですから、できるだけ思い込みを排除するよう心掛けてもいます。

それなのに、今週のレッスンで久しぶりに、ああ、勝手に思い込んでたなという出来事がありました。
これまでその内容を学習した子は記憶にある限りほぼ例外なく助けが必要でした。もしかすると、随分前に算数が抜群に得意だった男の子がひとりかふたりノーヒントで解いたことがあったかなぁというぐらいで、少なくとも女の子でノーヒントでそれを解いた子はいなかったように思う問題をやってもらうことになりました。

そのため、どの子にもそれをするときに手助けになるようにと準備する細長い紙も前もって用意していたのですが、その紙を必要としない問題もあったので「まずはわかるところを考えてみてくれる。わからなかったら助けるから。」と声をかけて、いつものようにプリントを渡しました。

すると順々に問題を解いていき、いよいよ多くの子が悩む問題に辿り着きました。様子を見ていると何か考えていそうな感じもあったので、まずは黙って見ていたところ、1問目を正解し、少し違うパターンの2問目もまた、図を見つめながらしばし考えて正解。
それを2問連続で正解したということは恐らく気づくべきことに気づいているんだなと、そのまま何も言わずに進めていったところ、その後に同じような問題が出てきても、全てノーヒントで解いてしまいました。結局用意した紙の出番はなし。私の説明も一切必要なし。

そうか、できる子はできるんだなと、これまで助けが必要な子が圧倒的に多かったため、経験上私の中に先入観が出来上がっていたんだなと気づかされました。

絶対とは言いませんが、子どもは敏感で繊細なので、こちらがこれはできないと思っていると、それが影響を及ぼしてしまいそうな気がしなくもありません。
子ども自身が感じ取らなかったとしても、指導者側ができのいい子達と思って指導するのと、できの悪い子達と思って指導するのとでは、そこにいる子ども達は同じでも学習の成果が違うという、ピグマリオン効果というものがありますから、少なくとも私はこの子はできると思って指導する方がいいのは間違いないだろうと。

気をつけていても、気づかない先入観を持っているもんだなと改めて気づかせてくれたその子にも感謝です。

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2017年1月11日 (水)

意識するかどうか

ここ最近、もうかなりいい歳になっていながら、え?そうだったの??ずっと勘違いしてた!とか、へぇ~、考えたことなかったわ!とか感じることが続いています。

こんな告白をするのは、どんだけ物知らずなんだと思われそうで、なかなか恥ずかしいものがありますが、ひとつは「おかしらつき」。
多分物心ついた頃には既にその言葉は知っており、またそれがどういうものを指しているのかもわかっていたのではないかと思います。
しかし、つい先日SNSで友人が「尾頭付きやん!」と書いているのを目にし、え?変換ミス??と思いながらも、生まれて初めて調べてみたところ、「おかしらつき」は「尾」と「頭」両方が付いているという意味だったのだと、生まれて初めて知りました。

耳から聞き覚え、「おかしら」というのは頭に接頭語の「御」をつけて丁寧な表現にしているのだと、ずっと信じて疑ったことがなく、そもそも、頭を落としてないのに尾だけ落としているという魚を見たこともなく、尾さえも重要だとは思いが及ばなかったということもあって、ずっと調べることもなかったわけです。

またつい先日は「いっしそうでん」という言葉を耳にして、もちろんその言葉はこれまでにも何度も聞いたことがあり、書物などに書き残すとかではなく、師匠が直々に弟子や子に教え伝えるというようなことだというのもわかっていましたが、その日はそれを聞いた瞬間、ああ!と思いました。そうか「一子」なのか!と。(汗)
耳から入ってきても、興味がなかったりすると、そのまま聞き流してしまい、それ以上深めようとすることもなく、その後学校などで習う機会がなければ、そうやって勘違いしたまま、気づかぬまま過ごしていることは少なくないのかもしれません。

更には今日、難関中学校の入試問題集の問題を見ていて、同じ大きさの円が2つあり、1つは固定して動かず、もう1つはその周りに沿って回転していくというようなものだったのですが、円に沿って、固定してある円のまわりを1周する間に動かすほうの円は何回転するかという問題がありました。
何度も言うように、図形に関しては頭に思い浮かべて操作することは苦手な脳なので、過去の経験と自分の想像できる範囲でしか考えられないため、周の長さが同じなんだったら、1周する間ということは回転する方の円も円周1周がくっついて動くんだから1回転でしょ?違うの??と咄嗟に思いました。

でも、そんな簡単な問題ではないような気がして考え始めたのですが、長さが同じなんだから…というところからなかなか抜け出せず、解説を読んでもどうしてそうなるのか納得がいかず、実際に円形の紙を使って確かめてみました。
すると、確かにそうなることはわかったのですが、どうしてなのかまだ納得がいきません。
その後ぼんやり考え続けていた結果、きっとこういうことなんだろうなということには行きつきましたが、例えば、私のように図形に関して頭の中で操作することがあまりできない子が試験でこの問題に行き当った場合、それまでに実際に経験していなければ解くことは難しいだろうと思います。
大手の受験塾などではそういうことにならないよう、膨大な量の問題を片っ端からパターン化して扱う傾向があるようですが、それは子ども達にとって負担があまりにも大きいのも事実です。

ですが、例えば小さいうちに遊びを通して、積み木や折り紙、ブロックなど色々な物で形に親しみ、実際に手で動かしてみたりという経験をしている子であれば、元々苦手であっても、ある程度までイメージできるようになるように思います。それは問題集で大量に問題をこなすより、遥かに生きた力になるのではないかと。

自分が興味のないことに興味を持つよう努力するのはなかなか難しいことでもありますが、色々なことに興味を持ち、なんでかな?なんだろうな?と引っかかる気持ち、そして、その引っかかりを解決する経験は、勉強にとどまらず、生きていく上でも大事な大きな力になるのではないかなと思います。

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2017年1月10日 (火)

閃くかどうか

数学の問題を考えていると、そのときには気づかないのに、いざ子どもとレッスンをし始めてみると、あ、なんだめっちゃ簡単やったやん!と気づくようなことがあります。
また、同じような問題でも、考えているときに解き方がぱっと閃くときとなかなか閃かないときがあったりもします。

今日もまた、前もって予習もしていた数学の入試問題で、問題を読んだときにぱっと思いついた定番的な解き方で解いたものがあったのですが、解き方をぱっと思いついたもので迷うこともなかったですし、子どもも同じような考え方で解いたのですが、計算して約分した結果2分の1になった答えを見た瞬間、あれ?とひっかかりました。
そして、ほんの少し考えたら、ああ、そうか!これちょうど半分になるやん!と。

どんな問題だったかというと、5から9までの5つの数字から4つを使って4桁の数を作るとき、7700より大きくなる確率を問う問題だったのですが、解説を見ても普通は、5枚から4枚を選んで並べると何通りの数ができるかを計算し、その後でそのうち7700より大きくなるものが何通りあるかを考えて約分するという感じの解き方になるので、疑問を持たなければそうやって解いて、結果的に2分の1という答えが出てくるわけです。

でも、4桁の数で7700より大きいとなると、千の位が5、6のものはダメ、8、9のものは全てOK。考える必要があるのは線の位が7の場合。でも、同じ数を使えないのであれば、千の位が7なら百の位に来るのは5、6、8、9の4つで、そのうち7700より大きくなるのは8と9の場合。
つまり全体のうち半分が7700より大きくなるので2分の1。
この解き方だと面倒な計算は全く出てきませんし、全部で何通りできるかも考えずに解くことができます。

それは邪道だという意見もあるかもしれませんが、入試の限られた時間であれば、気づいてぱっと片付くに越したことはありませんから、問題を読んだときに一呼吸おいて、定番の計算を始める必要があるかどうか考えていたら時間短縮できるということかもしれません。

これはごく限られた例ではありますが、問題によっては気づけばめちゃくちゃ簡単やん!というような応用問題が時々あるのは事実です。
そういうものに気づける力、閃く力は、持って生まれたものもあるかもしれませんが、やはり普段からしっかり頭を使ってあれこれ考える経験を小さいうちから積み重ねることも大事なのではないかなと思います。

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2017年1月 9日 (月)

成人の日

今日は少し出勤して仕事もしましたし、家でも少しパソコン仕事はしましたが、基本的にはお休みでした。
そういえば成人式なんだなと、友人のSNSの投稿で気づきましたが、成人の日が1月15日ではなくなってから、もう18年にもなるのだということを知ってびっくりしました!
私が教室を始めたときにはもう既に成人の日は1月の第2月曜に変わっていたってことなんだなと。
17日には震災から22年になるようですから、その年に生まれた子どもが大学を卒業するほどの時間が経ったんですね。
もっと1日1日を大事に過ごさねば、あっという間におばあちゃんになっていそうです。気を付けます。

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2017年1月 8日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2017年1月 7日 (土)

子どもの可能性

教室を始めてからこれまで、色々な子ども達とレッスンをさせてもらいました。
その中には発達障害の診断がついているお子さんや、そういう傾向があるというお子さんなどもいました。
そもそも、日本で発達障害というものが広く知られるようになったのはまだここ十数年ぐらいのことなのではと思いますので、きちんと診断がつくものもあれば、検査方法や検査した医師によっても診断に幅があったりというものも珍しくないようです。

ですので、教室に来てくれた、そういう診断がついている子やそういう傾向がある子達も、本当にそうなのかな?と思う子や、この程度なら障害というほどのこともないよね?と思うような子もいました。
また、最初のうちは確かにそういう傾向はありそうだなと感じる子でも、レッスンを重ねるうちにどんどん変化して、言われなければ気づかないのでは?と思うほどになった子もいました。

もう何年も前のことです。人と目を合わすのが苦手そうな、少し何か困難があるのかもしれないなという子がいました。それでも親御さんからそういう話は伺いませんでしたし、私も先入観を持たず、目の前のその子と向き合ってレッスンをさせてもらっていました。
しかし、ある日、ある保護者の方で子どもと関わる専門職の方が来られているときに、ちょうどその子が入ってきて、いつものように目を合わせることを躊躇いつつ、小さな声で表情もあまり変えずに挨拶をしてくれたのを見て、その子のいないところでですが、その方が「あの子は発達障害やな。見たらすぐわかるわ。」とおっしゃったのです。
その言葉を聞いて、なんとも悲しい気持ちになりました。
確かにそうかもしれません。でも、その判断は何の役に立つのでしょう?発達障害だから何かができなくても当たり前。一所懸命指導して結果が出なくても、それはその子が発達障害だからという言い訳になるのでしょうか。

また別の時、明らかに何らかの困難があると思われるお子さんが来てくれたことがあり、その子なりに一所懸命取り組んでくれていたのですが、おうちの方も心配されて診断を受けに行くことになりました。
その子は教室に来てくれるようになった当初は本当に何をやるにも大変で、簡単な点つなぎさえもまともにできない状態でした。言葉の理解の力も弱く、発音にもやや困難がありました。
ですが、コツコツ頑張る子だったので、そのうち、平均的な学力の子より少しできないぐらいのところまで力を伸ばしてきました。その変化はほんの半年ほどの間に起きたことだったにも関わらず、診断を受けに行った先で先生から告げられたのは、知能的な困難があり、どれだけ努力してもほぼ改善しないという内容だったのです。
ご両親も私も、その子が短期間で大きく成長したのを見ています。
もちろん、努力を続けたからといって、知能が高いと言われるような子のレベルまでにはならないかもしれませんが、努力しても改善しないのであれば、これまでの半年私たちが見てきた変化をどう説明するのか、本当に悲しく、憤りさえも感じたということもありました。

そして、最近、ある発達障害の診断がついている子と一緒にレッスンをさせてもらっていますが、ここ数か月でのその子の変化はやはり目を見張るものがあり、2学期は1学期と比べてかなり成績も上がったとのことでした。
レッスンをしていても、今ではもう「ちょっと変わった子」ぐらいの印象でしかなく、そんな子はいくらでもいるよねと感じるようになりました。
もし私がその子の障害のことを伺って、この子にはこれはできなくても仕方ないと最初からできなくて当然と思っていたら、もしかすると今のその子の姿は見られなかったかもしれません。

もちろん、発達障害にも色々なものがあり、また程度も色々ですので、診断がつくことでその子にとって何か助けになったり、その子に合ったアプローチをしてもらえるようになったりというメリットもあるのではないかと思います。
ですが、指導する側、向き合う側の大人が、勝手に子どもの限界を決めてしまうことは決してすべきではないのではないかとも思っています。
子ども達の可能性は本当に未知数です。さっきまでうんうん言って苦労していたことが突然できるようになったかと思えば、それまでのことが嘘のようにスラスラ解き始めるなんてことも珍しくありません。
それは子どもが小さければ小さいほど起こることのようにも思います。
ですから、子どもに向き合う大人は、その子に障害があろうとなかろうと、ひとりひとりの子の可能性を信じ、その子の持つ能力を信じて、最善を尽くせばいいのではないかなと感じています。

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2017年1月 6日 (金)

一気に進化?

年末にお休みしたレッスンの振替で4日にレッスンに来て、今年早くも2回目のレッスンに来た1年生くん。
前回、なんだかおかしなスイッチ入りまくりで、普段のその子からすると半分もパワーを出せず終わったような感じの年初めだったのですが、今日持ってきた宿題を見るとかなりバッチリできています。
おうちでお母さまが見てくださったのかなと思いながら、今日のレッスンを始めたのですが、顔つきが前回と明らかに違い、問題を解くペースも安定感も全く別人のようです。
1年生なので当然まだ掛け算は習っておらず、教室でかけ算の学習はしたものの、九九はまだ覚えていません。それでも2桁×1桁や3桁×1桁の筆算をスムーズに解いていく姿を見ていると、これはまたひと段階進化したのかしら?と思えるほどでした。

子ども達の成長はなだらかにという感じではなく、ずーっと平坦な状態が続いたかと思えば、あるときぴょこんと段を上がる感じがします。
ですから、お子さんがなかなか成長しないように感じるときでも、その子がじっくりじっくり考えているようであれば、そのうち必ずぴょこんと段を上がる時が来るのではないかと思います。
その瞬間を見られるよう、今年もしっかり見守っていけたらなと思っています。

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2017年1月 5日 (木)

またまたびっくり

年末にブログに書いた、冬休みの宿題を1日で終わらせてしまった子の今年最初のレッスンがありました。
年末にやらなくてもいいと言っておいたので、ただの1枚もやらずにそのまま持ってきても、笑顔で受け取ろうと思ってレッスンに臨みました。

新年のご挨拶をして、いつものように宿題を渡そうと手提げの中を覗いていたので、ということは少しはやったのかなと思って待っていると、お母さまが、冬休みの間やらずにいたのに、突然昨日1日で全部やったのだと、かなりのボリュームのプリントのファイルを手渡してくださいました。

すると、本当に多めに渡したプリントが全部やってあり、それ以上に驚いたのは、これまでのその子には少し難しいかもしれないなと思うものも入れてあったのですが、消して書き直した跡もほとんどなかったことでした。

レッスンをしていても、新しい内容に進んだときの理解にかかる時間が随分短くなったようにも感じますし、今日のレッスンでは100までの繰り上がりのあるたし算をしたので、これまでのその子の様子だとちょっと苦戦するかもと思ったのですが、想定より遥かにスムーズに取り組んでくれました。
これはいよいよ大きな変化が起こりつつあるのかもしれないなぁと、新年早々楽しみがまた増えました。

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2017年1月 4日 (水)

仕事始め

今日から今年のレッスンが始まりました。
ちゃんと頭が働くかちょっと心配もあり、少し早めに出勤するつもりだったのですが、午前中にレッスン時間の変更のご希望があり、調整などしてメールの返信を待ったりしていたところ、あまり時間の余裕がなくなりました。
そろそろ出ようと思い、カバンを確認して、いつも入れているクリアフィルが入っていないことに気づきました。
そういえば中を整理していなかったなと、いらないメモは出してしまおうとしたところ、「1/4 15:30~○○さん」と書かれたメモが!?!?

普段、振替などのメモはレッスン中に手近なものに書くことが多いのですが、それを忘れずに転記するよう、転記し終えるまではファイルなどにしまい込まないよう心掛けています。
それなのになぜ!?と思いながらも、振替などを調整した後に発見した上、そこから時間変更の連絡などを再度差し上げていたら、レッスンに遅刻しそうな状態に陥りました。

とにかく1件だけメールをお送りして家を出て、15時半からのレッスンの準備をし、1件電話を入れたところで子どもが到着。
うっかりのせいで40分ぐらいの間低学年さんが4人一緒になる事態が起きてしまい、新年早々頭フル回転。
かなりの荒療治になりましたが、お蔭で正月ボケを感じることなく、新年のスタートを切ることができました。
一応怪我の功名ということにしておきたいと思いますが、新年早々こんなことでは先が思いやられるなぁという気分でもあります…。

子ども達はいつもの切れがなく眠そうにしている子もいれば、しっかり休んでいい感じで取り組んでくれる子もいましたが、みんな元気な顔を見せてくれてなによりでした。

今年もうっかりで色々ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。

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2017年1月 3日 (火)

新年3日目

今日は明日からの仕事に備えて、ちょっとは頭を使っておかねばということと、年末に手を付けきれなかった机の整理もせねばということと、そのほかちょこちょこやっておきたいことがあり、のろのろぼちぼち手を付けて行ったところ、結局頭を使う部分はほとんどできぬまま1日が終わってしまいました。

それにしても不思議なのは、仕事の日は帰宅してコタツに入っていてもなかなか眠くならなかったりするのに、なぜかお正月は寝ても寝ても眠い。といって、何か忙しくしていたわけでもなく、ダラダラしているのにいくらでも寝られるのが何とも不思議でした。

明日からはまた元のペースに戻れるかどうかちょっと心配していますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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2017年1月 2日 (月)

新年2日目

今日は幼馴染たちと初詣に行き、晩は実家でのんびりしました。
2日のんびりしただけですが、なんだかかなり長く休んだ気がします。(まあ、レッスンがお休みになってからは確かに随分になりますが。)
お正月休みもあと1日。
4日からちゃんと頭が働くかどうかちょっと不安なので、明日はウオーミングアップしなくては。

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2017年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます。

2017年がスタートしましたね。
今日は寒さも少し緩んで過ごしやすい1日だったように思いますが、皆さまよい元日を過ごされましたでしょうか。

私は大掃除疲れやらなんやらで、コタツで朝を迎えてしまい、新年早々やってしまった感たっぷり…。
ですが、今日は1日のんびり過ごしました。

子ども達の冬休みはまだしばらく続きますが、大人の方は今年は年末年始のお休みは短めの方が多いのでは。
教室も4日からはレッスン再開となります。
皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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