皆さまよいお年をお迎えください。
これから実家に行ってまいりますので、その前にひと言だけ。
皆さま今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。
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これから実家に行ってまいりますので、その前にひと言だけ。
皆さま今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。
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レッスンは火曜で終わり、水曜は大掃除を。
今日は持ち帰って洗濯したものやカレンダーなどをもって、今年教室に来るのは恐らく今日で最後です。
皆さま今年もありがとうございました。
子ども達が元気にしっかりがんばってくれたので、私も1年がんばれました。
年明けは4日からレッスンになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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冬休みになって間もなく、1日で冬休みの宿題を全部終わらせてしまい、次の日には、冬休みがあるのでいつもより多めに出しておいた教室の宿題も終わらせてしまったので、何か宿題を出してほしいと、ある1年生さんのお母さまから連絡をもらいました。
教室に来てくれるまではおうちで勉強するにも結構大変だったというようなことを伺った記憶もあった上、教室に来てくれ始めた頃のことや、普段のレッスンの様子などから見て、学校の宿題の内容はわからないものの、多めに出した教室の宿題を1日で終わらせたということに私もびっくりして、もしかして一気にブレイクスルーしたのかしら?と、今は勉強したくて仕方ないとかになったのかもと勝手に感激してしまいました。
そこで全部終わらなくてもいいから多めに宿題を用意しておこうと、結構な量のプリントを用意して待っていると、お母さまと一緒にその子本人も来たのですが、なぜか表情が冴えません。
どうしたのかなと思ったところ、宿題をもらいに行くと言ったら嫌がって、軽く口喧嘩のようになってしまったのだと。
それを聞いて、ああ、そうだったのか!と。
普段のその子にしては驚くぐらいがんばって宿題に取り組んだとの報告で驚きと嬉しさが先立ってうっかりしていました。その子は冬休みの宿題をさっさと終わらせて、後は思う存分遊びたかったようなのです。
まだ1年生ですし、夏休みは長い上に、まだ恐らくスラスラ宿題をやり進めるのは難しかったのではないかとも思うので、その子にとってもお母さまにとっても、そして、その子と出会ってからの私にとっても、一気に宿題を終わらせたという出来事が恐らく初めてだったこともあり、大人の側は、すごいな!じゃあその調子で!!と思ってしまったので、その子が嫌がらなければ、大きなミスを犯すところでした。
私自身長らく意識したことがなかったのですが、あるとき有名な小学校の先生が、子どもががんばって宿題をさっさと終わらせたら、早く終わったからじゃあこれもできるねというような感じで追加され、結局本来やるべき量を終えてもそれ以上させられることは少なくないが、それを繰り返されるうち、早く終えても終わらせてもらえないんならと、子どもは宿題をダラダラ時間をかけてやるようになることがあるというようなことを言っておられて、目から鱗が落ちました。
私は自分の子どもがいないので、我が子にそういうことを言う機会はありませんが、塾講師だった頃や教室を始めてからも、そういう心理に気付かず、早く終わったら次の課題を与えるというようなことをしていたかもしれません。
その先生の言葉を知ってから、なるべく気をつけるようにはしていたのですが、今回危うくやらかすところでした。
もちろん、子ども自身が楽しんでさっさとやり、もっとやりたいというのであれば、そのときには新たに課題を与えてあげればよいのだと思いますが、そうでなければ、やるべきことはやったのだから、後は子どもの自由時間にしてあげるべきだろうと思います。
今回は、まだ1年生で宿題がなぜ出されているかもよくわかっていないかもしれないことと、これで本当に2週間近く勉強せず遊んでしまったら、できるようになったことが全部抜けてしまう可能性も0ではないことが気になったので、宿題をする前に言えたらよかったんだけどと断った上で、人はしばらくしないと忘れてしまうものなので、冬休みの間もう勉強しなかったらできるようになったことを全部忘れてしまうかもしれないことや、全部一度にしてしまうのではなく、半分ぐらいを終わらせて、残り半分ぐらいは3学期が始まる前に忘れていないか確かめるためにするようにしたらよかったねというようなことを話し、今回はがんばったのだから、遊びたかったら遊んでもいいと思うし、それで3学期になって「ああ、忘れちゃった!」と思ったらまたがんばってもいいし、もし1日5分でも忘れていないかちょっとだけ確かめてくれるならそれもいいと思うし、自分がしたいと思うようにしたらいいと言って、どうするかは親子さんに任せることにしました。
その子は少し迷ってプリントを手に取ったので、全部しなくてもいいし、やりたくなかったらやらずにそのまま持ってきてもいいからねと言っておきました。
ご家庭でお子さんに宿題などをさせる際、早く終わったからと言って無条件に追加するのは気を付けて頂いた方がいいかもしれません。
早く終わっても決めた時間までは勉強をさせるということであればそれを最初に言っておくといいかもしれませんが、それだと早く終わらせられることでもダラダラやるという子もいるかもしれないので、そこはお子さんの性格も含めて見て頂く方がいいかもしれません。
他方で、早く終わったら自由時間にしていいと言ったら、とにかくやっつけで終わらせてしまうような子もいるので、そのタイプの子にはやり終えた後、やった内容に目を通し、きちんとやっていれば自由時間にするというようなことをした方がいいかもしれません。
結局はお子さんの性格やその日のコンディションなどを見ながら、がんばったことはきちんと認め、やる気を削がないよう気を付けていくということなのだと思いますし、その判断もなかなか難しいところもありますが、以前の私のように気づかずに課題を増やすというようなことをしておられる親御さんもおられるかもしれませんので、ご参考までに。
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今日で今年はレッスン納め。
今年も子ども達はみんなよくがんばってくれました。
今日のうちに多少なりとも大掃除をしようと思っていたのですが、キリのいいところまで予習をしておこうと思ったら思いのほか時間がかかり、すっかり遅くなってしまったため、大掃除は明日、きっと中掃除ぐらいになってしまいそうな気がしますが、がんばる予定です。
年末のご挨拶はまた改めて。
年末は何かと皆さまご多忙のことと思いますが、どうぞご自愛ください。
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昨日、予備校講師の先生が出ているあるTV番組で小学校の算数について取り上げられていたそうですね。
そこでは、体積を求めるときに縦×横×高さだろうが、その順番が違っていようがその3つのものをかけていれば正解にすべきだということと、小数のたし算で「3.9+5.1=9.0」と答えても正解にすべきだということの見解が出ていたようですね。
面積や体積で公式の順と違うから不正解というのはおかしいと、私も思います。
掛け算の式には意味があるので順番を考えるようにという立場ではありますが、少なくとも面積は単位からしても
縦の辺と横の辺が掛け合わさっていればどちらが先でも同じものの面積が出ますし、そもそも、例えば面積を求めたい長方形が斜めに置かれていた場合、どちらを縦にするかは人によって違うでしょうから、それを公式の順にしていないからダメというのは無駄なこだわりだと思います。
ただ、小数の9.0という答えも正解にすべきという立場の方は有効数字ということを言っておられるようで、同級生たちの中にもそれで減点するのはおかしいという意見の子が複数いました。
でも、算数で小数のたし算・引き算を習う段階では、子ども達はまだ有効数字なんてものは習っていませんし(そもそも算数の範囲ではないですし。)、番組で取り上げられたような足し算は概数すらまだ習っていない段階でやる問題です。
数直線で小数などを学んだ場合、整数で表せないものを小数を使って表すという流れですから、1、2、3と、整数のところには整数が書かれている数直線を使います。0.1ずつ区切られた数直線であっても、0.9の次は1.0ではなく1と書いてありますし、0.01ずつ区切られたものも当然1.00などとは書かれていないわけです。
また、小数を習った段階でのルールとして、9.0などのように整数になるものは「.0」は書かないと習うわけです。筆算であれば、不要な0は斜線で消すよう習うのです。
教科書などでもそう指導されると思いますから、その上でテストなどで「9.0」と答えるというのは、先生の話を聞いていないとか、教科書をちゃんと読んでいないとか、そういう風に判断されても不思議ではないのではないかと。
もし仮に算数に興味があって、自分で色々な本で学んだり、誰かに教えてもらって、有効数字というものを知っている子が9.0と答えたというようなことがもしあれば、それはテストより前の段階で先生に質問するなどして、疑問を解決しておけばよいでしょうし、そうできなかった場合は、自分はそう考えて書いたということを先生に説明すればいいのかもしれません。
でも、掛け算の順にしろ、有効数字にしろ、算数の世界でのルールというのを「そんなのおかしい」という方が少なからずおられるようだということはわかっています。
しかし、例えばですが、小学校では円周率について、近似値ということで3.14を使って計算することになっていますが、これも、円周率はどこまでも続くと知っている子もいるでしょうし、教科書などにも途中までは書かれていたりすることもあります。
だとすれば、より正確に3.1415などを使って計算した子がいた場合、それも正解にすべきだということになるのでしょうか?3.14自体が近似値なので、3.1415を使えばより誤差が少なくなるでしょうから、より正しい答えを出したことになるはずです。それでも、小学校の算数では円周率は3.14を使うという約束があるので、3.14以外のもので計算したものは不正解にされても仕方ないのではないかと。当然知っているからといって、計算せずにπ(パイ)を使って答えたら、算数ではやはり正解にはしてもらえなくて仕方ないのではないかと。
それは「算数のルール」を守っていないからという理由なのではないのかなと思います。
数学ではOKでも算数でそれを習った段階ではまだ知らないこともいっぱいあるわけで、知らないけど書いた答えがたまたま数学では許容される答えだったという場合、それでも正解だというのは何となくスッキリしないなぁと。
これもきっと正解にすべきだという意見の方とは話が平行線になるのではないかと思いますが、基礎の学習の段階では多少の「算数のルール」はあってよいのではないかと思っています。
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今日はオフで、年末だしと予約していた美容院に行き、その後は少し買い物をした後帰宅。
今年も宛名と図柄を印刷したところまではよかったのですが、結局その後ぐずぐずしてしまい、まだ1枚も完成していない年賀状に取り掛かりました。
今年ももう1週間しかなくなってしまい、気ばかり焦る毎日です。
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教室には貸出自由でかなりの数の本が置いてあります。
そして、本を返してくれるときに、子どもによって性格が表れるなぁと思うことがあります。
元あった場所を覚えていて、きちんと戻してくれる子。
場所を覚えていなくてキョロキョロするものの、なるべく元の場所に戻そうとしてくれる子。
とりあえず入れるスペースがあればどこでも気にせず戻す子。
また、本を立てるときにもきっちりタイトルが見えるよう、元々立ててあったようにきちんと戻してくれる子もいれば、上下ひっくり返っていても気づかない子、場合によってはひっくり返っているだけでなく、タイトルが本棚の奥に入るような向きで返しても気にならない子などもいます。
私自身は向きを揃えて、なるべく高さも揃えて、もちろんシリーズは固めて、見た目が整った感じにしたい性分なので、上下がひっくり返っていても気にならないのがちょっと信じられないような気持ちになるのですが、それもまた性格なのでしょう。(そう言えば、その昔、会社員だった頃にデザイナーをしておられた先輩は机がきちんと整っていると落ち着かないと言っておられましたし…。)
先日のこと、ある女の子が借りていた何冊かの本を場所を探して戻そうとしていました。
わからないものは場所を教えて戻してもらったのですが、同じ種類の本がすぐそばにあるのに、全く気にせずほかのところに立てようとしたり、続きものの本を番号順に並べているのに、その番号も気にせずだったりしました。
そして、極めつけは、絵本を上下逆さまの上に、タイトルが奥に入ってしまう状態でボックスに押し込みました。
ついそうじゃないよと注意しそうになったのですが、そうか、この子は意識したことがないのかもしれないなと思って、「ねえ、その向きに立てたら何の本かわからなくない?ほかの人、困らないかな?」と言ってみました。
すると、ボックスに入っているほかの絵本に目をやり、自分が今押し込んだ絵本を一旦取り出して、きちんと向きを直し、タイトルが見えるように入れ直してくれました。
子どもには一度言っただけではできるようにならない、躾は何度も根気よくというような話はよく聞きますので、今回のことでその子が今後返し方を意識してくれるようになるかどうかはわかりませんが、もし私が「こっち向きに入れてね」などと、どうするべきかだけを伝えたとしたら、なんでだろう?とは考えないかもしれません。なんでかわからないけど、言われたからするというのと、どんな向きならほかの人も見やすいかを意識して戻すのとでは、記憶の残り方が違うのではないかなという気はします。
レッスンでは考えてもらうことを常に意識してきましたが、考えさせるチャンスは普段の生活の中にも数え切れないぐらいあるんだなと思いました。
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算数や数学って何の役に立つの?というようなことを尋ねる子が時々いるのではないかと思いますし(うちの教室でその質問をされたことはほぼ記憶にありませんが)、私自身も数学などになってくると、ある特定の仕事にでもつかない限りは、まず必要になることはないよねと思っています。
ただ、「算数ができないと困る」というのは、まあ確かに困りそうだなと思いますし、その場合、大人が子どもに言うのは、簡単な計算ぐらいわからないと買い物するときに困るよというように、計算を例に挙げることが多いのではないかと思います。
ですが、今日改めてある能力の重要性を感じる出来事がありました。
年末の大掃除になかなか手を付ける気になれないのですが、換気扇のフィルターやレンジ回りに立ててある汚れ防止のカバーを買っておこうと、仕事帰りにあるお店に寄りました。
どちらもサイズは大きいものの厚みはほとんどないので、そのお店だと大きなサイズのレジ袋に入れてくれるのが普通です。
しかし、レジにそれを差し出すと、見た感じはベテランさんという感じの女性が(実習中などの名札もありませんでしたし)、そのお店で最も大きなサイズの紙袋を広げようとしました。
その紙袋は厚みのあるシートクッションを3枚は十分入れられるほどのサイズなので、え??どうして??とびっくりしながら、「すみません。青い大きなレジ袋にして頂けませんか?」と言ったところ、「え?その方がいいですか?」と尋ね返され、やっとその袋を出してくれたものの、今度は袋に対して縦長に商品を入れたため、持つための穴より上まで商品が出てしまって、それだと持つことができません。その後、商品を半分ほど引っ張り出して、斜めのまま袋の中で向きを変えようとしてもうまくいかず、「あの、これ入らな…」と言われかけたので、「それ、一度出してもらって横にしてから入れ直しても入りませんかね?」というと、その通りしてみてくださって、「あ、入りました。ありがとうございます。」と言われました。
当然私はそのお店の人間ではないので、これまで何度かそのサイズの袋に物を入れてもらった感じからしたら、マチの分も広がるから入るのではないかという予想をしていたので、絶対に入ると思っていたわけではありません。
でも、やはり入りそうでしたし、少なくともあのサイズのものを半分袋に突っ込んだまま袋の中で方向転換するのは不可能だということはわかりました。
ですが、そういえば、ほかのお店などでも時々、え?それをそのサイズの袋に入れますか?と驚くようなことがあります。
そして、もう1つ思い出したことがありました。若い頃、ある友人と買い物に行き、家で買ってきた靴を出して見せてくれた後、たった今出した靴を彼女は箱に戻すことができず悪戦苦闘していたのです。
何をふざけているんだろうと思ったものの、本人は真剣。更には、何かを元のところにしまうことが苦手なのだというのです。
そのときには彼女の言っていることがよく理解できなかったのですが、その後テレビ番組で片付けができない女性が何人か取り上げられていて、限られたスペースにどれだけのものを納めることができるかの見当が全くつかない、もしくは見当が激しくずれているという女性がいたり、きちんと入れれば十分収まるはずの量なのに、どう入れていったらスペースを有効に使えるかの判断ができない女性がいたりして、ああ、こういう人がいるんだ!!とちょっと目から鱗の気分になったことがありました。
実は、教室で子ども達を見ていても、色板や積み木などをお手本に合うように置きましょうという問題で、最初からかなりスイスイできるような子もいますが、最初のうちは、え?どう見てもそれは全く違うでしょ?と思うようなものを置いてみる子も少なくないのです。
ですが、何度も試行錯誤をしていくうちに、次第に全く合いそうにないものは置かなくなっていきますし、最初は苦手にしていた子でもいつの間にかかなり得意になるなんてこともあります。
形を合わせるだけだけでなく、ものを袋にしまうとき、縦に入れたら入らないけど、横に入れたら入ったとか、入れるとき斜めにしたまま入れようとしたら入らなかったけど、真横にしたら入ったとか、そういう経験も大事な学びなのだろうと思います。
つまり、私のように、元々は決して空間認知の能力が高いとは言えない人間でも、小さい頃から実際に色々な形のものを袋に入れたり、箱に入れたり、積み木の形合わせをしたりなど、色々な経験をすることで、ある程度まではその能力を高めることができるのではないかとも感じています。
とすれば、これも生活していく中でかなり大事な能力のひとつなのではないかと。
一般的には女の子のほうが空間認知は苦手な子が多いので、尚更、小さいうちから実際のものを使って、色々試行錯誤してみる経験は大事なのではないかなと思います。
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算数で苦戦しながらも、一所懸命がんばって、だんだんとできることが増えてきている1年生さんとのレッスン。
学校ではまだ計算は20までの範囲のようですが、その子の頑張りもあって、教室では100までの数、100までの足し算に進むことができました。
前回、予想を遥かに上回るペースでレッスンが進み、かなり驚かされたのですが、今回はどんな感じかなと様子を見つつ進みました。
繰り上がりがないものであれば、20を超えてもかなりしっかりできていて、「25+4」のようなものや「30+45」のようなものもきちんと理解できているようです。
初めは教具を使いながら確認し、その後プリントへ進んでも、計算式だけのプリントを前に、視線が少し斜め上に向く感じがあり、数を思い浮かべようとしていることが伝わってきます。
いい感じだなぁと思って見ていると、その子が言いました。
「これ、いれかえてもいい?」
どういう質問かというと、「16+70」の式を指して、式の右と左を入れ替えてもいいかを尋ねているようです。
でも、いいかどうかの判断は自分でできる方がいいので、「どう思う?」と尋ねると、少し考えてから「いいと思う。」というので、考えてみてもらいました。
しかし、しばらく考えてから出てきた答えはなぜか「13」。はっきりとはわかりませんが、その子のいう「入れ替える」は「70」を「07」と入れ替えたということなのかもしれません。
そこで、「なんか少なくなったけどいいかな?」と声をかけたものの、どうも気づかない様子だったため、別の問題を先にしてもらうことにしました。
「30+17」や「50+24」のように、左が何十になっている式ばかりを先に考えてもらったところ、それはきちんと考えられているようです。
そこで、先ほど詰まってしまった問題とは別の「何十何+何十」の式を指して考えてもらったところ、今度は割とすんなり行きました。
ほかの問題もクリアして、先ほど詰まった問題に戻ったところ、なぜかその1問だけはまだ少し苦労したものの、最終的には正解に。
随分数の理解が進んできた感じがあるのですが、30+17なら迷わず、教具を思い浮かべながら考えている風なのに、左右が入れ替わるだけで思い浮かべるのが難しくなるというのは面白いなと思いましたし、「入れ替えてもいい?」という質問が私が思う入れ替えではなく、70を07と考えたのではないかと(まあ、それでもその場合は23になるので、もしかしたらまた違う考えをしていたのかもしれませんが。)いうことも、なかなか新鮮でした。
わからない段階、もやもやした段階で、とりあえずやり方だけを教えて次へ進むと、問題によっては時間が経てば理解できるものもありますが、そうならなければ、ずっと苦手意識が残ったりということにもなりかねません。
小さいうちは、大人が簡単に思えることでも、その子が本当に理解したなと感じる表情を見せるまで、じっくり時間をかけてあげることが大事なのではないかなと思います。
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まだ幼さの残る1年生さんとのレッスンでのこと。
年長の頃から通ってくれているものの、気が乗らないとぐずったりすることも珍しくなく、ついこの前までは2回に1回ぐらいはイヤイヤモードでレッスンが始まるような感じでさえありました。
ただ、この子は野球がとても好きで、自分でもやっている上に高校野球などもよく見ているようで、それによって、まだ学校では習っていない漢字を覚えていたりすることがあり、感心したことがありました。
そして、ここ最近は図形の学習をしていたのですが、どうやらこの子は図形のセンスがよいようで、展開図などもスラスラ解いてしまい、これまでのその子とは別人のように、楽しそうに、また自信を持ってどんどん解いていく姿を見て、しみじみ感心しました。
すごいね、よくできるねを連発することになり、本人もニコニコしながら、それに関しては自分はとてもよくできるという自信が持てたのだろうと思うのですが、いつの間にか、初めはぐずぐず言ってなかなかわかってくれなかった直角や辺、図形の名前など、いつの間にかスラスラ答えられるようになっていました。
「これは二等辺三角形。」「これはここが直角だから、直角三角形!」などと、この前の姿は何だったんだろうというほどの成長ぶりです。
その流れのままに100を超えて1000までの数の学習もしたのですが、数に関してはあまり好きではないようだなと感じていたその子が、スイスイ答えていくではありませんか。
100が10枚で1000とか、10が20本で200とか、そのほかにも数が好きな子でもちょっと考えるようなことまでも、嫌そうな顔をすることなく、穏やかな表情で考え、たとえ間違ってもまた考えながら、どんどん進んでいきました。
図形が得意だと自信を持ったことがきっかけなのか、成長のタイミングだったのかはわかりませんが、何か確実にひとつステップを上がったような印象を受けました。
この調子で新しい年を迎えてくれるのを楽しみにしていようと思います。
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今日は通常のレッスンのほかにおひとり体験レッスンをさせて頂きました。
そのお子さんのほかに下にもまだ幼いお子さんがおられ、体験レッスンの間、お母さまはそのお子さん達もご一緒に教室で見学をしておられました。
体験レッスンをしている間、側で聞こえるお母さまとお子さんとのやり取りはとても微笑ましく、またとてもよい子とは言っても小さいお子さんをお二人一度に相手をしておられたので、なかなかじっとはしておられなかったり、時には大きめの声を出してしまわれたりというようなときでも、とても穏やかに優しく対応されていて、素晴らしいなと感じていました。
そんなお母さまのご様子からすると、普段、上のお子さんに対してもきっとこんな感じで接しておられるのだろうなと思えたので、恐らくお母さまの接し方というよりは学校で周囲のお子さんを意識してしまったり、学校で先生が早くすることを求めるタイプの方だったりするのかなと思いましたが、体験レッスンをさせてもらった子は、まだ1年生さんなのに、レッスン中何度か「ちょっと待って」という言葉を口にしました。
以前にも書いたことがありますが、実はその言葉を口にする子は少なくありません。
因みに私は、その子が考えているようであれば絶対早くしてと急かすことはありませんし、考えているのかどうか判断がつかないときでも、考えているなら待つから、わからなかったら言ってねなどと声をかけて、基本的にはとりあえず待つので、私に対して「ちょっと待って」という必要はないのです。
それでも少なくない子が、問題を考えている途中で半ば反射的に慌てながら「ちょっと待って」と言うのです。
それを言われるたび、笑いながら「待ってるやん」とか「何にも言ってないやん?」とか言うのですが、それを口にする癖がついている子達は、なかなかその癖が抜けません。
つまり、少なくない子が勉強中、本人がまだ考えている、もしくは考えたいのに、何らかの邪魔が入る経験をしているということなのだろうと思います。
ただ、この「邪魔」は多くの場合、大人が思っている子どもが必要だろうと思う時間の長さと、子どもが実際に考えるために必要な時間の長さにかなりのギャップがあることで生じているのではないかとも思います。
これも何度も書いていますが、教室を始めた頃、とにかく考えているときに邪魔をしないということを意識して、子どもが黙っている間は待ち続けていたのですが、自分が想像する時間を超えても黙っていると、何も考えられていないのではないかと思って、これは助けなくてはいけないのでは…と心の中で葛藤し、いよいよ限界、もう待てない!と、自分が想定していた2倍か3倍の時間待った頃に、何事もなかったかのように答えを言うということが何度もありました。
驚いて、「え?考えてたの?」と尋ねると、なんでそんなこと聞くんだろうというような表情で「うん」と答えるようなことも何度もあり、教育学部を出ており、6年ぐらい塾講師もしていた身でありながらも、小さい子どもが考えるにはこんなにも時間がかかるのかということをその時初めて知ったのです。
子ども達に関わってきていた私でさえこんな状態ですから、お母さまやお父さまなどがお子さんの学習を見ているときに、お子さんが止まっているので、これはわかっていないのかなと、あくまでも親切のつもりで助け舟を出すということが少なからず起こっているのではないかなと思います。
もしそうであれば、それは単に大人の側が思っている以上に子どもは考える時間がかかるということを知って頂きさえすれば、お子さんの邪魔をすることもなく、やきもきすることもなく、不必要に焦らせることもなくなるのではないかなと。
もちろん、お子さんのタイプなどにもよりますが、助け舟を出す前にひと言「考えても分からなかったら言ってね、助けるから」というような声掛けをして頂くことで、安心して考えられるようになることもあるのではないかと思いますので、参考にして頂けたら幸いです。
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今日はレッスンはなかったので、少しだけ出勤して明日のレッスンの準備をしたり、家で年賀状にとりかかったりしていました。
既に今年も残すところ僅かになってきて、しなくてはいけないことは山ほどあるというのに、気ばかり急いてちっとも進まず、この状態のまま年末を迎えることになりそうです…。
明日からまたどうぞよろしくお願い致します。
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今日はまた幼馴染たちと年内最後の卓球をしてきました。
交代しながらの2時間ですので、実質1時間ほどしかしていないのですが、終わったら結構疲れていて、今日するつもりだった片付けやら仕事やらはほぼ手つかずに終わりました…(汗)
今年も残すところ2週間。
気ばかり焦ってやるべきことは進まずですが、今週もどうぞよろしくお願いいたします。
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このところ、レッスンのたびに感じますが、発達上の困難があるということで来てくれた子が、いつの間にかかなり変わったなぁと、今週もしみじみ感じました。
感情があまり表情に出ず、言葉の関してやや弱さがある子で、問題文をきちんと読まずに間違いが多発し、声をかけても聞いてもらえずで、当初は果たして私は役に立てるのだろうかと、少し弱気になったこともありました。
どれだけ声をかけても耳に届かず、声を荒げてしまうこともあり、それで子どもがますます緊張して聞いてくれなくなるようなこともありました。
それが、今ではレッスン中、その子が大きな声であれこれ話したり、笑ったりすることが増え、こちらから声をかけて、一度で聞いてくれなくても、もう一度「ねえ、ちょっと待って。ちゃんと聞いて。」などと声掛けすると、聞こうとしてくれるようにもなり、家で取り組んでくる宿題までも、正解率が格段に上がりました。
小さなことかも知れませんが、文を書くのが苦手、国語が苦手と言っていたその子が、問題の文に合うように短文を作文する問題で、問題の文の文末が「です・ます」のものと言い切りのものが混在していたのに、今週は5問全て文末が問題文に対応していて、ちょっと感動してしまいました。
話を聞こうと努力してくれるようになり、その結果、算数が随分スイスイ進むようになり、それで少し自信をつけたせいなのではないかと思いますが、初めの頃のことを思えば、まるで別の子とレッスンをしているような気にさえなります。
本当に嬉しいことです。
来年には高学年に差し掛かるので、今のタイミングで大きな変化が見え始めたことは、その子にとってもきっと大きなことなのではないかなと思います。
この調子でがんばってくれることを楽しみにしています。
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早いものでもう12月も16日。あっという間に師走も折り返し。今年はあと15日しかありません。
だったらもっと上手に時間を使わねばならないのですが、これがどうにもこうにも、毎日自己嫌悪に陥っている有様です…。
ここ数日急に冬らしい寒さになって、体調を崩しておられる方が増えてきているようです。
どうぞ皆さまご自愛頂きますよう、そして、お子さん達が元気にレッスンに来てくれますよう、祈っております。
私もうたた寝には気を付けます。(苦笑)
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歳と共にどんどん涙腺が弱くなっている気はしていますが、今日はあるレッスンで思わず涙が出そうになって、いかんいかんと必死で我慢しました。
これまで何度か書いている、算数で苦戦して夏頃から通ってくれるようになった1年生さん。その子なりにじわじわ変化は見えてきていて、来てくれた頃と比べると、できるようになったことは随分増えました。
今では少なくとも算数に関しては、少し苦手か平均的かというぐらいまでになってきていたように感じていました。
ただ、まだ弱いところもあって、そのひとつに色板など、形を合わせるようなものが、こちらから見れば絶対それはそこには合わないでしょう?と思うようなものを合わせてみて、合わなくて違うものに変えてみるのに、そのうちまたそれを握って同じように置いて、やっぱり合わない…というようなことになることも珍しくありませんでした。
そして、今日のレッスンでは最初に色板の課題があり、1枚目は比較的簡単なものだったので、すんなり完成させてくれたものの、2枚目は、図形がやや弱い子であればほとんどの子が一度で合わせられることがない形を含んだお手本だったので、内心、きっとこの部分は苦戦するだろうなと思いながら見ていました。
すると、初めはその部分を見たものの、一旦保留にして別のわかりやすいところを作って、再びその部分を見つめたかと思えば、ゆっくりと手が正しい形の板に伸び、ゆっくりとではあるものの、一度でばっちりその部分に置くことができました。
それだけでもかなり驚きと感動があったのですが、そんなことで驚いては失礼かもと、黙って様子を見ていると、結局全くノーミスで(形を置いたのに合わずに交換するということなしに)完成させることができました。
その姿を見て、ああ、こんなにも成長しているんだなと思ったら、思わず涙が出そうになって、でも、それで突然私が泣いたら、その子を驚かせてしまうと思って、ぐっと我慢しました。
その後も今日はずっと、え?こんなにスラスラできるようになったの?こんなに考えられるようになったの?新しいことなのにすぐにわかった!!と、とにかく驚きと感動の連続で、何かひとつ壁を越えたように感じました。
レッスン後、今日本当にすごかったということをお母さまに伝えたところ、お母さまが「最初は、自信がなくて合ってるかなってちらちら先生の顔みたり、私の顔みたりしてたのに」とおっしゃるのを聞いて、ああそうだった!と。
いつの間にかあの自信なげな表情でちらちらこちらの様子を伺い、答えが合っているかどうか探ってくるような仕草をしなくなったなと思ったら、また嬉しくて泣きそうになりました。
子ども達はみんな、その子なりに一所懸命がんばって考えて、わかった!という経験を積み重ねていくことで、こうやって変わっていくんだなと、本当にありがたい、幸せな仕事をさせてもらっているなと。
特に私は自分の子どもを育てたことがありませんから、こうして色んな子どもの成長を目の前で見られることを、本当に幸せに思います。
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空間認知が得意な子たちは、恐らく生まれつきそれを得意とする脳なんだろうなと思うことがよくありますが、今日のレッスンでも改めて、ああ、本当に見えてるんだなぁと感じることがありました。
まだ幼いところが残る、「子どもらしい」子で、問題が難しかったり疲れていると、明らかに考えることを嫌がったり、レッスンに来ることも渋ったりすることもある子とのレッスンでのことでした。
今日も来るなり、今ひとつ算数に乗り気ではないような反応を見せ、どうなることかとちょっと心配しながらレッスンが始まったのですが、前々回あたりから、その子は空間認知が得意であるということがわかり、本人も自信を持ったようでした。
そして、今日のレッスンでは序盤に色々な展開図のうち、組み立てるとサイコロができるものを選ぶという問題をやってもらうことになりました。
プリントを渡すときに「これ、得意なぶんよ。」と目の前にプリントを置くと、「あ、これ得意!」と笑顔になり、早速いい表情で問題に取り組み始めました。
すると、ニコニコしながら、「あ、これできる!」と言い、次の問題も「あ、これもできる!」と。
そして3問目を考えていたその子の口からこんな言葉が出ました。
「あ、これできない。上が重なっちゃう。」
この言葉は正に、その子が頭の中で展開図を組み立てている映像が見えていることの証にほかなりません。
まだ幼いところがたくさん残る、こんな小さな子なのに、見える子にはこんな風にちゃんと見えるんだなぁと、その言葉を聞いて、改めて羨ましく思いました。
15問一発全問正解でプリントを終えたのがよかったようで、今日のレッスンはずっと好調を維持して、最後までがんばってくれました。
空間認知の能力が平均かそれ以下の私にとっては、その感覚を一度でいいから体験してみたいなと、いつも思います。
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なんだか気づいたらすごい時間になっていて、まだしなくてはならないことが色々あり、今日のブログはお休みさせて頂きます。
時間の使い方が下手過ぎて反省しきりです…。
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私も、自分で教室を始めるまでは気づいていなかったこと、知らなかったことが山ほどありました。
あ、もちろんそれは、算数や数学の学習に限ってのお話で、その他には知らないことは未だに数限りなくありますが。
以前の私は、学校の勉強というのは先生が教えてくれたことを覚えて、それを再現するようなものだと思っていました。というのも、私は学校以外に勉強の習い事をしたことがなく、学校では先生が説明をして、例題などを解き、それを真似て練習問題を解いていくというのが「普通」だったため、そのほかの方法というものを考えることもありませんでした。
しかし、塾講師だった頃、苦手な子にもわかりやすくということを心がけ、実際、算数や数学が苦手な子達にも、学校の先生よりよくわかるなどと言ってもらったりもしたのですが、理解したはずのことの定着度の低さに愕然とすることがたびたびあったのです。
そこで、何か間違っているのでは、何かもっと他に方法があるのではと思い始め、その結果、わかりやすく教えたのがダメだったのだと気づいたわけです。
でも、私自身、子どもと共に学ぶ仕事に関わっていながら、そもそも大学だって教育学部を出て、教員免許も持っているというのに、そのことに気づくまでに何十年もかかったわけですから、今でも知らない方はたくさんおられるのでしょうし、子ども達では気づいていなくても、それが普通のことなのかもしれません。
例えば、頭を使うと言っても、過去に習ったことを思い出そうとすることと、どう考えたら解けるかなと頭を働かせることとでは、脳の中で起こっていることは全く違うように思います。
つい先日の私自身のことですが、ある順列・組合せの問題を考えていて、ちょっと面倒だったので公式に当てはめようかなと思いました。しかし、順列・組合せの場合、一番難しいのはその問題の場合はどの公式が使えるかの判断と言ってもいいのではと思いますが、どういう状況なのか理解していなければ、その公式で出した答えが正しいかどうかの判断はつきません。
また、仮にその判断がつくのであれば、公式を思い出そうとしなくても、考えて解くこともできるわけです。
この状態で、例えばですが、中学生や高校生がどの公式だっけ?こっちかな?あっちかな?と迷って、とりあえず解いたとします。
答え合わせをして合っていたとしたら「たまたま」です。間違っていたとしたら、恐らく少なくない子がこう感じるのではないかと思います。「ああ、こっちの公式だったのか。」そして、そう感じた子の多くは、その段階でその問題を終わらせ、次へ進んでしまうでしょう。
で、次また違う機会に同じような問題が出てきたとしましょう。驚異の記憶力の持ち主であれば、その時の問題を思い出し、あのときはこの公式だったなと解くことができるかもしれません。しかし、人は習ったことはあっという間に忘れていくのが普通ですから、前回たまたま合っていた場合は今回もたまたま合うか、運悪く間違えるかでしょうし、間違っていた場合も恐らくまた「どっちだったかなぁ?」と思うのです。
これはほんの一例ですが、結局、中学受験などの塾での勉強のさせ方の多くは、教えて覚えさせ、忘れないために何度も反復させるというスタイルを取っているわけですから、同じような状況の子は数えきれないぐらいいるのではないかとも思います。
そして、試験のための勉強とはそういうものだと思ってしまっている子どもや大人も少なからずいるのではないかとも思います。
もちろん、試験勉強の場合、そういう風にする必要がある場合もあるでしょうし、お子さんのタイプによってはその方法で突き進むのがよい場合もあるでしょう。
ただ、上述の文章で既にお分かり頂いたかと思いますが、私がちょっと面倒だなと思って、意味を考えずに公式で解こうかと思った問題が正解になったとしても、私はその問題をきちんと理解していませんし、何一つ賢くなってもいないはずです。
その後、時間を置いてもう一度その問題を読み、どういうことを問われているのか頭を整理したら、公式を思い出そうとしなくても、自信を持って、ああ、これはこの解き方で解けるなと気づきました。
理解して解きましたから、もちろんスッキリして気持ちもよいですし、何より、少なくともその問題は本当の意味で解けたわけですから、やり方を覚えようと努力する必要もありません。
本当の意味での学び、本当の意味でわかるということ、そういうことに気づいていない子達がいたら、できるだけ早いうちに気づいてくれたら、その後の人生が大きく変わってくるかもしれないなと思ったりします。
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以前から何度か書いている、ある発達上の困難を持つ子とのレッスンが今週もありました。
ひと月ほど前、どうすれば私が話していることを聞いてくれるのか尋ね、言葉に関しての弱さがあるその子としては精一杯その子なりに答えを返してくれて、それ以降、その子なりに話を聞こうと努力してくれているのを感じられるようになりました。
その結果、元々持っていた算数のセンスの良さなどがより表に出てきて、私が問いかけたことに答えることでそれまでとは見違えるほど進んでいくことをその子自身も実感したのではないかと思います。
そんなレッスンが何度か続き、今週のレッスン。
言われなければ、この子が言葉に関して弱さがあるとか、苦手意識があるとか、気づかないかもしれないぐらいに楽しくレッスンができました。
まだ低学年の男の子なので、この程度の言葉足らずさや表現しづらさは、別に気にならないよねと思うほど、問いかけにはすぐ反応してくれるようにもなりましたし、レッスン中笑顔が見られることも増え、気持ちに余裕が出てきたからか、問題の意味さえきちんと理解できれば、算数に関しては平均以上の能力を見せてくれています。
発達上の困難に関しては診断が難しいところもあり、グレーゾーンと言われたり、診断する方によっても結果が違ったりということもあるようですし、当初のその子のことを見たら、ああ、確かにそういう傾向はあるかもしれないなと思ったものの、今はその先入観はもう持たない方がいいかもしれないと思えるほどの変化を感じます。
もちろん、学校など大勢がいる場でその子だけを見てもらえない環境、その子の理解を確かめてもらえないような環境では、まだ困難を感じることはあるのではないかと思いますし、教室でも言葉の理解はまだまだ伸びる伸びしろたっぷりな感じはありますので、学校でのテストなどにすぐに反映されるかどうかはわかりませんが、やはり小さいうちはまだまだ変わる可能性があるということなんだなとしみじみ感じています。
これからのその子とこんな風に楽しくレッスンができることを願っています。
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今日のレッスンでのこと。
1年生ながら、もう掛け算の学習をしていて、2桁や3桁に1桁の数をかけるようなものまで、暗記や筆算ではなく、考えて解くことができるようになっている子に、絵を見て、問題に答える問題を解いてもらっていました。
キリンが4匹描かれていて、キリンの角が全部で何本かというようなものや、牛乳瓶が2本描かれていて、180mLの牛乳2本で何mLかというようなものなど、色々な問題が混ざっています。
それでも、ある程度すんなりと解いていっていたのですが、フォークの絵が10本描かれていて、1本50円のフォークが10本でいくらかという問題で突然どこかにはまり込みました。
あれこれ言葉をかけ、やりとりをし、それでもダメなようなので一旦ほかの問題に進み、そんなことを何度か繰り返して、いよいよそれを終わらせることに。
そこで、「掛け算だったらどんな式になるの?」というと、ようやく線が繋がったようで、「50たす50たす50たす…って書く」と言ったので、「何回足すの?」というと「10回。」と。「50が10回ってことよね?それって掛け算わからへん?」と言うと、「50×10?」と。
やっとつながったと思い、「じゃあ書いてね。」と言って少しほかの子のことを見ていたところ、ふと目を向けると、なぜかそこには「5×10」と書かれているではありませんか!!(汗)
「ねえ、さっき自分でなんて言った?覚えてる?」というと、「え?」と…。
「50を何回足すって言ったか覚えてる?」「10回。」「じゃあ、めんどうやろうけど、50+50+って、足し算で式書いてくれる?」「わかった。」
やっと今度こそ……。
そして、またほかの子を見ながら、書き終えたようだったのでふと見ると、足し算の式はきちんと書かれており、答えも500と書かれていたので、さて、マルをしましょうかねと、答えの欄に目をやると
答え 500本
なんでやねんっ!!(笑)
「ねえ、500本って何が?」
そこで「あ!」と言ってくれると思っていたのですが、きょとんとしているので、「問題で、何聞かれてるの?」と尋ね直してもまだ気づかないようです。
もう答え言っているようなもんだなと思いながらも「ねえ、何が500本あるの?」と尋ねたところ
「え?フォーク?」
「え!!!フォークが500本あるの?え?そこに500本描いてあるん??」
そこまで言っても「あ!」という反応はなく、今日はやろうと思っていたことはこの問題以外は全部できたし、この問題は諦めようかと思ったところにお母さまが。
ことの顛末をお話ししたところ、お母さまも「どこに500本あるんよ、10本しかないやん!」と笑いながらツッコミを入れてくださって、最終的には500円と答えてくれたのですが、なかなかの迷い込みっぷりに、大笑いしてしまいました。
ホントに子どもって面白いです。
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ある1年生さんとのレッスンでのこと。
その子は1年生の早い段階で算数に苦戦し始めたことがきっかけでご縁を頂いたのですが、当初のことを思えば、できるようになったこと、自信が持てるようになった子をはたくさんあるようですが、新しい何かを学ぶたび、これまで私が経験したことがないような答えを返してくることがあります。
問題の意味を理解できれば、その後は速くはないものの、その子なりに考えて、そこそこきちんと答えが出せるのですが、最初の段階での学習内容を理解する、問題を理解する力が、今の時点ではどうやら弱そうだということは感じています。
これまで経験したことがあるような間違いだったり、推測できるような間違いであれば、私もああ、こんな風に考えたんだなとか、こんな風に勘違いしたんだなと思えるので、それに合わせた対応をすぐにすることができるのですが、この子は、これまでにまだ経験したことがないような、想定外の答えを書くことがあるのです。
そのたび、あまりに想定外でびっくりして、考えずに書いたのではと思ってしまい、「え?なんで?!」というような、その子にとっては少し責めるように聞こえるかもしれないように言ってしまうことがあります。
それでも、その子が問題を理解してくれるまでは一緒にがんばるので、最終的にはすっきりしてもらえるのですが、今回のレッスンでも咄嗟に推測できず、つい「なんでそんなことになるの?」と少し責めるような口調になってしまった気がします。
それはどんな問題だったかというと、「10が3本と1が5こで[ ]」という問題でした。
その問題をするまでに、まずプリントをする前に教具のドットのタイルを使って、実際に並べながら、10の棒が何本と1が何個でいくつになるかというやりとりを繰り返し、言った数になるようその子自身にも並べてもらったりもして、並べ終わった後更に、10は何本で1は何個かも確認し、答えられるようになってからプリントに進み、ドットの絵が描かれたプリントを見て数を書き、その後で辿り着いたそのプリントの1問目がこれでした。
念のため、問題を読み、さっきまで実際に触っていた10の棒と1のタイルも目の前に置いて、問題を考えてもらったところ、しばらく考えた後書かれた答えは「19」。
それを見た瞬間、え?何をどう考えたらそんな答えになるの!?!?と驚いてしまい、もう一度問題を読んで聞かせ、実際に教具を並べてみてと言ってみたのですが、やはりその子なりに考えているようなのに、並べられたタイルは全部で19。
「なんで?10が3本よ?これ、10が3本並んでるの?」と畳みかけてしまい、その子は少し困った顔をしていました。
問題をその子自身に声に出して読んでもらってもダメで、その後何度かやり取りをした結果、ようやく10が3本と1が5個を並べることができました。
そこから後は、何度か実際に問題に合うように教具を並べて確かめながら答えを書いてもらい、途中で教具は使わずにやってみてもらったところ、きちんとできるようになって、その子の口からは「なんかわかってきた。」という言葉も出たのでホッとしました。
しかし、その子が帰った後気づいたのです、「10が3本と1が5個」の「10+3+1+5=19」だと。
まだ幼く、問題文を理解する力が今の時点では少し弱いように感じるその子は、私が読んでも、自分で読んでも、数字以外の部分を読み飛ばして、出てきた数だけを合わせていたのではないかと思います。
少なくとも、何も考えずにでたらめを置いたわけではなく(何か考えている風ではありましたので)、その子なりに算数として精一杯考えた末だったのかもしれません。
自分の推測力の足りなさを申し訳なく思いつつも、また新たにひとつ気づかせてもらったなと、その子に感謝しています。
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教室に来てくれている子の中に、中学受験をする予定で、4年生からは受験塾にも通い始めたものの、うちにも通い続けてくれている子がいます。
元々女の子としてはかなり算数のセンスがいい子なのですが、その子が行きたいと思っている学校がかなり難関と言われている学校で、教室では小6までの厚めのワークブックが終わったのと、塾ではどうしても教えられて処理をする方に傾きがちなこととで、こちらではじっくり考えながら中学入試問題に取り組んでみようかということになりました。(これまでも塾のワークブックを先にこちらで何問か一緒に取り組んでみたりはしていたのですが。)
で、定番的なことは塾で学習しているので、色々問題集などを見てみた上で、入試までまだ1年ちょっとあることと、塾でもある程度までは学習が進んでいることとで、難関・超難関といわれるところの入試問題ばかりを集めた問題集で問題をピックアップしながらやっていくことにしました。
ただ、解答解説はかなり詳しいものの、まずは自分で解いてみなければ、もっと簡単な方法があるかもしれませんし、私がやっても難しいものは(灘など超難関男子校の問題もかなり入っているので)今の時点でその子にさせなくてもいいだろうとも思いますので、とりあえずは問題だけを読んで解いて見始めました。
しかし、中学受験の段階で塾などで教えられる範囲での解き方で解かなくてはならないという制限もあります。
というわけで最初から解き始めたのですが、改めてすごい世界だなぁとしみじみ感じました。
超難関校の算数をそう苦労することなく解けるような子は、公立中学に進んでも、少なくとも数学に関しては授業を聞く必要すらないだろうなと思います。きっと、入学直後から、独学で高校数学さえもやり進めていけるような子達だろうなと。
だとすると、半ば訓練のように機械的反復や処理によって何とか合格圏まで辿り着こうとしているような子は、本当に筆舌に尽くしがたいぐらいの犠牲を払って受験勉強をしているのかもしれません。
いずれにせよ、難関レベルの中学受験というのはすごい世界だなぁと、改めてしみじみ感じました。
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どうやらこれも男女の差というか、脳の特徴のひとつであるようですが、一般的に「女性脳」が得意なことと「男性脳」が得意なことで挙げられるうち、男性脳は何かしながら別のことをするのが苦手だという傾向があるそうです。(いつも書いていますが、性別と必ずしも一致しているわけではないので、女性でも男性脳だったり、その逆もあるようです。)
で、実際に自分の家族などを見ていても、例えば父はテレビを見ているときに話しかけても、ほぼ何も聞こえていませんが、母はそんなことはありません。
もちろん私も子どもの頃から、何かしながら話しかけられても(最近はやや衰えてきましたが)、ちゃんと反応することができていたので、脳の男女差について知るまでは、なぜ父はそんなにも話を聞くことができないのだろうと不思議に思ったこともありました。
そして、教室で子ども達とレッスンをしていても、もちろん全員に当てはまるわけではありませんが、何かしているときに話しかけると聞こえていないということはやはり男の子に多く、また、手を動かしながらおしゃべりを始めると、女の子はそれでも手が動いている子が多いのに対して、男の子は手がぱったり止まってしまう子が多いということも感じます。
更に、何かをしながらだと話が聞けないタイプの子の中に、ちゃんとその子の方を向いて話しかけ、その時点ではまだ何も作業をさせていないのに、驚くぐらい話を聞いてくれていないことがある子がいます。
なぜだろうと不思議に思っていたのですが、そういうことが起こるときは、既にその子の中で何か考え始めているとか、違うことに意識が向いているようだと気づきました。
自分は聞こうと意識しなくても聞き取れるのが普通なので、ついつい、その子の方を見て話しかけたら当然聞こえているだろうと思ってしまいがちですが、子どもの傾向をきちんと見て、聞くときは聞くことに集中しなければ聞き取れないタイプの子であれば、話し始める前に名前を読んだり、ちゃんと聞いてねと念押しをしてから話し始めるなどした方がいいのだろうなと思います。
もしかすると、多くのお母さまが男の子さんに対して、なんで聞いていないんだろう?と同じような疑問を感じられることがあるかもしれません。
それはその子の脳の傾向なのかもしれませんし、それは「男性脳」にとってはさほど珍しいことでもないようですから、「女性脳」の基準ではなく、何かしているのなら、それを一旦やめさせてから、きちんと自分の方を向かせてから話しかけるなどすると、案外すんなり聞いてくれることもあるかもしれませんね。
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今日は振替で高校生の子のレッスンがありました。
試験前ということで試験範囲の復習をしていたのですが、今回の範囲には空間図形に関する内容があり、その子もあまり得意ではなく、私も頭の中で思い浮かべて操作するのはかなり苦手。
正四面体や正八面体の中に各面に接するように球を入れて、その内接球の半径を求めるという問題があったのですが、イメージしようとしても、見えないものは見えません。
やり方を覚えさせるにしても、同じ問題が出なければ、見えていないわけですから、やはり応用はできません。
試験直前とはいえ、範囲が狭く、また、そのほかのところはほぼ理解できているようだったので、これは実際に何とか見せるしかないなと、空間図形も作ることができるマグネットプレートを使って正四面体や正八面体を実際に作り、向きを変えたり、1面外して中を見せたり、ぴったりのサイズとはいきませんでしたが、中にボールを入れたりしながら、一緒にあれこれ考えてみました。
実際に見ること、触ることで気づくことがあり、立体の向きを変えればかなり簡単に感じられるものがあったり、少なくとも目の前で見える状態にしたことにより、私もその子も、ああ、そういうことか!と気づけるところが多くありました。
たとえイメージすることが苦手でも、見たことがあるものは思い出せる可能性は高まります。
でも、苦手な子に具体物を見せずにやり方だけを教え続けても、同じ問題が出なければ解くことはできないかもしれませんし、機械的に覚えた場合、思い出すのもなかなか困難でしょう。
それを思えば、特に空間認知の能力は小さい頃から遊びなどを通して、色々な形のものを作ったり、作ったものを開いたり、どこかで切り分けたり、色々な方向から見たりと、そういう経験は、図形が苦手な子であればあるほど重要になるのではないかと思います。
嫌がるのを無理矢理やらせることはお勧めしませんが、楽しんでできるのであれば、お勉強ということではなく、あくまでも遊び感覚で、小さいうちに積極的に形遊びなどを取り入れておくと、成長していくにつれ、色々なところで役に立つのではないかと思います。
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もう12月も4日かと思うと、それだけで気ぜわしく、そのくせ今日も特に何をするでもなく過ごしてしまいました…。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。
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子どもに作文を書かせることについて、大いに書かせるべきだという立場の先生と、書くのはある程度成長してからでいいという立場の先生がおられ、そもそも子どももみんなそれぞれ違っている上に、教育に絶対はないわけですから、どちらの立場の意見でも、その意見に合う子、合わない子がいるということなのかもしれません。
私自身は子どもの頃から日記や手紙を書くのは好きでしたし、作文を苦にしたことはありませんので、小さいうちに先生とやりとりしたあのね帳などで、先生がちょっとした質問を返してくださり、それに対してお返事を書いたり、もっとわかりやすく書こう、もっと面白く書こうと、色々工夫していったような気もします。
でも、やはりその頃にも書くことがキライな子、作文の時間にはなかなか手が動かない子もいたように思いますので、そういう子達に小さいうちからとにかく書かせることがお勧めかといえば、もっと何か別のことを先にする方がいいのかもしれないとも思います。
ただ、子ども達を見ていると、実際に書いてもらわなければ気づかないこと、理解が深まらないことというのもあるのだろうなという気もします。
国語も一緒にさせてもらっている子の中に、言語に関しての力が弱いという子がいて、おうちの方も力をつけさせるために作文教室のようなところに行かせたこともあったようです。
でも、そこではあまり成果が感じられなかったようで、縁あってうちに来てくださり、算数と国語を一緒にさせてもらうようになりました。
この子には文を書かせるのはまだ早いかもなと思ったのですが、おうちの方のご希望もあり、それならと、短い分を書いたり、短文の一部分だけを考えたり、前半が書かれた短い文に、接続詞に合う後半の文を書かせたりというような教材を一緒にしていくことにしました。
しばらく続けていると、その子なりに変わってきたように感じるところもちらほら出てき始めて、嬉しく感じていますが、実際に書いてもらうことで、その表現ではどういう部分が足りないかや、どうすればもっと面白くなるかなど、その子に必要なアドバイスをすることができます。
今週のレッスンでは、前半が書かれた短い文につながる後半を書く問題があったのですが、
「ぼくはよくこわい夢を見る。今日も( )。」
こんな感じの文に(こわい夢を見た)とその子は書きました。
もちろん、これは国語的には間違いではありません。ただ、回答欄の括弧はもっと長めに書けるスペースがあり、できることなら、怖い夢の例を挙げるなどをしてほしいわけです。
でも、それは今の時点のその子には自ら気づいて工夫するところまでは恐らく思い至らなかったのでしょう。
そこで、その子が書いた答えは合っているのでマルだけど、どんな夢を見たのか書いてみてと言いました。
このほかにもいくつも、文のつながりとしては間違いではないもののつまらないものは、できる範囲で考え直してもらったりしましたが、そのほかにも書いてもらうことで、その子が言葉の意味をきちんと理解しているのかどうかに気付けることもありました。
「口うるさい」や「気が合う」など、意味を勘違いしているようなものがあったりしたのですが、それも普段読んでもらっているだけではなかなか気づけないところかもしれません。
そういう意味では、文を書くのが苦手な子にはフリーの作文を書かせるとか、日記を書かせるとかより、このように、一部が与えられているものに付け加えるとか、文の意味が繋がるように並び替えさせるとか、そういうことは大いに役に立つのではないかなと感じています。
特に、書くのがあまり好きではない男の子などには、日記などより、架空の話を書かせるなどの方が楽しく書けるかもしれません。
書くことの効果は確かにあると思いますが、やはりこれも、それぞれの子に合った方法というものがあるのかもしれませんね。
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今日は保護者の方から思いがけないメールを頂きました。
その子は元々算数はよくできる子なのですが、成長し、ほかにも色々忙しくなり、今週はレッスンに来る前、ちょっと来るのを渋っていたそうです。
レッスンではそんな様子は見せなかったので気づきませんでしたが、その子が帰ってから楽しかったと言ったそうです。
そこで、行く前には渋っていたのに何が楽しかったのだろうと思って、尋ねられたところ、その子はこんな風に答えたのだそうです。
「あとちょっとでわかりそうでも先生は教えてくれへんやん。でもそれが解けた時、凄い爽快やねん!それがたまらんわ。」
この子は私とのレッスンに慣れてもおり、元々算数系が好きだということもあると思います。
それに、子どもがどうしたらいいのかわからないのをそのまま放置しているわけではもちろんありませんが、その加減もなかなか難しく、時には助けが足らなかったり、助け過ぎたりということが、どの子に対してもあるようにも思います。
でも、この子にはとりあえず今の加減でちょうどいいということなんだろうと思いますし、その結果、やり方を教えない、質問に簡単に答えない、そういうことでその子自身が爽快感や達成感、満足感を感じてくれているというお知らせは、私にとって何より嬉しいお知らせでした。
今日のレッスンで小さい女の子が、自分が気乗りしない問題をよく考えずに適当に答えを書いてはこちらを見てくるということがありましたが、そんなことをしてマルをもらっても、その子はポジティブな感情は何一つ抱くことはないはずです。
イヤな問題がとりあえず片付いたという意味では気持ち的には喜ばしいと言えるのかもしれませんが、爽快感、達成感、満足感、何一つ得ることはないでしょう。
そんな勉強はいくら続けても、決して「もっとやりたい」、「がんばろう」というような原動力にはなりません。
どの子にも「やった、できた!」という感覚を味わってほしい、それを積み重ねてほしいと思っていますが、算数が好きではない子、キライな内容の学習のときなどには、なかなか思うようにいきません。
日々、それをもどかしく感じながらも、反省しつつがんばっていくしかないんだろうなと思っています。
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今日は振替の中学生の子のレッスンがありました。
その子は小学生の頃通ってくれていて、算数はかなりよくできる子でしたが、徒歩圏ではないこともあり、中学からは自宅から近い塾に移りました。
で、今もその塾に通っているのですが、中3になり、縁あって期間限定でまた少しの間戻ってきてくれたという経緯の子です。
今も数学はかなりできるようですが、確率のあたりが苦手ということで、こちらではそこを中心にさせてもらうことになり、目指している学校からしても、解き方を教えるかどうかは別として、高校数学の範囲の順列・組合せの問題をやってもらうぐらいでちょうどよさそうだなと、先月からそのあたりを中心に取り組んでもらっています。
順列・組合せは私もあまり得意ではない単元の一つですが、その大きな理由は、自分が考えている考え方で合っているかどうか自信が持てない場合が往々にしてあるということです。
方針を立てて、その方針で解くことはできるとしても、その問題に対して立てた方針が間違っている、勘違いしている場合があるからです。
例えば、9人の子を3人ずつのグループに分けるときの分け方は何通りあるかと問われたときに、グループだから、順番は関係ないということはわかります。(①②③と①③②は同じものというようなことです。)
ということは、ダブりを割るんだなという辺りまでは難しくないのですが、9×8×7を3×2×1で割り、次に6×5×4を3×2×1で割って、それを掛け合わせたものが答えかといえば、そうではないわけです。
3人ずつA、B、Cの部屋に入れるなどの条件があれば、今の解き方で解いて終わりになりますが、部屋などの区別がないということは、答えはそれより少なくなるんだなと、そこまではまあわかりそうですが、その時点で頭の中でイメージするのが一気に難しくなるのです。
イメージすること自体が得意な子などは、あっさり解いてしまうのかもしれませんが、先ほど計算した答えを3で割るのか、6で割るのか、それとも…と、慣れていなければ一気に訳が分からなくなってきます。
人数が少なければ、ある程度書き出して確認することもできますが、高校数学だと、答えが何万通りもあるようなものが出てきますから、とてもではありませんが、書き出して考えることは不可能に近いと思われます。
こういうとき、大事になるのは置き換える力なのではないかなと思います。
この力は、中学生でなくても、小さい子でも大事な力で、身近なもの、イメージしやすいものに置き換える、簡単な数に置き換えるなどのことを、自分でできるようになれば、それは大きな力になるだろうと思います。
例えば、小学生で計算式が与えられ、□に当てはまる数を求めなさいというような問題がよくありますが、計算式が複雑になってきたり、数が大きくなってくると、きちんと考えなければ間違うことが多くなってきます。
そんなとき、その難しい式でいきなり解き始める前に、同じ形の式を簡単な数字に置き換えて解いてみることができれば、解き方の確かめをすることができます。
また、もっと小さい子であれば、文章問題などで問題を読んでもぴんと来ない様子のときに、問題に出てくる子の名前をその子自身の名前にし、お父さんやお母さん、兄弟などを登場させて読みかえると、途端に頭が働きだすこともあります。
順列・組合せの問題でも、A、B、C、D、Eの5人といわれるより、自分と自分の友達4人など、顔を思い浮かべることができる5人に置き換えると、途端に考えやすくなる子もいます。
指導者や親から言われてやるのではなく、自らそうできる力をつけられれば、それはきっと大きな力になるのではないかなと思います。
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