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2016年11月19日 (土)

賢いというのはどういうことなんだろう

これまでに、発達上の困難を持った子達とレッスンをさせてもらう機会が何度もありました。
診断名がついている子も、グレーゾーンの子もいましたが、教室で一緒にレッスンさせてもらった子達は、みんなそれぞれ違っていて、ある面では困難を抱えていても、別の面では秀でているというようなことも珍しくありませんでした。

簡単な例で言えば、忘れ物王で、自分のものにも人のものにも執着がないのか、何かをなくしても気に留めていないふうで、また、忘れたからと消しゴムや筆記具を貸すとそのまま持って帰ってしまっても気づかないというような子で、算数のセンスが抜群によかった子。
ぐっと集中し始めると、無意識のうちに椅子から立ち上がってしまう子。
理解には平均的な子の何倍も、時には何十倍も時間がかかるものの、一度理解するとその定着度が驚異的だった子。
そんな色々な子達がいました。

そういう子達を見ながら、天才といわれる人の多くはどこかアンバランスなのではないかなと思うようになりました。ある意味、だからこそ天才たり得ているのではないかなと。

で、最近も、見る限り軽度のような気はするものの、ある発達障害の診断を受けた子とレッスンさせてもらっているのですが、その子は問題文の意味を理解する、話を聞いて理解するというようなことが不得手のようです。
ですから、自分で問題を読んで考えてもらうと、突拍子もない答えを書いたりすることも少なくありません。宿題などは私が見ているわけではないので、ひとりでやったものは相当間違っていることも珍しくありません。

そういう子は、例えば学校という場や筆記試験の場などでは、なかなか評価してもらえないのかもしれません。
私も初めのうちは問題の理解力が乏しいことはひしひしと感じたので、これはちょっと学校などでは大変なのではないかなと感じていたのですが、この頃気づいたのは、少なくとも算数は、問われていることをきちんと理解することができれば、かなりの能力を持っているようだということです。
仮に問題を読み取る力が平均的であれば、この子は間違いなく「算数がよくできる子」と評価されているだろうと思います。

人間にはみんな得意不得意があります。その子は文章を読み取る力、言葉を理解する力が弱いかもしれませんが、算数のセンスは平均以上のものを持っているように思うのです。でも、今の学校のシステム、今の試験のシステムだと、この子はなかなか評価してもらえないかもしれないとも思うのです。

そんなことを思いながら、「賢い」というのはどういうことなんだろうと思います。
ペーパーテストができるというのも「賢い」というものの一面ではあると思いますが、その子の持っている算数のセンスは明らかに「賢い」と言われるもののように感じます。

社会が、アンバランスな発達の子達にももっと暮らしやすく、評価されやすくなればいいのになと、そんなことを思います。

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