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2016年11月28日 (月)

考えさせることの意味

私は教室で子ども達と算数や国語を通してしか一緒に学ぶことはありませんが、考えることが大事だと言い続けているのは、何も算数や国語ができるようになるためだけではありません。というより、元々、子ども達が学ぶのは、よく生きる、幸せに生きるためなのではないかと思っていますので、考えたり、想像したり、推測したり、試行錯誤したり、そういう全てのことが、生きる力になっていくのではないかという思いがあります。

先日、あるテレビのドキュメンタリー番組で、天才発明家の方が出ておられたのですが、その方は小学校で教科書をもらうと初めのうちに自分で全部目を通して理解してしまい、学校で学ぶ意味が分からなくなったということで、確か5年生と言っておられたか、そこから学校に通うのをやめて、自ら様々なことを学び、様々な経験を積まれたそうです。
しかし、もう大人になって、必要だと感じるあれを学び、これを学びとしていくうち、はたと気づいたのは、自分が学ぶ必要があるとリストアップしたものは、学校の授業と同じだということだったそうです。(多少記憶が怪しいところがありますので、間違っていたら申し訳ありません。)

また、以前中学の同級生の子が言っていたことなのですが、その子は小中学生の頃かなりやんちゃで一歩間違えたら警察のお世話になっていたかもというような子だったので、本人曰く、勉強はろくにしておらず、大人になった今でも分数の計算などもあやしいのだとか。その彼が、学校での勉強なんて何のためにするんだと思っていたけど、大人になって社会に出て、色んな壁にぶつかって、これはどうしたらいいんだろうと考えるための予行演習みたいなもんだったのではないかと言ったのも、とても印象に残っています。

実際のところ、難しい数学などができるようになっても、それが直接役に立つ人はごく僅かだろうと思います。歴史にしろ、物理にしろ、それが直接仕事などに活かせる人は限られているでしょう。でも、それをみんなに学ばせることには何らかの意味があるはずです。
その意味は人によって少しずつ違うかもしれませんが、それでもやはり詰まるところは「よい人生を生きるため」に学ぶのではないかと。

この頃、街で、自分にとってはあり得ないと思うようなことを平気でしているような子を見かけることも少なくありません。人に迷惑を掛けるということ以前に、本人の命の危険すらあるのでは?と思うようなことなのに、全く考えもしないのかしらと、他人事ながら心配になることもあるのです。

でも、それってもしかしたら、小さい頃から当たり前のように大人から習うことを覚え、繰り返し練習する、教えられたことを真似る、そういうことを繰り返し、自ら考えるという機会が減っていることにも関係があるのかもしれないと思ったりするのです。
遊びひとつとってみても、折り紙や積み木など自分で工夫することでどんどん広がっていくような遊びをする機会は減って、あらかじめルールが決まっているゲームなどに取って代わられて行っているのだとすれば、そこでも自らルールを考えたり、工夫したり、試行錯誤したりする機会は失われてしまっているのかもしれません。

だとすれば尚のこと、機会を見つけて意識的に考えさせる必要があるのではないかと思うのです。
なんでだろう?どうしてかな?どうしたらできそうかな?これがダメならあの方法だったらどうだろう?
大人が与えるのではなく、子ども自身にできるだけあれこれ考える機会を与えることで、成績も上がるかもしれませんが、それより何より、自分の身を守ったり、人の気持ちを想像したり、問題にぶつかっても簡単には折れなくなったり、もっと色々なことに影響があるのではないかなと、そう思うのです。

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