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2016年10月 4日 (火)

見えているようで見えていないことに気付く

人は無意識のうちに情報を取捨選択しているそうですが、目から入ってくる情報も、自分が興味があるもの、好きなもの、目立つものなどは「見えて」いても、そうでないものはそこにあるにも関わらず見えなかったりもするものなんだなということを、この頃よく気付かされます。

教材を作り始めてから、それまで十数年も見続けていたはずの教材を見て新たに気づくことがあったり、ワークブックなどのイラストの細部に目が行ったりするようになりました。
今回、コンパスの図がほしいなと思い、フリー素材なども見てみたのですが、それだと腕の角度を思うような角度に変えることができないしなぁと、自分で図を作れないかやってみることにしました。

その場合、実物を見て作るより、既にイラストになっているものを見てそれを真似る方が簡単なので、色々見てみたのですが、立派なワークブックなどでも「なんだ、こんなアバウトなイラストだったのね」と思うようなものがあったりもして、作る側にならなけば、「ああ、コンパスの絵」と思うぐらいで、細部には目を向けていないということに気付かされました。

ですので、普段レッスンをしていて、これまでずっと私は気づかなかったこと、ほかの子達もこれまで誰も指摘しなかったようなことに気付く子が時々いて、そのたび、すごいなぁと思います。
それは結局、その子にとってはそのイラストなりに興味を惹かれ、細部にまで意識が行ったということなのかもしれません。
イラストや図だけでなく、問題文を読んでいても、これまでは気にならなかったことが気になることもあり、その部分で引っかかってしまう子もいるのかもしれないなと。どこまでが暗黙の了解を求められるんだろうと思うこともあります。

例えば、わり算などの問題で、りんごが34個あって、りんごが5個入る箱があり、全てのりんごを入れるには箱はいくついるかというような問題で、「袋の数をできるだけ少なくするには」などの断りがつけば、この場合は7つになりますが、ワークブックなどを見ていると、そういう断りがないものも少なからずあることに気付きます。

6個入るというのは6個入れなくてはならないということではないので、1個ずつ入れれば34個、2個ずつなら17個と最大34個から最小7個まで、どれも間違いではないようにも思います。
そういうところに疑問を持たず、すんなり7つと答えられる子ももちろん少なくないのですが、条件を書かずに「常識」として判断させる必要がどこまであるのか、そのあたりはこのところ疑問を持っているところでもあります。

作る側に立つことで気づくことがこんなにあるということは、子どもにも、何かを学習したら、問題演習をさせるより、それに関する問題を作らせる方が時にはより大きな効果があるのかもしれませんね。

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