« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月31日 (月)

10月最終日

やらなくてはやらなくてはと思いながらも、またあれこれパソコンで図を描かなくてはいけないのはわかっていたので、ついつい後回し後回しにし続けて、お尻に火がついてもエンジンがかからなかったため、昨日今日は久しぶりに、一体なん時間パソコンに向かっていたかしらというぐらいパソコン画面を見つめ、マウスを握り、キーボードをたたき続けました。

それでもやはり、手描きすればなんてこともない図も簡単には描けず、いちいち時間がかかるため、これだけやったのにまだこれだけしかできてないのか…と凹みそうにもなりました。

嘆いていても今日で10月もおしまいです。今年も残すところあと2か月かと思うと、ちょっと恐ろしくもなりますが、11月もどうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月30日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月29日 (土)

文章に表す難しさ

教材を作るようになってから、文章の表現について引っかかってしまうことがしばしばあります。
それもほとんどが、これまでは意識することもなかったようなことで、ある程度の年齢以上になれば、暗黙の了解とか、常識とか、断らなくてもある条件が付け加わっていると理解するのが「普通」であるとか、そういうものが少なからずあるんだなと感じます。

例えば、円の直径はいくらでも(無限に)あるというような表現をしますが、直径というのを「円の中心を通って円周上の2点を結んだ長さ」というように解釈した場合、「長さ」がいくらでもある、何本でもあるというのは本来はおかしいはずです。
この場合、直径を表す線分は無限に引くことができるというような表現にすればより正確なのだろうと思いますが、小さい子にはそれだと難しいということもあるかもしれません。

また、円の説明をするときに、お茶碗やまるいお皿、瓶や缶のふた…のような例を挙げて説明していることがありますが、まるいお皿といっても、やや楕円になっているようなものは、子どもにとったら「まるいお皿」なのではないかと思いますし、瓶や缶だと、様々な形のものがあるので、その説明ではもしかすると混乱する子ども、勘違いする子どもがいるかもしれません。

もちろん、小さい子達にどこまで正確に理解させるかというのは、それもまた判断が難しいところだと思いますが、そういうことを気にし始めると、ほんの1、2行の問題文でさえも、これでいいのかな?これはわかりにくいかな?といちいち気になります。

それと同時に、発達上の困難があったりして、行間を読むようなこと、隠れた意味や常識を理解することなどが苦手な子にとっては、理解しづらい、勘違いしやすい表現というのが、思っているよりたくさんあるのかもしれないなとも感じます。

誰にでもわかりやすく、かつ簡潔な表現というのは、本当に難しいものだなと感じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月28日 (金)

仕事には直接関係ありませんが・・・。

この頃、街を歩いていると、歩きスマホにとどまらず、イヤホンをして歩きスマホ、ひどい人だと自転車に乗ってイヤホンをして目はスマホ画面、そんな人たちを目にすることがあります。
イヤホンで歩きスマホの若者は全く珍しくないのですが、彼ら、彼女らは、それがどれだけ危険なのかに気づいていないんだろうなと感じます。

先日、電車を降りようとしたとき、開いたドアの前で乗車するらしきお嬢さんが耳はイヤホン、スマホ画面をじっと見つめ、手はスマホ画面を触りつつ、一切顔を上げることなく立っていました。あの様子だと、そのまま電車に乗り込んでいくんだろうと思いましたが、例えば、電車とホームの間が空いていて、気づかず線路に落ちるなんてこともありえなくはないと思います。

また、そもそも、スマホを見ているというだけでも周囲への注意力がかなり削がれているのに、耳からの情報までイヤホンでシャットアウトしたら、どうやって危険を察知するんだろうとも思います。
更に言えば、日本だからまだそういうことは少ないのかもしれませんが、あの状態だと、カバンなどからお財布や貴重品をすられても気づかないのではないかなと思います。

最近、トラック運転手が、運転中にポケモンGOをしていて、横断歩道を渡っていた小学生がはねられ、命を落としたニュースを耳にしましたが、その運転手は警察に、運転するときはいつもスマホでポケモンGOを立ち上げていたと答えたという報道を聞き、耳を疑いました。

先日、そういう話を嘆いていたところ、友人が、実際に知り合いの方がイヤホンと歩きスマホで車にはねられて亡くなったと聞かせてくれました。お子さんもいる、私達より年上の方だったそうです。

なんというか、世の中の色々なところで、少なくない人達が想像力が欠如しているように思えてなりません。
私も歩きながら全くスマホを見ないわけではありません。でも、ちらっと時間を確認するとか、車は通らない場所で、スマホの位置を高い位置にし、視線が前に向くようにしながら(スマホの向こうに前から人が来ているかどうかが感じられるような位置にして)ちょっと見るというように、周囲に極力迷惑がかからないよう、もちろん自分に危険が及ばないよう、なるべく気をつけています。(もちろん、歩きスマホはしないのが一番だとわかっていますが。)

歩きスマホはある程度の年代以上のことだから、小さい子どもには関係ないとお思いの方もおられるかもしれませんが、小さい子で過去に実際目にしたのは、ポータブルのゲーム機の画面をじっと見つめ、何かゲームをしながら道を歩き、危うく車にはねられそうになった場面や、中学生ぐらいの子が自転車に乗りながら、何かゲームをしている場面。
子どもだから関係ないという話でもありません。

また、歩きスマホ、歩きながらのゲームなど全て、歩いている側は加害者になる可能性は高くはないかもしれませんが、そういう子が信号を見ず道に出て、それをはねてしまったら、運転者は加害者になってしまうのです。でも、それは運転者の注意不足というには気の毒過ぎる場合もあるのではないでしょうか。

知り合いの方が亡くなったという友人は、その後、自分の息子が自転車に乗りながらイヤホンをしていたところに出くわし、息子さんを叩いて怒ったそうです。叩くことの是非はあるかもしれませんが、絶対ダメだということは、そのぐらい毅然とした態度で伝えなくてはならないときもあるだろうと思います。

スマホやゲームは大人でさえ夢中になってしまうほどですから、子どもや若者たちが夢中になるのも無理はありません。ただ、やはり時と場所をわきまえる必要はありますし、何より、自分の身の安全のため、人を怪我させたりして加害者にならないため、ダメなものはダメなのだと、そういう機会があれば是非強く言って聞かせてほしいなと、そう思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月27日 (木)

わかってくると表情が変わる

今日の1年生さん。算数はちょっと苦戦中ながらも、いつもとても一所懸命がんばってくれます。
20までの引き算も以前に比べればかなりできるようになったのですが、まだもう一息という感じの段階で、問題に取り組んでいる様子を見ても、ぱっとわかるときと、自信なさそうに答えつつ、こちらの様子を伺ってくるときがあります。

考えられていないなと感じたときには声掛けをしたり、教具を見せたりしながら進むのですが、今日のレッスンで、それまでも何度か尋ねたものの、どうも言っていることが通じない様子で、その方法は保留にしたものを、もう一度尋ねてみたところ、今日はようやく私の言っていることが通じて、やりとりが成立しました。

これまでも、教具を見たら答えられるようにはなっていたので、教具を頭に思い浮かべてもらおうとしていたのですが、それがまだ難しいときがあるようだったので、教具は箱を閉じたまま、中がどうなっているかを尋ねたましたが、これまではうまく意思疎通ができなかったのです。(例えば、14だと、教具が5、5、4の3段重ねになり、17なら5、5、5、2の4段重ねになるというようなことを声に出して言ってもらいたかったのですが、これまではなぜかそこがうまく通じないということが二、三度続いていました。)

でも、今日はやっと何か線がつながったようで、「5が2回で一番上が2」などのように答えてくれるようになりました。(言い間違えて、何度も10が3回で…などと言っていたものの、頭にはちゃんと教具が浮かんでいるようでした。)
そして、それが答えられると、引き算の答えも、それまでに比べてかなり自信を持って答えられるものが増え、本当にわかって答えている表情に変わっていきました。

一歩一歩だとは思いますが、本当の意味でわかる、できるということは快感ですし、自信にもつながります。
それを積み重ねていくことで、大きな力になっていくのだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月26日 (水)

一体何が…(笑)

今日の最初のレッスンの1年生さん。
普段、バスで寝てしまって眠そうにしていたり、学校で疲れていやだなぁというオーラを放っていたりすることがあるのですが、今日はニコニコ登場しました。
そして、席に座って最初の課題をし始めると同時に、ニコニコお話しし始めて、今週の土曜が楽しみだということをあれこれ教えてくれました。しかし、お話に夢中で手が止まっていたので、手が止まってしまうんだったら今はお話せずに課題をするよう促したところ、すぐに静かになって課題に取り組み始めたのですが、さっきまでニコニコだった表情が突然曇り始めました。

最初の課題を何とか終えて、先日からしている時計の学習に移ったところ、なんだかおかしなことが起こりました。
前回までに何時、何時半、何時何分、何時前、何時過ぎ、何時何分前、何時何分過ぎ…と順を追って学習し、宿題も9割がたきちんとできていたのですが、なぜか今日は惜しい間違いではなく、あり得ないような間違った答えを書くので、え?どうしたのかな??と何度かやりとりしていると、思い当たったことがありました。

これ、もしかして、長い針と短い針、逆に見ているのでは?

ためしに時計の教具を渡して「8時にしてみて」と言ったところ、長い針が8のところ、短い針は12と1の間あたりにしたものを8時だと言って見せてきました。予想はビンゴだったようです。

「ねえ、それ、12ぴったりのところを指してないよ?なのに8時ぴったりなの?」

そう声をかけたのですが、まだ「あ!」という反応を見せてくれません。
どうやら急に眠くなったようでしたが、それにしても、前回まで普通にできていたのに、突然長い針と短い針の役割を逆に勘違いするというのは、これまで色々な子とレッスンしてきた中でも未体験の反応だっただけに、ちょっとびっくりしました。

何度か時計を見せながら、何時か尋ねて、長い針と短い針がどこを指しているか確認してもらったところ、勘違いに気付いて、その後は眠いながらもよくがんばってくれましたが、本当に一体何があったんだ?と思うぐらい、不思議な反応でした。

本当に、子どもって想像を超える反応を色々見せてくれますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月25日 (火)

いつの間にか当たり前になってしまうけど

今日のレッスンでのこと。
しっかりじっくり考えることもでき、算数のセンスもあるように感じる1年生さんとのレッスンで、ああ、この子もやっぱりそこで戸惑うんだなぁと感じたことがありました。

おりがみが80枚あって、子どもに1枚ずつ配ったら残りが58枚になったとすると、子どもは何人いたかという問題で、この問題の場合、80枚、1枚ずつ、58枚と、数が3つ出てくるので、算数が苦手な子の場合は稀に1枚も式に使っておかしな答えを出すということもあります。
また、おりがみの数は「枚」の単位なのに、何人いたかを尋ねられる問題なので、そこで戸惑う子も稀にいますが、今日の子も含めて多くの場合は、80枚あって58枚になるという問題の流れから、「答えが58」だと感じてしまう、もしくは、答えは22とわかっても、式に「80-22=58」の順で書いてしまうことがあります。

それは恐らく、問題に書かれている流れを素直にイメージした場合、80枚あって配った結果58枚になったわけですから、この流れの中で「80-58」は出てこないからなのだろうと思います。
ある意味、「80-?=58」というような式を書く子がいたら、それは花マルをあげたいぐらいですから、こういう問題で式の途中に答えの数が出てきてしまう子は、問題をきちんとイメージできているということでもあるのだと思います。

こういう問題でどうやって式を書くのかを考え、流れとは順番が違うけど、80から58を引けば答えがわかるんだなと経験し、そういうことを積み重ねていく中で、当たり前にできるようになっていくのだろうと思いますが、まず大事なのはちゃんと式が作れることよりも、問題がイメージでき、正しい答えが出せるかどうかの方ではないかと思います。
もしご家庭でも問題の流れの順では式が作れないような問題でお子さんが戸惑っているような場合は、絵を描かせるであるとか、まず答えを考えさせるであるとかいうアプローチで、その答えならどういう式になるのかを後で考えさせるというのが有効かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月24日 (月)

筋肉痛…。

月曜は固定のレッスンはないのですが、事務仕事や教材作成が全くはかどっていないので、今日は出勤しようかなと思っていました。
しかし、目覚めたら、予想通りとはいえ筋肉痛。お尻、両足の付け根あたりと、なぜか右だけでなく左腕まで筋肉痛で、結局のろのろペースで家のことをして、仕事はほとんどはかどらずでした…。
いかに運動していないかを痛感しています…。

10月もあと1週間しかありませんので、明日からはホントにがんばらなくては…。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月23日 (日)

オフでした。

今日は私にしては非常に珍しく、昔からの友人達と何十年ぶり?かに卓球をしてきました。
昔々6年もやったことは、ある程度体が覚えているようで、どうするんだったかなと困ることはなかったものの、脳は反応しているのに体の動きが伴わないとか、色々ギャップを感じる面もありました。
そして、交代しながら遊びの延長という感じで打ち合っただけで、自分は延べ40分もしていないと思うのですが、終了直後から既に筋肉痛の予感…。
明日起き上がれなかったらどうしよう…。
でも、とてもとても久しぶりの卓球はなかなか楽しいものでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月22日 (土)

ちょっと伝わったかな

以前にも書いたことがありますが、ちゃんとその子のことを見てその子に向かって言っていても、全く聞いてくれていない、無視して違うことをしてしまう子との今週のレッスンでのことでした。
今週も、問題をきちんと読んでいないと思われる間違いが多発していて、まずは問題を読んでもらわなければ始まらないため「問題になんて書いてあるか、ここ読んで」というような感じで声掛けをすることが何度もあったのですが、視線は問題の方に行くことなく、明らかに読んでいないのに答えを消して、頓珍漢な答えに書き直そうとするようなことが何度も繰り返されました。

今週はその子とマンツーマンのレッスンだったこともあり、これまでにも何度も言ってきたことではあったものの、じっくり話してみることにしました。
私は、難しい問題でなんでこの問題ができないのと言ったことはないことを確認し、問題を読んでいないか、勘違いしているかだなとわかる答えを書いているとき、気づいてもらうために問題を読んでと言うのだけど、それでも読もうとしないのはどうしてか尋ねました。

言葉にすることが少し難しい子なので、何度もやりとりをし、おうちで自分一人でやるときになかなかちゃんと読めないとしても、それはそういうこともあるかもしれないけど、教室で「読んでみて」と言われたら、すっと読むようがんばってみてほしいと伝えました。
その後も、たった今言ったことを無視して違うことをしようとすることがあったので、「今私、なんて言った?」と尋ねると、「言われたこと忘れちゃうことがあるねん」と答えてくれました。これはちゃんと会話が成立して嬉しく思いました。

そして、もう一度今言ったことを言い直して様子を見ていると、言われたことをしようとして間違い、その瞬間「あ、三角って言ってた」とつぶやくのが聞こえて、また嬉しくなりました。
そこから後は、これまで何か月かのレッスンの中でも一番、ちゃんと会話が成立して、問いかけに答える、問いかけに答えるを繰り返しながら、お互い気持ちよくレッスンが進んでいきました。
見ていても、その子の表情も穏やかで笑みがこぼれたりもして、「言ったことちゃんと聞こうとしてくれたら、こんなにスラスラ進んだよ」と言うと、「うん」と穏やかな表情で頷きました。

子ども達は一度できても次にはまたできなくなったりということはよくあることですから、これで次回からいつもこんな風にレッスンができるとは思ってはいませんが、こんな風にやり取りできたということが嬉しくて、多分少しずつでも変化が現れるのではと思えました。とてもとても嬉しい出来事でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月21日 (金)

不思議

今日のレッスンでのこと。
かなりよくできるものの、何かの拍子に変なスイッチが入ってしまうことがある子とレッスンをしていたときのことでした。
前回の宿題の中に、結構骨のある文章問題のプリントが2枚あり、その子の年齢を考えると、自力で全問正解するのはかなり大変というようなものでした。
しかし、見ると全問かなりのところまで考えられており、半分以上がバッチリ正解。間違っているものも、式の数字を書き間違えていて答えは合っているとかで、完全な間違いは小問のうちの1問だけでした。

そこで間違い直しを順にしていったところ、答えは合っているものの、式がおかしい問題に行きつきました。
そういえば以前にも少ない方から多い方を引く式を書いて答えは合っており、順番がおかしいだけなのに、どうしてもそれを直せなかったことがあったのですが、今回もまた、少ない方から多い方を引く式を書いていました。

その式は「80cm+60cm-2m=60cm」となっていたので、80cmと60cmを足すとどうなるか尋ねたところ、すんなり答えました。次に140cmと2mではどちらが長いか尋ねたところ、やはり迷うことなく2mと答えました。
そこで、「じゃあ140cmから2mって引ける?」と尋ねると「引けへん」と答えたので、「じゃあ直してね」と言ったのですが、その後突然おかしいスイッチが入った様子。

なかなか動き出さないので、80cm+60cmは何の計算をしているのか尋ね、式が2つになってもよいとも声掛けをし、もうしばらく待ったのですが、ようやく動き出したと思って書かれた式を見ると、再び同じ式が…。
「140cmから2m引けないって言ったよね?」(ふりだしに戻る……。)

これ以上同じ問題をやっていてもダメそうだったので、違う問題に切り替えたらそれはまずまずできたので、レッスンとしてはやりたかったことをほぼ終えられたのですが、普通のひき算はちゃんとできていて、そのほかの難しい問題も自力で解けて、なぜその式だけが、ただ反対にすればよいだけということに気づけないのか、その子の頭の中がそのときどんな状態になっていたのか想像できず、不思議な気持ちのままでした。

家でもう一度考えてみてねと伝えましたが、果たしてすっきり解決できたかどうか、気になるところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月20日 (木)

色々考えられること

今日レッスンだった子のお母さまと少しお話をしながら、そういえば、こういう考えの指導者というのはあまり多くないのかもしれないなと思ったことがあります。

例えばですが、繰り下がりのひき算を学校などで習う際、ほとんどの場合が「10借りてくる」という考え方で指導するのではないかと思います。
引く数をまず10から引いて、1の位の数と合わせるというものです。

また、水道方式などに代表される、半端なところを引いてから更に引く、減減法というものもあります。(13から7を引くのであれば、まず13から3を引いて、残った10からあと4を引くというような方法です。)

指導する側としては何か一つの方法にしぼって指導する方が楽ですし、子どもにとっても何か一つの方法を覚えればよいので、ある意味その方が楽なのかもしれません。

ただ、例えば16から7を引くような場合、10-7=3、3+6=9 と考えるか、16-6=10、10-1=9 と考えるか、どちらが簡単かは人によるのではないかと思います。
9を引くのであれば多くの場合10から9引いて…という方が簡単でしょうし、引く数が5より少ない場合は減減法の方が簡単な場合が多いかと思います。

だとすれば、よりよいのは色々な方法で考えることができるということだと思います。
減加法にするか減減法にするか、または問題によっては何かオリジナルの考え方をするか、それを判断できる力、使い分けられる力を持っていることの方がより高い能力を持っていることだと言えるでしょう。

もう少しいえば、3つ以上の数の足し算・引き算をする場合にも、「前から順に」と指導してしまう場合があるようです。
もちろん、前から順に計算すれば正しい答えは出せるので、その指導も一斉に誰にでもできるようにさせるには有効なのかもしれません。
ただ、いくつかの数を足す場合、足せばぴったりの数になるようなものがあれば、前から順に計算するより簡単に、ミスする可能性も減らして計算することができます。
また、引き算を二度、三度と繰り返すような問題であれば、引く数をまとめてしまって一気に引く方が簡単な場合が多いです。
更に言えば、例えば「54-27+18」などのような式だと、54-27は繰り下がりがありますし、先に54+18をしたら繰り上がりがあり、更に引くときにも繰り下がりがありますが、27を引くのに、54から20を引き、18から7を引いて、34と11を合わせれば、繰り上がりも繰り下がりも一度も使わず計算することができます。
このように、工夫することで簡単に計算できる場合があり、それに気づくことができる力があるかないかは、色々なところで差になって表れてくるのではないかとも思います。

というわけで、私はこんな考え方もこんな考え方もあるよというように、ひとまず色々提示してみて、やりやすいものをその子が選ぶ、できることなら場合によって使い分けるということができるようになってほしいと思っています。(ただ、中には算数がどうしても苦手でという子もいるでしょうから、その場合は何か一つの方法をまずしっかり身に着けさせるということでもいいかと思います。)

算数に限らず、また、勉強に限らず、方法はひとつしかない、考え方はこれしかないというようなものは限られているのではないかと思います。だからこそ、色んな方法がある、色んな考え方がある、これでだめならもっと違う方法があるのではないか…そんな風に考えられることが、大きく言えば生きていく上でも大事な力なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月19日 (水)

もしよろしければ読んでみてください。

もう何年前になるのかわかりませんが、そして、私はスポーツ、ニュース、ドキュメンタリー以外の番組をほとんど見ないこともあって、この女の子がテレビに出ているのは見たことがなかったのですが、まだ小学生の頃にTwitterでおよそ小学生とは思えないような大人びた発言を、それもやんわりとかいうことはなく、ずばっとストレートにしていて、更に言えば見た感じは可愛らしいお嬢さんなのに、自分のことを「ぼく」と言い続けていたりもして、一部の大人たちからそれはそれはすごいバッシングを受けていたのを目にしたことがあります。

頭のいい子なのかもしれないけど、もう少しオブラートに包むとかすれば、ここまで叩かれないで済むんじゃないのかなと思ったりもしましたが、ご本人は自分の意志を貫くというような発言もされていたので、一時期はそのやりとりなどを時々見ていたものの、なんだかいたたまれなくなってフォローを外し、その後彼女がどうしておられるのか、すっかり気に留めなくなっていました。

それが、今日Facebookに上がっていた記事で今はもう15歳(まもなく16歳になる)ということを知り、そんなに大きくなっていたのかと驚きながらも、今も相変わらずズバズバ思うところを言っているのかなと、何気なく記事を開きました。

その結果、彼女は大人ぶっていたわけでも、生意気だったわけでもなく、本当に頭のいいお嬢さんだったんだなと思うと共に、思わず涙が出そうになりました。
これは確かに彼女の言う通りなんだろうと思います。(もちろん例外もあるかとは思いますが。)

私のブログが子ども達の目に留まる機会はまずないと思いますが、お子さんを持つお父さん、お母さん方がこれに共感されたら、自分のお子さんや知り合いのお子さんなどに見せてあげてもらえたら、もしかしたらいつか、不本意にもいじめの標的になってしまったときなどに、救いになるかもしれないなと思い、そしてまた、いじめにはいじめられる側にも原因があると心のどこかで思っている方にも是非一度読んでみて頂きたいなと思い、紹介させて頂くことにしました。

Twitterの発言をまとめた形で紹介されている記事ですので、少し読みづらさもあるかと思いますが、もしよろしければ読んでみて頂けたら嬉しく思います。

15歳になったはるかぜちゃんの思い「いじめられてる側にも原因がある」と言う人へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月18日 (火)

気づく子と気づかない子

同じ人間が同じものを使ってレッスンをしていても、子ども達の反応は本当にそれぞれ違っていて、こちらが何も言わなくても気づくべきところに気づく子もいれば、水を向け、ほぼ答えに近いようなところまで手助けをしてもなかなか気づくべきことに気づかない子がいます。

もちろんそれは私が見ている算数においてそうであっても、別の教科や勉強以外のことなどではまたそれぞれ違ってくるのだろうと思いますが、生まれながらに算数のセンスがあるんだなと感じるような子達の頭の中は一体どんな風になっているんだろうなと思います。(いつの日か脳の研究が進んで、そういうものも何らかの形で見られるようになったりする日が来るのかもしれませんね。)

今日のレッスンでも、時計の学習をしていた1年生さんが、何時何分前かという問題を考えていた際、私はまだ何も言っていないのに、12の位置から逆回りに5、10、15…と数え、それに半端な分を合わせる考え方をしたり、与えられた時計の絵を見ながら、その20分前は何時何分か、35分前は…というような問題を考える際には、例えば時計の絵が5時8分など半端な位置にあった場合、何かブツブツ言っているのを聞いていると

「ここが3やから、あと17。5、10、15と、あと2やから…。」というような感じで、目盛りの5刻みの半端分(8分は5刻みの目盛りより3目盛り進んでいるので「3」)を先に読み、それだと後17分戻らないといけないので5分が3回で15分、残りは2分という戻り方をしていました。

こちらがそう教えてできる子はいますが、本当に何も言わなかったのに、当たり前のようにそう考えていて、おうちの方にお尋ねしても、特に何も教えていないとのことだったので、感心しました。
本人にすごいねと言っても、本人にとっては何でもないこと、当たり前のことなのでしょうから、「なにが?」というような反応をしていました。
センスがある子というのは、大人が何か教えたからではなく、自分でどう考えたら考えやすいかわかるんだなぁと羨ましく思いながら見ていました。

そういうタイプの子には、大人があれこれやり方を教えるより、その子の能力にあった問題をうまく提示し、その子のペースでどんどん進ませてあげ、本当に助けが必要なときだけほんの少し助けてあげるというのがいいんだろうと思います。

それぞれの子にあったよりよいレッスンができるよう、いつもできるだけ心がけていたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月17日 (月)

それぞれの価値観なのだとは思いつつ

ここ数年、スマホを持つようになってから読書量が激減していて、反省しつつもなかなか本を手に取ることがなくなっていますが、先日からもう随分前に買ったままだった本を読み始めました。
中学受験で大きな実績を残しているという某中学受験塾と、東大合格率で群を抜く某大学受験塾についてのルポがメインの内容なのですが、読みながら、何とも言えない複雑な気持ちになりました。

特に、某大学受験塾というのが、有名私立中学の子のみが通えるというところだそうで、指定校の生徒であれば中1の早い段階の入塾は無試験で入塾できるシステムだとのこと。
で、早い段階から始めて、数学であれば中1で中学3年間の内容を終わらせ、中2・3年で高校3年間の内容を、その後高校ではその復習や受験に向けての学習をというようなカリキュラムになっているとか。

塾に関するルポと共に、有名私立中の先生方の話なども紹介されているのですが、何とも言えない気持ちになった理由は、有名中学に合格するために小学校の2年なり3年なりを受験塾に通い、有名中高一貫校に合格した子達が、中1からまた6年間、東大など超難関大学に合格するため勉強漬けになる。そして、その塾に通って東大に合格する子たちの割合は少なくないということでした。

もちろん、その本に書かれただけの情報で判断するのはどうかと思いますが、本の中でもその塾に通っていても成果が出ない子、つぶれていく子がいるというようなことも書かれていて、よい点も気になる点もどちらも偏りなく書かれているだけに、ある程度信頼できる情報なのではないかなと。
だとすれば、有名私立中に合格し、東大理Ⅲなどの超難関に合格している人のうち少なくない割合の人が小学校高学年(もしくはそれ以上前)から高校3年までの9年間、ひたすらに勉強漬けになって大学生になっているのかもしれないということです。
そういう中からお医者さまや官僚などになっていく人がいるということなのでしょう。

人の価値観はそれぞれ違うのはわかりますし、本にも書かれていたことですが、そういう環境にあっても、持っている能力の高さによって、軽々と課題をクリアしていく層は別として、東大など難関大に受かるための勉強を量をこなすことを求められるスタイルで長年続けた末に希望の大学に進学できたという子は、一体どんな大人になるんだろうと心配になります。(大きなお世話かもしれませんが…。)

子どもの間にしかできないことというのは絶対にあると思いますし、学び方だって色々あるはずです。
その塾では東大合格のためにはこの勉強をすればOKというような確固たるものがおありなのだとは思いますが、だとすれば、与えられたものをこなすことで志望大学に進学できたという子達が少なからずいるということにもなるのでしょう。大学合格という目標については、それで達成できるかもしれませんが、そこが最終ゴールではないわけですから、その選択は人生においては本当にそれでいいのか、その辺りが私にはどうももやもやしてしまいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月16日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月15日 (土)

この子のスイッチ。

夏ぐらいから通ってくれている低学年さん。少し発達上の困難をお持ちと伺っていますが、言われないと気がつかないぐらいの子です。
発達上の困難がある子で、それに気づいてもらえる方がいいのか、気づかない程度なのがよいのかは、子どもの性格や状態などでケースバイケースだと思いますが、うちは完全個別対応なので、一斉に同じことができなくても、それは問題にはなりません。
ただ、これがこの子の個性の一つ、特性の一つなのかもしれませんが、その子に向ってゆっくり話しかけていても、全く耳に入らないということが少なからずあります。

問題を読んでいないとか、何か思い込みで違う解釈をしているとかいうことが多いので、きちんと読むように促すことがよくあるのですが、それ以外にも、勘違いに気付いてもらうために何か声掛けをしても、こちらを向いているときでさえ「聞こえていない」らしいことがあり、普通の声だと聞き取りづらいのかなと大きな声にしてみたり、同じことを少し言い方を変えて言ってみたりと、二度、三度声掛けをしても、全く聞いてもらえず、ただ、何かのきっかけで「聞くスイッチ」でもあるのかというように、ふと、さっきから私が何度も言っていることを「これ○○ですか?」などと、まるで自分で今やっと気づいたかのような反応をすることがあるのです。

そのスイッチがどこなのかわかれば、もっと時間を有効に使うこともできますし、その子ももっとスムーズに学習が進んでいくはずなのですが、まだそれがどこにあるのかつかめず、もどかしく思っています。
まだまだ私もがんばらないといけないことがいっぱいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月14日 (金)

「変な顔」

子ども達とレッスンをしていると、表情を見ただけで、「あ、今なんかおかしくなってるな」とか、「頭働いてないな」とかわかることがあります。
その顔になると、問題を変えたり、立ってちょっと体を動かしてもらったり、何らかの働きかけをするのですが、それですぐ戻ることもあれば、まだダメなこともあります。

今日のレッスンで、スタート時点では絶好調だった子が、突如「変な顔」になり、案の定、全く解けなくなりました。
学年を考えるとかなり骨のある問題ではあったので、実際に手を動かしてもらったり、紙や定規を渡したりして、あれこれ働きかけたのですが、顔つきが一向に変わりません。

それでも少しずつ進んでいたものの、おかしくなってからの3問目。長さのおさらいの問題で、文章問題の答えに「76cm20mm」と書いたので(それまでに1cmや1mmは定規で確認したり、計算式だけの長さの計算を終えたりした後でした。)「考えたことはあってるけど、その答え方じゃマルできないわ。」と声を掛けました。

しかし、いつまで経っても78cmに直せないようだったので、mmの目盛りがついた巻き尺を渡し、どこか76cm20mmか押さえるよう声を掛けました。もちろん、そうすれば気づいてくれると思ったからです。

それでも、待てど暮らせどここだと言ってくれず、76cmを出した後、ずっと巻き尺を眺めて「変な顔」をしたままでした。どう声をかけても、巻き尺を使って確かめてもらってもダメだったので、ちょっとドアまで歩いてくるよう促したものの、表情は変わらず。
「まだ考えられてない変な顔のままやからもうちょっとちゃんと動いてきて。」と声をかけたところ、一緒にいた子達がその子の顔を見て、「ほんま、変な顔!」と。

ひとりはその子の兄弟なので、普段の生き生きした表情と全く違うことが見て取れたのだと思いますが、もう一人の子は、実はその子もしばしば「変な顔」になって思考が止まってしまうことがある子だったので、「今、見てわかったよね?いつもと違ってぼーっとした顔してたでしょ?」というと、笑いながら「うん!」と答えたところで、「○○ちゃんもおかしくなってるときはあんな顔してるんよ。」と言うと、「え~、うそぉ」とまた大笑い。

でも、新鮮だったのは、頭が回っていなくて無表情のようなおかしな顔つきになっているときには、小さい子達が見ても、普段と違うな、何かおかしいなとわかるのだなということでした。

子どもが見ても感じるのですから、大人はしっかり子どもの表情を見ていれば、その子がちゃんと考えられているか、頭が働いているか、ある程度正確に見分けられるものなのだろうと思いますので、もしおうちで宿題などを一緒に見られることがあれば、是非時々、手元ではなく表情に目をやってみて頂けたらと思います。
(ただ、集中して考えているときに、傍から見ているとぼ~っとしているように見える場合がありますので、それはちょっと判断が難しいところですが。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月13日 (木)

焦らず一歩一歩

算数で躓いて、教室に来てくれた1年生さん。
夏の間にできることがかなり増え、学校の内容にもほぼキャッチアップできたぐらいの状態で2学期が始まりました。

その後もとてもとてもがんばっていることがレッスンで毎回伝わってくるのですが、学校では週に3時間とか4時間とか授業があることもあって、学校の進度が気になってしまい、できることなら今日はここまでやりたい、ここはできるようになってほしいと思ってしまうことがあります。

でも、既に初めとくらべるとできるようになったことは本当にたくさんあって、おまけにその変化の度合いはかなりのものなので、今は多少学校より後追いになることがあったとしても、そのうち追いついて追い越すときが来ると信じて、その子が本当に納得するまでたっぷり時間を与えてあげる方がいいはずだと、自分に言い聞かせるようにしています。

実際、今回のレッスンでも、初めの頃は時間もかかる上に間違うことも多く、また、実際に積み木を使って確かめなければなかなかわからなかった積み木の数を問う問題を、見違えるようにひょいひょいと正解していくようになって驚きました。
もちろん、複雑なものや数の多いものはまだ間違えることはあるものの、初めの頃とくらべると別人のようです。
こんなに短期間でここまで変化が現れるということは、きっと学校で先生が言ったことを自分で理解する力もついてきているはずですし、そう心配する必要もないのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月12日 (水)

筆算のメリット・デメリット

今日のレッスンでのこと。
ある1年生さんがレッスンで、まだ1年生なのに学校で筆算を習ったと言いました。初めは何か勘違いしているのかなと思ったのですが、「たし算できない子は筆算しなさいって、先生がやり方教えた」というようなことを説明してくれたので、どうやら間違いないようです。

指10本で解決する範囲を超えた数のたし算やひき算になると、確かに数の感覚が身についていなかったり、算数をとても苦手としていたりするような子は、すんなり答えが出ないということもあるだろうと思います。
その際、筆算を覚えれば、ひと桁の数同士の計算で済みますから、苦手な子でもとりあえず答えを出せる可能性は上がるのだろうと思いますし、一度に大勢の子どもを指導する先生としては、苦手な子、できない子をどうやって救うかを考えた末の対応なのかもしれませんので、それに関してはひとつの方法なんだろうとも思います。

ただ、この子が教えてくれたように、先生自身が言われた「できない子」でもできる方法ということは、つまり、意味があまりわかっていなくても、どのぐらいの数なのか実感が全くできなくても、とりあえず答えが出せる方法ということもできます。

それは足し算・引き算に限らず、掛け算や割り算の筆算でも同じことで、元々筆算というのは、計算の手間を省くために考え出されたものなのだと思いますから、方法を覚えれば、機械的に処理をすることで答えが出せる計算法とも言えるでしょう。

で、別のレッスンで2年生さんと、前回は2桁×1桁の筆算までをして、今回は3桁×1桁の筆算をすることになりました。
この子は既に、暗算で2桁や3桁の数に1桁の数を掛ける問題はできるようになっていて(しかし、まだ九九はきちんとは覚えておらず、最近学校で九九が少し始まったところのようですが。)、前回の2桁×1桁の筆算は思った以上にすんなりとクリアして驚いたほどでした。
そこで今回は3桁×1桁だったのですが、最初のうち、合わせる数を合わせずに並べたり、かと思えば位が違う数なのに合わせてしまったりと、間違いが多発。
そこで、もう一度式の意味、計算していることの意味を確認してからやってもらったところ、ほとんど間違いがなくなりました。

つまり、考えずに「処理」しようとすると間違っていても気づかないということの表れなんだろうなと。
そして、考えるとその分スピードは落ちてしまう場合があるということなんだろうとも思います。

だとすると、考えようと思えば考えられる子、算数の力がある子に、考える機会を設けぬままに筆算の仕方を教えてしまうのはあまり望ましいこととは思えません。
時間がかかっても暗算なりできちんと答えが出せる、考えたら大体どのぐらいの答えになりそうかわかる、そういう子に、時間短縮のためのテクニックとして、必要であれば筆算を教えるというぐらいがいいのではないかと。

楽にできる、簡単にできる、苦手な子でもできる…それらはつまり、あまり頭を使わずにできるということとも言えますから、いっぱい頭を使うべき幼児期に、早々とあまり頭をつかわずにできる方法を教えるメリットは少ないのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月11日 (火)

雑感

今日は(も?)子ども達や日々のレッスンとは直接関係ないお話です。

つい先日、有名広告代理店に勤めていて自ら命を絶った女性の労災認定がされた女性のことをニュースで目にしました。
会見に出ておられたのが弁護士さんではなくお母さまだったことが少し気になって、もう少しニュースをチェックしてみたところ、母子家庭で、お母さまを喜ばせるためにと努力して地方から東大に進み、卒業後、件の代理店に就職したということだったようです。
この女性、パワハラやセクハラ、長時間労働などを、いざというときの証拠にもなるようにとTwitterなどにも色々なツイートをに残しておられたようで、それでも最後は自ら命を絶つという選択をしてしまったということに驚きを感じました。

普通に考えれば、親孝行で、頭もよく、ニュースなどで見た限り綺麗なお嬢さんで、お付き合いしていた方もいたようなのに、それでも逃げ出すのではなく命を絶ったということが、本当に怖いなと。

この件に関連して色々な方が発信しておられるものも目にしました。
「死ぬぐらいならやめればいい」という意見に対して、洗脳されているような状態なので、そういう人に「やめればいい」は通用しないという意見を目にし、確かにそういう面はあるかもしれないとも思いました。

残業が100時間を超えていたということに対し、100時間ぐらい大したことないという意見を公に発表された大学教授もおられました。(後に謝罪されましたが、発言内容についてはご本人としては本気でそう思っておられるような感じです。)

離れて暮らしていたとはいえ、お母さまと連絡は取っていたようですから、本当になんとかならなかったのかと。
証拠を残すためと自分で考えられていた時期があるのであれば、なぜどこか公的機関にもっと早く行かなかったのかと、色んなことを「なぜ?」と思ってしまいますが、真面目であったが故なのか、また、限界を超えるところまで追い込まれて、冷静な判断ができなくなってしまったのか、とにかく切ない気持ちになりました。

世間一般に言われる「いい大学」を出て「いい会社」に勤めたのに、全く幸せを感じられなくなって命を終えた。
彼女の人生は何だったんだろうと思えてなりません。

もちろん、どんなお嬢さんだったのか全くわかりませんので、この女性に関してどうこういうつもりはないのですが、自分の中にも「死ぬぐらいなら会社やめたらいいのに」という思いはありましたので、それは気をつけないとなと思いましたし、なんというか、自分も含めて社会全体が、もっと余裕を持って優しくなれたらいいのになと、そう思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月10日 (月)

体育の日

10月10日は晴れの特異日だとかで、今日も気持ちの良いお天気でした。
でも、今日は振替のレッスンで3人子ども達が来ることになっていたので午後から出勤。
お休みの日ということもあったのか、概ねみんないい感じでがんばってくれました。

それにしても夜はもうすっかり秋、それも晩秋ぐらいの気温ですね。
こんなに急に気温が下がると体調を崩す子も出てきそうで心配ですが、今週もどうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 9日 (日)

オフ

今日は一気に気温が下がりましたね。
予報では明日は更に冷えるようで、夜は薄手の秋物のセーターでも寒いぐらいでしたし、皆さまお風邪などひかれませんよう。

明日もお休みの方が多いことと思いますが、私は明日は出勤です。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 8日 (土)

加減が難しい

どれだけやっても、いつまで経っても、これでばっちりどんな子でも指導できると思える日は来なくて、試行錯誤し、合反省し、後悔し、時々やった~と思ったりもする、そんな日々です。

今日のレッスンでも、算数のセンスはかなりある、しかし集中することがなかなか難しい子とのレッスンで、ある規則に気付いたら、パッと気持ちよく解けるという類の問題を考えてもらうことになりました。
普段のその子なら進んで興味を示しそうなところだったのですが、今日はどうもそういう気分ではないようです。
何度か水を向け、あなたならできるはずなんだけどなぁ、気づいてほしいなぁなどと声掛けをしても、気分が乗らない様子で「だってわからんもん」と言います。

でも、まだ全く問題に入っていないのはわかりましたし、説明してしまったら「ああ、そうか!」という小さな感動を味わってもらうことができません。
どうしようかなぁとかなり悩み、小出しでヒントのようなものを出し、これ以上言ったら私が解いたようなものになってしまうしと踏みとどまっていると、ようやく問題に気持ちが向いたようで、ぱっと表情が変わって

「ああ、そういうことかぁ!」

そう言って、すっきりした顔になりました。

子どもを苦しませたいなどとはもちろん思いませんが、すぐに手助けすることは子どもの力を奪うことなんだということもよく知っています。
辛そうな、嫌そうな、そんな顔を見ると、全部説明してしまう方がどれだけ簡単かと思うことも何度もあります。
どこまで助けるかのその加減は、いつまで経っても本当に難しいなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 7日 (金)

昨日思ったところでしたが。

今日のレッスンで驚かされたことがありました。
まだ幼くて、疲れていたり眠いとレッスンを嫌がり、難しそうだとやる気が萎え、なんとも子どもらしい、可愛らしい子がいます。
今日は来る途中のバスで眠ってしまった寝起きだったようで、来るなりどんより。少し休憩をしてから始めたものの、なかなかエンジンがかかりません。
それでもスローペースながらもがんばってはくれていたのですが、時計の学習をしていて「正午」という言葉を説明しようとしたときのことでした。
まだ1年生のその子は、どちらの字もまだ習ってはいないとのことだったのですが、「正午」の「正」の字を指さして、

「この字、履正社の字だ。」

突然元気な声で言いました。
かと思えば、もうすっかりぱっちり目覚めて「履正社のエース、150キロ以上の球投げるんだよ。」としゃべり始め、別のチームにも150キロ以上の球を投げるエースがいることや、自分の好きな学校名などを、これまで見たことがないぐらいはきはきと、生き生きした表情で話して聞かせてくれました。

この子は自分でも野球をしていて、野球が好きなのは知っていたのですが、まさかここまで詳しいとは!とびっくり。そして、そんなにも覚えていることにしみじみ感心しました。
お母さまのお話だと、野球関係で漢字を覚えたりしているとのこと。
これ、正に理想的なパターンだなと、なんだか嬉しくなりました。

1年生の小さな男の子が、ニコニコしながら「作新学院」だの「花咲徳栄」だのといった複雑な学校名を次々に挙げる姿にはただただ感心しました。
興味を持つっていうのは、本当に大事で、大きな力になるものだなと改めて実感しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 6日 (木)

子どももこんな気持ちなのかな

この歳になっても、あるときふと、ああ、そういうことだったのか!と改めて気がついたり、腑に落ちたりすることがあります。
学校で習ったことは、よほど興味がない限り、そこから超えて更に自分で学んでいこうという気持ちになることは少ないのではないかと思います。私は正にそういう子どもだったので、習ったことは覚えられる範囲で覚えて、テストなどはそれなりに「処理」していましたが、生きた力になっていたかといえば甚だあやしいものがあります。

今回、教材を作るということの延長で図形のことを考えていて、円は別として、全ての図形の基本は三角形であるというのを思い出しました。
で、「確かに多角形も三角形に分けられるもんな。それで多角形の内角の和を考えるもんな。」とそんなことを考えていて、ということは、三角形にどんどん三角形をくっつけていけば何角形でも作れるんだなという方に思考が向き、あれ?どうやって増えてくんだっけ?と公式などではわかっているはずのことを改めてイメージし、その延長で、コンパスと定規だけで正三角形や正六角形が描けるということは、もしかしてコンパスと定規だけでほかの多角形も描けるんじゃない?と思い、半径だと円周を6等分できるのであれば、半径の4分の3の長さで区切ったら正八角形が描けるのかな?だったら、半径を4等分はコンパスと定規だけでもできるよな??と…極めてどうでもいいことを延々と考えてしまいました。

でも、なんとなく、何かに興味を持っている子が何かに気づいたり発見したりしたときって、こんな感じになるのかもしれないなと、そう思ったりしました。

興味を持たせるというのは、できる場合とできない場合があるとは思いますが、何かを考えてもらう際にはなるべく興味を持ってもらえるような提示ができたらなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 5日 (水)

台風?

今日は午前中からずっと強風波浪警報が出ていて、天候を見る限りは大丈夫そうではあったものの、小さい子達が行き帰りに突風が吹いて何かあったらということも心配で、結局皆さん後日に振替をお願いしました。

しかし、警報解除になるまで、ほんの束の間風がびゅーびゅーいっていた時間帯はあったものの、普通の雨降りぐらいに終始し(止んでいた時間も長かったですし)、なんだか妙な感じでした。
もちろん、被害がないにこしたことはありませんが。

というわけで、今週は明日から土曜までのスケジュールがイレギュラーになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 4日 (火)

見えているようで見えていないことに気付く

人は無意識のうちに情報を取捨選択しているそうですが、目から入ってくる情報も、自分が興味があるもの、好きなもの、目立つものなどは「見えて」いても、そうでないものはそこにあるにも関わらず見えなかったりもするものなんだなということを、この頃よく気付かされます。

教材を作り始めてから、それまで十数年も見続けていたはずの教材を見て新たに気づくことがあったり、ワークブックなどのイラストの細部に目が行ったりするようになりました。
今回、コンパスの図がほしいなと思い、フリー素材なども見てみたのですが、それだと腕の角度を思うような角度に変えることができないしなぁと、自分で図を作れないかやってみることにしました。

その場合、実物を見て作るより、既にイラストになっているものを見てそれを真似る方が簡単なので、色々見てみたのですが、立派なワークブックなどでも「なんだ、こんなアバウトなイラストだったのね」と思うようなものがあったりもして、作る側にならなけば、「ああ、コンパスの絵」と思うぐらいで、細部には目を向けていないということに気付かされました。

ですので、普段レッスンをしていて、これまでずっと私は気づかなかったこと、ほかの子達もこれまで誰も指摘しなかったようなことに気付く子が時々いて、そのたび、すごいなぁと思います。
それは結局、その子にとってはそのイラストなりに興味を惹かれ、細部にまで意識が行ったということなのかもしれません。
イラストや図だけでなく、問題文を読んでいても、これまでは気にならなかったことが気になることもあり、その部分で引っかかってしまう子もいるのかもしれないなと。どこまでが暗黙の了解を求められるんだろうと思うこともあります。

例えば、わり算などの問題で、りんごが34個あって、りんごが5個入る箱があり、全てのりんごを入れるには箱はいくついるかというような問題で、「袋の数をできるだけ少なくするには」などの断りがつけば、この場合は7つになりますが、ワークブックなどを見ていると、そういう断りがないものも少なからずあることに気付きます。

6個入るというのは6個入れなくてはならないということではないので、1個ずつ入れれば34個、2個ずつなら17個と最大34個から最小7個まで、どれも間違いではないようにも思います。
そういうところに疑問を持たず、すんなり7つと答えられる子ももちろん少なくないのですが、条件を書かずに「常識」として判断させる必要がどこまであるのか、そのあたりはこのところ疑問を持っているところでもあります。

作る側に立つことで気づくことがこんなにあるということは、子どもにも、何かを学習したら、問題演習をさせるより、それに関する問題を作らせる方が時にはより大きな効果があるのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 3日 (月)

高濱先生のインタビュー記事

ネットで紹介されていて、日頃思っていること、感じていることにかなりぴったりしっくりくることが多かったのでご紹介します。
最近はスマホやパソコンばかり見ていて、きちんとした本をほとんど読んでいませんが、また高濱先生の本も読みたくなりました。

子供を成功させたい親がやるべき、たったひとつのこと
/花まる学習会 高濱正伸

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 2日 (日)

オフでした

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 1日 (土)

色々つなげたい

コツコツ(のろのろ?)教材を作り続けて3年目になります。
作る側になって初めて気づくことや、作るためにあれこれ調べることも少なくありません。
小学生に間に学ぶよう決められている範囲は押さえないといけませんから、一般的な教科書やワークブック、ドリルなどを見ながら作り進めていくことになりますが、そうすると、結局それがベースになってしまうので、似たようなものになってしまいがちです。
そうならないよう気を付けつつ、一方であまりに突飛で独りよがりなものにもならないよう、そのバランスはなかなか難しく、作り進めながらも不安もあります。

ただ、作りながら思っていることがあります。

元々、私が教室を始めることになったきっかけの学習法があります。それをお作りになった先生は、小学校などでは学習内容を細切れにしてしまい、足し算・引き算を習ってできるようになったと思ったのに、また出てきた、かけ算にしても割り算にしても、できるようになったと思ったのに、またやるの?という繰り返しになるので、それも子どもがやる気をなくす理由の一つになっているというようなお話を、初めてお目にかかったときに伺い、だから、その学習法では足し算・引き算は3まで、5まで、10まで、20まで、100まで、10000まで、その先は筆算で…と教材としては連続して一気に学習するような作りになっていて、掛け算も割り算もほぼ同様です。

当初、なるほどなと思ったものの、小さい子達にとって100を超える数はまだ身近ではなく、お金などに置き換えて考えるにしても、まだ大きなお金に触れる機会も少ない子がほとんどなので、余程数量感覚に優れているとか、数の仕組みを感覚的に理解しているとかいう子でなければ、100を超え、1000を超えるような数になってくると、抵抗を示すことも少なからずありました。
教科書などでは細切れにするということではなく、子ども達にとって実感できる範囲の数から学習をしているのだなと、そして、それはある面では正しいんだろうなと感じるようにもなりました。

大事なのは、足し算はどういう計算なのか、掛け算はどういう計算なのか、そういうことがきちんと理解できているかどうかで、早い段階で大きな数での計算までできなくてもいいのではないかと。
また、そういうことをきちんと理解していれば、得意な子は放っておいても大きな数でも計算できるのではないかと。

ということで、今作っている教材では、まとめられるところはまとめていますが、足し算を一気にまとめるというよりは、関連付けられるものは関連付ける、小学校では習わなくても中学校では習うことに可能な範囲で触れるなど、「今覚えなくてもいいけど」というようなことをちらっと話題に出すというようなことを多少意識しています。

というのも、子ども達を見ていると、例えば新しく何かを学習する際に、上に兄弟などがいて聞いたことがあるとか、テレビや本などで見たことがあるとかいうようなことだと、実際にはまだほとんど何も知らなくても、取り組む際のハードルがちょっと下がるような印象があるのです。
また、何かを覚える際には色々なものと繋がっていればいるほど、引き出しやすく、忘れにくくなるともいいますから、それもあって、触れられることには触れていきたいと思っています。

例えば、中学以降は分数では基本的に帯分数を使わないということや、小数もほとんど使わなくなるとか、子どもにとったら、「ふ~ん、そうなのか」と思うだけかもしれませんが、ちらっとでも頭の隅に残っていたら、中学に行って分数は帯分数にしなくていいと言われたときに、ああ、そういえばそうだったなとすんなり受け止めてくれるかもしれませんし、わざわざ割り算をしなくても分数で答えたらいいんだったなと思ってくれるかもしれません。

私ひとりの考えられることなどごくごく僅かなので、出来上がったら色々アドバイスが頂けたらなと思ったりもしますが、まだ当分、このコツコツは続きそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »