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2016年9月 9日 (金)

興味のないことはがんばれない

教室に来てくれる子達で、できるできないは別として、算数が好きだと思っている子とレッスンさせてもらうのはある意味で楽なことなのですが(もちろん、それでも色々試行錯誤の日々ですが…。)、算数が好きではない子、興味がもてない子とレッスンをさせてもらうのは、やはりなかなか難しいものがあります。

私は理系の難しい数学についていけずに文系受験をしましたが、算数や数学は「主要教科」と言われるものの中では一番好きかもしれません。
そんな私でも、自分にとって難しく感じる問題や、苦手な分野などの問題に取り組まねばならないようなときは、なかなかエンジンがかかりませんし、問題を読んでいても頭が拒否してなかなか問題自体が入ってこないなんてこともあります。

大の大人である私でさえそうなのですから、子どもであれば尚のこと、興味がもてない単元や難しく感じる、苦手だと思っている内容などに取り組むときには、自ら「さあやるぞ!」と思えないのは当然でしょう。
例えば、教室でも筆算の学習をすることがありますが、単純計算が続くのを嫌がる子の気持ちはよ~くわかりますので、それは量を調節したり、「イヤな気持ちはわかるけど、なんとかがんばって!」と励ましたり、何らかの対応をします。
でも、苦手だから、嫌がるからと言って、何でもかんでも手助けすると、その子の力はつかないので、イヤなんだろうなと思っても、必要であろうことはやってもらうよう働きかけることになります。

でも、それはもしかすると、今の日本の学校制度、受験制度のせいで必要になっているだけで、長い目で見たら本当に必要なのかどうか、それはやや微妙なのではと思ったりもしています。

これまでにも何度も書いていますが、これからの社会はますます、単純労働は機械などに取って代わられ、あまり技術や知識を必要としないようなことは人件費が安いところへ持って行かれるのが当たり前になるでしょう。
以前はゼネラリストが重宝されていたのだと思いますし、そもそも、学校という制度ができたのは、高度成長期に工場などで働く「コマ」がたくさん必要だったからというような、外国人の著書を読んだことがあり、ああ、そうかと納得もしました。

文字が読めて、簡単な計算もできる。簡単な指示をきちんと理解して、言われた通りのことができる。
そういう人材がたくさん必要だった時期があり、そういう人材を育てるには、確かに学校制度というのは優れているように思います。
でも、時代は変わり、経済成長が頭打ちになって久しく、ますます「簡単なことしかできない人材」の必要性はどんどん薄れているのだと思います。

もちろん、最低限の読み書きができるということは暮らしていく上で必要だと思いますが、小学校高学年か中学生ぐらいからは、いい意味で「バランスが悪い」子どもがたくさんいた方がいいようにも思えるのです。
ほかはからきしダメだけど、数学は抜群にできるとか、ほかには興味がもてないけど歴史は研究者になれるぐらい学んでいるとか、主要教科は全部嫌いだけど絵を描くことはずば抜けて得意だとか、そういう子達がもっともっと評価されるような制度、社会になれば、子ども達はもっと生き易くなり、社会はよりよくなっていくのではないかなと、そんな気がします。

制度がそういう方向に変わって行くのであれば、算数が嫌いな子に無理して難しい算数をさせなくてもいいのかもしれませんが、今はまだそうはいかないので、その子が興味がもてない内容に行き当ったとき、どんな風に働きかけるのがよいのか、どうすれば少しでも楽しさを感じたり、達成感を感じたりしてもらえるのか、もっともっと考えていかないといけないなと思います。

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