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2016年9月12日 (月)

難しいテーマなのだと思いますが

今日はお仕事には直接関係ないお話。

もう何十年と夏の終り頃になると某民放局が24時間でチャリティー番組をします。
で、今年、そのチャリティー番組の裏側で某国営テレビのとある番組が障害のある方を使って感動話のようなものに仕立て、それを見て多くの人が涙を流すということについて取り上げ、問題提起(といっても、番組内容的にはパロディーぽい仕立てだったり、笑えるぐらいの皮肉を込めていたりという感じで、改まった小難しい話ではなかったようですが。)したことも話題になりました。

そして、恐らく4年後の東京パラに向けて、パラに対する認知度を高める狙いがあるのだろうと思いますが、今大会は初めて、パラの競技がかなりのボリュームで見られるようになりました。

で、その映像を提供しているのは某国営テレビ。
しかし、競技部分以外の映像構成や選手へのインタビューなどを見ていると、オリンピック選手に対するものとはどこか違う、表現が難しいものの、何か違和感を感じることがあります。
体のどこかに障害がおありだと、確かに日常生活におけるご苦労は体が健常である人に比べたら多くなるだろうとは思います。
でも、パラリンピック日本代表に選ばれる方ですから、オリンピック代表の方々が皆さんそれぞれ想像をはるかに超えるような努力をしておられるのと同じように(もしくはそれ以上に)様々な努力をしてこられたのは間違いないでしょうし、そのことに対して素直な尊敬の念や感動を抱くのは自然だとしても、なんとなく、言葉の端に、「障害があって大変だろうにがんばってえらいね」というような、どこか上から目線に感じることがあるのです。

ヒトというのは一般に、自分より立場が弱いもの、立場が下のものを見つけて、安心感を得たいという感情を持っている生き物なのだというようなことも言われていますし、そういう面は多かれ少なかれほとんどの人にあるのではないかという気はしますが、少なくとも体のどこかに障害をお持ちの方は何か不自由を感じることが健常者に比べて多いかもしれないというだけで、人として立場が上とか下とかいうこととは直接関係ないようにも思います。

書きながら、自分でも考えはまとまりませんが、4年後、日本でパラリンピックを開催するということは、海外から多くの選手が来られるということですし、そういう国が「感動ポルノ」と表現されるような、障がい者を使って感動させるというような番組を作っていてはいけないのではないかとか、色々なことをあれこれ考えたりします。

まあ、はっきり言えるのは、パラの日本代表選手の皆さんはぐーたらしてやるべきこともなかなか頑張れない私など足元にも及ばないぐらい素晴らしく、尊敬すべき方々だということですね。

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