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2016年8月 3日 (水)

これから大事になることは

最近、自分自身も含め感じることがあります。
このブログを書き始めてから10年以上になりますが、最近、不精になったというだけでなく、以前なら書いた文章をきちんと読み返し、誤字脱字がないか、文がおかしいところはないかなどをチェックしてからUPしていたのですが、この頃は打ったらざっと見直すかぐらいでさっさとUPしてしまっています。
ブログ自体をご覧くださっている方が限られていると思いますので、誤字脱字を指摘されることはほとんどありませんが、おかしなところがある文章になっているときがあるかもしれません。

以前は感じなかったのに、自分の打った文章を見返すだけでもなんとなく面倒に感じるようになってしまったのはなぜだろうと少し前から思っていたのですが、最近、インターネットで色々な記事を見ていると、それはそれはもうびっくりするぐらい誤字脱字、訳の分からない文字の紛れ込み、ひどいときはタイトルの時点で既に間違いがというようなものをしばしば目にします。

個人が発信しているものならまだしも、情報発信サイトのようなところの記事でもそういうものが少なくありません。
なんでこんなのにさえ気づかずUPしてしまうんだろうと思ったときに、もしかすると手書きをしないことや、多すぎる情報、情報が伝播するスピードの速さなどが関係しているのかもしれないと感じるようになりました。

手書きであれば、わからない文字があれば調べるなりしますし、自分の手を使って書いている分、キーボードを打っているより遥かに文字に対しての意識が高いはずです。間違えれば消しゴムなどで消して書き直す必要もありますし、そうやって時間をかけて丁寧に書いたものは、必然的に間違いも少なくて済むのかもしれないと。

ただ、今の時代は誰かが発信した情報が注目されると、それは瞬く間に広がっていきますし、そういう意味では次から次へと情報を発信しなければと、大量の情報をキーボードを打って発信するということが日常になってきた結果、ひとつひとつの文章をきちんと吟味するという機会が減ってきているのではないかと思ったりします。

もちろん、大手のマスコミなどのWEB記事などはある程度きちんとした文章であることが多いですが、それでも新聞の紙面に載せる記事に比べると、誤字などがあるようにも感じます。

たくさんの情報が発信されていると、チェックしていなければ取り残されてしまうというような意識が芽生え、また、次々と新しい情報が発信されると、それがさほど重要でないにもかかわらず、ついつい見てしまうというようなこともあったりもし、一昔前に比べると遥かに手軽に多くの方がインターネットにアクセスできるようになったことによる一種の弊害のようなものが出てきているのかもしれないなと、そんな風に思ったりしました。

もちろん便利になったことも数えきれないぐらいあるわけですが、こんな時代になってしまったからこそ、これからますます大事になるのは、膨大な情報から何が正しいのかを判断する力であったり、ひとつの情報が本当に正しいのかどうかを見極める力であったりするのではないかと感じています。

今の時代、私たちの知らないところで様々な情報操作が行われていて、新聞や本に書かれているから正しいとは言えなくなっています。
発信される情報の中に、人を騙す意図を持ったものも少なからず紛れてもいます。

そういう悪意や危機を判断し、避けるような力は、小さい頃からしっかり色々なことを考えることでしか身に着けられないのかもしれません。(少なくとも、意味も考えずにやり方を丸覚えして、機械的に処理するという訓練をいくら積んでも身につかないはずです。)
そして、子ども達にとってじっくり考えるひとつの機会として算数などの学習があるのではないかと思います。

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