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2016年8月31日 (水)

8月もおしまい。

今日で8月もおしまい。
明日からのレッスンに向けてカレンダーをめくって気づきました。1年の3分の2がもう過ぎ去ったということに…。

今日はレッスンはお休みでしたが、午後からは教材作りにいそしんでいました。
ワードやエクセルを使って帯分数を書くのは、私にとってはなかなか難しいことで、どうすれば少しでも早く簡単に書けるかをあれこれ考えつつ、相変わらず悪戦苦闘しながら進んでいます。

月末までに完成させたいと思っていたところまで辿り着けませんでしたが、できたものをプリントアウトしてみたら、結構いい感じなんじゃ?と、自己満足ながらも思ったよりいい出来だったので、疲れも軽くなりました。

明日からまた通常レッスン再開です。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2016年8月30日 (火)

すみません。

今日は更新お休みします。

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2016年8月29日 (月)

奮闘中

今日は1日雨でしたので、家でコツコツ教材作りをすることにしました。
家なのでついつい休憩してしまいがちではありましたが、普段に比べればそれなりに集中して取り組んだのですが、今回も図などがたくさん必要で、がんばっているつもりでもなかなか進まず、こんなに時間が経っているのに、なぜまだこんな枚数しか完成していないのかと、毎月のことながらまたもしょんぼり…。(苦笑)

それでも、3年前に作り始めた頃からすれば、色々できるようになったことも増え、作業が早くなったところも少なくないので、それでこれだけ時間がかかるのであれば、書店などに並ぶ問題集やワークブックなどの教材は、構想から含めて気の遠くなるような時間がかけられているのかもしれないですね。

いや、ああいうものは普通は問題を考える方とそれを原稿に仕上げる方と印刷物として形にする方はそれぞれ分担しているのが一般的ということでしょうかね。

私の場合、バランスなど細かいところにこだわってしまうところもあり、その調整のために悪戦苦闘して余計な時間がかかっている面もありますが、やるしかないので、なんとか今月もがんばろうと思います。

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2016年8月28日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2016年8月27日 (土)

夏休みのレッスン、終了しました。

今日は振替などもあってレッスンは1コマだけになってしまいましたが、今年もなんとか無事夏休みのレッスンを終えることができました。
年々暑さが厳しくなっている感じで、それと反比例して年々体力、知力の衰えを感じる中、子ども達や保護者の皆さまに元気を頂きつつ、今年も乗り切ることができ、ありがたく思っています。

しかし、もともと無精者だというのに、暑さやオリンピック観戦やらで、事務仕事はほぼ全く手つかず…。
8月第5週はレッスンがお休みになりますので、たまにはどこかにお出かけでもしようかと思っていたのですが、どうやらそれどころではなくなりそうです。(汗)

市や学校によっては週明けからもう学校が始まる子もいるようですが、2学期も元気にしっかり取り組んでくれることを楽しみにしています。

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2016年8月26日 (金)

絶好調

ここしばらく本来の力が発揮できず、不調続きだった1年生さんとのレッスン。
前回、本来のその子の力ならそれなりにできるはずのことが、何かおかしなスイッチが入って苦戦に次ぐ苦戦。どんよりな感じでレッスンを終えたのですが、今回はそれより更にレベルアップしたものをやってもらわねばなりません。
さて、どうなることやらと思いつつも、前回のことは忘れたふりで、「じゃあやってみて」としれっとプリントを出しました。

すると、前回より少し難しくなったというのに、スラスラと解いていきます。お?と思いつつ、更に難しいものを出すと、今度はあちこちミスが。このところの傾向だと、ミスが重なるとおかしなスイッチが入ってしまうことがあるので、ちょっとドキドキしながら、そのプリントの間違いを解決し、更にそれ以上にかなり難しい問題を出したところ、全く助けなしに4問連続一発正解。1問1問が結構面倒なものだったので、1問正解するごとに「いえぇ~い!」と大喜び。
それを繰り返しつつの4問全問正解でしたが、そうなるとますます調子が上がり、ここしばらくは見られなかった、超ニコニコ笑顔のまま、どんどんと問題をクリアしていってくれました。

算数のセンスは結構ある子なのに、このところなぜか不調続きだったので、今日は本人も本当に嬉しそうで、終わった後、おうちの方に大喜びで報告していました。

いつもみんながこんなニコニコ笑顔でレッスンができたら何よりですが、それはなかなか難しいことでもあり(子ども達のコンディションや問題の難易度、好き嫌いなど色々ありますし…。)時にはどんより、げんなりになってしまうこともあります。
それでも、このニコニコはぐっと集中して考え、自分の力で理解できてこそ見られる笑顔だと思いますので、苦しい顔をしているときも助け過ぎないよう、気をつけつつ、心からの笑顔が見られるようがんばろうと思います。

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2016年8月25日 (木)

嬉しい変化

1年生の初めの段階で算数がすんなり理解できず困っておられたお子さんが夏休み前から来てくれるようになりました。
体験レッスンの時点で確かにこれはちょっとお子さん自身も辛いだろうなと思う状態だったのですが、おうちの方たちの取り組みも素晴らしく、みるみるできることが多くなっていきました。

まだ1年生の初めだったのもよかったのだと思いますが、苦手意識が根深くなってしまう前に手を打つことができ、基礎となることがひとつ理解できると、そこにまた次を積み上げることはさほど難しくもないので、まだ2か月足らずですが、ニコニコ笑顔が出ることが多くなり、自分の頭で考えているのが感じられる機会も増えてきました。

初めの頃は問題に向き合っても、すぐに不安そうにこちらの様子を伺って、とりあえず何か答えを言ってみるであるとか、まだ考えてもいないうちから「わかんない。どうやるの?」と尋ねてきたりということも少なくなかったのですが、それも短期間で随分変化してきました。

大人になってしまうと1年生の算数は一体何が難しいのかわからないという風に思えてしまうこともあり、子どもが困っていても、どう助けていいのかわからないということもなくはないと思います。
つい先日は「~よりいくつ大きい・小さい」という表現がぴんときていなかったようで、夏休みの宿題のそういう問題ができず、おうちの方もどういえばいいのかわからなくてとご相談頂きましたが、これも、過去に通ってくれていた子が気づかせてくれたことで、小さい子どもにとって数の「大きい」「小さい」というのがどういうことを指しているのか、初めはわからない場合があるのだと思います。

日本語の難しさだとも思いますが、背が高いことを「大きい」と表現することがあるように、数が多いことも「大きい」と表現することがあるわけです。
といっても、数は抽象概念なので、何でも1こ、2こと数えられるものばかりではなく、そういう意味では「多い・少ない」という表現では不適当になるものがあるので、そういう諸々のことから「大小」が使われているのだと思いますが、まだ具象の世界にいる小さい子達にとっては、大きい・小さいというのはサイズ的なものとして捉えているとしても不思議ではなく、そうなると、6と9は同じ大きさと思ってしまうようなことも起こるのかもしれません。

その子にも、ほんの少し手助けすることで、すんなり意味を理解してもらうことができましたが、そこで躓いたまま、大人の側もどうフォローすればいいのかわからなければ、しばらくの間(何かのきっかけで意味を理解できるまで)モヤモヤが続くことになるだろうと思います。

小さいうちは算数なんて簡単でしょ?と思ってしまいがちですが、小さいうちだからこそ、もし躓いたら、早目に対処することが望ましいとも言えるでしょう。
そのお子さんと早く出会え、あっという間に変化が見え始めたことをとても嬉しく思っています。

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2016年8月24日 (水)

あと1週間

今日はレッスンが重なり、更にはキリが悪く延長にもなって、終わったらブログを書く力がなく、更新できずでした…。
夏休みもあと1週間となり、暑さと年齢的なものと、オリンピック観戦での寝不足と色々あいまって、そろそろ疲れも感じておりますが、何とか今年も夏休みを無事終えられそうです。

来週29日から31日はレッスンがお休みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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2016年8月23日 (火)

順列・組合せ

今日は高1の子と1学期の復習などをしていたのですが、順列組合せの問題は、条件の整理や、どの考え方で解くとわかりやすいかなど、しっかり考える力がある人でなければ、かなり手強い単元だなと、ひしひしと感じます。

例えば、よくある例でいえば「4回のうち少なくとも1回は赤玉を引く確率は~」のように「少なくとも」という言葉が出てくる条件について考えるときには、その反対を考え、全体から引くというものなどは、「少なくとも」という言葉自体をきちんと理解していなければならないのはもちろんですが、「4回のうち少なくとも1回」であれば、4回とも赤、3回赤、2回赤、1回赤の4つの条件をそれぞれ求めて合計するという方法でも解けますが、赤玉を1回も引かない確率を求めて、全体(1)から引くという方がほとんどの場合簡単です。

その他にも、どう考えると考えやすいかということを意識すべきものが大半で、もちろんそれは問題を数多くこなすことである程度対応できる部分もあるとは思いますが、高校になって科目も増え、進度も速くなった状態で、数学に使える時間がたっぷりあるということはそうそうないだろうとも思いますので、やはりこれは小さい頃からしっかり考えることが習慣になっている子達でないと相当難しいのだろうと思います。(現に私は高校時代とても苦手でした…。)

小さいうちにたっぷり時間を与えて心行くまであれこれ考えさせるということは、長い目で見ても本当に本当に大事なことなんだと、高校生を見ていても改めて感じます。

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2016年8月22日 (月)

気になる記事

近年取り上げられることも多くなり、また、何らかの発達上の困難を持つ子はひとクラスに何人かいても不思議ではないとも言われるようになってもおり、自分で教室をするようになってから、発達上の困難に関する本もあれこれ読んだりもしましたが、昨日今日と、ネット上で目に留まった記事がありました。

これはどちらもたまたま主にADHDに関するものでしたが、読みながらかなり共感、納得するところがあり、また、考えさせられることもありました。
これまで教室に通ってくれた子の中には診断がついていた子や、その傾向が強く感じられる子などもいたのですが、ADHD、もしくはその傾向がある子の多くが、算数のセンスがとてもよいことを感じました。
平均的な(というのもまた曖昧な表現ですが)子から見れば、苦手なことが目立つ(じっとしているのが苦手、人の話を聞くのが苦手、何かを忘れても人のものを持って帰ってしまっても執着がないなど)ので、集団の中で先生の指示を聞き、それに従って問題に取り組むということはうまくできない場合があっても、算数や自分の興味があることに関しては正に「天才的」センスを感じるということがよくありました。

このひとつの記事の中で、脳の凸凹という表現がありますが、ああ、正にそんな感じ!と思いました。
じっとしているのが苦手だけど、だからこそ天才的閃きがあるというような、そんな感じなのではないかと思う子達に何人も出会ったことがあるので、余計共感できました。

これだけ発達障害など、何らかの困難を抱える子が増えていることを考えると、学び方ももっと色々あってもいいのではないかなと思えてきます。

ADHDを障害や病気と診断せず、才能へと導く方法を米の心理学者が発表
http://selectaus.com/adhd-is-gift/

障害がわかったとき、いっそすがすがしかった! 『ぼくが発達障害だからできたこと』市川拓司インタビュー
http://citrus-net.jp/article/4454?utm_source=facebook&utm_medium=citrus&utm_campaign=4454

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2016年8月21日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2016年8月20日 (土)

あっという間に

8月も20日。夏休みもあと10日ほどになりました。
芦屋市は始業式が早いようですから、あと1週間ほどの子もいるようです。

お盆休みはオリンピック観戦に明け暮れ、気づけばろくに事務仕事が進んでおらず、あと10日、またお尻に火が付くことになりそうです…。
でも、オリンピックは本当に毎日感動の連続ですね。

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2016年8月19日 (金)

九九を知らなくても、九九を知らないから

教室の子達とはかけ算の学習も暗記からは入りませんし、わり算もかけ算を使って考えるのよというような指導もしません。
普通は、教室でかけ算の学習をした後、学校で九九の暗唱などをし、その後でわり算へと進む流れになるのですが、早くからレッスンに来てくれた子などは、学校で九九をするよりずいぶん先にかけ算の学習をしてしまうことになるので、その流れでわり算も学習することになります。

九九を覚えていない子のわり算というのはなかなか新鮮な気持ちで見せてもらうのですが、学校などで最初に割り算を習う場合は、あまりがなく、割られる数も100までで、九九の範囲で答えが出せるものであることが一般的なのだと思います。
しかし、教室でわり算の学習をする際、例えば、全部で33個のものを3個ずつ分けたら何人分あるかというような、九九の範囲を超えた(この場合は3×11と考えることになると思います。)問題も出てきます。
でも、九九を覚えていない子にとっては、単に3が何回で33になるかを考えるだけなので、黙って見ていれば「11」という答えを出すことができます。

しかし、教室に通ってくれている子でも、学校などで先に割り算を学習してしまったような子に「33÷3」のような問題を出すと、「9あまり6」や「10あまり3」というような答えを書いてしまう子がいるのです。

大人からしたら、え?そんなことある?とお思いかもしれませんが、これは決して珍しいことではなく、何も言わずに考えてもらうと、九九を超える計算になるものは、あまりが割る数を超えていても気づかない子はいるのです。
つまり、そういう子たちはわり算というものを本当には理解していない状態なのだろうと思います。

「わり算は分ける計算で、掛け算の逆の計算だから、九九を使って考えられる」というように習い、その通り「九九を使って」考えて答えを出してしまうのだと思うのです。
ですが、九九を使って考えるのよと教わっていない(もしくはまだ九九自体を覚えていない)子達にとっては、わけられなくなるまでわけるのがわり算なので、10回を超えてもわけられなくなるまで考えていくのでしょう。

何も教えるなとはもちろん言いませんが、先にやり方を教えることで、子どもがあれこれ考えるための色々なチャンスを奪っている面があることは否定できないのではないかと思っています。

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2016年8月18日 (木)

具体から抽象へ

小さい頃から通ってくれている算数のセンスがかなりいい5年生の女の子。
受験を考えておられるので、4年生から受験塾と併用で通ってくれており、また、本人が意味が分からないのに公式やパターンに当てはめて処理するということに馴染めないということもあって、受験塾といっても一斉に説明をしてひたすら演習をさせるようなところではなく、もう少しじっくりやってくれるところにされました。

それでも、塾で先に習ったことはぼんやりとしか理解していない、もしくはほぼ理解できていないということが少なからずあり、できる範囲で先に少しだけこちらでやっておくとか、復習という形でフォローするとかさせてもらっています。

お盆休みの間にも塾がまたかなり進んでしまい、次にやる予定のところを少し一緒にすることにしました。
旅人算や通過算などに関する問題で、過去に一度やったことがあるものを、再度もう少しレベルアップした感じで学習するカリキュラムのようで、おさらいを兼ねて確認をしたのですが、塾で習ったことはほとんど覚えていないようです。

例えば、簡単なもので言えば、A地とB地の間を、行きは時速60km、帰りは時速90kmで往復した場合の平均の時速を求めるという問題だと、しばしばやってしまう間違いは「(60+90)÷2」なのですが、それは間違いだとわかっていても、A地とB地の間の距離が与えられていないと、子ども達にとってはひとつハードルが上がります。

もしこれが、A、B間の距離が与えられていれば、行きにかかった時間と帰りにかかった時間を求めることはさほど難しくはないでしょうし、往復にかかった時間を往復の距離が分かれば、平均の速度を計算することも、受験算数の学習をするような子であれば、大体できるはずです。

しかし、距離が与えられていない場合、塾などでは一般に、全体を「1」と置いて、行きにかかった時間は「1/60」、帰りは「1/90」、だから往復で「5/180=1/36」、往復で「2」の距離だから、「2÷1/36=72」というように、単位のない式で計算をして答えを出すという指導をするようです。
それが、まだ小学生の子ども達にイメージすることを困難にさせているのだろうと思います。

習ったのに忘れている様子のその子には、A地からB地までの間を60とか90とかで考えやすそうな距離にしてみるように声をかけると、「う~ん、180?」と(そういう感覚がしっかりある子なので。)答えました。
そこで、行きにかかった時間と帰りにかかった時間を求めてもらい、往復で360kmだから、時速はという流れで解いてもらうと、ちゃんと時速72kmという答えが出ました。

その後で、多分塾ではこう習ったはずなんだけどと前述の方法をいうと「あぁ~、そんなんだったかも~」という反応。
そこで、「1」で考えても、考えやすい数字に置き直して考えても、どちらでも同じ答えになるということを確認し、もし忘れてしまったら、そうやって考えても解けるのだと伝えました。

後者の方法だと自分が何を計算しているのか理解できるので、見ていても表情が穏やかで、答えを求めた後もすっきりした表情をしています。

もちろん、いずれは単位がないものでも考えられるようになっていくことが望ましいでしょうし、数学に足を踏み入れると、具体だけでは解けないものも出てきます。
でも、まだ小学生ですし、「算数」なのですから、本来は実生活の中で経験できるようなことを学ぶはずですから、意味が分からないと先に進みづらいという子には、こういう方法でもいいのではないかなと思います。

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2016年8月17日 (水)

たくさん見る

これまでにも書いたことがありますが、子ども達とレッスンをしていても、自分自身を振り返っても、空間認知能力は「持って生まれた能力」による部分が少なからずあるような気がします。

ひと昔、もしくはふた昔前?に流行った、「地図が読めない女、話を聞かない男」によると、脳に男脳タイプと女脳タイプがあり、男脳タイプが得意なこと、女脳タイプが得意なことがそれぞれにあるのだと。
女脳の典型的なひとつの例は、地図を進行方向に向けないとちゃんと読むことができないというものでしたが、例えば北が上で書かれている地図を開いて、南や東などに進んでいるとき、女脳だと地図自体を進んでいる方向に合うように回してみないとうまく読めないというようなことのようです。
で、私は正にそれ。その代わり、同時に2つのことを並行してすることもできますし、しゃべりながら手を動かすなんてのは苦もなくできます。

そんな私は子どもの頃、空間図形の類は決して得意ではなく、特に展開図や立体の切断などは、かなり努力しても未だ「スラスラ」とは程遠い程度にしかできません。
多少改善した自覚はあるのですが、それはあくまでも、わからないとき、イメージできないときに、実際に紙で作ってみたり、色々なものをカッターや包丁などで問題通りに切断してみたりという経験を積んだからです。

その一方で、小さい子であっても当たり前のように頭の中に映像が見えていそうな子たちがいます。
展開図の問題も軽々とクリアしていく姿を見ていると、やはりこの能力に関しては持って生まれたものが少なからずあるようだなと長年感じてきました。

で、持って生まれた能力で苦もなくできる子たちはよいのですが、私のように、苦手な子はどうすればよいか。
これはあくまでも推測ですが、学校や塾などで数学を教えておられる先生方の多くは、空間認知能力に長けていて、子どもの頃から当たり前のように頭の中で組み立てたり展開したりできていたのではないかと思います。
当たり前にできる方にとっては、そのイメージが頭に浮かばないとか、回転させたり、切断したりできないというのがどういう状態なのか想像がつかないだろうとも思います。(私が、その方たちの脳が想像できないのと同じように…。)

だとすれば、そういう先生に「どうすればできるようになりますか?」と尋ねても、先生も答えに困るのかもしれません。(もちろん、中には効果的な方法を教えてくださる方もおられるかもしれませんが。)
そこで、苦手だった私が多少なりともわかるようになった方法は参考にして頂けるかもと。

空間図形に限らず、人は見たことのないものを想像しなさいと言われてもなかなか難しいだろうと思います。
ですが、実際に見たことがあるものを思い出すことはそれほど難しいことではないはずです。(まあ、最近は何でもすぐ忘れる私には当てはまらないかもしれませんが…。)

ですので、小さいうちからたくさん、実際に見る機会を持たせてあげることがよいのではないかと思います。
サイコロの展開図は、実際に紙を切って、折って、どんな並び方ならサイコロになって、どんな並び方ならならないかなど色々試してみたり、お豆腐やダイコンなどを角柱、立方体、円柱などに見立てて、色々な方向から切ってみたり、厚紙に竹ひごなどをつけてくるくる回し、どんな形に見えるか(回転体の学習のベースになります)遊びのな延長で試してみたり、意識的に空間認知の能力を高めるようなことをたくさんすれば、自分の経験からイメージできる範囲が広がりますから、得意にまではなれなくても、全くお手上げという状態にはならずに済むのではないかと思います。

積み木や折り紙、切り紙なども有効かと思いますが、レゴなどのブロック類は作り方が決まっているものではなく、オリジナルで何かの形を作り出すなどする方がより有効なのではないかとも思います。

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2016年8月16日 (火)

休み明け初日

お盆休みが明けて最初のレッスン。
頭を使っていなかったので、少々不安も感じていましたが、子ども達が来てくれたら無事スイッチも入り、いつも通りのレッスンができました。
子ども達もしっかりがんばってくれました。

ただ、中学生の子とのレッスンで、もちろん苦手な子が多いところではあるのですが、連立方程式の利用の問題を考えてもらっていたところ、初めは全く分からないというので、問題で与えられていることを絵に表すように伝え、その絵を見て式を考えるよう促しました。

絵は思った以上に描けていたのですが、なぜかそこから訳の分からないことが始まり、そのたび、その式は何を表しているのか確認し、およそ自力で解けたとは言えない状態でどうにかこうにか問題クリアという感じでした。
絵が描けないのであれば、理解できないのは当然のようにも思いますが、絵が描けていて、それを見ているのに全く頓珍漢な式を作ってしまうのがどういうことなのか、まだそこが推測できず、修行が必要だなと…。

特に苦手な子が多い食塩水の問題などは、小学生のうちに、食塩水や砂糖水などを作って混ぜ合わせてみたり、水を蒸発させてみたりという経験をする機会があれば、もう少しとっつきやすくなるのかもしれませんね。

明日もまたよろしくお願いします。

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2016年8月15日 (月)

夏休み最終日

15日は例年、家族揃ってお盆の精霊送りに出かけるのですが、連日のオリンピック観戦の影響でお昼頃までは活動できず、家の片付けなど少ししつつ、見逃した競技を録画で見たりしている間に実家に行く時間に。
帰ってきたらちょっと出勤しようかとも思っていたのですが、あまりの暑さでぐったりしてしまい、気づけば外は真っ暗に…。
というわけで、夏休みは本当に見事に仕事せぬまま過ぎ去ってゆきました。
明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2016年8月14日 (日)

夏休み4日目

今日は寝不足やら同窓会やらの疲れもあり、結局ぐーたら過ごし、オリンピック観戦も何度も途中寝落ちてしまって、消化不良な感じの観戦になりました。
レッスンは明日までお休みですが、明日はちょっと頭を使っておかないと危険かも…。

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2016年8月13日 (土)

夏休み3日目

オリンピックでは感動が続いていますが、今日は高校の同窓会でメリケンパークまで行ってきました。
同級生、恩師合わせて130人ほど集まり、大変盛会でした。
しかし、それだけ多いのに2時間半ほどの時間で、ビュッフェ、先生方お一人お一人からのお話、校歌斉唱、記念撮影などもあると、ごく一部の方としかお話もできず、ちょっと消化不良で帰ってきました。

席順は出席のはがきの到着順と言われていたので、ギリギリまで迷っていた私は後ろの方のテーブルで、しかし、同じようにギリギリまで迷っていたという、幼稚園からずっと一緒(実は大学も一緒だったとわかりましたが、彼女は農学部、私は教育学部だったので、大学での記憶はお互いなく…。)だった同級生と同じテーブルに。
おまけに、高校時代にはお話したことがなかったものの、その方が応援団だったので私はお顔は知っていた男性は、奥さんが高校の部活の2年後輩の子だとも判明。
ご縁というのはつながるべくしてつながるものなのかもしれませんね。

夏休みの予定はこれで終了なので、再びオリンピック観戦三昧の後、火曜からまたレッスン再開になりそうです。

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2016年8月12日 (金)

夏休み2日目

相変わらずオリンピック観戦で寝不足ですが、今日は夕方に高校の同級生のミニコンサートのようなものがあって出かけました。
出不精で仕事に行く以外家でじっとしていることが多いのですが、出て行って人に会うと何かしら刺激を受けますね。
明日は高校の同窓会。卒業後結構キリがいいのですが、卒後何年かはとりあえずご想像にお任せするということで。

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2016年8月11日 (木)

夏休み1日目

今日はオリンピックで気になる競技が目白押し。
レッスンがお休みなのをいいことに、起きていられるものは全部見ようと、途中転寝したりもしつつ、卓球も体操も競泳も7人制ラグビーも見て、いっぱい感動し、夕方からは超寝不足のまま、美容院に行き、その後帰省してきた友人たちに会いに行ってきました。
帰宅後は当然またオリンピック…。
旅行などの予定はもともと何もないお休みですが、オリンピック観戦で終わりそうな予感が…。

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2016年8月10日 (水)

夏休み前半最終日

夏休み前半のレッスンはひとまず今日まで。
明日から15日まではレッスンはお休みになります。
毎日暑い日が続いており、更にはオリンピックで寝不足にもなりそうですが、お休み明けにまたみんなが元気にレッスンに来てくれますように。

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2016年8月 9日 (火)

文字への移行

数年前から、小学校の算数でも□ではなく「x」を使って、「x」に当てはまる数が何か考えさせるような問題を扱うようになりました。
□は確かに中学校に行けば「x」などの文字に置き換えられるので、小学生のうちに慣れておくのはいいことなんだろうと思うのですが、この夏、中学生の子達何人かと文字式や方程式の利用、連立方程式の利用などをおさらいしているときに感じたことがあります。

それは、算数のときにはしなかったような間違いを文字に置き換えるとなるとやってしまうというようなことです。
小学生の頃、速さの問題をある程度きちんと解いていたような子でも、文字を使うと、距離と時間をかけてしまったり、反対に割ってしまったり、足さなくてはいけないものを掛け算の式で表してみたり、左辺の式で表されているものが重さなのにそれを代金とイコールでつないでしまったり…。

そういう、それはちょっとどうなん?という間違いをしているようなときに、「その式は何を表しているの?」とか、「これが表しているものは単位は何?」などを尋ねたり、与えられている問題の文字の部分を数字など具体的なものに置き換えたりすると、間違いに気づいて直すことができるというのはよくあることです。

つまり、文字になった時点で一気に抽象度が上がり、イメージしづらくなる、もしくはイメージしようとしなくなるということがあるのではないかと思います。
算数は実際にイメージできるようなものしか問題に取り上げられませんから、問題によってイメージしやすいかどうかの差はあれ、絵を描いたり、簡単な数で置き換えてみたりすることで考えられることが多いのですが、数学になると途端に算数とは違うものと思ってしまう子が少なからずいるのかもしれません。

もちろん、ずっと具体から離れられずでは困りますが、文字へ移行していくのに、もう少し何か工夫できることがあるのかもしれないなと思っています。

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2016年8月 8日 (月)

オフ

イレギュラーで昨日は日中出勤していたので、今日はお休みを頂きました。
オリンピックは気になる競技だらけで既に睡眠不足ですが、レッスンがある日は睡眠不足だと頭の回転が鈍くなる危険があるので、明日からは気を付けます。
今週は11日から夏休みを頂きますので、レッスンはあと2日ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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2016年8月 7日 (日)

オフではなかったのですが…。

今日はちょっとくたびれておりまして、更新お休みします。

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2016年8月 6日 (土)

どうやって身につけるのか

今日のレッスンでの、国語があまり得意ではない低学年の子との一場面。
頭の体操のような問題で、大きさの違う5つの絵が並んでいるものを見て問題にこたえるものでした。
その問題は
「2番目に大きいものには○を、小さいものには×をつけましょう。」
そう書かれていました。


しかし、見るとなぜか2つの絵に○がつけられ、あと3つには×がついています。
頭の体操系の問題には5つのうち同じものを2つ選ぶというものもあるので、その問題と勘違いしたのかなと思ったのですが、どうやらそうではなく、問題の意味が理解できていないようだとわかりました。

そして、「2番目に大きいものには○を」の意味はすぐにわかったようですが、この問題の場合「小さいものには」というのは前からのつながりとして「2番目に」が省略されているわけで、そのことが初めは理解できないようでした。

これまでそこで詰まった子はいなかったため、考えたことがなかったのですが、「2番目に大きいものには○を」は迷わないとして、言葉が省略されて、暗黙の了解として前のつながりを受けて「(2番目に)小さいものに」と読み取るのは、できない段階があっても不思議ではないように思いました。

丁寧に書くのであれば小さいほうも「2番目に小さいものに」と書けばいいわけで、そうすれば迷うこともなくなるかもしれません。
ですが、国語的に考えても、同じ言葉を何度も繰り返すのはうまい文ではないということになりますから、言わなくてもわかるものは省略されるのも当然です。

この場合、2番目に大きいものに○をした後、「小さいものに」というのは、やや不自然ではあるものの「2番目に大きいものより小さい」と読めなくもないようにも思いますから、これに関しては書いておけばいいようにも思いますが、こういう省略された部分を読む力というのは、どうやって育まれていくのかなと。

発達障害の中に、人の表情や感情などを読み取るのが難しいというような困難を持つ場合があるようですが、そういう傾向がある人にとっては、行間を読むとか、省略された部分を想像するとかいうのは、かなり難しいことなのかもしれません。

どうすればそういう力を育てられるのか、小さい子達でも多くは自然と身に着けていくのだと思いますが、何か方法があるのか、ちょっと気になり始めました。

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2016年8月 5日 (金)

久しぶりに超ハードスケジュールでした。

今日はなぜか色々な振替や変更が重なり、14時前から20時頃までずっと子どもが途切れることなく、入れ代わり立ち代わりやってきて、おまけに下は小1から上は高1まで、教科も算数と国語と数学とが入り混じった感じで、久しぶりに脳みそ超フル回転という1日でした。

子ども達とのレッスンは楽しいのですが、さすがに今日は最後の子が帰った後、ああ、終わった~~!と放心状態。
その後にまだ事務仕事をするつもりだったのですが、ほとんどはかどりませんでした。

今日は中学生2人、高校生1人が来たので、数学の問題を見ていた時間も結構あったのですが、中1の子は文字式の計算や文字を使って表す問題などの復習、中2の子は連立方程式の利用のあたりの復習、高1の子は数Ⅰの集合のあたりの復習。

どの子も小学生のある時期に通ってくれていて、受験などで一旦転塾をして、そののち戻ってきたという子達なのですが、離れている間に、習ったことを覚えて再現するということにかなり慣らされていて、自分が書いている式が何を表しているかを考えていなかったり、曖昧な記憶を頼りにしてあり得ないような式を作っても気づかなかったり、雰囲気で公式はこんな感じったよな~という感じの解き方をしていたり(それで合っていればまあよいのですが…。)、そんな姿を見るたびに、「それどういう意味?」「それ、何を表してるの?」「簡単な数で置き換えてみたらわかるんじゃないの?」などといちいちツッコミを入れて、「ああ、そうか」と思ってもらうことを繰り返しています。

文字になると一気に抽象度が上がるので、そのタイミングで塾や学校でやり方を習ったり、公式を覚えるよう言われたりすると、よく考えないままに「処理」をしてしまいがちなんだろうなと思います。
ですが、抽象度が上がっても、実際にあり得るようなことであれば(方程式を利用して解くような問題は全て身の回りで起こりうるようなことですし、集合の問題も多くは実生活に引き寄せて考えることができるようなものですので)まずは必ず自分の頭でしっかり考えて理解するということは大事だと思います。
そうした上で公式を覚えられるのであれば、時短のために覚えて使うというのはよいのではないでしょうか。

さて、早いもので8月第1週も明日でおしまいです。
いよいよオリンピックも開幕しますが、明日もがんばります。

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2016年8月 4日 (木)

すみません・・・。

更新できぬまま日付が変わり、実はすでに5日21時。
4日の更新はお休みします。

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2016年8月 3日 (水)

これから大事になることは

最近、自分自身も含め感じることがあります。
このブログを書き始めてから10年以上になりますが、最近、不精になったというだけでなく、以前なら書いた文章をきちんと読み返し、誤字脱字がないか、文がおかしいところはないかなどをチェックしてからUPしていたのですが、この頃は打ったらざっと見直すかぐらいでさっさとUPしてしまっています。
ブログ自体をご覧くださっている方が限られていると思いますので、誤字脱字を指摘されることはほとんどありませんが、おかしなところがある文章になっているときがあるかもしれません。

以前は感じなかったのに、自分の打った文章を見返すだけでもなんとなく面倒に感じるようになってしまったのはなぜだろうと少し前から思っていたのですが、最近、インターネットで色々な記事を見ていると、それはそれはもうびっくりするぐらい誤字脱字、訳の分からない文字の紛れ込み、ひどいときはタイトルの時点で既に間違いがというようなものをしばしば目にします。

個人が発信しているものならまだしも、情報発信サイトのようなところの記事でもそういうものが少なくありません。
なんでこんなのにさえ気づかずUPしてしまうんだろうと思ったときに、もしかすると手書きをしないことや、多すぎる情報、情報が伝播するスピードの速さなどが関係しているのかもしれないと感じるようになりました。

手書きであれば、わからない文字があれば調べるなりしますし、自分の手を使って書いている分、キーボードを打っているより遥かに文字に対しての意識が高いはずです。間違えれば消しゴムなどで消して書き直す必要もありますし、そうやって時間をかけて丁寧に書いたものは、必然的に間違いも少なくて済むのかもしれないと。

ただ、今の時代は誰かが発信した情報が注目されると、それは瞬く間に広がっていきますし、そういう意味では次から次へと情報を発信しなければと、大量の情報をキーボードを打って発信するということが日常になってきた結果、ひとつひとつの文章をきちんと吟味するという機会が減ってきているのではないかと思ったりします。

もちろん、大手のマスコミなどのWEB記事などはある程度きちんとした文章であることが多いですが、それでも新聞の紙面に載せる記事に比べると、誤字などがあるようにも感じます。

たくさんの情報が発信されていると、チェックしていなければ取り残されてしまうというような意識が芽生え、また、次々と新しい情報が発信されると、それがさほど重要でないにもかかわらず、ついつい見てしまうというようなこともあったりもし、一昔前に比べると遥かに手軽に多くの方がインターネットにアクセスできるようになったことによる一種の弊害のようなものが出てきているのかもしれないなと、そんな風に思ったりしました。

もちろん便利になったことも数えきれないぐらいあるわけですが、こんな時代になってしまったからこそ、これからますます大事になるのは、膨大な情報から何が正しいのかを判断する力であったり、ひとつの情報が本当に正しいのかどうかを見極める力であったりするのではないかと感じています。

今の時代、私たちの知らないところで様々な情報操作が行われていて、新聞や本に書かれているから正しいとは言えなくなっています。
発信される情報の中に、人を騙す意図を持ったものも少なからず紛れてもいます。

そういう悪意や危機を判断し、避けるような力は、小さい頃からしっかり色々なことを考えることでしか身に着けられないのかもしれません。(少なくとも、意味も考えずにやり方を丸覚えして、機械的に処理するという訓練をいくら積んでも身につかないはずです。)
そして、子ども達にとってじっくり考えるひとつの機会として算数などの学習があるのではないかと思います。

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2016年8月 2日 (火)

空想のお話

今日のあるレッスンでのこと。
まだ小さい子が、レッスンの途中でテレビで見た海の生き物の番組のことを話して聞かせてくれました。
私は見ていなかったので、その子の話からしかわからないのですが、エイとシャチが出てきて、珍しいエイがシャチに追い詰められ、食べられてしまうというようなお話でした。

しかし、聞いていると、珍しいエイなのにかなりの数いるようで、そこにシャチが2頭現れ、それぞれ10匹のエイを食べてしまったのだそうです。
その後、更にシャチが増えて、またそれぞれに10匹ずつエイを食べてしまったので、100匹いたのが50匹になってしまったのだとか。新たに増えたシャチは3匹で、それぞれが10匹ずつ食べたので、全部で50匹減ったのだそうです。

聞いている途中から、どうやらお話が作られているなと思い始めたのですが、その子があまりに一所懸命説明してくれることと、最初2匹が10匹ずつ食べ、新たに来た3匹も10匹ずつ食べたから、100匹いたエイが50匹になったという説明は、その子の年齢を考えると、そこそこ難しい算数の計算をきちんとしているということとで、お話のキリがいいところまでは黙って話を聞いていました。

番組を見ていないので、それが作り話かどうかはわかりませんが、まあ、普通に考えて自然界の出来事なのに、きっちりエイが100匹だったり、それぞれのシャチがみんな10匹ずつエイを食べたりということは考えにくいため、少なくとも数の部分に関してはその子が作ったお話なのだろうと思います。(もしかするともっと広い範囲で作ったお話かもしれません。)

もちろん、レッスン中にずっとそんなお話を聞いているわけにはいきませんので、その子がお話していたのはものの1、2分でしたが、例えば話の途中で私がうっかり「それ、嘘でしょ?」などと言ってしまっていたら、仮にそれが本当に作り話であったとしても、この子はもうそういうお話をしてくれなくなったかもしれません。

また、こんな風に小さい子が一所懸命頭をひねりながら、それなりにつじつまの合う(少なくともその子の説明は数などの面では全て正しいお話でしたので。)ストーリーを考えるというのも、きっと大事な学びなのではないかなと思いました。
その子が作った「物語」を、「へぇ~、そうなの」、「ふんふん、すごいね」などと聞いてあげることで、もっと面白いお話を考えようとしたりするようになれば、国語の力、作文の力にもつながっていくのかもしれませんね。


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2016年8月 1日 (月)

細切れにしない

教室を始めるきっかけになった教材と出合ったとき、それを作られた先生がおっしゃったことがありました。
学校の勉強では、10までの足し算や引き算をして、できるようになったと思ったら、今度は100までの足し算、引き算が出てきて、それもできるようになったと思ったらまた次は1000までのというように、いくらやっても達成感が感じられないので、それがよくないのだと。だから、やるならある程度一気にやってしまうのがよいのだと。

そのときはなるほどと思ってお話を伺いましたし、確かにそういう一面もあるように思います。
ただ、子ども達とレッスンをしていると、まだ1年生や2年生の子どもにとって、100を超えるような数は日常生活の中で出合うことのない数で、お金に置き換えるにしても、やはり1000円を超えるような金額になると、そのぐらいの年齢の子にとってはほとんどが今ひとつ実感のないものなのだろうと感じるようになりました。
そのため、教材の順を入れ替えたりしながら使うようになったのですが、「細切れ」の弊害というのは、それとはちょっと違うところにあるのではないかなとも思うようになりました。

例えば、足し算というのはどういう計算をすることかを理解した子たちの中で、算数が好きだったり、数への興味が強かったりして、大きな数でも感覚的に理解しているような子であれば、レッスンをしなくても大きな数の足し算ができるということも珍しくないように思います。
同じように、掛け算というのはどういう計算をすることか理解した子たちであれば、九九を覚えていなくても、2ケタ×1ケタの掛け算や、場合によっては、時間や手間はかかったとしても2ケタ×2ケタなどの掛け算でも、答えを出すことはできるわけです。(同じ数を何度も足していくなどすれば答えは出ますので。)

つまり、数に関して一気に大きな数まで学習させることを重視するより、その学習が何につながっていくのかを意識した教材作り、レッスンでの提示の仕方が大事になってくるのではないかなと思っています。

例えば、これまでずっと数の教具として球やドットがかかれた教具などを使ってきましたが、最初の段階からタイルを敷き詰めるような教具を使っていたとしたら、掛け算の学習からそのまま面積の学習につなげていくことができます。(というより、面積についてほとんど何も言わなくても解けるかもしれません。)

また、1をあらわすタイルを10等分したものが0.1、100等分したものが0.01というようなことを量として実感させることができれば、小数の掛け算についても、ほとんど説明が必要なくなるかもしれません。

そんな風に、できるだけ後の学習に繋がるような提示の仕方ができたら、より記憶に残りやすくなり、また記憶から引き出しやすくなるのではないだろうかと思います。

そういう理想の教材を形にするのはなかなか難しく、できたと思ってもきっと何度も手直しせねばならないのだろうと思いますが、がんばって作り続けたいと思います。

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