仕事はかどらず…。
今日は5週目でレッスンがお休みだったので、4月最終日、やるべきことを終わらせようと思っていたのですが、結局ほとんどはかどらず…。
明日からもう5月、といってももうしばらくレッスンはお休みです。
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今日は5週目でレッスンがお休みだったので、4月最終日、やるべきことを終わらせようと思っていたのですが、結局ほとんどはかどらず…。
明日からもう5月、といってももうしばらくレッスンはお休みです。
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今日はお休みでしたが、家でのろのろペースながらも仕事をしていました。
明日で4月もおしまいなので、ちょっと気が急いています。
みなさまよい休日を。
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これまでにも何度も感じてきたことですが、改めて、やはり間違いなさそうだなと感じた出来事があります。
小さい頃から通ってくれていて、算数のセンスがあり、考える力もしっかりある5年生になった子がいます。
うちは中学受験をするために4年生ぐらいから転塾していかれる方も少なくないのですが、この子は受験対策の塾は今のところまだ最小限にして、うちにも通ってくれています。
しかし、ここしばらくの間、これまでできていたことも間違いまくっていたり、塾で習ったということが全然理解できていなかったりということが続いていました。
先日も書きましたが、おうちの方と相談して、できることを色々考えているのですが、前回は分数のかけ算・割り算の宿題がボロボロ。でも、ほんのちょっと声をかけて、意味を考えてもらいさえすれば解けるのです。
そして、塾で速さを習ったものの、よくわからないというので、それより前に教室で速さに関する問題を解いた時には、公式も覚えさせなかったし、解けていたのになと、少し確認をしてひとまず宿題としてやってきてもらうことにしていました。
それで今回速さの宿題をやってきたわけですが、また9割以上間違い。そもそも、最初の最初、速さを求めるところから、それは距離と時間をかけ算しており、距離を求めるところではわり算をしておりという具合に完全な間違い状態。
でも、この子はそれ以前には1時間で40km進む車は3時間でどれだけ進むかなどの問題は苦も無く解いていたのです。
そこで、間違っていた問題のうち1問を「ねえ、ちょっと聞いてね。100m進むのに20秒かかったら、秒速どれだけ?」と尋ねたところ、少し考えて、当然のことのように「5m」と答えたので、「そうやんね?なんかもうえらいことになってるけど。」と全問間違いのページを見せたところ、「あ。」と言って次々直し始めました。
問題を解くときに、習ったことを思い出そうとして解いているのだろうと思い、その子に尋ねると「あ~、うん、そんな感じ。」と。
更に、「塾ではやり方を説明されて、言われたようにやったら解けたって感じなんじゃない?」と尋ねても「うん。」と。
今日のレッスンでは近々塾で習いそうだというところを先にやってもらうことにしたのですが、例によって説明は本当の最低限、言葉や知らないとできない決まり事などを説明した以外は「とりあえず考えてみて。」と言って考えてもらったところ、少々応用の問題になってもきちんと考えて解いていきます。
その単元でも多少応用で、もしかしたら助けが必要かもしれないけど、この子のセンスがあれば解けるかもしれないなと思って、まずはやってみてもらった問題も、しばらくじっと考えた後、少し迷いつつ答えを書いて、私がそれにマルをつけたところ、「あ、合ってた!」と気持ちよさそうな表情に変わりました。
そんな様子も見ていたので、レッスンの最後に「塾だと、言われた通りにやってるだけだから、さっきみたいに『あ!合ってた!』とか思うことないんじゃない?」と尋ねると、「うん…。」と。
要するに、算数が好きな子、センスがある子、考える力がある子に、考える機会を奪って教え、その通りやらせると、定着率が恐ろしく低いということは、この子を見ても、これまでの子たちを見ても、やはり間違いなさそうです。
所謂受験塾などでパターン学習と称してやり方を説明し、それを反復させる勉強のさせ方は、算数が苦手な子、嫌いな子、覚えるのがめちゃくちゃ得意な子などにはいいのかも(積極的にいいとは思ってはいませんが、目的のためにはやむを得ないといいますか…。)しれませんが、算数が好きな子、得意な子達にはどうやら弊害の方が大きいと考えて間違いないのではないかと。
ある程度覚えることが必要な他教科などは早い時期から始めることで余裕ができるかもしれませんが、受験算数に関しては、ああいう方法で取り組むのはできるだけ短い期間で済ませる方が、少なくとも算数が得意な子にはいいのではないかなと思います。
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小さい頃から来てくれていて、高学年になった子が、ここ2、3回続けて、やたらと眠そうだったり、反応が鈍かったりと、ちょっと心配をしていました。
真面目に取り組んでくれる子なので、眠そうであっても、反応が鈍くても、取り組み姿勢は真面目なのですが、どうも頭が働いていないなぁと感じるレッスンが続き、当然のごとく進むペースもかなりゆっくり。
一体どうしたんだろうとおうちの方に何かありましたか?とお尋ねしてもお心当たりもなく…。
そんな彼女とのレッスンがあったのですが、今日は久しぶりにレッスン中何度も「あっ!」と表情がパッと明るくなる瞬間があり、問題への反応も速く、問いかけにもきちんと反応してくれて、気持ちよく、いい感じにレッスンができました。
「今日は眠くないんやね?いい感じやね~。」というと、自分でも違いを感じていたのか、「うん」とにっこり。
ここ2、3週何があってそんなことになっていたのかはわからぬままですが、とりあえず一時的なものだったのかなと、少なくとも眠くなければよくできるままだったなと、ちょっとひと安心しました。
子どもによっては新しい学年に上がったり、入学したりで環境が変わると、いつも以上に疲れてしまうということもあるのかもしれません。
今週は金曜からゴールデンウィークになりますので、疲れも頭もリフレッシュされるかなぁと。
今週は明日でレッスンがおしまいになりますが、明日もみんながんばってくれるといいなと思います。
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相変わらずノロノロながらも少しずつ教材作りをしています。
このところ、新年度ということに加え、数Ⅱや数Bという未知の領域の予習などもせねばならず、そのくせ家にいるとひたすらにダラダラしてしまうこともあって、教材作りは極めてゆっくりとしか進んでいないのですが、それでもやり始めるとそれなりに集中できたりもします。
というわけで、今日は結構自分としてはがんばっていて、家でも新しいパソコンで作業ができるようになったため、結構深夜まで作業をし、そろそろやめようかな、どうしようかなと思っていたところで突然Wordがおかしな動きをしたかと思えばそのまま終了。
泣きそうな気持で再起動したのですが、途中で上書き保存したところ、もしくは自動保存機能によって保存されたところまでしか残っておらず、恐らく3時間ぐらいかけて作業したデータが消え去りました…。
その脱力感は、何度経験しても慣れるものではありませんね…。
こんなことなら3時間早く寝ておけばよかったと思いつつ、なんとか気を取り直して、明日からまた頑張りたいと思います。
こまめに保存が大事とわかっていても、なかなか実行できない、学習機能が衰えている自分が悲しいです…。
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普段、月曜は固定のレッスンはないのですが、今日は振替レッスンで出勤していました。
早いもので、今週にはもうゴールデンウィークが始まります。私は例によって何の予定もないのですが、今週土曜は5週目でお休みになりますので、レッスンは木曜までです。
今日は先週土曜をお休みした子たちのレッスンだったのですが、ひとりの子はもうそろそろ学校で筆算を習いそうなので、先延ばししていた筆算をすることに。
ですが、教室に来てくれている子たちは3桁や4桁であれば暗算できるようになってからしか筆算をしないようにしているので、プリントを渡して、何も言わずにやってみてもらうと、ほぼ例外なく上の位から順に足し算し始めます。
足し算であれば、困らない間は様子を見ておくのですが、桁が増えて何度も繰り上がりが出て、何度も消しゴムが登場するようになると、普通の筆算の仕方を話すようにします。
引き算も同じように、困り始めたら一緒に下の位から考えていくやり方を説明します。
なぜ困り始めたらにしているかというと、できることをあれこれ説明されるのは普通はみんな面白くないということと、困ったな、面倒だなと感じた時点で違う方法を提示されたら、じゃあそれでやってみようかなと思いやすいことがあるからです。
ただ、算数のセンスがある子はしばしば、特に足し算に関しては筆算するより暗算するほうが楽そうだったりもします。
そういう子達には、答えを書く位置は揃えるようには言いますが、上の位から計算してもいいということにしています。(その方が能力的に高い能力が必要ともいえますが、慣れるとその方が楽なのも事実です。)
もう一人の子とは前回わり算を一緒に学習し、今回はあまりのあるわり算だったのですが、これもほとんど何の説明もすることなく、じっくり考え、初めはスローペースだったのが途中からどんどん速くなりました。
見ていて頼もしく思いました。
この調子で今週もみんなしっかりがんばってくれますように。
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姉弟一緒に年長さんと年中さんの途中から通ってくれている、この春弟くんも1年生になった子たちがいます。
小さい子達には珍しくはないのですが、ある時期、お姉ちゃんの方がおかしなスイッチが入ってにっちもさっちもいかなくなる時期があり、その間、それ以前はまだ幼い感じのあった弟くんがめきめき安定して、なんでもよくできるようになっていきました。
そして、ある時期から姉弟揃って調子がいい日が続き、成長したんだなぁと思っていたのです。
お姉ちゃんは、以前しばしばおかしなスイッチが入っていたことが嘘のように穏やかにレッスンに取り組んでくれる日が続いているのですが、先日来、弟くんに異変が。
以前お姉ちゃんがそうだったような、おかしなスイッチが入って、お手上げになってしまうということが、4月になってから何度か続いています。
慣れない学校生活で疲れているとかもあるのかもしれませんが、それにしても、1年生になった途端おかしなスイッチが入るようになってしまって、まるでお姉ちゃんからバトンタッチしたようになっています。
これも成長の過程で一過性のものなのだろうと思いますが、子どもというのは本当に面白いなぁと思っています。
この子がおかしなスイッチが押されなくなるまでにはどのぐらいの期間がかかるかわかりませんが、また以前の安定した賢い表情で取り組むその子の姿が見られることを願いつつ、レッスンをさせてもらおうと思います。
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改めて気を付けなくてはと思ったことなのですが、何か初めてしたときに、できるだけ「失敗した」、「難しかった」という意識を残したまま通り過ぎないようにするということは、とても大事なことなのではないかと。
というのも、このところ少しずつ取り組んでいて、今のところ難しいながらもそれなりに楽しみも感じつつやり進んでいる高校数学で、それを一緒にやっている子の学校の教科書順が、今使っているワークブックと全く違っており、ベクトルの予習を先にせねばならなくなったのですが、そのとき私が感じたのは、ベクトルに関しての記憶はほぼ全くないくせに「うわぁ、ベクトル…。わからなくて理系に進むの諦めたもののひとつやん…。」というものでした。
実は、数列もΣが出てきたあたりで諦めた記憶だけが残っていたので、数列の予習をする際、Σを見た途端に「これ、できへん…」と拒否反応が。
でも、きちんと考えたらΣに関しては今のところまだ理解できていて(この先難しくなったらどうなるか分かりませんが…)、ベクトルもまだほんの取っ掛かりだけしか予習していないものの、初めのうちはなんとも当たり前のようなことがつらつら書かれていて、いきなり身構えるようなことはまだありませんでした。(こちらもまだ取っ掛かりなので先は難しくなるのかもしれませんが…。)
もし真っ白の状態で取り組み始めていたら、普通に用語の説明や定義などを読んで、その後普通に問題を考えるという流れで進めて行けたはずなのに、昔々の「できなかった」「難しかった」という、ただそれだけの記憶が残っているがために、手を付けるのに気合いを入れる必要があるのです。
勉強に限らず、実は私はスキーは高校の修学旅行でしかしたことがないのですが、生まれて初めてしたスキーで、それまで運動はほぼ何でも人並み以上にできていたというのに、初めてクラスの女子の中で極めてできないほうの1人になるという経験をし、大きなショックを受けました。
実は最終的には最終日にある簡単な検定試験ではちゃんと課題をクリアできて、人並みぐらいには滑れるようになったようなのですが、その記憶はほぼ残っておらず、ただただできなかった、女子の中でダントツにできなかったという初日の記憶だけが延々と残り続けています。
そのせいで、その後の人生でただの一度もスキーに行こうと思ったことはありません。(大学時代に憧れの先輩にみんなで一緒に行こうと誘われたときでさえ断りました…。)
もちろん、性格にもよるとは思うのですが、子ども達を見ていても、最初に難しく感じたものはおさらいなどで出てきたときに「あ、できへんかったやつや」とか、「むずかしい分や」とか、やればできるようになっているにも関わらず、小さな抵抗を示すことがあります。
嫌だなと感じるものに対しては頭の働きも鈍くなり、やっても身につきづらくなりますから、色々な意味でデメリットだらけなのです。
それを思うと、最初に経験するときにうまくできなかった、難しかった、諦めてしまった…というような状態で次へ進むと、後々まで悪影響を及ぼすこともあるのだなと。
ですから、最初の提示の仕方は本当に本当に大事なのだなとも思いますし、また、難しいと感じたようであれば、それがきちんとクリアされるまで取り組んでもらうことも大事なのではないかなと、改めて感じました。
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年長さんの頃から通ってくれていて、この春5年生になった子がいます。
受験も考えておられ、4年生からは受験塾にも通いながら続けてくれているのですが、元々算数のセンスのある賢い子で、算数に関して何の心配もしなくてよさそうだった子が、塾に行き出した影響なのか、どんどんよくない方にい言っている感じがあります。
気になることがあるたびおうちの方にもお話をし、それもあって、早い段階で一斉指導ではなく、その子のペースに合わせて進んでくれる個別に変わられたものの、あまり改善されず…。
4年生の間はこちらも元々先に進んでいたこともあり、塾が先にやってしまうことは限られていたのですが、5年生になると一層進度も速くなり、また、教科書の順とかはあまり関係ないカリキュラムということもあって、こちらで違うことをやっている間に先に塾がやってしまうことがぽつぽつ出てくるようになりました。
何を習ったか確認し、習ったということは理解しているかどうか少しだけ問題をやってもらって、理解できていたらそれでよしとするようにしているのですが、今回、分数の掛け算もわり算も習ったというので宿題に出していたところ全滅。
それだけでなく、分数の掛け算や割り算が今一つピンと来ていなかったとしても、問題をきちんと読みさえすれば解けるはずのものも空欄のまま持ってきました。
そこで、間違っていた1問目の掛け算を指し、「これはどういう意味?」と尋ねると、「え?」と。そこで「2×5ってどういう意味?」と尋ね直すと、「2が5回」と即答。「だったら、これも解けるよね?」とさっきの問題を指すと、「ああ。」と言って、そこからは次々正解に直されていきました。
更にはできるはずなのに空欄だった問題も「これ、やらなかっただけ?絶対できるよね?」というと、改めて問題を読んで「あ、簡単や」と。
個別に変わったと聞いていたので少し安心していたのですが、結局は最初にやり方を説明され、その通りにやってみて、できていたら問題演習をして先に進むという、所謂一般的な指導を個別にしているだけということのようで、先に自分で考えるというところから入っているのではないようです。
賢い子でも、こうも簡単に影響を受けてしまうんだなと思ったら怖くなってしまいますが、何より一番もどかしいのは、わかりやすく教えることがかえって子どもにとってマイナスになっているということをわかっておられない、もしくはわかっていてもその子のペースに合わせていてはカリキュラム通り進められないというような事情で、子どもを見ずに授業をしているということがとても多い(というか、ほとんどがその形式とも言えるのかもしれませんが…)ことです。
どこまで効果があるかわかりませんが、その悪影響を少しでも和らげるためには、復習よりもまず予習として、エキスとの解説などを読まずに、次の授業でやるであろう問題を1、2問、これはどう考えるのかな?こんな風に考えたら解けそうだなというような感じで、自分の頭で考え、試行錯誤した状態で授業に臨めばいいかもしれません。
自分の頭で考えるより先に説明を聞いてしまうと、考えずしてわかって気になり、結果的に頭に残らないというパターンに陥りがちですので、何かの参考になれば幸いです。
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先日来何度も書いていますが、自分が現役高校生のときに挫折した数Ⅱ・数Bをこのところ少しずつ勉強し直しています。
自分が高校生の時には数Ⅱや数Bという言い方はありませんでしたが、数列で∑が出てきた辺りで理系に進むのを断念して文系に進んだ記憶がありますので、ある意味人生で初めて勉強する内容というところに差し掛かっています。
もちろん、衰えゆく脳で新しいことを学ぶのは簡単ではありませんし、理解するのに時間がかかったりすることも少なくありませんが、今のところ、意味が全く分からないということはなく、恐らく小中学校の頃からきちんと考えるということが習慣になっていれば、少なくともこの辺りではまだ挫折せずに済んだんじゃないかなという気がしています。
教わったことを覚えて使うのが算数や数学の勉強の仕方だと思っていたので、そうではなく、意味を考えなさいと言ってくれる大人に出会っていれば、全く違う学びができて、もしかすると恩師のように中学校の数学の先生になれていたかもしれません。
子どもの頃には考えることの大事さがピンとこないかもしれません。だからこそ、周りの大人が考えることをしっかり身につけられるような機会を与えてあげることも大事なのではないかと。
高校時代、わからなくなったら苦痛でしかなかった数学も、考えられれば決して辛いものではなく、むしろそれを理解できたときには嬉しささえ感じます。
子ども達にもそんな経験をできるだけ多くしてもらえたらなと思います。
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連日、テレビをつけると震災のニュースで、阪神淡路で被災した身としては、その大変さもある程度はわかる上、阪神淡路ではなかった、前震、本震の後にも本震の後にも断続的に揺れ続け、余震とはいえないぐらいの大きな揺れも何度も起きていることに、いたたまれない気持ちになっています。
普段買っている牛乳がたまたま「熊本阿蘇」のもので、今日スーパーに行っていつもの棚を見ると、予想はしていましたが、入荷の目途が立たない旨の貼り紙が。
阪神淡路の頃に比べると遥かに情報を発信しやすくなり、得やすくもなっている分、若い人たちがいる避難所などではあの頃より色々な面で援助を受けやすくなっているのかもと思う一方で、その分発信できず、情報収集もままならないようなお年寄りなどが心配になったりもしています。
救援物資を送りたいと思っても、まだそれを仕分けて配ること自体が大変なようですし、となるとボランティアにも行けない私ができるのはとりあえず募金ぐらいだなと、どこに募金をするかちょっと調べていました。
初めは熊本県知事に直接とも思ったのですが、大分などにも被害が広がっており、ここは募金は全額被災者支援に使うとうたっている日本赤十字社さんかなと、ちょうど郵便局で義援金の口座ができたところでもあったので、募金をしてきました。
これから当分は気づいたら可能な範囲で熊本や大分のものを買ったり、行ったことがないので、復興してきたらその地を訪れてみたいなと思ったりしています。
被災されたみなさんが1日でも早く「当たり前の日常」を取り戻せますことを心よりお祈りしています。
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今日は本当は仕事もちゃんとするつもりだったのですが、最近本当になかなかエンジンがかからず(というか、元々無精者ですが、それに磨き(?)がかかっている感じと言いましょうか…)、やろうやろうと思いながらどれだけの時間が過ぎ去っただろう…という、大掃除でも結局手を付けずに済ませてしまったところの掃除と片付け、不用品の処分などをひとしきりしました。
震災で実家を出ることになったときにもある程度処分し、数年前引っ越したときにも処分したのですが、なんとなく処分しきれず残していた大学の時の教科書数冊のうち半分ほどは処分することにし(それでもまだあと数冊は残すことにしたのですが…)、いらなくなった書類などもかなりの量シュレッダーにかけ、昔、習い事をしていたときに買った本なども手放すことにし、だらだらやったのでえらく時間がかかりましたが、ようやくちょっとスッキリしました。
パソコンデスクも机の上にほとんど物がなくなりましたので、これで家でもちゃんと仕事するようになるといいのですが…。
明日からまた1週間、どうぞよろしくお願いいたします。
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まだ2年生になりたての子と、先日から長さの学習をしています。
センチメートルとミリメートルは苦もなく理解して、問題の比較的スムーズに解いていってくれたのですが、そこに更にメートルが出てきたところで、ちょっと雲行きが怪しくなりました。
もちろん、まだ小さい子達なので、学習する際には定規や巻き尺などを実際に使って確かめてもらいながら進めるのですが、それでも単位が3つ、それもまだ生活では決して身近ではないものが一度に出てくると、少なくない子が一旦混乱に陥ります。
それが一番顕著に表れるのが単位換算で、たとえ定規や巻き尺を見ていたとしても、おかしくなってしまうことが珍しくありません。
きっと多くの子がそういう段階を経るもんなんだろうなと思っているのですが、この子もだんだん単位がごちゃごちゃになり、4mは400cmと書いた2問下では5mが50cmになったり、1mは100cmとわかって、自分の口で答えたのに、紙には1000cmと書いたりと、大混乱。
ここで嫌になるのは避けたいので、様子を見ながら問題を変えたり、次に持ち越したりを考えることになるのですが、とりあえず気分を変えてもらうために、単位が混じった長さの計算をしてもらうことにしました。
すると、たった今まで大混乱だったというのに、368cm+2m45cmとかいうように、単位換算が必要な問題の、それも繰り上がりがあったり、繰り下がりがあったりするような問題でも、集中した穏やかな顔つきで次々に解いていくのです。
それを見ていて、その計算が暗算できっちりできていることに感心すると共に、なんでそれなら換算に全く迷っていないんだろう?と不思議な気持ちにもなりました。
まあ、恐らくあと一息できっちり身につく、ほんの少し前段階ということなのかもしれませんね。
次回のレッスンではどんな姿を見せてくれるか楽しみです。
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熊本の大震災のニュースを見ていると、本当に胸が痛みますね。
21年前、東灘区で被災し、ひと月余りの間、家族一緒に小学校の講堂で寝起きした経験のある身ですが、あのときは一度大きな本震があった後は、余震といってもそこまですごい揺れはなかったような気がします。
もちろん、通常の生活に戻れるまでには長い長い時間がかかりましたが、今回の震災は震度7、震度6強など、かなり強い揺れが何度も起こり、その合間にも断続的にずっと揺れ続けているようですから、想像するだけで涙が出ます。
だからといってボランティアに行けるでもなく、これからできるとしたら募金や救援物資の提供ぐらいしかないので、もどかしくもあり…。
私は直接の知り合いで熊本にお住まいの方はいないのですが、ご親戚やご友人などがお住まいの方がおられたら、一層ご心配なことかと思います。
1日も早く揺れが収まり、救護活動や復旧活動が進みますことを心より祈りたいと思います。
これ以上被害が大きくなりませんよう。そして、くれぐれも原子力発電所の事故が起こりませんように…。
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子ども達とレッスンをしているとき、とにかくできるだけ子どもが考える邪魔をしないようにしたいと思っています。
悩んでいるのかな?と思って、親切心でヒントなどを与えるということを安易にしてしまうと、子どもはまだ考えている途中なのにヒントをもらえるということが続き、そのうち、「考えようとしてもどうせ途中で何か言うんでしょ?」という気になるか、「考えているふりでもしておけば、そのうちヒントをくれるもん」という気になるか、どちらにせよ、決して子どもにとっていい方には働きません。
もちろん、全く考えられずお手上げなのに放っておいたら、それはそれで考えることを苦痛に感じるようになるかもしれませんから、その見極めは難しく、何年やっても完璧にはなれません。
それでもなんとか少しでもその見極める力を高めたいと思い続けています。
子どもも色々な子がいるので、放っておいてもあれこれ試行錯誤できる子もいますし、そうでないにしても、初めはひたすらにまどろっこしい方法でああではない、こうではないとやっていく中で、だんだんと考え方が洗練されていくということもあるだろうと思います。
であれば、試行錯誤している間もなるべく見守りたいのですが、見守っているだけで必ず気づくかどうかということもありますし、小さい子ならともかく、ある程度年齢が上がってくると、待っているだけでは学校などの進度に先に行ってしまわれるという心配も出てきますので、どこまでアドバイスをするか悩みます。
ある高学年の子が、魔法陣のような問題を考えるのに、与えられた4つの数字をどう見てもとりあえず当てはめて計算してみて、違ったらまた変えて…と、思いついた数を順番に入れているようにしか見えませんでした。
4つの組み合わせですから、ひたすらにやっていくと、運よく途中で見つかればよいものの、かなりの組み合わせがありますし、それも一度入れたものを控えているならともかく、見ているとそんな様子もありません。
何かその子なりに考えていたら申し訳ないので、「それ、とりあえず当てはめてひとつひとつ確かめてるの?何か考えて入れてる?」と尋ねてみたところ、適当に入れて順番に確かめているだけだと。
ということは、少なくとも高学年になるまでにこの子は、そういう問題ではどんな風に考えるとよいか気づかずに来たということかもしれませんし、そうであれば、何か少し助けを出すべきなのではないかと。
考えなさいといっても、どんなふうに考えるかがわからないような子に、どこまで試行錯誤させ、どこまで何を助けるか。頭をどんなふうに使えばいいんだよというようなアドバイスができるならいいのですが、頭の中は見えませんし、また、頭の使い方も人それぞれだとも思いますから、やはりそれもとてもとても難しいことなんだろうと思います。
ああ、もっともっとがんばらないといけませんね。
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自分自身をふりかえると、小中学校時代には算数や数学ではさほど苦労したことはなかったので、子ども達とレッスンをしているときに何がどうわかりにくいのかはこれまで子ども達とかかわってきた経験と推測によるものですが、高校数学に関しては、自分自身が完全につまずき、どうにかこうにか乗り切ったものの、本当の意味では理解していなかったこともあって、今改めて問題を解き直すたび、今でも問題の意味が分かりづらくてあれこれ調べたり聞いたりしてみるとか、ひたすらに書き出してそれによって意味を理解するとか、そういうことを経て、「ああ、これはこういう意味なのか」と理解できるという経験を積み重ねることができています。
そういう過程を経ることで、自分自身がこの表現はわかりにくいよなとか、こういうところはこんな風に迷うなとかいうことを身をもって感じることができます。
その状態で子どもとレッスンをすると、すんなりわかる子はそのまま取り組んでもらえばいいですし、困ってる子には、きっとここで困っているのではないかなということが自分の経験として推測でき、子どもに尋ねることもできますから、考える力はある程度あるのに問題の意味が今ひとつ理解できないというような子には、理解するための手順を提示できる場合が少なからずあるのではないかなと、そんな感覚を持っています。
それは、もしかするとバリバリの理系の先生方ではなかなか理解できない部分でもあるように思いますので、数学は嫌いじゃないけど純粋な理系の思考はできていないというような子に自分が役に立てるようになればいいのになと、そんなことをこの頃ちょっと考えています。
もちろん、そのためには私自身がもっとしっかりと高校数学を理解しないといけませんから、実現するかどうかはわかりませんが、いつかそうなれたらいいなと思っています。
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小さい子に対して、大して難しくないことであっても「すごいね~!」とか「えらいね~!」とか、大人から見ると「それ本心じゃないよね?」と思うようなことでもとりあえず褒めるというようなことを勧める教育法などもあるようですが、私個人の考えとして、子どもというのはなかなかに鋭く賢いと思っているので、私のうわべだけの言葉では子どもには伝わらないのではないかと思うもので、その子にとっては本当によくできた、すごい!と思うことであれば、大人にとって簡単なことでももちろん大いに褒めますが、その子ならできてもまあ当然と思うようなことであれば、取り立てて褒めたりはしていません。
もちろん、褒めるのはよいことだと思いますし、けなされるより褒められる方がいいのは間違いないと思いますが、私自身、子どもの頃に、母親が何かにつけ褒めてくれていたものの、それ褒められるようなことじゃないよね?とか、それ本心じゃないよね?とか感じるときには、嬉しい気持ちよりもどこか冷めた気持ちになっていた、なかなかにイヤな子どもでしたので、その影響もあるのかもしれません。
ただ、大人になって人から、何かをがんばったことで褒められるようなことがほとんどなくなって、褒められる感覚というのがどういうものなのかぼんやりとしかわからなくなっていました。
で、今日、パソコン作業をしていたときにふと、機械モノが苦手な私がこれをなんとか作れたことは、自分としては結構すごいんじゃない?と自己満足ですが、ちょっと嬉しい気持ちになっていました。もしそのときにちょうど、誰かが「すごいね!」とか「がんばったね!」とか言ってくれたら、多分とっても嬉しいだろうなと。
もちろん、機械オンチの私が作ったようなものは、得意な方から見たらなんてことはない、場合によってはあっという間にそれより遥かに優れたものができてしまう可能性も大いにあるようなものなのです。でも、私にとっては「よくがんばった」結果なのです。
ですから、それに気づいて「がんばったね」と言われたら、素直に嬉しいだろうなと思ったのです。
つまり、子ども達にとっても、とにかくなんでも褒めるのではなく、褒められて嬉しいと感じるときに的確に褒めることができれば、「褒める子育て」、「褒める教育」は大いに効果を発揮するんだろうなと。
そのためにはその子の力をできるだけ正しく把握し、その力と比べてやり遂げたことが褒めるに値するかどうかを的確に判断できなくてはなりませんから、簡単なことではありませんが、より精度を上げられるよう努力していきたいなと思います。
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高学年になって、年明けから通ってくれている子がいます。
真面目なのですが、パソコンでいえばメモリの容量があまり大きくないという感じなのか、一所懸命取り組んでくれる割に、今解いたことを次にうまくつなげられなかったり、ちょっとした気づきというようなものがなかなか難しそうな印象です。
一所懸命考えている分には急かしたくないのですが、もう高学年でもあり、ひたすらに待つこともできません。
もちろん焦っても仕方ないこともわかってはいるのですが、週1回の限られた時間の中で、どうすればよりよく変わっていってくれるだろうと、悩みつつ、迷いつつ3か月ほどレッスンをしてきました。
前回は3月5回目だったのでレッスンがお休みで、更に、先週のレッスンの日は都合によりお休み。振替で今日レッスンをしたので、結構久しぶりのレッスンになりました。
お休みが長かったので少し心配もしていたのですが、ゆっくり休んだのがよかったのか、これまでのレッスンの中で一番反応がよく、また、こちらが促さなくても手が動いて絵を描いたりもしていて、今日やりたいと思っていたことがほぼ全てスッキリ終われました。
私とのレッスンに慣れたきたこともあるのかもしれませんが、これまでとは反応が変わった印象を受けました。
なんというか、考えているときも少し余裕が感じられるような、そんな印象でした。
まだ3か月ですから、今回たまたまということかもしれませんが、コンディションによってはこのぐらいまで反応が速くなるということがわかったので、きっとこれからより変わっていくのではないかなと思います。
小学生の間にどこまで力を付けてくれるか、頭がクルクル動くようになるか、ちょっと楽しみになってきました。
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先日書きましたが、完全に放置状態になっていたホームページを何とかすべく、いつ壊れてもおかしくないほうのパソコンを立ち上げ、とりあえず最低限の作業だけはそちらのパソコンで済ませようと試みたのですが、いきなり壁にぶつかりました…。
何度も書いているように、機械のことがよくわかっていないのに使っていることや、近年物忘れが激しくなっていることなどが相まって、古いパソコンであれば最低限の更新はできるはずと手を付けたというのに、なぜか転送しようとするとパスワードエラーで転送ができない!
というか、そもそもパスワード設定した記憶がない!!(大汗)
しかし、随分前にFTPパスワード再設定云々というメールを見たような気がするなと、仕方ないのでとりあえずプロバイダのホームページを見に行くと、前回確かめたときには自分には関係ないと思っていたのに、どうも関係があったらしく、サイトの案内を見ながら、パスワード再発行の手続きを。
ほどなくお知らせが来たので設定を変更しようとしたところ、今のパスワードを入力しなくてはいけないとのこと。これかなと思うものを入れたら違うと。その後3回トライしてもダメ。
これは「パスワードを忘れた場合」というのがどこかにあるはず!と探したところ、それは見つかったというのに、手順通りにしようにも今のパスワードを入れないと進まない説明が書かれていて意味不明…。
問い合わせメールをするしかないか?と思いつつ、もう一度考えて、ホームページ作成ソフトの方のFTPの設定を見ると、記憶にはないものの、何かパスワードが登録されている(*******のような表示でしたが…。)のがわかったので、そこに新しいパスワードを入れ直して転送してみたところ、無事転送できました!
しかし、どうやら今使っているホームページは9月で提供終了になるらしく、残すためにはそれまでにまたよくわからない作業を手探りで色々しなくてはいけないらしいということが判明しました…。(どんより。)
まあ、とりあえず気になっていたことがひとつ、どうにか多分片付いたのでよかったことにしようと思います。
機械モノに強くなりたいものです…。
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今日は、賢いのに、ちょっと難しそうだったり、めんどくさそうだったりすると、不機嫌な顔になり、すぐにぽろぽろ泣き出してしまう子とのレッスンがありました。
初めは「これ好き!」とか言いながらニコニコ取り組んでいたのですが、見た目が楽しそうではないプリントになった途端、いつもの不機嫌な顔になり、適当な答えを連発し始めました。
私が何か尋ねるたび、答えを消して書き直す、全く考えていないのがバレバレの状態で、そんなことでマルをもらってもなんにもならないよというと、これまた例によって目に涙が。
ただ、その子なら少し考えれば絶対できるはずのものでもあったのと、あれこれ言ったら怒っているように思うかもという気もしたのとで、少し、別のマル付けなどをしていたところ、何か動き出したなと。
気づかないふりをしながら様子を見ていると、顔つきが少し真剣になり、正解率が明らかにぐんと上がりました。
そんなことはないだろうとは思うものの、全く助けず、声もかけず、その子の方を見ないようにした途端、まるで観念したかのように問題を考え初め、正解し始めたことにびっくり!
子どもは色んな意味でなかなか賢くて、面倒だと思ったら何とか答えを教えてもらえないだろうかと、大人にあれこれアプローチしてくるということは少なくないのですが、その手は私には使えないとわかると、なんとか答えを教えてもらおうとがんばっていた子どもも諦めて考えるようになるということが、これまで何度もありました。
今回の子の子についてはそう感じたことはなかったのですが、賢い分、もしかするとそういう作戦もよりハイレベルなんだろうかと。
もちろん、たまたまかもしれないので、今後も様子を見ながらではありますが、できるはずのものなのに、考えずして不機嫌な顔になったら、少しの間何のアプローチもせず(目の端で様子を見ながら)ほうっておいてみようかなと思う出来事でした。
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新しくスタートした朝ドラで、主人公の一家がお父さんが娘に話をするときでも、きちんと丁寧な言葉遣いで話しているのを見て、なんかいいなぁと思っています。
昔はそういう家庭も多かったのかもしれませんし、自分の記憶をたどっても、少なくとも小さい頃は、父や母に対してきちんとした言葉遣いで話すよう、母からよく注意をされていたような気がします。
街を歩いていると、時々、小さい子を連れたお母さんが、それはそれはびっくりするような乱暴な言葉遣いで子どもに何かを言っている場面に遭遇することがあります。
お母さんがそういう言葉遣いをしていたら、子どもも恐らく乱暴な言葉を使うようになるだろうと思います。そして、もちろん例外はあるだろうと思いますが、きちんとした言葉に触れる機会が少ない環境で育つと、国語などの力が低いところでとどまってしまいがちなのではないかという気もします。
正しい言葉使いを知った上で、時と場合によっては崩した言葉を使ってみたりするのはいいと思うのですが、小さいうちは何が正しいかの判断ができませんから、それはやはり身近な大人が発する言葉がお手本、基準になっていくのではないかと思うのです。
もちろん、語彙などはいくつになってからでも増やせますが、最初に正しい言葉を覚えるか、国語的には正しいとは言えないような言葉を覚えるかは、やはり差になって現れるような気がします。
朝ドラの家族は、もちろんドラマの設定ですから、理想の姿なのかもしれませんが、お互いがお互いに敬意を持ってきちんとした言葉で話しながらも、愛情いっぱいの仲良しな感じが画面から伝わってくるのを見ていると、なんだかこういうのいいなぁと思ってしまうのです。
私も歳を取ったということでしょうか。(苦笑)
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子ども達とレッスンをしているとき、初めは難しそうに取り組んでいても、それがだんだん理解が進み、それと共に表情も緩んだり、楽しそうに取り組み始めたりという変化が見て取れることがあります。
難しく感じているように見えるとき、その子にとって難しすぎてはがんばって考えてみようと思えないこともあるので、その見極めも大事ですが、なんとかできるのではと思うような場合に、難しそうだからと、解く問題を減らして、それが解けたらよしとするというのがいい場合と悪い場合があるように思います。
前者は、そんな問題に出合う可能性があまりないとか、その段階ではそれをスラスラ解けるようにならなくてもいいとかいうような場合などですが、後者は大事な内容だったり、その子ならきちんと理解できるはずというような場合などでしょうか。
それはレッスンをしながら感じていたことですが、今回、自分自身が、例によって高校数学を考えていたときに、難しいと感じていたものがだんだんほぐれてきて、書かれていることの意味が理解できて、それまでの不快な感じが消え、安堵感のような、喜びのような、そういうプラスの感覚を感じたときに、子ども達もこういう感じなのかもしれないなと、改めて実感したのです。
問題集の多くは例題があり、その解法が書かれている、もしくは導かれるままに穴埋めをするという「作業」の後、その類題をそれと同じような手順で解くと答えが合うというパターンで作られています。
時には練習問題にさえも、例題の何番というように、わからなければどこに戻ればよいかまで書かれていたりもします。
そういう問題集だと、本当の意味で理解していなくても、ある程度正解することは可能ですが、その勉強の仕方だとひたすらに解法を覚えていかなくてはいけなくなります。
そして、その「作業」には喜びや楽しさはほぼ感じられないだろうとも思います。
今私が解いている問題集も、そういうパターンで作られているものなので、意味を理解していなくても例題の穴埋めや類題の答えを出すことはできても、読んで穴埋めしているだけだと意味が分からないことがあります。
公式として書かれているものに当てはめれば解けるのですが、なぜその公式になるのかがわからなければ、モヤモヤしたままです。
そこでそういうときは、とにかくまず、時間がかかってもあれこれ書いてみるようにしています。
書きながら説明を読んでみたり、面倒な方法でも自力で解くことができそうなら説明はとりあえず無視して答えを出すところまでやってから説明に戻ったりと、そういう風にしていると、不安感やモヤモヤ感はだんだんと和らいでいき、自分で答えが出せた後は小さな達成感のような者すら感じられて、数学面白いな、とか思ったりすることもあります。
でも、ここまでせず、とりあえず説明を読んでわかるようなわからないような状態のまま次へ進んだ場合は、モヤモヤ感は消えませんし、その類の問題に出合うたび、そのモヤモヤ感が蘇ってくるような気がします。そして、数学嫌だな、嫌いだな…と感じるようになっていくのではないかなと。
つまり、例題を読んで解法を覚え、同じように解いて答えを出すという勉強をしている子にとっては算数や数学を楽しいと感じる機会はほとんどないということなのかもしれないなと。
であれば、いくら努力をしても、あまり身にもならないのもよくわかるなと。
もちろん、その時点の自分には解けない問題というものもあると思いますから、何でも「モヤモヤ感」が消えるまでやるのは無理かもしれませんが、子ども達とレッスンをしていく中で、難しそうにしている段階で切り上げるということは極力しない方がよさそうだなということを実感しました。
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昔に比べ、子どもの数が相対的に減っているため、保護者の方がひとりのお子さんにかけられる時間や経済面でのサポートも増え、また、教育産業では対象となる子どもが少なくなるにつれ、より低年齢を対象にした塾や教室、教材なども増え、その結果、就学前から「お勉強」をする子ども達が昔に比べると増えたのではないかと思います。
そういう私も小さい子達と一緒に勉強させてもらっていますが、上は人数は少ないながらも高校生になるぐらいまでの子とレッスンをさせてもらっていることもあり、改めて思うことがあります。
私自身、現在高校の数学を学び直しているのですが、ちょっと読んだだけでは何を言っているのかよくわからなかったり、解説に書いてあることはなんとなくはわかるものの、本当の意味では納得していないような段階があったりします。
そんなとき、ノートや紙を広げ、面倒であっても地味にあれこれ書いてみて、その結果、「ああ、こういうことを言っているのか」と納得がいくと、ようやく気持ちがスッキリし、覚えていられるかどうかは別として、本当の意味で「理解できた」と感じることができます。
ただ、中学生、高校生になると、定期試験や部活動、その他の行事などで忙しくもなるため、1問1問納得いくまでじっくり考えるということはなかなか難しい面もあるのではないかと思います。
お世話になっている、進学校の高校生に数学を教えておられる先生のお話を伺うと、びっくりするような進度で進んでいくので、とてもじゃないけどじっくり丁寧になんてやっていられないというような高校もあるようで、特に難関校、進学校と言われる学校ほど、内容も難しいのに進度も速いということはよくあることではないかと思います。
(自分の母校の高校でも、2年間で高校3年間のことをある程度終わらせて、高3では受験対策などを学校が授業でやってくれていた記憶がありますので。)
となれば、時間に余裕のあるうちに前倒しの先取り学習をするということは、ある面では大いにメリットがあるように思います。
ただ、問題は学習の仕方なのではないかなと。
時間に追われることがない、まだ余裕があるうちに、じっくりじっくり時間をかけて、きちんと理解し、納得するという経験を積み重ねることが何より大事なのだろうと思うのです。
小さいうちにそれが習慣になれば、自然と応用力などもついていきますし、そういう学習が当たり前になれば、そのうちほとんどの子がスピードもアップします。
そうして身に着けた能力を活かして、無理なくスピードアップすることで、結果的に1年、2年と学習内容の先取りができるようになるのであれば、中学生の間に高校数学を1年分ぐらいは先取りしてしまうことは決して難しことではないように思います。(実際、週1回した来ていない子でその程度までやった子がいますし。)
高校入学前に1年分先取りができていれば、自分で予習として先取りを続け、難しい問題にぶつかってもじっくり時間をかけて考える余裕も多少は出てくるのではないかなと。
中3まで通ってくれる子はかなり限られていますが、教室としてはこれからもそういう方向でやっていけたらいいなとも思っています。
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今日は新1年生さんとのレッスンがありました。
年長さんの初め頃から通ってくれているのですが、いい意味でとても子どもらしく、賢い子です。
その子が、足し算引き算の問題を考えていたとき、突然こう言いました。
「○○(その子の名前)ね、先生んとこの問題はアタマで考えてるから!」
それを聞いたとき、頭で考えなければどこで考えるんだろう?と思ったりもしましたが、子どもの表現って本当に色々ユニークだなぁと、ほのぼのしました。
「アタマで考えてる」というのは、指で数えたりしていないという意味なのかなぁと思いますが、実際、問題を考えるときには指を折ったりせず、少し目線が上にあがってじ~っと考えているので、そのことをその子自身がわかっているということなのでしょう。
このままずっと、しっかり賢い頭で考えることを続けていってくれるよう、サポートできたらと思いました。
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教室を始めた頃に、よくわからないままどうにかこうにか教室のホームページを作りました。
その頃使っていたパソコンでは問題なく更新できていたのですが、その後パソコンが変わり、要領が変わってしまって、なんとかどうにか最低限の更新だけはしていたものの、ブログの更新すらも遅れがちになり、いつの間にかブログの更新以外、自分の頭の中から消えてしまっていました…。
先ほど、新年度になったことでそれを突然思い出したのですが、先日パソコンを買い替えたため、新しいパソコンではまだ更新のしようがなく、しかし、以前買ったホームページ作成用のソフトがどこにあるのか、それを探すところから始めねばなりません…。おまけにそれを見つけたからと言って、多分そのソフトを買ったときからはOSが2つか3つアップグレードしていますので、もしかすると使えないかも…。そうなると、新しいソフトを買ったとして、元のデータをうまく移せるかどうかと、限りなくあれこれハードルが…。
更新できないホームページを置いておくぐらいであれば、もしかするとホームページをブログのみにしてしまうなども考えた方がいいのではないかと思いつつ、とにかくなんとか近日中に長らく放置状態になっているホームページをなんとかしたいと思います。
覗いてくださっている方がおられるかどうかわかりませんが、全く更新できていなくて本当に申し訳ありません…。
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算数の能力は高そうなものの、まだ幼いせいなのか、見た目でやる気になれない問題は完全に思考停止してしまうタイプの子と、先日来、長さの学習をしているのですが、それもいよいよ終わるということで、最後の1枚の文章問題を考えてもらおうとしたときのこと。
今日はその1枚で長さはおしまいだからがんばってねと声をかけたにもかかわらず、見た瞬間から顔がどんより。
漢字も好き、読むのも上手な子なのに、どう見ても問題を理解しているようには思えません。
読めないところがあれば言ってねと言っても何も言わず、出てきた数をただ足し始めました。
それは長さの違う3本のテープをのりしろ2センチでつなぎ合わせたら長さはどれだけになるかを考えるものだったのですが、「2センチはどうするの?」と言ったところ、今度はやはり2センチは無視したまま、1本目の長さから2本目の長さを引き、3本目もさらに引こうとしていました。
しかし、それでは引けないことに気付いたようで、今度は1本目と2本目を足して3本目を引こうとする有様…。
紙を3枚出して、それをのりでつなごうと思ったらこんな風になるよねと見せたりもしたのに、全く考えようとする気配なし…。
この子はその気になれば本当に賢いのに、やりたくないとなると全く考えようとしない落差がすごいので、それで今日が終わってしまってはと、一旦後回しにしてほかのことをし、そのプリントも一番下から問題を考えてもらって、最後にもう一度と促したものの、また途端に顔が曇って思考停止しかけに…。
レッスンは順番を変えたのである程度のことはできていましたので、もうしょうがないかと、紙テープを取り出し、問題に書かれた長さに3本切り取って、その子にのりを渡し、のりしろ2センチでつなげるように言いました。
お絵かきも工作も大好きなその子は、突然顔がゆるんで、いそいそとのりを手にとり、のりしろを2センチ測ってつなぎ始めました。
1本につながげたら、それでもやる気になってくれなければ巻き尺で長さを測らせるつもりだったのですが、何も言わずに手を動かし始め、見るとこんな式が。
54-2+46-2+36
!!
これまですんなり問題を解いた子達でも、こんな式の書き方をした子はいたっけな?と。
正に、テープをのりで貼っていく作業そのままの式を書いたことに、ちょっと驚きながらも、これが本当に「わかった」ってことなんだろうなと感動しました。
まだまだこの子には驚かされることがありそうな気がしますが、それもまた楽しみです。
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高校の同級生でバリバリの理系頭脳の持ち主の子が
「世界算数」 https://www.global-math.com/
というものをSNSに1年ほど前だったかにあげてくれていて、無料で参加できるプランもあるので、前回から参加して問題を解いてみています。
今回は先日開催され、今日結果が分かりました。
結果を見ると、「え?なんで?」と思う問題を間違えていたので、問題を確かめてみると……。
「ぬいぐるみの数は」とちゃんと書いてあるというのに、提示されている絵が積み木を3方向から見ている絵だったため、普段しょっちゅう積み木の数の問題を見ていることの条件反射?か、積み木の数を考えて答えを入力してしまいました…。そんなことはどこにも書いていないというのに…。
問題を見た瞬間、勝手に思い込んでしまったわけですが、こんなことでは子ども達に問題をちゃんと読みなさいなんて言っていられませんね…。
算数が得意な子が時々勘違いで思いがけない答えを書いたりすることがありますが(私が算数ができると言っているわけではありません…。)、それも、得意であるがゆえの反射的な反応なのかもしれないなと思ったりもしました。
難しそうなものであれば、真剣に読もうとするか解くのをあきらめるかになりそうですから、簡単そうに見えるものほどうっかりしやすいのかもしれません。
先日「15と1しか公約数を持たない…」という文章で思い込みでさんざん悩んだということもありましたが、書かれていることをきちんと丁寧に読むというのは、問題を解く上で最も大事なことかもしれません。
私ももっと気を付けようと思います。
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