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2016年3月13日 (日)

気になっていること

自分がこういう仕事をしているから、余計そういう情報が目に留まるということはあるかもしれませんが、少子化のせいや、色々な情報を手軽に得られるようになったせいでしょうか、かなり早い時期、まだ乳児ぐらいの時期からの乳幼児教室などが増えてきて、そういうところに通われる親子さんも以前より増えたように思います。

塾なども少子化で子どもが思うように集まらなくなった分を、どんどん対象年齢を下げてというようなことをしているところが増えているから尚更そういう宣伝なども目にすることが増えたのでしょう。

私自身も色々な本を読んだり、話を聞いたりし、こうして教室をしてきた中で、確かに乳幼児の時期が「大事」だということは感じています。それでも、そういう塾や教室が増えていくのを見ていると、どこか不安を感じてもいました。
その不安が何なのかよくわからなかったのですが、今日、ぼんやりながらも少しだけ、こういうことかなぁと思うに至りました。

教室などで学ぶことももちろん意味がないとはいいません。でも、大人が関わって、答えが用意されているものを子どもが一所懸命考えて、その答えに辿り着いたとして、そういう勉強をたくさんさせたから、本当に自分で考えられる賢い子どもに育っていくのだろうかというところに引っかかっているのかもしれないなと。

うちの教室では算数を通して、自ら考えることで答えがわかるという感覚を実感してほしいと思っていますし、そのために、手助けは最低限しかせず、「教わって覚え、それを使いこなす」というような勉強ではなく、色々応用の利く本当の実力を育ててもらえたらと思っています。

そもそも、ほとんどの子が元々は自分であれこれ考えるということは当たり前であるにも関わらず、周囲の大人がよかれと思ってすぐに手助けをし続けてしまうことで、だんだんと、特に勉強に関しては考える意欲を失っていくと言った方が正しいのではないかなとも感じていますので、自分がすることは子どもが考えることを邪魔せず、必要な範囲でサポートすることだと、それができることが理想だと、そう思っています。

ですが、乳幼児の時期からの「お勉強」が過熱したら、週1回のお稽古ということでは済まなくなって、おうちでもおうちの方が熱心に指導されたり、問題に取り組ませたりというようなことになってしまわないだろうかと。
そして、もしそうなった場合、与える問題、課題には恐らく答えがあって、大人の側はそれを知っている、もしくは考えればわかるという状態のはずですから、子どもが考える問題には必ず正しい答えがあるというようなことになってしまうのではないだろうかと。

自分で考えることが大事だというのは、長い目で見て将来、何が正解か分からない、答えがない様々な問題にぶち当たった時に、自分なりに過去の経験と照らし合わせて考えたり、試行錯誤したりして、よりよい選択をしていく力を身につけられるようにというようなことがあるのではないかと思うので、物心つく前から答えが用意されている問題を一所懸命に考えるという経験をたくさん積ませるのは、もちろん程度問題ではありますが、どこか少し心配になってしまうのだろうなと。

子どもにとって、大人の目の届かないところで自分だけ、子ども達だけで、あれこれ考え、試行錯誤し、時には失敗をしたり、怪我をしたりもしながら、身に着けていく学びはとてもとても大事なものなのではないかと思いますので、そういう機会、そういう時間を、幼い子ども達に確保してもらえたらなと、そんなことを思いました。

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