「覚えてね」とは言わない
塾講師をしていた頃と比べて、大きく変わったことは沢山ありますし、子どもへのアプローチの仕方は真逆になったぐらい違っていますが、昔と比べて格段に口にしなくなったのは「覚えてね」という言葉と「わかった?」という言葉ではないかと思います。
「わかった?」という言葉に関しては、塾講師の頃は一度にもっと多くの子どもに授業形式で接していたということも多少影響していそうですが、ごく少人数で目の前の子どもをきちんと見られるようになってからは、そんなことは聞かなくてもほとんどの場合、表情や反応を見ているとわかるようになったからです。
仮に子どもに尋ねて「わかった」と答えたとしても、実際にはちゃんとわかってないよなというようなことも、ほとんどの子は見ていれば大体わかるので、聞く必要がなくなりました。
それとは別に「これは大事だから覚えてね」というようなことを言う機会も激減しました。
もちろん、用語など、覚えるしかないものは「これは覚えるしかないから覚えてね」と言うことはありますが、公式などを覚えるように言うことはまずありません。
覚えるのが得意であるとか、覚えたいとかなら覚えてもいいよとは言いますが、覚えなくても考えたら解けるものは覚えるようには言いません。
その代わりに、必要なことを忘れてしまった場合、どんなふうに思い出すか、どう考えるかというようなことは、可能な範囲で伝えるようにしています。
例えば、中1で習う作図に、角の二等分線、垂直二等分線、垂線、円の接線などがありますが、それらのうちどれを使って解けばいいのか判断がつかないような場合があったとします。
習った作図の仕方は覚えていて、どれを使ったらいいか判断ができないから問題が解けないという子に対して「これは○○を使えばいいのよ」と教えたとしたら、その場では解決しても、全く同じ問題にまた出合うとは限りませんし、初見の問題では自分で判断ができなければ結局解くことができなくなるかもしれません。
簡単な例で言えば、内接円の中心と外接円の中心の見つけ方は、どちらが角の二等分線を使って、どちらが垂直二等分線を使うのか忘れてしまったとしたら、両方やってみるのももちろんひとつの手ですし、レッスンでよくするのは、大体どの辺に中心がありそうかフリーハンドで描かせてみて、そのあたりの位置だとどちらの作図で見つけられそうか尋ねてみたりもします。
でも、自分で解決せねばならないとき(そもそも、私自身がど忘れすることも十分あり得ますし…)、どうすれば解くことができるか、それをできるだけアドバイスするようにしています。
忘れても考えられるというのは安心感にもつながるような気がしますし、「そうか、忘れたときには何か簡単な例を考えてみればいいんだな」とか「極端なバランスの図形で考えてみたらわかりやすいな」とかそういう経験を積むことで、自分でも試行できるようになっていくのではないかと思うのです。
公式などを「覚えてね」と言って覚えなければ、その子が悪いというような立場をとることもできるのかもしれませんが、それでは指導する側に何の経験もなくても構わないということになりますし、私自身、年々覚えることに自信がなくなっているので尚更、覚えずに済むことは覚えないで考える、忘れてしまったらどうすればいいかを考える、そんなことが普通になったのも大きいのかもしれません。
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