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2016年3月18日 (金)

自ら実感すること

これまで何度も書いていますが、私自身は塾などに行ったこともないので、勉強といえば学校で習うものと思っていて、当然のように算数や数学は公式を覚えて当てはめるような勉強が中心になっていました。
算数などであれば、問題を読んでイメージして、解いていて楽しいと感じたこともあるように思いますが、数学になると、抽象概念を操作するようなことも増え、より一層公式を覚えて処理するような勉強になっていったのではないかと思います。
ですから、高校数学になるともうほとんどが意味はよくわからないけど、公式に当てはめたら解けるからというような状態で「処理」をしていて、その公式が増え、複雑になるにつれ、覚えきれずギブアップしてしまったような気がします。

子ども達とレッスンをするようになり、私もこんな風に学んでいたら、高校の数学ももっと理解できていたんじゃないかなぁと思ったりもし、羨ましく見ていますが、わからないモヤモヤというか、じっくり考えてきちんと理解して積み上げてきた子たちが、わからないけどとりあえずこれで処理しておこうとするときの感情の疑似体験というか、そういうことを自らする機会が最近ありました。

このところ、必要に迫られて数Ⅰ、数Aを学んでいましたが、中高一貫校に通っている中3の子がそれが終わってしまい、数Ⅱ、数Bを少しやり進める必要が出てきました。
正直なところ、どちらも私自身が高校時代、途中で挫折した内容です。とりあえずちょっとはとっつきやすい数B の数列から手を付け始めたところ、初めのうちは意味も分かり、考えながら解くことができました。
しかし、程なく、数列の和を求める問題のある問題をどう考えたら答えが導けるのか思いつかないものが出てきました。

その問題に関しては、いくつか挙げられている公式の一つで、書かれている公式に当てはめれば答えは出るのはわかりますし、数ある公式のうち1つぐらい覚えて処理してもいいのかもとも思いますが、私の立場からして、どうしてその公式が導き出されたのかわからなければ、もし子どもが尋ねてきたとしても答えられません。

自分なりにしばらくあれこれ考えてはみたものの、なかなか難しそうで、さてどうしたものか…とりあえずこれは覚えて使った方が早いよということで済ませるか?と考えたりもしたのですが、そのときの自分の気持ちというのが、指導できないからどうしようというのとは別に、理解できない気持ち悪さがど~んと心の中を占めているように感じました。

その後、検索して、導く方法がありそうだとわかったので、導き方は最後までは読まず、後で改めて自分で考えてみようと。そう思った途端、先ほどまでの気持ち悪さが消えたのです。

これはきっと子ども達でもそうなんじゃないかなと。
問題が難しいから勉強が嫌になるというより、わからない状態のままにしておくから嫌いになる、本当の意味では理解できておらず、とりあえず答えを出す方法だけは知っている状態だから楽しいと思えない、そんなことが繰り返されて、どんどん算数や数学が楽しくなくなっていく、嫌いになっていくのではないかなと。
難しい問題でも考えることができている間は嫌いにはならない、少なくともイヤな気持ちにはならないのではないかなと。(もちろん、できるできないに関わらず、算数や数学が好きではない子もいるとは思いますが。)

自ら考えて、学び取ることを続けてきた子たちが適当な理解で次に進みたくないと感じるのは、こういう気持ち悪さが嫌だからということなのかもしれないなと、自ら実感しました。

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