考えること、気づくこと。
考えることと速く処理することとはほとんどの場合相反することで、それを両方求めるのはほぼ不可能だろうと思います。
随分以前に書いたことがあるかもしれませんが、わかりやすい例で言うと、大人でも、100枚の伝票の数字を合計してくださいと言われ、電卓を渡された場合、キーを見ないでも叩けるような人はその処理スピードはかなり速いだろうと思います。
ただ、その作業をしている間、その人は恐らくほぼ何も考えず、目に入った数字を指先に伝えキーを叩いている状態ではないかと思います。
その合算が合っているかどうかは、もう一度合算してみて同じ数字になるかで確かめるというようなことをするはずで、その合計が異なっていれば、もう一度入力し直して…と、考える作業はほぼしないように思います。
しかし、もし電卓ではなく、紙と鉛筆などアナログで合算してくださいと言われた場合、例えばですが、同じ金額のものを揃えるとか、合計したらきりのいい数字になるものを先に合わせていくとか、10枚ずつ筆算で合計して、更にそれを合計するとか、色々な方法を考えるだろうと思います。(中には順番通り1枚ずつひたすらに足していく方もいるかもしれませんが、それは「考えている」というよりは、機械的処理をしているような状態ではないかと思います。)
後者の作業をしている人は、電卓を使っているよりずっと頭を使っていますが、処理スピードは恐らく遅くなるはずです。
同じようなことは色々な場面で言えるのではないかと思います。
子どもに大量に計算問題を与えた場合、早く終わらせたければ、できるだけ考えず「処理」しようとするかもしれません。ですが、問題数をしぼる代わりに考えなければ解けないようなものを与えた場合には「処理」のしようがありませんから、やらないか考えるかしかなくなるでしょう。
考えることは初めのうちはほとんどの場合時間がかかります。ですから、年齢が上がり、学年が上がっていくにつれ、学校などのカリキュラムに追われて、じっくり時間をかけることはだんだん難しくなっていくことが多いでしょう。
ですが、まだ時間の余裕があるうちにじっくりたっぷり考え、色々な経験をしていれば、考えるスピードはだんだん速くなっていくということも事実だろうと、子ども達を見ていて思います。
そして、この蓄積こそが、後々大きなアドバンテージになるように思っています。
そもそも、私自身が、子どもの頃、学生の頃に算数や数学をじっくり考えて理解するということをあまりしてこなかったこともあり、教室を始めてから色々改めて気づいたり、なんだ簡単じゃない!と感じたりすることがよくあるので、尚更そう感じるのかもしれません。
今日のレッスンでも、小6の子と中1の方程式の利用の問題をしていたとき、12%の食塩水500gに8%の食塩水を混ぜたら10%の食塩水になった場合の8%の食塩水の量を問う問題が出てきたのですが、この問題は普段から考えて、数を意識して、更には食塩水というのが塩水で、しょっぱいほど濃いというようなことにも意識が及んだりする子であれば、方程式を作るまでもなく問題を見ただけで解けてしまうはずです。
仮にこれが9%とか11.2%とか、もう少しひねった数字になっていたら方程式を作る方が早いし簡単かもしれませんが、この問題の場合は12と8を平均したら10になるわけで、同じ量混ぜたとすぐにわかります。
こんな風に、パッと見てすぐ答えがわかってしまうような問題が少なからずあるということに、教室を始めてから気づくようになりました。(塾講師時代には気づいていませんでした…。)
考えることは本当に大切です。
人間は機械の処理能力と勝負するより、人間にしかできないことをもっと大事にしていくべきではないかなと、そう思います。
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