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2016年3月 1日 (火)

作る側になると気づくこと

2年前から少しずつ教材を作っているのですが、作る側になって初めて気づくことというのが色々あります。

元々、国語の指導では「~文字で答えなさい」「~文字以内で答えなさい」「~文字程度で答えなさい」という出題にはそれぞれどんな意味が込められているかなどは意識しなくてはいけないと言っていますし、それは一般的にも知られていることだと思います。

また、「記号も1字と数えます」とか「ない場合はなしと答えなさい」とかのように但し書きが書かれている場合も、敢えてそれを書くからには解答に記号が含まれるであるとか、「なし」と答えるものがあるとかいうのも、暗黙の了解のようなものだと思います。

それとは全く別で、今回問題を作っていて思ったのは、よく言われることですが、算数でまとめテストなどをすると、かけ算を習ったときは文章題でもかけ算の問題しか出てこないし、わり算ならわり算ばかり…というような話があります。
つまり、習った単元のまとめテストには、習ったことを使う問題しか出ない場合が多いので、よくわかっていなくても点数が取れてしまう場合があると。

なんでそんな風に問題を作ってしまうんだろうな~と思っていたのですが、自分で問題を作っていると、気を付けないと同じようにかけ算ならかけ算の文章題、わり算ならわり算の文章題だけを作ってしまいがちなのです。
新しく習ったことを使う文章題を考えなくては!という意識が働くので、そのほかのことを排除してしまいそうになるということに気づき、ああ、これはまずい…と。

文章の表現も、作る側になると色々、どう書けばわかりやすいか、どう書けば意味が通じるか、考えなければならないことが本当にたくさんあります。
それを思えば、解くほうが遥かに楽なんだなと思う今日この頃です。

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