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2016年2月16日 (火)

「確率」の問題

中2の子と確率の問題をしながらまた思いました。
自分が中学高校時代、確率の問題がキライでした。
簡単なものであればともかく、条件をきちんと整理できなければ解けないものは、その考え方が正しいのかどうか確かめようがない感じがどうにも好きになれませんでした。

例えば、引き算の答えが合っているかどうかは出た答えと引いた数を足して元に戻るかどうかで確かめられますし、連立方程式の答えが正しいかどうかも、出た答えをそれぞれの式に代入してみて確かめるというようなことができます。
そのような意味で言えば、確率の答えが正しいかどうか検算することができないものが少なからずあって、本当にきちんと確かめるためには膨大な組み合わせを全て書き出してみなければならないとか、仮に書き出してみようとしても、それが本当に全てかどうか自信が持てなかったりだとか、とにかくもやもやする感じで、苦手意識を持ったままでした。

それがこういう仕事をするようになって、公式に当てはめて答えを出すだけではダメになり、確率に限らずあらゆる算数・数学について、じっくり考えて理解する必要が出てきました。
更には数Ⅰ・数Aまで学び直す必要が出てきたりもしたので、昔に比べると確率もある程度理解できるようにはなりました。

そうなって改めて思うのは、算数や数学を本当の意味で理解せず、公式を使いこなすことで乗り切ってきた子達は、確率の少し複雑な問題に太刀打ちできなくなるだろうなということです。
というのも、問題を読んで、条件をきちんと整理し、どう考えるか方針を立て、必要な場合分けをし、必要に応じてその場合の逆を考え…と、テクニックだけでは到底解き切れないものがたくさんあるからです。

大学入試も変わるという話ですし、今後ますます単純な処理能力は機械に置き換えられ、必要とされなくなっていくのは間違いないだろうと思います。
論理的にものを考える力というのは、算数や数学に限らず、ますます大切なものになっていくのではないかと思います。

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