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2016年2月29日 (月)

隔世の感

2月も終わりですね。
先日、おそらく2、3年越しで、買い替えないとと思っていた自宅のパソコンを購入したのですが、メールも使えるよう設定し、とりあえず必要最低限のことは新しいパソコンでできるようになりました。
これまで、最初の1台以外は自宅ではデスクトップを使っていたのですが、家に帰るとなかなかパソコンデスクに向かう気になれず、やろうと思っていることも先延ばししてしまう悪循環が続いていたこともあり、なるべく大きな画面のノートを買いました。

で、感想としては、もっと早く買えばよかったと。
技術の日進月歩により、今回買ったパソコンはこれまで買った中で最も高性能で、最も高かった初代ノートパソコンの機能と比べたら子どもと大人なんてものではないぐらいの、アリとゾウ?ぐらいの違いなんだろうなと。
何より、家に帰ったらお尻に根が生えたように座り込んでしまういつものテーブルで作業ができるということがこんなに便利だとは!

これでこれまでよりはもう少し仕事がはかどりそうです。
そんなことを思いつつ2月も今日でおしまい。
明日から早3月ですが、3月もどうぞよろしくお願いいたします。

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2016年2月28日 (日)

このモヤモヤ感…。

かなりどうでもいい話で失礼します。
私は例えば足が痙攣して攣っている状態を、「足をつる」と言われることが気になってしかたなかったりというように、言葉の使い方などがいろいろ気になってしまう、ちょっと面倒な性分なのですが、そのほかにも、なんでほんの少し状況を考えられないんだろう?というようなことも気になってしまいがちです。
面倒な性分だなと思うものの、意識的にそうしているわけではないので、こればかりはなかなかどうしようもありません。

そんな私にとっての昨日のとある出来事。
イートインもできるパン屋さんで、5枚切りの食パンを買った時のことでした。
そのお店ではこれまで何度も買い物をしていますし、食パンだけを買ったことも何度もあります。ひとりなので、できるだけ出来立ての美味しいものが食べたいという気持ちもあり、6枚切りの3枚だけとか4枚切りの2枚だけで売っているときには、それだけを買うこともあります。

しかし、今回初めての出来事が。
レジでドリンクをオーダーするでもなく、ただ食パンだけを差し出した私に、店員のお姉さんが言いました。

「お持ち帰りですか?」

モヤモヤモヤモヤ………。
もう内心では(ドリンク頼んだとか別に菓子パンを買っているとかならまだしも、5枚切りの食パンをイートインするなんてことがあり得るのか?!その質問はおかしいやろ?)とツッコミまくっていたのですが、そこは外面の良い小心者なので、何も言えずただ頷いてしまいました。

イートインできるお店でその質問をすることは間違ってはいないのでしょうし、マニュアルとしてあるのかもしれません。でも、これまで一度もそう聞かれたことはなかったので、恐らくそのお嬢さんはまだ仕事に慣れておられないか、ちょっと疲れてぼーっとしておられたかなのかもしれませんが、ほんの少し考えたら、それをイートインする可能性は限りなく0に近いとわかるはずとも思うのです。

そう思ったら、マニュアルのあるようなアルバイトでも、小さな状況判断ができるかどうかでお客様に与える印象が大きく違ったりするのかもしれないなと。
そして、そういう判断が臨機応変にできるかどうかということは、もちろん性格にもよるかもしれませんが、やはり小さい頃から教えられ、与えられ、指示され…ということが当たり前になってしまっていてはなかなか難しいのかもしれないななんてことも考えました。

私にもう少し勇気があれば「いえ、イートインします」と言ってひと呼吸置いて、「っていうはずないですよね?」とでも言えていたら、そのお嬢さんも何かに気付いてくれたかもしれないけどな~なんてことも思ったりしましたが、場合によっては単に面倒な客だと思われるだけかもしれませんね。(苦笑)

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2016年2月27日 (土)

納得するまで

今日のレッスンで長さの2回目のレッスンをした1年生さんを見ていて思ったこと。
算数のセンスはあるのに、興味があることには前向きに、興味がなければ途端にどんよりという落差が大きなタイプの子なのですが、長さは面白いらしく、長さを測るのも線を引くのも楽しそうに取り組んでくれていました。

今回は2回目で、実際に長さを測ったり、折れ曲がった線の長さを合わせるとどれだけになるかを考えたりした後に、足し算、引き算をすることになりました。
cmだけのものはすんなりできるのですが、mmの合計が1cmを超える、換算が必要なものになるとすんなりとはいきません。
そのうちcmとmmがどっちがどっちか混乱してきたりもして、このままだとどんよりの穴にはまり込んで悲しくなってしまうのではと内心ドキドキ。
でも、定規を見てよいことにし、更に「13cm14mm」などと答えているものを指して、「これ、定規のどこ(の長さ)?」と尋ねるやり取りを何度も繰り返しました。
その子の頭ならその気になればそろそろ見なくてもできそうなのにとも思ったのですが、どうやらちょっとめんどくさがりなところがあるような気配もあって(算数などに関してはめんどくさがりは長所になる場合もありますが。)、定規を見ずに考えてというタイミングを間違えると、悲しい気持ちのスイッチが入ってしまうかもということが気になり、思い止まりました。

定規を見ながら何度も何度も実際の長さを確かめ、mmが10集まったら1cmになるのだという実感がその子の中でしっかり出来上がったら、恐らくこちらが何も言わなくても、定規を見ずに考えられるようになるはずです。
そのときが次回のレッスンで訪れるのか、もう少し先になるのかわかりませんが、できるだけその子が納得するまで、じっくり様子を見ていこうと思います。

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2016年2月26日 (金)

思いがけない事実

ブログにも何度も登場している、算数でかなり苦戦した状態でうちに来てくれるようになったものの、どうしても、どんなふうに働きかけても宿題にきちんと取り組んでくれず、自分の力のなさを痛感していた子のことです。
学年が上がり、周りのお友達の影響もあったようで、進学塾に行って、自分も受験をしたいと言い始めたとのことで、今月いっぱいでお別れすることになりました。

残念だなと思いましたし、この状態で進学塾に行って大丈夫なのかと(当然うち異常に宿題も出るわけですし…)とも思いましたが、男の子なので集団の中で刺激を受けて変わることもあるかもしれないとも思い、諦めることにしました。

来てくれた当初のことを思えば随分できるようになったとは思ってはいたものの、コツコツ取り組むということは残念ながら全く身に着けてもらえぬままでしたし、果たして何か私は役に立ったのだろうかと思って、おうちの方にも申し訳ない気持ちでいたところ、最後にご挨拶に来てくださったおうちの方から、うちに来るまでは算数が大嫌いだったその子が、算数に自信が持てるようになり、好きな教科は算数だと言うようになったと聞かせてくれました。

それだけで何だか救われる気持ちになりました。

新しい塾でその子がまだ秘めている力を発揮してくれることを願っています。

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2016年2月25日 (木)

この頃いろいろ思うこと

恐らくいつの時代も「今時の若者は…」というような批判や「新人類」、「ジェネレーションギャップ」というような、自分たちより下の世代が理解できないというような感覚はあるのだろうと思います。
そう思うと、私が日常生活の中でしばしば感じる違和感もそういうもののひとつなのかなと思ったりもしますが、どうやらそれだけではなさそうだとか、それで済ませたらちょっとまずいのではとか思うこともあります。

先日、大学生ぐらいの子達が数人、教室の近くのスーパーの店内に置かれているベンチでおしゃべりをしていました。見ると、そのうち可愛らしいお嬢さんが明らかに土足のブーツのまま、そのベンチの上にしゃがみこんでおしゃべりをしています。
そのベンチにはほかにも2人、その子たちは普通に腰を下ろしていましたが、立っている子も含め誰も何も言わず、おしゃべりに夢中。
場所柄、時間的にも男女数人の学生となると、母校の大学の学生という可能性も少なからずあるだけに(見た目で判断するのはよくないかもしれませんが、少なくとも「ヤンキー座り」とかをしそうな子たちではなく、ごく普通の外見、服装の子達でした)、その違和感はかなりのものでした。
注意したい気持ちはありながらも、5、6人いたので勇気が出ず、そのまま通り過ぎてしまいました。

全く別の話で、仕事で遅くなった日、スーパーでご飯もののお惣菜を買ったときのこと。実習生という名札がついてはいたものの、学生さんというよりは主婦をされているのかなというぐらいの女性が、バーコードを読み込ませようとそのご飯もののパックを完全に垂直に立てた状態で機械の前へ。しかしうまく読み込まなかったようで、二度、三度、立てたままの状態でゆすったではありませんか。
さすがに目を疑いましたが、外面の言い渡しはそこで怒ることもできず、モヤモヤした気持ちのまま帰路につきました。

先日は、音楽を聞きながらかなりのスピードを出して自転車を運転していて、高齢の女性を事故に巻き込み、女性がなくなったという学生に判決が出ていましたが、音楽を聞きながら自転車に乗ること自体が既に違反になっているというのに、更にすごいスピードを出して、横断歩道を渡っていた女性を死に至らしめたというのは、単なる過失では済まないようにさえ思えました。

ほかにも、毎日のように信じられないような残忍な虐待などのニュースを耳にすることもあります。

これら全てが、何というか、人の立場を考えられない、人の気持ちを想像できない、そういうところから来ていることのような気がしてならないのです。

もちろん、昔のように自由に外遊びができなくなり、また、小さい頃からテレビやゲームが当たり前にあり、長時間それに触れるような生活が当たり前になっているような子達も少なくない今の時代自体の問題も大いにあると思うのですが、子どもが少なくなった分、大人の目が届きやすくなり、危険を事前に大人が取り除いてしまう(もちろん命の関わるような危険は取り除くべきですが)など、子ども自身が経験から学ぶ機会も減っているのではないかと思います。

そんな諸々を時代だからと諦めてしまってよいのか、その子たちが将来社会を背負っていく、その頃に私たちは高齢者になっているんですよね。そう思うと、やはり何かこのままではいけないのではないかという気がしてなりません。

だからといって何ができるのか、まだよくわからないのですが、少なくとも自らしっかり考えることができる子どもを育てるということはやはり何より大事なことなのではないかと思うのです。
そのために私ができることは何なのか、この頃ぼんやり考えています。

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2016年2月24日 (水)

皆様どうぞお早めに。

今日は仕事には関係のない話で失礼します。
実は昨年12月半ばに実家の父が明け方トイレに起きた際、後で「寝ぼけていたのかなぁ?」と言っていましたが、階段を踏み外し2階から1階まで滑り落ち、頭を打って救急で病院に運ばれたということがありました。
幸い大事には至らず、頭を何針か縫って検査を受けた後、そのまま帰宅もできて、打ち身の痛みなどはあったようですが、その後も今まで通りの生活を送っていました。

ただ、その時に2、3か月は様子を見て、おかしいと思ったら早目に病院に行くよう言われていたようなのですが、何事もなかったかのように暮らしていたので、私ももう気にしていませんでした。
しかし、日曜実家に行ったとき、最近立ち上がったらバランスを失って倒れそうになることがあると冗談ぽく話していたのですが、どうやら頭痛などもあったようで、月曜に近くの脳外科に行って検査を受けたところ、頭の中に血が溜まっているのですぐに手術をした方がよいと言われたと。

その病院からの紹介で救急で運ばれた総合病院に翌日朝に出向き、検査の後すぐに手術となりました。
幸い、無事手術も終わり、明日の検査で問題なければ退院できるとのこと。

実はここ最近、友人や同級生が相次いで大病が発覚し、大きな手術をしたという話を聞いていて、それが皆さん男性。
話を聞く限り、もっと早く病院に行って検査を受けておられたら…と思わずにはいられませんでしたが、今回のうちの父の場合は、元々お医者さまに気を付けるよう言われていたこともあったからか、異変を感じて比較的すぐにお医者さまに行ってくれたので、大事に至らず済んだのかもしれません。
頭の中のことですから、もしこれが、病院嫌だからとぐずぐずしていたら、もっと大事になっていた可能性もなくはないなと。ですから、今回はフットワーク軽くお医者さまに行ってくれた父に本当に感謝しています。

皆様や皆様のご家族も、何かおかしいなと思われたら、お忙しくても、なるべく早くお医者さまにかかられますよう、(もちろん検査の結果異常なしということもあるかもしれませんが、それはそれでよかったねという話ですし)、改めてお伝えしたいと思い、書かせて頂きました。

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2016年2月23日 (火)

時間の余裕があるうちに

子ども達とレッスンをしていていつも思うことは、とにかく時間の余裕があるうちにじっくりたっぷり考える機会を持つことがどれだけ大事かということです。
学校だけに限らず「習い事」もほぼ全て、教える側と教わる側という関係があり、じっくり考える時間を与えられることなくやり方を教わって、その通りに再現できるようになるまで繰り返すという場合も少なくないのではないかと思います。

習うことがすべて悪いという気はもちろんありませんし、習わなければわからないこともあるのかもしれません。
また、学びの始まりは「真似び」と、真似をすることから始まったとも言われていますから、それも必要なのだとは思います。

ただ、子どものうちからたくさんの習い事をし、自分の自由になる時間、ぼ~っとできる時間が限られてしまえば、毎日忙しく大人から教えられることをできるように訓練するような生活になってしまう危険もあるように思います。

子どもだけで自由に駆け回って遊んでも心配がない場所が限られてきてしまったことも、今の子供たちにとっては不幸だと思いますが、大人が教えるのではなく、子ども自身が考え、試行錯誤し、何かを学び取っていく機会は意識して作らなければならない時代なのかもしれません。

小中学校の算数・数学では中学入試の難問などでなければ、さすがにほとんど解き方がわからなくて困ることはありませんが、高校数学は私自身学び直しているようなものなので、何か公式が出てくるたび、公式を覚えなくても解けはしないかを考えてみるようにしています。
それで、公式に当てはめなくても自分の持てる知識で解けるようなら、公式は忘れてもいい、敢えて覚えなくてもいいと判断します。
でも、これが中学生、高校生で日々の授業や部活動、定期試験などに追われている生活になってしまうと、1問1問にゆっくり時間をかけて考えることはできなくなりがちです。そうなると、公式を暗記してやっつけるしかなくなってしまう子もいるでしょう。その年齢になってからいきなり、ゆっくりじっくり考えなさい、覚えるべき公式かどうか判断しなさいと言っても、それまでにそういうことを積み重ねてきていない子には、物理的にほぼ不可能だろうと思うのです。

今の時期、たくさんの塾のチラシが折り込まれているのを見て、早期教育、先取り教育などという文字を目にするたび、早くから先取りして、「どんな学びをさせるか」ということが何より大事なんだけどなと思います。
簡単に言えば、幼児さんが九九を丸暗記して掛け算の問題が解けるようになったとしても、それは長い目で見たときほとんど役に立たないということです。「2×3」は2が3回分という意味を知って、おはじきなどを2こ、3セット用意して、「ああ、2×3は6か」と、そんな風に学ぶのであれば、それには意味があるのかもしれません。(幼児の時期にそういう学びをさせるより大事なことがあるのではという気もしますので、これはあくまでも比較の例ということで。)

ひとりでも多くの子どもが、「ぼ~っとできる時間」を与えられ、心行くまで考える機会を持てることを願っています。

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2016年2月22日 (月)

恐らく人生初。

今日は夕方1件振替レッスンがありましたので出勤しましたが、その他に、1月半ばあたりから、今年こそはさっさとしようと思いながらも、まだ日がある、やればすぐ終わる…と例によってズルズル先延ばしにし、いつまで経っても作業が完了しなかった確定申告の入力やチェックの作業がようやく終わりました。

元々、生まれたときに大変お医者さまの手を煩わせたということ以外、流行病にもほとんどかかることなく、病院にはあまりお世話になることのない人生を過ごさせてもらってきていたのですが、昨年はゴールデンウィークあたりに両肩が痛み始めたことで、これまでの人生全ての通院を合わせても、それよりいっぱいお医者にお世話になったかも…という1年になりました。

で、念のため医療費の領収証などを取っておいたので、合算してみたところ、恐らく人生初、医療費10万円超え。それも大きな病気やけがをしたでもなく、もちろん入院や手術をしたでもなく、それで10万円を超えるって、なかなかないのではないかしらと…。

というわけで、確定申告にまつわる作業が増えてしまったのですが、こんな作業は人生最初で最後になるといいなと思います。(苦笑)
健康って本当にありがたいことですね。

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2016年2月21日 (日)

今日は更新お休みします。

オフでしたので、今日は更新お休みします。
2月もあと1週間ほどですね。早いですね…。

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2016年2月20日 (土)

答えが合うより大事なこと

もちろん、ペーパーテストでは勘であろうが何だろうが、答えが合っていればマルがもらえて得点になるので、答えが合うより大事なことはないのかもしれません。
ただ、入試など合否を伴う、それも一発勝負のような試験であれば、わからなくてもとりあえず答えを埋めてみるというような行為にも意味があるかもしれませんが、普段の学びにおいては答えが合うより大事なことがあると思っています。

例えば、小学校低学年の算数ぐらいであれば、適当に答えを書いていても、何度か直すうちに正解になったり、勘で正解になったりする確率も少なからずあると思います。
ただ、それでマルをもらったからと言って、本人は何一つ学びとっていませんし、何も考えてすらいないかもしれません。

難関といわれる学校の中には、例えばペーパーテストであっても、既存の公式に当てはめて答えを出しただけのものは評価されず、たとえ最終的に答えが間違っていても、独自の考え方で(もちろん論理的に正しいとかいう制限はあるのだと思いますが)答えを導いた結果答えを間違えても部分点など、過程に対して点数をくれる学校があると本で読んだことがありますが、まさにそこに象徴されるように、問題が難しくなればなるほど、学校の求める能力が高くなればなるほど、どう考えたかが重視されるようになるのだと思います。

そもそも、例えば問題を理解して正しい式を作ることができる能力があれば、後の計算をミスしたとしても、それは計算機なりなんなりで補うことができます。
ですが、人工知能などの話は一旦置いておくとして、どんなに高性能なコンピュータや計算機でも、関数などを入力しなければ答えを出すことはできません。

今後ますます単純計算などの能力は価値を失い、代わりにどうすれば答えが導けるかを考える能力が重視されるようになるのだろうと思います。

教室の子達にも、答えを間違った場合、どう考えてその答えになったのかを尋ねることがよくあります。
説明してもらって、考え方が合っていれば計算ミスですから計算し直してもらえばよいわけですし、仮に合っていてもどう考えたのかあやしい感じであれば、考え方を聞いて答えてくれるまでマルをしないこともあります。

こういう学びは学年が上がれば上がるほど、ゆっくり時間をかけて取り組むことが難しくなっていきますし、何より小さいうちに考えることが習慣、当たり前のことになっているかどうかは、その後大きな差となって現れてくることが多いように思います。

答えが合うより大事なことがあるということを、小学生のうちにしっかり感じてもらえたらなと思っています。

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2016年2月19日 (金)

光陰矢の如し

昨日の帰り、立ち寄ったスーパーで塾講師をしていたときの教え子ちゃんにばったり会いました。
彼女とは、彼女が教室の近くでアルバイトをしていた時期があって、大学生の頃に何度も会ったことがあり、そういう意味ではちょっとご無沙汰していたというぐらいなのかもしれませんが、一番最近会ったときは社会人1年生。

スーパーで「先生!」と呼びかけられて顔を向けると久しぶりの彼女。しばらく立ち話をしたのですが、同級生の男の子がパパになったというので、えらく早いなぁ、まだ20代前半よね?と思いつつ「いくつになったんだっけ?」と尋ねると「28です」と。

!!!!!

彼女が社会人になってからもう5年以上経ってる!?ということは4、5年ぶり?
彼女は私が塾講師を辞めたとき、最後に送り出した中3生だったので、あれからもう13年経ったのかと、改めてびっくりしました。

本当に年々1年があっという間に過ぎていく感じがします。
1日1日を大事に、しっかりがんばらないといけませんね。

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2016年2月18日 (木)

疑問を持たないと。

我ながらちょっと反省したというか、長年生きてきて今頃初めて気づいたことが情けないというか、そんな出来事がありました。

算数で見取り図を描く学習があります。
しかし、これまで自分なりに調べた限りでは算数の見取図の描き方の決まりに行き当たらず、なんとなくの説明がされているばかり。
それでもまだ探したり、友人などに聞いたりしていたところ、私の頃はまだ技術家庭のうち女子は家庭科だけという時代だったので習った記憶がないようにも思いますが、見取図の描き方のひとつにキャビネット図というものがあり(聞いたことはあります。)、算数の見取図はそれを踏まえているようだということがわかりました。

ただ、そもそも疑問を持ったのは、例えば奥行をどの程度に縮めると立方体に見えるのかということで、その正確な割合がありそうな気がして調べ始めたので、キャビネット図であれば実寸の2分の1に縮めるという約束事があると。
でも、実際に2分の1に見えるのかな?と思ったときに初めて気づいたのです…。
実際の立方体なりがキャビネット図のように見える視点は存在しないということに…。

キャビネット図(見取図)では正面を向いた面は実寸で描くことになっていますが、正面が実寸通りの形に見える場合は真正面から見た場合だけで、その位置から見ると当然、上面も側面も見えません。
キャビネット図のように上面も側面も見える位置に視点を移すと、正面は立方体や直方体であれば平行四辺形に近い四角形に見えるのです。

長年何の疑問も持たずに、見取図は立体を見た図だと思い込んでいたのですが、それが完全に思い込みだったことに今になって気づきました。
結局、約束事として決められた描き方なので、実寸の2分の1というのもその約束事の一つということなのですね。

疑問を持たず、与えられたものをそのまま受け入れていると、こんな当たり前のことにずっと気づかなかったりするんだなと、改めて反省した出来事でした。

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2016年2月17日 (水)

興味深い

1年生になる少し前から通ってくれていて、4年生になっている子がいます。
その子はじっくりじっくり丁寧に考えることができるのですが、性格なのかペースはあまり上がらぬままで、おまけに見た目と違っておうちではあまりきちんと宿題をしないのだとか伺いました。
更に、やはり見た目からは想像できないものの、忘れ物も頻発。筆箱の中には大抵先が丸くなった鉛筆が1本に、よくそこまで使ったねというような消しゴムが1個。でも、どうやら本人は全く気にならないようで、こちらが声をかけて「鉛筆削る?」と言えばうなずくという感じです。

その子が少し前からプリント教材を終えて5年生のワークブックをし始めました。
すると、それまでは国語の問題集をしばしば忘れてきていたのが、ここのところ算数も国語も忘れ物がなく、また、宿題もかなりきちんとしてきてくれるようになりました。

今日のレッスンでは算数の宿題になっていた3ページ、全問正解。もちろん、問題としてはすべて理解できて考えることはできるはずですが、ケアレスミスしそうな小数の掛け算などの問題がたくさんあったにも関わらず全問正解です。

子ども達は、例えば幼児さんが小学校にあがるときに成長したなと思うことがあったり、新学期や新年にまたやる気になっているなと感じることがあったりしますが、この子はもしかすると、プリント教材が終わってちょっと大人になったような分厚いワークブックを渡されたことが何かのきっかけになったのかもしれないなと。

ワークブックは真ん中あたりが書きづらいことが多いので、子どもによってはプリントのほうを好むこともあるのですが、これまでも何人か、ワークブックになったことを喜んだ子がいて、それはやはりなんだかお兄さん、お姉さんになったようでかっこよく感じるということのようでした。

何がきっかけで気持ちが新たになるか、やはりそれも人それぞれなんだなと、興味深く思いました。

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2016年2月16日 (火)

「確率」の問題

中2の子と確率の問題をしながらまた思いました。
自分が中学高校時代、確率の問題がキライでした。
簡単なものであればともかく、条件をきちんと整理できなければ解けないものは、その考え方が正しいのかどうか確かめようがない感じがどうにも好きになれませんでした。

例えば、引き算の答えが合っているかどうかは出た答えと引いた数を足して元に戻るかどうかで確かめられますし、連立方程式の答えが正しいかどうかも、出た答えをそれぞれの式に代入してみて確かめるというようなことができます。
そのような意味で言えば、確率の答えが正しいかどうか検算することができないものが少なからずあって、本当にきちんと確かめるためには膨大な組み合わせを全て書き出してみなければならないとか、仮に書き出してみようとしても、それが本当に全てかどうか自信が持てなかったりだとか、とにかくもやもやする感じで、苦手意識を持ったままでした。

それがこういう仕事をするようになって、公式に当てはめて答えを出すだけではダメになり、確率に限らずあらゆる算数・数学について、じっくり考えて理解する必要が出てきました。
更には数Ⅰ・数Aまで学び直す必要が出てきたりもしたので、昔に比べると確率もある程度理解できるようにはなりました。

そうなって改めて思うのは、算数や数学を本当の意味で理解せず、公式を使いこなすことで乗り切ってきた子達は、確率の少し複雑な問題に太刀打ちできなくなるだろうなということです。
というのも、問題を読んで、条件をきちんと整理し、どう考えるか方針を立て、必要な場合分けをし、必要に応じてその場合の逆を考え…と、テクニックだけでは到底解き切れないものがたくさんあるからです。

大学入試も変わるという話ですし、今後ますます単純な処理能力は機械に置き換えられ、必要とされなくなっていくのは間違いないだろうと思います。
論理的にものを考える力というのは、算数や数学に限らず、ますます大切なものになっていくのではないかと思います。

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2016年2月15日 (月)

知らないから不安になる

実は2年ぐらい前から自宅のパソコンを買い替えなくてはと思っていたのですが、開けて掃除をしたら持ち直したり、家電に行って話を聞いても、色々あり過ぎてなかなか決められなかったりを繰り返し、気づけば随分経ってしまっていました。

教室の方はXPのサポートが切れるということで一昨年?昨年?春に買い替えたんだったかと思いますが、自宅のVistaもそろそろその日が近づいている様子。
ということで、日曜にパソコン量販店に行ってきました。

パソコンのことにある程度詳しい方であればネットショップなどで買う方が煩わしくもなく、価格的にも安く買えるのだろうと思いますが、よくわかっていない身としてはやはり店頭に行ってしまいます。
しかし、色々説明してくれるのと同時に、プロバイダを乗り換えたら割引きがある、長期保証を申し込んだら割引がある、携帯電話会社によっては割引できる、自宅のプロバイダの乗り換えができなくても仕事場のプロバイダを変えてもらってもいいなど、次から次からこれでもかこれでもかと色々な勧誘。

おまけに、どうにかこうにか購入を決めて手続きを始めた後にも、え?それ軽い詐欺じゃないですか?というような感じで後付けで必要になる金額が発生したり、まだそこに来ても、こういうことでお困りのなる方が多いのでこういうサービスもしていますよとかいう話が延々と…。

さすがに話が色々あり過ぎて、ほとんどは断ったものの全て断るのは不安になったり、時間も長くなりあまりむげにはできない気にもなったりし、後で冷静になったら、パソコンに詳しい兄や友人に聞けば済んだはずのことが色々あったのではないか、これまでもどうにかこうにか自分で設定もしていたんだから、なんとかなったのではないかと、そう思うようなことも色々ありました。

もし私がこれら全般のことにもう少し詳しければ、店員さんにそこまでつけいられる(?)ことはなかったかもしれませんし、仮に話をされても毅然と断ることができたのではないかと思います。

昨今、高齢者などを狙って、不要な高額リフォームをさせたり、押し買いしたり、色々な犯罪がありますが、結局不安を煽っていたり、わからないところにつけいったりしている面が多いにあるように思います。
もちろん、全てのことを知るというのは不可能だと思いますが、そういうときでもいかに冷静になるか、不安に付け込まれないためにはどうすればいいか、そういうことを普段冷静な時に考えておく必要があるのかもしれませんね。

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2016年2月14日 (日)

世の中はバレンタイン

今日は日曜。といっても特に予定もなく、美容院に行った後、もう長らく買い替えねばと思っていた自宅のパソコンを見に行ってきました。

日曜の晩は実家に行くことになっているので、チョコでも買いましょうかねと美容院の後元町の百貨店の催事場へ。
とあるブースで綺麗なお嬢さんが商品の説明をしてくれたときのことでした。

「こちらの商品は常温で3月までお持ちいたします。」

と、めちゃくちゃ素で言われました。
催事場で、仮にバイトだとしても、バレンタインの催事ですから今日はもう最終日。このお嬢さんはこれまで何人ものお客さまにそうやって説明をしてきたということなのでしょう。
お客様からも、何より一緒に仕事をしている人、上司などからも何も言われなかったということなのでしょうか…。

お嬢さん、それは違いますよと言いたいのをこらえつつも、「お持ちします」だと彼女が3月までそれを持っているってことにしかならないぐらいはわからないのかしら?との疑問が。

敬語は確かに難しいですが、「持ちます」だと経緯が足りないと感じたのかもしれませんね。
でも、だからといってお持ちいたします」はないでしょう。

最近、へ?と驚くような若者の言動に出会うたび、でも、歳を取ったらこの若者たちが支えてくれる社会になるんだよなとも思い、それを考えると尚更、机上の勉強、ペーパーテストの点数だけではない、本当の学びがどれだけ大事かと、そんなことにまで思いが及びます。

因みに「持ちます」じゃダメならなんて言えばいいかなぁとつらつら考えていましたが、「日持ちいたします」か「お日持ちは3月までです」か、いっそ「賞味期限は常温で3月までとなっております」か、色々言えるけどな~と、そんなことも考えていました。
まあ、暇なんでしょうね、私が。

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2016年2月13日 (土)

今日も色々ありました。

今週のレッスンもおしまい。
インフルエンザが猛威をふるい始めたようで、今週は学級閉鎖になったとか、お子さん自身がインフルエンザにかかったとかいう連絡が何件も入りました。
ニュースでもインフルエンザの流行が警報レベルになったと言っていましたので、まだしばらくはこの状態が続くのかもしれませんね。
どうぞ皆さまくれぐれもお気をつけて。かかってしまった方は1日も早いご回復をお祈りします。

さて、今日のレッスン。
最初のレッスンの姉弟さんは、今日は2人ともなかなか好調で、いい感じに終了。
次のレッスンの子達も普段以上によくがんばってくれていました。
その次の子達はいつも真面目で一所懸命なのですが、今日はどうやら2人とも眠かったようで、反応が鈍くなったり、できるはずのことができなくなったりしたものの、それでも最後まで一所懸命がんばってくれました。
そして、本日ラストは1人お休みの子がいたのと、まだ小さくてレッスン2回に1回ぐらいの頻度で目に涙をいっぱいためるようなことになる(問題がすんなり理解できなかったり、眠かったり、何かでスイッチが入ると悲しくなるようで)子の涙を見ましたが、それでもトータルではよく考えてくれて、学年を考えればもっと苦戦しそうなものもしっかり取り組んでくれて、最後は元気に終わってくれました。

というわけで、今週も無事終了。
夜は嵐のような大雨になりましたが、皆さまよい休日を。

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2016年2月12日 (金)

数Ⅱ・数Aの世界へ

今通ってくれている中高一貫校に通っている中3の子が、さすが中高一貫の男子校だけあって、既に数Ⅰと数Aがほぼ終わろうとしています。
そこまではなんとかどうにか自分でも理解しながら解くことができ、一緒にレッスンさせてもらうことができましたが、もともと、私の能力を超えた時点でごめんなさいということになるかもしれないと、お母さまにお話はしてありました。
そして、どこまでやれるかわからないものの、とうとうダメもとでと数Ⅱ、数Bのワークブックと青チャートを買いました。

その子はまだ新しい教科書には進んでいないようですし、春からは高校生になるので、その子と一緒に数Ⅱや数Bをすることがあるかどうかわかりませんが、高校時代は公式に当てはめて、ろくに意味も考えず解いていた数学を、大人になって意味を理解して解き直すのは結構新鮮で、少しだけ手を付け始めました。

数Bの数列は今のところまだ考えたらすんなりわかるので楽しく感じていますが、高校時代その後のベクトルで完全に挫折しましたので、どこまで行けることやら。
数Ⅱに関してはワークブックの説明だけではいきなり行き詰り、チャートも買ったという流れなので、どこまでやれるか最初から不安ですが、これが理解できたら嬉しいだろうなと。

衰える一方の脳をがんばって使いたいと思います。

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2016年2月11日 (木)

一歩ずつ

最近来てくれるようになった高学年さんが、今回のレッスンにノートを持ってきていました。
前回、こちらで一緒にやるより先に学校で割合を習ってしまい、割合が難しくてわからないと言っていたその子に、公式を思い出そうとするのではなく、まず図を描いたりして考えてみるといいと話をし、実際に問題を図に表してもらいながら考えを進めてもらいました。
すると、レッスンの終わりには、この方がわかりやすいと(当然ではありますが。)、そんな風に考えてみるという話をしていました。

そして、今回のレッスンで、おうちで宿題に取り組む際、計算用紙などに描くのではなく、ノートを作ったと言って持ってきてくれたのです。
少し見せてもらうと、方眼のノートに線分図などを描いて、1つ1つ考えていることが分かります。
ひとつ気になると言えば、ノートなので丁寧に書き過ぎているのではということですが(その分時間がかかるでしょうから)、今はやり始めたばかりですから、何も言わずにおきました。

分かりやすいと思ったらすぐに行動に移すというのは素晴らしいことだなと思います。
高学年になってから来てくれたので、すぐすぐ大きな変化というのは見られないかもしれませんが、こういうことができる子は必ず変わっていくだろうと思います。
一歩一歩確実に、きちんと理解しながら、進んでいってもらえたらなと思っています。

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2016年2月10日 (水)

楽しければ集中する

今日は年長さんのレッスンがありました。
年長さんのレッスンでは、ハサミやのりを使うこともあり、その子はもともと結構器用にハサミを使える子だったのですが、今日のレッスンで改めて感じたことがありました。

ハサミで線に沿って上手に切るという課題に取り組む際、切るものがあまり興味のないものであっても、その子は大抵真面目に課題に取り組んでくれてはいたのですが、今回はいつも以上に真剣に、線からずれないよう、余分に切ってしまわないよう、注意を払っているように見えました。

というのも、今日切っていたものはその子が大好きな乗り物に関するもので、切り方を失敗するとうまく形にならないかもしれないということがあったのです。
私は初めに、きちんと線に沿って切ったらうまく作れると思うということを言った以外はずっと黙って様子を見ていただけなのですが、終始真剣なまなざし。それも、どこか楽しそうでさえありました。

結局、ワクワクすることや好きなことであれば、放っておいても人は集中するんですよね。
それは小さな子に限らず、大人だってそうですもんね。

上手にハサミを使えるようになるための課題で、例えば男の子にお花を切り取らせたり、女の子に乗り物を切り取らせたりするより(もちろん、男の子でお花が好きな子、女の子で乗り物が好きな子ならその課題でバッチリですが。)それぞれの子が興味のあるもの、好きなものを切り取らせるほうが、自然と集中できるのではないかと思いました。

全ての課題、教材を興味の持てるものにすることは難しいだろうと思いますし、年齢が上がれば興味がもてない問題でも取り組む必要も出てくると思いますが、「学びのとっかかり」としては、その子の興味を大事にすることもできるだけ心がけておきたいと思います。

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2016年2月 9日 (火)

インフルエンザ流行

先週あたりから、教室に来てくれている子たちの学校や学級で、インフルエンザが流行り始めているようです。
通ってくれている子自身が罹患してお休みという連絡も入っていますし、本人は元気でも学級閉鎖で外出できないというようなことも。

インフルエンザってこんなに毎年大流行するもんだったっけ?という気もしますが、まだしばらくは流行は収まらないのかもしれませんね。
気を付けていても移るときは移るのだろうと思いますが、どうぞ皆さまご自愛ください。
かかってしまった方少しでも早く快復されますことをお祈りしています。

今のところ例によって私は転寝しようが風邪もひかないまま過ごしておりますが、レッスンに支障が出ないよう、気を付けたいと思います。

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2016年2月 8日 (月)

これも数学で解決できるのかも

今日はレッスンはありませんでしたので、直接仕事には関係ない話で失礼します。
断捨離という言葉がはやり始めてもう何年にもなり、また、片付けのスペシャリストとしてアメリカでまでとても有名になられたそうな近藤麻理子さんのお片づけ術が流行ったりしていて、モノが多過ぎて減らしたいと思っている人が世にあふれているのだろうと思います。

そんな中、私は残念ながら無精者なのでなかなか重い腰があがらず困っていて、また、積極的にも0を捨てようとも思ってはいないのですが、先日来、服をどうにかもっと減らしたいと思うようになりました。
迷ったら捨てるというのは私には無理ですし、1年着なかったら捨てるのも無理。ときめくものだけを残すというのもやはりなかなか難しく、衣替えのたび少しは減るものの、もう10年以上着ていないものも手放せなかったり、狭い部屋、仕事以外ほとんど出掛けない性格などから考えても、やはり服が多過ぎるよなぁ…と。(それでも学生時代や会社員時代よりは相当減ったはずなのですが。)

で、ワードローブが半分にできたらスッキリしそうだけど、どうすればうまく半分にできるかなと、ちょっと考えてみました。
2枚並べて必ずどちらか1枚を選ぶという方法をとれば、数は半分になるのは間違いありません。
ただ、その2枚を適当に選ぶと、2枚とも残しておきたいのにどちらか手放す選択をしなくてはならない場合が出てくるなと。

では、持っているものを2枚から1枚選ぶということをひたすら繰り返し、例えば100枚あれば99回繰り返せば100枚中1枚、最下位のものを手放すことはできるから、その方法を何度も繰り返し、ワードローブの半分になるまですれば、理屈ではより気に入っているものが半分残るはず、
しかし、それには膨大な時間と労力が必要になるなと。
おまけにアウター、トップす、ボトムいっしょくたにそれをするとバランスがおかしくなるだろうから、するとしてもアイテム別にしなくちゃいけないしなと。

とすれば、同じようなアイテムを集めて半分にすればいいとして、それを上の方法でするにしてもやはり大変だし、だったら、とりあえずアイテムからまず4分の1ぐらい手放すものを決めて、残った4分の3から3分の1手放すものを決めたら半分残るのか?と…。

もちろん、こんなことを作業もせずにつらつらと考えていたのですが、結局これらの取捨選択を効率的、合理的にするには、もしかしたら数学的に計算できる部分が少なからずあるのではないかしらと。

「数学なんて将来何の役に立つのか」というようなことを言って、子どもが勉強を嫌がるようなことがありますが、買い物をする際にも、何かを限られた場所にうまく収納する際にも、くじ引きなどをする際にも、コーディネートを考える際にも、そして、いらないものを処分する際にさえも、算数や数学が生きてくることがあるよなぁと、そんなことを思いました。

算数や数学、結構大事です。

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2016年2月 7日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2016年2月 6日 (土)

確かな力

まだ小さい子達はその日によっても1時間の中でも、コンディションが突然変わったり、できていたことができなくなったり、そういうことは珍しくありません。
ですから、今できていても次のときにもできるとは思わないようにしていて、特に、波が激しいタイプの子は調子がいい日のことは喜ぶものの、次へ過度の期待はしないようにしています。

そんな中、少しずつ成長は感じられるものの、波が大きい方の子とレッスンをしていたときのこと。
つい先日もお手上げ状態になってしまった上、どこにスイッチがあるかがまだつかみきれないので、その子が問題を考えていて立ち止まるたび、変なスイッチが入りませんようにとちょっとドキドキしてしまうのですが、今回は本来ならできるはずのことをおうちでやっていてうまく理解できず、そのまま持って来たというものをすることになりました。

内心ちょっとドキドキしていましたが、極めて普通の口調を心がけ、「もともと筆算しなくてできるのに、できるはずよ。」と言った後、「ここから引ける?ここからは引ける?」とどちらも引けず困っているその子に再度確認をした後、「じゃあ502から引いたらいいやん。」とさらっと言ったところ、「ああそうか!」と明るい声。

その後は家で苦労したなんてことはどこに行ってしまったのかというぐらい、スラスラと解いていき、家でできなかったというものもあっという間に正解。それも、私が追いつけないぐらいの安定感で正解していくのです。

その姿を見ていて、この子が3桁や4桁の引き算も、0が並ぶ引き算も、テクニックではなく、きちんと理解して身につけているのだということがよくわかりました。
その姿はなんだか頼もしいほど。

その後も順調に問題をこなし、気持ちよくレッスンが終わりました。
帰り際もニコニコで、私も嬉しくなりました。

難しそうに感じている、行き詰っている、そんな風に見えると、周囲の大人はつい解き方を教えたり、ヒントを出したりしてしまいがちですが、きちんと理解すれば、子ども達は時に大人の想像を超える力を発揮することがあります。
今回のレッスンが順調だったからと言って、もちろんそれが次回も続くかどうかは分かりませんが、それでもこの子もしっかりと力をつけているんだなと、頼もしく思います。

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2016年2月 5日 (金)

やっぱりもどかしい。

算数でかなり苦戦して来てくれるようになった子がまだまだ色々不思議でつかみ切れず、もどかしい思いをすることがあります。

今週のレッスンでも、角度の問題を考えていて、角を見て何度ぐらいに見えるか尋ねると、結構いい線というような角度を答えることができる子なのにも関わらず、見ただけであり得ないような答えを平気で書いていくのです。
そのたび、なんでそうなったのか尋ねると、その子なりにあれこれ考えてはいるのですが、絶対そこの角とそこの角を足すはずないよね?というようなことをしていたり、どう見ても90度より遥かに小さいのに180度を超えるような値を書いたり…。
そのたび何か声をかけて考えなおしてもらうと、ある程度自力で正解できるのですが、なんというか、頭の中の知識や経験がうまく連動していないというか、ひき出してこられないというか、とにかく「う~ん、なんだろう、この状態は…」と思い続けています。

何か糸口がつかめれば、もっとうまく力を発揮させてあげられるかもしれないのにと思うと、自分の力不足も申し訳なく思います。

でも、どういう状態なのでしょう…。きちんと問題を見てもらい、およそ何度ぐらいに見えるか尋ねると結構いいぐらいの角度を答えることができる子なのに、何が結びつかないのか、角度に限らずそういうことがしばしばある子なので、子ども自身もつらいのかもしれませんし、どうにかよい方法が見つかればと思うのですが…。

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2016年2月 4日 (木)

色々興味深い

私はずっと神戸の東の方で生まれ育ち、学校や仕事なども全て神戸市内でこれまで過ごしてきましたので、恥ずかしながらよそのことはあまり知りません。
それが外国のこととなれば尚のこと。
ですが、1年余り前から帰国子女の子が来てくれていて、その子はまだ言葉を覚える前の頃から海外で育ったこともあり、日本語より英語の方が堪能です。
そして、色々な言葉の意味がわからないときには、翻訳機能で意味を調べたりしながらレッスンをしています。

言葉だけでなく、算数や数学の学習の仕方も随分と違っているようで、へぇ~、そうなんや~!ということはこれまでにも何度もありました。
そして、今日のレッスンでは、その子がちょっと感動してくれたことが。(笑)

日本では小学校4年生ごろに垂直と平行を学習しますが、その際、垂直な線や平行な線を三角定規2個を使ってかくということを習います。
しかし、既に中学生の年齢になっているその子は、今日までその方法を知らなかったとのこと。

定規を2つ使って、片方の定規をスライドさせることで簡単に平行線がかけることを知って「へぇ~!!知らなかった!うわ、すごい!」と感激している様子。
今もインターナショナルスクールに通っているので、「じゃあ、学校の友達もみんな知らないかもしれないんかな?」と言うと、「多分そう。こうやってかくの見たら『うぉ~!』ってなるかも。」と。

じゃあ、どうやって平行線をかいていたのかと尋ねたところ、「え、なんとなくこんな感じ~って?」との答えが。
実際にどの学校でも教えないのか、きちんと平行線をかく方法が他にあって、それを教えているのかはわかりませんが、私もちょっと驚きました。

その子とのレッスンは自分の知らない世界のことを色々知ることができて、とても興味深いです。

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絵に表せるかどうか。

うちの教室では、割合の学習をするときにも、比べる量とかもとにする量とかいう言葉を基本的に使いません。
もちろんのこと、公式としても教えません。
学校で習うまで、教室の子たちは割合の問題を解く公式があるということは知りませんし、習った後も使っているのかどうかはわかりません。

これまでに何度も書いていますが、割合の単元は一般には苦手な子がとても多い単元です。
そして、その原因のひとつには公式を3つ教えることがあるのではないかと常々思っています。

また、割合を特に小学校では基本的に小数で表すというところにも難しく感じる原因の一つがあるようにも思います。

例えば、20本シュートを打って12本入ったときの割合はと聞かれれば、20本中12本ですから、それを分数で表してと言われると、20分の12(約分する必要があるなら、それを約分して5分の3)と答えることはそんなに難しくないように思いますし、少なくとも、20本中12本は20分の12よね?と言ったときに意味が分からないという子や20本中12本を12分の20という子はほぼいないのではないかと思います。(分数自体の意味を全く理解していないなどの場合は別ですが…。)

20分の12を小数にせねばならないのであれば、それをしてから12÷20をする、もしくは20分の12は10分の6と考えられるので、そこから「0.6」と答えるなど、分数からアプローチする方がハードルが下がるような気がします。
そもそも、小数の場合、割り切れないという場合がありますから、余計子どもが迷う原因にもなるのではないかと思いますし。

また、割合の問題はどの式を使えばよいのか迷う子達や、習った式にきっちり当てはめて解く子達の多くは、自分が何をしているかわからぬままに答えだけを出しているということも少なくありません。

そこで、絵や図を描かせて、問題で聞かれているのはその絵や図のどの部分になるのかを尋ね、それを見ながら考えてもらうと、多くの場合、公式を使って解く必要はなくなります。
もちろん、公式の意味を理解し、自分が何をしているのかもわかった上で、覚えた公式を使いこなすことができるのであれば、それは時短にもなるでしょうから否定はしませんが、苦手意識を持っている子、難しいと感じている子達にはまず、描かせることが何より大事なのではないかと思います。

今回のレッスンで割合を学習した子が、学校で割合を習ったけど、難しくてわからないからキライというようなことを言って、宿題も確かにあまりわかっていないようでした。
そこで早速絵を描いてみてもらい、それを見ながら、公式は使わなくていいから解いてみてと伝えると、自分なりに考えてきちんと正解することができ、「この方が簡単!」と言っていました。

割合に限らず、また、子どもに限らず、結局のところ、イメージできないものは本当の意味では分からないのだろうと思います。
私は残念ながら空間図形の問題はあまり得意ではありませんが、それは頭の中で図形を展開したり、回転させたりすることがうまくできないからです。
算数や数学に関して、問題文の意味がわかることと、問題に書かれていることがイメージできるということは全く別物ということも少なくありません。

元々算数のセンスがある子たちの多くはそのイメージする力に長けているのではないかと思いますが、そうでない場合は積極的に手を動かして絵や図を描くということを、小さい頃から習慣にできるとその後長く役に立つ力になるのは間違いないだろうと思います。

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2016年2月 3日 (水)

なんでだろう。

来てくれた当初は、ある程度学年が上がって、その上、詰め込み型の塾などを経てうちに来てくれたお子さんにはしばしば見られる、考えないうちに出てきた数字をとりあえずこねくり回してみるタイプの子がいました。
今で2年ほど経ちますが、最近は国語も算数も随分しっかり考えられるようになってきたなと、嬉しく感じることも増えてきました。

しかし、未だに時々あり得ないような答えを平気で書くことがあって、う~ん、結局まだなんとなく雰囲気で解いているのがたまたま合っているのかなぁ?と悩むこともありました。
そして、今日のレッスンでのこと。
割合の問題で、円グラフを見ながら問題を解くものがあったのですが、80人の45%が何人かを考える際、どうするか見ていると、初めは80を45で割ろうとしていたので、気づいていないふりでどうするか様子を見ていました。
すると、それは何かおかしいと感じたのか、次に45を80で割り始めました。
しかし、それだと0.5・・・と数字が続いていきますし、そもそも1人にも満たない人数なわけはありませんから、気づくだろうと、まだ様子を見ていました。
しかし、おもむろに「56人」という答えを書いたので、へ?と思って計算していた紙を見ると、0.5625という答えを見て、これはきっと「%」に直すということをなんとなく使ったということなのか、「56人」と答えたようです。

気づかないのか…と思いつつ、「ねえ、80人の50%って何人?」と尋ねると、少し考えてから「40人」と。
「そうよね?なのに、なんで45%が56人なの?それも、四捨五入しなさいとも書いていないのに、人間が0.5625ってどういうこと?」というと、黙って少し考え込んだ後、おもむろに「36人」と答えを書き直しました。

へ?暗算?

さっきまで、間違った計算を二度した上、あり得ないような答えを書いたその子が、突然暗算で正解を書いたので、念のため「どうやって考えたの?」と尋ねると、「80人の1%は0.8人だから、45%は36人。」というのです。

完璧だし。(笑)

しかし、そんなにきちんと考えられるというのに、なぜめちゃくちゃな計算をしても気づかないのか、そこがまだ謎を秘めているところです。
本人にも、「この頃はかなりしっかり考えられるようになってきたのに、わけわからんことするから、へ?と思ったら、ちゃんとわかってるやん!」と突っ込んでおきましたが、不思議ですね。

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2016年2月 1日 (月)

2月初日

2月が始まりました。
今日はレッスンはなかったのですが、事務仕事をしに出てきていました。

プリントを作ったりしていて、もう10年近く前に作ったものを見直していると、未だにExcelやWordはちっとも使いこなせず悪戦苦闘しているものの、その頃のものと比べると、できるようになったことも色々あるんだなと、僅かながらでも成長?が感じられて嬉しくなりました。

既存のワークブックやプリントを使っていると、こういうところが使いにくいなとか、もっとこうだったらいいのになとか思うことはしばしばありますし、問題が分かりづらいとか、時には答えが間違っているとか、そういうことにも気づいたりしますが、いざ自分で作ってみると、その大変さは想像以上です。

教室を始めて間もない頃から作ろうと思っては挫折するということを繰り返していたのは、私の意志の弱さだけでなく、ある程度のものを作り上げるということは、想像より遥かに大変だということにもよるのだろうと。

それでもどうにかコツコツ作り始め、なんとか2年近く続いていますが、もっとがんばらないと…。
2月初日にちょっとがんばれたので、今月はよくがんばったなと思える月にしたいものです。

明日からまたレッスンです。どうぞよろしくお願いいたします。

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