最初が肝心。
教室に来てくれる子たちの中にはある程度学年が上がってから来てくれる子もいます。
そんな子達とレッスンをしていると、多くの場合、「ああ、この感覚懐かしいな…。」と、あまり喜ばしくないほうの意味で感じることがしばしばあります。
というのは、それが、算数の勉強はやり方を教わってその通りに解くということがきっちりバッチリ身についているという感覚だからです。
もちろん、みんながみんなそうだということはありませんし、仮にそういう状態で来てくれても、自分で考えられるようになるまでにかかる時間は子ども一人ひとり違っています。
ただ、教えられてその通りできることが勉強だという感覚になってしまっているのは、本当に申し訳ないようなもったいないような、複雑な気持ちになるのです。
小さい頃から来てくれている子達とは当たり前にできるようなやり取りがほとんど使えない段階があり、図を描けるようになるまでできる限り時間をかける、考えたらわかるはずのことはとにかく極力何も手出しせず考えさせて、自分で理解できたという経験を積み重ねさせる、そういう段階を経ることが大切になってきます。
それでも、本来であればどの子も考えようとする力を持っているというのに、学校やその他の場で大人からやり方を教わってその通りにすることを繰り返すうち、勉強というのはそういうものだと思ってしまうことが申し訳なく、最初から邪魔さえしなければ、こうして今苦しい思いをすることもなかったかもしれないのにと、いつも思ってしまいます。
とにかく最初が肝心です。最初に考えることが当たり前ということが身につけば、習ったことがないものも、とりあえず考えてみようかなというふうになれたりします。
そういう子であれば試験などで初見の問題に出合っても、これまで自分が知っていることを使って何とかならないかと考えてみようとするでしょう。
しかし、何でも習ってその通りにすることが勉強だと思ってしまっている子であれば、初見の問題は「習ってないから解けません」ということになりがちです。
長い目で見て、小さいうちからスピードやテクニックを求める必要はないのだろうと思います。
むしろ、最初にゆっくりじっくりすることでこそ、後々自然とスピードも上がり、小手先の技なんて必要がない本物の力が身についていくのではないかなと思います。
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