« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月31日 (木)

今年もお世話になりました。

年々1年が過ぎるのが速くなっているような気がしますが、気づけば今年も大晦日。
特に今年は半年以上に渡ってのお医者通いもあり、健康であることのありがたさを改めて感じました。
幸い、もうかなり回復しましたので、来年はもっと実り多い年にしたいと思っています。

皆さま今年もお世話になり、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えくださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月30日 (水)

あと2日・・・。

結局今日もあまり捗らぬまま1日が終了。
実は、5月以降数ヶ月痛みでろくに腕を動かさなかった影響でかなり筋力が落ちていると、リハビリでずっと言われていて、痛みがかなり落ち着いたので最近は筋トレのリハビリに取り組んでいるのですが、大掃除をしていて、ああ、確かに筋力落ちてるわ…と痛感。
大掃除と言えばやたらと拭き掃除が多いので、がんばろうと思うものの、少しやったらくたびれる、腕に思うように力ら込められない…。そんなこともあって全然思うように掃除が進まず…。
さて、今年も残すところあと2日。
無事終われるか不安になってきました…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月29日 (火)

今日も…。

結局大掃除その他は目標の3割も進まず…。
明日からホントにがんばらないと、新年早々まだ大掃除していることになりそうです…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月28日 (月)

完全にぐだぐだの休日

オフといえ、年末ですべきことは山積。毎日しっかりこなしても年内にしようと思っていること全てはもう終わらないだろうという状況にもかかわらず、昨日は年内最後のリハビリ、その後レッスンをして、〆に5時間大掃除で何かもう使い果たした感が…。
というわけで、今日はほとんど何もせぬまま終わってしまいました。
まだ年内4日あるしという油断が…。

明日からどれだけ頑張れるかなぁ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月27日 (日)

今年のレッスン終了しました。

今日をもちまして、今年のレッスンは終了しました。
レッスン後に教室の大掃除をして、水回りは業者さんにお願いしたにも関わらず5時間。それでも少し目をつぶったところもありながら、帰路につきました。

年内、家のことも色々しなくてはならないことが溜まっていますが、仕事もまだしなくてはなので、レッスンはないものの、まだ1、2回は出ることになりそうです。

今年は半年以上両腕の痛みでリハビリの通院が続きましたが、今のところ来年の早いうちにそれもひと区切りつく予定ですので、もっとしっかり色々なことに取り組んでいきたいと思います。
と、まだ年末まで数日ありますので、ご挨拶は改めてさせて頂くことにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月26日 (土)

今年は明日まで。

なんだかんだとうまく時間を使えず、今日はレッスンをしていた時間のほかは年賀状を完成させることでいっぱいいっぱい。それでも途中ダラダラしてしまって、深夜に至っても数枚完成せずでした。
今年のレッスンは明日が最後。明日はレッスンの後に大掃除をしてしまう予定ではありますが、午前中にリハビリにも行くので、どうなることやら。
年内にしておくべきことがたくさんあり過ぎて、気持ちばかり焦って進まないという最悪の事態に陥っていますが、まずは明日、今年のレッスン納めをしたいと思います。
本日はこんな更新で申し訳ありません…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月25日 (金)

大きな差

4年生の子と割合の学習をしていました。
その子は算数は結構得意でセンスもある上、計算をすることも苦にしないタイプですが、割合の問題だと、小数を掛けたり割ったりという作業がたくさん出てきます。
どういうときに掛けて、どういうときに割るのかは、その子であればもし逆をしてしまっても気づけるセンスはあると思うのですが、数量感覚がきちんと身についている子なので、問題を考えてもらう際、何度か声掛けをしてみました。

まずは「280人の0.5倍は」という問いにかけ算をしようとしたその子に、線分図を描いて全体に280人と書いた後、「このうちの0.5ってどのぐらい?」と尋ねると、半分のところを指し、「あ~」と言って「140人」と答えを書きました。
次に、「1500円の1.2倍は」というものがあったので、それも線分図で尋ねると、元の長さの5分の1ほどの長さを付けたすことができ、ほどなく「1800円」と。
その後も線分図や四角をかいて、そのうちのどのぐらいになるか図示してもらうだけで、多くの問題を解くことができました。
更には、全体の15%が出したい場合に「10%はどれだけかわかる?」と尋ねると、元の10分の1の値をきちんと答えることができ、「それがわかったら5%も分かるよね?」というと、全体の15%を求めるものもあっさり正解。
1%なら100分の1だと感覚的に理解しているその子は、その後も小数のかけ算や割り算をせずに多くの問題をすいすい解くことができました。

もちろん、パッと思いつかないような数の場合は小数で計算する方が間違いにくいし速いだろうとも思いますが、与えられた数によってはそんな風に解くこともできるのだということを伝えると、「へ~、そうなんや!」と。

そういう数量感覚が身についているかどうかは、学年が上がり、問題が複雑になればなるほど、大きな差になっていくように感じます。
もちろん、これも個人差があり、同じように努力してもみんな同じように身につくということはありませんが、ゆっくり時間をかけられる幼少期に、ゆっくりじっくり学んでいく、感じ取っていくということはとても大事なことであるのは間違いないだろうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月24日 (木)

祝日でしたが

今日はレッスンがありました。
とはいっても、振替ご希望の方もおられたり、体調を崩した子がいたりで、レッスンは2コマのみ。のんびりムードでしたが、がんばってくれていました。

今日のレッスンでまた羨ましいなぁと思うことが。
脳の仕組みによるものだそうですが、大きく分けると男性は女性より空間認知などの能力が高く、それに対して女性は言語能力などの部分が高いなどの違いがあるというのはよく知られていることだと思います。

ただ、一般的な話なので、それに当てはまらない人もいて、女性でも空間認知の能力に優れた人もいれば、男性でもそういう部分がとても苦手な人もおられるのも事実。
そして、教室で子ども達とレッスンをしていても、そういう違いを感じることがよくあります。

展開図を組み立てる問題に初めて取り組む子達に、初めは実際にマグネットプレートを組み立てて見せながら問題の説明をするのですが、その説明の後、プリントに描かれた図だけを見てスイスイ解いていく子達がいます。
それは幼児や1年生であっても、苦もなくできる子がいる一方で、高学年になっていても苦戦しまくる子もいて、そういうのを見るにつけ、持って生まれた何かがあるんだなと感じます。

そして、残念ながら私には展開図を頭の中だけで組み立てたり、逆に広げたり、回転させたりというようなことを自在にやってのける能力は備わっていませんでした。
そのため、実際に色々なものを使って確かめることを繰り返す中で多少分かるようになった部分があるという感じです。

しかし、その能力に長けた子達は初めての段階でもスイスイやってのけるのです。
展開図を組み立てるとか、積み木遊びをたくさんするとか、レゴでいつも遊んでいるとか、そういう経験があるかないかの違いとは考えづらく、実際、スイスイやってのける小さな子達に尋ねても、頭の中で組み立てられるのだと言いますから、生まれ持った能力のひとつなんだろうなと。

で、今日のレッスンでは2年生の女の子がその能力をバリバリ発揮してびっくりさせてくれました。
頭の中で「見える」子にとっては、私の驚きが不思議なぐらいだろうと思いますが、羨ましいなぁ、一度でいいからその経験をしてみたいなぁと、今回もまた思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月23日 (水)

相変わらず不思議。

算数で相当苦戦した状態で来てくれ始め、少しずつ変化が見えてきている、しかしなかなかつかみ切れない子とのレッスンでのこと。
その子は特に引き算が弱いのですが、図形に関しては比較的よくできることが多いと感じています。
その子と先日から角度の学習をしているのですが、元々、直角かどうかは目で見ただけでほぼ判断ができる程度の能力があり、描かれた角が90度より大きいか小さいかや180度より大きいか小さいかなどは、見たら判断できるようでした。

それが、プリントにかかれた図を見て、与えられた角度を足したり引いたりして指定された部分の角度を求めるという問題をやってもらったところ、あり得ない答えの連続。
何より不思議なのは、与えられた角度を使って出した答えではないものが少なくありません。
足すか引くかを間違ったのであれば、考えずに適当にやったんだなと思えますし、答えが間違っているにしても、近いぐらいの角度なのであれば、見た目で大体の答えを書いてしまったのかなとも思えます。
しかし、与えられた角度を足しても引いてもそんな数にはなりそうもなく、計算間違いをしたにしてもやはり考えられず、その上、どう見てもそんな角度ではあり得ないような答えをいくつも書くのです。

そこで、指定されたところの角を指し、そこが大体何度ぐらいと思うか先に考えさせて、そこからもう一度考えるよう促すと、ぽつぽつ正解が出せたり、間違うにしてもかけ離れたような答えにはならなくなりました。

しかし、算数が苦手な子のパターンとしては、与えられた数を適当に足したり引いたりするとか、計算ミスをするとか、見た目で適当に答えを書くとか、それらはまだ想像がつくものの、この子のパターンはなかなかに新しいのです。
どこまでも奥深いその子のことを少しでも理解し、持っている力をより引き出せるよう、これからも試行錯誤は続きそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月22日 (火)

思い込み

今日は振替レッスンがある予定でしたが、体調不良でお休みされることになったので、リハビリに行ったほかは溜まっている諸々の仕事やら雑事を片付けねばと思っていたのですが、思ったようにははかどらず…。

そんな中、自分でもちょっと呆れてしまったことがありました。
日曜に今日こそは年賀状印刷をある程度終えねばと印刷し始めた矢先、両親の印刷で予想以上にインクが減っていたようで、途中で印刷ストップ。
しかし、家のプリンタのインクは近所のホームセンターなどには置いていないはず。
ネットで注文しても早くて翌日にしか届かないということで、仕方なく三ノ宮に出てインクを買ってきました。

これまでは純正インクしか使ったことがなかったのですが、ふと目に留まったので純正インクとリサイクルインクの両方を買って帰宅。
さて続きを…と思ったところ、ひとつ取り出してみた2個パックになっているリサイクルインクのサイズが明らかに小さく、入っていた説明書を見ると、それをはめるケースが必要だとわかりました。
しかし、そのパックの中にそれらしきものは見つからず、説明書にも書かれておらず、黒インクは2つ入れないと動かないため、結局印刷ができないことに。

買ってしまったので使わないのはもったいないしと、リハビリの帰りに三ノ宮で下車し、ケースと思われるものを買うことに。
しかし、インク売り場に行ってもそれらしきものが見つかりません。店員さんに聞こうかと思ったとき、ふと昨日自分が買ったインクのパックが目に留まり、2つにはそれぞれ①、②と番号が振られているのに気づきました。
更に見ると①の方に「こちらから使用してください」と書かれており、よく見ると、①と②とでは僅かながら形が違うことにようやく気づきました。

つまり、①にはケースがついていてそのまま使うことができ、それを使いきったら②のインクタンクに交換できるということだったのです。
しかし、最初に②を手に取り、使えない!と思い込み、更にはパッと見の形などが同じに見えるため、書かれていることには目が行かず…。

というわけで、無駄足を踏んだ上、本当なら日曜に作業ができていたわけで、もう踏んだり蹴ったりの気分になりましたが、全ては自分の思い込みが招いたこと…。

子ども達とレッスンをしていても、問題を読み間違えてそこから抜け出せなくなるような子がたまにいますが、最初に「こうだ!」と思ったことを、違うかもしれないと思って確かめることは意外と難しいことなのかもしれないと感じました。

それにしても、我ながら気を付けないと…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月21日 (月)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月20日 (日)

今週も終了しました。

今日はお休みの子達がいたので人数少なめのレッスンでしたが、来てくれた子達はしっかりがんばってくれました。

1年生さんが今日のお絵かき教室で作ったと、まつぼっくりを使ったクリスマスの飾りのようなものを持ってきてくれました。
配色がなかなか大人っぽくて、でも、1つしかないのでは?ともらっていいのか尋ねたところ、2つ作ったからいいよと。
その子は以前にも折り紙を折ってきてくれたり、お手紙(というか、封筒に絵を描いて持ってきてくれたのですが)をくれたりして、色々プレゼントをしてもらっています。
お礼を言って、大人っぽくて素敵やねと言いました。

その後、お母様が来られたので、もらってよかったのか尋ねたところ、「どうしてもあげたいと言って」と言ってくださったので、嬉しいなぁと思っていました。
そして、「黒とかで、なかなか大人っぽいですよね。」というと、「2つ作ってたんで、緑の方がいいんじゃないって言ったんですけど…」とお母さまが答えかけたところ、その子が一言。

「だって、緑の方が気に入ってるんだもん。」

(笑)
この正直さと言うかなんというか、もう愛らしくてたまらなかったのですが、敢えてそこは触れずに「黒が大人っぽくて素敵やわ。」と言ってもう一度お礼を言いました。
子どもの素直さ、無邪気さって素敵ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月19日 (土)

子ども達になじみがないこと

今日、5年生の子と割合の学習をしていたときのこと。
応用問題になるとしばしば出てくる、原価(仕入れ値)、定価、売値、利益、値引き…などの子ども達にはなじみのない言葉にその子も何をどう考えたのか、あり得ないような答えを書いています。

原価はどういうものなのか、定価、利益は…とそれぞれ意味を理解しているかどうか確認し、していない場合は子どもでもわかるように例を挙げて説明するというのがいつものパターンです。
例えばおうちがお店屋さんをしているとかで日々そういう言葉に触れているような子であればどうにか理解できるかもしれませんが、よくわかっていないというのが普通です。

イメージできないものは考えられませんし、言葉の意味だけ教え込んだり、解き方だけを教え込んだりしても、忘れたらお手上げになってしまいます。
現に、割合の中でも利益や値引きなどの問題は中学生になっても苦手な子が多いところではないかと思いますし、その理由はよく意味が分からないままになんとなくやり過ごしてきたからなのではないかとも思っています。

さて、今日のレッスンの子は原価も利益も意味が分かっていなかったので、原価は例えばお魚屋さんであれば、普通は自分が釣った魚を売っているのではなく、卸売り市場で仕入れてきた魚を売るのだと、恐らく知っているであろうことを例に挙げ、その際、仕入れる時に3000円で買ってきたお魚を3000円で売ったら利益がないことを確認。

更に、時々あるのは、お仕事をしたらお給料をもらってくるというのが普通の感覚であるような場合、お店の人もどこかからお給料をもらっていると思っているということで、それについても、お店をしている人は誰かからお給料をもらえるわけではないので、物を売って儲けたお金で暮らしているのだということも確認する必要があります。

しかし、今日の子はまだぼんやりした状態のようだったので、その子にわかりそうな例で、「あなたが、あ、これ可愛い!と思って500円で筆箱を買ってきたら、たまたまお母さんが同じ筆箱を買ってきてくれてたの。で、2つはいらないなぁと思って、自分が買ってきた筆箱をお友達に500円で買ってもらったら利益はいくら?」と尋ねたところ、あろうことか「1000円?」と自信なげに言いました。

つまり、全く理解していないわけですから、問題が解けるはずはありません。
そこで、「500円で買ってきたけど、自分が使わないのを買ってもらうから、500円じゃ悪いなと、300円でお友達に売ったらどうなる?」と尋ねたところ、「損する。」と答えたので、「いくら損する?」と尋ねると、そこは「200円。」と答えられました。

「そうやね。」と答えた後でもう一度、「500円で買ってきたものを500円で売ったら1000円儲かるの?」と尋ねると、ようやく「あ。もうからない。」と何かに気づいた顔をして、「0円。」と。
これでようやく先の問題の話ができる状態になったわけです。

「だから、3000円で仕入れてきたものに、その3割儲けが出るように定価を決めたってことよ。」

そういうとようやくゆるゆると動き出し、少し時間はかかったものの、答えを出すことができました。
このように、意味が分かれば、少なくとも突拍子もない答えは出さなくなります。

そういう意味でも、小さいうちにお店屋さんごっこなどをして、おもちゃであっても実際にお金の受け渡しをし、お釣りを渡したり、この所持金ならどれとどれが買えるかなとかんがえたりするような経験を是非してほしいなと思います。
お金の受け渡しや両替などは繰り上がりや繰り下がりの学習にも役に立ちますし、少し年齢が上がってきたら、いくら儲かったかなども考える機会があれば、割合の商品の売買に関する問題ももう少しハードルが下がるのではないかなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月18日 (金)

邪魔をしない

先日のことですが、あ!と思ったことがありました。
まだ背も小さい幼児さんが、レッスンに着てジャンパーを脱いでから、それをどうしようかなと少し迷っているようでした。
「椅子に掛けててもいいよ?」と言ったのですが、ハンガーがかかっているラックの方へ歩いていきました。
しかし、そのラックは大人サイズのため、その子の身長ではハンガーに手は届いてもポールから取ることができないのではないかと思い、取ってあげようとラックの方に急ぎました。

しかし、その子が手を伸ばしてハンガーをつかみ、ハンガーを斜めにしながら少し背伸びをして、上手にハンガーを取るのを見て、あ!と思ったのです。

まずはハンガーが取れたことを「すごい!取れたね!」とだけ言って様子を見ていると、ハンガーからジャンパーが落ちないよう、首元のボタンを留めています。
取るには取れても、かけるのは無理かもしれないなと思ったのですが、「もしかけられなかったらお手伝いするね。」と言って、見ておくことにしました。
すると、さっきよりもっと背伸びをして、上手にかけることができました。

見届けてから、手を叩き、「すごいね!かけられたね!」と言うと、その子は嬉しそうに笑っていました。

その子の代わりに私が服をかけてあげることはなんでもないことです。そして、何の疑問も持たず、そうするつもりでその子の方に歩み寄ったのですが、もし私が代わりにしていたら、この子の達成感も満足感も奪ってしまうことになったんだなと。

大袈裟かもしれませんが、あながち間違っていないのではないかなと思うのです。
ふと思い出したのが、まだ小さい頃、背伸びをして電車のつり革に届いたとき、それが嬉しくて、思い切り背伸びをしながら「見て!届いた!」と母に言ったことがあります。
小さい頃はできなかったことができるようになると、些細なことでも嬉しかったような気がしませんか?

できないことを無理にさせるのはよくないとしても、がんばればできるかもしれないことを、優しさのつもりでとか、こちらがやった方が早く済むからとか、そんな風に子どもの小さなチャレンジの機会を知らず知らずに奪っていたことがこれまでにもあったのかもしれないと思います。
レッスンでは子ども自身に考えさせるということを常に意識していたというのに、もっと身近でもっと大事かもしれない学びを邪魔していたかもしれないのだなと反省しました。

これからは子どもができそうなことはまずやらせてみて見守るということ、より一層気を付けていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月17日 (木)

自分に置き換える

子どもに限ったことではありませんが、問題の意味がわかりにくいとき、算数などでは簡単な数に置き換えて考えてみるというのが有効であるほかに、小さい子であれば文章題などで登場人物などを自分に置き換えてみることも有効である場合が少なくありません。

小さい子が算数の文章問題の意味がよくわからないという場合、その多くはその条件がイメージできないからということのように思います。
知らない子の名前が出てきて、その子たちが列に並んでいたり、クッキーを分けていたりしても、子どもによっては自分のことではないのでぴんと来ないことがあるようです。
そんなときに、問題文の子どもの名前をその子自身の名前に変えたり、登場人物を家族やお友達の名前に変えたりしただけで問題を解けることがあります。
そういうときの子どもの表情は問題を聞いている時点でそれまでとははっきり違っていたりするのです。
自分の知らない人の名前だったときにはイメージできなかったことが自分や家族に置き換えられた途端イメージができるようになるのでしょう。

今日のレッスンでも、本棚に本が何冊ならんでいるかという問題で、動物園の絵本の左に5冊、右に8冊の本があって、全部で何冊の本が本棚に並んでいるかという問題をどうしても「13冊」と答えてしまう年長さんに、本の数を少なくして尋ねるとすぐ答えが出たのですが、問題に戻るとやはり13冊と言ってしまい、実際に目の前に本を持って来て並べて見せてもなかなかピンとこない様子だったので、「○○くん(その子の名前)の左に5人、右に8人お友達がいるんやけど、じゃあ、そこに全部で何人いる?」というと、先ほどまでとは違う表情になり、ふんふんとうなずきながら「こっち5やな、うん、でこっちが8…」と言った後、すんなり「14人!」と答えられたのです。

小さい子の場合、問題文を自分にとって身近なことに置き換えるだけでハードルが下がるということがあります。
レッスンをしていると、本当に色々な気づきをもらえますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月16日 (水)

怖いなと思ったこと

直接仕事とは関係のない話ですが、ちょっと考えさせられたことがありました。
昨日の夜、インターネットのニュースで(テレビでもニュースとして取り上げられていたようですが)、ある児童相談所で8歳から15歳までの複数の女の子がなくなったものを探す身体検査の際、全裸にさせられたというものを目にしました。

最初に目にしたニュースを見た段階では、状況の説明がなく、児童相談所の方も間違っていたと謝罪をされたという報道だったため、複数の子たちが集められてお互い見えるような状態でそんなことをされたんだろうか?と驚き、ネット上でも、それに対する多くの非難する意見を目にしました。

しかし、もう少しほかの記事などを探してみたところ、児童相談所では複雑な環境の子達もいるため、お互いの個人情報を交換するなどの行為が禁止されていること。しかし、過去にほかの子の電話番号などをメモ書きしたものを下着の中に隠していた子がいたこと。なくなったのが紙だったので、個人情報をメモするのに使ったのかもしれないと考えたこと。身体検査は個室でひとりずつバスタオルのようなもので体を見えにくくした状態で行ったことなどがわかりました。

これらの情報を全て知った上であれば、多少の行き過ぎはあったかもしれませんが、女性職員のしたことはある程度理解できる行為にも思えます。
仲良くなったら個人情報の交換もしたいだろうというような意見もあるかもしれませんが、それはあくまでも決められたことなのであれば、認めてはいけないでしょうし、過去にメモを下着の中に隠し持っていた子がいたのであれば、下着まで取らせなければ隠していないかどうか確かめることは難しかったのではないかと。

職員の方は間違っていたと謝罪をしたそうですが、では、どうやって確かめたらよかったのかとも思ってしまいます。

そして、何より怖いなと思ったのは、多くのニュースではそれらの背景は全く知らされなかったということです。
ただ、複数の女の子たちが全裸で身体検査をされて嫌な思いをさせられたというところだけがばーんとニュースに取り上げられていたため、多くの方が「あり得ない!」と受け止めたのではないでしょうか。

こういうのを情報操作というんだなと、しみじみ実感した出来事でした。
インターネットの普及で色々なことが便利になりましたが、その反面、ショッキングなニュースなどはあっという間に広がりますし、広がった後間違いだったといっても、そういう訂正の部分はなかなか広まらなかったりもするのではないでしょうか。

つい先日は、宿題をしてこなかった男子生徒がいて、連帯責任ということでクラスのみんなに廊下の拭き掃除をさせたということで先生が処分を受けたニュースが流れていましたが、これがニュースになるのか…とそんな気持ちにもなりました。

理不尽な暴力などはもちろん絶対にいけないとは思いますが、何でもかんでも問題視して吊るし上げていけば、どんどんと居心地の悪い、住みにくい社会になっていくように思えてなりません。

ニュースなどの情報もすぐ鵜のみにしてしまわず、複数の情報を確認するなど、気を付けていかないといけないなと感じた出来事でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月15日 (火)

今年もあと半月余り

今日はレッスンはなく、、午後からリハビリだったのですが、午後からだったのがいけなかったのか、帰りに少し買い物などの用事を済ませた後は、家に帰ってひたすらにダラダラぐずぐずしてしまいました…。

年末までに仕事でも家のことでもしなくてはいけないことは山積で、少なくともその予定を書きだそうと思っていたというのに、楽しみな予定ではないものでついつい後回しに…。

結局子ども達の宿題もそうですが、したいと思うことは放っておいても進んでできるわけですが、義務感を感じていること、強制されていること、必要なのはわかるもののしたいと思っていないことなどは、よほど強い意志がない限り、期限がつくとか、ご褒美があるとか、誰かにお尻を叩かれるとか、そういうことがないとなかなか手を付けられず、また、嫌々手を付けたものはなかなか捗らないというわけです。

とすれば、義務感でするのではなく、何か小さな楽しみをその中に見つけるとか、そういうことに意識を向けることも大事なんだろうと思いますし、嫌でもとにかくまず1分だけでも、1問だけでも…というように手を付けてみるということも大事なんだろうと思います。

子ども達に宿題をがんばれというのであれば、自分ももっときちんとしなくちゃいけないことをしないと説得力もないし、そもそも言う権利がないよなぁ…と反省はするものの、今年ももう残り半月余り。
なんとかここで「自分なりにまあまあ頑張ったかも」と思える年末を迎えられるよう、頑張ろうと思います。
いや、多分この「がんばらなくちゃ」という発想を「やったらスッキリするぞ」とかそういう方向にするところからかもしれませんね。(苦笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月14日 (月)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月13日 (日)

大人からすると不思議に思えるけど

子ども達とレッスンをしていると、幼児や1年生さんでしばしば見られる反応があります。
子ども達にとってはまだ指で数えられるぐらいの数しか実感がなく、仮に教室で教具などを見せながら100より大きな数を学んだとしても、実生活ではまだそんな数を使いこなす場面もまずないので、理解できるまでに少し時間がかかる場合があるのです。

そんなときよくあるのが、1~9を表す教具は「1こ、2こ」というように数え、10を表す棒状になっている教具は「1本、2本」、100を表すシート状になっている教具は「1枚、2枚」というように数え分けるのですが、「10が何本」かを考える際、目の前に教具があるにもかかわらず、2本の10の棒を見て、「10が20本」と答えてしまったり、棒をたくさん並べて100より大きな数を考える際などに、「250」であれば25本並べることになりますが、それを自分で並べたにも関わらず、全部で「7本」とか「70本」とか、位の数と棒の数とが混乱してしまうということなのです。

大人から見たら、実際に目の前にあるのに、たった今自分で数えたのにと不思議に思えますが、少なくない子達がその段階を経るので、やはり実生活でまだ馴染みのない大きな数(小さい子にとっては100を超えると恐らくかなり大きな数なのだろうと思います。)は、理解に時間がかかる場合があるのだろうと思います。

そういえば、自分がまだ小学生の頃、歩くときになんとなく歩数を数えることがあったのですが、100を超えて101、102…と数えていると、途中から1ずつの数え方ではなく110、120と10ずつ増えてしまっていたりというように、数え方がおかしくなっていたことがあったことを思い出します。

生活の中で当たり前に大きな数に触れるようになれば自然と理解できることなのだと思いますが、最初の段階はこんな風になるもんなんだなと思うと、毎回新鮮な気持ちになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月12日 (土)

まさかの出来事

仕事に関係のない話ではありますが、昨日仕事帰りに思い立ってルミナリエに行き、帰宅した後、雨も風も強まって、なんだかすごいことになってきたなと感じてはいました。
しかし、朝目覚めてテレビを見ていると、何時間か前にこの目で見て、スマホのカメラでも残した噴水の周りに飾られていたイルミネーションが全て倒れている映像が映り、目を疑いました。

開催期間が13日までということを考えると、きっともう撤去されて終わってしまうんだろうなと。
そう思うと、消灯間近の時間にそれを見られたことが奇跡のようにも思えてしまいました。

ルミナリエの一部倒壊にショックを受けていたところ、お昼過ぎには更なる強風の被害が。
結局22時過ぎまでこのあたりのJRは止まり、その影響で阪神・阪急も大混雑。
ルミナリエが終わる週末でもあり、忘年会シーズンも始まっているであろう金曜に、本当に大変だったことかと思います。

ただ、どちらもかなりの倒壊だったにも関わらず、怪我人がでなかったことはまた奇跡のようにも思えてなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月11日 (金)

雨の降る中

今日は期末試験期間で中学生の子がお休みだったので、いつもより早くレッスンが終わり、平日雨降り消灯まであと1時間ぐらいという時間だったので、思い切ってルミナリエを見に行ってきました。

駅についた頃には雨も少し強くなり、何より時々突風が吹く中、さすがに人は多くはなく、人ごみが苦手な私にとってはありがたかったです。
今年は初めてLEDになったそうで、更に、距離は短くなったものの天井ができたり、東遊園地の更に南側の噴水のところも会場になったりと、20年を経て新たな試みがあったようです。

もう何年も、観光イベント化してしまって、震災復興行事の色がどんどん薄れてしまったので、足が遠のきがちだったのですが、昨日は平日でもあり、天候のせいもあって、比較的静かなルミナリエでした。
ちょうどいい日に行ったのかもしれないなと思いながら帰路につきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月10日 (木)

人は見かけによらぬもの

恐らく私もそうなのかもと思いますが、人は見かけで判断すると中身はかなり違うということがやはりあるものですね。
私は子どもの頃から知らないところに行く前には緊張しすぎてお腹が痛くなったり、電話をかけるのは未だにとっても苦手だったり、人が多い華やかな場も居場所がなくて逃げ出したくなったりするようなところがあるのですが、私を知るほとんどの人がそんな風には思っておられないようです。

さて、今回は何を思ったかというと、教室に来てくれている子ども達も、見た目は活発そうだけど案外おとなしいとか、なんでもきちっとしそうなのに案外めんどくさがりだとか、そういうギャップはいくらでもありますが、1年生になる少し前から来てくれていて、今はもう4年生になる子のことで新発見があったのです。

普段、算数はじっくり考えて、式なども丁寧に書き、きっちりきっちり解いていく子で、少なくとも教室にいるときは大人しく、話もきちんと聞いてくれる子なので、私の中では「おとなしくて真面目できちんとした子」というイメージが完全に出来上がっていました。
しかし、4年生になって国語も一緒にするようになり、国語の宿題をやり忘れてきたり、やっていてもやたらとひらがなばかりだったり、算数とは少し印象が違うなと思いつつも、字が乱雑なわけでもなかったので、算数に比べると国語は苦手なのかなとぐらいに思っていました。

ところが、レッスンの終わり近くにおうちの方がお迎えに来られ、そのタイミングでたまたま、明らかに書けるはずの漢字をひらがなで書いたので「さすがにそれは漢字で書こうよ。」と何の気なしに声をかけたところ、突然おうちの方が「ほんと、ちゃんと漢字で書きなさい。」と。
その方は普段はそんな風にいうことはないので、(え?どうしたんだろう、珍しい。)と思ってお尋ねしたところ、実はその子、普段もとにかく何でもやたらとひらがなで書くのだと。
学校のドリルとかは一応やってはいるみたいだけれど、漢字テストとかはあまりできていないと。

へぇ~~~~~!!

あまりに意外だったもので、その子の前でびっくりして、そんなこと思ったこともなかったわ!!と言ってしまいました。
それを聞いたからには今度からは漢字で書くところをひらがなで書いていたら×にするねと話はしたのですが、些細なこととはいえ、これまで抱いていたイメージからすると、なかなか意外な面を知りました。

先入観はなるべく持たないようにしているものの、その子の場合は何年も算数を一緒にやってきた上でのイメージだっただけに、どの子も色々な面があって、時には思いがけない一面もあるんだなと改めて感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 9日 (水)

変わってきたのかな。

高学年になってから来てくれるようになった子で、真面目で礼儀正しい丁寧な子でありながらも、国語の読解力がかなり厳しい状態という子がいました。
初めの頃は宿題の取り組み自体もいい加減で、まずはそこからなんとかしなければなりませんでしたが、何度も話をしていくうち、宿題の取り組みはだんだんと変わり、かなりきちんとやってきてくれるようになりました。
それでも、国語の宿題でありながら、問題に書かれている言葉の意味がわからないまま適当に答えを書いているようなこともあり、言葉の意味がわからなければ調べるということを教室でも実際に辞書を引かせ、何度も話をし、それも少しずつ改善が見られるようになりました。

それが最近、読解の記述の問題や、これは少し難しいのではと思うような問題でも、かなりいい内容の記述ができたり、しっかり正解できたりということが増えてきました。
以前はしばしば見られた頓珍漢な答えもすっかり減って、おかしい答えの場合もこの問いに対してその答え方はおかしくない?ということを尋ねると、「あ!」と気づくことが随分多くなりました。

学年が上がってから、それも国語の力をというのは、算数の力を伸ばすより難しいように思うので、2年足らずでこれだけ変化が感じられるのはすごいことではないかなと思っています。
この調子で小学生のうちに国語が好き、国語は得意と思えるようになってもらえたらいいのになと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 8日 (火)

私にしては珍しく。

今日はレッスンはお休みで、午前中は月1回の経過を診る診察とその後リハビリがあったので、朝から出かけ、お昼過ぎにたるみに住む古くからの友人に付き合ってもらって、久しぶり、もしくは生まれて初めて(記憶にないので行ったことがあるとしても子どもの頃かと…)須磨離宮公園に紅葉を見に行ってきました。

もみじのライトアップを6日まではしていたようなのですが、それまでには行きそびれたものの、昨日は寒さも少し緩み、何より抜けるような青空の良いお天気で、長く垂水に住む友人が「こんなに紅葉がきれいって全然知らんかったわ」と言ったほどの見事な紅葉が青空とそれはそれは素晴らしいコントラストを見せていました。

紅葉は本当に素晴らしかったのですが、それとは別に公園内にかなりの長さの石でできた大きな滑り台が2つあり、小学生たちが7、8人、かわるがわる滑っていました。
しかし、側の看板には「スピードが出ます」という注意書きがされていて、見ていても本当にかなりのスピード。
帰ってきてFacebookに書き込んだところ、別の友人が、以前テレビ番組で最もスピードの出る滑り台で1位になってたと教えてくれました。

その滑り台と滑っている子ども達とを少しの間眺めていたのですが、再び滑るために40段かもっとありそうな階段をのぼってくる子どものひとりと目が合いました。
小学校高学年かなぁというぐらいのきりっとした男の子だったのですが、滑り台の上のあたりから眺めていた私に向かってひとこと。

「見本を見せます。見ててください。」

そう言ったかと思うと、リュージュの選手のイメージというか、体を一直線にして滑り台に滑り込んで、それは見事なスピードで滑り降りていきました。
しかし、大の大人の私に「見本を見せ」てくれたことがおかしくて、滑らなくて申し訳なかったかなと。(笑)

離宮公園の紅葉、まだもうしばらくは楽しめそうでした。
平日だったこともあるのかもしれませんが、とてもとても空いていて、友人と「穴場やね」と話をしていました。
近くでも見事な見られることに感動したオフでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 7日 (月)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 6日 (日)

嬉しいお知らせ

昨日レッスンだった年長の子のお母さまからメールを頂きました。
それは、今日から早速1日1枚で宿題をすることにしたというものでした。

どういうことでそんなお知らせが来たかというと、レッスンの終わりに、その子が宿題がイヤだと言っているのですがと伺って、そのことで私なりに思うことを、その子にお話したのです。

もともと、宿題は特に幼児、低学年の間は強制する気はなく、宿題をしなくても学習したことをきちんとできていればやらなくても構わないと思っていて、そういう意味では、嫌がる年長さんに無理にさせようとは思いません。
ですので、まずはそのことを伝え、その後で、小さい子でも恐らくわかってくれるであろう言葉で、人の頭は大事ではないことをすぐに忘れてしまうようになっていて、大人の人でも新しいことを習っても、おさらいしなかったら3日経ったら全部忘れてしまうこともあるのだという話をし、それから、嫌々やっても身につかないから、イヤならやらなくてもいいけど、次に来てくれたときに忘れてしまっていたら、ずっと10までのお勉強でいつまでも20とか100とかのお勉強に進めないかもしれない、それでもいいならしなくてもいいよと。

これは本当にそう思ったのであって、そういえばやると言うだろうという下心があった訳でも、何とかうまく言いくるめてやらせようと思ったわけでもありません。
しかし、その話をし終わらないうちに「(お勉強が先に進まないのは)いやや!いやや!」と大きな声で言うのです。

それでも、家に帰るとなかなかやる気にならないのは私自身が身にしみてわかっていることですので、次のときに全部終わっていなくても、それはそれでいいかなと思っていたのです。
すると、先に書いたお知らせのメールが。

更には、1日1枚と言って始めたのに、自分から進んで1日で全部終わらせてしまったと、追伸のメールまで来たのです。
その気持ちがいつまで持続するかわかりませんし、やる気が出ないときもあるだろうとも思います。
それでも、私の話をちゃんと聞いて、算数が好きなその子なりに、もっともっとお勉強したい、もっと大きな数のお勉強もしたい、そんな何かを思ったのではないかと。
その気持ちがなんだかとても嬉しくて、私もがんばらなくてはなと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 5日 (土)

置き換える力

子ども達とレッスンをしているとき、行き詰っている子などに対して、やり方を教えない代わりに、考えやすそうな数に置き換えて尋ねてみるということをよくします。

虫食い算などで、どうすれば□の数が求められるか迷っているような子には、同じ形で簡単な数の数式に置き換えたものを見せ、□の数を考えてもらって、どう計算すればその数を求めることができるか、そこから導き出してもらったりします。

速さの問題などで少し問題が複雑になってきた場合も、まずは道のりや時間などの数を簡単なものに置き換えて考えてもらったりもします。

そんな風に、簡単でイメージしやすい数、操作しやすい数に置き換えることで考えられるようになる場合は少なくありません。
要するに、問題の意味(文章を読むというだけでなく、どういうことが起きているのか、どういうことを考えねばならないのかなとの意味)がきちんと捉え、イメージすることができれば、問題を考えることができるということなのではないかと思います。

これは算数に限ったことではないのかもしれませんが、問題をどうやって解けばいいか行き詰ったとき、自分で数を置き換えたりして考えることができるかどうかということは、色々な場面でとても大事な力なのではないかと感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 4日 (金)

すぐ通じました。

昨日書いたところですが、たまたま今日は別の子が、小数の割り算で答えが大きくなるものを考える問題をする場面がありました。
その子は小さい頃から通ってくれていて、数量感覚も身についており、元々算数のセンスがいいなと思う子ですが、最初は実際に割り算をして確かめようとしていました。
もちろんそれでも構わないのですが、1問それで確かめたところで声をかけてみました。

問題が「26÷0.4」と比較的易しいものではありましたが、それでも計算してみようとしていたので、「ジュースが26リットルあって、それを0.4リットルずつ瓶に入れていったら、26本より多くなるかどうかわかる?」と尋ねてみたところ、ほんの少しだけ間があって、「うん。多くなる。」と。
「じゃあ、計算しなくてもわかるやんね?」と声を掛けると、「うん。わかると思う。」と言って、そのあとは式だけを見てスイスイ解答していきました。

こういうやりとりが成立するのは、長さなり、嵩なり、小数なりそういうものをきちんと「量」や「大きさ」として理解できているからなのは間違いないと思います。
そういう意味でも、きちんと考えて積み上げることは、最初のうちは時間がかかるかもしれませんが、時間をかけて築かれた土台は確実な力となり、応用問題などに向かう際、驚くような速さで答えが出てしまったりと、のちにどんどんスピードアップ、省エネ(?)学習ができるようになっていくのではないかと思います。

小さいうちはじっくりたっぷり時間をかける。
それはひとりでも多くの大人の方に心に留めておいて頂けたらなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 3日 (木)

小数のかけ算

今日のレッスンで、我ながら、なんで今まで気づかなかったんだろうと、ちょっと自分に呆れてしまうような気付きがありました。

子ども達が取り組む問題の中で、小数のかけ算・割り算をする際、どんなとき答えが小さくなるか、大きくなるかを考えるものが、ひょっこり1枚だけ登場します。
もちろん、知っていれば極めて簡単なことですが、初めて取り組む子ども達はほとんどの子が少し考え込みます。
これまでは、「×1」や「÷1」をしたときには答えは変わらないし、掛け算は普通は答えが大きくなる、割り算は小さくなるということを確認して考えてもらっていましたが、それでもぴんと来ない子は何問か計算をして確めてみてもらったり、「×2」の答えを尋ねた後、おなじ数に「×0.2」だと答えがどうなるか尋ねたりというようなことをしたり、その子その子に合わせて何かフォローをしていました。

しかし、面積を既に学習していて、数量感覚などがある程度伴なっている子であれば、めちゃくちゃ簡単に理解できるじゃない!!と気づいたのです。

プリントの問題では最初に「7.5」に色々な小数を掛けた式が書かれており、そのうち、積が元の数より大きくなるものには○、小さくなるものには×を付けるという問題が出てきます。

そこで、白紙に長方形を描き、縦の部分に「7.5」、横の部分に「1」と書いたものを見せました。
「この面積を出すには7.5×1で面積は7.5よね?」と確認した後、「これより面積が大きくなるか小さくなるかってこと」と言うと、子どもの顔がぱっと晴れやかになり、さっき計算して確かめようとしていた子が、あっという間に○×を付けてしまいました。

でも、確かに長さや面積をきちんと理解している子にとっては、あれこれ考えるまでもなく、横の長さが1より長くなれば面積は大きくなるし、短くなれば小さくなるということは、当たり前すぎることなわけです。

その子は割り算に関してはもう何の助けも必要なかったのですが、小数の割り算の場合は、式の数値の単位をmなどにして考えると考えやすくなるように思います。

かけ算は面積ということはずっと前から私自身が意識していたことなのに、小数のかけ算の答えがどうなるかというときにその発想につながっていなかった自分に少し呆れつつ、なんだか目から鱗の気分を味わいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 2日 (水)

伝わらないもどかしさ

今日から12月。いつもできれば楽しくニコニコレッスンができればと思うのですが、なかなかそうもいかず、今日も12月初日だというのに、また腹を立ててしまいました…。

私の力が足りないのは間違いないのだと思いますので、それも尚更もどかしいのですが、勉強は自分のためにするのだということ、したくないのならしなくてもいいのだということ、考えもせずに適当に答えをかくような勉強ならする意味がないからしなくていいということなど、必要であればどの子に対しても何度でも話をしています。

ですが、これまでもう何度その話をしたかわからないぐらいし続けている子が、今日もまた見ただけでいい加減にしか取り組んでいないのがまるわかりの宿題を普通に出してきたのです。
少しでも考えれば絶対そんな答えになるはずがないような答えを、それも殴り書きで書き、プリント1枚全問間違いというようなものを、きちんと考えて直してきてと言ったにもかかわらず、また書きなぐりで全問間違い…。ほかにもその子がきちんと考えればできるはずの問題に間違いが続出。
そんな仕方をしたらまた同じことを言われると、いつになったらわかってくれるのか、これも根競べをするしかないのか、かつてない手強さに私自身、どうすることがその子のためなのかだんだんわからなくなりつつあります。

その子の話とは直接関係ないのですが、人それぞれ苦手とすることは異なっていて、例えば何のためらいもなく電話をかけることができる人からすれば、私のように電話をかける前に緊張し、できることなら電話ではなくメールや手紙で済ませたいと思う人間の気持ちは想像がつかないだろうと思いますし、それと同じように、私には苦にならないことを苦にする人の気持ちを私がきちんと想像できるかといえば、きっと難しいことだろうと思います。

とすれば、私が伝えたいことがその子に伝わらないのは、私が話している言葉がその子には響いていないのか、意味が理解できていないのか、それとも私が想像している以上にひとりではどうしても勉強ができないというような子なのか、その辺りの判断がついていないということなのかもしれません。

これも私にとっては貴重な経験になると思うので、何とかその子に響くまで伝え続けるしかないと思っていますが、よりよい方法がないのか、もっと考えなくてはと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 1日 (火)

オフですが。

直接仕事とは関係ないものの、少しだけ真面目なお話です。

先日、あるJリーグの試合で、ガンバ大阪所属のパトリック選手に対し、Twitterでの、ある差別発言が大きく取り上げられることになってしまいました。

サッカー好きの私は主にサッカーの情報を見るためにTwitterを使っているので、タイムラインにあがってきていた差別ツイートとパトリック選手本人のツイートなどを目にし、問題のツイートをしたツイート主のほかのツイートも見ることができました。

Twitterの性質上、著名人の方などを除いては基本的に匿名で、誰がその発言をしたのかは発言主のプロフィールなどからしか判断できません。
ですが、どうやら高校生か大学生かなと思われ、また、問題になった差別ツイートの前後にも「○○しね」というツイートがいくつかあり、更にはどうやら試合を見ていて自分が応援しているチームが失点をしたタイミングで、相手チームの選手などに対して「○○しね」というようなツイートをしているようだと感じました。

もちろん、個人的には冗談でも「しね」という発言はきらいです。ただ、実際のところ、特に男の子はケンカをしたり、何かに腹を立てたりすると、冗談半分に「しね」と口にする子、文字にする子は少なくないようにも思っています。

問題になったのは「○○」の部分が選手名ではなく「黒人」という単語だったからなのだと思うのですが、これまた文字にするのもためらわれますが、ケンカなどの際、相手の身体的特徴、それもコンプレックスかもしれないような特徴を敢えてあげつらって「デブしね」とか「ハゲしね」とか、そんな風に言うこともあるんだろうと。
もちろん、そういう言葉全てよいものではないのは理解していますが、応援しているチームが負けてしまって、最後の得点者がパトリック選手、その選手に向けてついぶつけてしまったのではないかなと思えるツイートだったのです。

それがネットで大きく取り上げられ、民放だけでなくNHKのニュースにまで取り上げられる大問題になり、最終的にはその本人である高校生が保護者の方と自分の高校にそのことを申し出て謝罪し、ひとまず一件落着となったようですが、なんというか、どうにも違和感があるのです。

もしもですが、白人の選手が最後に点を取っていたら、その子はもしかしたら「白人しね」とツイートしていたかもしれません。それでもこんなに大きな問題になったのかなと、それもなんとなくひっかかりますし、パトリック選手が傷ついて謝罪を求めるのはわかるとして、大人たちがこぞって大問題だ!みたいな反応をしたことがどうしてももやもやしてしまうのです。

今回は幸いにもしっかり考えられる、更には親ともきちんと話をすることができる、そんな高校生だったので、自ら学校に申し出て謝罪しましたが、もしこれが中学生や、もっと心の弱い高校生だったら、どんどん問題が大きくなってどうしていいかわからず、誰にも言えず、もっと悲惨な結末になっていた可能性もあるのではないかと。

インターネットが普及し、小さい子どもでも簡単にアクセスできるようになっている今日、大人の間でも何か問題を起こした人に対して、ネット上にその人の個人情報を晒したりしてつるし上げるような行為が少なからず見られるような現実もありますし、更には中学生、高校生ともなれば親が管理できる範囲も限られてくるでしょうから、私たち大人がもっともっと考えねばならないことが色々あるように思えてなりません。

今回のことは、高校生本人はいい勉強になっただろうと思いますが、このことを未成年の子達がネットのこわさ、マナーなどを学ぶひとつの機会としてくれたらなという気持ちもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »