オフでしたので。
今日は更新お休みします。
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普通の教室ではなかなか難しいのだと思いますが、うちはレッスンでの人数が少ないこともあって、最近積極的にしている、あることがあります。
小さい子達は特に、ぐっと集中してレッスンをしていると、どうやら頭が電池切れ?を起こすようで、一所懸命取り組んでいてもどうにもこうにもならなくなることがあります。
これまでは問題を変えたり、眠そうにしている子は背伸びをしたり、少し体を動かしてもらったりしていましたが、まだ年長さんや低学年の子達には、最近はどうも表情がおかしくなってきたなと思ったら、引っ張らず、なるべく早く少しだけ歩いてもらったり、その場で背伸びをしてもらったり、何度かジャンプをしてもらったりするようにしています。
すると、大抵の場合、その後一旦は調子が戻るのです。
要するにず~っと集中し続けることはやはり難しいということなのでしょう。
何か動くことでリフレッシュされて、また頭が働き出すという感じです。
ですので、ほかの子の邪魔にならない範囲で今後も取り入れていこうと思います。
眠そうにしているようなときは、高学年でも中学生でも背伸びさせたりしていますが、さすがに大きい子がその場ジャンプは階下の方にご迷惑になるかもしれないので、無理かもしれません。(苦笑)
簡単なリフレッシュ法なので、おうちでも使えるときがあるかもしれません。
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まだ年長さんで、来てくれるようになって3か月目の子。
当初は子どもらしいといえば子どもらしいのでしょうけど、やりたくないと思ったらむくれたり、気が乗らないと話もちっとも聞いてくれなかったり、これはちょっと手強いかもと思ったこともある、そんな子でした。
それが、最初の小さな変化は、私が「できる」と言ったことを、きちんと話を聞いて考えたらちゃんとできたとき、「あ、できた」と納得した表情を見せたとき、「できるって言ったらできたでしょ?」と言ったとき、これまでとは違って素直にそれを認めてくれたときでした。
その後も、何度か小さな変化があったように思いますが、気づけばいつの間にか、といってもまだほんの3か月目だというのに、話を聞くときはちゃんと聞き、更には一度言われたことを次のときにもちゃんと覚えて守っていることが少なくなく、取り組む姿勢も当初とはすっかり別の子になってしまったのではというぐらい、前向きに、時にはとても集中したいい表情を見せたりというふうに変わってきました。
何がきっかけでそこまで変わったのかはわかりませんが、子どもらしさはちゃんと残っているのに、いい意味での素直さ(大人のいうことを何でも聞くというようなことではなくて)が前面に出だしたように感じています。
こういう子はこれからますます伸びていくんだろうなと、楽しみです。
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ちょっと大袈裟なタイトルですが、レッスンをしながらまた思ったことがあります。
算数や数学では(ほかの教科でもあるものもありますが)、公式というものが小学校の段階から数多く出てきます。
遡れば中学時代、定義と定理の違いについて、教科書にかかれた説明や先生の説明を聞いただけではどうにもぴんと来ず、「ああ、そういうことか」と納得したのは、恥ずかしながらこういう仕事を始めてからのことでした。
定義とは誰かが定めたものなので、なんで?と言われても、ある意味「そう決めたから」としか答えられないようなもののことで、それに対して定理というのは、なんで?と言われれば、「こうしてこうしたらこうなるでしょ?だからよ」というように何らかの説明(証明)ができるようなものということというような解釈を個人的にはしています。
さて、ここで公式の話に戻りますが、公式というのは定義ではないので、どうしてそうなるか説明ができるものとも言えるでしょう。
とすれば、必ずしも覚えなくてもよいということでもあるはずです。
簡単に言えば、「3辺の長さが等しい三角形を正三角形という」と言われて、「正三角形」という名前は覚えるほかありません。
速さでいえば、時速・分速・秒速というような言葉が何を意味しているのかは覚えなくてはいけないことですが、速さの公式は覚えなくても、問題を解くことができないわけではありません。
もちろん、覚えられるのであれば覚えておく方が、問題を解く際に時間短縮にはなるだろうと思いますが、覚えていなければ解けないということと、覚えていなくても考えれば解けるというのは全く違うことです。
ここ1年近く、中高一貫校の中3くんと数Ⅰや数Aを一緒にしていますが、私自身、高校時代には本当の意味では理解していなかったので、学び直しをしている状態です。
ただ、記憶力は衰える一方なので、公式をたくさん覚えるのは残念ながらもう無理です。もちろん、何度も反復すれば覚えられるかもしれませんが、現状、そのために時間を割くのであればほかにすべきことはいくらでもありますので、ただの暗記はとにかく最低限にしたい。
そうなると、たとえ公式が書いてあっても、それを覚えなくても解くことはできないかという方向から問題を見ることが多くなります。
で、実際そういう方向から問題を考えてみると、公式を覚えていなくても解ける問題が少なからずあるということにも気づきます。
私は子どもの頃には教えられることをそのまま覚えて当てはめるような勉強をしていた面がかなりあるので、大人になってから実感しているわけですが、小さい頃から考えて学ぶことが習慣になっている子達であれば、そういう見極めをもっともっと早い段階からできるようになるのかもしれません。
仮にそうでなくても、公式を知らない状態で先に解いてみてもらって、解けたら「公式覚えてなくても解けるから、覚えようと思ったら覚えてね」と声を掛ければ、後の判断は本人がするでしょう。
今の時代、ただ覚えただけの知識は、パソコンなどで検索してしまえばすぐに、より詳しく知ることができるわけですから、どんどん役に立たなくなっていくでしょう。
これからの時代により必要になっていくのは、自ら考える力であるのは間違いないだろうと思います。
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今日は珍しく、レッスン前の午前中に友人に誘ってもらって、仕事関係で初めましての方たちの集まりに参加させてもらいました。
初対面、既に輪ができている中に混じるのも苦手なので、内心泣きそうになりながらの参加で、パワフル、ポジティブな皆さんに圧倒されながらの時間を過ごしました。
ただ、参加した目的のひとつに、機械オンチでもあり、また一度も習ったことのないままにWordやExcelを使って、試行錯誤しつつ1年半以上続けている作業を、もう少し速く効率的にする方法がないものかと、パソコンでの作業全般にお詳しい方にお話を聞くということがありました。
これまで作った、特に時間がかかったものなどをピックアップして持参したのですが、それを見て頂いたところ、友人の話ではもっともっと初歩の段階で何もできないで困っているのかと思っていた、これだけできれば結構(それなりにというニュアンスで)すごいと言って頂き、それは思いがけず嬉しかったものの、一方で、私がしている作業は誰がやってもそれなりに時間のかかる面倒な作業なのだとも言われ、悲しみに暮れる私。(苦笑)
プロの目から見ても、私の作業が劇的に速くなるようなことはないとわかり、これからも地道にコツコツやっていくしかないんだなと、覚悟を決める必要を感じた今日の集いでした。
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今日のレッスンでまたとてももどかしいことがありました。
算数で苦戦しているものの、真面目に取り組んでくれる子が、線分図を使って考える問題に取り組んでいました。
前回からやっており、また4年生になっているのですが、どうも線分図の描き方がぴんとこない様子で、前回見本を描いて見せ、宿題でもやってきてもらい、その上で今日また取り組んでもらったのですが、なかなか思うように進みません。
不思議なのは、助けなしにそれらしいバランスの線分図が描けても、そこから先に進むことができないのです。
600円で鉛筆3本とけしゴム2個を買いました。鉛筆3本とけしゴム2個の値段は同じでした。それぞれの値段はいくらですかというような問題がありました。
黙ってみていると、全体を600円とし、それを真ん中で区切って、それぞれに「えんぴつ3本」「けしごむ2こ」とまで書くことができたのです。
しかし、そこでぱったりとストップ。そこで更に見て3本と2個とわかるように区切りを入れるように言って線分図が完成したのですが、そこからまた全く動き出さないのです。
自分で真ん中で区切ることができたのに、結局私がその位置を押さえ、線分の半分の長さをさして(言葉で半分とは言わないようにして)、それがいくらか尋ねると「300円」と答えることもできるのに、なぜそこが結びつかないのか。
また別の問題では、ある子が持っているカードの3倍のカードを持っていて、2人あわせて100枚というようなものを、初めは少しおかしな線分図を描きそうになったので、「○○くん(少ない方)がもし1センチだったら、△△くん(多い方)は何センチで描けばいいの?」と尋ねると「3センチ」とすんなり答えるのですが、いつまで経ってもそのようなバランスの線分図が描けません。
こういう子の場合、問題の意味が理解できていないわけでもなく、線分図のバランスもある程度わかってもおり、そのあとのどこがどうつながっていないのか、まだ把握できずもどかしくて仕方ありませんでした。
子どもの頭の中が見られたらいいのにと、また今日も思ってしまいました。
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今日もお休みでしたが、昨日は1日ごろごろしていたので、少し出勤して仕事もしましたし、書店に行って少し本を探してみたりもしました。
最近は以前ほどには見なくなっていたのですが、ペンシルパズル雑誌のコーナーに行ってみたところ、以前はあまり目にしなかった気がする、高齢者向けであったり、認知症予防であったりというようなことをうたったものがいくつも目に留まりました。
中を見ると、出版社は違っているようでも似たり寄ったりな感じ。うちの父はひそかにクロスワードなどのパズルが好きなようなので、とりあえず1冊と買ってみたのですが、家に帰って中を見ると、間間にこれでもかというぐらい、健康食品であったり、健康グッズであったりの広告が…。
もちろん、いいものもあるのでしょうけれど、なんだか眉唾っぽいものも。
うちの父はそういうのを見たからと言って、申し込んだりしないと思いますが、母はなんとも…。
であれば、こういう本を買った高齢者の方の中には、広告を見て商品購入ということもあるんだろうなと思うと、まあ、雑誌のスポンサーなのでしょうから、それが狙いとはわかるものの、雑誌もきちんと選ばないといけないなと思ってしまいました。
というわけで、親に持って行くかどうかは思案中。でも、パズルってボケ防止にも効果があるんですね?
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勉強法の本などでキッチンタイマーを使った学習法というようなものが紹介されていることがありますが、個人的には学習内容やその子の性格によって効果的な場合とそうでない場合があるように思っています。
少なくとも、じっくり考える必要がある場合にはタイマーを使っては焦ってしまって集中しづらくなりますし、また、気が急くとミスをしやすい子、緊張してしまう子などにも、何らかの訓練の目的でなければ、あまり使うべきではないのかなと思います。
ただ、性別でいうとどちらかというと男の子、更に言えば、算数のセンスはあるのになかなか集中することが難しく、ついつい気が散ってしまいがちな子に対して課題を与える際、「これは○分で。よーいスタート。」と言った感じに使うと、一定の時間、それまで気が散漫になっていたのが嘘のように集中を見せることがあります。
もちろん、レッスン時間の間ずっとだと続きませんし、また、その子であれば集中していればできるであろう時間を見極める必要もありますが、その子なら集中すればすぐできそうなものになかなか集中してくれないようなときにはタイマーを使ってみるのはひとつの方法なのかなと思っています。
おうちで宿題をする際にも、なかなか手をつけない、手をつけてもすぐ気が散ってなかなか終わらないというようなタイプのお子さんには宿題が終わるまでというような長い区切りではなく、「この1ページを何分で」とか、「この1問を何分で」とか、そんな風に決めて取り組ませてみるということも、時には試してみられてはいかがでしょう。
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子ども達とレッスンをしていて、ひとりひとり好みの能力も興味の対象もみんな違うのはよくわかります。
それでも、自分で考えてわかったときに感じる達成感や満足感のようなものは、誰にでもあるものではないのかなという気もします。
それは勉強に限ったことではなく、小さい子がなぞなぞを考えていて解けたとか、パズルを作っていて完成したとか、そういう「やった!」という感覚を、快く感じないということはまずないのではないかと思います。
勉強に関して、習った通りにするということを繰り返してきた子たちの多くは考えることが苦手な場合があります。
普段の生活ではわかりませんが、特に算数だと、やり方を知らないと、考える前に教えてもらうのを待つということが起こります。
そういう子達には時間をかけて少しずつ、自分で考えて「あ!わかった!」という経験を積み重ねてもらうしかないんだろうと思っていますが、家での宿題に関しては、どうすればよいのか策が見つからずにいます。
家ではなかなか集中しづらいということはわかりますので、宿題は強制ではなく、やらなくてもわかっているという自信があり、実際次の回以降もできているのであれば、やらなくても構わないと思っています。
また、得意な子たちは、やろうと思えばさほど苦にならないで取り組めるだろうと思いますから、やるやらないどちらでも、本人に任せてしまっていいのかもしれないとも思います。
ただ、苦手な子の場合、数日手を付けないでいると、やったことが思い出せなくなってしまう子もいて、宿題を出さないわけにはいかないものの、宿題を出してもその取り組みがいい加減だと結局またやり直し…というようなことになってしまう子が時々いるのです。
そういう子に、家で自分ひとりで集中して取り組んでというのはかなりハードルが高そうに思いますが、かといって、おうちの方にやり方を教わるというのはまた少し問題でもあり…。
ひとりひとりに合わせてあれこれ試行錯誤していくしかないのかもしれませんが、どういう形で宿題を出すのがよいのか、なかなか難しいところです。
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今日のレッスンでのこと。
普段、あまり積極的にお話をしてくれず、むしろ、尋ねたことにもなかなか答えてくれず、真面目に取り組んでくれるものの算数もあまり得意ではない子が、前回どうしても考えきれず、持ち帰ってもらった宿題を出すときに
「前持って帰った宿題、母とも一緒に考えたんですけど、答えが合わなくて、まだできてません。」
と言いました。
え?今なんて?「母」って言わなかった??と内心驚きながら、「すごいね、今、母って言ったよね?小学生でそんな風に言った子初めてやわ。」と言うと、ほんの少し照れたような顔をしつつ、「外では母って言うようにしてます。」と。
「誰かに教えてもらったん?」と尋ねると、「いえ、教えてもらっていませんけど、なんとなく…。」と。
レッスンが終わってお迎えに来られたお母さまにお話しても驚いておられたので、お母さまが教えたわけではなさそうで、まだ学校でも習っていないのではとも思いますから、どこかでその子が覚えたのでしょう。
でも、そうやってしゃべるときのその子はとてもしっかりしていて、普段見られない一面を見たような気がしました。
心から驚き、感心したので、明るい雰囲気でレッスンが始められて、今日はその子にしてはかなりよく取り組めたのではないかと思います。
算数を一緒にしている子とは、算数の面以外ではなかなかその子の力を見る機会がないため、性格などはある程度わかるものの、ほかのことをしているときのことはわかりません。
でも、その子は言葉に興味があるのかもしれませんし、ひとりひとり、特に算数が得意ではない子であれば尚更、その子が得意なこと、好きなことを知ることは大事なことなのかもしれないと感じました。
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今日のレッスンでのこと。
帰国子女で日本語より英語のほうが堪能なぐらいの子とレッスンをしていたときのことでした。
数学はもともと好きでよくできていたようで、数学のほかに国語もさせてもらっていますが、語彙は多いにこしたことはないだろうと、読解のほかに語彙の問題集のようなものにも取り組んでもらっています。
意味が分からない言葉は調べたりしながら英語で置き換えて説明をしたりするのですが、ことわざ・慣用句の問題で「レッテルを貼る」というものが出てきました。
そのときその子が「レッテルって何?」と尋ねてきたので、初めて、あれ?そういえば英語じゃないのかな?と思ったのです。
英語は昔から苦手な方ですが、それでも一応高校受験、大学受験を経験しているので、ある程度の単語には出合ったのではないかと思います。でも、英語でレッテルって出てきた気がしないなぁと。
それも、レッテルというのはイメージ的には英語だとラベルとかになりそうだよなぁと。
そこで調べてみたところ、レッテルはスペルは「letter」で、オランダ語だということが判明しました。
日本のことわざ・慣用句なのにカタカナ言葉が入っている時点で、そういえば英語ではないということなのかもなと、そこで初めて思い及び、昔オランダから言葉が入ってきたときにできたのかなとも思いました。
でも、長年生きてきて、今日までそれを知らなかったのは、疑問を持たなかったから。
自分でも何も思わず使っており、意味も理解しており…。
今の朝ドラでは「なんでだす」が口癖のヒロインを見ながら、こうやって色々なことに疑問を感じ、それを調べて学んでいくことは自分の成長にとって、とても大事なことなんだろうなと思います。
かのエジソンは小学校時代に先生に質問しまくって授業が進まず、学校に来るなと言われたというような話が残っていますが、そういう人だからあんなに多くの発明ができたんだろうなとも思ったりします。
疑問を持つこと、そして、それを調べたりして解決すること。そのことが、本当の学びなのかもしれないですね。
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残念ながら私は子育てをする機会がありませんでしたので、小さい子のことはレッスンを通じて色々発見をしたり、学んだりしています。
小さい教室ながらも12年余り続けさせて頂いていますので、色々なお子さんを見せて頂きましたが、特に小さい子たちはあっという間に感情が変わるのを見て、興味深く、それが子どもということなのかもなぁと思ったりすることがあります。
今日のレッスンでも、普段は元気に登場する子が来るなりどんより。ご挨拶もしてくれません。
眠いのか、寝起きなのか、疲れているのか…。小さい子たちはやる気にならないときに無理をさせてもレッスンになりませんので、お母さまと一緒にどうしたのか尋ねつつ、今日のレッスンをどうするか決めてもらおうとしていました。
せっかく来てくださったので、お母さまとしてはレッスンをがんばってもらいたいお気持ちもわかりますが、2人して優しく尋ねても励ましても、「つかれた」というだけです。
そこで、レッスン開始時間より少し早めに来てくださっていたことと、次のレッスンまでに多少余裕があったこととで、「お母さんとちょっと休憩して、どうするか決める?」と促して、一旦外に出てもらいました。
その後15分ちょっと経った頃、階下から何だか元気な声が聞こえてきて、ニコニコ元気に再登場。
お母さまのお話では、何か食べたいと思っていたもののことが気になって仕方なかったそうで、おやつを食べてお話をしたら完全復活したようです。
その後はしっかりレッスン時間いっぱいがんばってくれました。
子どもって面白いなぁと改めて思った出来事でした。
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今日はレッスンはお休みで、午前中はリハビリでした。
普段、予約の20分前には来院するようにということになっているので、間に合うように家を出たところ、JRが全面運転見合わせ中と。
連絡を入れて間に合わない旨を伝えると、遅れても大丈夫と言ってもらったので、やむを得ず阪急と山陽を使い、駅から走って病院へ。
まあ、それは仕方ないとして、今日駅で対応していた駅員さんのおひとりの対応がどうもなんだかなぁという気になりました。
人身事故などの場合は電鉄会社に責任はないだろうと思いますが、今日の架線事故は電鉄会社のミスによるものだったようですし、少なくとも多くの利用者に不便をかけているのに、全く申し訳ないという対応ではなかったのです。
行きの対応もなんだかな…と思ったのですが、帰りにはちょうど動き出したため無事JRで帰ってきたものの、行きにきちんと説明してくれなかったことで、阪急か山陽に出向いて清算せねばならないと言われ、説明を受けた通りにしたのにと言っても、他社の対応がおかしかったのでという回答。
そのやりとりをしている間にその方からはただの一度も申し訳ないという言葉は出てきませんでした。
もちろん、架線事故はその方の責任ではないでしょう。でも、自社が利用者に不便をかけているのであれば、まずは申し訳ないという姿勢を見せるものなのではないかと思ってしまい、どうにもスッキリしない気持ちで帰宅しました。
慌てて走ったり、リハビリ帰りには不快な気持ちにもなって、なんだか今日は仕事も進まず、ぐだぐだになってしまいました…。情けない…。
明日からまた気持ちを入れ替えて頑張りたいと思います。
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教室を始めるときお世話になった先生は、教具などを見せ過ぎない方がよいとか、1つ1つ数えさせてはダメとか、色々なことを教えてくださいました。
初めはその言葉を守り、ある程度まで見せたらもう見せないようにするとか、指を使おうとする子に数えないよう止めるとかしていた時期もありました。
ただ、色々な子達を見ているうち、自分で納得したら自然と教具を見なくなる子や、安心したら指を使わなくなる子など、いつまでも教具を使い続ける子もいなければ、いつまでも数え続ける子もいないことに気づきました。
算数の得意な子であれば教具を1、2回見ただけで理解してしまうこともあるでしょうし、教具など必要としない子さえいるかもしれません。
しかし、算数が苦手な子、数量感覚が身につきづらい子、イメージする力が弱い子などには、平均的な回数の倍、3倍と教具を見せてもストンと落ちた感覚がなかったり、数えなければ全くお手上げの段階があったりもするように思います。
結局は、その子その子のその時点での力、反応などを見ながら、その子にとってもう必要なさそうだなと思えば教具は使わない、教具を見せないとまだ不安そうな子にはもう少し見せるなど、臨機応変に対応する方が大事なんだなと思うようになりました。
指で数えてしまう子にも、できるだけ1つ1つは数えないようにがんばってほしいということは伝えますが、不安そうにしているうちは数えてはだめとは言わないようになりました。
今日のレッスンでも、前回不安そうな様子を見せていた子に、問題を解く際にも教具を使ってよいことにして、何度かやりとりをしていたところ、3回教具でやりとりした後の4問目、教具を見ずに少しぐっと考えたなと思ったら、きちんと答えを出しました。
そのときのその子の表情は前回不安そうだったのとはまるで違う、自信ありげな笑顔でした。
何回見せたらそれでよいということではなく、その子その子が安心の表情、自信の表情を見せるそのちょうどよいタイミングをもっとうまく見極められるようになりたいなと思います。
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少し前から一緒にレッスンをさせてもらっている年長さんがいます。
その子とレッスンをしていて、最近特に感動することがあるのです。
まだ小さい子たちはちょっと難しそうに思えたり、気分が乗らなかったりすると、こちらが言っていることを無視したり、考える前から放棄したり、時には泣き出したりと、色々な反応を見せることがあります。
その子も当初は気が乗らないとすぐ嫌がったり、眠そうにしたりしていたのですが、この頃はそんな風になることが少し減ってきた代わりに、私が話すことを随分しっかり聞いてくれるようにもなり、大事なことだと話せば素直にそれを聞き入れてくれ、すぐに態度や取り組みが変わったりすることが多くなりました。
今日のレッスンでも、鉛筆の持ち方がおかしかったときにちらっと声をかけただけでも、「こう?」と正しい持ち方をして見せて、「うん、そう!」というと、そのあとは意識してその持ち方を続けてくれているのがわかりましたし、色塗りをしていたときに、3つ目に塗ったものがそれまでのものより随分と綺麗に塗れたので「すごい!それ綺麗に塗れたね~!本物みたい♪」と言ったところ、それまでに塗ったものまで綺麗に塗り直しをしてくれたりしたのです。
大人のいうことを考えもせずただ素直に聞くというのはあまり意味のないことですが、小さい子にでも私はきちんと理由や意味などをできる限り話しますし、その話を聞いた上で素直にそれをやってみようとする姿勢は、今後きっとより力を発揮してくれるようになるのではないかなと思わせてくれます。
私自身は決して素直な子どもではなかったのではないかと思いますが(少なくとも、納得のいかないことでも素直に言うことを聞くような従順さは持ち合わせていなかったと思いますが)、素直さって大事だなぁと思う今日この頃です。
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うちの教室では、特に算数に関して「覚えてね」ということはかなり限られています。
公式の類は学校で覚えるように言われるだろうと思っていますので、覚えなくても解けるということをわかってもらうことの方が大事なのではないかと思っていることと、覚えなくても考えたら解けることであれば、覚えるための努力は別のことに使った方がいいのではと思うこと、また、私自身が最近は物忘れもひどいので、忘れてしまっても考えたら解けるのではないかと考えた結果、なんだ、こう考えたら簡単だ!などの発見をすることもあり、そういう経験が算数を楽しいと思うきっかけになったりもするのではないかと思うことなど、色々な理由があります。
その、数少ない「覚えてね」というもののひとつは、1立方センチメートルは1ミリリットルと同じ嵩であるということ。
もちろん、それ以前に1リットルが1000ミリリットルであるとか、1立方メートルは1辺が1メートルの立方体の体積と表すことができることなど、覚えなければならないことはありますが、子ども達が混乱するひとつは単位換算であり、たくさん覚えることがあると余計に混乱がひどくなりがちですから、できるだけ覚えずに済むものは覚えるようには言わないようにしています。
普段あまり使わない単位の換算などは余程のことがないと覚えていられないので、例えば、1立方メートルが何リットルかと問われ、パッと答えられる大人の方は決して多くはないのではと。(考えたらわかるはずですが。)
それが子どもであれば、経験も知識も少ないですから、余計忘れてしまいがちで、忘れてしまうと答えられなくなってしまいます。
そして、今日のレッスンで体積と嵩(本来、体積も嵩ですが…)の関係を学習していた子に1立方メートルは何リットルか考えてもらう問題がありました。
その子には1立方センチメートルが1ミリリットルと同じということは必ず覚えるよう前回言っておいたので(ただ覚えるように言ったのではなく、1センチ角の積み木を見せて話しましたが)、それは覚えています。また、1リットルが1000ミリリットルだということもわかっている状態です。
で、これまでは1立方メートルが何立方センチメートルになるか考えてもらい、それをミリリットルと考えて、何リットルか考えるという流れで来ていたのですが、今日のレッスンで私自身がふと気づきました。
1リットルは10センチ角の立方体(1000ミリリットル)の嵩なんだなと。ということは、その立方体が縦横高さ、それぞれに10個ずつ並ぶから1000Lなのか!と。
イメージできた途端、めちゃくちゃ簡単やん!と思ってしまいました。
まあ、忘れたら1000000ミリリットルが何リットルになるか考えたらいいんですけどね。(苦笑)
中3くんとやっている三角関数でも、覚えなくてもできるやん!という発見を色々しますし、算数や数学はやっぱり楽しい教科ですね。
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レッスンをしていて、時々、なんでそれがわからないのか、想像がつかないようなことで悩む子がいて、その子の頭の中はどんな状態になっているのか、見られたらいいのに…と思うことがあります。
もちろん、私にも、人には簡単なことが自分にはわからないということもありますし、また、子どもの「わからない」も、ある程度はどういうところで悩んでいるのか想像がつくのですが、例えば今日のレッスンで、□を使った式を作る問題を考えていた子の頭の中がどうにも想像できず、だんだん口調がきつくなってしまって、終わってから自己嫌悪に陥りました。
その子は今日はどの問題でも詰まっていたので、不調だったのかもしれませんが、もともと算数はあまり得意ではない子なので、多少手掛かりとなるようなことを最初に提示した上で問題を考えてもらうことにしたのです。
その問題のひとつが、兄弟あわせて5700円の所持金があり、兄の方が弟より1700円多い場合の、弟の所持金を考えるものでした。
普通はあまり□を使っては解かない気もしますので、弟を□円と表すと、それより1700円多い兄は□+1700円と表すことができるよね?というところまでは確認した上で、問題の1行目を読んで、その通りに式を作ってみてと伝えました。
「弟と兄の持っているお金を合わせると5700円です。」
これを式にするだけなのです。更には、弟が□円、兄が□+1700円ということも確認していますので、文章通り式に置き換えると
□+□+1700=5700 もしくは □+(□+1700)=5700
のどちらかを書けばよいのです。というか、それ以外に読みようのない問題文です。
しかし、その子は「+」を書いたかと思えば消し、なぜか「-」が出てきてまた消し、ずっと考え込んで、また何か書きかけては消し…と、いつまで経っても式が完成しないのです。
その子は本を読むのは好きなようですが、そして、国語の読解力と算数の文章問題を解く力とは別物だということもわかってはいますが、弟と兄の所持金を「合わせる」という式に迷うその子の頭の中ではどんな思考がなされているのか、想像がつかずもどかしく思いました。
私が簡単だと思っているだけなのでしょうか?でも、これまで多くの子たちとレッスンをしてきましたが、そこでそんなに考え込んでどうにもならなかった子はあまり記憶にないので、やはりそう難しいことではないのではという気もします。
何をどう悩んでいたのか説明してくれるタイプの子ならよいのですが、その子はそういうタイプでもないので、わからないなりに想像するしかないのだろうと思います。
でも、これを式に表せないとすると、どんな学びが足りないのか、なかなか判断が難しいなと思います。
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普段、し慣れないことをしたり、知らないところに行ったりということが全般に苦手で、そういうことをするときは1日1つでもう気持ち的にいっぱいいっぱいになってしまうようなたちなのですが、そんな自分にしては、今日は予定満載の1日でした。
午前中はリハビリのため須磨まで行き、その帰りに神戸駅近くで教材の展示会があったので、そこに立ち寄り。
神戸駅に降り立ったのも久しぶりだったので、ついでにちょっと身の回りのものの買い物をしてひとまず帰宅。
夕方には欠席振替のレッスンのため出勤し、晩にはもう十年来お世話になっている新潟で教室をしておられる先生がこちらに来られるということで、お食事をご一緒させて頂きました。
なんて濃い1日。
というわけで、帰宅してちょっとゆっくりしていたら、気づいたら寝落ちており、なんだか曜日の感覚がおかしい週初めです。
明日からまた通常レッスン。どうぞよろしくお願いいたします。
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いつも、レッスンでは子ども達の表情を見ながら、気をつけて進めているつもりではあるのですが、今日のレッスンで少し反省したことがありました。
音楽会があった後レッスンに来た4年生さん。いつも真面目に取り組んでくれるものの、感情表現が控え目で、難しいのか考えているだけなのか、疲れているのかなど、表情では読み取りにくいタイプです。
音楽会だったから疲れたとは言っていたので、気をつけて見ていたつもりでしたが、レッスン終盤、本来のその子であればさほど難しくはないのでは?と思う問題でペースダウン。
それでもなんとか少しずつ進み、あと1問解いたらおしまいにしようと思っていたその1問がどうにもならない様子です。
もちろん助け船も出してみたり、気分を変えてもらえないかと声をかけてみたりもしたのですが、どうも無理なのかもと、レッスン時間も過ぎていたので「今日は終わりにする?」と尋ねたところ、ほんの少し表情が緩んでとても素直にこくりと頷いたのです。
ホッとしたその子の表情を見て、ああ、もういっぱいいっぱいだったのだなと、それを解くまでなんとしても終わりませんよというようなことにしなくてよかったと思うと共に、もう少し早く終わりにしてほしいと思っていたのかもしれないなとも思いました。
子ども達に精一杯考えてもらうことを目指しており、また、レッスンはなるべくキリのよいところでスッキリ終えた方が気持ちよいのではという思いもありで、最後ここまでと粘らせてしまうことが時々あるのですが、そのあたりの見極めをもっともっと気をつけていかなくてはなと思った出来事でした。
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2年前ぐらいにご縁を頂いた、発達上の困難があり、小さい頃に学校に行かなくなって、そのまま中学生の年齢になった子が、先月末でその子自身が色々考えた上で、一度これまでのことをリセットすると決めたと、お別れすることになりました。
小学1年の段階から学校では全く学習をしていないという10代の子と一緒にレッスンをさせてもらうというのは初めての経験で、私も色々手探りなところもありました。もちろん、その子の様子を見ながら、無理はせず進めてきたつもりではありましたが、もし私にもっと力があれば、うちを辞めるという選択はされなかったのかもと思ったりもしていたのですが、今日、改めておうちの方がご挨拶に来てくださって、色々お話を聞かせてくださり、更にはそのお話の途中で胸がいっぱいになられたご様子で目頭を押さえられたりもして、手探りながらも一所懸命向き合わせてもらったことは何らかの形で、それも、自分で思っている以上に何かを感じてもらえていたのだなと、とても嬉しく、ありがたく感じました。
これからその子がどんな人生を選んで歩んでいくのかを楽しみにしていようと思います。
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これまでにも何度か感じたことではありますが、そういう経験があるので、私のほうに先入観があるのかもしれないと、そう思うこともあって、なるべくフラットな状態でいようと思ってはいるのですが、やはりこれは影響を感じざるを得ないなと、このところのレッスンで感じる子がいます。
過去にも、小さい頃から通ってくれていて、学年が上がって受験対応の塾に行き始め、うちと掛け持ちをしている時期に、それまできちんと考えられていた子たちが考えられなくなったり、以前に教室でやったときには何の助けもなしに自分で考えてできていたことができなくなっていたりというような場面に出あったことがあります。
最近、これまで算数のセンスをビシバシ(?)感じさせてくれていた子がどうにも不調です。
で、今日のレッスンでは、以前教室でやったときには苦もなく解いていた、分数×整数の問題を最近塾で習って混乱していたようなので、前回おさらいもして、宿題も出していたのですが、なんだかわけのわからない間違いを大量にしていました。
そこで、紙に「2/5×3」と書いて、答えを尋ねると「6/15」と、分子と分母に3を掛けた答えを書きました。
ああ…こうなってしまっているのか…と思いつつ、「ねえ、5分の2かける3ってどういうこと?」と尋ねましたが、答えに困っているようだったので、「5かける3ってどういうことやった?」と尋ね直すと「5が3回ってこと。」と。
「そうよね?じゃあそれ変じゃない?」と先ほどの式を指すと「ああ!」と正しい答えに直してくれたものの、以前はそんな声掛けをする必要さえなかったのに、やり方を教わって解くという勉強をすると、こんなにも混乱したり、間違えたりしてしまうものなのかと、またもどかしい気持ちになりました。
もちろん、忙しくてゆっくり考える時間がなくなるというような影響もあるんだろうと思いますが(その分、掛け持ちを始めてからは宿題の量は少なめにしているのですが…。)、自分が受験に対応できる教室をしていないために陥るこのジレンマを、なんとかできないものかと、ついつい思ってしまいます…。
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これまでレッスンをしてきて、何度も何度も子ども達に驚かされ、感動し、何年やっても新鮮な発見や気づきもあり、それでもどこか、慣れてしまって感覚が鈍っていたり、無意識のレベルになってしまっているようなこともあり。
そんな中、先日友人と話をしてから、改めて思ったことがあります。
教室を始める前、まだ塾講師だった頃や、学生時代家庭教師をしていた頃などに、初めて習うものを前に、問題を見るなり「習ってません」とか「習ってないからわかりません」とか、そういう反応をする子たちが少なからずいました。
例えば、学校で九九は習っているのに、2ケタ×1ケタなど、九九の範囲を超えた途端「習っていないからできない」という反応を見せるというのは、そう珍しいことではなかったように思います。
昔は私も、そういうものなのだと思い、新しい単元の導入時には説明からスタートするのが普通でした。
でも、それが子ども達の考える機会を奪い続け、「勉強とは教えられたものを覚えて、その通りに処理できるようになること」というような状態にしてしまっていたのではないかと思っています。
実際、教室を始めてから、子ども達は足し算というのはどういうものかというような、根本の部分の理解を自ら積み重ねていくため、例えば、3分の1キログラムのりんごが3こで何キログラムかというような問題に出合うと、それまでにまだ分数のかけ算は一度もやっていなくても、当たり前のように「1/3×3=1 答え 1kg」というような式と答えを出してしまう子が大勢います。
それは、掛け算というのものの意味を理解しており、また、分数を大きさなど数量を伴ったものとして意識しているということなんだろうと思います。
これはほんの一例ですが、一緒に学習したことがないことでも、それまでに学んだことを使って、子ども自身が解いてしまうというようなことはほかにもあります。
これが本当の意味で「わかっている」ということなのかもしれないなと、そんなことを改めて思いました。
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今日は祝日ながら、年間予定では通常通りレッスンをすることになっていまして、しかし、祝日のためお休みや振替ご希望の方も多く、結局レッスンは1つだけでした。
時間も早めたので、終わってからたっぷり時間があり、今日も教材作りがまずまず捗りました。
先日、子どもに関わる仕事をしている友人と話をして刺激をもらい、今のところまだなんとか「三日坊主」よりもう少し長く、やる気が持続しているところです。
難しい本ではありませんが、少しだけ読書の時間も増えてきて、この調子で今年の締めくくりまで頑張れたらなと思っています。
祝日でなんだか土曜のような気分になっているのですが、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。
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今日はレッスンはお休みでしたが、午前中に経過を診て頂いた後リハビリということで出かけたので、午後からは出勤して教材を作っていました。
オフなのにちょっと生産的1日になり、11月はいいスタートになりそうです。(なんか低いレベルの話ですみません…。)
明日は祝日なので、結局レッスンはひとつだけになりました。
明日も事務仕事や予習などが捗るといいなと思っていますが、今日のリハビリで既に筋肉痛になりかけているので、どうなりますやら。
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オフなのでまあいいといえばいいのだとは思いますが、昨日の帰宅後から今日1日、ひたすらにテレビでスポーツ観戦をしていました…。
さすがに全てまともに見たら丸1日寝ずに見なくちゃいけないぐらいなのではと思うぐらいの量なので、日本選手が出てくるところだけとか、録画なら早送りできるところはしたり、2倍速で見たりと、そこまでして見なくてもいいのでは?と我ながらやや呆れつつ…。
でも、体操男子個人総合では内村選手の揺るぎない6冠に感動し、フィギュアのSPでは羽生くんや復帰したパトリック・チャン選手、村上選手などの演技を堪能し、応援しているサッカーチームは2チームの試合を見たのですが、どちらもいい試合で、更にはラグビーW杯は早朝に決勝戦で、体操は種目別で白井選手と萱選手の日体大コンビが活躍しと、どれも見逃せない、感動の内容でした。
さすがにここまで見たいものが重なることは滅多にないのですが、11月初日をこんな風に過ごしてよかったのかという不安も…。
明日はひと月ぶりの診察(経過を診るだけだと思いますが)なので、その後は出勤して仕事しようかなと思っています。
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今日は午前中リハビリに行き、その後出勤して来週分の振替のレッスンを2つ。
その後は、最近なかなかはかどっていなかったパソコン作業に結構集中することができ、割と満足な気持ちで10月最終日を終えることができました。
午前中リハビリだったので、帰宅後は録画しておいた男子体操個人総合を見て、内村選手のすごさに感動と感心しきり。
その後もスポーツ観戦三昧となりました。
明日から11月かと思うとちょっと怖くなりますが、来月もどうぞよろしくお願いいたします。
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