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2015年5月31日 (日)

子どもの感性

先日二十年ぶりぐらいに前髪を切ったのですが、切ってしまうと再び伸ばすと決めたのでなければ、必然的に美容院に行くスパンが短くなりますね…。(自分できるという選択肢もないわけではないでしょうけど…。)

で、レッスンがお休みだった金曜に行ってきたのですが、美容師さんがみんなの反応はどうだったか尋ねてきたので、思い出したことが。

気づいても言わない子や保護者の方もおられたのだと思いますが、何か言ってくださった方には概ね好評で、この方がいいというご意見が多かったかなと。
そんな中、ある1年生さんの発言にちょっと意表を突かれました。

その子のお母様もすぐに気づかれて、前髪切られたんですね~なんて話をしていたのですが、私の顔を見た1年生さんが言ったのは

「先生前髪長くなった。」

でした。

へ?と思いましたし、お母様も「先生前髪切ったのよ。」と言ってくださいましたが、子どもの感性って素敵だなぁ~と。
確かにもう長年ワンレングスというか、前髪も全部長かったので、私の額に髪がかかっていることはありませんでした。少なくとも子ども達と一緒に勉強をするようになってから、私の前髪を見たことがある方はひとりもおられないはずです。

額全開(?)状態の私の額に突然、眉が隠れるぐらいしっかりばっちり前髪ができたわけですから、きっと彼女からすると前髪が「長くなった」と感じたのでしょう。
まあ、前髪が全くない状態から一気に十数センチ伸びるのも怖いので、ちょっと成長してしまえばなくなってしまう発想なんだろうと思いますが、なんとも思いもよらない発言にちょっと感動してしまいました。

まめにカットしなくちゃいけないのが無精者の私には難点なので、いつまで前髪が「長い」状態でいられるかはわかりませんが、なかなか楽しい出来事でした。

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2015年5月30日 (土)

5月ももう終わりますね。

今日は今月5回目の金曜だったのでレッスンはお休み。
日中予定があったので外出し、その後出勤して少し事務仕事をしていました。

歳を取ると何かしら不具合が出てくるものなのだろうと思いますが、普段健康だけが取り柄のような人間なので、軽度であっても四十肩(もしくは五十肩)でも結構こたえており、おまけにこのところどうも体調がスッキリしないので、仕事を早めに切り上げて、神戸市から年に一度送られてくる健康診断の期限が過ぎないうちに行こうかと帰宅したのですが、お昼ご飯を食べていたらダメだと言われ(既に食べてから6時間ぐらい経っており、出かけて普段より歩いたので、かなりお腹も空いていたのですが…。)、結局明日に持ち越しになりました…。

明日も今月5回目の土曜なので通常レッスンはありませんが、振替で1つレッスンがあるので出勤はします。
明日で5月のレッスンもおしまい。
色々ため込んでいる仕事もいい加減本気出してがんばらないといけません。

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2015年5月29日 (金)

掛け算の順序の話

先日、6年ほど前の記事にコメントを頂き、それについてブログに書かせて頂きましたが、あの後なんとなくぼんやり考え続けていたので、もう少し書かせて頂こうと思います。
先にお断りさせて頂きたいのは、これは私の考えであって、それを誰かに押し付けようとか、順序にこだわるなんてナンセンスだとか間違っているとかおっしゃる方を論破したいとか、いうことではありません。
そもそも、例えば勉強法や記憶術などを例に挙げてみても、全く対極の方法ともいえるような場合はいくらでもありますよね。
まずは意味なんて分からなくてもいいから大量に反復して処理できるようにしてしまうことが大事だというような勉強法もあれば、解ける解けないよりどれだけ「脳みそが汗をかいたか」ということが大事なので、ゆっくりじっくり問題数を厳選してという勉強法もあります。
病気の治療法でも、西洋医学、東洋医学、それ以外の方法など時には全く正反対の方法というものは色々なことについてあり得るのではないかと思います。

私もそんなに色々検索したりしたわけではないので、どのぐらいの割合の方が掛け算の順序にこだわるのはナンセンスだというご意見をお持ちなのかはわかりません。
もちろん、数学になった時点で「×」は省略されるようになり、元の式が「4×a」でも「a×4」でも「4a」と書くようになりますから、そうなれば確かにどちらも同じと言われればそうなんだろうとも思います。

ただ、算数と数学はつながってはいるものの違った教科のはずです。
算数は日々の生活の中で出あうような事柄に関する学習であり、数学の土台、基礎になるようなものではないかと思います。

これも私は詳しくはありませんが、武道や茶道などにおいて「守破離」という言葉があるそうですね。
初めは師匠などの教えをそのままに受け入れ「型を守る」ところからスタートし、それをしっかり身に着けた後で、自ら考え、その方を破り、自分の型を確立した後に、型から離れて自由になれるというようなことのようです。

これは伝統文化に限らず、色々なことで言えることではないのかなと。
掛け算の例でいえば、子ども達が掛け算を習う最初の段階では、「4×9」は「4の9倍」という意味だと習いますし、4の9倍は4が9回分と同じことだということを学ぶわけです。

その段階で仮に先日コメントを頂いたちょうちょの羽の問題があった場合、「たし算を使って解いてみましょう」と言われればやはり「4+4+・・・・+4」と4を9回足す式を書くのが自然ですし、それは4が9回なのですから、掛け算の式に直す場合は「4×9」であって、「9×4」ではないはずです。

もちろん、そういうことを全てわかった上で、自分なりに何かこだわりがあって(先日書いたように右上の羽が9枚、右下の羽が9枚…と考えて9×4というような考え方をしたとかいうような)、その式で納得がいくのだ、その式でなければ自分は嫌なのだというような子がもしいたら、その子と話をした上で、そういう考え方もあるねというかもしれません。

ただ、教室の子ども達を見ていると、この問題を「9×4」と書いてしまった子たちで深く考えてそうしたとか、こだわりがあってそうしたという子はこれまでいませんでしたし、少なくとも算数の段階はまだ「守」の段階であって、機械的に覚えさせるということではありませんが、ある程度の「型」は必要なのではないかと思います。

特に、算数に関しては単位を意識し、式の順序を意識することで、その後の割り算や、更に進んだ学習である速さや割合などの問題を考える際にも比較的スムーズに学習できる場合が多いのは確かだと思うのです。
それであれば尚更、小学校の算数の学習においては掛け算の順序を意識させることは意味があると思っています。

もちろん、例えば長方形の面積を「縦×横」ではなく「横×縦」で出していたとしても、それは個人的には認めてあげるべきだと思っていますし、直方体などの体積も縦・横・高さが掛けられていれば、順序は違っていてもよいのではないかと思います。

というわけで、教室ではこれからも「これは順番をきちんと意識してもらいたい」と思うことについては式の順序にはこだわっていきますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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2015年5月28日 (木)

同じ間違い方

子ども達とレッスンをしていると、多くの子が同じ間違い方をするものがあります。
そのひとつが面積のところで出てくる、周りの長さが100cmで、縦の長さが横の長さより4cm長い長方形の縦と横の長さを求めるというものなのですが、見ていると、算数が得意な子でも少なくない割合で「縦29cm、横21cm」と答えを書きます。

そこで、「それ、4cm違い?」と尋ねると、これまた少なくない割合で「縦25cm、横21cm」とか「縦29cm、横25cm」のような訂正が入ります。

「でも、それじゃ周りが100cmにならないんじゃない?」と尋ねると、そこで悩み始め、ようやく答えに辿り着く子、それでもなかなか辿り着かない子などに分かれます。

恐らくほとんどの子が100cmを4で割って1辺25cmというところからそれぞれに4cm足したり引いたりしてしまうような感じなんだろうなと思います。

なかなか気づかない子には「正方形だったら1辺何cm?」と尋ねると、それはほぼみんなすぐに「25cm」と答えてくれるので、縦を1cm延ばしたら、縦横それぞれ何cmになるかを尋ね、それだと何cm差ができたか尋ねるのですが、それで差が2cmになるとわかっても、すんなりいかない子もいます。

もちろん、線分図などを使ったり、こういう問題を何度も解いたりしていけば身についていくのだとは思いますが、ここで一番のポイントになるのは、同じ数から1移動させると差が2になる(差は移動させたものの倍になる)というところだろうと思います。
こういうところは、例えば普段の生活の中でご家族やお友達などと何かの数を比べっこして、同じ数にするにはどうしたらよいかとか、あげたりもらったりしたときに違いがどうなるかなどを経験したことがあるか、意識したことがあるかなどにも関わってくるのではないかと思います。

1つあげたら差が2つになるというのは、意識しないと気づかないことかもしれません。
日常生活の中でそういう場に出合ったら、ちょっと声をかけて意識してもらうのも大事なことかもしれませんね。

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2015年5月27日 (水)

2009年の記事にコメントをいただきました。

もう何年も前になりますが、コメント欄になんとも気持ち悪いコメントや全くありもしないコメントなどがつけられたことがあり、コメント欄を閉じてしまっていますが、今日久しぶりにコメントをくださった方がおられました。

ただ、それが2009年の記事で自分でも何を書いたっけ?と読み直してみたところ、昔何度もブログを読んだ方に性別を間違われたことを思い出しました。(全く余談ですが…。)
確かにこの文章だと間違うかもなぁと思いながら読み返しましたが、コメントを頂いたのは掛け算の式の順序に関するものでした。
そのときの考えと今も私としては変わっていないので、改めて少し書かせて頂こうと思います。

ネット上でこれまで何度となく目にしている掛け算の順序に関する論議があります。
主に小学生を指導している方は順序にこだわり、中学生以降、ざっくりした印象だと高等数学を使いこなせる方の多くが順序にこだわるのはおかしいという意見であるように思います。(もちろん、これに当てはまらない方も大勢おられると思いますが。)

2009年の記事で9匹のちょうちょの羽の枚数を問われた場合は「9×4」でjはなく「4×9」でなければならないということを書いていまして、頂いたコメントはどちらも正しいのではないかというものでした。
「機械的に単位を手がかりとして立式させるのは好ましくない」とも書いてくださっていましたが、「機械的」な処理はうちの教室では最も対極にあるようなものなので、そこは人それぞれの受け止め方、感じ方なのだろうとも思います。

それに、私個人は掛け算の順序にこだわらないというポリシーを持っておられる方を論破するつもりはなく、きちんとしたお考えをお持ちの上でそうお考えなのであれば、それでよいのではないかと思っています。

ただ、少なくとも小学生が掛け算を学習する段階では「4+4+4+4+4+4+4+4+4」は4が9回なので「4×9」に直され、「9+9+9+9」は9が4回なので「9×4」だと、式の意味に区別があるはずです。
そして、ちょうちょの羽の枚数を問う問題を掛け算ではなく足し算で解くようにと言われれば、ほぼ全ての子が「4+4+4+4+…」の式を書くのではないかと思うのです。

もし仮に教室に来てくれている子で「9+9+9+9」の式を書いた子がいたとして、その子にどうしてその式にしたか尋ねたときに、これは本当に例えばですが、右上の羽が全部で9枚、右下の羽も9枚、左上も左下もそれぞれ9枚だからというような説明をする子がいたら、その考えはすごいねというだろうと思います。
ただ、もし逆に割り算の問題で「ちょうちょの羽を数えたら全部で36枚でした。ちょうちょは全部で何匹でしょう」と問われれば「36÷4=9」であって、「36÷9」になることはありません。

これは私の理解が間違っているなら改めなければなりませんが、「36枚を4枚ずつ分ける」という場合、割る数と割られる数の単位が同じですから、4枚セットの羽が何回取れるかを表しています。それは「枚」÷「枚」で単位も約分されて消えてしまうような感じなのだと理解しています。

もしちょうちょの羽が1匹に何枚かの場合、「36÷9」で「4枚」となりますが、この場合は割る数と割られる数の単位が揃っていませんから、36枚の羽を9匹に同じ数になるように配った結果1匹あたり4枚となります。これは、単位が揃っていない場合は割られる数の単位が残ってくるからだと理解しています。

ただ、教室にお子さんを通わせてくださっている方はなんとなくお分かり頂いているかと思いますが、それを機械的に教えるようなことは決してしませんし、むしろ問題の意味を考えず処理をしようとする子はなぜそう考えたのかを説明してもらうようなことはしばしばあります。

そして、少なくとも式を作るときに単位を意識するということは掛け算に限らず、算数においてはとても大事なことなのは間違いないとも思っています。
単位の違うものは足したり引いたりできませんし、長さや重さなどであっても、メートルとセンチメートルなど単位が異なればそのまま足したり引いたりはできません。

何より、算数で単位が関係する問題はイメージすることができるものですから、イメージした上で式を作るということが大事なのではないかと思っています。

もちろん、これは私の考え方なので否定される方もおられるだろうと思いますが、このような考え方の先生方が少なからずおられるのも事実です。
そして、算数の段階では私としては単位を意識した上で式を作るということを大事にしてもらいたいと思っています。

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2015年5月26日 (火)

「いっぱい」は嬉しいことなんだな

先日から一緒にレッスンをさせてもらうようになった年長さんとのレッスンでのこと。
いい意味で子どもらしく、見ていて和むことも多いのですが、今はまだ5までの数の認知の学習をしているところで、5までの数は見てすぐわかるようになったものの、5までの数の合成はまだお指を数えたりしているような段階です。

その子と積み木の数の学習をしていたとき、積み木の絵を見て、多くても10個ぐらいまでの問題だったのですが、その子はまだ5を超える数の感覚は実感としては伴っていない段階であることもあってか、そんなに多くなさそうな絵を見て「これいっぱいありそう!」とか、どう見ても同じ数ではできそうにないものを「これも9個かなぁ?」とか、色々なことを言いながら考えていました。

そのとき突然「これ、積み木100個だったらすごい!」と、びっくりするようなことを言ったので、「100個だったら天井より高くなっちゃうよ」というと、ニコニコしながら「でも、お菓子100個だったら嬉しい♪」と言ったかと思えば、「1000個だったら?」とさらに大きな数を口にして、それならお空まで行くかな?とか宇宙まで行くかな?とかずっとニコニコしています。

その姿を見ていて、そういえば小さい子たちは、お勉強ということではなく、自由に大きな数のことを考えるとき、ほとんどみんな楽しそうだなと。
この子が言ったように、お菓子がいっぱいあったら嬉しいでしょうし、きっと小さな子たちの頭の中では「いっぱい」という言葉には好きなもの、楽しいもの、美味しいものが結びついているのかもしれないなと、そう感じました。

だからこそ、ひき算で数が減ることに抵抗を感じたり、必要以上にひき算を嫌がったり、難しく感じたりしてしまうのかもなぁと。

まだほとんど真っさらな状態の小さな子たちの成長を見られるのは、色々な気づきや発見があって、とても幸せに思います。

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2015年5月25日 (月)

オフでした。

今日はなぜか1日お腹が気持ち悪くて、1日ぐずぐずゴロゴロしていました。
実家には行ったものの、帰ってきたらやはりそこはかとなく気持ち悪くて、横になっていたら寝入ってしまっていました。
お腹が痛いというのとも吐き気がするというのともちょっと違って、これまであまり記憶にないような感じの症状でした。
何だったんだろう…。まあ、お休みの日でよかったですけど。

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2015年5月24日 (日)

12年。

今日はレッスン前にこの春高校生になった子とそのお母さまが教室にいらしてくださいました。
この子とは彼女が年長の秋頃からレッスンさせてもらったのですが、彼女のお姉ちゃんは教室の一期生。このご家族とは12年のお付き合いをさせて頂いたことになります。

このところ、色々弱気になることや、このままでいいんだろうかと思うこと、自信をなくしそうになることもありますが、12年続けてこられたんだなぁと、なんだか改めてありがたいことだなぁと思いました。

夜にはもう大学生になった子のお母さまとご一緒させて頂いたのですが、私の記憶の中ではその子は多少落ち着きのないところはあったかもしれないものの算数は得意な可愛らしい子という記憶しかなかったのに、お母さまのお話だと小2のときうちに体験レッスンを受けにきたとき、その子の中で「これも算数なんだ!?」という新鮮な驚きのようなものがあったそうです。

そのことがきっかけでその子は算数が得意になったそうなのですが、私は特に何をしたでもなく、もちろん魔法なんて使えるはずもなく、それでも自信をなくしかけていた小さな子が自信を取り戻すきっかけになれたというお話を伺うことができて、とても幸せな気持ちになりました。

教室に尋ねてきてくださったおうちの方がた、通ってくれた子ども達みんなに、改めて感謝したいと思います。
まだまだ至らないところだらけですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年5月23日 (土)

的確にこたえる

何人かのことは国語も一緒にレッスンさせてもらっていますが、子ども達が書く文を見ると、色々考えることがあります。
文を書くといっても長い作文をするわけではないのですが、要点をまとめるであるとか、問われたことに正しくこたえるであるとかいうような記述の問題で、「え?これは答えになってないでしょ?」と思うような文を書く子がいます。

要点と言われれば、大事なことが伝わらなければなりませんし、理由を聞かれれば理由として答えねばなりません。
文末が「~だから」とならねばならないとか、「~こと」とならねばならないというような、解答の基本についてはある程度教えることはできるとしても、もっと根本的な、「それじゃあなたの言いたいことはわからない」というようなレベルにある子の場合、週1回1時間レッスンをしたところで、補えることには限界があります。

少し話は逸れますが、実は私にはもしかするとプチ特技と言えるのかしら?と思うことがあります。
自分では意識したことがなかったのですが、若いころ何度か言われたことがあり、つい先日久しぶりに母にも言われたことが。
それはドラマやテレビ番組などの粗筋を話すのが割とうまいらしいということ。
その昔、まだ会社勤めをしていた頃、連ドラを見逃した先輩がどんなストーリーだったか教えてと言われてかいつまんで説明をしたところ、近くにいた同僚が「完璧やん!」と褒めてくれて、え?何が?と思ったのですが、その後もそんなことが何度かあり、最近はドラマの粗筋を聞かれることもないので忘れていたのですが、ある番組の内容を実家でかいつまんで兄に話して聞かせたところ、その番組を見ていた母が「今のばっちりやったね、お父さん。もう(その番組の録画を)見んでもいいわ。」と兄に言いまして。(苦笑)

といっても、本当にそんな自慢できるレベルではないので恥ずかしいのですが、それでも、1時間なりの番組を1、2分でかいつまんで、大事なところは説明できているようです。

でも、小さい頃から自然とそういうことができたわけではないんだろうなと。
うちは母が言葉遣いに厳しく、何か頼むときも、言っていることがわかってもきちんと主語や目的語、述語など、文としての体裁がある程度整った状態で頼まないとわからないふりをされたり、聞き返されたりというようなことがあったような気がします。
そういう日々の積み重ねというのが長い目で見るととても大事なのかもしれないなと、この頃改めて感じるのです。

もちろん、得手不得手は誰にでもありますから、そういうことを意識すれば誰でも要約が得意になるかといえば、それは何とも言えませんが、少なくとも何も働きかけないよりは効果があるはずです。
周りの大人は親切なつもりで、子どもが言葉足らずで言ったことをくみ取ってしてあげてしまうことはきっと少なくないと思います。そういうとき、毎回でなくても、敢えてわからないふりをして、最後まできちんとした文で言わせるというようなことをしてみてもらうのも子どもにとって大事なのではないかなと。

先日の鉛筆の話ではありませんが、便利さ、楽さを追求することで、失われていくことは確実にあると思います。
子どもには敢えて不便を経験させることも、大事な学びになるんだろうなと、そんな気がしています。

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2015年5月22日 (金)

考えたことなかった…。

今日のレッスンでのことでした。
ほぼ学校に行かずに中学生の年齢になって、一緒にレッスンさせてもらうようになった子と、今日は面積の学習をしていました。

もともと図形は比較的得意だと感じるので、面積の学習もスムーズにスタートしました。
その途中で「6㎠の図形を5つかきましょう。」「9㎠の図形を5つかきましょう。」というものが出てきたのですが、その子にしてはちょっと手こずっているようで、描いたものを消してはまた描いてをしているので、線がズレて気に入らないとかなのかな?と様子を見ていました。

描かれたものは等脚台形、平行四辺形、凧型など、線対称や点対称になっている整ったものばかりだったので、普段漢字などのバランスが悪いと消して書き直すこともあるその子のこだわりなのかな?と思っていました。
ですが、9㎠のものでも、ちゃんと面積は9㎠になっているし、どうみても綺麗に描けていると感じるものを消して、違うものを描こうとしているようだったので、そこで「全部きちんとした形じゃなくても、凸凹とかギザギザとかになっててもいいよ?」と声をかけました。

すると「え?いいんですか?図形って・・・」という反応が。

どうやら「図形」というのは、きちんと名前のついているような形を指すのだと思ったようで、そうでなくていいのだというと、「そうなんですか」と。

でも、そんなことを考えた子に出会ったのはこれが初めてだったので、自分でも、そういえば図形ってなんだ?と。
平面図形とか空間図形とかいう言葉は当たり前のように使っていましたし、図を描きなさいとか、どんな図形になりますかとか、そういう設問も特に疑問を持つことなく来てしまったなと。

そこでちょっと検索してみたのですが、ウィキペディアの図形の説明を読んだら思わずスルーしてしまいそうな言葉がずらりと…。(汗)
国語辞典で調べたら一気にシンプルにはなりましたが、例えば、「(2)数学で、点・線・面などの集合からなる形」
という意味だとしても、子どもには今ひとつわからない説明ですよね。
「6㎠の図形」という指定があれば、面積がある形ということで平面図形ということになりますが…。

子ども達とレッスンをしていると、こんな風にこれまで自分は考えもしなかったこと、気にしたことがなかったことなどに気づかされることがあります。
子ども達に感謝です。

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2015年5月21日 (木)

感覚があるか、気づくかどうか

子ども達とレッスンをしていると、しばしば判断に悩むことがあります。
普通に考えれば全く難しいとは思えないようなことでも全く気付かない子がいたり、かと思えば、その子が「え?なんでそれにすぐ気付いたの?」と思うような反応をすることがあったりするのです。

体調や気分などにもよるのかもしれませんし、得意なところと苦手なところなどもあるのでしょう。
ただ、それができてそれができないのはなぜなんだろう?と全く見当がつかないようなことも珍しくなく、そういう場面に出合うたび、どこまで助けたらよいのかわからなくて悩みます。

今日のレッスンで、ある子が重さの学習をしていて、はかりの文字盤の指された重さを答える問題を考えていました。
大きな問題1問は少し悩みながらも解けたので、様子を見ていると、100gまでが4等分されていて、はかりのひと目盛りが25gというものになった途端完全にフリーズ状態に陥りました。

そこで、何か勘違いしているのかと思い、数直線を描き、両端に0と100を書いてから、それを4つに分ける目盛りを付けました。
「はかりの文字盤は丸くなってるけど、これと同じことよ?」と声をかけ、真ん中の部分がいくつか尋ねると、それは一呼吸置いただけで「50」と答えることができました。「そうよね?じゃあ、ここも考えてみて。」と言って待っていたのですが、いつまで経っても反応がなく、それでも待っていると、問題の「125g」と答えるところには「110g」、「175g」と答えるところには「190g」と書きました。

大人でもある私からすると「???」と思ったわけですが、その子なりに考えたのでしょう。ひと目盛り「10g」で、100gからひと目盛りで「110g」、200gからひと目盛り前で「190g」ということなんだろうなとは思ったものの、そうなると、0と100の真ん中が50だと答えているわけですから、「0、10、50、90、100」という区切りが等間隔になるということになってしまうわけです。

先ほどかいた数直線の目盛りを指しながら、「ここが10でここが90なの?それだとなんか変じゃない?」と尋ねたのですが、なかなかピンとこないようです。
正しい答えが出るまでにかなり声をかけ、「0と50の真ん中が10っておかしくない?」と尋ねてみてもダメ、最後には「50の半分が10なの?」とまで言ってようやく「あ!」という顔をして「25」が出せたわけですが、その問題にそこまで苦労する場合、違う文字盤でも等間隔、等分の感覚がなくて苦労しそうなものですが、1目盛りが50ずつとか100ずつとかの場合はあっさり気づいて解いていたりもするのです。
少なくともその子は数量感覚がない、乏しいというのとはちょっと違うようです。

そのあたりが、それぞれの子にとって何が難しくて何が簡単なのか、判断がとても難しく、考えられることなのに手助けしすぎるのは絶対に避けたいことですし、何年やってもいつまで経っても、ああこれだ!というものには辿り着けずにいます。日々精進ですね。

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2015年5月20日 (水)

まずは一安心。

小学校高学年になってから来てくれるようになった子が春から中学生になり、初めての定期テストがありました。
神戸の公立の子たちは中間テストももう少し後だったり、中1は中間テストがなかったりなどということもあり、テスト前には範囲を教えてもらわねばと思って前回のレッスンで、レッスンが終わるときに尋ねたところ、思いがけず「はい、明日から」という答えが!!

神戸市ではないこともあり、想定外だったのですが、そして、数学は試験範囲より先のことまでやっているので、よいといえばよいのですが、試験前日に試験範囲より先のことをしてしまって、申し訳ないことをしたなと…。

本人にもおうちの方にもお詫びして、次回からは範囲が出たらお知らせをくださるようお願いもしたものの、試験前におさらいをしなかったことでちょっと心配もしていました。
ですが、今回のレッスンで早速返ってきた数学のテストを持ってきてくれて、満点ではなかったもののまずまず、これならまあよかったのではという感じの点数を取れたようです。

中学に入学して初めての定期テストで、おまけにその子は一番上の子でもあったので、もっと前もって気づくべきだったと反省していますが、テスト対策をしなくてもしっかり得点できたというのは頼もしくもあります。
この調子でこれからもがんばってくれるといいなぁ。

数少ない中学生のほかの子たちはまだこれから定期テストなので、しっかり力を発揮してもらいたいと思います。

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2015年5月19日 (火)

そんな風に教えてもらったことはないけど

自分のことを振り返ると、そんな風にきちんと教えられたことはないものの、教材を作りながら改めて色々気づくことがあります。

私たちが普段の生活で当たり前に使っている十進法も、10で位が上がっていくというのは経験上なんとなく理解しているようなところがあり、そこをきちんと教えられていないから、二進法や五進法などの別の進法の学習のときに意味が分かりづらかったのかもしれないなと。

十進法であれば、それぞれの位には入れる部屋が9つしかないという考え方を理解すれば、小さい子たちでも、たとえ万や億などの大きな数をまだ知らなくても、どんな風に数が大きくなっていくかをなんとなく理解することができるような気がします。

そして、二進法であれば、それぞれの位には部屋がひとつしかないということで、ひとつ入ったらもういっぱいだから次の位へ繰り上がるということなのだということも、十進法の仕組みを理解していれば、やはり小さい子でも理解できるのではないかなと、そんなことを思います。

そういう私自身はそんな風に意識したこともないまま子ども時代、学生時代を過ごしてしまったので、高校数学の二進法とかのあたりは意味があまりわからぬままやり過ごした気がします。
今やり直したらちゃんと理解できるのかなぁ。

ただ、色々改めて気づくこと、意識することはあっても、それを形にするのはなかなか難しいものですね。
今の朝ドラのセリフではありませんが、諦めず「地道にコツコツ」ですね。

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2015年5月18日 (月)

オフでしたので。

今日も極めて非生産的な1日を過ごしてしまいまして、これといって書くこともなく…。
そういうわけで今日は形だけの更新で…。

因みに、どうでもいいことですが、ひと月近く前から両肩が斜め後ろに手を伸ばしたり、服を脱ごうとしたりと、何かの拍子にかなりの痛みが…という状態に陥り、もしやこれは…と恐れつつもしばらく様子を見ていたのですが、治まる気配がなく、先週覚悟を決めて整形外科へ。するとやはり…「四十肩(五十肩?)」との診断が…。(汗)
不幸中の幸いで、まだ程度は軽いようで、お医者に行って、これまでに3回リハビリにも行って、当初よりはマシになってきましたが、健康って大事だなぁと、こういうことがあると改めて感じますね。
何かの拍子に腕に激痛が走ると、怖くて動かしたくなくなりますし、ますます不精になってしまいますから…。
幸い、レッスンをする分には支障ないので助かりますが、早く完治してもらいたいものです…。

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2015年5月17日 (日)

5月も折り返し

連休もあったのであっという間に5月も折り返しですね。
今日はお休みの子がいたり、時間変更の子がいたり、欠席振替の子がいたりと、色々イレギュラーがありましたが、来てくれた子達はみんな、よく頑張ってくれました。

小学校の頃、5年の初めまで通ってくれて、中学受験をするということで一旦お別れし、中学入学が決まってからまた戻ってきてくれた子があっという間に中3になったのですが、中高一貫の男子高の理系のクラスということもあってか、とにかく授業の進度が速い。中2の3学期には既に高校数学の範囲に入っていたのですが、連休で1回、連休明けに体調不良で1回レッスンが抜けたところ、3週間ほどの間に数Ⅰの単元でいえば3つぐらい(数Ⅰの内容の展開、因数分解、一次不等式まで…。)進んでしまっていてもうびっくり!
ただ、そのあたりは恐らく得意だろうと、ざっと確認だけしたところ、やはり概ねできている様子で、これだけのスピードなのにみんなついていっているのかと、自分だったら絶対無理だっただろうし、何より、反復や暗記などテクニックだけで乗り切ってきた子達には辛くなる一方だろうなと、見ていて感じます。

幸いその子は受験塾の方法に馴染めぬまま受験を終え、ホントに受験塾行ってたの?というぐらい、公式などを覚えようとするよりは問題を読んだらとりあえず手が動き出して、どう解けばいいのか自分で試行錯誤するということが自然にできるので、見ていて羨ましく思うこともしばしばです。

さて、週明けはもう5月後半。このところすっかりぐずぐずのろのろしてしまっているので、気を締め直してがんばらなくては。

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2015年5月16日 (土)

やっぱり何か違う気がする

鉛筆のお話に続き、数日前ニュースで取り上げられていた電子教科書のお話。
既に電子黒板というものがかなり導入されているという報道に驚いたのですが、それに続いて電子教科書の導入を検討するというニュースを見ました。

もちろん、まだ検討段階の上に、紙の教科書も残して併用というような感じを考えているような話でしたが、電子教科書を導入するメリットを話しておられた先生が、紙の教科書に書き込むと、共有するのが大変だけど電子教科書なら簡単に一瞬で全員に共有できるとか、その子の考えを前に出て書いてもらうとなるとその間他の子はじっと待っていなくてはならないから時間が無駄になるとか、そんなお話をしておられました。

何となく正しいことを言っているように思えますが、私は個人的になんだかすっきりしないのです。
筆圧が弱くなっているとか缶の蓋が開けられないとか、そういうのは、外遊びがしづらくなったというような環境的要因もあるにしろ、便利な生活、子どもが困っていると周囲の大人が手厚くフォローできるような環境によって起きてきた変化なのではないかとも思います。

私は昔は野生児で、休み時間も放課後も男の子達と運動場をかけずり回って遊んでいたような子どもでしたが、大人になってからは全く運動もしなくなり、ここ数年はどんどん引きこもって出不精になる一方。時々冗談で「足が退化する」とか言っていますが、それはあながち冗談ではないというか、足だけでなく、使わないところは全部衰えていっているのは間違いありません。

それが小さい頃から便利な生活に慣れてしまって、本来面倒だったはずのことをせずに済んでしまう環境で育てば、身体機能の色々な面で弱いところが出てきてしまうのではないかと。
それと同様に、例えば、教科書にペンなどで書き込むと消すのが難しく、見づらくなるとかいう意見があったとして、簡単に線を引いたり、消して訂正したりできる「便利でキレイ」な教科書で勉強したものの方が優れているとは到底思えないのです。

試行錯誤をしたり、書いたものを残したまま更に書き込んだりすることで、確かに見づらくはなるかもしれませんが、より記憶に残りやすくなるはずですし、極論すれば「試行錯誤」より大事な学びなんてないのかもしれないとさえ思うのです。

個人的には辞典も、少なくとも小中学生の間ぐらいは、紙の辞典を使う方がいいのではと思うのですが…。
電子教科書、今後どんな方向で話が進んでいくのか、これもまた気になるところです。

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2015年5月15日 (金)

気になる話題

最近、スポーツ観戦をしていないときは大抵某国営放送にチャンネルを合わせっぱなしなので、帰宅後にやっている番組は何となく見ることがあるのですが、先日「羽衣チョーク」について取り上げていた番組が今回、鉛筆について取り上げるようだったので見てみました。

すると、最近文具売り場でHBの鉛筆が姿を消しているというところから話が始まり、学校でも最近はHBの鉛筆を使用禁止(Bや2Bなどの濃いものを使うようにとのこと)しているところも少なくないとか、そこからの展開で、子ども達の中に筆圧が弱くて何を書いているか読めないような子達が毎年何人もいることからそういう措置を取るようになったという校長先生の話や、高学年の担任の先生で子ども達の書いているものを見て、「え?これHBとかで書いているんじゃないんですか?Bとか2Bでこの濃さなんですか?」というような驚きの反応を紹介したり、スクリューキャップの缶の蓋がなかなか開けられない子の話、そこから更に色々と気になる話題へと進んで行きました。

もちろん、ひとつの番組で限られた取材によるものという面もあると思いますから、全て鵜呑みにするのはどうかと思いますが、そう言われてみれば教室の子達も最近、濃い鉛筆を好む子が多く、私達が子どもの頃には高櫃の練習用だったはずの銀鉛筆を普段の算数の勉強などにも敢えて使うという子も珍しくありません。

もちろん、低学年のうちは柔らかめの鉛筆の方がというような配慮はあってもいいのかもしれませんが、筆圧が弱くて読めないから濃い鉛筆をという対応をしていたら、いつまで経ってもその子達は筆圧を強くすることはないでしょう。
記憶では、子どもというのはやたらと筆圧が強く、一度書くと消しゴムできれいに消すのが大変というような印象があるのですが、いつの間にそんなことになってしまったんだろと。

その番組では、ゲーム機などを使っていると特定の動きしかしないため、指先や手首などをうまくコントロールできない子達が増えているのだとか。
更には運動機能も衰えていて、しゃがめない子や体操座りの姿勢から手を使わずに立ち上がることができない子が年々増えていると。
番組に出てこられた整形外科の先生は、このままでは2、30年後には足腰が弱った子どもを親が介護する時代が来るのではないかと恐れておられました。

世の中がどんどん便利になり、その分面倒なこと、力のいることをする機会は大人でもかなり減ってしまいました。
しかし、発達途上の子ども達には体の色々な部位をしっかり使わせることは長い人生でとてもとても大事なことなのではないかと思います。
自分には子どもがいませんが、その番組を見ながら、なんだかとても不安になりました。

教室では子ども達に敢えて回り道をさせたり試行錯誤をさせたりして頭をしっかり使ってもらうようには心がけていますが、結局それは体に関しても同じようなことが大事ということなんだろうなと、そんなことを感じました。

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2015年5月14日 (木)

よいお天気なりました。

今日は台風一過で本当に気持ちのよいいいお天気になりましたね。
ただ、昨日のレッスンを今日にいくつか振り替えたこともあり、今日は14時半から20時半過ぎまで休憩なし、トイレにもいかずの6時間でした。

最初のレッスンの幼児さんは、普段はおうちの方が教室にいてくださるのですが、今日はご用があってその子を送り届けて一旦おうちに戻られることになりました。
「じゃあね、がんばってね」というお母さんに追いすがり、ドアに挟まりかけて呼び止めようとしたものの、諦めてしぶしぶ教室に。最初こそは少しブツブツグズグズ言っていましたが、程なくぐっと集中し、むしろ普段おうちの方がおられるときよりずっと真剣ないい顔をして問題に取り組んでくれ始めました。
おうちの方がいるとついつい甘えたくなって、自分でできることでも頼ろうとすることがあるので、これはいい機会かもと、お母様にゆっくり戻ってきてくださるようメールを差し上げたところ、レッスン終盤にようやく「ママ遅いなぁ、何してるんかな」と言ったものの、その後も集中が続き、お母様が戻ってこられるまでかなり頑張ってくれました。
本当にお母さんのことが大好きなんだなぁと感じると共に、時々はお母様に今日のように席を外しておいて頂くのもいいかもしれないと感じました。

次のレッスンでは連休の加減で2回お休みになっていた子が学校で体調を崩したので、おうちの方がお休みしたらと言ったのに行くと言っているので…と連絡を頂き、お話からすると熱があるとかではないようだったので、とりあえず来てもらって、しんどそうだった途中で終わろうかなと思っていました。
でも、結局体調は持ち直したようで時間いっぱい集中して頑張ってくれて、何より、体調が悪いのに、おまけにおうちの方が休んだら?と言っておられるにも関わらず、行くと言ってくれたのも本当にうれしくて幸せなことだなぁと思いました。

その後のレッスンの子達もきょうは概ねいい感じで頑張ってくれました。
きっとそのお蔭で6時間ぶっ通しでも頑張れたのではないかなと。みんなありがとう。
明日もいい1日になりますように。

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2015年5月13日 (水)

今日はよく降りましたね。

大型の台風の接近で夜遅くには風雨が強まるとの予報だったので、警報は出ていませんでしたが夕方以降のレッスンの予定だったご家庭にそれぞれご連絡させていただき、半数の子は明日にレッスンを振り替えさせてもらいました。
というわけで、今日は人数もレッスン数もいつもより少なめでしたが、来てくれた子達はそれぞれにがんばってくれました。

ただ、レッスンが始まって程なくどこかにはまり込んでしまった子は、そこから抜け出してもらうためにしている質問にも全く答えてくれず、かといって考えられている風もなく、何度か声をかけたり、質問を変えたりしたものの、ずっと自分の世界に入り込んだまま出てきてくれる気配なし…。
その子は普段のレッスンでもしばしばそんな状態になることがあり、その度あれこれ働きかけるぬのにほぼ無視されている状態で、なのに、レッスンが終わるとけろっと元通りになって、きちんと挨拶をして帰っていく、ちょっと不思議な子でもあります。
通ってくれるようになって3年経つというのにまだ掴めない、なかなか奥の深い子です。

また別のレッスンでは、算数でかなり苦戦した状態でうちに来てくれるようになり、もう少しで1年になる子と割り算をしていたのですが、教具を使ったり、絵を見たり、掛け算と絡めたプリントで学習をしたりと、色々して、それぞれ比較的スムーズにできるようになったので、普通の割り算だけのプリントを出した途端フリーズ。
ただ、大きな進歩とも言えるのですが、自分から「絵がないとちょっとわからない」と言えました。
絵というのは教具であるドットが並べられたもののことなのですが、その他にも色々な問題をクリアしてきていましたので、掛け算と割り算の関係には気付いたのだと思っていました。(敢えてこちらから言葉では説明しないようにしています。)
その後何度かやり取りをし、本人に気付いてもらえるよう働きかけたのですが、2年生のときに20までの引き算がかなりめちゃくちゃな状態で、しかし、やらなかったからできなかったというのとも少し違っていたらしいので、すぐにリンクしないとしても不思議ではないんだろうなと思い直しました。
何よりもその子が、学年の進度に合った内容をわずかとはいえ先に学習できるまでになったのは、ものすごい進歩なのは間違いありませんし、多少時間がかかっても本人が答えの出し方をきちんと昇華できるまではできる限り待ってみようと。
その子は少しずつ変化してきているものの、線がつながるまでにまだかなり時間がかかると同時に、繋がっていない段階では全くの想定外、突拍子もない答えが出てきたりすることも珍しくありません。九九は全て暗記できたようなのですが、そして、教室ではもちろん掛け算の意味も理解してもらえるようにレッスンもしたつもりなのですが、9が5回が「9×5」で計算できるということにすんなりリンクしません。そこで紙に9を5個書いてみたのですが、ひたすらに足し算をした上、答えを間違いました。その後何度もやり取りをして、少しずつ答えが出せるようになっていったものの、そして、答えを出す時には途中からは掛け算を使っているのでは?と思う様子もあったものの、それでも1問ずつ8を6個とか7を9個とか紙に書いてみて確かめるという作業を繰り返していました。
ここの段階で、掛け算すれば答えが出るということを言ってしまうのは簡単ですし、そうすればもっと速く答えを出せるようにはなるに違いありません。ただ、自ら気付いたわけではない場合、特にこれまでその子を見てきた印象だと、習ったことを覚えておくのは多くの子と比較してもかなり苦手な方なのではとも感じるので、面倒な方法でも本人が自分で答えを出せる方法を今は優先することにしました。私が言わなくても、学校で割り算を習うときには、掛け算で答えを出したらいいと教えられてしまうかもしれませんから。

さて、今日はイレギュラーで早くレッスンが終わりましたが、その分明日がいつもより長丁場になります。
明日もどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年5月12日 (火)

オフでした。

そして、なんだかとても素敵な記事を見つけました。
天才少女の発明がカエルをU字溝から救う!?

今読みかけでの本で、まだ3分の1ほどしか読んでいないのですが、その本にも自分で考えること、悩むことで「脳力」が育つというようなことが書かれていましたが、このお嬢さんのカエルへの愛情も、そこに端を発した研究も発明も何もかもが本当に素晴らしいなと。
人から何かを教わって、その通りに再現するようなことばかり訓練していては決して身につかない力なんだろうなと、そんなことも感じたりしました。

明日は台風の影響が気になりますが、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。(もし風雨が強まるようでしたら、明日のレッスンの方に個別にご連絡差し上げます。)

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2015年5月11日 (月)

オフでしたので。

本日は更新お休みします。

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2015年5月10日 (日)

変わったなぁ。

1年生の頃は算数が苦手で、いつも苦しそうな顔をして頑張っていた子が学年が上がるにつれ、少しずつ変わり始め、このところの変化はかなりもののように感じていました。
笑顔も増え、算数が得意な子達でも悩むような問題をひょっこり解いてしまったり、何がきっかけだったのか、とにかく随分変わったなぁと。

そんなその子と今回のレッスンを始めたとき、最初に問題を聞いて答える課題があったのですが、読んでいると「うわ、すご!」とか、「え~、○○の方やと思った!」とか、少なくとも確実に問題文を頭の中でイメージしている反応が笑顔と共にかえってきました。
その姿を頼もしく、幸せな気持ちで眺めながら、本当に変わったなぁと感じました。

多分、少しではあるかもしれませんが、この子は算数が楽しくなったんだろうなと、その表情を見ていて思います。
まだ4年生ですから、小学生の間にどこまで変わるか、この先もますます楽しみです。

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2015年5月 9日 (土)

問題を読みとる力

通ってくれている子達の中には算数が苦手な子、苦戦している子もいます。
ただ、ひと言で苦手といっても、どんな風に苦手かは色々タイプがあるようにも思います。

そういう子のひとりとレッスンをしていたときに感じたのは、その子は問題を読みとる力、理解する力がかなり弱いということ。
理解するというと少し違うかもしれませんが、例えば問題文に書かれていることの意味自体がわからないことが少なからずあるのです。ただ、その問題の意味を説明して本人が理解できれば、問題自体を考えることはある程度できている。
これってどういう状態なのだろうと。

意味が分かればある程度考えられるのに、一般的に見て決して難しくはない問題文の理解にしばしば苦労を伴う。難しい言葉が使われているのならまだしも、普通の表現で、言葉自体が難しいわけでもないように感じるのですが、「これどういうこと?」と真剣に尋ねてくることがあり、それをその子が分かるまで色々な表現で説明すると、問題自体はそこそこ考えることができる。この際、私は問題自体の解き方などは一切言わなくても、ある程度考えられるのです。

こういうパターンはこれまで出会ってきた子達の中で結構珍しく、どういう状態なんだろうと考えています。
問われている問題の意味自体がわからないというのは、もしかすると算数ができないよりもっと、生きていく上で支障が出る場面が多くあるのではないかと思うだけに、何かできることはないだろうかと。

言葉を知らなくて問題の意味がわからない子であれば、語彙を増やす努力をしてもらうなどの方法もありますし、問題を読みとっていても解くことができない場合はその時点でその子の力がその問題を解くところまで達していないというようなことかもしれませんので、場合に応じて問題を変えるなりの対処もできます。
今回はまた少し新しいパターンなので、様子を見つつ、何か手立てがないか考え続けようと思います。

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2015年5月 8日 (金)

5がひとまとまり。

去年から通ってくれている、発達上少し困難を抱えた子がいます。
学校で本格的に勉強をし始める前に学校に行かなくなったそうで、算数の本当の最初から一緒にレッスンをさせてもらっているのですが、その子とレッスンをしていると、色々新鮮な気付きをもらうことがあります。

ゆっくりゆっくりながらもその子なりに確実に前進はしていて、最近は2ケタ×1ケタや3ケタ×1ケタなどの問題に取り組んでもらっています。
学ぶことに関して急かされたことがないのであろうその子は、自分がわかる方法でゆっくりしっかり考えます。
人によってはその姿はまどろっこしく見えるかもしれませんし、やり方を覚えさせて使えるようにした方がいいのではという意見もあるかもしれません。
ただ、その子は自分はきちんと理解できないと納得がいかない様子もあるので、その子のペースで納得いくよう取り組んでもらっています。

で、九九は学習はしたものの、とにかく暗記しなければという状況もなく、また、掛け算はどういうものかという意味は理解しているので、2ケタ×1ケタでも、3ケタ×1ケタでも、数を足していくという方法で答えを出すことができます。

ただ、足し算もペースはゆっくりで、手を使うこともありますし、かと思えば、え?なんですぐわかったの?とぱっと答えが出ることもあって、そういうのも面白いなぁと思うのですが、3ケタ×1ケタを考えていたその子の計算用紙を見ると、400、400、400…と、まず百の位の部分だけその回数書き出して答えを考えていました、少し経ってまた見ると、なぜか問題には出てきていないはずの「5」が掛ける数の回数分書かれていて、あれ?と思って用紙のその横に目をやると、これまた出てきていない「2」が同じ回数書かれていたのです。

ああ、そういうことか!と。
その子は「7」を「5」と「2」に分解していたのです。そして、ほかの問題も見てみると、5や50を超えるものは5といくつ、50と何十というように分けて考えているのです。

もちろん、それは私が教えたことではなく、その子自身がその考え方が分かりやすいということで使っている方法で、それを見てびっくりし、感動もしました。
そうなんですよね。確かに5が一つのまとまりで、人は5を超える数はぱっと見てすぐには分かりにくいので、そのために貨幣でも5円、50円、500円、5000円というのが作られたという話も聞いたことがあります。
でも、それをその子自身が自然にしている姿を見て、ああ、本当にそうなんだなぁと、そして、それに気づくその子はペースはゆっくりながらも、考える力はしっかり持っているんだなと、嬉しくなりました。

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2015年5月 7日 (木)

連休最終日

今日は夕方から出勤して、ずっと気になっていたものの手を付けていなかった不用品の整理やら、一部模様替え(?)やらをしたり、教材を作ったりしていました。
連休最終日はそれなりに仕事もしたので、社会復帰は問題なくできそうですが、そういえば、ここ3日、ほとんどしゃべっていないので、ちゃんと言葉が出るかどうか、それが些か不安です。(苦笑)

不用品の整理のうち、教室を始めた時からずっと使っていた掃除機とのお別れがあるのですが、教室を始めた当初、実は独立するつもりなどなかったのに、色々なことが重なって小さな部屋を借りることになり、しかし、その部屋の貸主さんの条件が、へぇ~、そんな条件もあるのか!と驚いたのですが、住居なのに「現況渡し」と、前に住んでいた方が出たままの状態での引き渡しとのこと。

その部屋の前の住人というのが多分大学生の男の子だったんだろうなという感じで、それはそれは凄まじい状態。掃除をして出ていったという話ではあったのですが、異臭はする、敷き込みのカーペットをコロコロで掃除するとそれはもう恐ろしい状態で、本当の最初に買った備品の一つがその掃除機でした。

その頃、色々なことがあって、辛かったこと、苦しかったことも多く、そんな中手探りで始まった教室の最初からずっと一緒だった掃除機ということもあって、ブラシ部分が割れても違うものを買って使い続け、そのうちとうとうハンドル部分に大きな亀裂が入ってしまっても、テープで補修して使い続けていたのですが、亀裂のせいで使っているとスイッチが何度も切れてしまったりして、さすがに潮時かなと。

といっても、新しい掃除機を買った直後、なぜかスイッチが切れることがほとんどなくなり、なんだか可哀想になってしばらく使い続けていました。
その掃除機とのお別れは自分でも驚くぐらい悲しくて、思わず涙が出てしまってびっくりしました…。(汗)
長い間本当にありがとう。

さて、連休明け。子ども達は好調でしょうか。お休みボケしたりしているでしょうか。
まあ、一番心配なのは自分の頭かもしれませんが。
明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年5月 6日 (水)

連休3日目

結局のろのろぐずぐずして、遅くなってから出勤し、やろうと思っていたことの半分も終わらぬままに帰路につくというう、なんとも中途半端な1日を過ごしてしまいました。
4日会った連休もあと1日。明日は絶対に終わらせねばならないこともあるので、ちゃんと活動しようと思っているものの、さて、どうなりますやら。

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2015年5月 5日 (火)

連休2日目

今日は出勤しようかと思っていたのですが、ついついぐずぐずしてしまい、結局衣替えをした以外何も生産的なことをせぬままに1日が終わってしまいました。
明日はちょっと仕事に出る予定です。

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2015年5月 4日 (月)

連休初日

土曜はレッスンでしたので、私にとっては連休の初日。
土曜はレッスンの後帰省してきていた友人たちと食事をして、帰宅後はいつものサッカー観戦三昧。
日曜も、多少家の片付けなどをした以外はぐずぐずのろのろと過ごしてしまいました。
まあ、連休もどこに行く予定もないんですけどね…。

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2015年5月 3日 (日)

ジレンマ

子ども達の中には算数が得意な子も苦手な子もいて、また、苦手でも何か得意なところがあったり、きらっと輝く瞬間が見えたりすることもあります。
自ら考えられる子になってもらいたいので、できる限り教えたり説明したりはせず、最低限、最小限の手助けだけをするように心がけていますが、その「最低限・最小限」が、子どもによっても違い、また、学習内容やその子のその日のコンディションなどによっても違うので、それがとても難しいところです。
今日のレッスンでも、そこそこベテランながら、算数は得意でもなく苦手でもなくという感じなんだろうなと(学校の算数では困ってはいないようですが)印象の子が、ある問題で行き詰っていたので、小出しで手助けをしたのですが、なかなか線がつながってくれず、かなりの部分を助けねばなりませんでした。
ただ、そこまで助けたのだから、類題は自力で解いてもらおうと思って黙って見ていると、また固まっていて、ほんの少し言葉を描けたら動き出したものの、さっきと全く同じ間違いをします。間違っているので声をかけざるを得ず、そのあとまた待っていると、またさっきの問題のときの間違いと同じ考え間違いをしている様子の答えを書きます。

それ以上言うと私がやり方を説明したのとほぼ変わらないような状態になるので、ねばれるところまでねばったものの、やはり繋がらず、再度手助けをしてから、さらなる類題を。
でも、それもすんなりいかなかったんですよね…。こういう場合、本来のこの子の能力ならできるはずだと思うだけに、保留にすべきなのか、ひたすらに待つべきなのか、それとも私の見立てが間違っていて、その問題はその子の能力では対応しきれない問題なのか、心の中であれこれ考えます。

レッスン時間の制限がなければ、延々考えてもらうこともできますが、送迎の関係や他の子の加減もあるので、それもある程度までしかできず、ジレンマを感じます。
まあ、子ども達はみんな違う個性なので、そうやって試行錯誤することは、何年経っても変わらないことなのかもしれませんね。

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2015年5月 2日 (土)

天才系

少し前から、算数のセンスはかなりあって、本人も算数には興味あり、ただ、ひとつのことへの集中がなかなか続かないという弱点を持っている子が来てくれています。
その日のコンディションによっては全くというほどはかどらない日もありますし、ほかの子がいても鼻歌や手遊びが出て、止められないこともあります。
でも、少なくとも算数に関しては、すごいなぁ、賢いなぁと思う場面にしばしば遭遇するのです。

今回のレッスンでは角度の学習の中の同位角や錯角、対頂角に関するものや、多角形の角の内角の和が何度になるかなどの問題が出てきました。
三角形の内角の和は180度になるということは既習だったので、まずは問題を考えてもらうことにして、プリントを渡しました。

すると、問題を指さして、「これはわかるけど、これはわからない(四角形の内角の和の問題はわかるけど、五角形はわからない)」と言いました。
なので、なぜ四角形はわかるのかを尋ねたところ、こんな説明がかえってきました。

「えっと、正方形は全部90度だから、90度が4個で360度。」

それはそれで目の付け所はすごいなと思ったものの、問題に書かれているのは不等辺の四角形。そこで敢えて「これ、正方形じゃないよ?」と言ってみたところ、予想外の答えが。

「あ~、そうやけど、三角形はどんな三角形でも180度になるから、四角形もどんな四角形も360度になるって考えました。」

!!!すごい!!!そこまできちんと考えていたとは!!

その後もその子は自分の考えをきちんと言葉にすることもでき、感心しきりでした。
これで集中力が伴なったらどれだけすごくなるんだろうと思ってしまうのですが、きっと集中するのが苦手なかわりに算数の能力に長けていたりするのかもしれないなぁと思ったりもします。

この子はこの先まだまだ色んなことで驚かせてくれるんだろうなと、なんだか楽しみです。

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2015年5月 1日 (金)

お休みでしたので

久しぶりに美容院に行って、その後出勤してゆるゆると教材作りなどをしていました。

美容院で、恐らく二十数年ぶりに「思い切った」ことをしたのですが、美容師さんがいうには、気づかない人もいると思うよと。「あれ?なんか雰囲気違うけど、なんやろ?」みたいな反応が来るかもとか。

自分にとってはそれなりに決心がいったのですが、確かに言われてみればそんなものかもしれません。
思い出すのが、塾講師時代、普段仕事のときはいつもメガネをかけているのですが、たまたま忘れた日があって、その日の授業だった中学生の子達が、正に「あれ?なんか感じ違う。なんやろ?」とかなんとか。そこで、「メガネ…。」と言ったら、何人もの子が「え?メガネかけとったっけ?」と言われたこと…。
その子達とは既に数年付き合いがあってのそれですから、どれだけメガネの印象薄いねん…と思ったものですが、それに比べたら、今回の変化は確かに気づかない方もおられそうな。

まあ、子ども達は何か変わっていても(私の外観のことに限らず、教室の模様替えをしていたりで比較的目立つ変化があっても)気づいていても何も言わない子も少なからずいるので、子ども達からの指摘はないのではないかと。
というわけで、金曜、土曜のレッスンで一体誰が指摘してくるかちょっと楽しみでもあり、不安でもあり…。

世の中は多くの方が既にゴールデンウィークに入っておられるようですが、私はあと2日は通常通りレッスンします。
と言っても、明日からもう5月ですね。早い!

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