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2015年2月25日 (水)

当たり前に思えることだけど。

子ども達とレッスンをしていると、しばしば当たり前と思っていることが当たり前ではないことに気づかされます。
もちろん、初めから知っていることなんてほとんどないことはわかっているつもりですが、生まれてから数年日々の暮らしを通して身につくことというものはたくさんあるのではないかとも思います。

ですが、子ども達の中には、え?と思うようなことがまだわかっていない子が時々いて、特に「言葉」については個人差が大きいように感じることがあります。
簡単な例でいえば、3年生や4年生になっているのに、未だに主語・述語の理解が曖昧な子は決して珍しくありません。

もちろん、主語がわかりにくい場合などもありますが、そういうことではなく、一般的な問題であっても平気で「~を」や「~に」など主語ではないものを選んでしまう子がいるのです。
述語は基本的に文のおしまいにありますので、そちらを先に見つけ、その主語は何かを考えてもらうように促しても、例えば「よろこんだ」が述語であれば、普通は主語は人間のはずです。(物語文などであれば動物や無生物も主語になることがありますが。)
にもかかわらず、「プレゼントに」などを主語に選んでしまう子がいて、そのたび「プレゼントって喜べるの?」などのようなツッコミを入れなくてはならなかったりします。
週1回のレッスンでは、なかなかそれが身につかない子もいて、もどかしく感じることも少なくありません。

ただ、こういうことは普段の暮らしで話し方を意識しているかどうか、本を読み聞かせたり、自ら読んだりしているかどうか、そういうことでも大きな差がついてくるように思います。

以前にも何度か書いていますが、私の母は私が子どもの頃、単語だけで用件を伝えると「がどうしたの?」というような感じで最後まできちんと言わなければ言うことを聞いてくれなかったり、言葉遣いが間違っているときちんと言い直しさせたりということをする人でした。
その頃はめんどくさいなぁ、鬱陶しいなぁと感じていましたが、そういうことも大事なんだなと、今になって思います。

例えば、日常生活で当たり前に使っている話し言葉で国語的に正しくないものが色々あると思います。
また、方言など、その地方特有の言い回しで、やはり国語の答えとして使うには正しくないものなどもあります。
子どもはそれを指摘されなければ、それが正しいのだと思ってしまうかもしれません。

国語の教材文として扱われることもありますが、例えば「ほかす」は「捨てる」の意味の関西弁ですが、それを聞いた関東の人が「保管する」のだと思ったというような話があります。
普段、関西圏で暮らしている人が「これ、ほかしといて」と言ってももちろん構わないと思います。ただ、相手が子どもの場合、自分が使っているのは「国語辞典に載っている言葉」かどうかを知っている必要はあるのではないかと思うのです。
「『ほかす』は別の言い方だとなんていうか知ってる?」と尋ねて「捨てる」などと答えられるのであれば、普段は「ほかす」でもいいでしょう。でも、それを大人が意識させなければ、ずっと気づかないままということもあるはずです。

それは一例ですが、国語が苦手な子であれば特に、普段の生活での言葉をもっと意識させるよう働きかけることは大事なことではないでしょうか。

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