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2015年2月28日 (土)

しっかり考えられる子に。

この頃のニュースを見聞きしたり、子ども達とレッスンをしている中で改めて感じるのは、これからの世の中「知識を詰め込む勉強」や「テクニックを覚えて対処する方法」などはどんどん役に立たなくなっていくだろうし、そういうことにばかり重きを置いていると、ますます理解不能な猟奇的事件が増えていくのではないかと(少し大袈裟かもしれませんが。)いうことです。

これまで、勉強というと、教えられたことを覚えてそれを使うということを普通だと思ってきたところがあります。
少し前までは確かに何か調べるとなれば辞典や図鑑などを調べたり、人に聞いたりするのが中心でしたから、調べられることも限られており、そういう意味では知識の蓄積も大事で、たくさんのことを知っている人が賢いと思われてきたのだと思います。

もちろん、確かにたくさんのことを知っている人は賢いには違いありませんが、その知識というのが、例えばインターネットを使えばすぐ調べられるようなことであれば、極端にいえば忘れてしまっても構わなくなっていくでしょう。

例えば、漢字をものすごくたくさん覚えている子がいたとして、「つとめる」と入力して「務める」「努める」「勤める」と並んだとき、そこで必要になるのはどの場合にどの漢字を用いるか判断する力でしょう。
そうなると、それぞれの漢字の意味を理解している必要があったり、色々な言葉を知っている必要があったりしますし、また、それも細切れの知識ではなく、つながりを持った知識である必要があるだろうと思います。

そういう意味でも、やはり子ども達には小さいうちに「じっくりしっかり考えること」を当たり前だと思えるようになってほしいと思います。
もちろん、機械的に覚えるべきこともあるでしょう。数字やひらがな、カタカナなどは意味を考えて覚えることはできませんし、そういう、まずとにかく覚えるというものは一定量あるとしても、考えられるものはきちんと考える習慣を身につけることが、これから大きくなり、社会に出ていくためにとても重要になるように思います。

まだまだ子どもの勉強は「教えられたことを覚えて使う」というところに重きが置かれているように思いますが、学校などでもできるところから少しずつでも意識を変えていってもらえたらなと願います。

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2015年2月27日 (金)

やり切れない気持ちになります。

数日前に起きてしまった川崎での悲しい事件。
断片的に伝えられるニュースなどの情報を見るにつけ、なんともやり切れない気持ちになります。

詳しい情報は伝わってきませんし、それを知ったからといって亡くなった少年が戻ってくるわけではありませんから、こういう話題には触れないほうがいいのかもしれません。

ただ、早い段階から、殺されるかもしれないとLINEで聞いていた友人の話が出たり、高校生たちに殴られてひどいあざができたり、顔がパンパンに腫れていたりというのを見ていた友人や知人が複数いたらしいという話が出たり、何より本人が暴力を振るわれていることや、命の危険を感じていることを周囲に発信もしていたというのに、こんなことになってしまったことがどうにもやりきれません。

子どもの世界は狭いですから、それに、複数の人間から暴力を振るわれると、自分の力ではどうにもならないと思ってしまって、逃げ出したり、大人に助けを求めたりということができないということもあるかもしれません。
それでも、顔がパンパンに腫れるほど殴られ、あざができて、すぐに元に戻るわけではありませんから、それを見た大人の人は絶対にいたはずです。

そして、捕まった少年のひとりは逮捕時点で弁護士同伴だったそうですから、それは間違いなくその子の保護者が動いたということでしょう。

どういう背景があるのかはわかりません。
そして、たとえどんな背景があろうとも、人の命を奪うことが許されるはずはありません。

今回の事件も加害者がみんな未成年であれば、少年法によって裁かれ、軽い罪で終わってしまうのかもしれませんし、もしかすると、そういうこともわかっていての犯行なのかもしれません。(全て推測でしかありませんが。)

それでも、子は勝手に育つわけではありませんから、そんな残忍な犯行を、恐らくさほどの罪悪感も感じずにしてしまったのではないかと思われるその子たちが、どんなふうに育ってきたのか、そのことも気になります。

そしてまた思い出すのが、脳がある程度出来上がるまでの子どもの頃に残忍な映像なりを見てしまうと、脳はそれを善とも悪とも判断できず、場合によっては、人を傷つけたり、命を奪ったりすることが悪いことだという意識もないままにそういう行動に及んでしまうことがあるという話です。

例えばですが、保護者の方たちが特に意識せず見ていたニュース映像で、戦争やその他の残虐な事件の映像が流れ、それを子どもが一緒に見ていたとしたら、多くの大人はそれが子どもに悪影響を与える可能性があるということを知らないのではないかと思うのです。

そして、最近ではかなりリアリティーのある映像を使ったゲームなども数多くあり、子どもの頃からそういうものにあまり制限なく触れている子たちも増えているのではないかとも思います。

今回の事件の背景はわかりませんが、例えば、保護者の方がお仕事などで忙しく、お子さんはひとり、または子ども達だけでお留守番をしているような場合、寂しい思いをさせているからなどの気持ちから、子どもがほしがるものをあれこれ与えてしまうこともあるかもしれません。その中に保護者は内容を把握していない暴力的なゲームなどがあったり、インターネット環境を自由に使えるのであれば、子ども自らそういうものを探して遊ぶこともできるかもしれません。
保護者の方が与えなかったとしても、そういうものを持っている自分より年上の子たちと一緒に遊ぶ機会などがあれば、やはり保護者の知らないうちに幼い子どもが残忍な映像などを目にしていることもあるかもしれません。

もちろん、そういうもの全てを管理し、制限することは難しいでしょう。
でも、やはり私たちは子どもに命の大切さを伝えなければなりませんし、人を傷つけたり命を奪ったりしてはいけないのだと教えなければなりません。

更に、ご自分のお子さんについてはきちんとそういうことにも心を配っておられるとしても、あるとき突然被害者になる可能性は誰にでもあるのですから、やはり、社会全体でもっともっと考えていかねばならないことがあるのではないかと思うのです…。

といっても、具体的に何ができるのかは自分でもまだよくわかりません。
私には子どもがいませんが、これからも考えていかなくてはと思います。

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2015年2月26日 (木)

これからが楽しみ。

先日から一緒にレッスンさせてもらうようになった年長さんとのレッスンがありました。
可愛いお嬢さんなのですが、女の子にしては比較的珍しい、図形などもお得意の様子です。

前回までは机の下で指が動いていることがあったり、10までの数を絵を見てぱっと答えるものも、絵をひとつひとつ数えようとして、短い時間で全体を見られず何度も「見てなかった!」などと言って見せ直しを求めてきたりしていたのですが、今回のレッスンでは少しランダムに並んだ「7個」のものを一瞬で見極め、違う並び方の「7個」も迷わず答えを書き、どう見てもひとつひとつ数えているのではない反応になりました。

10までの計算も指を動かそうとするのではなく、頭の中で思い浮かべている、例の少し斜め上を見上げるような仕草で考え、問題によってはすごい速さで答えが出、多少時間がかかるものも指で数えているのではないのがはっきりと伝わってきました。

反応を見ていると、この子ならできるかもと思い、初めの方の段階に1枚だけひょっこり登場する「2倍、3倍」という考え方を使う問題をしてみることにして、「難しいから、もしわからなかったらまた今度にするからね。」と前置きしてから、積み木を使って「2倍、3倍」がどういうことか見せていきました。
すると、あっという間に意味を理解して、4個の積み木の3倍、12個もあっさり並べることができました。

言葉では説明せず、積み木を並べて見せただけで本人が理解したので、恐らくこの先4倍、5倍ということを考える際もすんなり理解できるんだろうと思います。

前回からの1週間で何があったの?というほどの変わりようにびっくりしましたが、図形が得意、指先がしっかり使えるというのは、算数が得意になる可能性がかなり大きいので、これからがとても楽しみです。

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2015年2月25日 (水)

当たり前に思えることだけど。

子ども達とレッスンをしていると、しばしば当たり前と思っていることが当たり前ではないことに気づかされます。
もちろん、初めから知っていることなんてほとんどないことはわかっているつもりですが、生まれてから数年日々の暮らしを通して身につくことというものはたくさんあるのではないかとも思います。

ですが、子ども達の中には、え?と思うようなことがまだわかっていない子が時々いて、特に「言葉」については個人差が大きいように感じることがあります。
簡単な例でいえば、3年生や4年生になっているのに、未だに主語・述語の理解が曖昧な子は決して珍しくありません。

もちろん、主語がわかりにくい場合などもありますが、そういうことではなく、一般的な問題であっても平気で「~を」や「~に」など主語ではないものを選んでしまう子がいるのです。
述語は基本的に文のおしまいにありますので、そちらを先に見つけ、その主語は何かを考えてもらうように促しても、例えば「よろこんだ」が述語であれば、普通は主語は人間のはずです。(物語文などであれば動物や無生物も主語になることがありますが。)
にもかかわらず、「プレゼントに」などを主語に選んでしまう子がいて、そのたび「プレゼントって喜べるの?」などのようなツッコミを入れなくてはならなかったりします。
週1回のレッスンでは、なかなかそれが身につかない子もいて、もどかしく感じることも少なくありません。

ただ、こういうことは普段の暮らしで話し方を意識しているかどうか、本を読み聞かせたり、自ら読んだりしているかどうか、そういうことでも大きな差がついてくるように思います。

以前にも何度か書いていますが、私の母は私が子どもの頃、単語だけで用件を伝えると「がどうしたの?」というような感じで最後まできちんと言わなければ言うことを聞いてくれなかったり、言葉遣いが間違っているときちんと言い直しさせたりということをする人でした。
その頃はめんどくさいなぁ、鬱陶しいなぁと感じていましたが、そういうことも大事なんだなと、今になって思います。

例えば、日常生活で当たり前に使っている話し言葉で国語的に正しくないものが色々あると思います。
また、方言など、その地方特有の言い回しで、やはり国語の答えとして使うには正しくないものなどもあります。
子どもはそれを指摘されなければ、それが正しいのだと思ってしまうかもしれません。

国語の教材文として扱われることもありますが、例えば「ほかす」は「捨てる」の意味の関西弁ですが、それを聞いた関東の人が「保管する」のだと思ったというような話があります。
普段、関西圏で暮らしている人が「これ、ほかしといて」と言ってももちろん構わないと思います。ただ、相手が子どもの場合、自分が使っているのは「国語辞典に載っている言葉」かどうかを知っている必要はあるのではないかと思うのです。
「『ほかす』は別の言い方だとなんていうか知ってる?」と尋ねて「捨てる」などと答えられるのであれば、普段は「ほかす」でもいいでしょう。でも、それを大人が意識させなければ、ずっと気づかないままということもあるはずです。

それは一例ですが、国語が苦手な子であれば特に、普段の生活での言葉をもっと意識させるよう働きかけることは大事なことではないでしょうか。

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2015年2月24日 (火)

結局…。

今日は少しの家事、掃除と少しの読書をした以外は特に何をするでもなく過ごしてしまいました…。
もともとは振替レッスンが入る予定だったので、そのまま出勤して仕事をするつもりが、予定が変更になってレッスンがなくなってしまったところでついつい…。

毎週オフのたびに同じようなことを言っている自分にはほとほと呆れているのですが、どうも成長しません…。
明日からまた1週間、子ども達のいい顔を見られるようがんばります。

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2015年2月23日 (月)

今日はまたダラダラな1日。

というわけで、全く生産的活動をせぬまま過ぎてしまいました…。
ダラダラし過ぎて夜遅くから偏頭痛が…。
明日(月曜)はちゃんと生産的活動もしようと思います。

本日はこれにて。

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2015年2月22日 (日)

確定申告ひとまず完了。

今回こそは受付開始までにばっちり仕上げて税理士さんに見て頂くつもりが、お尻に火がつかないとやれない性分が災いし、結局土曜の午前中にようやく持っていくことができました。

しかし、確認したいことがあって昨年税理士さんにお送りしたメールを見直してみたところ、昨年はもっとずれ込んで3月になってから仕上がったようで、それからすれば今年は少しは早かったんだなと…。(苦笑)

税理士さんのところに行った後レッスンだったのですが、みんな真面目に一所懸命取り組んでくれました。

少し面白かったのが、春から1年生になる新人さんと前回は5までの足し算を一緒にし、それはスイスイ解けていたので、今回は5までの引き算を学習することにしたところ、足し算と打って変わってなかなかすんなりといかないのです。

もちろん最初はおはじきなどを使ってやりとりをし、それはすらすらできるようになってからのプリントだったのですが、引き算の答えが元の数のまま(1つも少なくなっていない)という間違いを何度も連発し、そのたび教具などで確認し、それでもやっぱりすんなりとはいかず…。

その子は少なくとも5までは、見たらすぐ答えられるようになっており、足し算は全く問題なくスラスラ解いていたので、この反応は予想外でした。

ほとんどの子が足し算に比べると引き算は苦手だったり、嫌いだったりするのは知っていますが、これはやはりなんというか、遺伝子レベルで「減る」ということに抵抗があるとか、そういうことがあるのかもしれないなと、そんなことを思ってしまうような出来事でした。

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2015年2月21日 (土)

確かな進歩

ゆっくりゆっくりではあるものの、全く真っ白の状態から一緒にレッスンさせてもらって、1年ほどで随分色んなことができるようになった子がいます。

その子とひと月ほど前から掛け算をしているのですが、初めのうちは少し戸惑いがあったり、意味は分かったようなのに途中で混乱しているようだったり、かける数とかけられる数を反対にしても答えは同じであるということを教具を見せながら説明しても、それはどうも今一つピンとこないようだったり、色々な反応を見せながらレッスンを重ねてきました。

足し算引き算もその子なりに指を使って考える方法で落ち着いているようで、それがその子には安心するようなので、無理に変えさせてはいないのですが、そういう方法なので答えが出るのにはやはりやや時間がかかります。
それなのに、まだ九九を全く知らないその子と今回レッスンをしたところ、問題によってはものすごい速さで答えを書くことができるものがあり、それも、単に「1」や「2」が関係しているものに限定しているわけでもなくて、見ていてなんだか不思議な気分になりました。

でも、その子の穏やかな表情を見ていると、どうしてなのかはわからないものの、その子なりにとてもすんなり理解できる計算があるということなんだろうなと。
何度か回を重ねるうち、掛け算というのがどういうものなのかは随分わかってきたようで、その安心感もあるのかもしれませんが、思った以上にスムーズにできているので、見ていてまた嬉しくなりました。

こうしてひとつひとつ確かに進歩しているんだなと、できることを静かに喜んでいるようなその子の表情を見て、今日もまた幸せな気持ちになれました。

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2015年2月20日 (金)

どんよりな日

今日は遅めの時間のレッスンの子たちがみんななぜか眠そうでどんより。
がんばろうとしているのは伝わってくるものの、頭がどうにも働いていないような感じで、眠そうにしているのを見つけては声をかけ、ふと別の子を見ると今度はその子が眠そうにしており…と、そんな状態のままほぼ1時間。
学年もバラバラの3人の子が一度にこうなるのはかなり珍しいことなので、一体何事??と、なんとも不思議な気持ちでした。

というわけで、ラストのレッスンがそんな状態だったため、私もすっきりしない気分での終了となってしまいました。
明日はみんな好調でありますように。
でも、なぜ冬のなんでもない平日の日に揃いも揃ってみんな眠かったんだろう…。

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2015年2月19日 (木)

がんばりの成果だといいな。

小学校高学年の時点でよその塾から移ってきた子が中3の受験生になっています。
当初、算数に関して、公式に当てはめて解いているだけという感じがするとのことで来てくれることになったその子は、今では数学は好きな教科になっているそうですが、その一方で国語の読み取りが新たな悩みの種になってきてもいました。

自分が小中学校時代には国語で苦労した記憶がないので、どうしてここにこう書いてあるのに全く違うことを書くのかな?というように感じることも少なからずあったりもして、見ていると語彙量も明らかに不足しているようでもありました。
教室では主に数学を一緒にしているので国語は少ししかできない上、週に1回少しの時間やったところで飛躍的に読解力をつけられるような力は残念ながら私にはなく、語彙を増やすことの重要性を何度も話し、知らない言葉があったら調べるようにというようなことは折に触れ言ってはきました。

ですが、秋を過ぎてもやはり読解になると、う~ん…と感じるような状態で、ここまで来たら他の得意な教科をより伸ばす努力をする方がいいんじゃないかとも思っていました。
ただ、本人が国語に力を入れて取り組んでいるとおうちの方から聞いていたので、国語ができることのマイナスはないわけですし、様子を見ていました。

すると、今回のレッスンで模擬試験の国語の記述の問題が、ほとんど全ていいところまで書けていたのです。
抜き出しではなく、読みとって書かねばならない問題で、恐らく配点の8割はもらえるだろうというものや、マルがもらえるのではないかというもの、部分点だとしても意味はつかめているなとはっきり感じられるものという感じで、頓珍漢な答えは1問もありませんでした。

公立入試まであと1月足らずになりましたが、ここにきていよいよ本人のがんばりが実を結び始めたのかもしれません。
真面目な子なので、なんとか本人の希望の進路に進めるように願っています。

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2015年2月18日 (水)

もしかしたら。

今日のレッスンで、もしかしたらひとつハードルを越えたのかも!と思える出来事がありました。
その子とは夏頃から一緒にレッスンをさせてもらっていますが、数の感覚がなかなか身につかなかったり、うちに来てくれるまでにも何度もやっているはずの「引き算のルール」自体の理解も怪しく、教具などを使って確認をしても、いざ数式だけのプリントになると、十の位は左から右を引くのに、一の位は繰り下がるときには右から左を引いてしまうとか、引かずにそのまま書いてしまうとか、なかなか苦戦が続いていました。

学年からしてもおさらいの内容であっても、意味が今一つわかっていないみたいだなと感じることも多く、もしかしたら何か困難があるのだろうかと、そんなことも時々頭をよぎったりもしました。
それでも、当初はめちゃくちゃだったことができるようになってきたり、計算もゆっくりながら進歩しているのを感じる瞬間があったり、まだ低学年だから、変わってくれるのではと期待を持ってレッスンをしていました。

そして今日、これまでは当初はほぼ全滅、何度か繰り返すうち、正解率は上がってきたものの確実にはならずという問題がおさらいでまた出てきました。
「大きい、小さいに気を付けて、よーく考えてね」と言って渡すと、穏やかな表情で問題に向き合い、スピードは速くはなかったものの、ふと見ると6問全問正解していました。

少し驚きながらもとても嬉しくて、「おお!全問正解やん!やるやん!」というと、本人も嬉しそうで、「その調子でがんばって!」と次の問題を渡しても、これまでならもっと手こずりそうなものを少しの説明だけで意味を理解し、解き切ってくれました。

次、その次と、学習内容としては学年を考えるとおさらいなのですが、その子はこれまで確実には解けなかったもの、全くめちゃくちゃだったものなどを、その子なりにちゃんと考え、ひとつひとつクリアしていきます。
線分図でも文章題でも、これまでの反応より明らかにはっきりと確実な反応をしています。
そして、ほとんどが一度で正解なのです。

これだけ正解が続くことはめったにないので、本人もとても嬉しかったようで、ますますやる気になって、「よし、これも全問正解するぞ!」とか言いながら取り組んでくれました。

夏以来今日までの中で、恐らく最もたくさん、しっかりと自分で考えられたレッスンだったと思います。
これはもしかしたらいよいよ本格的に変わり始めたのかもしれません。
ちょっとワクワクしています。

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2015年2月17日 (火)

5割がた達成

今日もレッスンはお休みでしたが、自宅だと、コタツを出してからは尚更どうにもこうにも仕事机に向かう気になれず、ぐずぐずし続けてからの作業開始だったため、目標の半分ほどしか進まず…。

おまけに、年に1回の作業なので、領収書の入力以外にも細々と作業があるということに、作業をし始めてから気づき、当初想定していた以上の時間はかけたものの、それでも全体の5割程度しか終わりませんでした…。

まあ、申告受付期間はまだひと月近くありますので、そういう意味では大丈夫なのですが、税理士さんがお忙しい方なので、なるべく早くお届けすべきなんですよね…。明日こそは仕上げられるといいな…。

そんなこんなでもう2月も折り返して後半に入っていますが、火曜からまたどうぞよろしくお願い致します。

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2015年2月16日 (月)

オフでしたが・・・。

完全に自己嫌悪に陥るだけの休日になってしまいました…。
明日こそはがんばろう…。

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2015年2月15日 (日)

最初が大事。

子ども達とレッスンをする上で常に心がけていることのひとつは、イメージできていないことは極力具体物で実際に見せたり、触らせたりして、納得してもらうということです。

その昔、自分が中学生の頃、立体の切断がどうしてもよくわからず、立方体のA、B、H3つの頂点を通るように切断したら切断面はどうなるか…とかそういう類のもので、五角形や六角形になる場合があるのがどうにもイメージできず、(3点と言われたら三角形じゃないの?というような感じで…)しかし、その単元は比較的さらっと通り過ぎ、自分なりにカッターで消しゴムを切ったりしたものの、何となく苦手意識が残ったまま大人になりました。

大人になって子ども達とそういう問題を学ばねばならなくなったとき、子どもたちにも見せられるように発泡スチロールを用意したり(今ならメラミンスポンジがあるので切りやすくて助かっていますが、昔はまだそんなものがなく、出始めのメラミンスポンジは普通のスポンジの4、5倍ぐらいの値段がしていたりもしたので…)、家でお豆腐や大根を切ってみたり、そういうことを繰り返しているうち、苦手ながらも昔よりはイメージできるようになりました。

ですが、もしそういう作業を繰り返すことなく、ただ問題を繰り返し解いていたら、同じ問題が出た場合は「処理」できるようにはなるかもしれませんが、いつまで経っても考えられるようにはならなかっただろうと思いますし、わからないという子どもにも対処しようがなかったのではないかと思います。

教室で子ども達とレッスンをしていても、切り紙の問題や鏡に映ったらというような問題がすっと分からない子がいます。
であれば、何問かは実際に紙を折って切らせてみたり、鏡に映して確かめさせたりします。
すると、ほぼ例外なく、ほんの何問か一緒に確かめた後は、ペーパーの問題でもすっと考えられるようになります。

あるものを指定された方向から見たらどんな風に見えるかも、実際に色々な方向から見てどう見えるか確かめるということをしてもらうことで、「ああ、そうなのか」というような理解ができるように思います。

特に小さい子達とのレッスンでは、理屈で説明して納得させるというようなことはせず、何か使えるものはないかなと、しばしば教室の中できょろきょろ探したりもしますが、そうして実際に見せたら納得してもらえたというときは、とても嬉しく思います。

中学生の頃の自分のあのモヤモヤすっきりしない感じをできるだけさせないでいいよう、できる範囲でがんばっていきたいと思います。

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2015年2月14日 (土)

ゆっくりだけど着実な進歩

昨年途中から来てくれている、少し発達上の困難のある子がいます。
学校にはほぼ行っていないまま数年を過ごしたということで、本当の最初から一緒に算数や漢字をさせてもらっていて、いつも本当に見ていて感動するぐらい一所懸命取り組んでくれています。

ただ、恐らく数量感覚についてもやや困難があるのかもしれないなという感じで(もちろん、まだこれから大きく変わる可能性もあると思っていますが。)、ゆっくりゆっくり、足し算や引き算も指を使ったり、その子なりの考え方で少しずつ前進しています。

ですが、3桁や4桁の足し算や引き算になると、たとえ筆算をするとしても、なかなかその仕方が定着しないようで、教室でやった後宿題にしてもできずに持ってきたり、ほとんど間違った状態で持ってきたりということが何度もありました。

中でも、一緒にするとそのときにはできるようになるものの、「5000-1274」とかのように、きっちりした数から引いていく引き算が安定して正解を出すことがなかなかできず、桁の多い筆算などでは6ケタのうち1ケタとか2ケタとかだけ間違っているとか、いきなり一の位が9になっていて答えが1だけ違うとか、間違い方も時によってバラバラ。
う~ん、どうすればもっと混乱せずこの子なりに自信を持って解けるようになるんだろうと考えていました。

で、先日、そういえば、これならわかるかも…と「3000-1はいくつかわかる?」と尋ねると、少し考えて「2999。」と答えられたので、「あ、そうそう。じゃあ、1とったら2999になるからあといくつ取ったらいい?」と尋ねると、また少し考えて、でも自信を持って元々の引く数から1減らした数を答えてくれました。

最初に1減らすことさえできれば、あとは一切繰り下がりなどを考える必要なく、1から9までの範囲の引き算を考えるだけですから、そうなればその子はゆっくりではあってもちゃんと考えられるのです。
それをあるときのレッスンでしてからは、宿題に出ていても正しく考えられていることがプリントを見てわかり状態になり、不安そうな顔や自信なげな顔をすることもなくなりました。

またひとつ先に進んだなと、なんだか嬉しくなりました。

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2015年2月13日 (金)

テスト前の子どもみたいな…。

最近なんだかボケっぱなしで、更新したはずの記事がないなぁと思っていたら、読書ブログの方にあげてしまっていて、保護者の方が教えてくださるまで気づきませんでした…。
そして、幸いにも恩師の訃報は誤報で、お元気で生徒さんたちを指導しておられるとのこと。安心しました。

ところで、全くの余談続きですが、先日来、確定申告のための入力作業をしなければと、必要なものはほぼ整理して、後は入力するだけというところまでとっくに準備し、手を付けさえすれば何日もかかるような作業でないこともわかっており、にもかかわらず、どうしてなのかほかのことばかりしてしまうという…。

それも、単にダラダラ遊んでいるだけではなく、別の事務仕事をしたり、本を読んだりと多少は生産的なこともしているのに、どうしたことかいっこうにエンジンがかからず…。

ここ数日に至っては、教材のことであれこれアイデアがぼんやり浮かびかけては消え、また浮かんでを繰り返し、そっちに先に手を付けたい…とまだまだ現実逃避しようとしている始末…。

改行の時からお世話になっている税理士さんに申告の書類のチェックだけ毎年お願いしているので、本当にやらなくてはいけないんですけど…。

そんな自分なので、子どもが宿題をやりたがらなかったり、ちゃんとやらずに来たりしても、心のどこかでは気持ちはわかるよなぁ…と思ってしまう今日この頃です。

もう申告書類の受付が始まってしまうので、この週末こそはやらなければ…。
でも、もともとはこの作業そんなに嫌いではなかったはずなのになぁと、更に自己嫌悪に陥ってしまうのでした…。

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2015年2月12日 (木)

祝日でしたが。

今日は通常レッスンでした。
といっても、祝日だったのでいつもより早いスタートで、お休みのお子さんもおられたものの振替などもあって、そこそこしっかりばっちりのスケジュールでした。

学校がお休みだったので調子のよい子もいれば、このところいい感じだったのに今日はどうしたの?という子もいたりの1日でしたが、それぞれの子がその子なりにがんばってくれたと思います。

公立入試まであとひと月ほどになった中3さん達のレッスンもあったのですが、女の子で真面目な子達でも国語のこういう問題で間違うんだなぁとか感じる場面があり、数学が好きな子達が国語が好きではない場合が少なからずあるのも、今ひとつ理詰めで考えてもスッキリしないところや、問題に込められたメッセージなどを読みとらねばならないところなど、そういうのが原因だったりもするんだろうなと。

自分自身は小中学校の頃は国語は「漢字以外はほとんど勉強しなくてもいい教科」だったので大好きでしたが、結局は感覚的に何か掴んでいたということなのかもしれません。
学校で、先生によってはそういう指導もされるかもしれませんが、少なくとも自分は習った記憶がありませんし、国語の先生になっておられる方の多くは国語が得意だった方でしょうから、そこまで深く考えなくても小中学校の学習はクリアできていたため、意識したことがないなんてこともあるのかもしれません。

塾などではテクニックとして教えられることもあるようですが、例えば字数指定がある場合、「10字で」であれば10字ぴったりでなければなりませんが、「10字以内で」であれば10字ぴったりにならない場合が多く、ただ、5時で収まってしまうようなこともほぼありません。「10字前後で」となった場合には、今度は10を超えて11から13字ぐらいになる場合が多いはずです。

選択問題などでも「絶対」とか「必ず」とかそういう言葉が使われているものは不正解の場合が多いであるとか、抜き出し問題などに補足的に「記号も1文字とします」などの注意書きがある場合は、望まれる解答には記号が使われるはずだとか、そういう小さなコツのようなものが色々あります。

もちろん、全てに必ず当てはまるとは言えないものもありますし、問題の難易度が上がるほどその判断がつきづらくなっていったりもしますが、今書いたようなことでさえ知らない子は少なくありません。

国語を一緒にしている子達には折に触れそういうことも話していくのですが、テクニック的に扱われるこれらのことも、例えば出題者の側に立ってみれば想像できることも少なくありません。

本文からそっくり抜き出せるのであれば「抜き出しなさい」と出題する方が採点の際、正誤の判断が容易になります。5字で解答できるのであれば、わざわざマスを10個作って「10字以内で」とする場合はあまり多くはないでしょう。(なくはないので絶対ではありませんが。)

本文から適当な部分を抜き出すときに「初めと終わりの○文字を書きなさい」のような問題で、初めも終わりも切りの悪い半端な答えになることもあまりないので、初めか終わり少なくともどちらかは比較的きりがいい文字数を設定するために4文字だったり5文字だったり、抜き出す文字数が微妙に変わっているのだと思います。

そんなことを思えば、算数や数学が得意な子達でも、そういうところを理詰めで考えることはできるのではないかとも思えます。
なんだか国語の話になってしまいましたが、明日からもまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年2月11日 (水)

考えることはできているのに。

教室に来てくれている子達の中に何人か、算数が苦手、算数で苦戦しているという子がいます。
もちろん、レッスンではその子なりに一所懸命がんばってくれていますし、できるようになったことも色々あります。
ただ、何人か、単純な計算がずっとすんなりできるようにならない子達がいるのです。

塾に勤めていた頃には単純計算だけはできるけど、応用問題などになると完全にお手上げというような子達には何人も出会いましたし、計算に限らず算数全般、もしくは勉強全般に苦戦をしているという子にも出会いました。
ですが、今教室に来てくれている子達の中の数人はそれとは違い、ある程度考えることはできているし、ひとりの子は習った言葉などはかなりしっかり覚えていたりもしますし、図形などについての感覚も問題ないように感じます。
なのに、いつまで経っても、単純な計算で苦労していることが多いのです。

時計の目盛りはそれなりの速さで読めたり、見ただけで直角かどうかを判断したり、辺の長さが同じかどうかを判断したりということができても、計算になると、筆算を使ったとしてもなかなかスムーズにいかないというのは、これまでにはなかったパターンで、計算の「訓練」をさせるべきなのか、まだ様子を見るべきなのか、まだ低学年なので、成長に伴ってぐっと変わるときが来るのか、あれこれ考えます。

考えることができているのであれば、何らかのきっかけで計算ももっと楽にできるようになるような気がして、どんな方法があるのかと思いを巡らせています。

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2015年2月10日 (火)

恩師

結局は情報が間違っている可能性が出てきたので、間違っていてほしいと思っていますが、今日、高校時代の恩師が亡くなられたらしいという話が同級生から伝わってきました。

その先生は高1のときの担任で、ご担当は数学。
何があったか、環境の変化のせいか、まあ、確かに進度も学習内容も速かったのは否定しませんが、それにしても入学直後に数学で落ちこぼれ、日々の小テストでも常に0点。
数学が一番ひどかったものの、他の教科も進度は早いわ、宿題や予習すらこなしきれない日々に思い悩み、1学期の間に何度学校を辞めようかと思ったかわかりません。

ただ、真面目ではあったので、担任もそれはわかってくださっていたのでしょう。
0点を取り続ける私がたまに部分点で5点とか取っただけでも心から褒めてくださいました。
そんなことが続くうち、何が何でもこの先生の数学だけはできるようになりたいと、全く何も分からない状態からひたすらに問題に向き合い、解説を読み続け、答えを移し続け…そんなことを繰り返すうちに、あるとき突然解説の意味が理解でき、それをきっかけにそれ以前の内容も一気に理解できたということがあったのです。

それは今でも忘れられないことで、私自身、とにかくたったひとつ数学の片方だけをがんばり続けた結果、なぜか2学期には全教科の成績が上がったという思いがけない結果となりました。

あのとき、担任があの先生でなければ、私の人生は全く違ったものになったかもしれません。
あの先生には進路指導の際にも本当に感謝していることがあって、とにかく誤報であることを祈っているところです。

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2015年2月 9日 (月)

例によって…。

ぐだぐだのうちに日曜が過ぎ去ってしまいました…。

ぼちぼち確定申告の時期が迫ってきているので、本当にしなくてはいけないことがあるのですが、どうも追い込まれないと動き出せないたちで、結局今日も手をつけず…。

明日こそはある程度作業を進められるよう努力しようと思います。
オフでしたので本日はこれにて…。

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2015年2月 8日 (日)

きっととても貴重な瞬間。

小さい子達とレッスンをさせてもらっていると、その子がこれまでまだ理解していなかったことを知ってもらえる場面に出合うことがあります。

例えば、「~より大きくて~より小さい」などのように条件が2つある場合に、その間にあるもの全てが答えになるのだということがわからない段階があったり、「~よりいくつ多い・少ない」ということの意味がわからず、「5個より3個多い」のがいくつかと尋ねても「3個」と答えてしまうような段階があったり。

土曜のレッスンでは、それもこれまで何人も「まだ知らない」段階の子達とレッスンをさせてもらうことがありましたが、2つのものの数を比べていくつ違いか、どちらがいくつ多いか、少ないかという学習をする際、最初は知らなくて戸惑っていたその子と、積み木を使って何度かやりとりをしたところ、言葉であれこれ説明しなくても、その子なりに「ああ、そういうことか」と理解して、プリントの問題もスムーズに答えられるようになりました。

そういう場面に出くわすたび、成長すると、もう当たり前のように思ってしまうようなことも、知らない、わからないという段階があるもんなんだなと、改めて感じます。
そして、そんな貴重な瞬間に立ち会わせてもらえるのはとても幸せでありがたいことなんだなと。

真剣な表情だったり、ニコニコの笑顔だったりする小さい子達が、いつまでもそんな表情でレッスンに臨んでもらえるよう、私ももっとしっかりしないといけません。

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2015年2月 7日 (土)

ジレンマ

レッスンをしていると、時々かなりのジレンマに陥ることがあります。
何かを勘違いしているようだったり、ちょっとどこかにはまり込んでいるようだったりするときに、そこから抜け出してもらうためにあれこれ声掛けをしたり、手助けをしたりすることがありますが、どうにもこうにも戻ってきてくれず、もうこれは答えを言う以外助けられないよ…と思うような場合です。

それも多分子どもの性格などによるのだと思いますが、どこかにはまり込むと何を尋ねても黙り込んでしまうタイプの子は本当にどうすればそこから抜け出してもらえるのか、何年レッスンをしていてもなかなかいい方法が見つけられずにいます。

今日のレッスンでも完全にどこかにはまり込んだ子がいて、表情を見ていてもおかしくなっているのがわかったので、自分で口に出してもらうことで勘違いに気づいてもらおうと簡単な質問をしてもだんまり。
やや抽象的な考え方ができないと理解しづらい問題なのかもと思ったので、小さい子でもわかる問いかけに変えたのにだんまり。

そもそもはベン図の問題でクラスの生徒が35人、何も飼っていない生徒が7人、小鳥を飼っている生徒は20人、金魚を飼っている生徒は18人。つまり、両方飼っている生徒が10人というのを考えねばならなかったのですが、小鳥を飼っているのを20人と答えたので、まずはその20人は小鳥だけ飼っているわけではないということを確認。
円の外に7人いることも確認し、円の中に何人いるか尋ねたところ38人と答えるので、クラスの人数を尋ねると「35人」と。
なのに、いつまで経っても「38人」のおかしさに気づいてもらえません。
そこで、運動場にベン図の○をかいて、最初は全員○の中に入って、飼っていない人に○の外に出てもらったら○の中に何人残るかと尋ね直したのですが、これでも反応なし…。

こうなるとかなり状況は厳しくなるわけで…。
まあ、それでもどうにかこうにか最後は答えにたどり着いてもらったものの、少なくとも今日のその子の頭には運動場も35人の子どもも何もイメージが浮かんでいなかったんだろうなと…。

算数を一緒にレッスンしていると、イメージできる力は本当に大事だなとしばしば感じます。
それはきっと机上の訓練だけでどうにかなるものではなく、小さいうちにいろいろな実体験をすることもとても大事なことなのだろうと思っています。

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2015年2月 6日 (金)

確かにややこしいよね…。

小学校で習うことで、その後ほぼ出合うことがない単位に「デシリットル」がありますが、面積の単位の「アール・ヘクタール」もほとんどの人が出合うことがないのではないかと思います。

今でも忘れられないのですが、私は昔から丈夫なのが取り柄で滅多に学校を休むこともなかったのですが、小学4年のとき熱か何かで2、3日学校を休んだら、その間にアール・ヘクタールのあたりの学習が終わってしまっていて、その後長らく苦手意識を持つことになりました。

大人になってしまえば、平方メートルが1辺1メートル、1アールは1辺10メートル、1ヘクタールは1辺100メートル、1平方キロメートルは1辺1000メートルと、辺の長さは10倍ずつ、面積では100倍ずつになっていくので、むしろ分かりやすいぐらいではあるのですが、子どもにとっては単位が4つ、平方センチメートルも合わせれば5つも短期間に一気に単位が出てくる上、普段の生活でなじみがあるわけでもなく、平方センチメートルと平方メートルぐらいまでは教室で体感することができるとしても、10メートル四方、100メートル四方だと外に出ないと無理ですし、1000メートル四方になると目で見て感じることはほぼ不可能な広さですから、少なくない子が混乱するのでしょう。

今日のレッスンでその学習をした子がいたのですが、1平方メートルは実物大の紙を用意し、それ以上の面積は縮小して100倍ずつになっていく関係を見せて、その上で少しずつ進めていったものの、普段算数が得意な子にも関わらずかなりの苦戦っぷり。レッスン終盤には顔から完全に笑顔が消えて、目に力がなくなってしまいました…。

大きな面積について算数や数学で応用問題の中で単位換算が出題されるような場面は滅多にありませんから、アール・ヘクタールについては、ふ~ん、そんな単位もあるのか~ぐらいにやり過ごしても恐らく困ることはないようにも思いますが、苦手意識が残ってしまわないようしたいなとは思っています。

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2015年2月 5日 (木)

楽しいことは大事なこと

小さい子達とレッスンをさせてもらっているとひしひしと感じるのが、楽しいと感じられるかどうかで学習効果が全く違ってくるということです。
もちろんそれは大人でも言えることではあると思うのですが、ある程度成長してくると、ワクワクするような楽しさがなくても必要であれば取り組むことはある程度できるようになりますし、つらくてもそれをマスターせねばならないとなれば努力することもできるかとも思います。

そういう点で小さい子達はイヤなことになると全くやる気を見せてくれませんし(まあ、まだ就学前の子がイヤなことでも我慢してがんばろうとする姿もちょっとコワイような気もしますが…。)、難しそうと感じてしまったことは、本来できるだろうと思うようなことでも全くできなくなってしまったりもします。
それでも、たった今行き詰っていた問題でも、何かの拍子でけらけら笑って気持ちが明るくなると、ひょいっと解いてしまったりすることもあるのです。

勉強の場合、常に楽しいと思ってもらうことは難しいと思いますし、子どものその日のコンディションなどによって左右されることもありますが、小さい子ほどニコニコ笑顔でレッスンを受けてもらえる時間を少しでも長くしたいなと思います。

今日のレッスンでも、年長のお子さんがとてもとても楽しそうに問題に取り組んでくれていて、それを見ていたお母さまが問題を解くスピードに驚いておられました。
うちに来てくださるまでにもそういうプリントに取り組まれたことがあるそうですが、そんなに速くできたことがないとか。
ニコニコ楽しくレッスンをして、気持ちが前向きなので問題にも前向きに取り組めて、そうなればよくできるので、周りの大人から褒められたり驚かれたりしてますます嬉しくなる。
正に好循環ですよね。

楽しいことが行き過ぎて羽目を外してしまうとそれはじっくり考えることができなくなるので、その加減も難しいところなのですが、できる範囲で努力していきたいと思います。

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2015年2月 4日 (水)

節分

今日は節分。
しかし、今日もインフルエンザ罹患のお知らせがあって、お休みのお子さんが。
インフルエンザの大流行ののち、これが収まってきたら花粉症の時期になるんですよね…。
最近は子どもでも花粉症の子が少なくないので、そういう子たちは集中力が落ちる時期。見ていても可哀想になります。

という私も、かれこれ2週間近く鼻をぐずぐず言わせていて、最初は鼻風邪かと思ったものの、どうもこれは違うような気がすると。花粉症デビューはまだしていないので、このまま何事もなく治まってくれることを祈りたいと思います。

今日来てくれた子たちはまずまずいい感じだったものの、まだ2年生の子はこのところよく感じるのですが、集中が30~40分あたりで切れてしまうのかなと。
最初のうちは疲れていなければ結構考えられているなと感心することもあるのですが、終盤になってくるとできていたことまでできなくなることが少なくありません。
今日は遠足だったとのことで、それもあって余計だったのかもしれませんが、たった今の今までちゃんとできていたことが突然全くちんぷんかんぷんになり、1問正解にたどり着くまでに長い長い時間が…。(苦笑)
それでもなんとか諦めずがんばってくれたので、すっきりレッスンを終えることはできましたが。

小さい子達は様子を見ながら、たとえきりが悪くても、おかしくなってしまったらレッスン終盤の10~15分は完全に問題を切り替えることも考えなくてはいけませんね。

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2015年2月 3日 (火)

今更ですが…。

昨年春からコツコツ教材を作っています。
数年前、ある先生と算数パズルの問題を一緒に作らせてもらっていたことがあるのですが、その頃から他にも色々算数パズルや論理パズルの類のドリルなどが出版されたりして、書店でもよく目にするようになりました。

その中で、算数パズルといえば最初に名前が挙がるかもしれない先生が作っておられる計算ブロックなどの計算パズルは、考えるのは楽しいし計算の基礎は身につくし、それ以外にも試行錯誤したり、推理したり、俯瞰したりなど、色々な頭の使い方ができるようになる可能性も高いので、子ども達にはお勧めできると思いつつも、計算が全部1~9までの1桁の数の範囲なので、計算力をつけるという目的だとちょっと弱いよな…と、そこがずっと少し気になっていました。

ですが、本当に今更なのですが、よく考えたら足し算も引き算も掛け算も割り算も、たとえ桁が増えていったとしても、結局は0~9までの数を足したり引いたりかけたりという作業を繰り返しているんですね。
繰り下がりの引き算などの場合は最大18からの引き算をする必要があるということかもしれません。
ただそれすらも、例えば「8-9」のような場合に上の位から「10借りて(もらって)」きて「18-9」をすることになりますが、8から9は1引けないから、10から1をひくと考えれば、結局は10までの範囲の計算で収まってしまいます。

ということは、単純計算の計算ドリルなどを繰り返しさせるよりはやはり、計算ブロックなどの計算パズルをする方がよい面がたくさんありそうですね。

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2015年2月 2日 (月)

オフでしたので。

いつものようにTVでスポーツ観戦三昧。ごろごろぐずぐずのうちに1日が終わってしまいました。
明日は出勤して仕事もする予定です。
本日はこれにて。

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2015年2月 1日 (日)

1月もおしまい。

早いですね。
もう1月もおしまい。

1月は半ば過ぎごろから体調を崩してお休みする子が増えましたが、インフルエンザや風邪はまだしばらくは収まらないのでしょうか。

土曜は欠席振替の子がいたり、受験塾に行くことになって最後のレッスンだった子がいたり、連絡の行き違いで時間を間違ってきた子がいたりと、色々ありましたが、来てくれたみんな、よくがんばってくれました。

事務仕事はなかなか進みませんが、もう1月が終わってしまいました。
確定申告の書類も送られてきましたので、そろそろホントに作業に取り掛からないとマズイのですが…。

2月になったらもう少し自分にエンジン掛けられるようがんばりたいと思います。

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