しっかり考えられる子に。
この頃のニュースを見聞きしたり、子ども達とレッスンをしている中で改めて感じるのは、これからの世の中「知識を詰め込む勉強」や「テクニックを覚えて対処する方法」などはどんどん役に立たなくなっていくだろうし、そういうことにばかり重きを置いていると、ますます理解不能な猟奇的事件が増えていくのではないかと(少し大袈裟かもしれませんが。)いうことです。
これまで、勉強というと、教えられたことを覚えてそれを使うということを普通だと思ってきたところがあります。
少し前までは確かに何か調べるとなれば辞典や図鑑などを調べたり、人に聞いたりするのが中心でしたから、調べられることも限られており、そういう意味では知識の蓄積も大事で、たくさんのことを知っている人が賢いと思われてきたのだと思います。
もちろん、確かにたくさんのことを知っている人は賢いには違いありませんが、その知識というのが、例えばインターネットを使えばすぐ調べられるようなことであれば、極端にいえば忘れてしまっても構わなくなっていくでしょう。
例えば、漢字をものすごくたくさん覚えている子がいたとして、「つとめる」と入力して「務める」「努める」「勤める」と並んだとき、そこで必要になるのはどの場合にどの漢字を用いるか判断する力でしょう。
そうなると、それぞれの漢字の意味を理解している必要があったり、色々な言葉を知っている必要があったりしますし、また、それも細切れの知識ではなく、つながりを持った知識である必要があるだろうと思います。
そういう意味でも、やはり子ども達には小さいうちに「じっくりしっかり考えること」を当たり前だと思えるようになってほしいと思います。
もちろん、機械的に覚えるべきこともあるでしょう。数字やひらがな、カタカナなどは意味を考えて覚えることはできませんし、そういう、まずとにかく覚えるというものは一定量あるとしても、考えられるものはきちんと考える習慣を身につけることが、これから大きくなり、社会に出ていくためにとても重要になるように思います。
まだまだ子どもの勉強は「教えられたことを覚えて使う」というところに重きが置かれているように思いますが、学校などでもできるところから少しずつでも意識を変えていってもらえたらなと願います。
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