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2014年12月31日 (水)

大掃除と忘年会

30日は毎年恒例で幼馴染み達との忘年会ですので、それまでに大掃除を終わらせるつもりが、終わるどころか始まったかどうかぐらいの話で出かける時間になってしまいました。

忘年会はとても楽しく、みんな同学年なので、話題が物忘れだの、ぼちぼち更年期なのかだの、なんともいえない会話中心となりましたが、よい時間を過ごしました。

帰宅してもなかなかエンジンがかからず、明け方から少し本腰が入り、朝年内最後のゴミ出しをして、気づけばちょっとうとうと。
まだまだ終わっていないのに、全身じんわり筋肉痛で、更にペースダウンしております。

まあ、最低限やらねばと思っているところはあと小一時間で終わるはずなので、なんとか年は越せるかなぁ。
次更新するときは日付が変わって新年になっていそうですので、ひとまずご挨拶を。

皆さま今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えくださいませ。

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2014年12月30日 (火)

教室の大掃除

今日は教室のお掃除をしに出ていました。
3年ぶりに水回りだけは業者さんにお願いしたので、業者さんにして頂かないところを黙々と掃除。
誰かがいるとぐずぐずダラダラしないので、そういう意味でも業者さんにお願いして一石二鳥だったかもと思いましたが、帰られてからまだ思いがけず時間がかかり、結局6時間ぐらい掃除していました。
でも、特に変わり映えもせず、この達成感のなさは…という感じで。

とはいってもあちこちごしごし拭き掃除したもので、くたびれましたし、腕も既にやや筋肉痛で、帰ったら引き続き自宅の大掃除をする当初の予定は完全に崩れ去りました…。
これはまた今年も大晦日まで大掃除をしていそうな予感…。

まあ、そうは言っても教室は無事新年を迎えられそうです。
年内は今日が恐らく最後の出勤。
小さなしめ飾りを飾って帰ってきました。

今年も残すところあと2日。
どこまで掃除できるやら…。

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2014年12月29日 (月)

ああ・・・。

お休み初日は雨も降って、どうもエンジンかからず(まあいつものこと…)、窓ふきと壁や天井のはたきかけをしたぐらいで、ぐーたらしてしまいました…。
まだ28日という気持ち、更には29日に教室の大掃除をしてからという気持ちでますますぐずぐず…。
残り3日間で予定のどこまでやれるやら…。
がんばらねば。

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2014年12月28日 (日)

レッスン納め。

今年もなんとか無事にレッスンを納めることができました。
とはいっても、今日は午前中のレッスンの子にも午後からのレッスンの子にも、お熱でお休みの子が出てしまい、私も結局悪化はしなかったもののスッキリもしないままの今年最後のレッスンとなりました。

来てくれた子達はみんながんばっていましたし、比較的みんな順調だったように思います。
年末に気持ちよくレッスンを終えられてありがたいことです。

レッスンは夕方には終わりましたので、少し大掃除をするつもりが、体調がスッキリしないのと、先日あまりにも肩こりがひどくて何年かぶりにマッサージに行った揉み返しなのか、肩やらが筋肉痛?のような感じで、さあ張り切って大掃除だ!という気になれず、お掃除チェックリストを作っただけで、ほんの少ししか手をつけぬまま、今日のところは帰宅しました。

帰ってきても家でもぐずぐずしてしまいましたので、明日からの4日間、教室と自宅とどちらも無事に新年を迎えられるようなんとかせねば!

年末のご挨拶はまた改めて。

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2014年12月27日 (土)

今日は…。

もともと金曜はレッスンに来てくれる子が少ない日なのですが、今日は最初のレッスンの子が来てほどなく鼻をぐずぐずいわせ始め、それがどんどん悪化。真面目な子なのでかなり我慢してがんばったのだと思うのですが(無理だったら今日は終わりにするから言ってねと言っておいて、時々声もかけたもののがんばっていまして)、終了予定の10分ほど前にもう限界が来たようで本日は終了。

次のレッスンではおうちの方のご用の加減で時間に間に合わずひとりがお休み。
ちゃんと来てくれたもうひとりはかつてない不調ぶり。
今日でレッスン納めだったらちょっと私も凹んでしまいそうな1日でした。

相変わらず風邪っぽさは抜けず(と言っても咳も鼻も出ない、熱もないのですが)、明日でレッスン納め、その後は教室や自宅のお掃除が待っているというのに、体調不良を言い訳に帳手抜きをしてしまいそうな気配が…。

まずは明日、今年最後のレッスンをきてくれる子達と気持ちよく終えられますように。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2014年12月26日 (金)

日本語って難しい。

今日(木曜)のレッスンで、ある3年生さんと国語をしていたときのこと。
その子はとてもよく頑張っているので、学年を考えるとかなり骨のある問題にまで進んでいて、文章を読むだけでも骨が折れるのではと思うのですが、こちらが思うほどには苦労している風もなく取り組んでくれています。

しかし、記述問題になると、さすがにまだ低学年なので、本来望まれる解答には足りない、△しかもらえない答えというのが出てきます。
そんなとき、あれこれやりとりしながら考えてもらうのですが、今回のある問題で解答の中に具体的に「自分がどのようになってもよいと思っているのか」を書いてもらいたいものがありました。

その子の答えが「何度焼かれても構わない」というようなものだったのですが、その「焼かれても構わない」というのが具体的にどういうことなのか(自分が犠牲になっても構わないなどというようなこと)を書いてもらいたかったため、色々尋ねてやりとりを始めました。

そして、私が「どうなってもいいと思ってるの?」と尋ねたところ、「うん。」と答えました。
え?うん??あ!!

「ねえ、今の、私が答え言ったんじゃないよ?自分がどんな風になってもいいって思ってるの?」と尋ね直しても、「うん。」と…。(汗)

確かに、文字にしてしまえば、ある意味それが答えにもなりますよね…。

「自分がどうなってもいいと思っている。」

言い変えた「どんな風になってもいいと…」でも、同様に解釈することは可能ですから、困ってしまいました。(苦笑)
まあ、よくできる子なので、その後少し補足をして納得はしてくれましたが、日本語ってなかなか難しいなと思いました。

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2014年12月25日 (木)

いい兆し

今日(水曜)のレッスンでは、いくつかよい兆しが感じられました。
もともと算数のセンスが抜群でよくできる子は、今日はなぜかやや不調で、計算ミスをしたり、勘違いをしたりしていたり、別のいつも真面目でコツコツやってくれる子がレッスン終盤に突然どこかにはまり込んでしまったりということはあったのですが、通ってくれるようになって比較的まだ日が浅い子達で算数で苦戦している子達が、それぞれに「あ、なんかいい感じ?」と思わせてくれる瞬間があって、嬉しく感じました。

ひとりの子はほんの少し前までずっと、何度も何度も宿題にきちんと取り組むことの大事さや、勉強は自分のためにするのだということなどを話していたものの、なかなか取り組み姿勢が変わらず、当然思うように変化も見られずだったのが、突然これまでと表情まで代わり、レッスンでも少し楽しげに見えるぐらい前向きに取り組んでくれるようになったのです。
それは今回のレッスンでも続いていて、反応も速くなってきたように感じました。

別の子は、新人さんには少なからずある、じっくり考える前に答えを書いてこちらの顔をちらちら見てくるということがあって、それも何度も話をし、きちんと考えて、きっとこうだ!と自信を持って答えを出せるようになろうと言い続けてきました。
そして、今回のレッスンでは長さの感覚があまり伴っていないことがわかったので、定規や巻き尺を渡して実際にそれを使いながら何問か考えてもらった後、自分でやってみてもらおうとした時に、自分から「わからなかったら、これ(巻き尺)使ってもいい?」と尋ねてくれました。
もちろん、使ってもいいから渡しているわけですが、先日はやっと自分から「絵を描いてもいい?」と聞いてもくれましたし、少しずつではありますが、「考えてきちんと理解する」ということがどういうことなのか、実感し始めてくれているのかなと感じました。

この子達が来年、大きくぐっと変わり始めてくれるといいなと思います。

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2014年12月24日 (水)

風邪気味。

さすがに連日の寝落ちがたたっているのか、先週土曜の夜からそこはかとなく風邪っぽいなぁと。
オフにはいつも以上にたっぷり寝たのですが、歳をとってからはひどくならなることはないにしても、さっさと治ることもなく、まだなんだか風邪っぽさから脱却できません…。

今日のレッスンの子達の学校でもインフルエンザの学級閉鎖が出始めたようで、今年の3月頃だったか、生まれて初めてインフルエンザにかかった身としては、気をつけなくてはと(といっても、取り立てて何かできるわけでもないですが…。)思います。

今日は世の中は祝日だったので、子ども達も学校がお休み。
比較的好調な子が多かったものの、じっくり考える前に次々答えを言ってくる子に思わずコワイ私が現れかけて、今日のレッスンの子達は今日が年内最後なんだし、ダメダメ…となんとかセーブしたりということもありました。

年内のレッスンもあと4日。
私もですが、子ども達がみんな体調を崩すことなく、元気に来てくれますように。

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2014年12月23日 (火)

19年に一度?

今日は(正確にはもう昨日)は冬至でしたね。
どうやら今年の冬至は「朔旦冬至」といって、普通なら19年に一度の珍しい、そしておめでたい冬至なのだそうですね。
冬至に新月が重なるのが19年に一度なのだとか。
明日から太陽も月も満ち始めるという(太陽は満ちるとは言わないかもしれませんが。)ことだそうですが、普通なら19年ごとなのに、次は暦の関係で38年後になるそうで、かなり希少な冬至だったということですね。

しかし、南瓜を頂いて、ゆず湯に入る前に既にじんわり風邪気味だったもので、南瓜も頂き、ゆず湯にも入り、たっぷり寝ましたがまだすっきりしていないという…。
そして、今日やろうと思っていたことも思うように進まずのグダグダな1日になってしまいました。(汗)

明日は祝日ですがレッスンがあります。
どうぞよろしくお願い致します。

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2014年12月22日 (月)

オフでした。

今日こそは年賀状を完成させるはずだったのですが、なんだかんだとついついダラダラしてしまい、結局3分の1ほどしか仕上がらず…。
明日はしようと思っていることが最低3つ(どれもそう大変なことではないのですが…。)ありますので、なんとか達成したいものです。

オフでしたのでこれにて。

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2014年12月21日 (日)

今日はお天気に合わせたのか…。

今週は連日好調な子達が多く、穏やかでいい感じの日々だったのですが、今日は朝から雨でどんより。
その天候の影響もあったのか、今日はやや反応が鈍い子、ペースがゆるーい子が何人もいました。

そして、年末に関東にお引っ越ししてしまう子とは今日が最後のレッスン。
まだ3年生でこれからが楽しみな子だったので、近くでそれを見られなくなるのはとても残念ですが、お引っ越し先でも元気でがんばってくれたらいいなと思います。

年末でのお別れは比較的珍しいですが、中学受験をお考えで高学年から受験塾に移られるような場合は1月にお別れがやってきますし、卒業する子達は3月でお別れ。
これから当分さびしくなる時期が続きます。ああ…ちょっと憂鬱…。

それにしても、今年も残すところあと10日ほどとなり、その割に年末までにしなければならないことは仕事も家のこともまだまだいっぱい手つかずで、気ばかり急いています。
明日はお休みですので、まずは年賀状をどうにかしなければ!

皆さまよい週末を。


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2014年12月20日 (土)

要約する力

何人かの子とは国語も一緒にレッスンさせてもらっているのですが、国語の学習の中でまず基本中の基本が文の主語述語をつかむということではないかと思います。
最初は短い1文で比較的分かりやすいものから始めるので、それはみんなさほど苦労することなくできるようになっていきますが、学習が進んでいくと、少し長い文章の要点をまとめるようなものが出てきます。

それは読解問題などでもありますが、筆者の主張を50字以内でとか、この文章の要点を30字以内でとか、そんなまとめ方をする場合、ある程度の長さの文章の中から大事な言葉をピックアップしていく力は欠かせません。

昨日のレッスンである子と要約の問題をやったのですが、与えられた文章の中には主語述語の関係が2組あり、それをただつなぎ合わせるとあと9文字までなら言葉をつけたせるようでした。
要点をまとめる際、主語述語を探し出すのは少し練習をすればほとんどの子ができるようになるのではないかと思いますが、それに限られた字数で言葉をつけたす場合、修飾語の中でより重要なものはどれなのかを判断する力などが必要になってきます。

子どもと何が大事かやりとりをしながら、こういう能力は日々の会話などにおいてもとても重要なのではと改めて感じました。

今はすっかりドラマも見なくなりましたし、脳もボチボチ衰えてきているので、もうその特技(?)はなくなっているのではないかと思いますが、若い頃、友人などが見逃したドラマのあらすじを聞かれて説明すると、褒められることがありました。
その頃は、ドラマの内容をどうやらかなり的確にまとめて伝えることができていたようです。

その力はどこでどんな風についたのかはわかりませんが、小さい頃から文章を書くのは苦になりませんでしたし、本を読むのも好きな方だったとは思います。
また、小さい頃、単語だけで用件を済ませようとすると、最後まできちんと言うよう母にたびたび言われていた記憶もあります。
そんな色々があいまって、知らず知らずのうちに大事なところを拾い出すことができるようになったのかもしれません。

要約する力はとても大事に思いますが、恐らく国語の授業でそういう練習をする機会は、特に小学校ではごく限られているのではないかという気がします。
であれば、ご家庭でも何か機会を見つけて、何かの番組を簡単に説明してもらうとか、読んだ本の内容を手短に教えてもらうとか、そういうことをお子さんにさせることも大事なことなのかもしれません。

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2014年12月19日 (金)

なんだろう?

ここ1年以上どうも考えられなくなっているよなぁ、不調だなぁ…と気になっていた子が先週のレッスンでいつもと違う雰囲気を醸し出し、まどろっこしい方法ながらも手を動かして絵を描き、今日はこちらから描くように促さなくても自分で描いているし、表情も穏やかだなぁと、なんだか不思議に感じました。

しかし、それは今週のレッスンでも引き続き維持されており、もともと能力自体は決して低くない、むしろ時にはびっくりするぐらい速い反応をするような子なので、きちんと考えればその力はますます発揮される印象がありました。

多くの子が少し考え込んでしまうようなものでも、ノーヒントですぐやってしまったり、勘違いにすぐ気付いたり、なにより、勘違いしていてそれを指摘されても、普段ならしばしばそれだけでも泣きそうな顔になり、考えられなくなってしまうことがあるのに、全く穏やかな表情のまま考え直し、「ああ、そうか~!」と笑顔で気づくというような、ここ1年ほどのその子には見られなかったような反応を見せてくれました。

何があったのかはわかりませんが、これは本格的に復活の兆しかもしれません。
年内のレッスンは来週までですが、来週もこのまま好調を維持して、気持ちよく新しい年を迎えてくれるといいなと思います。

他の子達も今日も穏やかで、順調に取り組んでくれていました。
ある子と国語をしていて感じたことはまたの機会に(忘れなければ)書かせて頂こうと思います。

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2014年12月18日 (木)

勉強が全てなんて思わないけど。

こういう仕事をしていますが、勉強ができればそれでいいとか、ほかのことより勉強、成績が優先するとか、そういうことは全く思ったことがありません。

子ども達の中に、時々、嫌々レッスンを受けているのでは?と思う子がいたり、宿題がいい加減な子がいたりすると、そのたび、勉強は自分のためにするのだからしたくなければしなくてもいいのだと、誰かに強制されてするものではないのだと、そんな話をしたりもします。

時には、スポーツ選手や画家、歌手など、何か秀でた能力があれば、その道で生きていくこともできるのだしというようなことも話すこともあります。

それは全て本心ですし、私自身、誰かに強制されて勉強をしたことはなく、大学にも教員免許を取ろうと思わなければ進学しなかったかもしれません。

学校で成績が悪くてもそれを全く気にしない子であれば、それはそれでいいのかなとも思います。
ただ、授業が分からなかったり、学校のテストの点が悪かったりすることで、自分に自信が持てなくなってしまうのなら、やはりある程度できた方が、その子にとっては幸せなんだろうなという気はするのです。

多分、本当に自分に自信があって、本当の意味で賢い子は、たとえ成績が悪い子を見ても、その子を馬鹿にしたりはしないはずなので、成績ごときで人を馬鹿にするような子のことは放っておけばいいとも思いますが、特に小学生ぐらいだとできることを自慢したり、できない子を馬鹿にしたりというようなことも少なからずあるようです。
そして、馬鹿にされる側になった子は、自信を失い、劣等感を抱くようになったりもして、笑顔がどこか頼りなげだったり、悲しげだったり、そんな風になってしまうこともあるように思います。

もし、そういう子に関わることがあれば、その子が少しでも自信を取り戻して、本当に楽しそうに笑ってくれるのが見られるよう、できる限りのことはしたいと思っています。

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2014年12月17日 (水)

穏やかな1日でした。

(数日前から日付が1日ずれた状態の更新になっていますが、お許しを。)

師走も半ばを過ぎ、いよいよ気ぜわしくなってきましたが、子ども達は年末年始は楽しいイベント目白押し(?)で、早く冬休みにならないかなと思っているのでしょうね。

寒さはきびしくなってきましたが、学校行事もひと段落し、このところみんな比較的いい感じでレッスンに臨んでくれている子が多いように感じます。

今日のレッスンも、好不調の波がある子ややや算数が苦手な子も、みんな穏やかに順調に取り組んでくれました。

ある2年生さんは100を超えた数になってくると計算などがなかなかすんなりとは行かず、学校では掛け算の学習が始まることもあって、途中で保留にしていた教材があったのですが、久しぶりにそちらに戻ると、思った以上にスムーズに考えられるようになっていて、また成長を感じました。

明日は一層寒さが厳しくなるようですが、みんな風邪をひかず元気に来てくれるといいなと思います。
私もいよいようたた寝には気を付けなくては…。

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2014年12月16日 (火)

楽しいレッスンでした。

今日は1件体験レッスンをさせて頂きました。
年長のお嬢さんとだったのですが、初めは緊張しているのが伝わってきていました。
ですが、レッスンをするうちだんだん緊張がほぐれ、表情が和らぎ始め、ひと安心。
そして、終盤にはもう元気に大きな声で答えを言ってくれるまでになりました。

このところ、就学前のお子さんとレッスンをさせて頂く機会が少ないので忘れていましたが、今日レッスンをしながら、ああ、そういえばそうだったなと思ったのが、小さい子達にとって「0」というのは特別な数なんですよね。
レッスンをしていて、玉の数を答えてもらうときに、1とか5とかは普通に答えてくれるのですが、何もないときは「あはは」と楽しそうに笑った後「0!」と答えてくれたり、足し算の問題で「3+0=」というようなものがあると、答えを書く前に笑ったりと、ほかの数だとそういうことはほとんどないのに、「0」が関係しているときだけ妙に楽しそうにするのです。

これまでにレッスンをさせてもらった小さいお子さん達の中にもやはり、「0」になると笑い出す子や、ほかの数と比べて明らかに反応が違う子は何人もいました。
大人になってしまうと何とも思わなくなりますが、遠い遠い昔「0」の概念を発見した人がいたことで数学が飛躍的に発展したといいますし、子ども達の反応を見ていても、「0」は何かスペシャルなんだろうなと思います。

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2014年12月15日 (月)

オフでした。

特になんということもなく、しなくちゃいけないことも半分もできず、そんな日曜でした。(更新も忘れてました…。)
今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2014年12月14日 (日)

今週も無事終了しました。

今日も概ねみんな好調で、穏やかで平穏な1日だったような気がします。
色々な子が何度も「あ!」とか「ああ~!」とか言ってくれる場面に出合え、ペースがゆっくりな子もその子なりに、しっかり学んでくれたような気がします。

今日のレッスンのワンシーンですが、速さの問題に取り組んでいた子が解こうとしたある問題で、15分間で2100m進む人が1分間でどれだけ、5分間ならどれだけ進むか考えるものがあったのですが、その子はどう考えるかはわかっているようで、「2100÷15」を考えようとして、暗算するか筆算するかちょっと迷うシーンがあったので、「それ、こっちの方が簡単じゃない?15分で2100mなら、5分でどれだけ?」と尋ねると、ちょっときょとんとしています。

そこで、紙に線を引っ張って、「15分でこれだけ進むんなら、5分でどの辺まで進める?」と尋ねると、特に迷うことなく「このへん?」と線分に印を付けました。
「だったらわかるよね?」と言ったのですが、なぜかまだ繋がっていない様子。そこで、「え?なんでこの辺に印したん?」と尋ねると、「え?15分の3分の1やから。」と当たり前のように答えた後、「あ!3で割ればいいんか!」と。

計算が得意な子であれば、「2100÷15」もまあそんなに難しくはないかもしれませんが、やはり「2100÷3」の方が簡単なのは間違いないはずです。
そして、5分で700mと分かれば、そこから1分を求める方が、ミスも少なくなるだろうと思います。

そういう気付きができるかどうかは、やはり最初に問題を見渡せるかどうか、数量感覚が身についているかどうかにも関わってくるのだろうなと。(線分を当たり前に3等分するのはやはり、感覚が身についているからできることだと思いますし。)

そうやって色んな子と色んな気付きをしながら、そういう部分も教材に活かしていけたらいいなと思っています。

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2014年12月13日 (土)

今日もよい1日でした。

昨日は、突然一体どうしたの?という嬉しい驚きがありましたが、今日もまた、普段がんばっているのに思うように捗らない、見ていてもどかしくなる子が、え?それノーヒントで行けた?とか、え?!たったこれだけの手助けでそれ解けた?とか(本人には何も言っておらず、私の心の中の話ですが。)そういうことの連続で、レッスン中終始穏やかで嬉しそうな表情をしていました。

別の、算数の能力は結構高いと感じるものの、なかなか勉強に集中できず、すぐに気が散ってしまう子が、今日はほとんど気を散らすことなくレッスン時間の大半、しっかり問題に取り組むことができました。
レッスンが終わるなり、うろうろしたり、声がボリュームアップしたりしましたが、むしろそれはレッスン中、自分で自分をコントロールしていたということなのかもしれず、それもなんだか嬉しく感じました。

いつも和ませてくれる子は今日もゆったりマイペースで、思わず笑ってしまうような微笑ましい反応があったり、それでもやっぱり一所懸命で、見ていて幸せな気持ちになりました。

今日はとってもいい1日だったなぁと、みんなに感謝しつつ、できれば明日もそんな空気のまま1日を過ごせたらいいなと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2014年12月12日 (金)

どうしたんだろ?

これまで何度も何度も、絵を描いて考えたら?図を描いてみたら?と声をかけても、悲しげな顔をして、計算式をこねくり回して、どう見ても考えてないよね?わかってないよね?と感じていた、心配な子がいました。
そこそこの年数通ってくれていて、2年目の初めからいい感じになってきていたのに、それが原因かどうかわからないものの、ほかの塾にも通い始め、学校の進度も結構速いようで、どんどん考えなくなっているような印象を受けていました。

なのに、今週のレッスンでその子が、なんだかいつもと違う楽しげな雰囲気を漂わせ、ほんの少し声をかけただけで進んで絵を描き始めました。
どの問題もあれこれ絵を描いては消し、描いては消しを繰り替えし、普段のその子の計算能力からすれば、それ、数えなくてももっと簡単に答え出せるのでは?と思うようなものもひとつひとつ数えたりしながら、何度も試行錯誤をしています。
おまけに、その表情が普段考えていないときと違って穏やかで楽しそうなのです。
何が起きたかわかりませんが、今日は楽しそうだし、その子なりにちゃんと考えているなと感じられたので、どれだけ回りくどかろうと、ひとつひとつ数えていようと、何も言わずに見ていました。

答えが出ると満足そうで、たとえなかなか出なくても、いつものような悲しい顔は一切出てきませんでした。
何があったのかはわかりませんが、そんな穏やかないい表情を見たのはとてもとても久しぶりで、とても嬉しい時間でした。
このまま変わってくれるとまでは思いませんが、再び変化が訪れつつあるんだったらいいなと思います。

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2014年12月11日 (木)

またやってしまいました…。

最近の夜の眠さはちょっとおかしいぐらいで、またガッツリ寝落ちてしまいました…。
後ほど書かせて頂く予定です。

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2014年12月10日 (水)

余計なお世話なのかもしれないけど…。

大人げないと言われれば確かにそうかもしれないなと思うこともありますが、私は子ども達に対して「子ども扱い」をしないので、慣れていない子からすると、鬱陶しいとか、めんどくさいとか思われるかもしれないなと。
学習教室なのであれば、勉強を教えてくれたらいいのだと思われているかもしれませんし、勉強を教えなくていいと思っているわけでもありません。

ただ、小学校や中学校の算数や数学をいくらわかりやすく教えてそれができるようになったとしても、それは人生においては極々小さなことで、できることなら算数や数学を学ぶということを通して、将来に役立つ力を育んでほしいと、本気でそう思っています。

ですので、そんな面倒なことは望んでいないとおっしゃられればご縁が頂けないでしょうし、子ども自身も、ただ勉強を教えてくれればいいんだ、やり方を教えてくれればいいんだ、という子には受け入れてもらえないだろうとも思います。

通ってくれるようになってからこれまで何度も、どう見ても真剣に取り組んだとは思えない状態で宿題を持ってくる子がいて、そのたび、これは自分なりに一所懸命やったといえる状態で持ってきたのか尋ね、そのたび黙り込み、やりたくないものを怒ってやらせるつもりはないから、やりたくなければやらなくていいのだということ、勉強は自分のためにするのだということ、週1回1時間だけここでレッスンをして、それだけでめちゃくちゃ算数ができるようになるような魔法は私には使えないということ、自分で考えることの大切さ、そんなことを何度も話しています。

いつか何かを感じてくれるのかもしれませんし、鬱陶しく思われてご縁が切れてしまうのかもしれません。
でも、辞められたくないという理由で手とり足とりわかりやすく教えるということは、その子の持っている力を封じ込めるということ、力を奪うということだとわかっていながら、それをすることはやはりできないのです。

いわゆるパターン詰め込み学習をさせる塾などでは、そこで働いておられる先生の中には、その方法が決してよいとは思っていない方もおられると聞きます。
あの方法は場合によってはとてつもない害になる子もいます。その可能性をわかっていながら、その方法を提供することは私にはできません。

極端な例ではありますが、例えば、ずっと食べ続けたらいずれ必ず体に悪影響が出る食べ物があったとして、その悪影響が出るのは自分との関わりがなくなった後だとわかっている場合、それを食べさせ続けなければ自分の暮らしが立ち行かなくなるという状況があったとしたら、良心の呵責があったとしても、食べさせる人はいるのではないかと思います。

時々、大企業などが自分の企業を守るために、重大な過失を隠ぺいして大問題になるなんてことがありますが、それも似たようなことかもしれません。

子ども達にとって本当に大切なことは何なのか、それをいつも考えています。
もちろん、これが正解というものがないので、難しいのですが…。

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2014年12月 9日 (火)

ちょっと感動。

まだ低学年で、理解して昇華するのにやや時間がかかる印象のある子とのレッスンでのこと。

小さいこともあり疲れていると簡単なことでも間違えてしまったりということは他の子でもあることですが、その子は1年生のときから見ていた感じだと、計算などにやや時間がかかり、教室に来てくれている子達の中では平均よりややゆっくりさんでした。

最近、少し様子が変わってきつつある印象は受けていましたが、日によって一進一退という感じもあって、体力が伴ってきたらぐっと変わってくるのかもなと思いながら見ていました。

その子とは少し前から掛け算の学習をしているのですが、九九の範囲の学習の後、すぐに2ケタ×1ケタに進むのは少し辛いかもしれないなと思い、教材の順序を入れ替えていました。
ですが、絵が描かれている文章問題の中に2問、「50円のフォーク10本でいくら?」というものと「180mLの牛乳2本で何mL?」というものが混ざっていました。準備をしているときにその問題が混ざっているのは気づいていましたが、掛け算というのがどういうものかわかっていれば考えられるような気もしたのと、足し算で考えることもできるということとで、とりあえずやってみてもらって、様子を見て助けを出せばいいかなと考えていました。

すると、まずはフォークの問題を全く戸惑うことなく、私の方を見ることすらなく、すっと「50×10=」と書いたかと思えば、本当にそのまますぐに続けて「500」と書いたのです。
これまでのその子の感じからすると、考え方はわかったとしても「500」という答えを出すためにもう少し時間がかかるのではと思っていたのでちょっとびっくりしながら、「すごい!できた!」というと、少し嬉しそうにはしたものの、何も特別なことではないというような反応でした。

そして、牛乳の問題になっても、やはり迷うことなく「180×2=」と書き、ほどなく「360」と書きました。
これまでのその子からするとびっくりの速さです。

間違えずにすんなり答えが出たことに感心したのはもちろんですが、それよりなにより、その子が掛け算というものの意味をきちんと理解し、まだ習っていない範囲の問題でも全くためらうことなく問題に向かい、私の方を見ることすらなく自信を持って式と答えを書いたということがとてもとても嬉しくて、本当に感動してしまいました。

これまでじっくりじっくり蓄えてきたものがいよいよ花開きつつあるのかもしれないなと、なんだか嬉しくなりました。

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2014年12月 8日 (月)

20回目

最近、どうしたことか夜やたらと眠く、帰宅して食事をすると、いつに間にか眠ってしまっていることが多いもので、またブログを更新せず寝入ってしまっていました…。

月曜はレッスンがお休みで、日中は住まいの排水管清掃で在宅せねばなりませんでしたが、夜は幼馴染みとルミナリエに行ってきました。

人ごみが苦手なことと、震災後10年を過ぎたあたりからだったでしょうか、はっきり覚えてはいませんが、鎮魂の行事というよりは季節のイベント色が強くなり、遠方から来られる方、観光バスツアーで来られる方なども増え、順路が決まり、警備員の方が大勢出られて…となってきて、だんだん足が遠のいていました。

ですが、震災から20回目ということで、久しぶりに行ってみようかと。(昨年は遠方から数年ぶりに神戸に返ってこられた方をお連れして、少しだけ見ましたが、順路通りにきちんと見たのは何年ぶりだったかわかりません…。)

幸い、月曜だったからなのか、行った時間はとてもスムーズに、人とぶつかることもなくゆっくり歩くこともでき、寒さも少しマシで、いい日に行けたなとありがたく思いました。

それにしても、来年1月が来ると、震災から丸20年になるのですね。
あの年に生まれた赤ちゃんが成人するのかと思うと、正直驚いてしまいます。

1回目のルミナリエが終わる頃、私は大学を出てから努めていた会社を辞め、その後、子ども達と一緒に学ぶということを始めましたので(独立するのは数年後ですが。)、もうそろそろ20年になるのかと思うと、少し感慨深いものがあります。

このところ、自分が本当にするべきこと、したいことは何なのか、もちろん、子ども達と関わって、子ども達の成長を見守って行きたいというのはあるのですが、今作っている教材も突き詰めると、何を目指して作っているのかというような、些か哲学めいたこととでもいいましょうか、そういうことをぼんやり考えているのですが、それをしっかり考えるべき時期なのかもしれないなと思いました。

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2014年12月 7日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。

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2014年12月 6日 (土)

子ども達を見ていればいるほど

私が見ているのは主に算数をしている子どもの姿ではありますが、その姿を見ていればいるほど、考えるということがどれだけ大事で、長い目で見ればどれだけ自分のためになり、時短につながるかということを感じることがたびたびあります。

これまで何度も書いていますが、私自身、塾などに行ったことがありませんので、勉強というのは学校でするもので、先生が言うことを覚えたり、教科書などに書かれていることを覚えたりして、それを正しくアウトプットできることを試されるのが試験というような感覚だったような気がします。

その傾向は学年が上がるにつれてますます強くなり、高校数学に関しては、ただ公式を覚え、それに当てはめて解くものというような捉え方をしていたのではないかと思います。
同級生の子がある公式を見て、「なんでこれに当てはめたら解けるん?」と聞いてきたとき、(この子はおかしなことを言うな、そんなこと考えなくても覚えて当てはめれば解けるのに。)と思ったことを覚えています。
今になって思えば、私の方がよほどおかしかったというのに…。

ですが、時代は変わっても、学校や塾などでなされている指導はあの頃とそう変わることなく、子ども達の多くはあまり疑問を持つこともなく、公式を覚え、それに当てはめることを「勉強」だと思っているように感じます。

ですから、2年なりそれ以上の期間学校などで授業を受けてきた子達がうちの教室に来てくれると、ほとんどの子が最初は戸惑いをみせます。
やり方を教えてもらえない、当てずっぽうでマルになってもそれをよしとしてもらえない、急いで適当に答えを書くと早くしなくていいと言われるなど、恐らくそれまで経験してきたこととかなり違う、場合によっては正反対のことばかうぃ求められるからです。

でも、それは私自身の後悔から、同じことは繰り返さないと決めてやっていることですから、手取り足取り教えるということも、意味もわからないのにとりあえず公式を覚えなさいということも、しなくなって十二年目。
そして、やはりそれが子ども達にとって「楽な方法」だと思えるのです。

例えば、最近だと、高学年の子で円の面積の問題や立体の体積の問題をしている子達がいます。

中には、問題を見て、とにかくひとつひとつ、「□×□×3.14」を繰り返し、それを足したり引いたりして、そのうちどこかで計算ミスをしてやり直すということになったりする子がいるのですが、複雑な問題であればあるほど、工夫できる部分がある場合が多く、それに気づくにはやはり、「急いで問題に取り掛かる習慣」ではなく「問題を俯瞰して何か簡単にできる方法はないかと考える習慣」が大事になってくるように思うのです。

円の面積だけでなく、複雑な形の体積などになると、何度も部分ごとに「底面積×高さ」を繰り返さなくても、色々工夫できる問題が少なからずあります。

また、四則混合の虫食い算などであれば、テクニックで乗り切れる部分もあるかとは思いますが、やはり数量感覚であるとか、概算ができるであるとか、掛け算だと同じ数がたくさん並んでいく感覚、割り算であればまとまりが分けられていく感覚が身についているかどうかで、差が出てくるように思います。

そんな風に、様々な場面で「ひと呼吸おいて問題を眺める」ことであったり、「意味をじっくり考える」ことであったり、そういうことが大きな力になることがあり、結局はそういう力を小さいうちからはぐくんできた子達は、応用問題などにぶつかったときに強さを発揮するように思います。

小さいうちは急かさずじっくりと。
これは子ども達のためにも、多くの大人の方に気に留めておいて頂きたいなと思います。

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2014年12月 5日 (金)

複雑な気持ちになること

前にも書いたかもしれませんが、子ども達とレッスンをしていて、ちょっと複雑な気持ちになることがあります。
少し前から、発達上の困難があって学校に通っていないお子さんとレッスンをさせてもらっています。
その子はかなり早い段階から学校に行かなくなったため、みんなと一緒に勉強するとか、テストで評価されるとか、そういう経験がほぼないのだろうと思います。

その子とレッスンをしていると、いつもその子自身のペースでとても穏やかに問題に取り組んでくれます。
簡単な問題でも難しい問題でも、焦って適当に答えを書こうとすることもありませんし、考えても意味がわからないときには「なんかわからない」と素直に言います。

でも、そういう子はかなり稀なのが現実です。

通ってくれている子達の中に少なくない割合で、全く急かしていない私に向かって「ちょっと待って、待って!」と焦って何も言わせないようにする子がいます。
じっくり考えればいいのに、まだ納得していないうちにとりあえず答えを書こうとする、書いてしまう、そんな子達がいます。

学校に通っていないその子の姿を見たときに、あ、もしかしてこれって…と思ってしまったのです。
学校に通っている子達の多くは、周りのペースに合わせなければならなかったり、まだ自分が考えている途中でそれを遮られたりという経験を何度も何度も繰り返してきたのではないかと。
考えている途中に遮られるのがイヤで、大慌てで「待って!」という言葉が反射的に出てしまうまでになっているのではないかと。

実際、教室を始めてからこれまで、何人もの子に、まだ何も言っていないうちに(それも急かすつもりが全くないのに)「待って!」と言われては、そのたび「めっちゃ待ってるやん。早くしてって言ったことないでしょ?早くできるのにダラダラしてるなら言うけど。」とか返してきました。

急かしていない、むしろよく考えずに答えを出そうとするとそのことに対して「もっとちゃんと考えて」「じっくり考えて」ということがある私にまでも「待って、待って!!」というのは、もう体に染みついている反応だということなんだろうなと。

学校に行っていない子が、自分のペースでじっくり学んでいる姿を見ると、学校ってなんなんだろうなと、なんだか複雑な気持ちになってしまいます。
もちろん、私は学校が好きでしたし、学校で、たくさんの子ども達がいる環境でこそ学べることもあると思いますが、教科学習に限って言えば、弊害もあるのかもしれないなと思います。

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2014年12月 4日 (木)

人に説明できるかどうか

自分でも感じることですが、人に説明できるかどうかは、そのことをきちんと理解できているかどうか判断するのにとても役立ちます。

さすがに算数の範囲であれば、よほど想定外のことが起きない限り説明できない状況に陥ることはありませんが、とっくの昔にキレイに忘れ去ってしまった高校数学を解き直していると、自分なりに考えながら、ひとつひとつ理解しなたら進んでいるつもりでも、それをいざレッスンで子どもに対して説明したり、何かヒントを出したりしようとなると、理解が曖昧だと的確な対応ができません。
また、自分で解いたときにややぼんやりしていたことが説明をすることによって昇華されるというか、ああ、そういうことよね!と自分で改めて納得することもあります。

そして、分かっている気になっている子、どうも理解が怪しそうな子には、その子の学年などに応じて要求レベルは変わるものの、どういうことなのか説明をしてもらい、説明が不十分だと「~~ってどういうこと?」と更にたたみかけるというようなことをしてみたりもします。
それをされてようやく、自分の理解が曖昧であったことに気づく子もいるようです。

教えられたことはその場では分かった気になりますが、本当の意味は理解していない場合が少なくありません。
何もかも説明させていては先に進めないかもしれませんが、例えば説明した子との中で特に重要なポイントについて、どういうことなのか子どもに説明させてみることで、ただ受け身で聞いていただけより遥かに理解が深まるはずです。

取り組むのが難しいことではないので、ご家庭でも意識して頂けることではないかなと思います。

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2014年12月 3日 (水)

少しは感じてくれたかな。

今週のあるレッスンでのこと。

まだ低学年ながら、どうも数の感覚があまりないままに答えだけ出しているような印象で、きっと算数が楽しくないだろうなと感じるというおうちの方のお話で、一緒にレッスンさせてもらうようになった子なのですが、真面目ではあるものの、実際、おうちの方が感じられたように、どうやら数の感覚はあまり伴っていないようです。
そして、通い始めの子達によく見られる、答えがそれで合っているかどうか、不安そうにこちらの様子を伺ってくる仕草も何度も何度もします。

そのたび、急がなくていいからしっかり考えてほしいということや、よくわからないけどとりあえず書いた答えが合っていても賢くならないし、自分の役に立たないのだということを繰り返し伝えています。

真面目な子ではあるので、緩やかながら少しずつ変わってきているような気もするのですが、今週のレッスンで「5×13」の答えを考えていて、なぜか「25」と書くのです。(もしかすると、5×3=15に十の位の10を足したということなのかもしれません。)

「5が13回もあるのに?5×10でも50よね?」と声をかけたのですが「あ!」という反応は見られません。
慌てて答えを消して、違う答えを書いたものの、それもまた全く違う答え。そして、私の表情を見て、またその答えを急いで消しました。

「ねえ、今、よくわかってないよね?それで何度も書き直してマルになっても仕方ないよね?」
そう声をかけた後、「掛け算を使わずに、足し算の式を書いてみて。」と言ってしばらく待ってみました。
すると、迷ってから「13+13+13+13+13」と書いたのですが、その問題が5グラムのおもり13個分の重さを求める問題だったので、この場合、おもりを13個というなら、正しい式は「5+5+………」と5を13回足すものになるはずです。
「13は個数よね?」というと、ようやく5を13回足す式を書いてくれたので、「じゃあ考えてね。」というと、5を2つずつ囲んだりしながら、落ち着いて「65」と答えを書くことができました。

そこで「今はちゃんと考えてホントにわかったでしょ?」というと、こくりと頷きました。

「考える」「わかる」ということがどういうことなのか、実感が乏しい子達にはそうやって実感を積み重ねてもらう必要があるのだろうと思います。
この子も学年が上がるまでには、じっくり落ち着いて考えられるようになってくれるといいなと思っています。

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2014年12月 2日 (火)

嬉しい、嬉しい!

先日も少し書いた子のことですが、低学年ながら、スタート時点から算数で苦戦していたという子とレッスンをさせてもらうようになって4ヶ月あまりになりました。

レッスンをしているときはそれなりに一所懸命取り組んでくれてはいるのですが、一体何をどう考えたらそうなるんだろう?と思うような答えが出てきたり、問いかけに反応してくれなかったり、聞いているのか聞いていないのかさえよくわからない表情を知っていたりという時期が3ヶ月は続いたでしょうか。
低学年なのになぜこんな状態なのか、何か困難を抱えているのか、少し気になりかけてもいました。

ですが、少し前からなんだかちょっと雰囲気が変わり始め、間違えるにしても突拍子もない答えが出てくることが減り始め、問いかけにも反応が少し早くなってきたように感じられるようになっていました。

そして、今回のレッスン。これまでの中で一番、しっかりした顔つきでしっかり考え、何より、問いかけに対して明らかに「少し考える間」があって、きちんと答えが返ってきたのです。それもたまたま一度だけというのではなく、何度か問いかけた全てに対して。
それは恐らく今回が初めてだったと思います。
そして、レッスンが終わった後にも穏やかな、どこか楽しそうな表情で、あれこれ話しかけてきてくれました。
いよいよ本格的に変わり始めたのかもしれない。そう思うとワクワクします。
きっとその子自身が何か感覚が変わってきたと感じているのではないかと思います。

本当に嬉しい出来事でした。

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2014年12月 1日 (月)

12月初日

今日はレッスンはありませんでしたので、家の片付けなどを少しして、出勤して事務仕事や教材作りなどをしていました。

早くも師走。あっという間に年末になるんだろうなと思うと気が焦ってきますが、師走と同時に大寒波がやってきているようで、真冬になるようですね、しばらくの間。

ニュースでは今年はインフルエンザの流行が早いとも言っていますし、急に冷え込んだら、また体調を崩す子が増えそうで心配です。
私も気をつけなくては。

今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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