11月最終日
今日は日中とてもよいお天気だったのに、雨になりましたね。
日中のお天気とはうらはなんだか気持ちが晴れなくて、ぐずぐずと過ごしてしまいました。
明日から12月。
明日はしゃきっと過ごしたいものだなと思います。
来月もどうぞよろしくお願いいたします。
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今日は日中とてもよいお天気だったのに、雨になりましたね。
日中のお天気とはうらはなんだか気持ちが晴れなくて、ぐずぐずと過ごしてしまいました。
明日から12月。
明日はしゃきっと過ごしたいものだなと思います。
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今日は年間予定でレッスンがお休みの第5土曜でした。
もともと今日は教材作りのために出勤する予定でしたので、純粋にお休みだったわけではありませんが、子ども達とレッスンをしていないと、どうも日曜のような気がして仕方ありません。
地味に進行している教材作りも今月で8ヶ月目。当初の予定より遅れてはいないものの、もっとハイペースで進めるつもりだったのが、ついついとりあえず今月はここまでやれば何とか…というそのラインぐらいまでしか進められず、自分の意志の弱さを痛感します…。
話は全く変わりますが、昨日インターネット上で目にし、え?そうなの?いや、でもそう言われればそういうこともあり得るかも…と思ったお話。
数学の確率の問題でトランプが題材になることがあるのですが、今時の子達の中にはトランプの4つのマークやAからKまでの並び、全部で何枚かなどを知らない子が珍しくないというお話でした。
トランプやボードゲームがどんどんゲーム機に取って代わられ、家族でゲームをするような場合もゲーム機でガ族でできるソフトを選ぶなんていうご家庭も決して珍しくはないのでしょうね。
ただ、例えばオセロをはじめとするボードゲームは指先でコマなどをつまんで置いたり動かしたりする必要がありますし、実際に物を触っていますから、指先から脳に伝わるもの、目から伝わるものが、例えばゲーム機でオセロ対戦をするのとはかなり違っているはずです。
そして何より、特に小さいうちには指先をしっかり使うことは脳のためにもとても大切なことですから、トランプやボードゲームなど、昔からのゲームをゲーム機に置き換えることは、発達面で考えると全く効果が違ってくるのではないかとも思います。
確かにゲーム機で遊ぶのは楽しいのかもしれませんが、小さいうちに家族で昔ながらのゲームをして遊ぶのが普通になっているようなご家庭では、そこまでゲーム機に傾倒することなく過ごせるかもしれませんよね。
とにかく、トランプをしたことがないという子がレアケースではなくなりつつあるらしいという事実にかなり驚いたわけですが、例えばトランプであれば、カードを並べる、配るなどの作業を通して、数の順を覚えたり、割り算のベースを育んだり(きちんと配れる場合と余りが出る場合などがありますので)というような副次的な効果もありますし、きちんと揃えたり、切ったりというのは手先の器用さも求められますし、色々いいことがあります。
ご家庭でトランプってしたことないなぁという方がもしももしもおられましたら、久しぶりにしてみられてはいかがでしょう。
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今週のレッスンである子を見ていて感じたこと。
その子は発達上の困難があって、理解に時間がかかるものの、いつもどんな問題も一所懸命取り組もうとしてくれます。
今のその子の様子を見て、簡単なもの、基本の問題を中心に進めてはいますが、その子を見ていると何度もはっとしたり、ほのぼのしたり、色々なプラスの気持ちを感じさせてもらえます。
学校で一斉に競争のように問題を解かされる経験をほとんどしていないということもあるのかもしれませんが、変に焦ることもありませんし、しばしば子ども達が、何も言わずに待っている私に対してまで、口癖のように「ちょっと待って!」ということもありません。
できるものならあと少しスピードアップしてほしいなぁと思うようなときも、とてもとても穏やかな表情で手を使ったり、紙にあれこれ書いたり、教具を見たりしながら、その子のペースで考えています。
そういう姿を見るたび、本当はどの子もみんなこんな風に、誰からも急かされることなく、自分のペースで、自分がきちんと理解できたら次に進むというような学びを、せめて1、2年生ぐらいまでの間だけでもすることができたら、子ども本人に限ったことでなく、学校や社会の色々なことまで劇的に変わりそうな気がするなぁと思ったりします。
日本でそんなことが実現する日は来ないのかもしれませんが、人生80年とか言われている時代ですから、小中学校を原則としてみんなが9年、15歳で終えなければならない義務教育のシステムを何かもっと柔軟にすることはできないもんだろうかと思ってしまいます。
新卒で就職しなければ、いい条件での就職が難しいという状況を改善するために安倍首相が再チャレンジうんぬんを言っておられましたが、20代前半で大学を出なければ、一部の例外を除いて就職の条件が厳しくなるような今の世の中では義務教育を15歳で終えなければその時点で既にある選択肢を手放すことに繋がってしまうかもしれないわけで、そう簡単に制度が変わるとは思えませんが、時代に合わせて変えていかねばならないこともあるのではないかなと思います。
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子ども達を見ていると、例えば恐らく学校での成績はそれなりにいいんだろうなと思うような子でも、腰を据えて考えることが苦手だったり、試行錯誤ができなかったりするタイプの子もいれば、現時点では算数が得意とは言えないものの、じっくり考えて、自分なりに試行錯誤できるタイプの子もいます。
じっくり考えたり、試行錯誤できたりすることと、算数の成績は、特に小学校などでは必ずしも直結しているわけではないということなんだろうなと思います。(実際、小学校での算数のテストは決められた時間内に、それまでに習ったことを使って「計算処理」できるかどうかという面がかなり大きいのが現状だと思いますし。)
これだけコンピュータやスマートフォンなどが広く普及した世の中では、知識の詰め込みや単純計算のスピードなどはあまり役に立たなくなっていくのは恐らく間違いないでしょうし、では、何が大事になってくるのかといえば、やはり広い意味で「自ら考える力」に尽きるのではと思えます。
そして、子どものうちにその力を伸ばすことができるもののひとつとして算数が挙げられるのではないかと。
算数といっても、上に書きましたように単純計算がいくら正確に速くできたとしても、そういうものは機械に勝てるはずありませんので、例えば計算をするのであれば、答えがどのぐらいの数になるかおおよその見当がつくとか、自分がしている計算は何を求めるためのものなのかを理解しているとか、そういうところが大事になるのではないでしょうか。
通ってくれている子達はほとんどが自分でじっくり考えられるようになっていきますが(中には最初からそれが当たり前という子もいますが)、ごく稀に、長く通ってくれていても受け身の姿勢が抜けず、問題が少し難しいと思考が止まってしまう子もいます。それはやはり性格や興味、向き不向きによるものなのか、諦めずに働きかければ変わっていくのか、そのあたりの判断が難しいと思うことがあります。
じっくり考えて試行錯誤するのにお勧めなものは、やはり迷路や算数パズル、論理パズルなどではないかなと。
4月から少しずつ教材を作っていますが、その中にそういうものもうまく組み込んでいけたらと思います。
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今日のレッスンで、嬉しいことが重なりました。
今日のスタートのレッスンでは、ちょっと、ほんとに大丈夫?というような状態の子がいたので、そういう日はその後も不調な子が続くことが少なくないため、ちょっと心配していました。
しかし、その後のレッスンはみんな結構順調で、何よりうれしかったのが、今日のレッスンの子達の中で現状算数に苦戦している子達がいて、その子達がいい感じで取り組んでくれたことでした。
ひとりは前回2ケタ×2ケタの筆算でとても苦労をして、今日もその続きをしようとしたのに最初は全く思い出せない様子。これ、宿題やってくれたのかな?と思いながらも、再度前回やった面倒な方法で考え方を思い出してもらうことにしたところ、途中から何か線が繋がったらしく、顔つきが少し変わり、答えを書くスピードも上がり、ちょっと自信を持って書いている感じも伝わってくるようになりました。
更に驚いたのは、前々回、おさらいで面積の学習をした子が、そのときには長方形の周りの長さと縦、横の長さとの関係がもうどうにもうこうにも、え?えええ??と思うような答えを連発していたにも関わらず、今日はほんの少しの声かけだけで、方法はまどろっこしくても、きちんと考えて数回の試行錯誤の後、自分でちゃんと答えが出せるようになっていて、ほかの問題でも、やはり表情が明るく、少し自信が感じられ、問いかけに対する反応も明らかに速くなっていて、それはかなり急激な変化だったのでびっくりもしました。
小さい子達の進歩は一進一退、その日のコンディションによっても違ったりしますから、このまま調子よく伸びていくかどうかはわかりませんが、明らかに変わり始めたことが感じられる、そんな瞬間に1日に二度も立ち会うことができて、今日はとても嬉しい日になりました。
今日の好調な空気が明日も教室に残っていますように。
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少し大袈裟かもしれませんが、子ども達とレッスンをしていると、時々感じることがあります。
算数がかなり苦手な状態もしくはかなり苦戦している状態で通ってくれることになった子達に多く見られるのですが、レッスンで何か問いかけても反応が薄く(もしくは鈍く)、目が泳いでいたり、問題を解くときにもどこを見ているのかわからないぐらい視線がふらふら定まらなかったり、とにかく「目力」が伝わってこないのです。
しかし、レッスンを重ねるにつれ、変化が訪れるタイミングや変化の度合いにはもちろん個人差はあるものの、だんだんと顔つきがきりっとしてきたり、自信が感じられるようになったりします。
そして何より、目に力が宿り始めるのです。
今日のレッスンでも、そんなことを感じる子がいました。
当初はやってもらっても相当手こずって、おまけに本人ができたと言ってもあちこち間違っている状態だった大事な課題があったのですが、それがとても大事な課題なのだと何度も言って、ようやく本人も真剣に取り組んでくれるようになってきてから、平行して変化が見え始めた気がします。
まだ目指すところは遠いかもしれませんが、明らかに変わり始めたことが感じられました。
その子はまだ低学年ですので、これからどこまで変わっていくか、とても楽しみです。
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皆さま、よい休日をお過ごしでしたでしょうか。
私は土曜は仕事だったのでいつも通りの日月休み。昨日はひたすらにぐだぐだしていたので、今日は仕事に出るつもりが結局ぐずぐずして夕方になってしまい、夕方から3時間ほど教材作りなどをしに出勤してきました。
今日ようやく読み終えた本もとても面白く、興味深く、時には涙して、出勤もしたし、読書もしたし、休日にしては多少は生産的に過ごせたかなと(かなり低いレベルの話ですが…(汗))、そんな月曜の晩です。
今日で11月も残すところ1週間。もう12月になるんですね。
いつも年末までにしなければならないことが後手後手に回ることが多いので、今年こそは!と思うものの、さてどうなりますやら。
明日からまたレッスン再開。
みんな、休まず元気に来てくれますように。
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昨日あったのを録画していたのですが、某衛星放送で錦織選手とアンドレ・アガシさんのドリームマッチが放送され、昨日は仕事だったので今日の日中に見ていました。
そのイベントの中で、車椅子テニスの王者、それも何年も続けて世界ナンバー1であり続けておられる国枝選手と、今は錦織選手のコーチをしておられるマイケル・チャンさんとの試合がありました。
国枝選手がすごい選手だというのは知っていましたし、大会などのダイジェストなどでちらっと試合ぶりを見ることはありましたが、大抵は本当に短いダイジェストしかないもので、あまりゆっくり試合を見たことはありませんでした。
それも、車椅子選手同士だと、ダイジェストでもどのぐらいすごいのかというのがよくわかりませんでした。
ですが、今回マイケル・チャンさんとのエキシビション・マッチで、相手はコートを自由に足を使って走るわけですから、手加減とかされるのかしら?と、わかっていないもので、初めはかなり失礼なことを思ったりもしたのです。
しかし!!国枝選手は本当にすごかった!惜敗したものの、車椅子で、どう考えてもネットの高さなど圧倒的に不利になるはずなのに、十二分に見ごたえのあるいい試合をされていて、いちいち驚いたり感動したりしました。
これ、ちゃんと放送したら、興味を持って見る人いるんじゃないかなと思いましたし、是非フルで試合を見てみたいものだなと思いました。
完全にオフの話題ですが、障害者スポーツはパラリンピックなどでも、オリンピックと比べるとごく僅かにしか取り上げられませんし、放送がなければなかなか見る機会もないので、興味も持てず、認知されないから広がっていかず…というようなこともあるのではないかなと。
ちょっとそんなことを思いました。
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多分、自分のことを振り返ってみても、人はそれぞれ得意不得意や興味のあるなしに差があって、同じ先生が同じように同じことを教えたとしても、その成果はひとりひとり違っていて当たり前だとは思います。
ただ、例えばですが、私は中学時代地理も歴史も嫌いで興味が持てませんでした。ですが、教科書に沿って授業を進めるだけでなく、もっと大きな流れを教えてくれるだとか、歴史上の出来事の何かを切り口にして導入するとか、やり方によっては「全く興味がない」のが「少し興味がわく」ぐらいになることはあったのではないかと思います。
また、高校入学直後、数学で激しく躓いて苦しんだものの、担任だった数学の先生がとてもいい方だったので、先生の気持ちに少しでもこたえられるようにと必死でがんばった結果、1学期に赤点ギリギリだった成績がそれこそかなり劇的に改善したなんてこともあったことを思えば、先生が自分のことを気にかけてくれているかどうかというのも重要な場合も(子どもの性格にもよるかもしれませんが)あるのかもしれません。
レッスンで何度も同じことを伝えてもなかなか伝わらない場合、単に吸収、理解するのに時間がかかるタイプの子という場合もありますが、それでも、提示の仕方によってはその吸収率、理解の度合いが改善されることはあるのではないかと思うのです。
多分これもまた、どの子にもこの方法が効果的!というような方法はないのだと思いますので、ひとりひとりの子を見ながら、その子にはどう提示するのがいいか探っていくしかないのでしょう。でも、子ども達の成長は本当に早いので、それをひとりでも多く、少しでも早く見つけられたらと思ってしまいます。
今日のレッスンでもそう感じることがありましたが、その一方で今日は、普段算数で結構苦戦することもある子達がかなり好調で、本人達の表情も穏やかで少し笑顔が出たりもして、それはとても嬉しく思いました。
あっという間に11月もあと1週間ほどになりましたね。
教材だけはなんとか作り続けることができていますが、まだまだがんばりが足りないと感じつつももう11月下旬…。
あとひと月余りで今年もおしまいになりますので、ちょっと気持ちを引き締めなくてはと思います。
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このところ、帰宅して食事をすると片付けもせぬまま寝落ちてしまっていることが多く(睡眠時間は足りているはずですし、引きこもりなので体力を消耗しているわけでもないのに…)、また今日も目覚めたら朝…。
何を書こうかと思いながらもまだ頭はぼんやりで、おまけに今日は土曜なのでボチボチ出勤の準備もしなければなりません。
というわけで、今日は形だけで失礼します。
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ニュースでちらっと聞いただけで、まだ先の話、それも決まった話ではないようですが、小学校5年生から英語を正式に教科として組み込むという話が出ているようですね。
私は英語が苦手でしたので、そんな私が言うのはどうかと思いますが、少なくとも今の日本の英語の授業を考えると、それを小学校高学年からスタートしたところで、英語が十分に話せるようになる気はしませんし、また、発音などを正確に身につけられるよう早くからというようなことがあるのなら、5年生からではあまり効果がないような気もします。
何より、日本語の語彙すら少なく、国語での作文も十分にできないような段階でいくら英語を学んだとしても、結局は「生きた英語」は身につかないでしょうし、現場の先生方の負担は増え、大した効果は上がらず(もしくはかえって他教科の時間が削られて何かマイナスになるか)、何年か後に見直し、または廃止なんてことになるのではという気がしないでもありません。
子ども達とレッスンをしていると、例えば算数がかなりよくできるような子達でも、驚くぐらい言葉を知らない子はいますし、それは中学生になっても、また、男の子に限らず、語彙の乏しさを感じることが多いのです。
通ってくれている子達のほとんどは学校での成績には問題がない、もしくはよくできるというような子ですから、その子たちでそんな状態であれば、少し骨のある国語の文章などもきっと意味がわからないところだらけなのではないかと思ったりするのです。
そんな子達に英語の授業をしても、どんな効果があるのか。多少の単語や簡単な文章などを覚えたとしても、それは中学生になってからでも構わないのではないかと思えてなりません。(興味がある子は学校の授業などに関わらず早くから始めていたりもしますし。)
まあ、これは私の個人的意見ですので、小学校から英語の授業をと希望しておられる方も多いのかもしれませんが、英語の授業をする時間を確保できるのであれば、その分を国語の文法や語彙学習、作文学習の時間にあてる方が長い目で見ればよほど役に立つのではないかなと、そんな気がします。
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通ってくれるようになってまだ比較的日が浅い子とのレッスンでのことでした。
その子はこれまで見ている限りでは、数量感覚がないまま、とりあえず習った通りに計算をして答えを出すものの、その答えが合っていそうかどうかの判断が自分ではできない(おおよそこのぐらいの答えになりそうだという感覚がない)状態です。
しかし、学校では×1ケタの筆算を習ってしまったようなので、学校で習うより先に×2ケタの掛け算をきちんと意味を理解してやってもらおうと、今回はそれをレッスンすることにしました。
1問目に「57×22」という問題が出てきたのですが、プリントを渡すと、それはそんなすぐには答えは出ないと思うよと言っている途中で既に「140」だったと思いますが、答えには程遠い答えを書きました。
そこで、「57が2回でも100超えるのに、22回でそんなに少ないはずないよね。」と言って白紙を渡し、57を22回書いてもらいました。
書き上がったところで10個を四角で囲み、「これでいくつになるか考えてくれる?」というと、最初はいきなり「14」と書きました。(これでいかに数の感覚が伴っていないかはお分かり頂けるかと思います…。)「え?それ57が10回で?」と聞き返してしまいましたが、こくりと頷きます。
そこで、「1回で57なのに、それより少なくなる?2回でも100超えるよね?もう一度ゆっくり考えて。」というと、今度は本当に考えたようで「570」と答えが書かれました。
そこで、次の10個も四角で囲み、その横に答えを書いてもらって、その後残った2個の横にも答えを書いてもらった上で「これ全部で57×22よね?」と紙に書かれた57、22個をぐるっと囲んで指してから「答え考えてくれる?」と言って待ちました。
すると、それら3つを筆算で足して答えを出すことができました。
もう1問同じような形で一緒にやりとりをして答えを出し終えた後、更に4問は自分で同じように考えて解いてもらいました。
その後、2ケタ×2ケタの筆算に進み、どういう計算をしているのか説明をして、1問やって見せた後、更に1問やりとりをしながら答えを出してもらったのですが、いざ自分でやろうとすると、どうしても下の段の1の位から答えを書き始めてしまい、同じやりとりを二度、三度と…。
これはまだ意味が通じていないなと、筆算のやり方を覚えさせるのではなく、また白紙を渡し、さっきまでやっていた面倒な方法でまずは上の段の答えになる計算をしてもらい、その後下の段の答えになる計算をしてもらうということをして、それぞれ筆算の式の下に書きうつしてもらいました。
その後様子を見ていると、同じように1段ごとに白紙で考えてから書きうつすという作業をしていましたが、今のその子には、単に筆算のテクニックを教えるよりもこの段階が大事なのだと思い、その方法でやり続けてもらいました。
大人が見たら何を面倒なことしているんだと思われるかもしれませんし、確かに機械的に桁のそれぞれの数字を掛け算してこの場所に書いていくというような教え方をして反復させれば、ある程度正確に答えだけは出せるようになるだろうとも思います。
ただ、その結果が57が10回でも100にもならないような答えを書いて違和感を感じないのであれば、少し長い目で見ると、ほとんど役に立たない、もしくは全く役に立たない勉強ということになってしまうだろうと思うのです。
今は時間がかかっても、どんなに回り道に思えても、その子自身が理解し、納得して進むことを大事にしたいと思っています。
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夏頃から一緒にレッスンをしている、今の段階では算数でかなり苦戦している低学年の子。
当初は色々心配なところだらけだったのですが、いい意味で幼く、素直なところのある子なので、レッスンのたび真剣に伝えたいことを繰り返し言い続けてきました。
その結果、最初の頃よりは随分宿題もやってきてくれるようになりましたし(宿題をしてくるように叱ったわけではなく、勉強は自分のためにするのであって、したくなければ無理にしなくても構わないということをその理由を含めて何度も話してきていまして)、レッスン中の取り組みや反応を見ていても、少しずつ変化が見えてきたなと、嬉しく思っていました。
しかし、今回のレッスンでやっていない宿題にマルがつけられていることが発覚。
それは疑いようもなく絶対にやっていなくて(詳しい内容は伏せますが)、なのに鉛筆で花マルがついていたので「なんでこれマルがついてるの?」と尋ねたところ、「え、それ、赤鉛筆なかったから」と言いかけたのです。
素直で可愛い子だと思っていたし、最近は以前からすれば随分がんばってやってきてくれるようになったなと喜んでいたし、何より、これまで何度も自分が賢くなりたいと思うならやればいいし、ならなくていいなら無理してやらなくていいということも伝えてきていたのに、やっていないだけでなく、赤鉛筆がなかったからと、全く動揺する様子もなくしれっと答えられたことがあまりにもショックで、暗くて重い口調でひと言「ふーん、何を使ってできたの?」と尋ねました。
そこでようやく自分が嘘をついたことがバレたことに気付いたようで、焦りの表情を浮かべて黙り込みました。
ショック過ぎて、泣きそうになりながら、また毎回のように言っている話をして、この頃がんばっているなと思っていた気持ちを踏みにじられたことの悲しさを、小さい子でも恐らくわかるであろう言葉で伝えました。
その子なりの言葉で答えが返ってきたので、その後はいつも通りにレッスンをしましたが、まだ小さい子ですし、家で宿題をやるのが面倒だという気持ちもわからないではありませんから、もしかするとまた同じようなことが起こるかもしれません。
そのときはまた同じ話をすることになるかもしれませんが、少なくとも今回のあの時点では少しは何か響いたのではと思う表情をしていたので、私の伝えたいことが少しでも伝わっていたらいいなと思います。
勉強ができるかどうかより、平気で人に嘘をつける、ズルをしても気が咎めない、そんな人になってしまわないようにということの方が私には大事に思えるので(もちろん、そっちを重視して勉強は後回しというつもりはありませんが。)、やっぱりちょっと変な教室なのかもしれませんね…。(汗)
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今日は久しぶりに他県の塾長さんが教室に尋ねていらっしゃいました。
随分以前にはある勉強会に出たのがきっかけで、うちよりずっと大きくてバリバリ塾をされているような塾の塾長さん達がなぜかうちのような小さな教室を尋ねてこられるということが続いた時期もありましたが、もう何年も勉強会などにも行かずじっとしていましたので、そういう機会もなくなっていました。
今回もご連絡を頂いた際に、やはりわざわざ来て頂くようなところでもないし…と思ったのですが、結局はお越し頂くことになり、教室で使っている教材や教具などについてのお話をあれこれさせて頂きました。
どういういい面があるか、どういう使いにくいところがあるかなど色々尋ねられ、それにこたえる中で、久しぶりに初心に返ることもできたり、自分の頭の中を整理できたり、このところ漠然と考えていることがほんの少しながら考えが進んだりしたような気がします。
その後はそのまま教室で教材作りをしたりしていましたが、やはり教材を作るペースをもっと上げないとなと思いました。その割には今日もあまり進まなかったのですが…。
さて、明日からまたレッスンが始まります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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一緒にレッスンをするようになって日が浅い子達の中には、最初のうち、自分の答えに自信がなくて(もしくはまだあまり考えもせずに)答えが合っているかどうかを尋ねてきたり、どの答えが合っているのか当てもののように探ってきたりする子がいます。
そういうときの子どもはしばしばとても不安そうな自信のない表情をしています。
もちろん、そういうことがあるたび、自分で考えることの大事さ、よくわからないままにただ答えがマルになっても意味がないことを話し続け、レッスンを重ねるうちにだんだん顔つきも変わっていく子がほとんどですが、あの不安げな目を見るとこちらまで悲しい気持ちになります。
少し話が逸れますが、そういうやりとりを何度もしているうち、改めて思ったことがあります。
なぜ自分で考えて答えを出さなければいけないのかということですが、よく考えず、誰かに頼って、その人の言う通りにするということに疑問を持たないまま成長してしまったら、自分ではわからないから誰かに聞こうと、それが当たり前になり、その「誰か」が常に信頼できる人物ならいいかもしれませんが、相手が信頼できるか信頼してはいけないかも自分の判断力が必要なわけですから(まあ、天性の勘とかそういうものも働くかも知れませんが。)、騙されてひどい目に遭ったり、必要のない苦労や不遇に見舞われたりする確率が上がってしまうのではないかと。
大袈裟なと思われるかもしれませんが、でも、子ども達の日常でじっくり何かを考えて答えを出すという機会は勉強によるものが結構な割合を占めているのではないかと思いますから、その中でも算数は思考の訓練に役立つのではないでしょうか。
さて、話を戻しますが、そういう不安な表情をしている子がいる一方で、例えば、決して算数が得意ではなく、見ていてもどかしくなるような子であっても、自分で理解できている方法で問題を考えているときの顔はとても穏やかで安心感が感じられます。
先日のレッスンでも、算数があまり得意ではない子と平行四辺形の面積の学習をしようと思い、公式などを教える前に方眼に書かれた平行四辺形の図を見せて、「この面積、どれだけかわかる?ちょっと考えてみて。」と言った後にひとこと「どこかちょっと切って動かしたら、ピタッとした形になるよね。」とだけ付け加えたところ、「あ!」と言って平行四辺形に線を引き、切り取った部分を移動させた図に描き直して長方形を作って、すんなり答えを出してくれました。
ただ、計算などには時間がかかるので、問題を解くペースはかなりゆっくりながら、次の問題、その次の問題と、同じように線を引いて動かした図を描いて、穏やかな少し笑みを浮かべたような表情で問題を解いていました。
少なくともこの問題はきちんと自分で理解できているんだなと、私も安心しました。
進度などの関係で気が急いてしまうこともありますが、その子その子のペースに合わせて、ゆっくりじっくり進んでいけたら、もっとみんな楽しく学べるんだろうなと、そう思います。
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今日のレッスンでは通ってくれるようになってから初めて、ある男の子が不思議な現象に見舞われました。
その子は算数は決して苦手ではなく、むしろ単元によっては「え?なんでそんなにすぐわかるの?」と思うこともあるような子なのですが、今日四則混合計算をし始めたところ、なぜか簡単な引き算などでの計算ミスが続き、今日はちょっと不調なのかなと思って様子を見ていました。
すると、ある問題で何をどう考えたのか全く推測できない答えが出てきたので、どう考えたのか尋ねたものの、本人も何か混乱している様子。
そこで、一旦簡単な数字に置き換えた式で答えを尋ねると、それは少し考えれば正しい答えを答えられました。とすると、計算の順序やルールを間違っているわけではないなと、再び元の問題に戻ってもらったのですが、なぜかやはり全く見当のつかない不思議な答えが出てきます。
そこで普段ならそんな手助けは全く必要ないレベルのことまで確認をすることなったのですが、どうしたことか、5×3や5×10はちゃんとわかるし、5×12は5が12回という意味なのも納得しているのに、なぜかその答えが100になったり、500になったり、挙句は195だったか159だったか、とにかく、え??何がどうなってるの?という答えが次々と出てくるのです。
そこで、教具を使ったり、10円硬貨と1年硬貨を使ったりして確かめてもらっても、どうしてもその答えが「60」になることがしっくりこないようです。
一旦その問題を保留にして違う計算問題をやってみてもらったものの、今日はやはり何か変で、本人も戸惑っている様子。
その子がそんな状態になったのは初めてなので「たまにはそんな日もあるわね。」とやっていたプリントは今日のところは保留にして、ほかのことに移りました。
その後はほぼ順調に問題を解くことができたのですが、本当になんだったのか、結局本人もよくわからぬまま今日のレッスンが終了しました。
う~ん、なんだったんだろうな…。
さて、昨日今日とかなり気温が下がって寒かったですが、明日もまだ寒そうですね。
みんな元気に来てくれますように。
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通ってくれるようになって3年目の4年生さん。
当初は答えを書くたびちらちらとこちらを見て反応を確かめようとしたり、よく考えないうちにヒントをほしがったりということが続き、あるときはズルをして答えを写そうとしているのを目撃して大きな雷を落とされ、これは時間がかかるかも…と思っていたのですが、3年になってしばらくした頃からなんだか雰囲気が変わってきたなと感じることが多くなりました。
そして、4年生の半ばの現在は、あの頃のことが嘘のように、毎回ご機嫌に楽しそうに、でもしっかり考えてるようになりました。
今日も少し面倒な文章題も「絵描いてもいい?」と尋ねてきて、もちろんいいよと答えると、自分なりに絵を描いて、しっかり答えを出すことができました。
何よりすごいのは、結構面倒な問題でも私がそう簡単には助けてくれないこともよ~くわかっていることもあるのかもしれませんが、かなり粘り強く試行錯誤できるようになったことです。
一度それを身につけたら、この先ずっと大きな力になるはずです。
今、通ってくれるようになってまだ数ヶ月の低学年さんにも少し変化の兆しが見え始めているので、その子にもこんな日が来るといいなと思います。
しかし、話は全く変わりますが、今日は本当に寒かったですね…。帰りに電車待ちをしていたら、本当に指先が切れるかと思うほどでした。
さすがにこのまま冬になることはないとは思いますが、皆さまくれぐれもお風邪などひかれませんよう。
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先日も書いた気がしますが、今週もまた日本語って難しいよなぁと思った出来事が。
国語の語彙の問題を考えていた子がある問題を間違っていたのですが、例文に「~~は自然の妙だ。」というものがあり、その「妙だ」の部分に合う意味を4つの選択肢の中から選ぶというものでした。
その子は「奇妙」の意味にあたるものを選んでいたのですが、実際のところ、短い例文の中の「自然の妙」だけで子どもが選ぶとなると、ある程度語彙が豊富な子でないと難しいかもしれません。
これに関しては間違えたのはやや仕方ない面もあるなと思いながら、それにしても1つの言葉が奇妙という意味ととても優れているという意味を持つとなると、文脈で意味を判断するしかないのだから、難しいよなぁと。
まあ、これに関しては「有難い(ありがたい)」の元々の意味からの派生という感じに近いのかもしれませんが。
ほかに、子ども達とレッスンをしていて、よく小さい子どもが驚くものに「適当」があります。
少なくない子ども達はまだ「いい加減」の意味の方でしか知らず、問題文に「適当なものを選びなさい」というような表現があると「え~!適当に選ぶん?」というような反応をすることがあるのです。(過去に、本当にそういう意味だと思って、明らかに間違っている答えを選んだという子もいましたし…。)
そんな子達に適当には「ぴったり合う」という意味もあるのだというとみんな驚くのですが、これなどほぼ正反対の意味ですから、知らなかった子達は驚くのも無理はありません。
そして、これは使われる場面によってどちらの意味か判断せねばなりませんから、やはり経験や知識が必要になるということなのでしょう。
(まあ、「いい加減」という言葉自体が2通りに取れますから、正にその2通りの意味なのでしょうけど…。)
母国語なのであまり意識したことがありませんでしたが、子ども達と接していると改めて日本語って難しいよなぁと思うことが少なくありません。
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ある2年生さんと数回前から掛け算のレッスンをしています。
学校で習い始めるより前に始めたので、もちろん九九の暗記ではなく、考えて答えを出すところから入ったわけですが、その中で、もともとあまり計算が速いわけではないその子が、9の段が大好きになりました。
もともと、1、2、5、10の段のあたりは簡単なので、ほとんどの子が抵抗なく解くことができますが、その次に簡単といえば確かに9の段。(九九の暗記ということであれば違うかもしれませんが。)
「9×○」の考え方は「10×○-○」の考え方を使うことが多く、教具を並べるときも、それに気づいてもらえるように並べて見せるようにします。
ただ、その子は引き算もそんなに得意ではなく、考えるのにやや時間がかかることが多いので、教具を使って考え方を理解してもらった後に、おまけのように「覚えなくっていいんだけどね」と断ってから、9×1から9×10までの式を紙に書き、まずはそれぞれの答えを言ってもらって書き込みました。
紙には
9×1=9
9×2=18
9×3=27
9×4=36
9×5=45
9×6=54
9×7=63
9×8=72
9×9=81
9×10=90
このように書かれた状態になったところで、18を指して「1+8はいくつ?」「9」次に27を指して「2+7は?」「9」36を指して「3+6は?」「9」と言ったあたりで顔がちょっとキラキラし始め、「4+5は?」「9!」「5+4は?」「9!」・・・と90までやり取りを終えたところで「うわぁ~、面白い!!」とニコニコしながらひと言。
その子なりにきっと感動したのでしょう。その後、9の段の問題が出てくると、本当に嬉しそうに答えを書くのです。
プリントの半分だけでいいことにしていても、9の段があればやらなくていいところの問題まで喜んでやっています。
そして、それがかなり速いのです。
もちろん、このやりとりをしてもみんなそうなるとは限りませんので、たまたまその子にとっては印象深かったのだと思います。
楽しいと感じることが重要なのはわかっていますが、なかなか難しいところでもあります。
ですが、これからも少しでも子どもの印象に残るような提示が一つでも多くできたらなと思っています。
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今日はレッスンはお休みでしたので、ついぐずぐずしてしまいましたが、多少の読書と教材作成を。
それにしても、随分寒くなりましたね。うたた寝したらそろそろ風邪を引きそうです。しかし、このところなぜかやたらと眠く、ちょっとだけと横になったらそのまま寝入ってしまっていることがしばしばあるので、気をつけなくては…。
教材作成はスローペースながらどうにか続いており、少しずつ新しい技を習得したり、自分なりに考えだしたりして、当初手書きだったところもパソコンで処理できるようになったところや、手書きする部分を最低限に減らしたりできるようになったところがかなり増えました。
ですが、今作っているところはある程度頭の中で構想がまとまっていて、作る目処もおおよそ立っているものの、例えば、長さや時計、重さなどの単元になると、定規や時計の文字盤の目盛りを私の技術でどうにかできるのか、それが現在の懸念事項です。
まだそこまで辿り着いていないので真剣に調べていませんが、そういうのも何か技があるんでしょうかね。
当初の最低限の目標ペースはどうにかクリアしているものの、このペースでは全て作り上げるのには数年ががりになりそうなので、もっとうまく時間を使わなくてはと。(ムダに費やしている時間が多過ぎるので…。)
明日からまたみんな元気に来てくれますように。
今週もどうぞよろしくお願いいたします。
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1年生から来てくれていて、今3年生になる子とのレッスンでのこと。
その子は真面目で一所懸命に取り組んでくれるものの、数の感覚がなかなか身につかないところがあり、こんなにがんばっているのに…と可哀想に思えることもありました。
ただ、とにかくそれでもがんばり続けてくれているので、ゆっくりながら少しずつ力が伸びているところも感じられ、最近は少なくとも問題に取り組んでいるときの表情が随分柔らかくなり、笑顔が出ることもあります。
そんな中、今日は角度の問題に取り組んでいたのですが、紙テープを折り返した部分の角度を考えるとき、実際に紙テープを折って渡して考えてもらうと、最初の問題は算数が得意な子達と変わらないぐらいあっさりと正解が出たので、内心「お!」と思っていると、同じような問題なのに次の問題はえらく苦労しています。
問題を見てみると、先ほどの問題は70度を2倍にして180度から引けばよかったのですが、今度は150度を半分にせねばならず、半分にすればよいということはわかっているのに、その計算で悩んでいるようです。
そこで「100の半分は?」と尋ねると、それは特に悩むことなく「50」と答え、「50の半分は?」と尋ねると、それも少し考えただけで「25」と答えられます。そう尋ねると「75」と答えを出せたのですが、150を半分にすればいいとわかっているのに、その計算にすんなり繋がらないようでした。
そして、次のプリントにもまた紙テープの問題が1問出てきたので、様子を見ていると、正解は「70度」のところに「52度」という答えが書かれたので、え?なんで?と思ったのですが、ああ!と。その子はどうやら、「100の半分」と「40の半分」なのに、「50」と「2」としてしまったようです。
そこで、少し声をかけると、今度は答えが「520度」になってしまいました。
結局は正しく直すことはできましたが、この子の場合、考え方は合っているだけに、数量感覚が身につきづらいというところで間違ってしまっているのが切ないなと…。
ただ、図形などでは角の大きさなどの感覚はあるようなので、何かのきっかけで「あ!」と気づくと気がくるのかもしれません。できることなら小学生のうちに、そんな瞬間が来てくれるといいなと願っています。
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今日のあるレッスンでのこと。
興味のあることには驚くぐらいの集中を見せるものの、気になることがあるとついついそちらに気を取られたり、手遊びが出たり、おしゃべりをしてしまったりという子がいまして、可愛くて算数のセンスも感じられるのですが、その日のコンディションによってはおしゃべりがひどくなったり、落ち着きなさが増したりという日もあったりします。
今日は来てくれたときからなんとなくいい感じかなと思った通り、その子にとってはかなりがんばれたものの、ある程度まとまった時間じっと黙って集中するというのはやはりなかなか難しく、一緒にレッスンをしている子が気になって集中できなかったらどうしようと、少し心配していました。
しかし、どうやらその子のすることやいうことがおかしかったらしく、普段は大人しく真面目に取り組んでくれる子が声を出して笑ったり、時にはその子に向かってツッコミを入れたりもして、それにはびっくり。
そして、それよりもっと驚いたのは、楽しそうに笑ったり、時には少しおしゃべりをしたりしていると、普段以上に問題を解くことができているのです。
別の日のレッスンでも感じたことですが、楽しい感情で取り組むということはやはり大事なんだなと、今日もまた感じました。
煮詰まっている子がいたら、どうにかして笑わせてみるのもひとつの手かもしれませんね。
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世界には色んなゲームがあるんですね。
そこそこ長く生きておりますし、子どもと関わる仕事をするようになってからもそこそこの年数になりますが、我が子を育てるという機会がなかったこともあり、最近の子ども達がどんなもので遊んでいるかというのは、ぼんやりしか知りません。
もちろん、少なくない子がゲーム機の類で遊んでいるというのは知っていますが、それは置いておいて、先日、ある保護者の方が「マンカラ」というゲームのことを教えてくださいました。
初めて聞いたので、ちょっとインターネットで調べてみましたが、Wikipediaによると「アフリカや中近東、東南アジアにかけて古くから遊ばれている、伝統的な一群のゲーム(ボードゲーム)の総称である。」と書かれていて、保護者の方が教えてくださったものも、ルールは単純。ですから、小さい子達でも十分楽しめるのですが、これが絶対奥深い。
私はそちら方面も全く詳しくありませんが、囲碁や将棋、オセロなども、すごいレベルの方たちになってくると、最初の1手で勝ち負けが決まることがあったりするように、きっと攻略法とか、必勝法とかがありそうです。
単純なルールの対戦ゲームで小さいうちからあれこれ考えることができ、大人と互角(というか、教えてくださった保護者の方のお子さんと対戦したら完敗したわけですが…(汗))に戦える、子どもでも十分勝つこともできるというのはなかなかいいなと。
自分が子どもの頃は色々なボードゲームで遊んでいて、あれこれ頭を使ってがんばっていたような気がしますが、久しぶりにちょっとわくわくしました。
ゲーム機でも頭を遣うゲームは色々あるとは思いますが、やはり、実際にコマやサイコロなどを触り、動かし、目の前の相手と対戦するというのは、機械相手とは違う大事な経験がたくさんできるような気がします。
本格的なボードも売っていますが、ちょっと検索して頂けば、画用紙にマルを必要な数描いて、おはじきや豆などを使ってでも十分遊べるので、私のようにこれまでご存知でなかった方はよろしければ一度調べてみてください。
手軽にご家族で盛り上がれるのではと思います。
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今日は直接仕事には関係のないお話。
昨日、ネットのニュースで今日が「171年ぶりのミラクルムーン」が見られる日だというのを読みました。
恥ずかしながら、学生時代、天体については興味がもてず(覚えることが多くて面倒だったので…)、試験などはその場しのぎの一夜漬けなどで乗り切ったものの、きちんと理解していなかったため、今となってはわかっていないことだらけ。かといって、興味がないので、それを敢えて調べようともせぬまま今に至りました。
旧暦9月13日が「十三夜」で、十五夜に並ぶぐらいのお月見にお勧めの日だというようなことが書かれていて、へぇ~そうなのかと。
でも、9月13日が2回あるってどういうこと?と、記事を読んでもよくわかりませんでした。
そこで、更にもう少し検索してみると、お月見は旧暦にのっとって日が決められており、それは太陰暦に依っていると。そして、太陰暦は月の朔望で決められているので、地球の公転周期とのズレが1年に11日ぐらいできてしまうと。そのため、3年に1回ぐらい、「閏月」ということでひと月を追加して調整するのだと。
そこまでの知識で、え?3年に1回いつも9月に差し込んだら、どんどん季節がずれていくよね?と、気になったので、更に調べると、なかなか複雑なルールがあり、どこに閏月を入れるかを決める根拠はきちんとあるものの、どうも規則性はないようで。(きちんと調べるとまだまだ奥が深そうです。)
そして、その結果、太陰暦で閏月が9月の後に入れられたのは今から171年前の1843年だったと。(それ以来、今年まで9月には閏月はなかったようです。)
いつが閏月だったかは、このリンク先のベストアンサーに詳しく書かれています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1451934619
こうやって調べ始めると、なぜ満月ではない十三夜のお月見がいいのかという新たな疑問が生まれてきたり、今の太陽暦だと、閏年や閏秒などを差し込むことで調整している実際の公転周期とのズレを、自分できちんと計算してみたいような気になったり…。(いや、しませんけど…。)
まあ、根が不精なのと、ほかにしなければならないことがたまっているのとで、今それを追及することはしないと思いますが、もし仮に、まだ小学生とか中学生とかの頃にこういう話題に触れていたら、もっと違った角度から天文のついて学べたかもしれないなと、そんなことを感じました。
興味を持って自ら調べること、知りたいと思うことは、ただ一方的に教えられたこと、嫌々ながら覚えたことなどとは全く身につき方が違いますから。
171年目ぶりの閏9月。その十三夜。
次、何年後に閏9月になるのかは計算すれば出てくるのかもしれませんが(閏月は3~6月にはかなりあるようですし、この171年間では11月は一度もないようですし…)、そういう意味では確かに「ミラクル」な確率なんでしょうね。
今日は忘れないうちにと思い教室でこれを書いていますので、帰りに忘れずに空を見上げようと思います。
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夏から通ってくれている低学年の子で、1年生の時点で既に算数で苦戦し始めていたという子がいます。
夏から数ヶ月、足し算はある程度できるものの、引き算となると100までの範囲でもかなりあやしい感じで、それがなかなか改善されないなと気になっていました。
ただ、どうも宿題などでは真面目にやっていないような感じもしていたので、取り組みがいい加減だから間違いが多い可能性もあったので、真剣にやればもっとできるのか、最初におうちの方から伺ったお話も合わせると、がんばってもある程度までしかできないのか、どっちなんだろうと。
ですが、その子は点つなぎをさせると最初はそれはそれはかなりすごい状態で、しばらく宿題にも多めに出し、点つなぎがなぜ大事かも何度もきちんと話していたものの、それへの取り組みもいい加減だったため、ここで一度徹底的に点つなぎをさせるのもひとつの方法ではないかと思うようになりました。
前々回から少し集中して取り組んでもらうようにし、前回はレッスン時間の半分近く(とにかく1問、ひとりでミスも抜けもなく完璧に仕上げられるまでするということで始めたので)費やしてしまいましたが、その後のレッスンではいつもより集中できており、反応もよかったように感じました。
そして、今回のレッスンでは持ってきた宿題がこれまでからするとかなりきちんと取り組んでおり、点つなぎも8問中4問は完璧。抜けがあったものの、最初の頃を思えばかなりよくできていました。
で、レッスンを始めると、やはりこれまでに比べて反応がよく、結構考えられているように感じました。
レッスンをしているときも顔つきが穏やかで楽しそうで、どこか少し自信のようなものが感じられるようになってきたように見えました。
変化のタイミングが偶然重なっただけかもしれませんが、点つなぎに関してはもうしばらく、徹底して取り組んでみてもらおうと思います。
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以前は書店に行くと一気に5、6冊買ってしまうことも珍しくなかったのですが、それをするとどんどん積読が溜まるようになり始め、最近はなるべく一度には2冊まで、それも読みかけの本を読み終えられそうになったら…ぐらいのペースにしていたのですが、今日は買い物のついでに書店に寄って久しぶりに少しうろうろした結果、見事にジャンルバラバラで6冊まとめ買い。
それも文庫本や新書は今回は1冊もなしなので、結構まとまった額になりました。(実は数日前に2冊買ったところだったりもしまして…。)
どれも気になる本なので、ぐずぐずダラダラしている時間にちゃんと読まねば!
そういえば、書店である本をぱっと開いたところ、正に今の自分に向けて書かれているというような内容が目に飛び込んできて、それはちょっとびっくりしました。
似たような内容の本を最近読んだのでどうしようかなぁと思ったのですが、これは運命(?)かもと思ってそれも買ってきました。
さて、早速長風呂読書でもしましょうか。
明日から11月のレッスンが始まります。
今月もどうぞよろしくお願いいたします。
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そして、今日はひいきにしているチームがどちらも負けて、早朝からどんより。
いつも以上にぐだぐだで何もしない休日になってしまいましたので、更新は形だけで失礼します。
明日は学校もお休みですね。
もともと月曜はレッスンがない私には全くお得感(?)がありません…。(苦笑)
あと1日ですが、皆さまよい休日を。
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今日のレッスンでのこと。
分数の掛け算や割り算を使って解く問題を考えていた子が、さすがにそれはおかしいでしょ?というような答えを平気で書いたりしていたので、「絵を描いてよ、絵を。」と声をかけ、問題で書かれている関係などを線分図などで表してもらいました。
すると、比率などもちゃんとした図を描き、そこに必要な数字も書き込めるので、それなら問題なく解けるだろうと思っていたところ、何のための絵なの?と思うようなことをするのです。
そこでもう一度「絵を見てよ、絵を。ここからここまでが400なのに、なんで答えがそれより多くなるのよ?」とか「この絵を見て、3つに分けたら一体何が出てくるの?」とか、問題に合わせて再度声をかけると、そこでようやく「あ!」といって、気づけばその後は正しい答えが出るということが何度か続きました。
その子は学校の授業も進度が速く、更に夏から近くの進学塾にも行き始めたことなども影響しているのか、計算などのスピードはかなり速いのですが、ただ「処理」をしようとすることがあるのです。
ただ、図を描くことなどはできますし、更にそこで図や絵を見てきちんと考えれば、正しい答えを出すこともできるのです。
要するに、それをしていないときは「考えていない」ということなんだろうと思います。
ですが、その子を見ていても、また自分自身のことを振り返っても、確かに「考える」ということをするには、精神統一というか、ひとまずぐっと集中する必要があります。
普段の自分も、事務仕事などをする際、単純作業でできることはいいのですが、何かアイディアを出す必要があったり、集中して考えなければならないようなものは、ある程度コンディションが整っていないとなかなか取り組む気になれなかったりします。
ということは、子ども達もそういう面があり、また、算数が好きな子ならいいでしょうけれど、そうでもない子であれば尚更、問題に向き合う際気合いを入れるとかいう必要さえあるかもしれません。
きちんと考えてほしいときにはとにかく絶対急がせてはいけないし、処理をしようとする子には深呼吸でもさせて、まずひと息つかせることも大事なんだろうなと思いました。
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