先日書こうと思いつつ疲れていて書きそびれたことなのですが、先日レッスンを終えた後突然ある考えが頭に浮かんで怖くなってしまったのです。
普段子ども達とレッスンをしているとき、通ってくれるようになって日が浅い子達の中には時々、どうみてもあまり考えていない段階でやり方や答えを聞いてくる子がいます。
恐らく、今みたいな教室を始めなければ、それがおかしなことだと気づくこともなかったかもしれませんが、気づいてしまってからは、考えないうちに聞いてくる子どもの表情を見ると、悲しいような、子どもに対してではなくそんな風にしてしまった周囲の環境に対して腹立たしいような、そんな気持ちになることがあるのです。
そういうとき私はきまって考えることが大事なのだと伝え、そういうやりとりをしているうち、ほとんどの子達は自らの頭で考えてくれるように変わっていってくれます。
ただ、今回のあるレッスンで、少し不安そうな自信なげな表情で、でも絶対に考えればわかるはずのことをあまり考えもせず「~~するの?」とやり方を確認してきた子の表情を見たとき、大袈裟かもしれませんが、あることに思いが及び、とても怖くなったのです。
近年、有名大学の学生達が信じられないような事件を起こしたりしてニュースになることがありますが、そういうニュースを聞くたび、きっとその子達は小さい頃からテストでいい点を取るための勉強ばかりしてきたんだろうな…みたいな思いを抱いていました。
周囲の大人も、勉強さえしていれば、テストでいい点を取ってさえいれば…みたいな環境だった子達もいるのかもしれないなと。
そう考えなければ到底理解できないような(ほんの少しでも人の気持ちを思いやれれば絶対できないであろうこととか、それをすればどんな危険が考えられるかを少しでも想像できる力さえあれば絶対しないであろうこととか、そういう)事件を起こす理由が思いつかなかったからです。
もちろん、個人で事件を起こした場合はその子がどんな学校に通っていようといなかろうと、たまたまその子がとも言えるだろうと思うのですが、サークルなど集団であれば、ほんの少しでも良識ある子がいればそこまでには至っていないのではと思いますので…。
で、前置きが長くなりましたが、本来子どもが勉強する理由は自ら考える力をつけるためであったり、正しい判断ができるようになるためであったりするのではないかと思っていて、ただ、経験の少ない子ども達に考えたり試行錯誤をさせたりする手立てのひとつとして教科学習があるのではないかと思うのです。
しかし、今の子ども達の置かれている環境を考えると、ほとんどの学校では先生がやり方を教え、それに沿って子どもが問題を解く。塾などでは更にその色が濃くなり、子ども達には考える時間の余裕などほとんどなく、次々と与えられる問題をただひたすらにこなしていくようなところも少なくありません。
つまり、世の多くの子ども達は「考えないように」、「考えられないように」仕向けられているように思えたのです。
考えず、誰かにやり方を尋ね、答えを確認し、そうやって歳を重ねていけば、そのうち自分の頭で考えるということがどういうことかぼやけていくのかもしれません。
もちろん、勉強以外にたくさん学びの機会はありますから、学校や塾などで考える機会を奪われても、ほかでカバーできる子達もいるでしょう。
ただ、例えばいわゆる一般的な中学受験塾のように、2年なり3年なり、場合によっては4年以上も、膨大な量の課題をこなし続けなければならない環境に身を置いていれば、頭が出来上がっていくとても大事な時期に「考えられない頭」を作り上げてしまう可能性もあるのではないでしょうか。
今のままでは、ますます自分で考えられない子どもが増え続け、そういう子達は誰かに答えを確認しなければ安心できませんし、それが正しいのか間違っているのか判断する力がありませんから、簡単に人に騙されるかもしれません。また、自分の行動が人を深く傷つけたり、取り返しのつかないことになるかもしれないということに思いが及ばなければ、どれだけペーパーテストで点が取れたとしても、学校から出た後はどうなるのかと…。
私たち大人はもっと真剣に子ども達の将来のことを考えなければならないのではないかと、そんなことを思いました。
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